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日蓮大聖人・池田大作

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第十五回全国婦人部幹部会 民衆の喝采こそ永遠の勲章

1991.1.23 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

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2  そこで本日はまず、それらの曲を皆さまと一緒に聴きたいと思う。しばし、美しい音楽に、心を和ませていただきたい。年末年始、いやな思いをされた分(爆笑)、せめて、ひとときを楽しんでいただきたい。(拍手)
 どんな状況にあっても、″楽しみ″をつくっていける――その人こそ、幸福である。そうなるための信仰なのである。
 私どもの正義を、見る人は見てくださっている。ある著名な学者からの手紙には、こうあった。
 「偉人は嵐のなかで立ちます。パイオニア(先駆者)は、百年先を見て、事に当たります。名誉会長は偉人であり、パイオニアです。小さい人には、その気持ちは見極められない」と。
 過分なご評価に恐縮のほかないが、その他、海外も含め、数多くの方々から、続々と励ましのお手紙をいただき、心から感謝したい。(拍手)
3  さて、その曲とは。まず、喜劇王チャップリンの映画から――。
 『モダン・タイムス』(一九三六年製作)から、曲は「テイテイーナ」。人間が機械に管理され、支配された社会を描いた、人間性を喪失した現代文明への、痛烈な風刺である――。半世紀以上も前の作品とは思えないほど鋭い。主人公が歯車に組み込まれ、もみくちゃにされるシーンなど象徴的である。
 『犬の生活』(一九一八年製作)のテーマ曲。うらぶれた失業者、貧乏紳士のチャップリンが、のら犬と繰り広げるコメディーである。
 『になつつ』(同年製作)のテーマ曲。軍隊生活を風刺した作品。当時は、第一次大戦の真っただ中。チャップリンの勇気あればこそ、できあがった映画である。
 『偽牧師』(一九二三年製作)のテーマ曲。脱獄囚が牧師になりすます。あやしげな説教をしたり、信徒の女性と親しくなったり……。やがて正体がわかってしまう。しかし、保安官の計らいにより、捕まるかわりに、国外へ連れていかれるところで終わる。(=逃がしてもらった国では賊に襲われ、どちらの国にも行くことができず、国境の両側に左右の足を置いて走っていくラストシーンは有名)
 『チヤップリンの独裁者』(一九四〇年製作)から、曲は「ミリタリー・マーチ」とブラームス作曲「ハンガリアン舞曲第五番」(これ以外はすべてチャップリンの作曲)の二曲。先日もお話しした作品である(=一月六日、第三十七回本部幹部会)。有名な演説シーンで、チャップリンは叫ぶ。――言うべき時がきた。言うべきことは言わなければならない、との決心で。
 『黄金狂時代』(一九二五年製作)から「金鉱を探し求める人々」。金に狂う、欲に踊る――その愚かさを笑いとばす。また飢えのあまり、自分の靴を食べるシーンや、パンにダンスをさせるシーンなど、涙と笑いの名場面が随所に光る。
 弱い者への愛情、そして金持ちや支配者、権力者への激しい怒りと抵抗――これがチャップリンの芸術の魂であった。
4  その次に、ジャズとクラシックの名曲を――。
 ジャズは、「イン・ザ・ムード」(映画『グレン・ミラー物語』から)、「シング・シング・シング」(ジャズのスタンダード・ナンバー)。舌がもつれそうだが。(爆笑)
 クラシックは、歌劇『ウィリアム・テル』序曲(ロッシーニ作曲)、喜歌劇『軽騎兵』序曲(ズッペ作曲)、歌劇『カルメン』(ビゼー作曲)より「闘牛士の歌」。そして、同じベートーヴェンでも交響曲第五番「運命」である。それでは、どうぞ!(拍手)
5  人間の英雄チャップリン
 せっかく曲を送ってくださったのだから、少しチャップリンについてお話をさせていただきたい。(拍手)
 彼は、五歳で孤児院に入れられた。アルコール中毒の父には早く死に別れ、母には養育の力がなかった。幼いころから、飢えの恐怖と、邪魔者あつかいされるつらさが絶えることがなかった。
