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日蓮大聖人・池田大作

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第四十二回本部幹部会、第七回壮年部幹部… 大偉業に生きる人は永遠に若い

1991.5.17 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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1  ヴァイツゼッカー大統領の人生観
 全国の壮年部の皆さま、広宣流布の要として、社会の中核としての日夜のご活躍、本当にお疲れさまです(拍手)。また婦人部、青年部の皆さまも「お忙しいなかをようこそ! たいへんにご苦労さま」と申し上げたい。(拍手)
 学会の会合は、たがいに心を潤し、励まし合う″家族″の集いである。話も明快に、そして抽象論ではなく具体的でなくてはならない。本日も″さあ、やるぞ!″という、未来への希望、成長の糧となるような、確信満々たる出発の会合としてまいりたい。(拍手)
 とくに壮年部の皆さまにとっては、これからが人生の重要な仕上げの時である。社会的にますます責任も重く、精神的、肉体的な負担も大きくなってくる。だからこそ、尊敬と励ましに満ちた、うるわしき絆の前進が大切なのである。
 妙法に生ききった人は幸せである。「不老不死」の法理のままに、わが一生を満足で飾り、一日また一日を、若々しき、永遠への出発としていける。そうなるのが信心であり、広宣流布の活動であることを、強く確信していただきたい。(拍手)
2  きょうは、何の話から始まるのかなと、気になっている方も多いと思う(笑い)。″アメリカの話だろうか″″フランスだろうか″――。しかし、そうした予想がつねに覆されるところに、皆の楽しみもあるようだ(笑い)。そこで、きょうはドイツの話から入ることにしたい。(笑い、拍手)
 世界的な哲人政治家として知られる、ドイツのヴァイツゼッカー大統領。現代の政治家で、その識見の高さは最高峰とされている。大統領からは、西ベルリン市長時代(一九八一〜八四年)から、一度お会いしたいとの手紙もいただいている。
 大統領が、ドイツ敗戦から四十年にあたり議会で行った演説(八五年五月八日)は、世界の人々に大きな感動をあたえた。
 かつて犯したナチス・ドイツの罪を具体的にあげて率直に反省の念を述べ、「人間らしく生きたいという願い」と「平和への希求」をこめた、すばらしい、心に深くしみ入る演説であった。
 もちろん、この演説は、ドイツ国内でも多くの共感を集めた。一説によると、演説後の約ニカ月間に配布されたテキストは九十万部といわれている。演説の最後のほうでは、このように述べられている。
 「ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい」「若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい」(『荒れ野の40年――ヴァイツゼツカー大統領演説全文』永井清彦訳、岩波ブックレットNo.55)
 また、ヴァイツゼッカー大統領と若者たちとの対話は、ふつうのやり方と違い、若者たちを驚かせた。大統領は、こう語りかける。
 「一方通行にならないように、私にばかり意見を求めないで皆で意見を言ってほしい。私は前に座ってはいるが、全員が同じように参加できるような対話をしたい。また、私は皆のことを知らないが、皆は私のことを少しは知っている。この出会いを通して、皆のことを少しでも多く知りたいと思う」(ヘルムート・R・シュルツェ編『リヒャルト・フォン・ヴァイツゼツカー――あるドイツの大統領』ベルテルスマン社)と。
 ″立場を超えた、対等な人間同士の心通う語らい″――。牧口初代会長の時代に始まった、学会伝統の「座談会」の精神にも通じると思う。
 大統領は、ただ威圧的に、何かを教えるという態度ではなかった。対話が横道にそれていくのを穏やかに修正しながら、若者たちとの出会いを大切にし、若者たちの考え方から学ぼうとした。
 一方的な命令や通告によって、人がついてくると思うことは、あまりにも時代錯誤である。何より人間性にも道理にも反している。
3  ドイツを代表する新聞のインタビュー記事(「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」八四年六月十五日付)には、大統領との、次のようなやりとりが紹介されている。
 ――あなたにとって最大の不幸とは?
