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日蓮大聖人・池田大作

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第一回関東記念総会・第三回全国女子部幹… 正義の道を歩めそれが人生の宝

1991.1.15 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

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1  戦争の回避へ緊急アピール
 第一回の関東記念総会、おめでとう(拍手)。遠いところ、本当にご苦労さまです。また、全国の第二回女子部幹部会の開催も、心から祝福したい。(拍手)
 さらに本日は、結成記念日を迎えた「中等部」、今春に創価大学、創価女子短期大学を卒業予定の青年部メンバー、第十七回総会に集った「プラトン十年会」、東京各区ならびに海外八カ国の代表の方々も参加されている。
 なお新宿区では、本日の「新宿の日」記念幹部会、「新宿1・15グループ」「新宿成人会」の総会が行われている。私自身も″新宿の一員″として(笑い、拍手)、お祝いを申し上げたい。
2  さる二日、ヨーロッパの著名な思想家から、緊急の手紙が寄せられた。
 そこには「中東湾岸の危機に対し、傑出した思想家による平和のアピールを行いたい。真っ先に池田先生の名が浮かびました。ぜひ、先生にお願いします」と。
 私は即座に応じ、毎日のように連絡を取り合い、準備を進めた。
 このアピールは、何かの利益を追求するものではない。政治的動機からでもない。ただ「生命の尊厳」を理念とする仏法者として、また平和主義者として、私は私の立場で、「平和」のためにできうるかぎりの手を打ちたい。それゆえの行動である。
 ご存じのように、武力衝突への期限がいよいよ切迫するなか、さまざまな外交努力も今までのところ、不調に終わっている。イラクのフセイン大統領と直接交渉にあたったデクエヤル国連事務総長も、事態の成り行きは「神のみが知る」と語っているとおりである。
 もとより、アピールの結果がどうなるかはわからないが、私は「何としても、戦争を食い止め、湾岸危機を打開したい」とのやむにやまれぬ心情から、世界の賢人たちとともに、フセイン大統領あてに「平和」を訴える緊急アピールを送った。(拍手)
 このアピールの共同提案者は、ソ連の作家でイシククリ・フォーラム代表者のチンギス・アイトマートフ氏、イギリスの物理学者で作家のバーナード・ベンソン氏、ローマクラブ会長のリカルド・ディエフ=ホフライトネル氏、ユネスコ事務局長のフェデリコ・マヨール氏、そして私の五人から始まったものである。(=その後、アフリカのノーベル賞作家ウォレ・ショインカ氏が加わっている)
3  広布の幾山河も愉快に朗らかに
 話は変わるが、終戦まもない昭和二十一年(一九四六年)の秋九月。美しい関東の山河に、戸田先生は″広布の拡大″の第一歩を刻まれた。戦後最初の地方指導、地方折伏を、戸田先生は、皆さま方の「関東」の地から始められたのである。(拍手)
 日本国内はいまだ混乱期のさなかにあった。食糧も物資も不足し、生活は貧しく、苦しい。しかも戸田先生自身、不当な投獄生活による衰弱から、本来ならば静養を必要とするお体であった。
 そのなかを、戸田先生は敢然と「広宣流布」に立たれた。また学会草創の同志も、地涌の使命に立って、折伏、弘法に、仏道修行にと邁進していった。
 ――もとより、自分の人生は自分で決めるものである。広布のための苦労とは無縁に、ただ、おもしろ、おかしく暮らしていくこともできるであろう。何を好んで、非難、中傷をあびながら、一生懸命に献身する必要があるのか、と思うときもあるかもしれない。現代は、″遊び″が氾濫し、若い世代に苦労を避ける傾向が強いことも事実である。
 しかし、一生は長い。また、生命は今世だけではない。いかにすれば、この世で真実の「幸福」を築くことができるのか。また、わが生命が、確固たる法理にのっとり、悠々と永遠の時を生きることができるのか――。
 ここに「仏法」の大切さがある。「信心」こそ、かけがえのない人生を、最高の「幸福道」へと開くカギである。これは日蓮大聖人のお約束であり、絶対にウソ偽りはない。(拍手)
 本日も、この会場をはじめ、全国で幾十万の若き女子部の皆さまが、喜々として集い、信心の歴史をつくっている。これほどのすばらしき″歓喜のスクラム″″幸福の行進″はない。
