Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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沖縄最高会議 勝者とは永遠の挑戦者

1991.2.98 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

前後
2  戦前、スイスに一人の世界的ピアニストがいた。練習熱心で有名であった。ある人がコンサートを依頼した。ピアニストが聞く。
 「何日後でしょうか?」
 「十二日後です」
 「それではお断りします」
 「なぜですか。どうしても、お願いしたいのです」
 「コンサートを開くなら、新曲を弾きたいので、練習の時間がいるのです」
 「他の人は、三、四日あれば練習をすまされますが……」
 「いいえ。私にはとても足りません」
 「あなたよりずつと若く、腕も未熟な人たちでも、十二日もかかりませんよ」
 「私は―!」″
 そこまで頼まれてピアニストは言った。
 「一曲ごとに最低、千五百回練習します。一日に五十回として最低三十日かかるのです。残念ながら、こへお話はお断りするしかありません」
 世界的名手でありながら、なお、それだけの稽古を重ねたのである。否、こうした陰の努力が習慣にまでなっていたからこそ、第一人者の地位にのぼっていったのであろう。
 目に見える「栄光」の陰には、必ず並大抵ではない準備と苦闘がある。自己への厳しさがある。
3  「昨日の我に飽きたる故也」(南信一『総釈 許六の俳論』風間書房)と言ったのは芭蕉の弟子、許六であった。
 きょうは、もう、きのうの自分ではない。毎日、変わる。毎日が出発であり、挑戦である。惰性や油断など、無縁である。つねに真剣勝負であり、新たな創造、新たな開拓である――。芸術家のみならず、これが、ひとつの道を極める者の心情かもしれない。
 よく「三度の飯より」というが、やる以上、没頭し、ひたりきる精進があってこそ、何らかの開花と勝利がある。広宣流布も、いわば「三度の飯より、折伏が好き、学会活動が好き」という人々の献身の戦いで進んだのである。
 義務感でもなく、圧迫感でもない。自発の行動である。そこに勢いと歓喜が出る。それで初めて勝てる戦が始まる。
4  何ごとも、恵まれた立場にいると、いつしか″勝負″の厳しさがなくなる。
 「太夫(歌い手)の声がよいのと、相撲で力があるのと、役者で男(顔)のよいのは、みんな下手なり」――自分の優れた資質に甘えた人間は伸びが悪い、ということを指摘した江戸時代の言葉である。
 むしろ厳しい条件、環境にあったほうが、努力を重ね、上達していく。真剣であるし、結局は、恵まれた人よりも成長し、追い越していく。信心でいえば、厳しいところで戦うほど功徳を受け、成仏へと境涯を大きく開くことができるのである。
 ロシアの名バレリーナ、アンナ・パブロワが来日した時(一九二二年〈大正十一年〉)、彼女によって世界的に有名になった「瀕死の白鳥」(サン・サーンス作曲)を披露した。
 踊り終わった。幕が下りる。その間、彼女は、じっと息を止めていた。まったく動かない。激しい動きの後なのに、呼吸をしている様子がない。それを見た、歌舞伎の名優(六代目尾上おのえ菊五郎)が激賞した。
 しかし、もしも幕が下りてこなかったら、どうするのか――。
 アンナは答えた。
 「幕切れは瀕死ですから、もしも幕が下りてこなかったら、そのまま死ぬつもりで踊っています」
 天性の才や環境だけで一流になった人はいない。文字どおり″真剣勝負″を繰り返した修羅場の数が、人を鍛え、本物にしていく。
5  自己との闘争を開始せよ
 人生は、勝たねばならない。勝ってこそ、幸福もある。栄光もある。負けたら、自分だけではなく、ひいては周囲をも不幸にしてしまう。
 勝利の山を、また勝利の山を連続して登り、越えきってこそ、広宣流布の歴史もつづられる。信心に中途半端はない。絶えざる前進であり、永遠の挑戦である。
 「勝つ」には、まず何より「自分に勝つ」ことである。中国の″兵法″の古典『孫子』の心も、煎じ詰めれば、「おのれに勝て」「人間の心理を知れ」の二点に要約できるのではないかと思う。
 私どもは最高の兵法、「法華経の兵法」を持った。だからこそ私は、とくに青年部の諸君に言っておきたい。「自己との闘争を開始せよ」と。そして、人の心の機微に通じた「人間通の名将たれ」と期待したい。