 しかし、彼の瞳は光っていた。希望があった。生きる強さがあった。
 いかなる富よりも大きな富、それが希望である。たとえ他のすべてをもっていたとしても、希望なく、生きる強さのない人には、向上も勝利もない。それでは人間らしい人生とは言えないし、幸福でもないであろう。
 チャップリンは、息子に当時のことを振り返りながら言う。
 「私が孤児院にいたときのことだが、腹をすかせて街かどで、食物をあさっているときでも、私は世界一偉い役者なんだと思っていた。つまり勝気だったんだよ。人に負けたくないからな」(C・チャップリンJr、N&M・ロー共著『わが父チャップリン』木僅三郎訳、恒文社)と。
 どんなにバカにされても「誇り」を失わないチャップリン。それは、映画に登場する、あのだぶだぶのボロ服に、ドタ靴、山高帽、ステッキという″放浪紳士″チャーリーの、おなじみの格好に表れている。
 彼は、このステッキを手放さない。どんなに飢えていても。「これは『誇り』の象徴なんだよ」と――。
 彼は自分が演じたいのは「どこの国にもいるような、自分の誇りだけは傷つけられたくないと願っている(中略)平凡な小男」なんだと語っている。(ジョルジュ・サドゥール『チャップリ』鈴木力衛・清水馨訳、岩波書店)
 ――世界の民衆は、ルンペンの格好なのに、山高帽とステッキを離さない愛すべき″放浪紳士″のいでたちだけで、チャップリンの、このメッセージを理解した。
 ″あれは俺だ! 俺たちと同じ大衆だ! つき飛ばされ、踏まれ、つばをかけられ、それでも何くそと誇りをたもっている。俺たちの仲間だ! 人間だ!″と。
 誇り――それは魂を支える柱である。圧迫をはね返すバネである。誇りをなくした卑屈な人生は寂しい。権威と権力の奴隷の人生では、何のための宗教か。
 いわんや皆さまは、大聖人の真実の門下として、「広宣流布」に生きゆく勇者である。地から涌き出た不可思議な使命の同志である。その「誇り」を絶対に忘れず、私とともに、晴ればれと胸を張って、生きぬいていただきたい。(拍手)
6  チヤツプリンは、アメリカに渡り、映画の世界で成功した。しかし、ぜいたくな暮らしはしなかった。長い間、質素なアパートや借家住まいを続けた。撮影所の楽屋も小さく、むさくるしいほどだった。
 友人が言う。もう、こんなに有名になったのだ。地位にふさわしい部屋を持つべきだよ、と。
 すると彼は首を振りながら答えた。「立派な部屋だと、ちっぽけ放浪者に変装することはむずかしいじゃないか。僕にはそれに相応した部屋がいるんだよ」(前掲『わが父チャップリン』)――。
 いくら金持ちになったといっても、自分は大衆の一人なのだ。自分は大衆が喜ぶ、あの貧しい″放浪紳士″(=ドタ靴、チョビひげの主人公)なのだ。ぜいたくになったら、もう演技に″心″が入らなくなる。これがチャップリンの気持ちだった。金の魔力に酔わない少欲の彼であった。
 彼は、自分自身のことをよく知っていた。本当に苦労した人は、自分を見つめ、律することができる。ここにも、チャップリンの偉大さがあった。
 他人に苦労させて、その上に安楽に座って人生を楽しむような人は、自分で自分がわからなくなる。基準が見えなくなる。いつしか「道」を踏み外していく。
 ところでチャップリンがもっとも尊敬していた人物はだれだったのか。それは、子息によれば、インドのマハトマ・ガンジーであったという。その理由は、ガンジーが、立派な生活ができるにもかかわらず、貧しい人々と一緒に、つつましく暮らしているからであった。
 彼は、肩書や賞罰も眼中になかった。映画『サーカス』でアカデミー賞の受賞が決まったとき、こう語る。
 「少数の人間の決めた賞など、大した名誉ではありえない。私の欲しいのは大衆の喝采だよ。その人たちが私の仕事を愛してくれるなら、それで充分だよ」(前掲『わが父チャップリン』)
 少数の人間が、ほめようが、けなそうが、それが何だというのだ。自分はもっと大勢の人々のために働いている。その人たちが私の仕事を必要とし、喜んでくれればよいのだ。民衆こそが審判者なのだ。民衆の評価と称讃こそが、芸術家の栄誉であり、正義なのだ――。これが喜劇王の思いであった。
7  また、祖国イギリスから「ナイト」の称号(貴族の証)を贈りたいとの申し出があった。しかし、彼は丁重に断った。最晩年には、どうしても断りきれず、受けているが――。
