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日蓮大聖人・池田大作

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「4・2」記念大田、品川、目黒、川崎合… 精神の不動の支柱に「自由の旗」高く

1991.3.27 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

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1  『人間革命』第十一巻の連載を再開
 東京の大田、品川、日黒、そして神奈川の川崎の代表による合同幹部会。これまでにない、ユニークな組み合わせである(笑い)。すばらしいアイデアだと思う。四地域の″新思考″の集いに、心から「おめでとう」と申し上げたい。(拍手)
 何事も、″新鮮さ″が大事である。そのための知恵が必要となる。壇上の顔ぶれにしても、いつでも同じだと、飽きるという人がいる。(笑い)
 戦いには、つねにフレッシュな息吹を取り入れることである。水もよどめば清流にならない。皆が飽き、疲れては勢いよく前に進めない。臨機応変に、皆が新鮮な気分で出発できるよう、リーダーは賢明な指揮をお願いしたい。
 きょうは、八丈島をはじめ、伊豆七島圏の代表も参加されている。地元では音声による衛星中継で、会合の模様をお聴きになっているとうかがった。「八丈島、頑張れ! 学会っ子らしく、ともに悠々と進もう!」とエールを送りたい(拍手)。そして暖かく自然豊かな八丈島に、将来、各地の友が研修に訪れてはどうかと提案させていただく。私もできれば訪問したい。(拍手)
 また東京、神奈川、茨城、沖縄の各会場で、ご参加の皆さまに「ご多忙のなか、ようこそ、たいへんにご苦労さまです」と、ねぎらい申し上げたい。(拍手)
2  初めにお話ししたいのは、小説『人間革命』のことである。多忙でもあり、長い間、執筆を休んでいたが、いよいよ本年五月三日から、「聖教新聞」に連載を開始することを決意した(拍手)。
 挿絵は、これまでどおり三芳悌吉画伯にお願いし、現在のところ週三回、掲載の予定である。
 第一巻の冒頭を執筆したのは沖縄であった(昭型三十九年〈一九六四年〉十二月)。沖縄の皆さまにも、謹んで執筆再開をご報告したい(拍手)。(=小説『人間革命』は昭和四十年〈一九六五年〉元日号から「聖教新聞」に連載。第十一巻前半の三章は昭和五十五年〈一九八〇年〉八月から十一月まで、後半の二章は平成三年〈一九九一年〉五月から十年ぶりに再開された。平成五年二月に全十二巻が完結し、一九九七年四月現在、すでに英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語にも完訳されている)
3  「賢者の論」を教えた『ミリンダ王の問い』
 さて、『ミリンダ王の問い』という有名な仏教の古典がある。今から二千百年ほど昔(紀元前二世紀後半)、西北インドを治めていたギリシャ人の王ミリンダと、仏教僧ナーガセーナの、いわば″対談集″である。(漢訳『那先比丘経なせんびくきょう』。仏典として『大蔵経』にも収録されている)
 アレキサンダー大王の遠征以後、インドにもギリシャ人が住むようになり、仏教に帰依した人々も多かった。東西文明が出あい、たがいに触発しあった時代でもあった。この″対談集″には「西洋的論理」と「東洋的英知」の興味深い対話が収められている。
 中国の常書鴻・敦煌研究院名誉院長と対談したさいにも、仏像の誕生に、ギリシャの芸術・文明が大きな影響を与えた事実が話題になった。
 ともかく、二千百年前の対話が、今も世界の人々を啓発している。偉大な力である。現代の″売らんがため″の浅薄な本や雑誌とは次元が違う。本物は、時空を超えて魂を揺さぶる。つねに時代の先端に、新しい示唆を与え続ける。
 私が世界の知性を代表する方々との″対談集″を、一つまた一つと語り残しているのも、そうした方軌にのっとって「真実」を残したいからである。
 にせ物はむなしい。はかない幻のごとき偽りの言に染まり、巻き込まれては、自分まで幻の迷走の人生となってしまう。
4  ところで、「対話」の初めに、仏教僧ナーガセーナは言う。
 「大王よ、もしもあなたが賢者の論を以って対論なさるのであるならば、わたしはあなたと対論するでしょう。しかし、〈大王よ〉、もしもあなたが王者の論を以って対論なさるのであるならば、わたしはあなたと対論しないでしょう」(『ミチンダ王の問い』中村元・早島鏡正訳、平凡社。以下同じ)
 「王者の論」とは「権力者の対話」、権力者の立場からの論ということである。
 そこで王はナーガセーナに問う。「賢者の論」とは何か? 僧は答える。
 「賢者の対論においては解明がなされ、解説がなされ、批判がなされ、修正がなされ、区別がなされ、細かな区別がなされるけれども、賢者はそれによって怒ることがありません」
 ともに解き明かし、解説し、ともに批判、修正し、こまかく論じるが、決して感情的にはならない、と。
 さらに王は尋ねる。それでは「王者の論」「権力者の対話」は?
