Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一回第二東京総会 平和の世界へ大仏法の「人間主義」の翼を

1991.4.2 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

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1  ″精神の殿堂″にユゴーの立像
 広布史に不滅の「4・2」記念、朗らかな第一回総会、本当に、おめでとう!(拍手)
 皆さまのために、きょうはソ連・キルギス自治共和国(=当時)から、はるばる二人のお客さま(ジェエナリエフ農業省副大臣、オロゾエフ農業研究所副所長)が祝福に来てくださっている。(拍手)
 さらに、フランスからはタジャン会長(フランス・リベルテ。ダニエル・ミッテラン財団支援協会)ご夫妻が出席してくださった。あわせて、心から御礼申し上げたい。(拍手)
 また皆さまも、いつかフランスヘ、そしてキルギスヘも、友好の旅へ悠々と出かけていただきたい。(拍手)
 「楽しくて、しかたがない」「勇気がわく、元気が出る」「心が明るく、あたたかくなってくる」――これが本来の″信仰の世界″である。最高の″人間性の世界″である。この、世界でもっともうるわしく、尊き、かけがえのない世界を、皆で守りぬき、皆で大きく広げていっていただきたい。(拍手)
2  さて、この創価大学の新しい記念講堂の正面ロビーに、高さ二・七メートルの威風堂々たるユゴーのブロンズ像がある。皆さまも、先ほど入場のさい、ご覧になったと思う。この講堂を訪れる人は、まず初めに、ユゴーと出あうことになる。
 鋭い、それでいて、慈愛深いユゴーのまなざし。その顔には、徹底した″大闘争″のなかで鍛え上げた、円熟期の人間の風格をたたえている。
 ユゴーの生涯――それは、民衆をいじめ、人間性を抑圧する権威、権力との連続闘争であった。大闘争が本物の「人間」をつくる。楽をして「人格」の陶冶はできるはずがない。
 ユゴー像は、右手に、自身が精魂かたむけた著作を、しっかりと持っている。あたかも、「この書物は、私が書いたものだ。私の生命の結晶だ!」と訴えているかのようだ。
 私ども創価学会の組織も、歴代会長が命がけで、また皆さまが精魂こめて、営々と築き上げてきた労苦の結晶である。私どもの人生の建設譜の象徴であり、金字塔である。ユゴーが著作を誇らかに握りしめていたように、私どもは、この尊き″人間共和国″を一生涯、堂々と築き、栄えさせてまいりたい。正法のため、人類のために。(拍手)
 またユゴー像の姿勢は、いつでも行動に飛び出せる闘魂をみなぎらせている。
 「人生、一瞬一瞬が、闘争である。戦場である」「よし、どこにでも行くぞ、戦うぞ」との意気に燃えて――。そして「思想は行動してこそ、いのちをもつ」と全身で教えているかのようである。
 像の台座には、次のような『レ・ミゼラブル』の一節が刻まれている。
3   海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。
  天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である
   (豊島与志雄訳、岩波文庫)
4  これは、私も、青年時代から大好きな言葉であった。仏法にも通じる英知が、詩的に表現されている。
 このブロンズ像は、現代アメリカの第一級の彫刻家モントーヤ氏の作品であり、昨年、アメリカの新聞でも大きく取り上げられた。その大作を、私の友人のアメリカ実業界のある著名な方が、寄贈してくださった。氏は七十歳を超えておられるが、私どもとの出会いを″人生の転機″とまで喜んでおられたとうかがった。
 なかんずく、教育への真剣な取り組みに心から共鳴してくださり、「私の一生でもっとも大事なものは『教育』である。『教育』に生涯をささげておられる名誉会長のために、最高のものを贈りたい」と、深い友情をこめて、このユゴー像を寄贈してくださったのである。(拍手)
5  「人間」をつくれ、「人間」こそ目的
 ュゴーは、暗黒なる″精神の奴隷制″に対し、敢然と戦った。
