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日蓮大聖人・池田大作

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第三十九回本部幹部会・第十六回全国婦人… 民衆よ強く、民衆よ賢く、民衆よ立て

1991.3.4 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

前後
2  お二人の入会は一九七二年(昭和四十七年)。信心を根本として、音楽活動に励みに励み、今日の世界的な栄光を築かれた。まさに、「信心即生活」の模範の実証を示されている。各国の多くのミュージシャンが、お二人を慕っている。私は、偉大な「音楽の英雄」「文化の英雄」と、最大にたたえたい。(拍手)
 本日は、この二人の″英雄″が、「広布の英雄」「常勝の英雄」である関西の皆さまのために、記念の演奏をしてくださることになっている(拍手)。一般のステージで聴こうと思うと、たいへんな料金だが(笑い)、本日は特別に″ただ″で(爆笑)、皆さまに名曲の調べをプレゼントしてくださる(拍手)。(ウィリアムス氏のベース、ハンコック氏のピアノ。曲は、ハンコック氏の作曲で世界的にヒットした「メードン・ボエジ〈処女航海〉」、「森ケ崎海岸」、有名なジャズナンバー「A列車で行こう」――。熱こもる名演奏に、万雷の拍手が)
3  さて、本日の幹部会の模様は、全国の各会館に集った同志の皆さまにも伝えられている。関西の各府県をはじめ、北海道、東北、首都圏、中部、信越、北陸、中国、四国、九州、そして沖縄の皆さま、お元気でしょうか。どうか、風邪などひかれませんように。ご健闘を祈ります!(拍手)
 私どもの本舞台は「世界」である。「二十一世紀」である。この十年、壮大なる「全世界への道」を幾十倍にも広げていきたい。日蓮大聖人の御遺命である「一閻浮提広宣流布」は、私どもが実現する以外にないからだ。(拍手)
4  「広布の労苦」ありて「大福運の宝樹」
 関西婦人部が誕生したのは、昭和二十八年(一九五三年)の四月二日。ご存じのように、この日は戸田先生のご命日となった。(昭型三十三年逝去)
 三十八年前のこの日、戸田先生ご自身が出席され、先生の″手づくり″で、関西婦人部が生まれた。当日、そこに集った草創の友は、約百人――。現在のすばらしい発展の姿から見れば、まことに隔世の感がある。
 このように何事も、発展の因となる「種子」をしっかり植え、育てれば、必ず「花」が咲き、「実」を結ぶ。信心の功徳も同様である。
 地道な仏道修行は「冥益」(はっきりと形に表れないが、着実に大きくなっていく利益)として、これ以上ないという幸福の″大輪″を咲かせていく。これが道理である。仏法とは道理なのである。
 ゆえに大聖人は、何があっても、信心は一生涯貫いていきなさい、途中で退してはならない、「道」を外れてはならないと、繰り返し教えてくださっている。
5  このときの参加者をはじめ、草創の母たちの″悪戦苦闘″の連続によって、今日の「大関西」の礎は築かれた。
 ″悪戦苦闘″がなく、何の難も労苦もない人生。たしかに、それは楽に思われる。しかし、ちょうど、外気にも触れず皮膚を鍛えていない赤ん坊が、病弱な子どもに育ってしまうように、「鍛え」のない人生、「鍛え」のない心に甘んじていては、本当の「幸福」をつかめるはずがない。「幸福」は、何ものをも堂々と乗り越えていける確固たる「自分自身」の胸中にあるからだ。
 その意味で、むしろ、何かで苦労を重ね、自分を鍛えていけること自体、幸せなことなのである。いわんや広布に進む仏道修行は、自身を「金剛(ダイヤモンド)の幸福」の当体としてくれる。
