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日蓮大聖人・池田大作

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第十八回全国婦人部幹部会 「哲学」と「幸福」の世界一の婦人平和運動

1991.5.25 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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1  婦人部の「結成四十周年」、本当におめでとうございます!(拍手)
 学会の婦人部は、世界一の婦人平和団体である。その根底は、仏法を基調とした、「哲学」と「平和」と人類の「幸福」のための運動である。史上かつてない、この一大婦人運動は、世界の婦人運動史に永遠に輝きゆくことは間違いない。(拍手)
 ともあれ学会婦人部は、日蓮大聖人の仏法史上、最高の広宣流布史をつづってこられた。これほどの流布、これほどの正法興隆は、今まで絶対になかった。これからも、他ではとうていなしえないであろう。(拍手)
 御本仏日蓮大聖人の御称讃は、わが婦人部を幾重にもつつんでくださっていると確信していただきたい。そして、この栄光の学会婦人部とともに、尊き使命の一生を飾っていただきたい。その人が幸福にならないはずがない。そのご一家が繁栄しないはずがない。これが御本仏のお約束であられるからだ。(拍手)
2  わが誉れはすべて母のものなり
 母は、青年を育てる。青年の活躍は、母の功績である。母は壮年を支える。壮年の活躍は、母の力の証明である。
 アメリカのプリンストン大学といえば、有名な名門校である。かつて、こんな話を聞いた。ある年の卒業式のこと、最優秀の学生を表彰する恒例の行事が始まった。
 「わが大学の誇りとする卒業生を紹介します」――学長が厳かな声で告げると、白皙はくせき(色が白いこと)の一人の青年が壇上に進んだ。
 講堂の拍手に、青年は静かに謝辞を――。ところが、続いて、彼はこう語った。
 「しかしながら、この栄誉は、私が受けるべき栄誉ではありません。これは、すべて私の母が受けるべきものです。なぜなら、私が今、こうしていられるのも、ことごとく母の労苦のたまものだからです」
 青年は、こう言うと、壇を降り、父母席にいる母の手を取って、助けるように起こし、皆に紹介した。その瞬間――たちまちに起こる満場の拍手、また拍手。なかには感動のあまり、涙ぐむ人々も多かった。
 最優秀賞の紹介の折の拍手など問題にならない、万雷の喝尖が続いた。この青年こそ、のちに同大学の学長となり、さらにアメリカの第二十八代大統領となったウィルソン(一八五6年〜一九二四年)その人であった。(=大統領在職は一九一三年〜二一年。第一次大戦をはさむ激動の時代である)
3  人々は感動した。彼の「恩」を知り、「恩」を忘れず、「恩」に報いる、美しい心に――。
 御書にも恩を強調されているとおり、知恩、報恩は人間性の精髄である。忘恩は人間性の放棄である。
 ウィルソン青年は、傲らなかった。良心に従って生きた。自分のなすべきことへの責任感が強かった。のちに彼は大統領として、国際協調主義を訴えた。また世界大戦の惨禍を見、国連(国際連合)の前身である「国際連盟」を提唱。平和の大統領として、歴史に燦然と名をとどめている。
 私は思う。彼の平和行動の基盤は「母の恩」を忘れぬという、深き人間性にあったと。そして「国際連盟」の一原点も、こうした人間性に、さらには彼を育てた一人の母に求められるかもしれない。
 大政治家は、人間としても大きい。深みがある。鍛えられている。「人間」ができていなければ、後世に残る大事業もできるはずがない。政治に限らず、人間の世界の万般にわたって、そうである。その意味で、何より「人間」として生きたウィルソン大統領の若き日のエピソードを紹介させていただいた。
