Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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海外、国際部代表研修 「人間尊重」が仏法の精神

1991.1.18 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

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2  さて先日、「魔女狩り」について、お話しした(=一月十六日、海外派瑾退メンバー研修会)。その内容を聞かれたアメリカのある新聞記者から、リポートが寄せられた。また、多くの方からも、もつと話を聞きたいという要望があった。そこでそのリポートもまじえつつ、「魔女狩り」の歴史的背景などについて、重ねて語っておきたい。
 「魔女狩り」は、いわゆる「異端裁判」が発展し、庶民の上にまで拡大されたものである。カトリック教会の権力が繁栄の頂点を迎えた中世末期。それは、聖職者たちが堕落のどん底に落ちた時代でもあつた。
 免罪符(これを得れば″罪″は許されると説いた)を買うよう宣伝しては、儲けた。つまり、救済も、金銭で取引されるようになつた。また聖職者の地位も売買された。経済力が教会内の高位を約束した。ますます金が必要になってきた。悪循環である。
 聖職者たちの生活も乱脈を極めた。結婚が許されていないのは表向きのことで、子どもがいたり、愛人を何人も持っていたり、買春的行為も常識になっていた。
 そうした教会の堕落ぶりに、批判と改革の動きが起きたのも当然であろう。たとえば十二世紀初め、当時、文化がもっとも進んだ地域の一つであった南フランスから、教会への批判と、信仰のあるべき姿を求める声があがる。真のキリスト教は「教会」にはなく、信徒の心のなか、交わりのなかにある、と。
 この叫びは、現在、十六世紀の「宗教改革」に先駆けた民衆運動とも評価されている。
 しかし、当時の教会は「異端」と決めつけた。自分たちの特権と安楽を揺るがすからである。教会はつねづね言っていた。民衆が″聖なる″教会や聖職者を批判することは許されない、と。
 「王侯の権力は教会に由来する。ゆえに、王侯は聖職者の下僕である」「最下位の聖職者といえども王にまさる。諸侯とその人民は、聖職者の臣下である」、堕落を指摘されても、「それがどうしたというのだ。堕落しても聖職者は聖職者だ」と開きなおった。(森島恒雄『魔女狩り』岩波新書)
 やがて教会は、世俗の権力を動かし、この十二世紀の″異端″を弾圧する「十字軍」を派遣。二十年にわたって殺戮をほしいままにする。「異端者」は全滅した。同時に、南フランスに栄えた文化もまた滅びた。
3  このときの民衆の大抗議運動は、教会に大きな衝撃を与えた。これを放置していたら、われらの地位と生活はどうなるのか――。
 それ以前にも、″聖書に矛盾する教会の教義・指導″を批判する者を「異端」として取り締まってはいた。ただ、それらは比較的ゆるやかなものであった。
 しかし、この事件をきっかけに、教会の「異端」に対する姿勢は一変し、徹底的な撲滅をめざしはじめた。こうして「宗教裁判」が生まれたのである。
 やがて十四世紀に入り、「魔女狩り」と結びつくことによって、「宗教裁判」はその最盛期を迎える。数十万とも、数百万ともいわれる犠牲者を生んだ「魔女狩り」。かつてない狂気の嵐が吹き荒れた。
 ――教会権力による弾圧は、どんどん増幅され、エスカレートしていった。″芽″は未然につみ取っておくべきであった。早いうちにその横暴を糾し、軌道を修正しておくべきであった。しかし、ブレーキをかける者はいなかった。いたとしても皆、追放された。
 民衆のなかにも「ありがたい司祭さまのいわれることに間違いはないよ。さからうなんて罰当たりな!」と、かえって「作られた異端」に一緒になって石を投げる者が多かった。自分たちを助けるために戦っている人々に対して――。