 人間の身体も、頭脳も、精神も、鍛えぬくほどに能力が向上し、より以上の可能性が引き出されていく。鍛えなければ、すぐに衰え、病気になってしまう。これは医学的に見ても当然のことであろう。
6  信心の世界も、労苦や困難に挑戦また挑戦していって初めて、絶対に崩れぬ幸福境涯を開いていけるのである。
 大聖人は、「難来るを以て安楽と意得可きなり」――難が来たことをもって安楽と心得るべきである――と仰せである。
 ″難こそ安楽″″難こそ誉れ″――。諸難を越えて進む「広宣流布の世界」こそ、真に偉大な「人間」を育てる大地である。崩れぬ「幸福」を築く大道である。御本仏の仰せのままの「正法流布」の王道である。
 ゆえに私は、「生涯、御本仏につつまれた学会とともに生きぬいていただきたい」と願う。(拍手)
 ともあれ、本日、この関西戸田記念講堂で、戸田先生が発足させた関西の婦人部を中心に、すばらしい幹部会が行われたことを、先生もさぞお喜びであろう。(拍手)
7  ″信心の完走″そこに″栄冠の春″
 万年にわたる民衆の「幸福の共和国」を――。これが、戸田先生のいだかれた理想であった。
 共和――だれが上とか下とかではない。法の前の「平等」に仏法の真髄はある。これはまた、恩師の心を心とした、青春時代からの私の願いであった。
 私は二十四歳の時、大阪の夏季折伏から帰る車中、一編の詩を詠んだ。その中で、関西への思いをこめ「夢ある社会 幸咲く園 民主の舞台」とつづった。そして、その理想のままに祈り、行動してきた。
 今、この関西の地に、若き日より恩師とともに思い描いた「幸の園」「民主の舞台」が、広々と開けようとしている。その大いなる未来に思いを馳せるとき、私の心は躍る。(拍手)
 昭和三十一年(一九五六年)六月二十八日、魔軍の包囲網のなかで、戸田先生は、関西婦人部にこう叫ばれた。
 「大阪には、いろいろな常識のない連中が威張っているようだが、たとえどのような三障四魔が起ころうとも、われわれは断じて信仰をやりとげ、おたがいに助けあい、迷うことなく幸福な生活を一日一日と築きあげていこうではないか」(大阪・堺支部婦人部総会。『戸田城聖全集』第四巻)と。(拍手)
 この尊い民衆の″幸福のスクラム″を、何ものにも壊されてはならない。わが関西の同志の皆さまは、世界の「常勝」の模範として、″栄光の歴史″をさらにつづっていっていただきたい。(拍手)
8  ところで、春二月といえば「卒業式」の季節である。
 かつて、関西創価小学校(大阪・枚方市)に、三重県から休まずに通いとおした生徒がいた。彼はなんと片道三時間近くもかけて、通学しぬいたのである。
 その彼も今春、関西学園を晴れて卒業し、この春開設の創価大学工学部に一期生として入学するとうかがった。彼をはじめ、長い受験勉強の苦闘を乗り越えて、見事に″勝利の栄冠″を勝ち取った皆さまに、この席を借りて心からお祝いを申し上げたい。(拍手)
 長い道のりを、″最後まで″歩みとおした。ここに、私は彼の確かな信念を感じ取った。いかなる道であっても、決して途中でやめない。その忍耐と努力の人を、″勝利の春″は迎えてくれる。「完走の人」こそが″幸福のゴール″のテープを切れるのである。(拍手)
 たとえスタートのとき、どんなにさっそうと走っていても、完走しないランナーは「敗者」である。自分自身の″不滅の歴史″をつくることはできない。私どもの立場でいえば、成仏もできなくなってしまう。
9  悪縁に″たぶらかされるな″
 さて、大聖人は、繰り返し、また繰り返し″たばらかされてはならない″と仰せである。
 たとえば、「松野殿御返事」には次のようにある。
 「すべて凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ事にふれて移りやすき物なり、鎧を著たる兵者は多けれども戦に恐れをなさざるは少なきが如し