 なお、アメリカの最高の名門校であるハーバード大学から講演の依頼があり、実現の方向で現在、準備を進めている(拍手)。(=一九九一年九月、九三年九月と二回講演を行っている)
4  「わが誉れ、すべて母のものなり」――。仏法でも、正法を信ずる″母の労苦″は、すべて″子の福徳″″子の誉れ″となると説かれている。
 いわんや皆さま方の労苦は″正法流布の労苦″である。その大功徳が、お子さま方をつつまないはずがない。
 御書には「父母の成仏即ち子の成仏なり、子の成仏・即ち父母の成仏なり」と。
 また、一人の婦人門下へのお手紙(「光日上人御返事」)では、母子の絆の強さを述べられ、福徳も一体であるとされている。
 「子の肉は母の肉・母の骨は子の骨なり」と――。
 現在の″母の信心″が、即″子どもの幸福″に、さらには″社会の平和″へと通じていることを確信していただきたい。(拍手)
 そして、婦人部の皆さまは、ご一家のなかのみならず、学会の青年部、未来部をあたたかく育んでくださっている。彼らの活躍、そして彼らの誉れは、全部、育てた婦人部の誉れである。功績であり、福徳である(拍手)。また青年も、そうした恩を忘れぬ人であってほしいと私は願う。(拍手)
5  御本仏の信徒への大慈悲
 先日、私は約六年ぶりに新潟の地を訪れ、懐かしい友と再会した。皆の元気で、立派に成長した姿を見て私はうれしかった。
 新潟といえば、日蓮大聖人の″永遠の有縁の地″である。大聖人は佐渡の門下に対して、たとえ離れていても、いつもいつも慈悲深く思いやられ、励ましておられた。
 佐渡流罪を終えられて四年後の弘安元年(一二八七年)、大聖人は、佐渡の婦人門下千日尼に与えられたお便りの中で、次のように仰せである。
 「そもそも去年今年のありさまは・いかにか・ならせ給いぬらむと・をぼつかなさに法華経にねんごろに申し候いつれども・いまだいぶか不審しく候いつるに七月二十七日の申の時に阿仏房を見つけて・尼ごぜんは・いかに・こう国府入道殿はいかにと・まづいて候いつれば・いまだやまず、こう入道殿は同道にて候いつるが・わせ早稲は・すでに・ちかづきぬ・わなし・いかんがせんとて・かへられ候いつると・かたり候いし時こそ盲目の者の眼のあきたる・死し給える父母の閻魔宮より御をとづれの・夢の内に有るをゆめにて悦ぶがごとし
 ――さて、去年、今年の疫病の流行のありさまを見ては、佐渡の皆さんはどうなられたであろうかと心配であったので、法華経(御本尊)に、ねんごろに祈っておりました。しかし、いまだ気がかりであったところに、七月二十七日の申の時(午後四時ごろ)、阿仏房が身延の私のもとに来られたのを見て、「尼御前(千日尼)はどうですか、国府入道殿はどうですか」と、まず問いました。
 阿仏房が「千日尼は病気にもかからず元気でおります。国府入道は同道して参りましたが、早稲の刈り入れが近づき、手伝う子どももないので、やむなく途中から帰られました」と語られるのを聞いた時には、盲目の者の眼が開き、亡くなられた父母が閻魔宮から訪れてきた夢を見て、夢の中で喜んでいるような気持ちでありました――と。
6  「尼ごぜんは・いかに・こう国府入道殿はいかに」と、阿仏房の顔を見たとたんに、御自分から真っ先に、門下の安否を問われる大聖人。まさに人間性そのものの御振る舞いであられる。信徒へのあふれんばかりの真情が、ドラマのごとく伝わってくる。胸に轟いてくる。
 打ち続く疫病に、門下は大丈夫か、あの人は、この人は、どうしているか――大聖人は信徒の現実の生活をつねに心配され、現実の幸福をつねに祈ってくださっていた。
 「現実」を離れて仏法はない。ただの理屈でもない。観念でもない。「人間性」を離れて仏法はない。権威でもない。格好でもない。ゆえに、現実に一人の信徒を大切にすることもできないで、仏法者の資格はないであろう。(拍手)