4  このときの地方指導の道すがら、戸田先生は約十キロの山道を、ユーモアを飛ばしながら、愉快に、また愉快に歩まれた。栃本と群馬の両県で、戸田先生の一行七人は座談会、講演会を開催し、この折の入会者は数人。新たに掌握できた会員も十人ほどであった。
 戸田先生は、貧しき弟子たちをいたわり、励まし、勇気づけながら、″拡大″への道なき道を開いていかれた。やがていたる広布の幾山河を展望しつつ――。
 以来、本年で四十五年。戸田先生ゆかりの巣鴨(=戸田第二代会長が投獄された東京拘置所があつた)の地で、このように晴れやかな関東総会が開催された。この新装なった東京戸田記念講堂を「正義」「勝利」の満開の息吹で飾ってくださった。
 本日のこの姿を、戸田先生がいちばん喜んでおられると思えてならない。(拍手)
5  戸田先生は、私たちのために、次の歌を詠んでくださった。
  妙法の
    広布の旅は
      遠けれど
    共に励まし
      共々に征かなむ
 この歌は、日淳上人がみずからご染筆くださり、総本山の大講堂の南の庭園に歌碑として残してくださった。それほど、日淳上人は、戸田先生のこの和歌に深い意義をみておられた。
 ともあれ、私どもは、この歌にあるように、たがいに励まし、守り支えあいながら、愉快に、また朗らかに広布の旅を進めていきたい。
 また、あるとき、地方から東京に帰るさい、戸田先生と二人で、長時間、タクシーに乗った。先生の足が弱くなられはじめていたからである。
 これは『随筆人間革命』にも記したことだが、車中、先生はこう言われた。
 「大作、学会はどこにも味方がない。しかし、広宣流布をしなければ日蓮大聖人は歎かれる。広布の道とは、瞼しい山を毎日歩むようなものだ。未聞の偉業だもの。いや増して、想像もつかぬ留難も多くなるだろう。幾度となく、その難を乗り越えなければ広布はできないのだ。悲しいとき、悔しいときもかならずあるだろう。しかし、この試練を経なければ本格派の革命児にはなれないし、この信念の闘争がなければ、広布はできないのだよ。頑張れるか―!」と。
 私には御本尊への誓いがある。戸田先生のこの励ましの言葉がある。ゆえに、きょうも、またあすも、大聖人の御遺命である「広宣流布」に、邁進するのみである。(拍手)
6  ″困難も冒険″としたアンネの勇気
 「この日光、この雲のない青空があり、生きてこれをながめている間、わたしは不幸ではない、と心の中で思いました」(アンネ・フランク『アンネの日記』皆藤幸蔵訳、文藝春秋)――。
 これは、有名な『アンネの日記』の一節である。女子部の皆さまのために、彼女について少々、語っておきたい。
 悲劇の少女アンネ。ユダヤ人の彼女はナチスの追及を逃れ、隠れ家の厚いカーテンに息をひそめながら日々を送っていた。外にも出られない。いつ敵が襲いくるかもしれない緊張と恐怖。文字どおり、不幸のどん底である。
 しかし、彼女の胸は晴れていた。心が押しつぶされそうな境遇のなかでも、未来への希望を失わない。正義を、真実をつづり残したい――そんな願いからだったのだろうか、新聞記者を夢見る。また、童話を書いてもいた。
 どんな状況にあっても、希望を手放さない。その人こそ、真の「強き人」である。不幸そのもののように思える境遇のなかからも、幸福を生みだしていける人である。
 おしゃまで、おしゃべりだったアンネ。その太陽のように明るい笑顔が、周囲の人々をも、どれほど勇気づけたことだろうか。
 ――境遇をいくら嘆いても、問題は解決しない。かえって自分が惨めになるだけである。幸、不幸を決めるのは、環境ではない。あくまでも自分自身である。自分自身の勇気である。
 先日(=一月六日、第三十七回本部幹部会)もお話しした喜劇王チャップリンのごとく、つねに朗らかに、頭を上げて生きる人生であっていただきたい。アンネのように、不幸のただ中にも微笑みを忘れず、強く生きぬく青春であっていただきたい。その人は幸福である。青春の勝者である。
 まして御書には「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せである。広宣流布に生きる私たちこそ、もっとも大きな歓喜を胸に、人生を闊達に歩むことができる。そして、困難と戦えば戦うほど、わが生命には、すばらしき歓喜が躍動してくるのである。(拍手)
7  アンネは当時の生活について、「わたしは若く、健康で、大きな冒険の中に暮らしています」(前掲書)とも記している。
 恐怖に息がつまりそうな状況さえ「冒険」と呼ぶ、意志の強さ。大胆さ、魂の気高さ。彼女は、最後まで自分の理想を捨てなかった。人間が「善」なる存在であることを信じ続けた。