 断じて傲慢を許さない。人間は「平等」ではないか。資本家が何だ。高官が何だ。司祭が何だ。金力や権力、宗教的権威は「尊厳なる人間」よりも上位にあるというのか。ユゴーの舌鋒は鋭く熱かった。
 次元は異なるが、私どもの「学会精神」にも通ずる叫びといえよう。仏法は「平等」がいわば一つの″生命線″である。なかんずく日蓮大聖人の仏法は「一切衆生平等」を明かされた大法である。その根本精神は、いかなる迫害があろうとも守らねばならない。これが、大聖人のお心にかなう道であると信ずる。(拍手)
 ユゴーは、高らかに叫ぶ。
6   光明は人を健やかにする。
  光明は人を輝かす。
  あらゆる社会的の麗しい光輝は、科学、文学、美術、および教育から生ずる。
   (『レ・ミゼラブル』豊島与志雄訳、岩波文庫)
7  科学、文学、芸術、教育――ユゴーは、当時のキリスト教会の堕落ぶりを憤っていたからであろう、あえて宗教とは言わなかった。″ここに、大きな意味がある″と、戸田先生は、鋭く指摘しておられた。
 ユゴーは万感の思いをこめて訴える。
 「人を作れ、人を作れよ」(同前)と――。
 傑作『レ・ミゼラブル』の結論ともいえる言葉である。『レ・ミゼラブル』の、そしてユゴーの最大の眼目は、「教育」にあったと言えるかもしれない。
 人を育てる。そこに一切が含まれる。原点であり、終着点である。学会も「創価教育学会」から出発した。「教育」に焦点を定めるところに、「人間性の世紀」を開く、間違いなき軌道がある。
 ともあれ、この「教育の殿堂」「文化の殿堂」に、一つの精神の要を置く――それが、講堂にユゴー像を設置させていただいた趣旨である。(拍手)
 像の名称については、創大の寮生をはじめ学生諸君に決めてもらえればと思っている。(=その後、名称は「エスプリ王者の像」と決まった。エスプリとは「精神」を意味するフランス語)
 さて、タジャン氏は、フランス・リベルテ・ダニエル・ミッテラン財団(総裁はミッテラン大統領夫人)支援協会の会長であり、第三世界の「人権」「環境」「教育」などの問題に対して、ヒューマニズムの行動を続けておられる。
 タジャン会長は、先ほどスピーチされたように、″SGI(創価学会インタナショナル)には、「民主」「共和」「生命の尊厳」等のフランス革命の理想が脈打っている。そしてSGIの運動は、かの文豪ヴィクトル・ユゴーの偉業を受け継ぎ含むものである″とたたえ、期待を寄せてくださっている。(拍手)
8  恩師の炎の闘争――悩める友のなかヘ
 ユゴーといえば、戸田先生も、たいへんに好んで愛読されていた。私ども青年にも幾度となく「ユゴーを読め」と勧められた。
 本日は、タジャン会長から、「崇高な理念を、そのまま行動に移して戦っている点で、SGI会長とユゴーは共通している」と、過分なお言葉を頂戴した。
 思えば戸田先生のご一生こそ、ユゴーの文学を体現したがごとく、「正義」と「人間愛」に燃えた″炎の生涯″であった。傲慢とは徹底して戦う。邪悪とは絶対に妥協しない。そして悩める人、苦しむ人、悲しみの人には、限りなく優しい恩師であった。
 先生の人生は、一面、ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・バルジャンのように波瀾万丈の劇であった。
 戦後、学会再建のために興した先生の事業が、いったん挫折する。多額の負債をかかえ、給料も支払うことができない。従業員は皆、先生のもとを去っていった。悪口を言う者もいた。
 残ったのは、私ただ一人。もちろん二人ともお金がない。
 外に一歩足を踏みだせば、復興し始めた街には食料も衣服も多くなり、活気が出てきていた。新しいビルも次々と建ち始めた。しかし、先生の事業のほうは、なかなか再建のめどがつかない。それでも、戸田先生と私、師弟二人は楽しかった。
 あるとき、先生が言われた。
 「大作、二人で焼き鳥屋でもやろうか!」(笑い)
 ある駅の近くに、繁盛している焼き鳥屋さんがあったのを見ての言葉である。
 戸田先生の人間味あふれる一言を、私は今でも懐かしく思い出す。
 外見はわびしく、貧しかった。しかし、胸には「広宣流布」への大熱情が燃えていた。師弟がいだいた、その魂の火は、やがて多くの人々に燃え移り、全国へ燎原の火のごとく広がっていった。