 このことを、大聖人が、身をもって教えてくださっている(拍手)。この尊き御姿、御振る舞いに違背し、似ても似つかぬ傲慢と無慈悲の末弟がいたとしたら、明らかに大聖人に対する師敵対であると私どもは信ずる(拍手)。御本仏に敵対する者は、仏敵である。仏敵に従っては、大謗法となってしまうであろうことを、私たちは恐れる。(拍手)
7  不思議なる「護法の功徳」の証明
 大聖人は、佐渡の門下の方たちが元気であることを開かれて、「不思議なことだ」と喜ばれた。
 「あわれあわれふしぎ不思議なる事かな、此れもかまくら鎌倉も此の方の者は此の病にて死ぬる人は・すくなく候、同じ船にて候へば・いづれもたすかるべしとも・をぼへず候いつるに・ふねやぶれて・たすけぶねに値えるか、又竜神のたすけにて事なく岸へつけるかと・こそ不思議がり候へ
 ――いかにも不思議なことです。ここ身延でも鎌倉でも、日蓮門下はこの疫病で死ぬものが少ないのです。疫病が広範囲に広がり、同じ船に乗り合わせているようなものですから、だれも助かるとは思われないのに、難破して助け船にあったのであろうか、また竜神の助けによって無事に岸に着けたのであろうか、と不思議に思っております――と。
 門下の疫病の犠牲者が少ない事実を示され、護法の功徳の偉大さを教えてくださっている。
8  かつて、小説『人間革命』(第九巻「実証」の章)にも記したが、昭和三十年(一九五五年)の新潟市の大火災をはじめ、新潟地震、水害、雪害などの災害から、新潟の多くの学会員が守られてきたことも、まことに不思議である。全体的にも、大きな事故、災害において、学会員は不思議に多く助かっている。これは厳然たる事実である。たとえ事故等にあった場合も、軽くすむことが多く、しかもみごとに変毒為薬し、信仰の実証を示している。わが学会が仏子の集いであることの一つの証明であろう。(拍手)
 大聖人当時、婦人の門下は、どれくらいいたのか、明確な記録が残っていない。数百人の単位ではないかと推定する人もいるが、断定はできない。
 ともあれ現在、学会の婦人部は、日本最大の平和・文化団体として七百年の大聖人の仏法史上、まさに未曾有の興隆である。この″御本仏の眷属″の出現を、大聖人は、どれほど喜んでくださっておられるであろうか。また、どれほど大切に思ってくださることであろうか。(拍手)
9  権力に対抗するには″怖がらない″こと
 さて、「権力」に対抗するには、どうしたらよいか。それは「怖がらないことだ」と、ドイツのある演劇人は語っている。
 ナチス政権の末期、「どうすれば独裁制に対抗できるか」を、仲間同士で徹底的に話し合った。その結論は、絶対に「怖がらないこと」だったというのである。平気でいることだと。(M・エンデ、E・エプラー、H・テヒル『オリーブの森で語りあう』丘沢静也訳、岩波書店。発言者は、M・エンデ夫人であった故インゲボルク・ホフマン)
10  ″権力の屋根″を支える大きな柱は、権力への人々の「不安」である。ゆえに、「不安」や「恐怖」を持たない人々が現れると、その屋根は大きく崩れてくる。そして、エマーソン(十九世紀アメリカの思想家)が言うように、「恐怖は無知から生まれる」のである。
 知らないがゆえに恐れる。実態を知れば、恐怖も不安も消える。何も怖がる必要のないことがわかる。
 「喜びと節度と平静は、医者をいらなくする」というドイツの詩人(フリードリヒ・フォン・ローガウ)の言葉もある。
 「喜び」――何があっても楽しく。「節度」――いつも良識を基準に。「平静」――あせらず、くよくよせず、堂々と落ち着いて生きることだ、と。そうすれば、いつも「健康」でいられるというのである。
 これは人生の「幸福」の条件ともいえよう。何かあるとすぐに動揺し、疑い、悲しむ。そうした弱さが、せっかくの幸福を自分で壊してしまう。何かあったから不幸なのではない。それに負けるか、より幸福になるチャンスにするか、自分しだいなのである。
 また権力は、皆が怖がるとつけあがる。皆が困ると喜ぶ。皆が悲しむのがうれしい。そうした、やっかいな性格を持っている(笑い)。そうした、ひねくれた趣味に応えてあげる必要は、まったくない。(爆笑)