 ――すべて凡夫の菩提心(悟りを求めて仏道を行ずる心)は、多くは悪縁にたばらかされて、何かあるたびに移ろいやすいものである。たとえば、鎧で身を固めた兵士は多いけれども、戦いに臨んで恐れない勇者は少ないようなものである――と。
 何ものにもだまされず、紛動されない。正しき信心、勇気ある信心で変わることなく、広布に戦い続けていけるかどうか――ここに成仏のための根本要件がある。そのことを、大聖人は教えられている。
 ここで「たぼらかす」あるいは「たぶらかす」とは、″うまいことを言ったり、ごまかしたりして、人をだまし、あざむくこと″をいう。
 『御書全集』には、この言葉がなんと五十回ほど用いられているという。
 ちなみに「たぼらかす」とは、「たぶらかす」が変化した言い方で、意味は同じである。
 かつて、ロマン派の詩人ユゴーの世界をめぐって『人間と文学を語る』(潮出版社)と題して対談をした関西出身の創価大学教授によれば、「たばらかす」という言葉は、おそらく文献のうえで、大聖人の御書に初めて登場すると考えられるという。同じ意味の「たぶらかす」、その変化した形の「たぶろかす」「たぼろかす」などは、かなり前に用いられている。この「たばらかす」という語形を記されている確かな文献は、大聖人の御書がもっとも古いのではないか、と。
10  そもそもこの「たぼ(ぶ)らかす」という語の由来は、「たぶる」にさかのぼる。
 この「たぶる」には「狂」すなわち「狂う」という字が当てられる。「狂」とはある説では、卓越した力が邪に働くことであるという。その意味で「たぶる」とは、「心が乱れていること」「気が狂っていること」であり、元来、邪悪なものや力に、取り憑かれた状態をいうようだ。
 また「たぶる」の「ぶる」とは、一説によると「振る舞い」の意味である。また「た」とは「激しい」という意味である、と。すなわち「たぶる」とは、「振る舞い、動作が常軌を逸して激しいこと」をさす。そこから「振る舞いが非常識で、理にかなわないこと」なども意味する。
 また「たぶらかす」は、漢字では「おう」と書く。これは「言」すなわち「言葉」と「狂」を合わせた字である。この字は法華経にも出てくる。
 「誑」とは、狂った言葉、真実を曲げた言葉を発することである。この言葉は人の心や判断をも狂わせ、生活や人生をも狂わせていく働きをもつ。本当に恐ろしいことである。それゆえに大聖人も繰り返し「たばらかされるな」と仰せなのである。
11  なかでも邪な宗教の権威は、人々を手のつけられない狂信へとたぶらかしていく。このことを、大聖人は諸御抄に示されている。
 たとえば、念仏の善導や法然らの例を挙げて、次のように述べられている。
 「種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし如来の正法を滅す
 ――種々、人を恐れ従わせる不思議な力を現して、道理に暗い愚かな道俗(出家と在家)をたぶらかし、如来の正法を滅する――と喝破されている。
 また悪侶の典型を、経文に照らして次のようにも表現されている。
 「猟師の目を細めにして鹿をねらひ猫の爪を隠して鼠をねらふが如くにして在家の俗男・俗女の檀那をへつらいいつわりたぼらか
 ――悪侶はあたかも猟師が目を細めて鹿をねらい、猫が爪を隠してネズミをねらうようにして、在家の男性・女性の檀那(供養を行う人)にへつらい、いつわり、たぶらかす――と。
 在家の供養者を獲物のように考える悪侶を厳しく非難されている。
 このような既成宗教の悪弊に、真っ向から挑まれたのが大聖人である。
 学会もまた、大聖人のこのお心を心として、進んできた。永遠に″この道″を歩みとおしてまいりたい。(拍手)
 この大聖人のお振る舞いは、一面からいえば、「民衆を愚かにし、利用する宗教」から「民衆を賢明にし、強くし、守っていく宗教」への大転換であられたと拝される。