 そして迎えた恩師の最期の日、昭和三十三年四月二日――。
 葬儀の列(四月二日)は、ユゴーと同じく数限りない無名の庶民に見送られた。まさに「民衆の大英雄」「信心の大勝利者」の葬列であった。
 逝去より三十三年――。先生の祥月命日を記念して、このたびユゴーを論じた『人間と文学を語る』(潮出版社)を発刊することができた。
 そうした意味から、本日は、戸田先生と二重写しにしながら、ユゴーをとおして少々お話をさせていただきたい。
9  人間愛の勝利を――『九十三年』に込めたユゴーの一念
 戸田先生は厳しかった。朝から夜中まで訓練また訓練であった。ともかく鍛えよう、ともかく育てようというお心である。勉強しておかないと、たいへんであった。何を聞かれてもいいように、こちらも真剣であった。
 世界の一流の小説も、青年部は徹底して読んだものである。その一つに、ユゴーの『九十三年』がある。私も幾度となく繰り返し読んだ。
 本年六月、フランス文化への貢献を願って、「ヴィクトル・ユゴー文学記念館」がオープンする。そこには、この『九十三年』の貴重な直筆原稿も展示される予定になっている。
 『九十三年』とは、ご存じのように、およそ二百年前の西暦「一七九三年」をさしている。フランス大革命の渦中である。
10  本日は時間の都合もあり、詳細は略させていただくが、当時は、革命政府による恐怖政治が荒れ狂っていた。すなわち、民衆を苦しめてきた王の権力を革命によって倒したら、今度は、その革命勢力の側から、恐ろしい独裁権力が台頭してきたのである。冷厳な歴史的事実である。
 あの残忍なギロチン(断頭台)が初めて使われたのも一七九二年。まさにこの時代であった。
 処刑につぐ処刑――。処分につぐ処分――。革命の″大義名分″のもとに、おびただしい血が流された。新たな権力のために、無数の正義の人が犠牲にされた。
 本来、民衆のため、人間のためにあった「革命」が、いつしか民衆に君臨し、人間性を窒息させるものへと変わってしまう――。この″権力への転化″の危険性は、人間の世界であるかぎり、いかなる場合にも当てはまる。宗教もまた例外ではない。
 「民衆の幸福」のための宗教であるはずなのに、いつしか宗教が民衆を見くだし、手段とし、食い物にし、奴隷としていく。こうした流転は、歴史上枚挙にいとまがない。
 ともあれ、悪は、見抜かねばならない。だまされてはならない。打ち勝たねばならない。正義のため、民衆のため、自分自身のために。
 そして、こうした権力の魔性のはてしなき悲劇を、断じて後世に伝えようと、ユゴーがペンを執ったのが『九十三年』である。
11  一切は「民衆の幸福」のためにある
 ユゴーは、「あくまでもヒューマニズム(人道主義)を貫きとおそう」とする主人公の一人、青年ゴーヴァンに、こう語らせている。
 「自由と平等と友愛とは、平和と調和の教義です。こういう教義に対して、どうしておそろしい容貌をあたえるのですか?」(榊原晃三訳、潮文庫)と。
 自由、平等、友愛――。これらは、フランス革命の根本の精神である。平和と調和のための根本の理念である。″教義″はこのように人間性に満ちみちているのに、それを用いる人々が、なぜかくも冷酷で非人間的な行為に走るのか? 絶対に許すことはできない!ゴーヴアンの叫びは、そのままユゴー自身の叫びであった。
 ゴーヴアンは「いったい、われわれはなにを望んでいるのでしょう? 世界的な共和国のもとで、民衆たちの心をつかむことです。ですから、民衆をおびえさせてはいけないのです。民衆をおびやかしたって、なにになると言うのですか?」「すばらしい理想が無慈悲な人びとによって悪用されています」(同前)と――。
 「民衆の幸福」のための革命ではないか。「民衆の心」をつかみ、導くことが目的ではないか。その民衆を脅かし、民衆の連帯を分断して、いったい何になるのか。本末転倒ではないか。非道ではないか。
 ユゴーは黙らなかった。怒号し、撃ち、指弾し、また道理で説いた。理不尽な権力とは断固として戦いぬく。ここに文豪の不撓不屈の信念があった。(拍手)
12  次元は異なるが、日蓮大聖人の仏法も、「一閻浮提」(全世界)、「一切衆生」(全民衆)の幸福のための教えである。ゆえに私どもは民衆とともに進む。世界に開かれた大道を進む。ただ御本仏の仰せのままに。(拍手)