 戦いには武器が必要である。私どもの最上の武器は「信心」である。
 そのうえで、大切なことは、「誠実」である。仕事においても、折伏、弘法においても、外交においても、「誠実」によってのみ、深く人の心をつかむことができる。これこそが最終の真実の勝利のカギである。
 そして「誠実」には、裏に、血のにじむような努力と辛労がある。祈りがある。
 大聖人の御一生は、全人類のための大闘争であられた。身延に入られて三年目(約二年後)のことである。それまでの闘争をふり返られ、「既に日蓮かちぬべき心地す」――すでに日蓮は「勝った」という心境である――と語っておられる。
 このお言葉が深く胸に迫ってくる。
6  昭和三十三年(一九五八年)三月十六日。私ども青年に後事を託された″広布の記念式典″の日である。一切の式を終えられて、帰られる寸前の戸田先生のお言葉は「戦おうじゃないか!」という一言であった。
 衰弱されたお体であったが、眼光鋭く毅然たる遺言であった。
 そこには、広布への戦い、権力との戦い、民衆救済への闘争等、さまざまな意味があったと思う。その烈々たる気迫は、炎となって、私の体に今も燃え続けている。永遠に燃え続けるであろう。
 この「戦おうじゃないか!」の一言を、私はあらためて青年部の諸君に、また″永遠の青年″であるわが同志に贈りたい。
7  仏法は人の″振る舞い″を説く
 「三種財宝御書」に「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」――釈尊一代の教えの肝心は法華経であり、法華経の修行の肝心を説いたのは不軽品である。不軽菩薩が人を敬ったのはどういうことであったか。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いを説くことにあったのである――と仰せである。
 この御文については、これまでもしばしば拝し、お話ししてきた。
 この御書は、建治三年(一二七七年)九月、四条金吾に与えられたお手紙の一文である。
 当時、金吾は、主君の江間氏を折伏したことから、その不興をかい、苦境に立たされた。しかし江間氏はその後、重い病に倒れる。そのため医術の心得のある金吾は、ふたたび主君に用いられるようになった。だが、そのことがまた、周囲の妬みを受け、身の危険にさらされていた。
 このお手紙で大聖人は、気性の激しい金吾の身を心配され、いっそう心を引き締め、行動を慎むよう戒められている。
8  四条金吾にあてられた数々の御消息について、日亨上人は、次のように述べられている。
 「宗祖大聖人の弟子檀那に給はりし御教誠の御消息は其人々の性分と其の時其の処、其の場合その事柄にしっくりと適合して寸分のはずれがない。大事は大事につけ、細事は細事につけて恐れ入ったることである。畢竟(=結局)、仏眼仏智の所作、御本仏の大慈心にあらざれば不可能の御事である。別して四条殿に対して、一層御慈悲の発露する事を覚ゆる」(日亨上人講述『追考・聖訓一百題』)
 そして、先の御文を拝されて「四条さんはケシズミ(=消し炭。燃えている薪を途中で火を消して炭にしたもので、火がつきやすい炭。ここから火のつきやすい性格のたとえとされたもの)である、チウッパラ(=中っ腹。腹を立てやすい性格)である、此の弱点を露骨に予め教誠して大事を誤らぬように鍛練せらるゝ、是れが御慈悲の深きところである」(同前)と。
 誰人たりともつつみこみ、幸福にさせずにはおかないという、御本仏の広大にしてあたたかな御境界であられる。権威的な押しつけなど、いささかも感じられない。金吾の性格上の欠点をふまえられたうえで、身を誤らないように、人生の敗北者とならないように、濃やかに、あたたかく御指南されている。
 大聖人の大慈大悲の励ましに、感情的に勇み立っていた金吾の心も和み、大きく視野が開かれていった様子が、目に浮かぶようである。
9  不軽菩薩の″振る舞い″については、法華経の不軽品に説かれている。不軽菩薩は人々からどれほど謗られようと、相手に対して怒ったり怨んだりはしない。たとえ相手が増上慢の衆生であっても、その仏性を敬って礼拝を続けた。
 つまり、大聖人が、四条金吾に対して不軽菩薩の行動をあげられたのは、短気を起こして怒ったり、軽率な言動をしてはならない。わが身を慎み、賢明な振る舞いをすべきである――とお示しになられるためであったと拝される。
 そして、釈尊の出世の本懐、目的は、人の振る舞いを説くことにあったと結ばれている。
