Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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新潟県総会・音楽祭 「広布大願成就」に学会出現の因縁

1991.5.19 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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2  さて、きょうは新潟とも交流の深いソ連の話から始めたい。
 ソ連と日本とを結ぶ懸け橋。その重要な一人として活躍されているのが、日本文学の研究者であるボリス・ラスキン氏(ソ連・プログレス出版社極東部長)である。多くの日本文学の翻訳を刊行しておられる。私の著作のロシア語訳も手がけていただいた。氏から昨夜、メッセージが届いた。そのなかに、こうあった。
 「私は三十五年前、日本文学をロシアの読者に紹介することを自身のモットーと決め、今日までやってまいりました。これは三十五年間、変わらなかったし、生涯変わらぬ私の仕事です。
 自分自身のモットーに生きなければ、人生は右に揺れたり、左に揺れたりしてしまいます。そして、一度退いてしまったら、あとは後退、後退の連続です。どうか若い人たちは、自身の幸福のため、戦ってほしい。『自身のモットーに生きる』という姿勢は、池田先生の生き方につながっていると私は思います」――。
 淡々としているが、含蓄の深い言葉と思う。
 「何があろうと、自分は、これでいく」という信念、モットーがなければ、風向きのままに、右に揺れ、左に揺れ、翻弄されて、結局、人生、何も残らない。後悔とむなしさだけの、みじめな自分となってしまう。それでは、何のための一生か。
 そうならないためには、一歩も退いてはならない。毅然と頭を上げて、「信念」のままに、前へ、また前へ進むことである。そして「信心」とは最高の信念なのである。
 「自身の幸福のため、戦ってほしい」との氏の言葉を、謹んで新潟の同志に贈らせていただく(拍手)。また大きくは、日ソ新時代を視野に入れた「環日本海時代」に、新潟が重要なリーダーシップを発揮してほしいと、私は願っている。
3  恩師の故郷を訪ねる″師弟の旅″
 新潟は、いうまでもなく、日蓮大聖人有縁の地であり、また牧口先生にもっともゆかりの深い地である(拍手)。牧口先生の『人生地理学』のことは、これまでも何回かお話しした。この一書の偉大さをもってしても、戸田先生があれほど牧口先生を尊敬し、一生涯師事し、牢獄までも一緒に入られた理由の一端が、私には深く感じられる。
 『人生地理学』は、牧口先生が三十二歳の時の著作。その雄大な視野、その独創性、その思想的な深さは、まさに先駆的な名著といってよい。しかし、日本では、外国のものや、流行に乗ったものばかりが注目され、真の一流が理解できない傾向がある。物事の評価も、状況の風向きしだいで、右を見たり、左を見たり。その定見のなさは悲しいほどだ。『人生地理学』の冒頭に、牧口先生は、ご自身のことを「荒浜の一寒民」と。すなわち、″私は荒浜という貧しい寒村の一庶民である″と、ご自分の立脚点を明確にされている。
 荒浜は、ご承知のように、現在の柏崎市内にあたる。きょうは、その柏崎をはじめ県下の各地で、たくさんの方々が音声中継を聞いておられる。本当におめでとう。(拍手)
 さて、牧口先生は、このように、いささかも自分を偉く見せようともされず、気取ってもおられない。どこまでも、ここ新潟の無名の庶民の出身であることを堂々と語られ、誇りとし、不朽の大論文を書く出発点とされたのである。(拍手)
4  学会創立(昭和五年〈一九三〇年〉、当時「創価教育学会」)からまもない昭和八年、牧口先生は愛弟子の戸田先生をともなって、故郷の荒浜を訪ねられている。″一緒に行こう。私の故郷を見たまえ″と。
 師弟同道し、荒浜の村を歩まれるお姿――まさに、一幅の名画のような光景である。想像するだけで、私の胸中には、無限の詩が湧き出ずる。