 大統領は「孤独です」と答えた。
 質問もいいが、答えもいい(笑い)。人間、孤独では生きていけない。独りで自分勝手に生きることが自由で幸せのように見えることもあろうが、実際はそうではない。
 人との連帯、励ましあいのなかでこそ、人間は生きがいをもち、使命感や向上心を失わないでいられるのである。人間連帯の世界に背を向けて生きることは、生きがいの放棄につながる。自己の責任から逃避する、ある意味で、ずるい生き方であろう。そして不満と後悔に満ちた寂しい人生となってしまうのではないだろうか。
 ″人類への責任″をみずから深く感じて戦っておられる大統領は、そうした「孤独」の生き方と正反対の人生を歩んでおられると、私は思う。
 ――あなたにとって現世における完全な幸福とは?
 答えは「日の出直前のカルヴェンデル山脈の登山」と。
 やはり「行動」である。ゆっくリテレビが見たいとか(笑い)、休みたいなどではない。
4  ――現代で好きな女性の英雄は?
 「戦争や苦境時代の母たち」
 戦争で身も心も傷つき、夫や子どもたちを守るために苦しみ、それでも一家の先頭に立って乗り越えてきた母。この母たちに勝る英雄はない。
 「苦境」のなか、ひたむきに法のため、人のため、愛する者たちのために生きぬいてこられた学会の婦人部の皆さま――私も、皆さまこそ「英雄」とたたえたい。(拍手)
 ――好きな作曲家は?
 「シューベルト」。″ドイツ歌曲の王″といわれ、「野ばら」「冬の旅」などの作品がある。また、もう一人は「バッハ」と。
 ――夢のような幸福とは?
 「不滅のメロディーを作曲すること」
 私どもでいえば、不滅の「自分史」、「人間革命史」を創造しゆくことともいえまいか。
 ――好きな作家は?
 「フォンターネ」。日本ではあまりなじみがないかもしれないが、ドイツ写実主義の時代に活躍した。また「シェークスピア」を愛読する、と。
 ――好きな小説の主人公は?
 「スタンダールの『パルムの僧院』のファブリス」
 作品の中でファブリスは、権力と金が支配する狡猾な貴族社会に対抗し、抑えきれぬ情熱のままに行動する。そうした天真爛漫な率直さ、勇敢さは、青年の″宝″である。
5  また「歴史上で、好きな人物は」との問いに対して、大統領は「フリードリヒニ世」と答えておられる。
 ――フリードリヒ二世といえば、ドイツ史上、二人の有名な王がいる。大統領が挙げたのは、いわゆる″フリードリヒ大王″(十八世紀のプロイセン王)ではなく、十三世紀のホーエンシュタウフェン王朝最後の神聖ローマ皇帝(一一九四年〜一二五〇年)である。
 この皇帝は、とりわけ学問、芸術を愛し、王侯のなかで″中世における最初の近代人″といわれた。宗教の異なる文化圏とも縦横に交流し、豊かな学識をもち、教育にも力をそそぐ――ある意味で、時代の既成概念から突出したこの偉人に対し、保守勢力の風当たりは強かった。
 彼の政治は、ドイツよりもシチリア、イタリアが中心であり、彼の王国の台頭を脅威に感じたローマ教皇から再三にわたって「破門」を受けながら、彼は教皇の権威と最後まで戦い続けた。彼は十字軍(第五回)の遠征を行い、″聖地エルサレム″の奪還を成し遂げた。しかし、教皇は破門中の彼の業績を認めず、祝福もしなかった。しかも教皇グレゴリウス九世は、フリードリヒの遠征中に彼の王国を攻撃し、奪い取ろうと画策していた。
 彼の精神は、同時代の狭い枠を超えていたゆえか、敵対する勢力との争いはやむことがなかった。しかし、その偉業は、後世の多くの歴史家を魅了している。ともあれ、大統領が、幾多の歴史的人物のなかでこの皇帝を挙げておられたことに、私は感銘をおぼえる。
6  さらに大統領は、次のような質問に対して、それぞれ簡潔、明快に答えておられる。
 男性の性格でもっとも評価するものは? 「内面の自立性」
 女性の性格でもっとも評価するものは? 「気品と賢明さ」
 好きな徳は? 「思いやり」
