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日蓮大聖人・池田大作

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香港広布三十周年記念総会 広宣の「母なる港」永遠なれ

1991.1.28 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

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1  東洋広布へ香港から船出
 美しい歌声を、合唱団の皆さま、ありがとう―(拍手)。(壮婦男女の各部合唱団が、合同で「香港広布の歌」〈東洋広布の歌〉と「明天会更好」〈明日はさらにすばらしくなる〉を合唱)
 「明日はさらにすばらしくなる」――これはまさに仏法であり、信心である。この限りない「希望」に、幸福はある。
 「明日はさらにすばらしくなる」――青春の歌声であり、久しぶりにヨーロッパの名画を見て、その主題歌を楽しんでいるような気持ちであった。
 文化、そして希望。創価学会は、永遠にかくあらねばならないと、あらためて確信した。重ねて「多謝、多謝」と申し上げたい。(拍手)
2  三年ぶりに、お元気な香港の皆さまにお会いできて、うれしい。本日はアジア各国(インド、タイ、フイリピン、シンガポール、マレーシア)の代表の方々も来てくださっており、″アジア家族″の懇親会のようなつもりで、語っておきたい。
 今回で私は第十一次の香港訪問となる。ご存じのように、ちょうど三十年前のこの日、一月二十八日、日達上人をご案内して、香港を初訪問した。
 日達上人と僧侶一名、そして私と現在の秋谷会長、森田理事長等、八人の一行であった。
 一月二十八日、午前十時、羽田をジェット機で出発し、五時間二十分で香港に到着。その夜、座談会を行い、アジアで初の地区となる、「香港地区」を結成した。八世帯十五人の出発であった。
 それが今日では、これほどの″大香港″″不滅の香港″となった。私の感慨は無量である。(拍手)
 二十九日、午後三時十三分、香港を発ち、給油のためにシンガポールに着く。三時間ほどいたと思う。深夜、スリランカのコロンボに到着した。
 三十一日、午後三時ごろ、コロンボを出発。夕方、インドのマドラス(現チェンナイ)に到着。五時間、待ち合わせて、深夜便でナブプールヘ。ここで乗り換えて、二月一日、朝六時ごろ、デリーに到着した。このあとブッダガヤで、「三大秘法抄」などの埋納を行ったことは、広布の永遠の歴史である。(拍手)
 三十年前、香港の啓徳空港には三人の草創の同志の方々が出迎えてくださった。お三方とも、きょう、ここに出席しておられる。懐かしいお顔を拝見し、本当にうれしい。本当によく頑張ってこられた。最大の敬意を表したい。(拍手)
3  この翌年、一九六二年は、キューバ危機の年であったが、このときも私は香港を訪問した。中近東など六カ国(イラン、イラク、エジプト、ギリシャ、パキスタン、トルコ)訪問の帰路であった。このとき、「香港支部」の結成という歴史を刻んだ。
 このように御本仏日蓮大聖人の仏意仏勅である東洋広宣流布への大航海は、まさにこの香港から船出したのである。(拍手)
 思えば十七年前(一九七四年)、中国への初訪問も、この香港から旅立ち、香港へと戻ってきた。あのとき、見送り、また出迎えてくださった香港の友の姿を、私は永遠に忘れない。皆、懐かしき三世の同志である。
 香港を訪れると、いつも″ふるさとの都″″東洋広布の黄金の港″に着いた安らぎをおぼえる。
4  「文化の港」「希望の港」たれ
 ところで、私どもの初代会長牧口先生は、若き日の大著『人生地理学』の中で、「港」の意義について論じておられる。
 たとえば「(=港)これ文化の起発する所たり」と。港は、文化が興り、周囲へ広がっていくところだと指摘されているのである。
 文化といえば、三年前の、あの「第九回世界青年平和文化祭」――香港青年部の皆さまによる華麗な文化の祭典は、今なお記憶に鮮やかである。
 また男子部の金鷹ガムイエン(黄金の鷹)体操隊や、女子部の紫荊ジーケン(香港の市花である紫の花)鼓笛隊などのすばらしい活躍も、よくうかがっている。イギリスのエリザベス女王、チャールズ皇太子の歓迎行事等にも参加されたこと、テレビ等でも大きく報道されたことも聞いている。