12  もともと法華経自体が、人を″たぼらかす″ような言動を厳しく戒めた教えである。
 安楽行品第十四には、次のようにある。
 「若し是の経を説かんと欲せば 当に嫉恙慢しっちまん 諂誑邪偽てんのうじゃぎの心を捨てて 常に質直しちじきの行を修すべし 人を軽蔑せず 亦法を戯論けろんせざれ 他をして疑悔ぎけせしめて 汝は仏を得じと云わざれ」(開結四五九㌻)
 ――もしこの法華経を説こうとするならば、まさに嫉みと怒りと傲り、詔いとおう(あざむき、たぼらかし)と邪と偽りの心を捨てて、つねに正直の行を行っていくべきである。人を軽蔑せず、また法について、たわむれの空虚な議論をしてはならない。他人に疑わせたり、悔やませたりして、「お前は仏になれない」と言ってはならない――と。
 釈尊が三千年前に厳格に説き示したこの教えに反し、反対に人を″たぼらかす″ようなことがあるならば、もはや、その人に法華経を説く資格はない。むしろ法華経の敵である。
 経文は厳然としている。御書の教えも明白である。こうした偽りの人に、決してたぶらかされてはならない。だまされてはならない。
 私どもは、あくまでも法華経の精神、そして御書の教えにのっとって広宣流布の大道を歩んでいる。この美しい仏子の世界を、どす黒い策動などで破壊されては断じてならない。(拍手)
 正法を信ずるがゆえに、そうした策謀を鋭く見抜き、たとえ相手がだれであろうと、敢然と立ち向かっていくことが、大聖人の御精神にかなった行動なのである。(拍手)
13  また、大聖人は、池上兄弟にあてた「兄弟抄」の中で、次のように仰せである。
 「六天の魔王が智者の身に入つて善人をたぼらかすなり、法華経第五の巻に「悪鬼其の身に入る」と説かれて候は是なり。設ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入つて法華経と申す妙覚の功徳を障へ候なり、何に況んや其の已下の人人にをいてをや、
 ――第六天の魔王が智者の身に入って、法華経を信ずる善人をたぼらかすのである。法華経第五の巻・勧持品に「悪鬼が其の身に入る」と説かれているのは、このことである。
 たとえ、等覚(菩薩が行じる五十二の修行の位のうちの五十一位〈上から二番目〉)の菩薩であっても、元品の無明(生命の根本の迷い)という大悪鬼がその身に入って、法華経という妙覚(五十二位の最高位)の功徳を妨げるのである。それ以下の人々においては、なおさらのことである――と。
 このように第六天の魔王は、「智者」と呼ばれる、一見、だれからも仏法について熟知し、悟っていると思われている人にも取り入って、正法を信ずる者をたぶらかすと断じておられる。
 この原理さえ弁えていれば、何が起こっても少しも驚くことはない。明確に本質を見抜いていける。
14  三世の同志と三世の幸福を
 さらに大聖人は、「主師親御書」の中で、次のように仰せである。
 「我等衆生・無始曠劫むしこうごうより已来このかた・妙法蓮華経の如意宝珠を片時も相離れざれども・無明の酒にたぼらかされて衣の裏にかけたりと・しらずして少きを得て足りぬと思ひぬ、南無妙法蓮華経とだに唱え奉りたらましかば速に仏に成るべかりし衆生どもの五戒・十善等のわずかなる戒を以て或は天に生れて大梵天・帝釈の身と成つていみじき事と思ひ或時は人に生れて諸の国王・大臣・公卿・殿上人等の身と成つて是れ程のたのしみなしと思ひ少きを得て足りぬと思ひ悦びあへり、是を仏は夢の中のさかへ・まぼろしの・たのしみなり唯法華経を持ち奉り速に仏になるべしと説き給へり
 ――われら衆生は、はるか久遠の昔からこのかた、妙法蓮華経の如意宝珠(思いのままに何でも取り出すことのできる宝珠)から片時も離れることがなかったが、無明の酒にたばらかされて、衣の裏に、その宝がかけてあったのを知らずに、少しばかりの幸せを得て十分であると思っていたのである。