 その報いは、あまりにも残酷な結果(魔女狩り)となって、民衆自身に返ってきた。いったん、魔女狩りの体制が認められ、軌道に乗ってからでは手遅れだったのである。あとは、ひたすらエカレートしていった。
4  教会と支配階級が結託
 「魔女」――もちろん想像上の産物である。当初(一〇〇〇年ごろ)、教会は「魔女などという幻想を信じるのは異端である」と主張していた。公式の「教会典範」にも明記されていた。
 ところが五百年の後、今度は反対に、「魔女を否定する者は悪魔の手先である」と言いだした。
 その時々の自分たちの都合で、聖書の解釈は正反対になった。
 彼らは当時、魔女を″必要″としていた。どんなこじつけであっても、人々を魔女や異端に仕立て上げなければ、自分たちの権威と生活基盤が崩れていく、そんな恐怖感を持っていた。なぜか。
 魔女狩りの時期は、ちょうど宗教改革の潮流と重なる。そうした「キリストの原点に返れ」という運動は、なんとしても押しつぶす以外になかったのである。(後に新教の側にも、この魔女狩りが伝染する悲惨を招いた)
 たとえば、「聖職者たちは、キリストの使徒と同じ清貧の生活をせよ」と主張した人々(十五世紀、ボヘミアのフス派)に対し、法王側は、報復として組織的な弾圧と殺象を行った(フス戦争)。魔女狩りも、こうした改革の波を抑圧するために、教会が生みだし、それに社会の支配階級が結託して完成した″人間狩り″システムであった。
5  「財産目当て」も、もちろん重要な目的であった。
 魔女とされた人々の財産は、すべて没収された。火あぶりの経費から、火あぶり後の裁判官たちの宴会費まで、犠牲者の家族に負担させた。
 とともに、見のがしてならないことが、もう一つある。それは、この殺人システムが、教会など支配階級内部の勢力争いや矛盾から、人々の目をそらす働きをしたということである。何か不都合があると、何でも「魔女や悪魔のしわざ」にされた。
 ――税金が高いって! それは魔女のせいですよ。仕事をなくした! それは悪魔の力ですよ。司祭たちの堕落の現場を見た! それは魔女たちが、あなたに幻想を見せたのですよ。今度の司祭はどうして前任の司祭と言うことが違うのかって! そんなことを考えるなんて、悪魔があなたの耳にささやいたのですよ……。
 当時の素朴な民衆は、これらの詭弁を信じこまされた。そして教会など支配階級に向けられるべき抗議のエネルギーは、あろうことか、民衆同士のなかで消費されてしまった。たがいがたがいの隣人を疑い、憎み合い、密告しあうようにし向けられたのである。(密告者には報償金が出たし、個人的に気に入らない人がいれば、密告しただけで、その人を抹殺できるわけである)
 ここに、聖書の解釈を曲げてまで、教会が魔女狩りを推進しなければならない根本的な理由があった。正義の人々を追放しただけではない。自分たちの悪をも、その人々のせいにできる。民衆の疑問も封殺できるからである。そのうえ、金は無限に入ってくる。魔女狩りで″名を上げ″れば、聖職者としての地位も上がる。まさに悪魔的な知恵であった。
6  魔女狩りの具体的方法や拷問については、語るにしのびない。あまりにも残酷である。裁判ひとつとっても、もちろん完全に一方的なもので、″被告″への質問も答えようのないものばかりであった。
 「お前は魔法使いになって何年になるか」「その動機は」「あがめている悪魔の名前は」「どうして魔法によって教会と世間に害を与えたのか」「共犯者はだれか」
 当然、だれも身に覚えのないことばかりである。しかも、こうした答えられるはずのない空想上の質問をこしらえ、それに答えないと、「答えないのは魔女の証拠だ」と決めつけ、「裁判官を愚弄するのか」と怒って、″自白″するまで拷問するのである。
 皆、早く死んだほうがずっと楽だと思って、でたらめを″自白″し、「自白したのだから証拠は十分」ということで火あぶりになった。うなずいただけで、もう「証拠は十分」なのである。――悲しいことである。恐ろしいことである。ゆえに、すべてを見破る英知が必要になる。