 さらに、私の写真展を二回、開催していただき、このたびの「世界の少年少女絵画展」にも大きな期待が寄せられている。
 そして私は、この「三十周年」を記念して、「香港創価幼稚園」とともに、仮称「香港青年文化センター」を、この″文化の港″に建設することを正式に発表したい(拍手)。(=一九九二年九月一日に「香港創価幼稚園」が開園され、一九九六年五月三日には仮称「香港青年文化センター」が「香港総合文化センター」としてオープンした)このセンターには、香港はもちろん、アジアまた世界の各国から青少年が有意義に集うことになろう。
 牧口先生は、香港の重要性についても言及しておられた。さらに、港について、このように述べておられる。
 「港は人情の快闊かいかつなる所であり、すべての生活の活発なる所であり、一国また一地方の生気は、港によって引き起こされ、その深い眠りも港によって目覚めさせられる」(『人生地理学』、趣意)と。
 香港こそ、二十一世紀のアジアの、そして人類の、新しきバイタリティーを、生き生きと呼び覚ましていく、「希望の港」である。どうか世界一、快活に、活発に進んでいただきたい。牧口先生、戸田先生も、そうした香港の皆さまを、笑顔で見守っておられると私は確信する。(拍手)
5  さて、イギリスの大歴史学者トインビー博士との対談の折、私が「もし博士が、ふたたびこの世に生を受けるとすれば、何に生まれたいですか」と質問したことがある。
 博士は、もしも生まれるとしたら「私はインドの鳥になりたい」と答えられたあとで、次のように言われた。
 「もしも人間として生まれ変わるとすれば、私は中国人を選ぶでしょう。中国人として生まれてくるなら、私は何か価値ある仕事がやれそうだと感じるのです。
 そして、その時までに、もし世界がまだ統合化されていなかったなら、その統合化のために力になりたいと思います。また、もし世界がすでに統合されていたなら、私は世界の流れを、物質中心から精神中心の方向へと転換することに助力したいと思います」
 これが、人類の幾千年の歴史をつぶさに見つめてこられた博士の率直な声であった。博士が、東洋の仏法の真髄を深く求めておられたことは、皆さまもご存じのとおりである。
 世界の統合化――真実の平和のために、皆さまは仏法を弘め、修行しておられる。最高に価値ある人生を歩み、最高に価値ある仕事をしておられることを、誇りにしていっていただきたい。(拍手)
 香港は、東洋広宣流布の「母なる港」である。船は精神遺産を含めて世界の″宝″を、ふるさとに持ち帰ってくる。私どもの東洋広布、世界広布の大航海のすべての福徳が、この原点の港・香港を絢爛と飾っていくことは間違いない。
6  仏勅実現の学会員は「三世の長者」と
 大聖人は、次のように仰せである。
 「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなりここを去つてかしこに行くには非ざるなり、道場とは十界の衆生の住処を云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野せんごくこうや皆寂光土みなじゃっこうどなり此れを道場と云うなり
 ――末法に正法を受持し修行する、その場所を「当詣道場」というのである。すなわち、この娑婆世界を去って、極楽浄土等の他土へ行くのではない。道場とは十界の衆生の住処をいうのである。いま日蓮大聖人およびその門下として南無妙法蓮華経と唱える者の住処は、それが山谷曠野いずこにてもあれ、全部、寂光土すなわち仏国土である。これを道場といったのである――。
 この大法をいだき、広布に生きゆく人の人生の天地は、すべて平等に、寂光土と輝いていく。
 皆、平等に、仏界の大境涯を胸中に開いていくことができる。また、どこにあっても、どのような変化があっても、わが地域をかけがえのない使命の国土として乱舞していける。これが妙法の功力である。
 ともあれ、この大切な香港で信心に励み、広布に進んでいる皆さま――。私は、深い深い意義があると思えてならない。前世も偉大な誓いをされた方々と信じるし、未来も永遠に、大いなる「長者」「王者」の境涯で歩んでいかれると確信する。(拍手)
7  大聖人は、最大の苦難に直面していた四条金吾に、次のように教えられている。