 私も、かつて、戸田先生の故郷厚田村へ、弟子として真っ先に連れていっていただいた。(昭和二十九年八月)
 牧口、戸田両先生の新潟への師弟の旅。私は昨日、新潟に到着して以来、戸田先生と私の厚田ヘの旅と二重写しに感じられてならなかった。(拍手)
 牢獄までもともに――という″師弟一体″の姿。ここにわが創価学会の正義と信念と人間としての峻厳なる真髄がある。また、それは人生の精髄でもあるにちがいない。この師弟の世界は、だれ人も介在できない。壊すこともできない。(拍手)
 学会に大恩を受けながら、無残に裏切り、背信し、知ったかぶりをして批判するような輩には、毛筋ほども理解することのできない、崇高な世界なのである。(拍手)
5  この牧口先生ゆかりの柏崎をはじめ、長岡、六日町、小千谷は、十数年前、悪僧の策謀によってとくに苦しめられた地域である。
 民衆を慈しむべき聖職者が、広布に励み供養をする信徒をいじめ、罵倒する――。いったい何のための仏法か、聖職者か。慈悲のかけらもない、まったく大聖人の御精神に反する振る舞いであった。
 「一切衆生平等」の仏法である。妙法を持った人は皆、御本仏の子どもである。仏子である。何の差別もない。御本尊のもとには、全員が平等なのである。いわんや学会員は、だれ人よりも広宣流布へと現実に戦っている。(拍手)
 苦闘の激戦から十年。今や、長岡は当時の二本部から三本部に発展している(拍手)。さらに、六日町も一割以上の世帯増加を果たしている(拍手)。また地域の会館建設でも、柏崎牧口記念会館をはじめとして、長岡平和会館、六日町平和会館が新しく誕生した。
 すばらしい大発展、大勝利、おめでとう!(拍手)。苦労したところは強い。負けない。今回の策動の風にも、この地域は微動だにしていない。(拍手)
 反対に、そのころ、悪の誘惑と計略に乗せられてしまった人々の悲惨な末路――その現実は、皆さま方がいちばんよくご存じであろう。
 「時」とともに、正邪を明確に示しゆく仏法の厳しき因果律。それは、去った本人たちがいちばん、痛恨の思いで感じているはずである。二度とこうした悲劇を繰り返させてはならない。後世ヘの歴史の貴重な証言として、一言、申し上げておきたい。(拍手)
6  わが生命を「勇気」の二文字で染め上げよ
 緑地に稲穂のデザインをあしらい、中央に朱色で「勇気」の文字が染めぬかれている新潟の象徴の県旗。先ほどからこの旗を拝見しながら、私は思った。″この県旗そのままに、新潟には「勇気」があるな″と。(拍手)
 どうか、皆さまは、「勇気の新潟」を合言葉に、「勇気」の二字を決して忘れないでいただきたい。(拍手)
 勇気ある人のみが戦いに勝てる。そして、戦う人は幸福である。戦えない″いくじなし″では、結局、不幸になってしまう。
 人生、すべて戦いである。子どもが泣くのも、ある意味では戦いである(笑い)。お母さんの心を自分のほうに向かせるかどうか、必死である(笑い)。夫婦げんかも、戦いだ(爆笑)。愛情が足りないとか(笑い)、一家で偉いのは自分だとか(笑い)……それはそれとして(笑い)、みごとなる″人生勝利″の戦いをお願いしたい。(拍手)
7  牧口先生の有名な言葉に「三種の人間がある。――居てもらいたい人。居ても居なくても、どちらでもよい人。居ては困る人」と。
 平易ななかにも、まことに鋭く人間模様の真実をついた言葉と思う。「そのとおりだ」と、うなずいていらっしゃる方もいるようだ。(笑い)
 さらに、先生は、「居て欲しいと言われる人になれ。その極限が仏である」と――。
 周囲から「ぜひ、いてほしい」「必要だ」と望まれる人間になること、それ自体が、信心の大切な証といえよう。
 いてもいなくても関係ないような、実力も人格の魅力もない人では、真の信仰者とはいえない。わが創価学会は、「いてほしい」人間の誇り高き集いである。(拍手)
8  学会常住の御本尊に「大願成就」の仏勅は厳たり
 ちょうど四十年前のきょう、昭和二十六年(一九五一年)五月十九日。日昇上人は、戸田先生の請願をうけられ、「創価学会常住」の御本尊をお認めくださった。