 ナーガセーナは答える。
 「実にもろもろの王者は対論において、一つの事のみを主張する。もしその事に従わないものがあるならば、『この者に罰を加えよ』といって、その者に対する処罰を命令する」
 ミリング王は、ナーガセーナの言葉をよく理解した。
 「尊者よ、わたくしは賢者の論を以って対論しましょう。王者の論を以っては対論しますまい。尊者は安心し、うちとけて対論なさい」
 こうして、二人の長い有益な対話が始まるのである。
5  その後の対話については略させていただくが、ここには、実りある対話を成り立たせる基本が示されている。
 それは、平等な対話を根幹としてきた釈尊以来の仏法者の姿勢でもある。
 すなわち、仏法者は、どこまでも道理に従い、自分の非が明らかになっても絶対に怒らない。むしろ喜んで真理に服する。
 一方、権力者は、自分の主張を公平に吟味されることを嫌い、対等の対話そのものを拒否する。そして相手が自分の主張に従わなければ、一方的に「処罰」する。
 「だれが本当の仏法者なのか」「だれが権力者なのか」。それを明快に見分ける基準がここにある。
 そして、権力者であるミリンダ王に対してまで、僧ナーガセーナは「対論の時には権力者の立場を捨てていただきたい」と言った。いわんや仏法者が「王者の論」「権力者の論」を用いては、もはや仏法者ではない。
 真の仏法者とは、真理のため、法のために喜んで「解明」に努める。「批判」「修正」に対して公正であり寛大である。心を開いて対話する。反対に、みずからの非を認め、改めるのをいやがるのは「権力者」の特徴である。
6  「平等な対話」こそ仏法者の生命
 日蓮大聖人の御生涯も、一つの次元からいえば、「賢者の論」による「王者の論」との戦いであられた。
 大聖人は、「公場対決」――つまり開かれた公正な対論を求められたが、権力者と良観ら悪侶は、「処罰」と「策謀」だけで応えた。
 大聖人は、ただ「経文」を根本とされた。それが「正義」である。大聖人は「正義」をもって、「権力」と戦われたのである。
 たとえば、「妙一女御返事」には次のように仰せである。
 「事を権門に寄せて日蓮ををどさんより但正しき文を出だせ」――ことを権力をもつ高位の勢力に寄せて日蓮を脅すよりも、ただ正しい証文を出しなさい――と。
 また、「衆生身心御書」では、こう述べられている。
 「数百巻のふみをつくり漢土・日本に往復して無尽のたばかり謀計をなし宣旨を申しそへて人を・をどされんよりは経文分明ならば・たれか疑をなすべき
 ――数百巻の文書を作り、中国・日本を往復して無数の謀をめぐらし、宣旨(天皇の言葉)を添えて人を脅そうとされるよりも、経文が明らかであれば、だれが疑うであろうか――と。
 邪義を権力で押しつけようとする高僧への破折であられる。数百巻の偽りの文とは、現代で言えば、謀略や売文のための文書にも通じるかもしれない。
 ありとあらゆる策略を使い、はては朝廷の権力まで利用して邪義を押しとおそうとする悪侶らに対し、大聖人は、″そのような謀略は無意味である。ただ正しい経文を出せばよい。そうすれば一切は明白になるではないか″と、いわば「王者の論」ではなく、「賢者の論」を用いるよう主張しておられる。
7  このように大聖人は、つねに「正論」中の「正論」を繰り返された。これに対し権力者と高僧の返答は、ただ「実力行使」と「策謀」であった。いつの時代も変わらぬ正法迫害の構図である。
 本質を知らず、ただ表面的に見れば、ある意味で、あまりにもまっとうすぎるように、また時には、むなしくさえ見えたかもしれない。しかし、その大聖人御みずからの「正義の戦い」ありて、末法万年の道は開かれたのである。(拍手)
 滔々として時は流れる。人生は、歴史は、長い目で見なければならない。
 長い目で見れば、「賢者の論」が必ず勝つ。「王者の論」「権力の論」は、一時はよいようでも、必ず滅びる。このことを、大聖人御みずからが七百年前に厳然と証明してくださっている。(拍手)
 そして、この大聖人の御精神のままに、わが仏勅の学会は堂々と「賢者の論」で進む。(拍手)
8  喜劇王は「自由は滅びず」と
 ところで、最近の私のスピーチで、とくに印象に残ったのは「チャップリンの話だ」(笑い)という声をよく聞く。ほかにも大事な話をたくさんしているつもりなのだが(爆笑)、正直な庶民の声だからしかたがない。(爆笑)