 「一生はゆめの上・明日をせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず、されば同くは・なげきたるけしき気色なくて此の状に・かきたるが・ごとく・すこしも・へつらはず振舞仰せあるべし、中中へつらふならば・あしかりなん
 ――人間の一生は夢の上の出来事のようにはかないもので、明日の命もわからないものである。いかなる乞食になっても、法華経にきずをつけてはならない。ゆえに同じ一生であるならば、嘆いた様子を見せないで、あなた(金吾)が誓いの手紙に書かれたように、少しもへつらわずに振る舞い、語っていきなさい。なまじいへつらうようなことがあれば、かえって悪くなるであろう――。
 「設ひ所領をめされ追い出し給うとも十羅刹女の御計いにてぞ・あるらむと・ふかたのませ給うべし
 ――たとえ所領を没収され、主君があなたを追い出されても、それは、十羅刹女の御計らいであるのだろうと思って、深く信をとり、諸天にゆだねておいきなさい――。
 「日蓮はなが流罪されずして・かまくら鎌倉にだにも・ありしかば・有りし・いくさに一定打ち殺されなん、此れも又御内にては・あしかりぬべければ釈迦仏の御計いにてや・あるらむ
 ――日蓮は流罪されないで、鎌倉にでもいたならば、あの合戦の折に、きっと打ち殺されていたにちがいない。また、あなた(金吾)が追い出されたにしても、それは、あなたが主君の御内にいてはよくないであろうとの、釈迦仏の御計らいなのであろう――と。
 当時、金吾に対する主君の圧迫は、いっそう激しくなっていた。事実上の減俸となる越後(現在の新潟県)への領地替えの内命が下る。これを受けなかったため、領地をすべて没収せよという声さえあった。
 そして、主君からは、法華経を捨てる(信心をやめる)誓約を書くよう強要される。しかし、金吾は、そのような誓約は、決して書かないと大聖人にお誓いする。家来に対して、絶大な力をもっていた主君である。その命に違反することは、一家、一族の生活の基盤を奪われるどころか、生命さえ危ない当時の状況である。そのなかで、金吾は、堂々と大聖人の門下として、強盛なる信心を貫いていくのである。
 その結果、二年後には、金吾の正しさが認められる。没収されていた領地も返されたうえ、新たに三ヵ郷の領地を加増されるという厳然たる功徳の実証を示すことができたのである。
 この御文にも仰せのごとく、信心の途上で起こってくる苦難は、すべて意味がある。時がたち、長い日で見ていけば、「なるほどそうだったのか」「このためにあったのか」と、必ずわかるものである。
 ゆえに目先の出来事に一喜一憂する必要はない。永遠に続く嵐はないように、永遠に続く苦難はない。大事なことは、どこまでも御本尊を信じ、強い信・行・学を貫いていくことである。信心さえあれば、どのような苦難も、宿命転換の機会としていける。福徳と幸福の人生の宮殿を、さらに盤石に築くことができる。一家、一族の繁栄の大道を開くことができるのである。
8  大地を踏みしめ希望に生きぬけ
 まもなく香港でも中国正月(旧正月=今年は二月十五日)を迎える。戸田先生は、亡くなる前年の正月、こう言われた。
 「新年の初頭にあたって、吾人(=私)が同志にのぞむものは、老いたるにもせよ、若きにもせよ、生活に確信ある希望をもち、その希望のなかに生きぬいてもらわなければならないことである。いうまでもなく、その希望に生きぬく生命力は、御本仏日蓮大聖人の御生命である人法一箇にんぽういっかの御本尊にあることを銘記すべきであろう。
 おのれも大地に足を踏みしめ、はなやかな希望に生きるとともに、世の人たちをも同じく大地に足を踏みしめさせて、人生に晴れやかな希望をもたせようではないか」(『戸田城聖全集』第二巻)と。
 喜びに満ちた中国正月を前にして、私は、東洋広布に思いを馳せ、願われていた戸田先生に代わって、皆さま方に、この言葉を贈りたい。
 希望に輝いている人は若い。希望に燃えている人は強い。希望に生きる人は幸福である。どうか、アジアの希望であり、人類の希望である「広宣流布」に、楽しく、朗らかに進んでいただきたい。
 香港の皆さま方の、日々の勝利と日々の幸福、日々の建設を心よりお祈りしたい。そして、三世永遠の栄光の生命の歴史をつづりゆかれんことをお祈りし、私のスピーチとさせていただきたい。できれば、明年もまた来ます。
 (香港文化会館)

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