 彼は言う。「私は肩書には興味がない。尊敬するのは、その人の業績だけだ」と。
 ″何の地位か″ではない、″何をしたか″だと。人々のため、社会のために、どんな貢献をしたのか、それを私は見る、と。一流の人の目は、みな同様である。
 反対に、人の地位や肩書にこだわる人は、相手の立場に応じて傲慢になったり、卑屈になったりする。権威的であり、反面、だまされやすい。
 その意味でチャップリンは絶対に、見かけには左右されなかった。徹底した人間主義、実質主義の人であった。
 皆さま方は、社会的に何か特別な地位や肩書をもっておられるわけではないかもしれない。特権もないかもしれない。しかし何よりも、折伏を行じておられる。日々真剣に正法流布に尽くしてこられた。これ以上に尊く偉大な″業績″はない。その事実を、だれよりも、御本仏日蓮大聖人が最大に讃嘆され、お喜びになっておられると、私は確信する(拍手)。また後世の人類が感謝と感嘆の拍手喝采を送ることであろう。現に、そうなりつつある。
 誇り高き″魂の勲章″″福運の勲章″――。その光が三世永遠に自身を飾り、輝かせゆくことを確信していただきたい。(拍手)
8  庶民の英知と笑いで権力と戦う
 チャップリンは偉大なヒューマニストであった。思想的な意味で″右″でも″左″でもなかった。だからこそ、いつも両方からねらわれた。
 マッカーシズムによる、いわゆる「赤狩り」(共産主義者追放)の餌食にされ、アメリカ追放になったことは、先日(一月六日)もお話しした。この時代を振り返るとき、今も人々は「あれはまさに″魔女狩り″でした」と苦しげに語る。
 彼の皮肉は痛烈だった。
 「いまは、生きていくにもなかなかの技術がいるよ。左足から歩き出しても、あれは共産主義者だと言うんだからね」(爆笑)と。(前掲『わが父チャップリン』)
 あるときには「道路の左側を歩くやつは、みんな共産主義者だというのか?」(爆笑)とも、からかっている。
 浅はかな人間ほど、自分勝手なレッテルを張りたがる。それも、自分たちの精神年齢と同程度のレッテルしか持ち合わせがないので、張られたほうはたまらない(笑い)。また、そうした場合、隠された黒い意図があるのが、歴史の常である。
 学会もこれまで、″右″とか″左″とか、さまざまに言われてきた。もとより、何の定見も根拠もない、悪意による攻撃にすぎない。″もう少し気のきいた建設的批判をしてほしいものだ。喜んで、その人に感謝するのだが″と、情けない思いさえした(笑い)。チャップリンの気持ちは、よく理解できる。
 私は仏法者である。仏法は「中道」である。すると私は、カンガルーのように、両足一緒に、はねるように歩かなくてはいけないのだろうか(爆笑)。あまり想像できない姿だが。(爆笑)
9  チャップリンが、ある記者会見に臨んだときの話である。(前掲『チャップリン』)
 集まった百人もの記者のうち九十五人までが自分に敵意をもっていると見て、彼は言った。「さあ、虐殺をお始めなさい」
 どこからでもこいという、強気の姿勢である。こうした場合、だれがこんなせりふを言えるだろう。彼は勇気ある本当の″男″だった。
 そして悪意の質問にも、超人的な忍耐力で、にこやかに答え続けた。真の勇気は、すぐにカッとなる短気さのなかにではなく、肚のすわった忍耐のなかにある。
 「なぜ、アメリカ国籍をとらないのか」という問いが発せられる。記者は″イギリスから移住してきたのに、アメリカで国籍を取得しないのは、反米すなわち共産主義者にちがいない″というレッテルを張りたかったのである。
 チャップリンは、平然と一言。「私は″世界市民″ですから」――。心憎いばかりの答えである。
 私も友だちのような共感を覚える。(笑い、拍手)
10  また、別の折、″映画の王国″ハリウッドの、商業主義と政治的廠能を批判して書く。
 ――今度という今度は、私は宣戦布告したい。″金が全能の神″と信じているかぎり、この王国は退廃するだけだ。これ以上、検閲や機械的な映画製作による「規格化」を進めれば、芸術は、人間性は破滅する。
 私は「共産主義者」とか「反米主義者」とか、ののしられているが、それは世評に迎合しないからである。また「ハリウッドの大立物どもが、自分たちは相手がだれだろうが、勝手に追払うことができると信じこんでいるという、ただそれだけの理由からでした」(前掲『チャップリン』)と。