 南無妙法蓮華経とさえ唱えるならば、すみやかに仏になれる衆生であるのに、五戒や十善戒などというわずかな戒律を持ち、あるいは天に生まれて大梵天や帝釈天の身となって、それをすばらしいことと思い、あるときは、人に生まれて、諸々の国王や大臣・公卿・殿上人など、高位高官の身となって、これほどの楽しみはないと思い、少しばかりの果報を得て十分であると思って喜び合っていた。これを仏は、夢のなかの繁栄であり、幻の楽しみであるから、ただ法華経を持って、すみやかに仏になるべきであると説かれたのである――と。
 地位や経済力で、人間の偉さが決まるわけではない。自身の幸福が決まるわけでもない。そうした表面上の繁栄や、はかなき享楽にのみ憧れていては、信仰の根本の大目的を見失う。
 永遠に崩れざる幸福の境涯――これこそ、私どもがめざすべきものである。必ずや、永遠に「大安心」、永遠に「大満足」のわが身となる。
 大聖人は、「我等衆生」と仰せのごとく、示同凡夫(仏が凡夫と同じ姿を示すこと)のお立場で、民衆が皆、平等に、みずからを高めていく道を示してくださっている。そして正法を実践すれば、「速に仏に成る」と大聖人は仰せである。この一点を、深く深く私どもは確信していきたい。
 正法を信奉しゆく私どもは、皆、仏子である。無限の可能性をもっている。
 無限の希望――それが仏法である。
 無辺の境涯――これが信心である。
 ゆえに、何ものにも″たぶらかされる″ことなく、「三世永遠の幸福」を確信し、「三世の同志」とともに、まっすぐに、一年また一年、「大福徳」を積みゆく「広布の戦士」であっていただきたい。(拍手)
15  女性にはつねに尊敬と真心で
 話は変わるが、本日の会合には、関西の各部の代表幹部の皆さまが参加されている。また、全国では婦人部幹部会、夜には各部の友が集っての本部幹部会が開催される。
 そこで男性への要望を少々、申し上げれば、まず、男性は女性に対して、できるだけ″わかりやすい話″をしてあげてほしい。
 また、うそのない″真実の話″を皆、待っていることを知らねばならない。そして、どこまでも相手を尊敬し、紳士として、丁寧に真心で接していただきたい。かりそめにも、どなったり、感情的に叱ったりしてはならない。
 信仰者は「優しい人」「正しい人」であってほしい。何でも聞いてあげる包容力、そして忍耐力(笑い)を備えていただきたい。(拍手)
 また夫婦という関係も、年月とともにしだいに変わっていく。最初は、ケンカばかりして″毎日、離婚を決意していた″(笑い)ような夫婦でも、やがてたがいの良いところが見えてくる場合がある。
 大切なのは、たがいに「人間として」成長していくことであり、その根本は信心である。
 とくに、奥さんの信心は重要である。
 大聖人も、夫を矢に、妻を弓にたとえ、「のはしる事は弓のちから」――矢の走ることは弓の力である――と仰せである。
 夫が思う存分、その力を発揮し、正しい方向に進んでいくには、妻の信心が大きな力となる。その影響力は、想像する以上に大きい。これは、私が長い間の体験をとおして見つめてきた一つの結論である。
16  ところで本年六月、フランスに「ヴィクトル・ユゴー文学記念館」がオープンする(拍手)。これ
 には、すでに数多くの貴重な資料(自筆の原稿・手紙・日記、オリジナル写真、初版本など)が収集されており、日仏文化の懸け橋ともなる、世界有数の記念館にしていきたいと考えている。(拍手)
17  ユゴーが描いた″悲劇の母″
 ユゴーといえば、その代表作は『レ・ミゼラブル』(「悲惨な人々」の意味。日本では『ああ無情』というタイトルで訳され、広く親しまれた)。読まれた方も多いと思う。