 いわば、「陽気な平静さ」――。これほど強いものはない。それは、権威の幻影、権力の″張り子の虎″を無力にする。私どもは、人を脅そうとする陰険な悪の蠢動を平然と見おろしながら、朗らかな前進を重ねていきたい。(拍手)
11  信心の″良種″を悪田に捨てるな
 ここで、さらに御書を拝したい。
 大聖人は「窪尼御前御返事」に、次のように記されている。
 「人をも・わづらはさず我が心もなをしく我とはげみて善根をして候も仏にならぬ事もあり
 ――理不尽に人を苦しめて得たもので行う供養は善根とならない。また、人をもわずらわせず(困らせず)、なおかつ自分の心も正直で、みずから励んで善根をしても仏にならないこともあります――。
 どんなに、こちらが真心の御供養をしても、成仏できない場合があると教えられている。それは、どういう場合か――。
 「いはくたねをあしき田にうえぬれば・たねだにもなき上かへりて損となる、まことの心なれども供養せらるる人だにも・あしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候
 ――たとえば、良い種を悪い田に植えると、種がだめになるばかりか、すべての努力がむなしく、かえって損になるようなものです。たとえ、こちらが真心をこめても、供養される人が悪ければ、功徳とならず、かえつて悪道に堕ちることがあります――と。
 ″種″を生かすには田を選ばねばならない。成仏の″種″である、せっかくの信心の″真心″を″悪田″に捨ててはならない、との仰せである。
 「心こそ大切」であるが、その大切な「心」の種子を花開かせ、実を結ばせるには、悪にだまされぬ「賢さ」が必要なのである。(拍手)
12  また大聖人は「四条金吾殿御返事」に、このように述べられている。
 「我が此の一門の中にも申しとをらせ給はざらん人人は・かへりて失あるべし、日蓮をうらみさせ給うな少輔房・能登房等を御覧あるべし
 ――わが一門の中でも、信心を言いとおされない人々は、初めから信じないよりもかえって罪が大きい。地獄に堕ちて、その時、日蓮をうらんではなりませんよ。少輔房、能登房ら退転した門下の末路を、よくごらんなさい――と。
 「申しとおす」「主張し続ける」「信心を貫きとおす」――そうでなければ、かえって罪になると厳しく戒めておられる。
 少輔房や能登房というのは、門下の僧でありながら、大聖人に敵対した悪侶である。このころ(建治三年)にはおそらく、その悲惨な仏罰の姿が、だれの目にも明らかになっていたのであろう。
 また、大聖人は「日蓮をうらんではなりません」と。以前にもお話ししたが、同趣旨のお言葉は御書に数多い。(=平成元年九月六日、第八回全国婦人部幹部会でのスピーチで言及。本全集第73巻に収録)
 退転した人々は、苦悩の境涯に堕ちてから「日蓮をうらむ」という性癖がある。このことを熟知されたうえで教えられている。
 退転したゆえの苦しみ。それは、生命の内奥では、想像を絶するほど寂しく、暗い、苦悶の境涯となる。もっていき場のない苦しみ、いかり――″生命の地獄″である。もっていき場がないゆえに、その苦しみを、大聖人にぶつけるのである。そうだとすれば、筋違いもはなはだしいが、この心理は、現在も共通する。
 学会ほどすばらしい、あたたかな民衆の和合の団体は、絶対にない。このうるわしい真心の世界にいられなくなり、学会から去っていった退転者、背信者らは、みずから落ちこんだ、やり場のない地獄の苦しみを、学会への″うらみ″に転化し、誹謗、中傷するのである。文字どおり自業自得なのだが、自分が悪いとは絶対に言わない。(笑い)
 また大聖人御在世当時は、伝統と権威のある「法華経」の信仰をけなすことはせず、眼前の大聖人を非難した。今は、御本尊への信仰を批判することはないが、その御本尊を弘めている学会を攻撃する。状況は違っても、その心理は、まったくよく似ている、と私どもは思う。