 策略と決めつけ、ヤキモチとわがまま――民衆に大きな影響力をもつチャップリンが、自分たちの言いなりにならないことに″おえら方″はいら立った。当時のアメリカで社会的に抹殺しようと思えば、「赤」に仕立て上げるのが、いちばんである。これは戦前の日本でも同様であった。そこで彼らは、根拠もなく「赤だ」「赤だ」と繰り返した。
 ウノも百回言えば本当になるというが、こうして、チャップリンをはじめとする多くの映画人、文化人が犠牲になった。冷静に事実を見ればわかることだが、狂気の嵐に巻き込まれると、当たり前の道理もとおらなくなる。恐ろしいことである。こうしてハリウッドは、自分たちの世界の至宝を″追い払って″しまった。
 今回のことについて、ある方から、お電話をいただいた。その方は、「宗門外護のいちばん大事な人を宗門はいじめた。これで日本の広宣流布も、世界の広宣流布も遠のきました。残念です。悲しいです。これは宗門の責任です」「全部、嫉妬であり、策略です。痛恨の極みです」と語っておられた。後世のために、そのまま述べさせていただく。
11  気むずかしく、しかめっ面の″おえら方″を、チャップリンは心から嫌う。「こういう連中は、うぬぼれ屋で、くだらないと思う」「だがやがて、こうした連中も迷いからさめ、ある種の現実を認めるようになるにちがいありません」(前掲『チャップリン』)と。
 批判精神――これこそ、チャップリンのチャップリンたる所以であり、あらゆる大芸術のなかに燃える炎である。コメディーを、そして映画を「芸術」にまで高めたチャップリンの魂であった。
 彼は、反発を当然、予測していた。追放も覚悟のうえであった。しかし、今、言いなりになってしまえば、自分が何よりも愛し、その発展に全魂をこめてきた″映画の王国″が、衰退し壊滅してしまう。それを恐れたのである。
 そしてチャップリンは、とうとうアメリカを追放されてしまった。ハリウッドだけではなく、裏にはもっと巨大な政治的密謀もあったようだ。
 偉大な人間は、閉鎖的な世界には収まりきらず、彼が邪魔になった人々から追放される。これは歴史の常である。
 しかし、彼の予見は当たった。こんなばかなことが、いつまでも続くはずがない――と。その確信どおり、二十年後、ハリウッドとアメリカから、映画界最高の賞「アカデミー特別賞」を受けるように、と懇願される。そしてついに、凱旋の訪米を果たしたのである(拍手)。六十三歳で追放され、八十三歳での凱旋である。八十八歳で亡くなる五年前のことであった。
12  ″真実″を描いたから世界が支持
 さてチャップリンは、日本文化を深く愛していた。″カブキ(歌舞伎)″のしぐさを研究したりもした。日本人の一種の″完璧主義″――こまかい所まできちっとする点も、波長が合っていたようである。彼の使用人頭も、運転手とコックも、皆、日系人であったという。
 このように、日本びいきの彼が来日した時(一九三二年〈昭和七年〉)、民衆は大歓迎したが、一方で、彼を暗殺しようとねらった一派もあった。理由がすごい。それは、日本でもチャップリンの人気がありすぎるため、「国民を西欧崇拝に導いてしまう」(爆笑)ということであった。
 こうした独善的な人間が、チャップリンを殺そうと謀るが、計画は失敗。世界の「民衆の宝」を傷つけ、日本が世界に恥をさらさずにすんだわけである。
13  初期の代表作『犬の生活』のなかで、チャップリンは叫ぶ。
 「われわれは大ではないぞ! 人間だ!」
 この叫びは、貧しい労働者から拍手で迎えられたが、資本家からは強く憎まれた。
 また、作品のなかで、彼はいつも当時の権威的な警官をからかっている(笑い)。無力な庶民の正直な心情をこめたものなのだが、警察からは「一度、お前をぶちこんでやろうか!」と脅迫されたこともあるらしい。
 さらに、『偽牧師』では、聖職者を風刺したとして危うく逮捕されるところだった。アメリカのある州では「神聖な牧師たちを愚弄した」と、映画は上映禁上にされた。素直に見れば、決してそうではないことがわかるはずなのだが――。
 伝記作家のジョルジュ・サドゥールは書いている。
 「偽善者たちは風刺に敏感である」(前掲『チャップリン』)
 それは、何かしら思い当たることがあるからだ、というのである。ここでの偽善者とは言うまでもなく、キリスト教の牧師のことである。