 私にとっても、″青春の書″ともいうべき、忘れ得ぬ作品である。戸田先生も、よく私たち青年に、この小説を引いて語ってくださった。
18  その第一部の表題「ファンチーヌ」は、悲しい母の名前。主人公ジャン・バルジャンが後に養女にするコゼットは、彼女が私生児として産んだ娘である。
 ファンチーヌは、不幸な生い立ちだった。両親の名も知らない。しかし、健康な娘だった。とくに金髪の美しさは″黄金″のようであり、白い歯の美しさは″真珠″のようであった。
 ところが、田舎からパリに出て働いていたころ、女たらしの学生に誘惑され、女の子(コゼット)を産む。すぐに男には捨てられてしまった。哀れにも、花開く前に青春は死んだ。
 彼女は、娘を抱いてパリを出る。母にはこの娘しかなく、また娘にはこの母しかなかった。
 やがて母は、無理がたたって胸を患う。娘と一緒にいては、働き口もない。母娘が飢えないためには、別れて暮らす以外にない――。
 彼女は、つらい決意をする。ある宿屋の親切そうな夫婦(テナルディ夫妻)に、娘を預かってもらうことにしたのである。月々の養育費は七フランと決めた。半年分を前払いした。「お金がたまったら、娘を引き取りにきます」。ほんの少しの間だけのつもりだった。
 しかし、彼女には、この宿屋夫婦の悪らつさ、黒い企みが、まったくわかっていなかった。見抜けなかった。じつは夫はならず者であり、妻は野獣のように貪欲な人間であった。この夫婦は、預かった幼児を、母親ファンチーヌから金を引き出す″金づる″としか見ていなかった。パリで学生にだまされ、またも悪い夫婦に″たぶらかされた″のである。
 宿屋夫婦は、ファンチーヌから預かった養育費を、一切、コゼットのためには使わなかった。それどころか、コゼットの持っていた衣類まで金にかえた。コゼットは、家族の残り物を、大や猫たちと一緒に食べさせられた。そして夫婦は、ファンチーヌから送られてくる金で、自分たちの二人の娘に贅沢をさせるのだった。
19  そのうち、夫婦のほうから、養育費の値上げを言いだしてきた。「七フランじゃ、今時、やっていけませんよ!」と。
 母は、娘が元気だと信じて、毎月、十二フランを送り始める。苦しかった。毎日が綱渡りのようであった。そのうえ、送金は、やがて十五フランに――。娘への思いだけで、歯を食いしばって生きた。
 その大切なコゼットは、なんと五歳になる前に、この宿屋の″女中″にさせられていた。使い走り、掃除、皿洗い。幼い体で荷物運びまでさせられた。真冬にも、穴のあいた古いぼろ着しか与えられず、寒さにふるえるしかなかった。
 やせて青ざめた少女は、日の出前から外で働かされた。ほとんど裸足のまま、くる日もくる日も――。これを見た人々は、「ひばり娘」と呼んで、鳥のように小さな体で働き続ける少女をからかった。
 一方、母は、町工場で一生懸命、働いていた。「娘のために」――。その娘に会いに行く旅費さえも、彼女にはなかった。値上げされた養育費をかせがなくてはならない。しかし、じつは″養育費″でも何でもなかった。全部それは、悪人たちの私腹を肥やしていただけだった。
 そして、ファンチーヌの身に、たいへんなことが起きる。工場をクビになったのだ。″隠し子がいる悪い女だ″という、心ないうわさのせいだった。金髪と白い歯を持つ彼女の美しさを嫉妬する女たちの仕業だった。
 彼女は絶望した。給金がなくなる! コゼットはどうなるのか――。
 文字どおり、爪に火をともすような生活。わずかな日銭をお針子の仕事でためた。自分は食べるものも食べず、娘のためにと金を送った。だんだん借金が増えていった。
 悪い夫婦は手紙をよこす。「この寒さに、あんたの娘は着るものがない。十フラン送れ」「どこにそんなお金が?」――ファンチーヌは途方に暮れた。ふるえる手で、手紙を一日中、握りしめていた。
 翌日、彼女のあの″黄金の髪″はなくなっていた。金髪を売って、十フランを工面したのである。