 とりわけ名画『チャップリンの独裁者』の結びの演説については何度かお話ししたが、″まだ話されていない個所があります″と、ごていねいに教えてくださる方もいる(爆笑)。その方々のご好意に応えて(笑い)、ここでさらに紹介させていただく。(拍手)
 チャップリンは演説のなかで叫ぶ。ユダヤ人であるとかないとか差別するのはやめようではないか、と。
 「(=わたしは)できることなら宗教や、人種を気にせずに、すべての人と助け合いたいのです。わたしたちは、みんなお互いを助け合いたいのです。人間とはそういうものです。わたしたちは、お互いの不幸ではなく、お互いの幸せのために生きたいと思っています。憎んだり、軽べつしたりしたいのではありません。だれがこの地球の上に住んでも良いのです。自然は豊かで、すべての人間を養ってくれます」(ラジ・サクラニー『チャップリン』上田まさ子訳、佑学社。以下同じ)
 そして、「人は自由で美しく生きていくこともできますが、わたしたちはそのやり方を忘れてしまいました。人間の魂は欲望に毒され、世界中に憎しみをまき散らし、ゆつくりとわたしたちを悲しみと流血のなかに追いこんで行きました。速さはどんどん開発されましたが、わたしたちは世界を広げるわけではなく、逆に内にこもるようになってしまいました。生活を豊かにするはずの機械が、逆にわたしたちを貧しくしています。知識はわたしたちに冷ややかな目を与え、知恵はわたしたちを非情で冷酷にしました」と――。
 「飛行機とラジオはわたしたちの距離を縮めました。こうした利器は人々の善意、世界的な兄弟愛、すべての人類がひとつになることを願って発明されました。たとえば、いまこの瞬間にもわたしの声は、世界中の何百万という罪もないのに拷問され、投獄されて、苦しんでいる人たちの耳に届いているはずです。わたしの声の聞こえる人は聞いてください。『絶望してはいけません』。わたしたちに降りかかった不幸は、人間の進歩をおそれる冷酷さや、欲望が生み出したものに過ぎません」「自由は滅びることはありません」と。
 これが、世界の民衆に向けて発したチャップリンの叫びであった。(拍手)
9  人生は「自由で楽しいもののはずだ」と彼は言う。私どもの「信仰」の世界も、本来、最高に「自由」で「楽しい」世界である。それを、憎悪され、圧迫され、罪なくして苦しめられるようであっては、何のための信仰か。そのような理不尽は、絶対に許してはならない。また、何より大聖人が許されないであろう。
 人々よ、失望してはならない。独裁はいつまでも続かない。やがて恐怖は去り、私たち民衆は、滅びざる自由を勝ち取ることができるのだ――。
 どうか皆さまは、このチャップリンの叫びにこめられた歴史の″方程式″を、強く確信していただきたい。そして「ともに頑張ろう、戦おう。民衆の勝利のために!」と、私は強く呼びかけたい。(拍手)
10  さて日淳上人は、御遷化の九日前、ご静養中であったにもかかわらず、学会の第二十一回秋季総会にメッセージを送ってくださった(昭型三十四年十一月八日)。当日は当時、宗務総監であった日達上人が代読された。
 そのメッセージは、前にも紹介したことがあるが、再度、拝読させていただく。日淳上人は、次のように述べられている。
 「宗祖日蓮大聖人は広宣流布は一時に来ることあるべしと、教へられておりますから、それは決して遠い未来の理想でなくして、秋の木の葉が、葉音高く、今我々の耳朶じだに響く如く、妙法広布の足音は、日々に我々の身辺に感ぜられているのであります。ただこれ一重に、学会会員の皆様の正しき信心のいたす所であります」(『日淳上人全集』)と。
 すなわち、日淳上人は、御遺言とも拝せられるこのお言葉のなかで、学会の「正しき信心」ゆえに大聖人の御遺命が実現しつつあると称讃してくださっているのである。(拍手)
 また昭和三十五年(一九六〇年)五月十三日、日達上人は、私の第三代会長就任の祝賀会を総本山において開催してくださった。そして、会長就任を心から祝福してくださりながら、次のように語っておられた。
 「先師日淳上人は、ご臨終のとき、僧俗一致と申されておりました。これはつねに私の耳にひびくことばであります。しかし、ことばのみでなく、私はこれを解釈して、学会員が折伏によってうける法難の苦しみは僧もともに苦しみ、僧のうける法楽も、学会のみなさんにもともに楽しんでいただく、苦楽をともにしてこそ僧俗一致がなりたつのだと思っております」と。