 彼らが「これは俺たちへの風刺にちがいない!」と怒るのは、それが鋭く″実態を突いている″ことを、自分で認めたようなものだというのである。(笑い)
 それに似たことは、皆さま方の家庭でもあるにちがいない(笑い)。ご主人方が心に″やましい″何かをもっているとき、奥さま方の、何げない話題にもドキッと敏感に反応する(爆笑)。それが″真理を突いている″(爆笑)からであろう、何とか″反撃″しなくては、と勝手にあせる(爆笑)。心に受けた″大打撃″を隠しきれずに、「お前、それは俺に対するあてつけだろう」と怒りだす(笑い)。そこで、はからずも「何か、隠してることがあるのね!」と、さとられてしまうわけである。(笑い)
 ともあれ、チャップリンは、ただ「真実」を描きたかった。「民衆の心」をとらえること――これが彼の目標だった。それにはリアルな事実にもとづくことだ、と。民衆はウソとホントを鋭敏に見わける。彼がいつも「真実」を描いたからこそ、世界が彼を支持したのである。(拍手)
14  「真実」に生きる。「民衆の心」に生ききる。これが学会の強さである。だからこそ、かつてない「世界広宣流布」(法華経勧発品に「閻浮提内。広令流布〈閻浮提の内に広く流布せしめん〉」とある〈開結六六八ページ〉)の大潮流が広がってきたのである。(拍手)
 また、ひたすらに「真実」の道を歩んできたからこそ、学会は数々の弾圧にも微動だにしなかった。これだけの圧迫、攻撃である。微塵でも裏表などあれば、耐えられるはずがない。とっくに崩壊していたにちがいない。
 こざかしい欺瞞など、すべての民衆によって見破られる。また歴史によって裁かれてしまうだろう。偽善やごまかし、にせものにだまされてはならない。それは自分自身の敗北である。せっかく営々と築き上げてきた人生の″福運の城″を壊してしまう。(拍手)
15  「二十世紀のもっとも有名な人物」――それを決めるのはむずかしいが、「おそらくチヤツプリンでしょう」という人がいる。(=とくに彼の無声映画は言語・文化の歓をきえて、文字の読めない多くの民衆にもこよなく愛された)
 それほど「民衆」は彼を支持したが、だからこそ「民衆の敵」からは、いつも嫌われた。なるほど、道理である。
 そうしたなか、彼の態度はつねに堂々たるものであった。
 「私はある種の人びとを怒らせるのに成功したことをたいへん満足に思っています。論争のない人生など退屈きわまりないものです。すべて生きているものは、議論を呼び起こします」(岩崎昶『チャーリー・チヤツプリン』講談社)と。
16  ヒトラーを「独裁者は喜劇的」と見ぬく
 チャップリンのヒトラーとの戦いは有名である。そのワン・マン・ウオー「たつたひとりの戦争」については、語るべきことがじつに多い。
 彼は言う。「独裁者とは喜劇的なものです」(前掲『チャップリン』)と。
 この言葉は、チャップリンがヒトラーを″喜劇的に描いた″というよりも、ヒトラーの本質そのものが″初めから喜劇であった″ことを語っている。
 ――ヒトラーというのは、いいカッコをして偉ぶっているけれども、じつは、ちょっとおかしいんだよ、普通じゃないんだよ。みんな、ハイ、ハイと彼の言うことを聞いているけれども、それは全部、彼の巧妙な演技と、恫喝に乗せられているんだ。よく見てごらん、本当にあいつはこっけいなんだから――と。
 どこまでも「人間性」が基準であったチャップリン。その澄んだ目には、ヒトラーの虚勢と二面性が、じつにこっけいに映ったにちがいない。そして、そのウソつきの本質を底の底まで見ぬき、どんな人にもわかる表現で描ききった。まことに、チャップリンは偉大な″芸術の王様″であった。
 ともあれ、チャップリンの言葉を借りていえば、世間の独裁者というのは、いつの時代も、まったく″喜劇的″なのである。多くの悲劇をもたらすわけではあるが――。
17  じつはヒトラーとチャップリンは、皮肉なことに同年同月(一八八九年四月)に生まれている。誕生日も四日しか違わない。加えてチョビひげもそっくり。(爆笑)
 しかし、一方は世界を″恐怖″のドン底におとしいれ、一方は世界を″笑い″の渦に巻き込んだ。まったく対照的な人生である。