 また手紙がくる。「コゼットが病気だ。薬代四十フランをすぐ送れ!」。もちろん、うそだった。しかし彼女は信じた。疑ったとしても、こうなっては出さざるをえない。彼女の″命″(コゼット)は、彼らの掌中にあるのだ。
 彼女は、二本の前歯を売った。美しかった口もとには、黒い穴がぼっかりと″絶望″のようにあいていた。
 また手紙がきた。「娘は大病から治りかけで、大事なところだ。今すぐ百フラン送れ! さもなくば、娘を街頭に放り出すぞ!」
 娘に対する、痛ましいまでの母の愛。まさに、これを″だし″にした脅迫であった。純真さで応えれば応えるほど、ますますつけこんでくる悪夫婦。しかし、いくら脅迫しても、ファンチーヌに金などあるはずがない。
 娘のことを思えば、死ぬわけにもいかなかった。哀れな母は、ついに決心した。「最後のものを売ろう」。こうして彼女は売春婦となった。当時はそれ以外に、娘を守る道はなかった。そして、病身をおして送金を続けた。
20  ″欲″と″力″に狂った人間の心ほど、恐ろしいものはない。底知れず残酷になれる。そして残酷である。限りなく無慈悲になれる。そして無慈悲である。
 今は、ファンテーヌの時代とは、社会も事情も違うかもしれない。しかし、人間の″魔性″は、つねに、弱い立場の人々に、純真で信じやすい人々にと、狂気の牙を向けている。
 私は皆さま方に、断じてそのような目にあわせたくない。″魔性″の犠牲者を出したくない。そのような心で、祈る思いで、あえてこの物語をとおして、″真実を見抜け″と語っておきたいのである。(拍手)
 ところで、彼女を食いものにした悪夫婦は、人々からどう呼ばれていたか。
 なんと、「身寄りのない子どもを引き取って育てている、奇特なご夫婦だ」と、世間の人はたたえていた。ファンテーヌが血の汗を流してつくった金を、月々″あがり″として搾り取っていようとは、だれも知らなかったからである。
 世間の目とは、かくもいいかげんなものである。そんな、さかさまの評価に乗せられて、悪に同調し、悪の味方となる人も、なんと愚かなことか。愚かなだけではない。悪に賛同する人もまた、悪の一味に通じてしまう。そして、取り返しのつかない不幸への転落が始まる。
21  舞台は一転する。彼女に救い主が現れた。ジャン・バルジャンである。もと″犯罪者″の彼は成功し、市長になっていた。ファンチーヌがかつて勤めていた町工場の所有者でもあった。彼女がクビになったことを、彼は知らされていなかった。
 ある事件(ファンチースが市民に侮辱され、被害者である彼女が反対に逮捕されてしまう)から、彼はこの不幸な母の境遇を知った。
 「私が子どもに会わせてあげるよ!」。ジャン・バルジャンは、彼女を保護し、宿屋夫婦に三百フランを送った。「病身の母のために、すぐに子どもを連れてくるように」と手紙をつけた。ファンチーヌにも、やっと春が来たかに見えた。
 しかし、この無私の善意も、悪人たちには″新たな金づる″にすぎなかった。
 「こうなったら、いよいよ子どもを放すもんか」。なんだかんだと屁理屈をつけて、「金をもっと」「もっと送金を」と要求した。
 腐敗しきった人間の怖さ。あくどさ。断じて甘く考えてはならない。彼らは″お人好しだな″と見ると、骨までしゃぶりつくそうとする。
 この間に、母の病気は手遅れになっていった。ジャン・バルジャンの身にも、執拗な官憲の手が伸び始めていた。身動きがとれない。
 ファンチーヌは、重病の床から、娘の名を呼び続けた。「コゼットに会いたい!」「ああ、一日だけでも! 会いたい! 会いたい! 会いたい!」――叫びはむなしく、彼女に無情の死が訪れた。
 あまりにも悲惨な人生であった。懸命に生きたにもかかわらず、だまされ、ワナにはめられたがゆえに、不幸のどん底に落ちた。敗北の人生であった。