 御書には「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」――過去および現在の、末法の法華経の行者を軽蔑し賤しめる、国王・臣下(権力者)、万民は、はじめは何事もないようであって、最後には滅びない者はない――と記されている。
 仏法は厳しい。感傷や人情論ではなく、宇宙の法則であるからだ。大聖人の仰せどおりに正法を持ち、広宣流布しゆく学会は、仏意仏勅の団体である。
 その学会を利用し、傷つけようとする罪が、どれほど大きいか。また、そうした広布の陣列を離れていった人々の末路が、いかにみじめなものであるか。「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」との厳然たる″裁き″のお言葉は、これまでも真実であったし、これからも必ずそうなっていくであろう。
13  原点を持つ人は強い
 きょうは、アメリカからも代表の方が参加されているが、アメリカ創価大学では、今、創価女子短期大学の学生による英語研修が行われている。
 三カ月間にわたる本格的な研修である。市民交流やメキシコ方面への旅行などもあり、充実した内容で、学生たちが着実に語学力をつけている様子をうかがい、創立者として本当にうれしい。
 また、きょう、うかがったところでは「鹿が七頭、キャンパスの芝生の上で遊んでいました」(笑い)とのことである。緑の芝生、爛漫と咲き香る花々、そして降りそそぐ陽光と心地よいそよ風――まさに別世界である。短大生は幸福だ。幸福な人は、その分、人より努力し、力をつけなければならない。
14  ところで、このアメリカ創価大学の正門から中へ通じているユーカリの並木道は、五十年ほど前、名画『風と共に去りぬ』の撮影の舞台になったといわれる。詩情あふれる道である。この作品の最後の場面は、とくに印象深く、心に残っている方も多いと思う。
 南北戦争による混乱、子どもの死、愛する人たちとの別離等々、人生の波瀾を経て独りきりになった主人公スカーレット。その傷心の身に、前へ前へと生きぬく希望と活力を与えたのは、彼女の故郷タラであった。
 タラヘ帰ろう。タラの地から、もう一度やり直そう。いったん心に決めれば、できないことはないはずだ。明日には、また明日の太陽が昇るのだから――と。
 人生も、広宣流布も、ある意味で変化につぐ変化、波瀾につぐ波瀾の連続といってよい。自分を見失いそうになった時、人生の″十字路″で迷った時に、帰るべき″原点″をもった人は強い。ふるさとを忘れぬ人は強い。
 御本尊を根本に、大聖人の仰せを根本に、つねに自身を「成仏」への根本軌道、「幸福」への根本軌道へと立ち返らせ、新しい出発、新しい前進へ向かわせていく原点、原動力。これが、妙法である。また、創価学会であり、わが″同志の世界″なのである。(拍手)
 とくに女性は、年輪を重ねるほど、友人との絆が大切になってくる。生涯の友人、同志をもった人は幸福である。この″友情″の大地の上に信心の修行も進むし、功徳の花も咲き薫っていく。ゆえに何があっても、これまで育んできた心のふるさとである学会員同士の信頼を大切にしていただきたい。(拍手)
15  原点の大切さについては、御書にも各所で明示されている。
 たとえば「曾谷殿御返事」等の中で大聖人は、「本此の仏に従つて初めて道心を発し亦此の仏に従つて不退地に住す」――もとは、この仏に従って初めて道心をおこし、またこの同じ仏に従って不退転の位に住する、「初め此の仏菩薩に従つて結縁し還此の仏菩薩に於て成就す」――初めはこの仏菩薩に従って仏法に縁を結び、またこの同じ仏菩薩に従って成仏する――等、衆生は初めに自分が法を聞き学んだ師に従って修行し、成仏へといたることを説いた経釈を引かれている。
 自分が発心した機縁、原点を離れてはならないとの仰せでもあり、仏道修行においても、成仏という到達点にいたるためには、現実に発心した出発点から一貫した一つの道のりを歩まねばならないことを示されていると拝される。