 また一方は、権力、権威で飾りたて、何とか自分を″普通の人″以上に見せようと苦労した。一方は、自分を着飾るものを何もかも脱ぎ捨て、ボロ服だけになって、「私はただの人間さ!」と言い放っていた。
 人間は人間である。人間以上になれるはずがない。要は、虚飾なき一個の人間として、偉大であるかどうかである。偉大な人は、どこにいても、また地位や肩書があろうとなかろうと偉大である。この″平凡にして至高の人生″を教えられたのが、日蓮大聖人の大仏法であると、私は信ずる。(拍手)
 賢明な皆さまは、たとえ平凡のように見えたとしても、みずから決めた広布の誓いを一生涯、貫く崇高な人生を歩んでいただきたい。御書に照らして、その人こそが仏と輝く。御本仏の真実の仏子である。(拍手)
18  さて、ヒトラーのほうでも、どうもチャップリンが気になってしかたがなかったのか(笑い)、直感的に″あいつは敵だ″と思ったのか、早々とドイツからチャップリンの映画を追放してしまう。
 たしかに抑圧的なナテスの管理体制には、ドタ靴のチャップリンは似合わない。(爆笑)
 一方は、戦車であり、大砲であり、軍靴である。片方は、相変わらずのボロ服とボロ靴である(爆笑)。似たようなチョビひげスタイルで(笑い)、民衆を笑いころがしている″放浪紳士″が目ざわりでしかたがない。
 それは狂気と真実、権力と人間性、戦乱と平和、恐怖と笑いとの戦いであった。
 だれもがまだ、独裁者の本質に気づいていなかった。しかし、チャップリンはすべてを見ぬいていた。――あいつは必ず世界を悲嘆の闇におとしいれる悪魔だと。内外の無理解の嵐の中で、彼はひとりっきりで厳然と悪に立ち向かった。
 わかっていても、黙っていたのでは何にもならない。皆に教えなければならない。彼はスピーチした。
 「ナチの策略には注意しなければならない。ナチは羊の皮を着た狼である」「やつらはわれわれの自由を奪い、精神を取り締り、やつらの言語をおしつけ、われわれの生活を支配するにきまっている」「人類の進歩は止まってしまう。少数派の権利、労働者の権利、市民の権利はすべて抹殺され、無に帰するであろう」「必ず勝利を……。不可能事を可能にしよう。人類の歴史における偉大な出来事とは、不可能と思われることに打ち勝つことであったという事実を、忘れてはならない」(前掲『チヤップリン』)
 悪と戦わねば、そして何があろうと一切に勝たねばならない――彼の不退転の決意と勇気から生まれた不朽のスピーチである。
19  白い「羊の皮」を着た狼――彼の言葉は誇張でなかった。ナテスは彼の言葉どおり、否、それ以上に残虐で腐敗しきっていた。甘く考えてはならない。あまりにも人がよく、善良な人々は、まさかそこまで悪くはないだろうと思いがちである。
 しかし、苦労人チャップリンは知っていた。悲しいことだが、本当に「悪い人間」がいるものだ、と。そして、これを見破り、これと戦え、というのがチャップリンの絶叫であった。
 映画『チャップリンの独裁者』の最後のシーンでの彼の演説は、今も不滅の光彩を放っている。
 「知識はわたしたちに冷ややかな目を与え、(中略)思いやりがなくなってしまいました」「頭のよさよりも親切と思いやりが必要なのです。人間らしさがなければ、人生は暴力的になり、すべてが失われるでしょう」と。(=一月六日の第三十七回本部幹部会でも主な部分を紹介)
20  「民衆と歩む人」こそ「民衆の宝」
 ところで、最晩年、ある記者がチャップリンに「一九八〇年には何をしたいですか」と質問した。健在であれば、彼が九十一歳になる年である。
 彼は即答した。「私はね、月旅行がしたいよ!」(爆笑)と――。
 彼は、最後まで「青年」であった。「希望」の人であった。「意欲」の人であった。最後まで「もっと高く!」と目を上げていた。(拍手)
 どこまで本気かわからないが(笑い)、こうしたロマンとユーモアのある生活は楽しい。美しい。
 ご主人も、このような夢あふれる言葉を聞けば、「うちの奥さんは、心豊かな人だなあ」と(笑い)、ほろっとして(爆笑)、もしかしたら旅行にでも連れていってくれるかもしれない(笑い)。「とうとう、おかしくなったのかなあ」と思われるかもしれないが。(爆笑)
 映画『サーカス』で歌われた″空中ブランコ乗り″の歌は、今も忘れられない。こんな歌詞だったかと思う。
  ――こぎなさい! 娘さん。空高く。
  下を向いちゃいけないよ!