 純真な学会員の心を、また苦難と戦い、布教に奮闘する信徒の労苦を、深く理解し、尽きせぬ慈愛をそそいでくださったのである。(拍手)
11  「賢者はよろこび愚者は退く」
 ふたたび御書を拝したい。
 仏道修行の途上には、必ず三障四魔が競い起こる。これは大聖人の御断言である。何があっても信念を貫くか。脅かしや誘惑に負けて退くか――その分かれ道に立ったときに、「賢者」と「愚者」が明らかになる。
 大聖人は、池上兄弟の弟の兵衛志宗長に対して、厳しく仰せである。
 「此の程心ざしありつるがひきかへて悪道に堕ち給はん事がふびんなれば申すなり、百に一つ千に一つも日蓮が義につかんと・をぼさば親に向つていい切り給へ
 ――あなた(宗長)がこれまで信心してきたのに、それにひきかえて、悪道に堕ちられることがかわいそうだから、私(大聖人)がこのように厳しく言うのです。百に一つ、千に一つでも、日蓮の教える道理に従おうと思うならば、親に向かって次のように言いきりなさい――。
 「親なれば・いかにも順いまいらせ候べきが法華経の御かたきになり給へば・つきまいらせては不孝の身となりぬべく候へば・すてまいらせて兄につき候なり、兄をすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ
 ――「親であるから、いかにもその言葉に従っていくのは当然ですが、親が法華経の敵になってしまわれたので、それに従っては、かえって親不孝の身となってしまいますから、私は親をお捨てして兄につきます。兄を勘当されるならば、私も兄と同じであると思ってください」と言いきりなさい――。
 ご存じのように、兄・宗仲と弟・宗長はともに大聖人の門下となったが、鎌倉幕府の作事奉行を務めていた父・康光は兄弟の信心に猛反対であった。
 父は、大聖人にことごとく敵対した極楽寺良観の熱心な信奉者であり、良観の画策にたぶらかされていた。そのため、兄の宗仲は二度にわたり勘当を受ける。(=勘当は、親子の血縁関係の断絶だけでなく、家督相続の権利がなくなり、経済的な保証を奪う。他の収入の道もない当時、社会的な破滅を意味していた)
 兄・宗仲は、勘当にあっても信心を貫きとおした。一方、弟・宗長は高齢の父の″親の情″にほだされたのか、″兄を勘当するからお前が継げ″との誘惑に動かされたのか、魔の策動の本質が見抜けず、信心が動揺するおそれがあったようである。
 大聖人は、その心のヒダまで深く読み取られ、宗長に、真実の孝養の道を説かれている。当時、親は絶対的な存在である。口答えするなど不孝、慢心と見えるかもしれない。しかし、親が邪義に惑わされているときは、あえて親に対して、正義を言いきらなければ、「ともに悪道に堕ちる」と指導された。
 悪僧・良観のねらいは兄弟の仲の分断、切り崩しである。その陰湿な謀略を見ぬかれたうえで、大聖人は″何と言われようと、間違っている親にはつきません。正しい兄につきますと言いきりなさい″と教えられている。
12  大聖人は、先の御文に続けてこう仰せである。
 「すこしも・をそるる心なかれ・過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり、しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり
 ――少しも恐れる心があってはならない。過去遠遠劫(呆てしなく遠い過去)より法華経を信じたけれども、仏になれなかったのは、このことによるのである。潮が干る時と満ちる時と、月の出る時と入る時と、夏、秋、冬、春の季節の境目には、必ずふだんと違ったことが起こるものである。凡夫が仏になる時もまた同じである。必ず三障四魔という障害が出てくるので、賢者はそれを喜び、愚者はひるんで退くのである――と。
 最大の苦難に直面していた池上兄弟は、この大聖人の厳愛の御指導によって救われ、勇気ある「賢者の信心」を貫くことができた。兄弟を分断し、離間させようとする動きにも乗せられなかった。最後には、二十余年にわたって反対していた父も入信し、″一家和楽″を勝ち取るのである。