 友人の何をもっとも評価するか? 「無条件の友情」
 自然の才能で持ちたいものは? 「つねに喜びに満ちた心」
 いかに死にたいか? 「心の調和を保ったまま」
 今の精神状態は? 「つねに新たなる好奇心」
 好きな詩人は? 「初期のホーフマンスタール」(一八七四年〜一九二九年。オーストリアの詩人、作家で、新ロマン主義、象徴主義の強い影響を受けドイツ叙情詩の巨匠と言われる)
 もっとも嫌いなものは? 「無駄話、誹謗」
 歴史上の人物で、もっとも軽蔑するのは? 「狂信的な一扇動政治家」――と。
7  「信念」を貫く人が真の英雄
 一方、「歴史上の女性の英雄」はだれか。
 大統領の答えは、まことに示唆に富んでいる――「ヴァインスベルクの女たち」である、と。
 ヴァインスベルクとは、ドイツのネッカー川沿いにある町の名である。大統領が挙げたのは、そこに伝わる中世の話である。
 ――あるとき、ドイツ皇帝は軍隊を率いてヴァインスベルクを征服しようとするが、町の頑丈な城壁を破ることはできなかった。そこで皇帝は、女性たちと子どもたちだけは許して、無事に町の外へ出すことを約束する。じつは、残った男たちの戦意を失わせ、一気に攻め落とそうとねらっての、巧妙な心理作戦であった。
 いったん門から出てきた町の女性は、皇帝に質問し、懇願する。″着の身着のまま、無一文で町を出て、どうやって生きていけばよいのか″と。もっともな言い分に対して、皇帝は″では、持てるだけの財産を背負って出ることを許す″と言いわたした。
 女性たちは町に引き返す。そして、約束の刻限に現れた彼女たちの背には、なんと、それぞれの「夫」たちが背負われていた――。(爆笑)
 なんとほほえましい、なんと痛快な話であることか(拍手)。愛する者を救うために、そして愛する町を救うために、知恵を働かせ、勇敢に行動する。泣き寝入りするどころか、かえって権力者をギャフンといわせてしまう。庶民の「知恵」の勝利である。(拍手)
 大統領も、こうした女性の賢明さと行動力を高く評価されたものと思う。
8  一女性の、機転と勇気ある行動によって、人々が救われた事例は、歴史上、枚挙にいとまがない。私どもの広布の前進においても、一人の女性の存在が、どれほど大きな力となってきたことか。
 また、日蓮大聖人が松葉ケ谷の法難にあわれたさい、念仏僧らの襲撃を察知し、いち早く急を知らせたのは、女性の門下であったとも伝えられている。その助けで、大聖人は草庵から無事に難を逃れられている。
 戸田先生は、御書に照らし、妙法を持った学会の婦人部こそ「世界一の婦人の集いであり、これ以上、すばらしい女性の集いはない」と断言されていた。私も同じ確信である。(拍手)
 壮年部、男子部のリーダーは、この尊き婦人部の皆さま、また女子部の皆さまを尊敬し、大事にし、凛々しきナイト(騎士)として、ジェントルマン(紳士)として守りぬいていただきたい。(拍手)
9  そして大統領は「あなたにとって現代の英雄はだれか」との問いに、「小児科医、J・コルチャック」の名をあげられた。
 ――コルチャック(一八七八年〜一九四二年)は、一九四二年、ユダヤ人の子どもたちとともに死んだ医師である。教育者でもあった彼は、第二次大戦中、ポーランドのワルシャワでユダヤ人のための孤児院をつくった。
 しかし、ついにナテスの手がポーランドにもおよび、三百人もの子どもたちが強制収容所に連行されていく。コルチャックは、子どもたちだけを行かせることはできないとして、一緒に連行される。彼の信念の行為。それは、確実な″死″の選択であった。彼は、自分も子どもたちも死に向かっていることを知っていた。途中、子どもたちと別れて自分だけ生き残るチャンスは何度もあったであろうが、しかし彼は、ガス室へまでも、ともに行った。最後の最後まで、子どもたちから離れることを拒み続けたのだった。その行動は、今なお人々に鮮烈な感動を与え続けている――。