16  インドとの平和・文化の懸け橋
 話は変わるが、先日(五月二十二日未明、日本時間)、インドのラジブ・ガンジー元首相が暗殺された。東京でお会いしたこともあり(一九八五年十一月)、近い将来、再会する予定であった。四十六歳という若さで、これからの活躍に国民の期待と信望も厚かった。本当に残念でならない。友人として仏法者として、心から追善の唱題をさせていただいた。
 インドは、仏教発祥の地であり、日本にとっても、大恩ある″文化の国″″精神の大国″である。私もこれまで、その恩に少しでも報いることができればとの思いから、仏法を基調として、インドとの平和・文化の懸け橋を結ぶために尽力してきた。
 そうした行動を評価してくださるインドの方々から、これまで四つの賞(一九八八年一月に「ラマチャンドラン賞」、同年十一月に「国際平和賞」、九〇年十二月に「シャストリ記念国際賞」「ラグヴィラ賞」)をいただいた。
 これは、私個人のことではなく、日蓮大聖人の仏法の偉大さが、仏教の原点の国でも広く認識され始めた一証左である。(拍手)
 ガンジー元首相も、私どもの運動に、深い理解と期待を寄せてくださった方々の一人である。遺族の方々をはじめ、インドの国民の皆さまが、この悲しみから立ち上がられ、さらなる平和と繁栄への道を歩んでいかれるよう、念願してやまない。
17  さて、これまでも何回となく拝してきたが、四条金吾への御返事(別名「石虎将軍御書」)の次の御文を拝読したい。金吾が大聖人の御健康を案じて身延に馳せ参じ、また供養の品々をお届けしたことに対し、大聖人は、こうたたえておられる。
 「日蓮不肖の身に法華経を弘めんとし候へば天魔競ひて食をうばはんとするかと思いて歎かず候いつるに今度の命たすかり候はひとえに釈迦仏の貴辺の身に入り替らせ給いて御たすけ候か
 ――日蓮は愚かな身で法華経を弘めようとしているので、天魔が競って食を奪おうとしているものと思い、嘆きはしませんでしたが、このたび私(大聖人)の命が助かったことは、ひとえに釈迦仏が、あなた(金吾)の身に入りかわって助けてくださったと思っております――と。
 金吾が大聖人の御もとへ参詣したのは、食べ物も不足し、体調も崩されていた大聖人を、何としても外護申し上げたいという真心からであった。その行動に対して大聖人は、「釈迦仏があなたの身に入りかわって、私を助けてくださったのだろうか」と感謝されている。門下の真心を最大に大切にされる御本仏の、深い深いお心の拝されるお手紙である。
 人間の生命は、さまざまな働きをなす可能性をそなえている。それは縁にふれ、また宿業等によって、あるいは釈迦仏の働きに、あるいは悪鬼、魔物の働きにと顕れてくる。信心の修行、広宣流布の前進を妨げようとするのは、「悪鬼入其身」と経文にあるとおり、「悪鬼」が身に入って働いている姿である。
 釈迦仏が入るのと、悪鬼が入るのと、たとえ外見は似たように見えても、働きは正反対である。その生命の本質を見抜いていくのが、信心、仏法の眼である。
18  広布史に燦然、登山会の大功績
 学会伝統の登山会も、戸田先生の外護の赤誠から始まった。(=昭和二十七年十月から。登山会開始当時の模様については、平成二年十二月二十四日、東京・江東、墨田、杉並三区合同記念幹部会でのスピーチでも紹介。本全集第75巻に収録)
 かつて、日淳上人は、もし一千万人の人が登山することができたら、これは末法万年の歴史に残る″大事件″です。大聖人のお喜びはいかばかりでしょうか、と語っておられた。そして、この一千万人を七倍近くも上回る登山会の歴史を、これまでに築くことができたのである。この四十年間の私どもの外護の行動、大功績は、あますところなく、大聖人が御照覧くださっていると確信する。(拍手)
19  また大聖人は、四条金吾の帰途を心配された御心情を、次のように仰せである。
 「今度の御返りは神を失いて歎き候いつるに事故なく鎌倉に御帰り候事悦びいくそばくぞ
