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日蓮大聖人・池田大作

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宮崎・都城、小林圏記念勤行会 わが胸中に福無量の「真如の都」

1991.2.12 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

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1  「福徳永遠の都」「民衆勝利の城」を
 昭和四十七年(一九七二年)九月八日、正本堂落慶の直前のころであったが、このロマンあふれる国土・都城の地を初めて訪れた。
 当時の都城会館で代表の方々約五十人とともに勤行をし、この御本尊に都城の皆さまのご多幸を祈った。そして、九州研修道場への帰路には、この地の「関之尾の滝」に立ち寄り、青年たちと懇談のひとときをもったことも忘れられない。
 方言で「都城 よかとこ一度はおじゃれ」(都城は良い所、一度はおいで)。(笑い、拍手)
 「都城 おじゃれば よかとこ ごわんど」(都城にいらっしゃると良い所ですよ)(笑い)
 「まこち よかも よかとこ ごわんど」(本当にそれはそれは良い所ですよ)(爆笑、拍手)と言うとうかがった。まさにそのとおりの都城訪問であった。
 そして、十九年ぶりにふたたび都城の地を訪れ、このすばらしい幸の城・文化会館で皆さまとお会いでき、″まこちうれしい″(本当にうれしい)。(笑い、拍手)
 都城。このロマン薫るすばらしき地名は、ご存じのように――ご存じじゃない方もおられるかもしれないが(爆笑)――南北朝時代の一三七五年(天授元年)、この地に築かれた城が「都城」と名づけられたことに由来する。ここは、古くは「霧の海」とも言われた。詩人の野口雨情も「日向なつかし都城は 霧の中から夜があける」(『定本 野口雨情』第五巻、未来社)とうたっている。
 都城――本当にいい名前である。また、この地から仰ぐ霧島の高千穂峰の眺めはすばらしい。桜も美しい。水もきれいである。南九州の中核都市として、今後いっそうの発展が期待されている。
 都城の皆さまは、この地で、かの滝のようにたゆまず、社会に仏法の理解を広げる行動を続けておられる。とくに、地域の友人の「聖教新聞」の購読率は県下トップとうかがつた。「聖教新聞」をとおして、皆で工夫し、また苦労しながら、広布拡大一地域貢献への道を着実に開いておられる。私は、皆さまのご健闘を心からたたえたい。(拍手)
 どうか、さらに仲良く、楽しく前進していただきたい。
 御書には「名は物をめす徳あり物は名に応ずる用あり」――名は物を呼び寄せる徳があり、物は名に応ずる働きがある――と説かれている。
 「都の城」の皆さまは、その名のままに、この地に、″福徳永遠の都″″民衆勝利の城″を築いていっていただきたい。(拍手)
 十九年前、都城会館で宮崎大学会第一期の若き学生諸君、八人と語り合った。今、その青年たちは、宮崎創価学会の中核として立派に育っている。一人の退転者もいない。人材を育てる喜び――青年たちが大樹、宝樹と育ちゆくのを仰ぐ喜びは、何ものにもかえがたい。
2  大聖人は婦人の門下、日女御前にこう仰せである。
 「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」――この御本尊は、まったくほかに求めてはなりません。ただわれわれ衆生が、法華経(御本尊)を信受し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのです。これを「九識心王真如の都」と言うのです――と。
 大聖人は、私ども正法受持の衆生の胸中にこそ「最極の都」があると断言しておられる。
 また「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」――この御本尊も、ただ「信心」の二字に収まっている――と。
 御本尊への「無二の信心」に、仏界がある。七宝で荘厳された仏の世界があり、福無量の″真如の都″がある。この御本仏の仰せを確信すれば、何ものも恐れることはない。堂々たる王者の喜びがわいてくる。
 わが生命に永遠に崩れざる「歓喜の都」を築きながら、わが国土もまた、「平和の都」「安穏の都」へと略がせていくことの、なんとうれしいことか。まさに、幸の「王者」の人生である。
 この最高の人生を、信心の「大王」のごとく、「女王」のごとく、どこまでも堂々と、どこまでも闊達に歩んでいただきたい。(拍手)
3  強き「祈りの弓」「勇気の利剣」で
 また、都城の弓は有名である。一八六〇年(万延元年)には、すでに弓作りが行われており(薩摩弓とも呼ばれる大型の竹弓)、現在では全国の九割以上がここ都城で作られている。また、木刀も有名で、全国の九割近くが生産されているという。
 大聖人は四条金吾夫妻にこう教えられている。
 「御いのりの叶い候はざらんは弓のつよくしてつるよはく・太刀つるぎにて・つかう人の臆病なるやうにて候べし、あへて法華経の御とがにては候べからず
 ――祈りが叶わないというのは、ちょうど弓が強いのに弦が弱く、太刀や剣があっても使う人が臆病であるようなものです。決して法華経(御本尊)の失ではありません――。
 どうか、このお言葉のごとく、信心の弓を満々と引きしぼって、具体的な祈りを一つ一つ成就させていただきたい。また、勇気の利剣、知恵の太刀をもって、一切の障魔を断ち切っていただきたい。そして、難攻不落の広布の城を皆の力で守りぬいていただきたい。(拍手)
4  尊き一生である。かけがえのない人生である。幸福になっていただきたい。幸福になるには、惑ってはならない。紛動される人生は不幸である。せっかく歩んできた成仏への軌道、所願満足のコースを外れては、あまりにも愚かである。
 これまでの仏道修行の功徳が花開くのは、これからである。いよいよの信心で、いよいよの決意をもって、御本仏につつまれた学会員の誉れを抱きしめ、一生涯、私とともに、学会の同志とともに、仲良く「広宣流布の大道」を進んでいっていただきたい。(拍手)
 それでは、お会いできなかった方々に、くれぐれもよろしくお伝えください。また来ます!
 (都城文化会館)

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