 ひとたび決めた人間としての「信念」を、あらゆる苦しみを乗り越えて、最後の最後まで貫きとおせる人。その人こそ真正の「英雄」である。我欲や打算など微塵もない、本物の「人間性」の輝き。これほど崇高な生き方はない。
 ましてや、私どもは「広宣流布」という最高の人生の目的を、みずから選び取ったのである。学会とともに進む、この「黄金の信念の道」こそ、真実の「人間の英雄」「現代の英雄」と輝く道であると確信する。(拍手)
10  悪人に正義の国は住みにくい
 さて、話はドイツから中国に変わる。中国古代の春秋時代(紀元前七七〇年〜前四〇三年)のことである。「斉」の国に、名宰相とうたわれた大政治家平仲がいた。(=実名は晏嬰あんえい。平仲はおくりな晏子あんしと呼ばれる。司馬遷の『史記』には、斉のもう一人の名宰相管仲とあわせて「管晏列伝」がある)
 平仲の努力で、国は繁栄し、民は栄え、「斉の国では、道に物が落ちていても、盗む者もいない」とまで言われた。こうなると、当然、妬む者が出てくる。妬みは陰湿な感情であるゆえに、多くの場合、策謀となって表れる。
 彼が「楚」の国へ行ったときのことである。楚の国の意地の悪い王と臣下は密謀し、「ひとつ計略を用いて、あいつを困らせてやろう」と待ちかまえていた。そこへ、何も知らない平仲がやってきた。
 平仲は楚の王に謁見をした。話をしていると、一人の囚人を縛って歩いている役人が来た。王は、わざと何も知らない顔をして、「その男は、どうしたのか」とたずねた。
 役人は「斉の国の者です」と。王がさらに、「どんな悪いことをしたのか」と問うと、役人は「泥棒をしたのです」と答えた。すると王はわざと、独り言のように、「はてさて、斉の国の者には、盗人が多いのだろうか」とつぶやいた。
 わかりやすくするために、私どもの立場にたとえていえば、「学会出身」とか「元学会員」とか、「元幹部」「元側近」などと称する人間が、悪行をして捕らえられ、目の前に現れたような状況である。
 本当に「斉の国の出身」だったかどうかもわからない。ともかく王たちのねらいは、「お前のところにも、こんな悪い奴がいるじゃないか」と、平仲に恥をかかせることであった。(『晏子春秋』の原文には、楚王いわく「吾之(=平仲)を辱めんと欲す」と)
 平仲は、少しも驚かない、平然としている。さすがである。平然が大事である。
 彼は、おもむろに答えた。「江南のたちばな、江北のからたち」――。
 王たちは、ぼかんとしている。意味がわからない。皆さまも、きっとわからないと思う。(笑い)
 平仲は教えた。
 「江南(=揚子江より南)の地に、美しく甘い実をつける橘の木があります。これを江北(=揚子江より北)の地に移すと、トゲの多い枳の木になってしまうと言います。外見はよく似ていても、その実態は、まったく違ってしまう。どうして、こんなことになるのか。それは育った土地に原因があるのです。あの″斉の男″も、同じことです。わが国、斉にいるあいだは正直一途な人間でも、この楚の国に移ると、盗みをするようになるのでしょうか。だとすると、それは、この国の土地風に感化されたからではないでしょうか」――。
 つまり、「元斉人」が、かりに悪いことをしたとしても、わが国のせいではありませんよ、と。あなた(王)は、わが国が乱れている証拠として連れてきたようですが、道理はまったく反対です、というのである。
 むしろ、わが国を出たから、悪くなったのではないですか。わが国で、すくすくと育っている限り、そういう人間にはなりませんよ。悪い人間は、わが国の正しい風土に合わないのです。この国の風土には、よく合うようですね、と。あるいは、悪い人間だったから、わが国にいられなくなり、この国に来たのではないですか――とも言いたかったかもしれない。
 いずれにしても、あなたが「元斉人」の囚人を連れてきたのは、わが国が乱れている証拠ではなく、反対に、わが国が正しく治まっている証拠にほかなりませんよ、とみごとに切り返したのである。