7  仏教史にはない異端狩り
 魔女・悪魔狩りをする人間が、いわば、いちばん悪魔に似ていた。当時の裁判記録には、そうした事情が克明に記されている。
 パスカルは言っている。
 「人間は、天使でも、けだものでもない。不幸なことは、天使を気取ろうとする者が、けだものになり下がってしまうことだ」(『パンセ』田辺保訳、角川文庫)
 みな、同じ「人間」である。尊厳なる「人間」である。それ以上でも、以下でもない。しかし宗教上の独善的なエリート意識は、この当たり前の道理をも見えなくしてしまう。
 キリスト教の聖職者は、自分たちを「神」と「民衆」との中間に立つ者として、民衆、平凡な人間よりも上位にあると錯覚してしまった。これは、ある意味で、一神教の教義そのものが持つ危険性に由来すると、よく言われる。
 これに対し、仏法は一切衆生に仏性、仏界を認める。悪とは断固、戦うことは当然として、不軽菩薩のごとく、人々の仏性を礼拝しゆくのが、仏教の根本精神である。ゆえに、仏教史上、こうした魔女狩り、異端狩りのような歴史はなかった。
 かえって、法華経をはじめとする大乗仏教も、はじめ異端視されたが、釈尊本来の精神を豊かに再生させ、仏教を活性化したものとして、その後の主流になっていった。この点を重視して「仏教の歴史は異端の歴史である」とまで主張する仏教学者もおられる。(『増谷文雄著作集』7、角川書店)
 魔女狩りがない点だけでも、私どもは仏教徒であってよかった(笑い)。仮にも、それに通じるような行為、宗教的権威による庶民狩り、信徒狩りがあったならば、それはもはや仏法ではない。外道である。仏法破壊であり、当然、大謗法である。
 無力な信徒を、問答無用に処分するような考え方や行為は、絶対に仏教ではない。いわんや日蓮大聖人の仏法の世界では、大慈大悲の御本仏への反逆となろう。
 仏法はどこまでも「人間尊重」であり、磨かれた「人格」によってこそ、社会の人々に「法」の偉大さも伝えていくことができるのである。
8  アメリカの魔女狩りを終わらせた一市民の叫び
 さて、ここに「宗教裁判」を終わらせた一人の無名の勇者がいる。
 残酷きわまりない「魔女裁判」は、十七世紀末の″新大陸″アメリカ(当時のニュー・イングランド=イギリスの植民地)でも行われた。いわゆる「セーレムの魔女裁判」である。
 今から三百年前の一六九二年。ボストン郊外のセーレムを中心にして吹き荒れた「魔女狩り」の狂気は、短期間のうちに百五十人から二百人もの″容疑者″を生みだしていった。
 十代の可憐な乙女らが、「魔女である」と決めつけられ、さらに年配者や男性も多く囚われた。ヨーロッパと同じように、ここセーレムでも恐ろしい拷問によって″偽りの自白″がつくられていった。
 このうち、約二十人が絞首刑で処刑。拷問の過程で命を落とす者もいた。多くの、未来ある人々の生命が奪われた。かろうじて助かった人も、″身体の傷″のみならず、癒しがたい″心の傷″を負わされたのである。
9  しかし、この魔女裁判に対し、一人の壮年が勇気ある″抗議の声″をあげた。その勇者はボストンの一市民、ロバート・カレフ。彼は織物商人であった。
 カレフは、魔女裁判に対する「抗議文」を書き、魔女狩りを支持する有力者に送る。しかし、返ってきたのは居丈高な反論であった。
 なかでもロンドン王立学会会員のコトン・メーザーという人物は、立場にものを言わせて、この一庶民の抗議を封じこめるため、『目に見えぬ世界の驚異』という本を出版した。魔女狩りを正当化する内容である。
 しかし、カレフは屈しない。彼は、メーザーの本に真っ向から抗議する本を出版する。そのタイトルは『目に見えぬ世界のさらなる驚異』。抑圧への痛烈な風刺である。いつの時代も、庶民の知恵は権力者のさらに上手をいくものだ。
 ところが、こともあろうに権威者たちは、この庶民を名誉毀損で訴える。″狂信の人間″は、手がつけられない。