 「家を捨てても、兄につきます」との叫び。甘美な誘惑を退け、信仰の誉れの道を選んだ兄弟の勇気を、大聖人はどれほど讃嘆され、喜ばれたであろうか。
 同志の仲を断ちきろうとする悪知識の企みは、いつの時代も同じ構図である。しかし、御本仏のお心は、「親」等の権威の側にではなく、真実の側にある。つねに、障魔と戦う門下の側にあられると拝する。御本仏が私どもの味方であられる。これほどの安心はない。正義はない。勝利への保証はない。大確信で進んでいただきたい。(拍手)
 いかなることがあっても「大悪をこれば大善きたる」との仰せを確信し、私どもの力で、すばらしき人生と広布の″永遠の春″″和楽の春″を築いていきたい。(拍手)
13  大強信の一念が「心の牢獄」を破る
 先日、ロサンゼルス駐在の聖教特派員が、アメリカ・ブラウン大学のグレゴリアン学長へのインタビューの模様を伝えてくれた。
 グレゴリアン学長は、その人格や大学運営の手腕において、たいへん優れた学長として、内外から幅広い信望を得ておられるとうかがっている。
14  さて、そのインタビューの内容はまことに興味深く、示唆に富むものである。本日は時間の関係もあり、一部のみ紹介させていただく。
 グレゴリアン学長は、こう述べておられる。
 「心の牢獄」だけはつくってはならない、と。
 反発を恐れて、言うべきことを言えない。自身の真実の心が閉ざされ、狭められ、押し込められている――これが、学長の言われる「心の牢獄」である。
 「心の牢獄」に囚われた人は、いちばん不幸である。また外面上は、どんなに好き勝手に自由に振る舞っているように見えても、内なる「心」が「牢獄」であれば、獄につながれた人生である。
 大聖人も、「ただ心こそ大切なれ」と仰せである。幸福を決めるのは外見ではない。心である。
 そして、学長は、この「心の牢獄」が、「人間を縛り、やがては社会の退廃にまでつながる」と指摘しておられる。
 「社会の退廃」――ここには、小は″一家の不幸″から、大は″国家の衰退″まで含まれよう。人間が人間として生きていけない「地獄」のような囚われの社会になる、と。
 だからこそ、「心の牢獄」は絶対に打ち破らなければならない。負けてはならない。これが、学長の主張なのである。(拍手)
15  では、「心の牢獄」に対して、「心の自由」「精神の自由」とは何なのか。
 学長は「さまざまな変化の風に順応して、右往左往とはためく旗の姿を、人々は自由と錯覚しがちである」と。
 気まま、わがままが「自由」ではない。何の責任も、信念もなく、風向きしだいで変わっていくのは″流されている″だけである。右を向こうとしても、風が左へと吹けば、従わざるをえない。
 自分では自由のつもりであっても、じつはいちばん縛られた、不自由な人間なのである。
 戸田先生は、かつての同志をも中傷する退転者について、よく言われていた。「だいたい自分が行き詰まると、人のせいにしたくなるのだ」(爆笑)と。
 自分のせいで清らかな信仰の世界にいられなくなり、その″さびしさ″″むなしさ″を埋めるために、何やかやと言ってくる。寄りかかってくる。一種の甘えであり、幼児性である(笑い)。かわいそうな「心の牢獄の囚人」なのである。(拍手)
 さらに学長は、「そこに、旗を支える不動のポール(支柱)があってこそ、人々は真の『自立』と『自由』を確立できるのである」――と。
 すばらしい言葉と思う。大事なのは、自分自身がしっかりと確立されているかどうかである。そうすれば、世間の無常の風に紛動されることはない。右往左往と風になびく一切を、大空から悠々と見おろしていける。
 いかなる烈風にも微動だにせぬ、精神の「不動の支柱」。むなしい変化から自由な、胸中の「永遠の柱」。それは、私どもの立場でいえば、大聖人の仏法であり、強き「信心」である。(拍手)
 皆さまは、わが胸中の偉大なる「不動の支柱」に「永遠なる自由」の旗を高らかに掲げていただきたい。(拍手)
16  「遂には楽しかるべし」と最後の勝利ヘ
 さて「立教」の前、大聖人は法を説かれるにあたり、迷われたと御書に説かれている。正法を説けば必ず大難がある。自分のことはともかく、門下も迫害に遭うであろう。耐えられるであろうか――と。
 このように、御本仏は、つねに私ども衆生のことを考えてくださっている。幸福を求める民衆の「心」を知りつくしておられる。つつみこむような、生命にしみとおるような「大慈悲」。大聖人の御書を拝するたびに、私どもは真実の「仏のお心」にふれ、感動する。