 これを聞いて、王は顔を赤らめ、計略の失敗を認めざるをえなかった。「私は平仲を中傷しようとして、かえって自分が恥をかいてしまった」と。
 (このエピソードは『晏子春秋』内篇に見える。また前漢の説話集『説苑』等にも収められている)
11  おそらく、この囚人が「斉の人」であったということも、「泥棒」であったということも、全部、王たちの作り話であろう。平仲は、それを見破っていたにちがいない。しかし、そのことを指摘しても、相手がウソを認めるはずがない。
 自称、私の「元側近」などという連中も、作り話の名人である。そこで、かりに本当にそうであったとしても、それはかえって、あなた方の恥になるのだと鋭く突いたのである。英知の力は、無限である。
 学会も、厳格な正義の団体である。清らかな、真面目すぎるくらい真面目な世界である。ゆえに、そうした世界に″水が合わない″人は、しだいにいられなくなってしまう。退転し、もっとわがままのきく世界へと移る。その世界でさらに悪心を増長させて、悪行をなし、学会の悪口を広める。それが一つのパターンである。曲がった心根を見破られ、注意されて、逆恨みし、出ていった人間など、その典型である。
 そうした人間の言うことのみを取り上げ、針小棒大に拡大して、悪意の攻撃の材料に使う。そのようなことをすれば、二千五百年前の「楚の王臣」たちを笑うことはできないであろう。王たちのように、長く歴史に恥を残してしまうにちがいない。
12  なお、平仲が言った「江南のたちばな、江北のからたち」の故事は、日蓮大聖人の御書にも引かれている。「南条兵衛七郎殿御書」に、「江南の橘の淮北にうつされて・からたちとなる、心なき草木すらところによる、まして心あらんもの何ぞ所にらざらん」とある。
 ――揚子江の南のタチバナ(日本でいえばミカンに当たる)が、淮河(揚子江の北方の大河)の北に移されると、カラタチ(トゲの多い、生垣などに利用される木)になる。心なき草木ですら、所によって変化する。まして心あるものが、どうして所によって変わらないことがあろう――。
 ここでは、「国」によって人の性質も変わるため、その国のことを、よくよく理解して法を弘めなければならないことを教えておられる。その国の文化、歴史、人情、風習、考え方、その他の違いを深く理解しなければ、広宣流布はできないのである。″教・機・時・国・教法流布の先後″の「宗教の五綱」のうち「国」を論じられたところに用いておられる。
13  「若さ」とは挑戦しぬく一念にあり
 次に、本日は「壮年部幹部会」でもあるので、「真の若さ」とは何かについて、一言、ふれておきたい。大聖人は、妙法の功徳について「不老不死」と仰せである。
 御書には「法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり」と。
 また「不老は是れ楽・不死は是れ常・此の経を聞いて常楽の解を得」――天台の『法華文句』にいわく「不老は常楽我浄の『楽』である。不死は『常』である。この経(法華経)を聞いて『常楽』の悟りを得るのである」――と。
 法華経の薬王品には「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに、是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」(開結六〇六㌻)とある。
 また、「年は・わかうなり」――年は若くなり――ともある。御本仏の仰せに、絶対に偽りはない。年とともに、いよいよ若々しく、強く、大いなる生命力で生きぬいていけるのが、大聖人の仏法なのである。
14  一般的にも、人間は必ずしも、年とともに一切が老いるとは限らない。
 あるフランスの哲学者(ロジェ・ガロディ)は言う。「真の若さ」とは、人間がみずから脱皮に脱皮を重ねることによって、初めて獲得できるのだ、と。