 戸田先生が、なぜ、この『九十三年』を私たち青年部に読ませたのか。その先生の思いが、私には深く理解できる。
 ″何ものにも人間を睥睨させてはならない! だれ人にも民衆を恫喝させてはならない! 人間は皆、平等ではないか。だれ人も庶民を侮辱する権利はない。また、される義務も断じてない。そうさせてしまえば、広宣流布という「民主」と「共和」の理想は絶対に実現できない″
 この一点を、妙法の若き革命児たちの魂に、強く打ち込まれたのである。
 三十年以上前に、このことを示された先生は、広布の将来をはっきりと見とおしておられた。まことに偉大な指導者であられた。そして、その恩師のお心を若き生命に刻んで、私は立った。戦って、戦いぬいてきた。(拍手)
 現在、私が全魂をそそいで行っているスピーチも、未来万代にわたって確かな指針を示しておきたいからである。かりに今は、すべては理解できなくとも、時とともに、その意義を深く実感し理解していただけると確信している。(拍手)
13  ところでユゴーは、この『九十三年』をはじめ、″嵐の時代″の″嵐の人生″を繰り返し描いている。
 ″嵐が大掃除を可能にする″――。これが、ユゴーの歴史観の重要な視点である。
 つまり、嵐によって、少々、木が倒れることがあるかもしれない。根の弱い木などが倒れるのは、ある意味でやむをえないかもしれない。しかし、その一方で、嵐は多くの森を、さわやかに洗い浄めてくれる。乗り越える力があるかぎり、嵐による利益は大きい。人間と社会も、また同じである。むしろ、嵐は必要でさえある――。これがユゴーの考えであった。
 厳しいといえば厳しい。しかし、自然と生命の法則に合致した、正しい観点と思う。
 学会の歴史も、嵐また嵐の連続であった。だからこそ、その嵐のたびに、いやまして清らかな「和楽の森」「人材の森」「人間性の森」を築くことができた。強く、うるわしい「創価家族」の輪を、大きく広げることができたのである。(拍手)
14  大聖人は「御義口伝」に、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり」――法華経宝塔品に「譬如大風」とあるが、今、日蓮(大聖人)およびその門下が南無妙法蓮華経と唱えることは、大風の吹くようなものである――と仰せである。
 自行化他にわたって妙法を唱えゆくことは、大風が小さな樹木の枝をなびかすように、一切の誤れる教えを吹きはらっていくと述べられている。
 この「大風」の前には、卑しい心からの非難や策謀など、塵のようなものである。私どもの広宣流布の実践は、あらゆる嵐や暗雲も吹きはらい、民衆の″勝利の青空″を晴ればれと開きゆく前進なのである。(拍手)
 どうか第二東京の皆さまは、何ものにも動じない、真の「信仰者」即「信念の人」であっていただきたい。そして嵐を悠々と見おろして、そびえる「広宣」と「人材」の城を築き上げていただきたい。(拍手)
15  「人道」と「良心」を人類の羅針盤に
 またユゴーは、『九十三年』の青年主人公に、こう言いきらせている。
 「もしわたしが羅針盤をもっていたら、この嵐だってなにほどのこともありませんし、もしわたしに良心というものがあれば、いくら大事件がおこっても、びくともするものではありません!」(榊原晃三訳、前掲書)と。
 何かあると、すぐに恐れおののく。猫の目が変わるように、心が動く――そうした生き方は人間として不幸である。風の吹くままに翻弄される小枝のごとく、安心もなければ、充実も歓喜もない。右往左往したあげく、だれからも軽蔑され、見捨てられてしまう。
 大切なのは、確固たる「心の羅針盤」である。「良心」が、「真実」が、「哲学」が、胸に根づいて生きているかどうか。形ではない。心である。内実である。
 わが心の大地に、確固たる根を張った人は強い。その人こそ、「人生の勝利」の黄金の実りを味わえる人である。吹く風は強く、冷たくとも、わが家があたたかければ、何の心配もない。堅固なビルディングは大嵐にも動じない。
 自分がどうかである。人ではない。真の信仰者には一切が成仏への善知識となる。そして、嵐のあとは爽快な青空を仰いで生きることができる。この痛快な繰り返しに、三世にわたる生命の浄化の道がある。