 「高橋入道殿御返事」には、「仏法を行ずるは安穏なるべしとこそをもうに・此の法を持つによつて大難出来するはしんぬ此の法を邪法なりと誹謗ひぼうして悪道に堕つべし、此れも不便なり」と。
 ――門下は仏法を行じたら安穏になるはずだと思っているのに、この法を持つことによって大難が起こるのは、きっと、この法は邪法ではないかと誹謗し、悪道に堕ちるであろう。これも不便ふびんである――。
 いろいろと「安穏」を妨げる難があるのは、じつは「正法の証拠」である。しかし、仏法のことをよくわからない人は「邪法の証拠」のように勘違いして、地獄界などの悪道に堕ちてしまうであろう。これもかわいそうだ――という大慈大悲であられる。
 世間の人々にしても、妙法を持つ者がつねに非難され、迫害される姿を見て、「何か悪いところがあるからだろう」と勘違いしがちである。実際はあまりにも正しいゆえに、それをこころよく思わぬ人々から、ねたまれるのである。それがわからない。
 大聖人は、なんとしても衆生を仏にしたい。悪道には堕としたくない、と。しかし、そのためには諸難を乗り越えさせねばならない。
 私どもの身近な例でいえば、わが子がかわいいのは当然としても、そのあまり、「学び」も「鍛え」もさせなければ、人間として敗残者になってしまう。
 大聖人は、私ども衆生を思われ、はたして、この試練に門下が耐えられるであろうか。しかし、所詮、何があっても、真実を叫ぶ以外にない。「正法」を説く以外にないと、一切衆生救済に立たれたのである。
17  また、熱原の法難で外護の戦いをしていた南条時光に、こう励ましておられる。
 「しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし、国王一人の太子のごとし・いかでか位につかざらんと・おぼしめし候へ
 ――しばらくは苦しくとも、最後は必ず楽しくなりますよ。国王の、たった一人の王子のようなものです。「どうして王の位につかないことがあろうか」と確信していかれることです――と。
 王の位になる、すなわち仏となるのは、もう決定ずみである。幸福になることは、絶対に間違いない。それまで、少しの間、待っていらっしゃいとの御聖訓である。
 最後に勝つ人が真の勝者である。そして正法は「最後の勝利」のためにある。
 マラソンも、「最後の勝者」が真の勝利者である。いくらスタートで格好よく飛び出しても、途中で″へばって″しまっては(笑い)仕方がない。学校の成績も、入学の時よりも、卒業の時どうかが問題である。いわんや信仰の道は、成仏という絶対的な「幸福」と「満足」の大境涯への修行である。
 煩悩は必ず菩提となる。冬は必ず春となる。太子は必ず王となる。広布に生きる仏子は必ず仏となる。これが御本仏のお約束である。(拍手)
 ゆえに悠々と「前へ進む」ことである。胸を張って″わが春″を楽しみに生きぬくことである。その強き強き「一念」には、すでに″春″への根本の因が具っている。胸中は春満開なのである。(拍手)
18  かけがえのない自分の人生である。策謀に乗せられて、元気をなくしたり悲しんだり、いやになったり、もしもそうしたことがあれば、悪の思うつぼである。魔を喜ばせるだけである。
 私どもは誉れある″御本仏の門下″である。何かあればあるほど、無限の力がわいてくる。そのたびに無限の福徳が備ってくる。
 ゆえに、一切を心ではね返し、いよいよ「大信力」を出だし、いよいよ「大強信」を奮い起こして、いつも朗らかに、いつも強く、晴ればれと、一日一日を生きぬいていただきたい。そうすれば魔というものは必ず退散していくものである。
 その一念に″愉快な人生″が壮大に開けてくる。戦う信心に″三世の勝利″は万柔と花開く。
 「ついには・たのしかるべし」(最後には必ず楽しくなりますよ)との仰せを、私どもは誇らかに、大歓喜をもって拝し、確信してまいりたい。(拍手)
 どうか全員が「愉快なる人生の勝者」と輝いていただきたいと念願し、本日のスピーチを結びたい。皆さま、お元気で! ご活躍を祈ります!
 (大田文化会館)

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