 彼の言う「若さ」とは、過去や現在のしがらみにとらわれず、つねに未来を創造しようという「精神の力」「希望の一念」のことである。
 新しい何かをつくろう、何かをやろう、新しい道を開こう、行動しようと「決心」しているかどうか――それが「若さ」を決める尺度だというのである。主体的な「決心」の強さ、イコール「若さ」となっていく。
 この意味で、彼は、環境にいちばん左右されている赤ん坊は、じつは、いちばん「真の若さ」に遠い存在だと論じる。すなわち、通常、人が考えるのとは反対に、人生は「老い」(環境に左右されている状態)から、「若さ」(環境をみずから切り開いていける状態)へと進歩していくのであり、進歩しつづけていくべきだというのである。
 年月とともに、いよいよ鍛えられ、いよいよ自立し、自由になり、いよいよはつらつとしてくる。こういう自分自身をつくりあげてこそ「真の人間」である。そこに「真の若さ」があると、彼は考える。ゆえに、人間は「真の若さ」を獲得するために、最後の一歩まで、新鮮な、深き「決心」また「決心」を繰り返すべきだと、結論するのである。
15  こうした考え方は「創造的希望」ともいわれる。まさに「希望」が「若さ」を生み、「決意」が「人間」をつくる。
 私どもの仏道修行も、一次元からいえば、「鍛えられた永遠の若さ」すなわち「不老」を、みずからの生命に固めていく修行といえよう。安易に現状に満足し、安住し、希望と挑戦の心を失ったら、その瞬間から人は老いる。
 私どもには「広宣流布」という「無上の希望」がある。この大偉業に生きぬく限り、その人は永遠に若い。そしてさらに、三世に自在に遊戯しゆく「不死」の境涯をも開いていける。御書には、繰り返し、また繰り返し、「いよいよ」「弥」と仰せである。
 ″もうこれでいい″というのは信心ではない。つねに出発であり、つねに挑戦であり、つねに戦いである。この困難と戦い続ける決定した一念に、真の「若さ」も、「安穏」も、「知恵」も「福徳」も、一切がそなわっている。
 きょう、お集まりの皆さまは、いよいよ若々しく、生きて生きぬいて、願わくは一人も残らずお元気で、創立七十周年を、栄光の二十一世紀を晴ればれと迎えていただきたい。(拍手)
16  仏法の難は世間にこと寄せて起こる
 最後に、仏法上の「難」の特徴について、御書を拝し、話しておきたい。
 日蓮大聖人は「佐渡御書」の中で、「我今度の御勘気は世間の失一分もなし」――私がこのたび受けた流罪のとがめには、世間の罪は一分もない――と明言されている。
 難というものは、世間の罪など何も犯していないにもかかわらず、起きてくる。しかも、多くの場合、「世間の事」によせて起こるものである。大聖人も、今日の目から見れば、「法難」であられたことは明らかであるが、当時の多くの人々には、国法を犯した犯罪者のようにしか見えていなかった。
 難は、なぜ「世間の事」によせて起こるのか。それは、正法それ自体を誹謗して信心を退転させることはむずかしいが、正法の実践者を「社会的な悪事を犯した」等と中傷することによって、他の人々に疑いを起こさせることは容易だからである。
17  したがって、迫害の口実は「虚事」――事実無根の作り話、″でっちあげ″を使う場合が、あまりにも多い。
 大聖人は、窪尼への御消息の中で、次のように述べられている。
 「さてはあつわら熱原の事こんど今度をもつて・をぼしめせ・さきもそら事なり」――さて、熱原のことですが、今度のことからもわかるでしょう。以前のことも、うそだったのです――と。
 つまり、熱原法難が偽の御教書(幕府の命令書)による不当な弾圧であったこと、佐渡御流罪の時にも、勝手に偽造した御教書が三度も出されたことを明かされている。
 大聖人は、そうした策謀に隠された「真実」を、すべて見抜かれ、ことごとく打ち破られている。そして「だまされてはいけません」「鋭く見破っていきなさい」と、門下に繰り返し教えられているのである。