 すなわち、向かって右に「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と、左に「創価学会常住」とお認めある御本尊である。「広宣流布大願成就」とお認めの御本尊を賜ったのは、ただ私ども「創価学会」のみである。(拍手)
 「広宣流布」は、御本仏日蓮大聖人の御遺命である。大聖人の仏法の根本となる「大願」である。ゆえに私どもは、この広布という大願を絶対に成就させねばならない。それが学会出現の″因縁″であり、未来への前進の″原点″である。この御本尊が、そのことを厳として証明してくださっている。「広宣流布」へ進むわが創価学会は、不思議なる「仏意仏勅」の団体である。だれが何と言おうとも、御本尊が明示されている、この事実は、永久に微動だにしない。(拍手)
 また日昇上人は、「大法興隆所願成就」とお認めの、関西常住の御本尊も御下付くださっている。
 以前にもご紹介したが、日昇上人は昭和三十年十二月十三日、関西本部の落成入仏式の折、次のように述べられている。
 「先年(=昭和二十六年)は、本部の御本尊といい、ここにまた関西本部の御本尊をお認めすることは、私は実に何たる幸福で、人生の幸福、大満足に感謝にたえません。涙をもって三宝にお礼を申し上げるとともに、皆さまにも感激の涙をもってお礼申し上げる」と。
 これが日昇上人のお心であられた。
9  昭和二十六年七月二十二日、日昇上人の導師のもと、創価学会常住御本尊の奉戴式が行われた。引き続き開催された臨時総会には、日淳上人が出席してくださった。
 席上、日淳上人は、こうあいさつされている。
 「この度学会として御本尊を奉戴されたのは誠に尊いことで、大聖人様は『この御本尊を身に帯すれば鬼に金棒』とおほせられ、まさにその通りに学会が鬼に金棒を得られた事を深く感銘するものであります。この上は皆様異体同心堂々と折伏に精進される様のぞんでやみません」(『日淳上人全集』)と。
 このお言葉どおり、私どもは「慈折広宣流布」の道を限りなく広げに広げてきた。精進に精進を重ねてきた。異体同心して、ありとあらゆる障害を乗り越え、戦い、勝ちぬいてきた。(拍手)
10  同総会には、日亨上人も出席してくださり、次のように述べられている。
 「世界中を大聖人の教義に入れ、国際間の累卵(=非常にくずれやすいこと)の危機に処し、ゆるぎなき信心に励み幸福な生活を致します為には屈しない力が必要なのでありまして、上っ調子では長持ちはしないのであります」(「聖教新聞」昭和二十六年八月一日付)と。
 「平和」にも「幸福」にも、必要なのは、「屈しない力」であると教えられている。何かあると、すぐにぐらつく「上っ調子」では、個人も社会も不幸になる、と。
 そして、「学会員があらゆる難を切り抜いて行って居られることは、無駄のない力の結集であり、国家の力となるのであります。年々に大勢になって居られます新しい信者の方は、大きな眼から見ますと新進気鋭の力、これは実に広大であります」(同前)と――。
 当時、学会の世帯数は約五千世帯――。現在からみると、いまだ微々たる勢力であった。しかし、歴代上人は、広布実現への学会の不思議なる使命を見抜いておられた。仏勅の団体として、学会が偉大な歴史を刻んでいくことを予見し、心から讃嘆されていた。
11  「法華を信ずる者は大海の如し」
 さて、昭和五十二年(一九七七年)十一月九日、学会本部の師弟会館において、学会創立四十七周年慶祝法要が行われた。席上、日達上人は、学会常住の御本尊に勤行され、次のように述べられている。(以下、引用は『日達上人全集』から)
 「四十七年の昔を考えますれば、会長・池田先生の努力によって、今日の創価学会も非常に大きく、また宗門もそれだけ大きくなったのでございまして、まことにはなはだ感謝しておる次第です」と。
 私が代表になっているが、皆さまの労をたたえられた言葉と思う。明確に「感謝」と言われている。門下であれば、このお心に違背することはできないはずである。(拍手)