16  信仰という最高の羅針盤を手にするとき、いかなる嵐も幸福への追い風と転じていける。大聖人は、次のように仰せである。
 「日蓮が小身を日本国に打ち覆うてののしらば無量無辺の邪法の四衆等・無量無辺の口を以て一時にそしるべし、爾の時に国主は謗法の僧等が方人として日蓮を怨み或は頸を刎ね或は流罪に行ふべし、度度かかる事、出来せば無量劫の重罪・一生の内に消なんと謀てたる大術・少も違ふ事なく・かかる身となれば所願も満足なるべし
 ――日蓮が小身をもって日本国中を打ち覆うように、声高く謗法を責めたならば、無量無辺の邪法の四衆(僧俗の男女)等が無量無辺の口で一時にそしるであろう。そのときに、国主は謗法の僧等の味方として日蓮をうらみ、あるいはくびをはねようとしたり、あるいは流罪にするであろう。そして、たびたびこのような難が起きるならば、無量劫の間に積み重ねた重罪も、一生の内に消えるであろうとくわだてた大術が、少しも違うことなく、このような流罪の身となったので、その所願も満足するであろう――。
 大聖人は「度度かかる事・出来せば無量劫の重罪・一生の内に消なん」と明言されている。難あればこそ、過去遠々劫にわたって積み重ねてきた罪業も、すべて消える――私どもにとっても、なんとありがたきお言葉であろうか。
17  学会は、大聖人の真実の門下らしく、″たびたびの難″を受けてきた。そのたびに、ますます強く、ますます大福徳を積んできた。「真金」へと打ち鍛えられてきた。そこに、今日の「正法広宣流布」の大展開もあったと信じる。これからもまた同じである。一切は、さらなる発展と成長への原動力となる。(拍手)
 ともあれ、大聖人の門下として、「広宣流布」のために難を受け、苦しんだ分だけ、自身は輝く。御書に照らし、そうならないはずがない。
 そして、ひとたび築ききり、固めきった福運は三世を飾る。「所願満足」のすばらしき境涯を楽しみながら、一切衆生のための「慈愛」の人生を、どこまでも歩んでいける。誉れある地涌の勇者として、永遠に、そして自在に遊戯していける。――まさに、これ以上の生命の軌道はない。この大聖人の仰せを、どうか深く確信していただきたい。(拍手)
18  胸中に開け″天空より壮大なる世界″
 戸田先生はよく言われていた。「革命は死なり」と。
 死をも恐れぬ者が何を恐れようか。何ものも恐れぬ勇者を、いかなる暴力、奸計が屈服させられようか。――生命を賭してまでも、わが信念を貫く。理想の旗を守る。それが「人格」である。また「革命児」である。
 『九十三年』のドラマのなかで、青年ゴーヴアンは、みずから「人間愛の道」を選び、恐怖政治の犠牲となってギロチンにかけられる。
 処刑の前夜、彼はこう語る。
 「わたしが望むのは、精神に対しては自由を、心に対しては平等を、魂に対しては友愛を、ということです。たくさんです! もう束縛はたくさんです! 人間が作られているのは、くさりを引きずるためではなくて、つばさをひろげるためなのです」(榊原晃三訳、一前掲書)と。
 死の直前である。ふつうであれば、恐怖に震え、口もきけない夜を送ったかもしれない。それまでの生き方を悔やみ、だれかれかまわず救いの手を求めたかもしれない。
 だが、彼は真の「人間」だった。高潔なる「青年」であった。最後の最後まで、信念の大いなる切翼を広げた。最後の一瞬まで、羽ばたこうとしていた。
 私は祈る。わが青年部諸君もかくあれ、と祈る。彼のこの叫びのように、君らもまた、みずからに恥じない″魂の言葉″を歴史に刻みゆく青春を、と――。
 「もう束縛はたくさんです!」――これが、十八世紀の「九十三年」(一七九三年)から、文豪ユゴーが聞き取った、民衆の悲願であった。その声は、今なお地上に満ちている。
 だからこそ私どもは、「人間」の中へ、「社会」の中へ、そして「世界」へ、「平和」へと、大仏法の「人間主義」の翼を、さらに大きく広げゆく。そして、今世紀の「九十三年」(一九九三年)を、民衆の凱歌で、ともどもに飾ってまいりたい。――このことを心から念願し、恩師の命日を記念するスピーチとさせていただく。
 きょうは本当におめでとう。ありがとう!
 (創価大学記念講堂)

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