 偽りだらけの社会である。「何が真実か」を見抜く鋭い「知恵」をもつことが、絶対に必要となる。「虚偽」に基づく中傷は、ある意味で止めようがない。こちらがどんなに正しくとも、勝手につくりあげて騒ぐのだから仕方がない。まさか、相手の口に″ふた″をするわけにもいかない。(笑い)
 だが、その「虚言」にたぶらかされてしまうのではわびしいし、それでは負けである。いささかたりとも紛動され、動かされては、相手の思うつぼである。そして結果は、自分が苦しむだけである。また、家族等をも、みじめな状態におとしいれてしまう。
 なお、熱原法難の場合も、農民信徒が、「天台宗・滝泉寺の田の稲を刈って奪い取った」という無実の罪を口実に捕らえられ、弾圧されたことは、皆さまもご承知のとおりである。
18  また、迫害の口実は、謗法の者の「讒言」(人をおとしいれるため、事実を偽って、その人を悪く言うこと。「讒」は「好んで人の悪口を言う」こと。「そしる」「そこなう」「よこしま」の義)による場合が多い。
 大聖人は「故最明寺殿の日蓮をゆるししと此の殿の許ししは禍なかりけるを人のざんげん讒言と知りて許ししなり」と仰せである。
 ――故最明寺入道(北条時頼)殿が日蓮(大聖人)を伊豆流罪から許したことと、今の執権北条時宗殿が佐渡流罪から許したことは、何の罪もないのに、人の讒言で罰してしまったと知って許したのである――と。
 伊豆流罪は北条重時らの、また佐渡流罪は極楽寺良観らの讒言によるものであった。北条時頼、時宗は、そのことを後になって知り、大聖人を赦免したのである。またご存じのように、門下である四条金吾も、江間家の同僚の讒言によって、主君から所領没収などの迫害を受けている。
 御書には、「讒言」という言葉が二十九カ所にわたって用いられている。大聖人ならびにその門下に、いかに讒言による迫害が多く加えられたかが拝される。ちなみに「たばらかす」(たぶらかす)の言は、御書になんと五十回ほども用いられている。「たばらかされてはならない」と、つねに教えられたのである。
19  そして、こうした「難」の現れ方は、現代においてもまったく変わらない、一つの方程式である。
 広布の伸展とともに、学会に対して、さまざまな非難や中傷があびせられてきた。そのほとんどが、あたかも社会的な不正を働いているかのように誹謗したものである。そのねらいは、学会の悪いイメージをつくりあげることであった。だが、いかにイメージを悪くしようとも、実体がない。虚言であり、事実無根であった。
 その陰には、学会の偉大な発展の姿、喜びの集いの姿を妬む退転者、背信者らの画策がある。いわば「讒言」である。
 「讒言による権力の迫害」――。この″構図″さえ見破っておけば、事実を尊重しない、低次元な言論に紛動されることもない。
 むしろ、こうした讒言者のほうが、反社会的な意図を隠し持っている場合が多い。ついには悪事を犯して犯罪者となってしまった者もいる。そうした人間の言うことだけを一方的に取り上げるとしたら――そこには、それこそ、反社会的な黒い意図があることは明白ではないだろうか。(拍手)
20  大聖人は、そうした世間の批判に対して、次のように明確に指針を示されている。
 「世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず」――世間の種々の難が起こっても、とりあってはいけません。賢人、聖人でも、この難は逃れられないのです――と。
 人は「あんなに悪く言われているのだから、きっと何かおかしいのだろう」と思いがちである。しかし大聖人は、それは違う、と。たとえ、何ひとつ失態のない賢人や聖人であっても、世間からの批判や迫害を逃れることはできないと仰せである。
 虚心に歴史を見れば、そのことは明らかにわかるはずである。
 御本仏日蓮大聖人でさえも、「佐渡の国の流人の僧日蓮弟子等を引率し悪行をたくらむの由其の聞え有り」――佐渡の国の流人の僧、日蓮が、弟子等を引率して悪事をたくらんでいるとの噂を聞いている――と誹謗され、当時の世間では「悪僧」「悪人」とみなされておられたのである。