 日達上人は続けて「最近、よくいろいろの報道で、雑誌等で、いろいろな非難をこうむっております。これも世間でどういおうとも、私は会長池田先生を、またよく先生の信心を信じております。この先生あってこそ、学会は万全である」と。
 「大聖人様は、法華経を信ずるものは大海のごとし、とおおせになっております。この大海の水は、その底においては少しも動揺していない。けれども一応、その表面は、波風が立ち、あるいはあらしのときには、大きな波が立つでしょう。しかしながら、その海底は、ビクともしておりません」
 「大聖人様は『四条金吾殿御返事』に『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ』とおおせになっております。私どもは、こういう非難のときにも、少しも恐れず、こういう苦難もあるのだ、あるいはまた、太平のときもあるのだ、と、ともに苦楽を思い合わせて、南無妙法蓮華経の生涯に生きていただきたいと思います」と述べられている。
12  このお言葉のとおり、私どもは宗門の発展を願い、努力に努力を重ねてきた(拍手)。宗門外護のために一心不乱にご奉公してきた。自分の家や子どものことなど、あと回しにし、尽くしに尽くした。ある意味で、あらゆる犠牲も顧みなかった。ただ広宣流布を、ただ宗門の繁栄をと走ってきた。(拍手)
 今日の宗門の世界的な興隆。七百年来、また仏法史上に例を見ない大発展。それが御本尊への信心を根本とした私どもの労苦の結晶であることは、だれ人も認める厳然たる″事実″であろう(拍手)。歴代上人も、そうたたえておられる。ここに私どもの誇りがある。(拍手)
 ″事実″は事実である。それをどう受け取るかは個人の自由であるが、どんな理屈をつけたからといって、事実が消えるわけではない(拍手)。そして仏法では事実こそが大切なのである。(拍手)
13  学会の世界は、清らかな「信心」の世界である。うるわしい「人間性」の世界である。
 今、世の中の「心」は荒れ、醜い欲望が支配する社会となってしまった。お金のために、夫婦兄弟までもが憎み合い、相克しあう。私利私欲のためには、「信義」も「人権」も「事実」さえも平然と踏みにじって恥じない。口に正義を唱えながら、一方で、自分たちの思うようにならない正義の人を迫害する――。殺伐たる世の中である。こうしたなかに、学会のような″善の世界″が生きぬいていること自体、ひとつの奇跡かもしれない。(拍手)
 友に何かあると、飛んでいって励まし、祈り、動き、家族もおよばぬほどの真心で面倒をみる。
 くる日もくる日も、友の幸福を願い、何の見返りも求めず献身的な行動を続ける学会員――。人々は、とても信じられないのである(笑い)。何か、裏があるのではないかと、かんぐってしまう(笑い)。″安心″するために、どうしてもうそだと思いたいのかもしれない(爆笑)。また根底には妬みもあろう。
 あえて、たとえていえば、狼の群れの中にいるようなものである。ゆえに、私どもは羊であってはならない。獅子でなければならない。だれよりも「強く」「賢く」あらねばならない。
 悪は善を破壊したがる。こちらの「真心」が大きい分だけ、それを利用してみずからを富まそうとする。「人間信頼」の念が強い分だけ、お人よしとして、いいカモにされてしまう危険が増す。
 簡単に策謀の犠牲になってしまう。悪の詭弁に、善の連帯を断ち切られてはならない。だまされてはならない。
 悪を見抜く「聡明さ」と、悪を打ち破っていく「勇気」で、この尊き、世界一の″善の宝城″を守り、栄えさせていただきたい。(拍手)
14  進もう―「広宣流布」の旗を掲げて
 戸田先生は四十年前、「聖教新聞」の創刊号(昭和二十六年四月二十日付)に、こうつづられた。
 「われわれがひとたび御本尊をたもつや、過去遠々劫の当初に仏勅をこうむったことを思い出さねばならない。『末法に生まれて広宣流布すべし』と仏勅をこうむっているのである。この仏勅を果たさんがために、われわれは出世(=世に出現すること)したのである。仏の一大事の因縁は、二十八品の法華経を説かんがための出現であり、大聖人御出現の一大事の因縁は、『南無妙法蓮華経』を私どもにくださって、われわれ大衆を救わんがためである。われわれの出世の因縁は、広宣流布の大旗を掲げんがためである」(『戸田城聖全集』第三巻)