 ――このたび、あなたが身延から帰る道中のことは、魂をなくすほど心配しておりました。無事、鎌倉に帰られたことを、私(大聖人)はどんなに喜んだでしょう――。
 「余りの覚束なさに鎌倉より来る者ごとに問い候いつれば或人は湯本にて行き合せ給うと云い或人はこうづ国府津にと或人は鎌倉にと申し候いしにこそ心落居て候へ
 ――あまりに心配だったので、鎌倉から身延に来る人ごとに、あなたのことを尋ねたところ、ある人は箱根の湯本であなたと行き会われたと言い、ある人は小田原の国府津で、と。そしてある人が、鎌倉であなたと会ったと言いましたので、ようやく安心したのです――と。
 ″魂をなくすほど心配していた″――大聖人は、御自身のもとを訪ねた門下に対し、その行き帰りが無事故であるよう、これほどまでに心を砕いておられた。「仏子」である信徒の安全を、だれよりも深く願われ、何よりも優先されたのである。
 こうした御本仏の大慈大悲を拝するならば、尊い仏子である皆さまを、最大に守り、大切にしていくことこそ、仏法者のあるべき行動、振る舞いであると知るべきであろう。かりに″行き帰りのことは関知しない。責任をもたない″というような冷酷な態度があるならば、それは御本仏のお心に反するといえよう。(拍手)
20  学会の登山会において、私どもは、参詣の門下をこまやかな配慮でつつまれた大聖人の御精神を拝しつつ、参加者の輸送ならびに行事運営の万全を期して、人知れぬ労苦と努力を営々と積み重ねてきた。
 これほどまでに発展した登山会である。多くの人々が日本中から、否、世界中から参加してきた。もしも、ひとたび事故が起きれば、これほどの不幸はない。当事者の苦しみはもちろん、団体内のみならず、社会的にも大きな責任問題となってしまう。私自身、これまでも登山会の無事故と参加者の安穏をひたぶるに祈り、心をくだき、尽くしきってきた。
 団体登山の列車や船は、昼間だけでなく、夜間も運行する。登山会の参加人数が急増した会長時代には、心配のあまり寝られない夜が続いたこともあった。大勢の生命を預かる責任者として、それこそ″いのちを削る″ような思いであった。
 また皆さまも、それぞれの地域にあって、登山会運営の責任を担われ、どれほど苦労し、今日の発展に献身してこられたことか。その広布の大功績に対し、御本仏の御照覧は間違いない。大福徳の果報は厳然たることを確信していただきたい。(拍手)
21  さまざまな変化にも深き信心の眼で対処
 大聖人は、続けて仰せである。
 「是より後はおぼろげならずば御渡りあるべからず大事の御事候はば御使にて承わり候べし
 ――これから後は、よくよくのことでなければ、(大聖人のところへ)お越しになるべきではない。大事なことがあった時は、お使いによってうかがいましょう――と。
 当時、四条金吾は、正法の信仰のゆえに敵に妬まれ、命までもねらわれていた。その金吾に対し、大聖人は「今は危ないから、こないほうがよい」と、はっきりと教えられている。
 ″無理をしては絶対にならない″″無理をすれば、必ず事故が起きてしまう″――門下にふりかかる危難の芽を摘み取り、守ってくださる御本仏の、深き深き御計らいであると、私には拝せられる。(拍手)
22  かつて日淳上人は、病気等の事情で参詣できないとの信徒の悩みに対して、″当然、無理をして登山する必要はありません″と答えられていた。それぞれの家庭で御本尊を拝することで、大御本尊を拝するのと同じ功徳を受けられるのである、と。また日達上人も、同様の考えも示された。
 ともあれ、現代において、広宣流布に邁進する私どももまた、御本仏の大慈大悲によって、厳然と守っていただいていることを実感する。
 広布の途上に起こるさまざまな変化も、一歩深く″信心の眼″でとらえていけば、御仏智というか、仏子を守ってくださる大聖人の御計らいと拝せるのである。ゆえに、正しき信心さえあれば、すべてが″よい方向へ″と向かうことを確信しながら、どこまでも安心しきって前進していきたい。(拍手)