 まして、凡愚の私どもが、世間から批判、中傷されることなど、当然といえるであろう。
 むしろ、大聖人は「難来るを以て安楽と意得可きなり」――難が来たことをもって、「安楽」と心得ていくべきである――と。
 真実の「安楽」は、何もない平穏のなかにあるのではない。「難」こそ即「安楽」であり、険難と勇んで戦う″強き自分自身″の生命の確立にこそ「現世安穏」はある。(拍手)
21  難こそ「仏勅の団体」の証明
 ありとあらゆる策動、圧迫、奸計(悪だくみ)、暴力――。学会は、信心と団結ですべて乗り越え、正義と真実を証明してきた。だからこそ、今日までの広布の前進が果たせたのである。
 そして、現在も、未来も、「世間の留難」はとどまることはないであろう。しかし、それも、すべて大聖人の御聖訓のとおりである。学会が「仏勅の団体」である証明であり、避けられぬ宿命であり、そして誉れなのである。(拍手)
 大聖人は「開目抄」で、「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」――愚人にほめられることは第一の恥である――と仰せである。この御精神を、門下は永遠に忘れてはならないと信ずる。(拍手)
 この御文について、日亨上人は、「悪徳愚凝の者に称讃せらるゝよりも、罵詈誹謗せられる方が却って光栄となるわけである」(『追考 聖訓一百題』)と述べられている。
 私どもは、つねにこのことを確信し、低級な批判など歯牙にもかけず、悪口こそ、大聖人門下の光栄ある勲章であると、誇らかに前進していきたい。(拍手)
 この強き信念を忘れ、信心の正道をごまかし、難を恐れ、いわんや広宣流布の実践ゆえに「世間の留難」にあっている信徒に対して、仏法を知らない″愚人″の言に便乗して、「清浄な宗風と信用を傷つけた」等と、ともに中傷するような門下がいたとしたら、それこそ大聖人の御精神に違背した「宗風を汚す」行為ではなかろうか。(拍手)
 日亨上人は、続いて、「鳴呼、愚人はいやだ、グーダラベーはいやだ」(爆笑)と。「(=こうした連中が)国に多くなれば国を危うくし、宗門にはびこれば、宗門を亡ぼすかも知れぬ」(同前)とも予見されている。貴重なご遺言といえよう。(拍手)
22  どうか、壮年部の皆さまは、毎日、毎日を強く、生きて生きて生きぬいていただきたい。そして、太陽のようにあたたかな、宇宙の広がりのようなおおらかな慈愛をもって、奥さまを大切にしていただきたい。(婦人部から拍手)
 ご主人が朗らかで、毎日愉快な気持ちであれば、家族も楽しく安心する。とくに帰宅のさいには、むっつりと陰気に入ってきたり(爆笑)、倒産寸前のような不景気な顔であっては、まわりもたまらない(爆笑)。笑顔と思いやりの一言があれば、奥さまのほうでも態度は変わる。(爆笑)
 また、婦人部の皆さまも、ご主人が帰宅したら、やはり笑顔で迎えてあげていただきたい。社会で戦うことは、想像以上にたいへんである。じつのところ、笑顔どころではないというのが、男性の本音かもしれない(爆笑)。そこで奥さまは、少なくとも、ご主人が帰宅したとたんに厳しい目を向けてはいけない。(爆笑)
 おたがいに、あたたかな笑顔で朗らかに、毎日を生きていただきたい。その強さ、生命力は、「現世安穏」の一つの表れといえまいか。朗らかなところには希望がわく。調和が生まれる。信仰の喜びも満ちてくる。福運も増加していく。それが私の長い経験のうえからの一結論であり、アドバイスである。
 大切な使命をもった皆さまの、広宣流布における、ますますの名指導、名指揮をお願いし、きょうのスピーチを終わります。遠いところ、お疲れのところ、本当にご苦労さまです!(創価国際友好会館)

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