 仏法といっても、その肝要は、人間としての生き方、振る舞いを説いた以外のなにものでもないのである。その意味で信心は、私どもの言動そのもののなかにあるといってよい。
10  日達上人は、次のように述べられている。
 「今、日蓮大聖人の仏法南無妙法蓮華経を信ずる時は、全人類は不断煩悩(=煩悩を断たず)、本有不改(=位を改めず本来のまま)の即身成仏であると説かれるのである。このことが此の世に生を受けた我等凡夫の注意すべき最も大切な所である」(『日達上人全集』)と。
 大聖人の仏法は、凡夫が凡夫のままで、何ものにも縛られることなく、自在に人間性を発揮していける大法である。特別な修行を強いるものでもなければ、特別な人間になるように求めているのでもない。凡夫そのままの姿で仏となることができるのである。ここに大聖人の仏法の偉大さがある。
 日達上人はまた、こうも言われている。
 「在家の日蓮大聖人の仏法を信心する人々の家業に励むことは、悉く南無妙法蓮華経の修行の内に含まれるのであります。すなわちその人の一挙手一投足がお題目の修行に含まれ、成仏の清涼池への行程であります」(同前)
 私どもが、社会の中で、生活のために職業に励むことも、妙法の修行に含まれている。私どもの一挙手一投足の振る舞いが、唱題の行に含まれ、そのまま成仏への道程なのである、とのお言葉である。
 信心を根本にして、どのように社会で生きていくか、生活していくか、日々の行動をしていくか、が大事である。それらの一つ一つの″振る舞い″が、すべて成仏への道のりとなっているからである。
11  磨かれた人間性が仏法理解を広げる
 「蘭室の友に交りて麻畝の性と成る」――蘭室の友(徳の高い人)と交わることで、よもぎのように曲がった心が素直になる――とは、「立正安国論」の有名な御文である。「蘭室」とは、香り高い蘭の花のある部屋のことである。蘭室にいると、やがてその香りが身体にまでしみてくることから、ここでは正法を信じ、人格の優れた人と交わる人は、いつしか正法への眼が開かれていくことを譬えられている。
 「交わる」とは、現実には、その人の言葉と振る舞いに触れる、ということといえよう。
 「安国論」では、主人が、訪れた客に法を説いていく。客が感情的に反発し、怒りを表しても少しも動じない。座を蹴って帰ろうとする客を、にっこりと笑って止め、諄々と教え諭していく。
 客は「慈悲」と「道理」に貫かれた主人の振る舞いと、馥郁たる薫りを放つ崇高な人格にふれ、いつしか心を開く。ついには邪執を捨て、正法を求めるにいたる――。まさに、一編の「対話のドラマ」を見る思いがする。
12  現実の社会を離れて仏法はない。「人間」を離れて仏法はない。「法」がいくら正しいといっても、その正しさをただ声高に叫ぶだけでは、人々の理解は容易に得られない。かえって仏法の道から遠ざけてしまう場合さえあろう。それでは「広宣流布」を御遺命された大聖人のお心に反する。
 人はまず、その人の日常の振る舞いに目を向ける。「生活」がどうか。「教養」や「誠実さ」の面ではどうか。その目はまことに厳しい。「金銭」にだらしなかったり、「良識」に欠けたり、行動が「尊大」であっては、「法」がいかに正しくとも、社会に信用されるはずがない。
 大切なのは、「信頼」と「納得」である。最高の法を持ったからこそ、最高の人格の輝きを発揮できる。それが仏法である。
 私どもは、自分自身の「人間性の輝き」を磨きながら仏法理解の輪を広げてきた。つまり、社会の人々の「蘭室の友」となるべく努力してきたのである。
 揺るぎなき信念、未来への展望、あたたかな思いやり、豊かな知恵、使命への情熱、すべてを包容する広い境涯等々――信心によって磨かれた人間性こそが、人々の心をうち、心の扉を開いていく。
13  この一週間、沖縄の皆さまには、さまざまにお世話になり、心からお礼申し上げたい。
 この美しき心の沖縄で明年、「アジア平和音楽祭」、また第一回の「アジア会議」が開かれる予定である(=平成四年二月二十七日、第一回アジア総会並びに第一回アジア平和音楽祭が恩納村の沖縄平和会館で開催された)。私もまた、アジア各国の友、日本の各方面の代表とともに訪問したいと願っている。
 皆さま方のますますのご多幸をお祈りし、スピーチとさせていただく。どうか、お元気で。本当にありがとう!
 (沖縄平和記念館)

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