 ″私どもは、この末法に、「広宣流布の大旗」を高く掲げゆくために生まれてきた″――と。その事実を、「自覚」するかどうかである。自覚が、どれだけ深いかである。
 すばらしき人生の師であられた。不思議なる恩師であられた。私どももまた、この戸田先生の確信のままに進む。「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊を拝し、ただ「広宣流布」へと――。(拍手)
15  さて、先日、ある婦人部の方が言われていたという。
 学会が一部の歪曲報道によって批判されていることが「清浄な宗風と信用を傷つけた」等と、宗門が「謝罪」を要求してきたことに対し、「『宗風を傷つけた』とは何ごとでしょうか。学会が、これまで、どれほど『宗風を高めてきた』か」と。
 婦人部を怒らせると、本当に怖い。(爆笑)
 「学会は、これだけ多くの人々に、御本尊の偉大さを教え、教義を弘め、宗門を興隆させ、世界の日蓮正宗にしたのではありませんか。仏法上の功績は計り知れません。それに対して、世間の難があるのは、御書に照らし、当然でしょう。これほど『宗風を高めた』ことは何も言わないで、偽りだらけの世間の声には、とたんに便乗して、『宗風を傷つけた』とは、いったい、仏法が根本なのでしょうか、世間が根本なのでしょうか。本末転倒ではありませんか」と。(拍手)
 婦人部が立ち上がると、「どこからこんな雄弁な知恵が出てくるのか」と驚いてしまう(爆笑)。まさに道理であろう。
 また、別のある方は、「世間の評価が、それほど気になるなら、名誉会長の世界的評価は、どう讃嘆しているのでしょうか」と。(爆笑)
 「世界の最高峰の識者との対談。各国からの第一級の勲章や、名誉博士号。さまざまな賞の受賞。ほかのだれができますか。全部、広宣流布のためであり、『宗風を大いに高めた』姿そのものではありませんか。その『事実』を讃嘆せず、一方的な『虚事』のほうに加担して、一緒になって中傷するとは、いったいどうなっているのでしょうか」(拍手)
 「むしろ聖職者が、供養を要求したり、乱れた生活をしたり、慈悲もなく、悪意をもって、傲慢に信徒をいじめることのほうが、よほど『清浄な宗風と信用を傷つける』、もっとも恥ずべき行為ではないですか」と。(拍手)
 話がとてもとどまりそうにないので(爆笑)、これくらいにしてもらったそうだが(笑い)――。
 私のことはともかく、皆さまは尊き仏子である。仏子を苦しめることは、御本仏に敵対することである。皆さまの堂々たる広布への努力を見くだし、いわんや破壊しようとする悪と戦わなければ、だれ人であれ、与同罪(ともに同じ罪を得ること)にさえなってしまおう。ゆえに、正義の声の代表として、一端を紹介させていただいた。(拍手)
16  ともあれ、私は進む。これまでどおり、どこまでも御書の仰せのままに進む。「広宣流布」のために。大切な皆さま方のために――。(拍手)
 皆さまもまた、どうかともどもに、ますますの「若さ」と「勇気」で、すばらしき幸の人生を満喫していっていただきたい。正しき信心の心で、万年に輝きわたる「広宣流布」の大業のため、自身の永遠の勝利のために、この一日一日を、立派に勝利していただきたい。(拍手)
 そして、できれば、新潟は一つの目標として「聖教新聞の新潟」という模範の前進をお願いしたい。それは即「弘法」に通じていくからだ。(拍手)
 私は毎日、皆さまの「健康」「無事故」「安穏」「裕福」を、懸命にご祈念申し上げている。どうか、この″誉れの道″を堂々と、安心して闊歩していただきたい。そして日本一、世界一の幸福者になっていただきたい。私の願いは、それ以外にない。
 この心からの思いを申し上げ、本日のスピーチを終わります。歴史に残る県総会・音楽祭、本当におめでとう!(新潟文化会館)

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