 しかし、この度重なる攻撃に対しても、正義に立つカレフは一歩も退かなかった。彼は″事実″にもとづき、魔女裁判がいかに″不条理″であるかを、正々堂々と論証した。
 彼は、ある手紙の中で訴えている。
 「もし私の主張が誤っているなら、その誤りを、聖書から、または裏付けのある論理に基づいてお示しくださるようお願いいたします」
 ――いわば″文証″と″理証″を要求したのである。
 彼は、古代ローマの詩人の引用や、スペインのレトリック(巧みな表現の技法)を使っただけの、中身のない″論拠なき攻撃″には惑わされなかった。文献のうえから、また理性のうえから、納得がいくよう説明してほしい。それがなければ、どのように言葉巧みに言われても、決してごまかされない、と。
10  この一人の庶民の率直な″心の叫び″は、やがて世論のうねりを起こし、時流を変えていった。
 これまで偽りの自白を強いられていた人々も、勇気をもって″真実″を語り始めた。これは、それまでの陰惨な魔女裁判の歴史にはなかったことである。
 ついに一六九三年五月、獄中にあった人々は全員釈放される。
 さらに三年後の一六九六年一月には、セーレムの魔女裁判に立ち会った十二人の陪審員が連名で、自分たちの行った裁判の誤りを認めた。
 いわく「われわれが不当にも傷つけたすべての人々に赦しを乞い、二度とこのような誤りを繰り返さないことを、全世界に向って言明する」(前掲『魔女狩り』)と。
 一人の庶民の″正義の叫び″はついに勝った。勇気ある、そして粘り強い叫びが、人間の中にひそむ恐ろしい″狂気″を押しとどめた。「人間性の復興」へと時流をも動かした。
 もちろん、彼の成功は中世的な魔女迷信の力が衰えていたという時代背景にもよっている。それはそれとして、このセーレムに「近代の夜明け」をもたらしたのが、一個の無名戦士であったという歴史は不滅の輝きを放っている。
 新しい歴史、新しい時代を開くのは有名の人でも高位の人でもない。地から涌き出るごとき民衆の″心からの叫び″なのである。
11  民衆の勝利の歴史を後世に
 きょうも最後に、御書を拝したい。
 「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ
 ――苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経と唱えていかれることです。これこそ自受法楽(法による楽しみを自ら受けること)ではないですか。ますます強盛な信力を出しておいきなさい――と、大聖人は四条金吾に仰せである。
 これは建治二年(一二七六年)、金吾が同僚にも憎まれ、主君・江間氏からも冷遇されていたころのお便りである。短い一文であるが、ある意味で、私どもにとっての信心の精髄を教えられた御文と拝される。
 何があろうとも、私どもは御書に従い、善意に従い、悪意に満ちみちた行為をすべて見おろしながら、妙法の「歓喜の中の大歓喜」を楽しんでいける。その「強盛の信力」の境涯にこそ、幸福の実体がある。
 何もないことが現世安穏なのではない。最後まで悠々と現実に挑戦しきっていける不動の境涯――そのなかに現世安穏はある。
 他人や環境に支配されて、幸、不幸を感じる生き方には、真実の幸福はない。強き一念をこめ、朗々と唱題しつつ、洋々たる心境で、すべてを功徳と勝利の方向へ、広宣流布の方向へと導いていける勇士であっていただきたい。
 私どもは皆、広布の同志である。ゆえに何があっても仲良く、「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経」の信心で進みたい。この団結の前進にこそ「世界広宣流布」を教えられた御本仏の御精神にかなった姿があると信ずる。
 本年が、皆さまにとって、永遠の歴史をつづりゆく意義ある年となることを願って、本日の研修としたい。
 (東京。新宿区内)

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