  虹が見たいんなら空を見上げるんだ!
  たった一度の人生じゃないか。
  雨の降る日もあるでしょう。
  でも、いつか陽の当たる日も来るよ。
  こぎなさい! 娘さん。ああ空高く。
  だめ! だめ! 下を向いちゃいけないよ。
  虹が見たいんなら、空を見上げなさい!
  下を向いちゃいけない!
  どんなにわびしい日があったとしても、
  たった一度の人生じゃないか!
  こぐんだよ! こぎ続けるんだよ!
 「上を向くんだよ!」――私どもの立場でいえば、「幸福の太陽」と「広布の虹」を仰ぎながら、信心即生活の船をこぐ手を休めてはいけない――このようにも言えるだろうか。
21  また、盲目の少女との恋を描いた『街の灯』――これもすばらしい作品である。この作品で、チャップリン扮する「浮浪者」(放浪紳士)は、″悩める大富豪″を激励する。
 「勇気を持つんだ! 人生に立ち向かうんだよ!」
 励ましているほうは、一文なしのルンペン。励まされ、「うん、うん」とうなずいているのは大金持ち(爆笑)。じつはここに、チャップリン映画の一つの″核心″がある。
 資本家だろうが、独裁者だろうが、えせ牧師だろうが、「みんな同じ人間じゃないか!」――。同じ人間なのだから、皆で仲良く励ましあって生きていくのが、当たり前じゃないか。これが彼の、心の底からの叫びであった。(拍手)
 悩める人間がそこにいる。――チャップリンは、声をかけずにいられない。これこそ、「人間」である。そして、まさにわが学会の世界であり、仏法の世界である。
 学者であろうが、政治家であろうが、富豪であろうが、皆、同じ人間である。また、大聖人が繰り返し強調しておられるように、御本尊の前には皆、平等である。いかなる差別もないし、あってはならない。ありのままの「人間」同士の、平等な、仏法の民主の世界なのである。(拍手)
 だからこそ、チャップリンと同じく、世界の人々が学会に共感した。共感があったから、正法がこれほどまでに広がった。学会の前進が正しいがゆえに、仏法を信奉する人々が世界中に急増したのである。(拍手)
 このうるわしい世界に″差別″を持ちこむ人間がいたとしたら、それは清らかな「日蓮大聖人の仏法の世界」「正法広宣流布の流れ」とは別の世界の住人である。御本仏の御遺命である広布を妨げ、破壊してしまう。まことに恐ろしいことである。
22  よく指摘されるように、チャップリンの映画のラストシーンは、その多くが″再出発″の場面である。
 「放浪紳士」は倒れない。倒れても、雑草の強さをもった″人間そのもの″の彼は、また起きる。そして、いつもの元気な足どりで、一本の道をひょっこりひょっこりと、ふたたび歩き始める。その後ろ姿で終わる作品が多いのである。
 どんな苦しみも乗り越え、つねに喜びの灯を燃やして生きていく″ありのままの人間″。私は、そこに「喜劇の王様」とともに、「人生の英雄」の生きざまを見る思いがする。
 大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」――教主釈尊の出世の本懐は、人として振る舞う道を説かれることであった――と仰せである。
 人の振る舞い――すなわち人間として、現実にどう生き、どう生活するかである。その事実の「生活」をとおしてこそ、「法」の尊さも証明されていく。どんなに立派なことを言っても、生活が乱れている人の言うことを、皆が信じるはずがない。かえって法を下げることになる。法を下げるのは、謗法にも通じよう。具体的な、人格、生活、振る舞いを離れて、仏法の生命はないのである。(拍手)
 つねに再出発――チャップリン映画が描いたものは″永遠の希望″であり、″永遠の出発″である。すなわち、どこまでも生きて生きぬいていかねばならない「民衆」の味方であり、「民衆の不屈さ」の象徴であった。