23  大聖人はこうも仰せである。
 「返す返す今度の道は・あまりに・おぼつかなく候いつるなり、敵と申す者はわすれさせてねらふものなり
 ――返す返すも、今度の帰り道はあまりにも心配でした。およそ敵というものは、その存在を忘れさせ、油断させてねらうものである――。
 「是より後に若やの御旅には御馬をおしましませ給ふべからず、よき馬にのらせ給へ、又供の者ども・せんにあひぬべからんもの又どうまろ胴丸もちあげぬべからん・御馬にのり給うべし
 ――今後もし旅に出られるさいは、馬を惜しまれてはなりません。よい馬にお乗りなさい。また、供の者たちには、万一の場合にそなえて役に立つ者を連れ、また、あなたが鎧をつけても耐えられる丈夫な馬にお乗りなさい――と。
 油断をいましめられたうえで、旅に出るさいの心がけの一つ一つについて、まことに具体的で、こまやかなお心づかいであられる。
 「よき馬」とは、贅沢を勧められたものではない。安全のためであろう。
 また現代の旅行であれば、列車や自動車に乗る場合も、必ずしも、窮屈な、つらい思いをしながらではなく、何より安全に、また楽しく行くべきであると、とらえることもできよう。そうした姿が、周囲にもさわやかな印象を与え、信頼を広げることにつながっていくのである。
 これからは日本中、世界中で研修会も活発に行われる予定である。そうしたさい、壮年、男子の皆さまは、率先して″役に立つお供″となって婦人部に尽くしてあげてほしいと念願する。(爆笑、拍手)
24  強い「信心」あれば、諸天は必ず守る
 さらに、大聖人は続けて、こう仰せである。
 「摩訶止観第八に云く弘決第八に云く「必ず心の固きに仮つて神の守り則ち強し」云云、神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候、法華経はよきつるぎなれども・つかう人によりて物をきり候か
 ――天台大師の『摩訶止観』の第八並びに妙楽大師の『弘決』の第八に「必ず心が堅固であってこそ神の守護も強い」とある。神が守るといっても、それは、人の心が強いことによるということである。法華経(御本尊)はよい剣であるが、その切れ味は使う人によるのである――と。
 強い「信心」があれば、諸天善神は必ず守るとお約束である。
 学会は「信・行・学」ともに、御本仏大聖人の仰せのままの強盛な信仰を貫いてきた。ゆえに、六十年の間に受けた大難もすべて厳然と乗り越え、正法を世界へとこれだけ拡大することができた。
 これほどの難を受けたのは学会だけである。これほどの難を受けながら、これほどの広宣流布を成し遂げた。他のだれにできるであろうか。まさに信心の「心」が固かったからである。この「事実」の姿に、学会の「正しさ」は明白に映しだされている。(拍手)
 ともあれ、すべては「心」の強弱で決まる。信心の厚薄で決定する。強き心、強き信心の一念に諸天も限りなく集い、一切を良い方向へと回転させていく――これが大聖人の仏法である。
 いよいよ強盛なる信心で、朗らかに結成五十周年をめざし、わが同志とともに、揺るぎない「確信」と「希望」と「安心」の生活を送っていただきたい。(拍手)
25  本日は、各地の衛星同時中継会場で結成四十周年記念の婦人部総会が開催されている。
 この会場には、海外六カ国の代表が、そして沖縄研修道場には、アジアの婦人部、女子部の代表が研修のため参加しておられる。
 全国の皆さまに、心からお祝い申し上げたい。(拍手)
 どうか「健康第一」で前進していただきたい。そして、「大福運の人生」を送っていただきたい。そのために、生涯、仏勅の創価学会とともに、信心強盛に歩んでいかれんことを心から念願し、きょうのスピーチを終わります。
 いつまでもいつまでもお元気で。またご家族によろしくお伝えください。おめでとう! ありがとう!(創価国際友好会館)

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