 ジャン・バルジャンは、「せめて娘だけでも救おう」と決心する。渾身の力で、わが身を縛る権力の綱を断ち切り、あらゆる障害を越えて、コゼットを救出。
 青ざめた″ひばり娘″は、この優しい養父の手によって、だんだんと幸福の人生を歩んでいくが、これは後日の話となる。(コゼットは、やがて理想家の青年マリウスとともに、革命に身を投じていく。母のような不幸な人をつくらない社会を夢見て――)
 「娘のために」。ただ、そのために、母はわが身をすり減らして金を送った。しかし、全部、横領され、食いものにされた。
 ″彼女のような、かわいそうな犠牲者を出してはならない。すべての母よ、すべての子らよ、幸福に生きよ!″――ユゴーは、こう訴えたのである。
 そのために″民衆よ強くなれ! 民衆よ賢くなれ! 民衆よ立て!″と、彼は心で絶叫した。私どももまた、同じ叫びをあげる。(拍手)
22  この世から人間の「悲惨」をなくせ
 「この世から、悲惨の二字をなくしたい」。戸田先生の正義の大音声であった。正法を掲げ、創価学会は、この決心で立ち上がった。
 そして「法のため」「広宣流布のため」「不幸な人々のために」、わが身を削って戦った。走りぬいた。母が子を思うような心で、人々を慈愛でつつみ、真心で祈り、尽くした。これが皆さまである。わが創価学会の真実である。(拍手)
 御本仏は「一切衆生の異の苦を受くるはことごとく是れ日蓮一人の苦なるべし」――すべての衆生が受ける、それぞれ異なる苦しみは、ことごとく日蓮一人の苦しみである――と仰せである。
 なんという大慈大悲であろうか。この仰せを拝するとき、人をおとしいれるような無慈悲な振る舞いがあれば、いかに御本仏の門下としての「道」を外れていることか、あまりにも明白である。
 わが仏勅の学会は、この大慈大悲を仰いで、民衆の「異の苦」、そして「同一苦」打開への献身を続けてきたのである(拍手)。(=「諫暁八幡抄」に「一切衆生の同一苦はことごとく是日蓮一人の苦と申すべし」――すべての衆生の同一の苦しみは、ことごとく日蓮ひとりの苦というべきである――とある)
23  こうした民衆の真心、仏子の信心の発露を、食いものにし、横領し、みずからの私腹を肥やすために利用するような、″宿屋の悪夫婦″のごとき人間がいたとしたら――。それは仏法と民衆の敵であり、御本仏の敵であると思うが、皆さま、いかがでしょうか。(拍手)
 大聖人は「法華経のかたきを見て世をはばかり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵いかなる智人・善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし」――法華経の敵を見て、世をはばかり、世を恐れて黙っていたら、釈尊の敵となってしまう。どんな智人、善人でも必ず無間地獄に堕ちる――と断言しておられる。
 「正法の破壊者」に対しては、言うべきことは厳然と言わねばならない。そうでなければ釈尊の、大聖人の敵となってしまう、と。これが御本仏のお教えである。(拍手)
 ″世をはばからず″――仏法の根本は人情論ではない。目先の感情や利害に流されてはならない。どこまでも正しくして厳しき「道理」を貫くところに、新しき歴史は開かれる。これこそが正法の勝利である。
 民衆を断じて、ファンチーヌにしてはならない。″不幸な母″としては絶対にならない。
 そのために常勝関西は戦ってきた。創価学会は戦ってきた。この崇高なる学会精神で、ともどもに堂々と、また悠々と、王者の前進をしていきましょう!
 きょうは本当におめでとう。ありがとう。万事よろしく、お願いします!
 (関西戸田記念講堂)

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