 彼は心に口ずさむ。「『太陽は毎日昇る』さ! 明日になれば、空も晴れるよ!」。
 楽観主義者の強さ、たくましさ。チャップリンの作品全体には、そうした芯が一本、とおっている。
23  「明日は晴れる!」と楽観主義で
 フランスの作家アンドレ・モロアは述べている。
 「たび重なる失敗や不幸があっても、『人生に対する信頼』を最後まで持ち続ける楽天家。たいていの場合、そうした人は、よい母親の手で育てられた人である」と。
 ″楽天家は、よき母が育てる″――。チャップリンは、家庭的には人一倍、不幸を味わった。しかし、胸には、苦労に苦労を重ねた母親の姿が生きていた。その愛情が、体の中に熱く流れていた。一生涯、彼は優しかった母親の声を忘れなかった。どんな状態になっても、彼にはかけがえのない母であった。
 ともあれ、お母さんが楽天的で、くよくよしないことだ。その朗らかさは、自分のためはもちろん、お子さんの一生をも守ることになる。ゆえに、何があっても「明日になれば、空も晴れるよ!」と、楽観主義で生きぬいていただきたい。お母さんが元気であれば、お子さまも元気である。また一家も周囲も、安心し、希望高らかに進んでいける。(拍手)
24  最後に、名作『自由をわれらに』で有名なフランスの映画監督ルネ・クレールの言葉を紹介したい。
 「わたくしたちは、チャップリンに負うところがいかに大きいかを、あまりにもしばしば忘れている。なぜ、心ゆくまで讃美するという得がたい幸福をもっと味わおうとしないのだろう」(前掲『チヤップリン』)
 どれほど多くのことを、チャップリンから教わったか。与えられたか。それをあまりにも皆、忘れている。忘恩のゆえか、その偉大さへの嫉妬ゆえか――。
 監督が言うように、本物の″偉大さ″を讃嘆できる人は幸せである。その分だけ自分も高められている。心の扉が大きく開かれ、自分の世界が広がっていく。人生への確信が強まってくる。
 人間の保守化や独裁も、こうした″讃嘆する心″″尊敬する心″の衰退から始まるのかもしれない。
25  フランスの映画批評家協会は、チャップリンに「ノーベル平和賞」を贈るよう提案(一九四八年)した。人類に″笑い″をとおして、「人間の尊厳」と「人生の勇気」をアピールし続けた彼こそ、本当の平和主義者だった。
 仏法のため、社会のために、「人間性」の波を広げつつ戦っている学会婦人部の皆さまも、いかなる世間の賞よりも、すばらしい栄誉の資格があると確信する。(拍手)
 「すべての人が恐れている人は、すべての人を恐れている」という言葉がある。独裁者は不幸である。民衆とともに歩む人こそが、最高に幸福なのである。
 設り高き「放浪紳士」のように、悠々と人間らしく、平凡にして勇敢な人間として、一切に勝利と幸福を勝ち取っていただきたい。それが「偉大な人生」であるからだ。(拍手)
 そして、どこまでも朗らかに、すばらしいご一家の歴史、人生の歴史を、この信心によって築いていただきたい。創価学会の前進とともに、築いていただきたい。これが私の心からの願いである。(拍手)
26  衛星中継会場にご参加の方々、本当にご苦労さま。北海道の皆さま、ご苦労さま。東北の皆さま、寒いなか、風邪をひかれませんように。四国、九州、沖縄、奄美大島、中部、中国、山陰、北陸、信越、関東、東海道、大関西、そして全国の皆さま、ご苦労さま。皆さまの正義は、歴史が必ず証明します。
 私は皆さま方のご健康、ご長寿、幸福、栄光、繁栄を一生懸命、祈りに祈っています。また、これからも祈ってまいります。安心してください。
 どうか、この一年もまた、苦楽を分かちあいながら、ともどもにすばらしき人生の歴史を、と申し上げ、本日のスピーチとさせていただきます。本当にありがとう! お元気で!
 (東京戸田記念講堂)

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