 そして、″私は決して悪に負けない。屈しない″との彼女の叫びは、今なお、世界中の人々の胸に生きている。ナテスは彼女の命を奪った。しかし、その魂の言葉まで奪い取ることはできなかった。
 アメリカのエリノア・ルーズベルト夫人(フランクリン・ルーズベルト第二十二代大統領夫人)は、二年以上にわたる隠れ家生活でアンネが遂げた人間的成長をたたえながら、こう述べている。
 「アンネの日記は、人間の精神は終局において崇高な輝きを見せるものだということをはっきりさせている。この人たちは、毎日恐ろしい屈辱的な生活をしながらも、決してあきらめなかった」(前掲『アンネの日記』序)と。
 厳しい状況のなかでこそ、人間は打ち鍛えられるものだ。平々凡々と、「鍛え」も「向上」もなく生きていて、人生の険しき山坂を登れるはずもない。高き峰を登るには、それだけの困難がともなう。当然の道理である。
 この峰から、より高きあの峰へ。困難を踏み越え、一つ一つ、登攀していくことだ。峰を越えゆくほどに、視界は広がり、人生の味わいは深まりゆくのである。
 ともあれ、圧迫に耐え、青春の炎を燃やした一人の少女。その生命の軌跡は、永遠に朽ちない。
 思えば、わが女子部の伝統もまた、皆さま方の先輩が、信・行・学の実践に、青春を悔いなく燃焼するなかで築かれてきた。――そうした方々の勝利の姿を、私はつぶさに見てきた。だれよりも、よく知っているつもりである。
 青春の鍛えは、いわば幸福の種子である。人生という土壌のうえで、やがてすべてが、大きく花開いていく。
 ゆえに、信心だけは、「強盛な信心」を貫いていただきたい。そして、本年もまた、いちだんと希望にあふれ、いちだんと明るく朗らかに、青春の今を生ききっていただきたい。(拍手)
 ところで、先日、九州のある会員の方からお手紙をいただいた。内容は、かつて私が第一回九州青年部総会(昭和四十八年三月二十一日)で行った講演についてであった。何でも、「あのときの話が忘れられない」(笑い)とのことで、当時の講演を書き留めて送ってくださった。そこで、その方の真心にお応えする意味からも、ここで少々、その内容を紹介させていただきたい。(拍手)
8  「正信」で常識豊かな人生を
 総会の折、私は「正信」――正しい信仰ということについてお話しした。
 「信心にせよ、信念にせよ、正しさというものが絶対要件である。反対になってしまえば、邪信か狂信でありましょう。信じた対象すなわち法や本尊が誤っていれば、邪信になってしまいます。しかし、これは私たちには無縁といってよい。私たちの受持する御本尊は絶対である。したがって、私たちの場合は正信か狂信かという問題しか起こりません」と。
 そして、「この狂信というのは、正法を信じても、起こりうるので困ります。だれが困るのかというと、結局、自分が困り、そのうえ人々を困らせてしまう」と述べた。
 ――狂信は″自分がいちばん正しく、だれの言うことも聞く必要がない″と思う増上慢から始まるような気がしてならない。また、日蓮大聖人の御指南を勝手気ままに解釈し、我見、偏見で、同志やあらゆる人々を非難し、いじめる人がいたら、その人は狂信の始まりであると考えられる。
 そういう人ほど、要領がよく、理屈がうまいものである。信心即生活、一切法皆是仏法であるがゆえに、常識を逸脱して、人々に迷惑をかけることも狂信の第一歩となるであろう――。私はこのように指摘した。
 さらに、理想と現実との落差というものを冷静にみていくことのできない人の信心は、はた迷惑ということになってしまうと述べ、「われわれはそうではなくて、よきにつけあしきにつけ、なにがあっても、それを受け止めた自分自身が自分自身のために、一定の条件下で大聖人の仰せどおり、みずからの行動、修行を正しく貫いていくことが『正信』であると考えたい」と語った。(拍手)
9  正法を信じている人には、「邪信」はないが、「狂信」は起こりうる。
 「正信」か「狂信」か――その分かれ目は、人としての″振る舞い″のなかに現れるといってよい。社会性に反する行動や、非常識な言動で人々に迷惑をかけることは、「正信」の人の姿ではない。「狂信」に通じていくと考えられる。
 また、「十四誹謗」の中に、「軽善」「憎善」「嫉善」「恨善」がある。正法を正しく競つ人を軽蔑し、憎み、あるいは嫉んだり、恨んだりする罪である。これらは、たとえ正法を持つ者であっても「狂信」に通ずるといえよう。
 よく″提婆達多は男性の嫉妬″″鬼子母神は女性の嫉妬″といわれる。男性にとっても、女性にとっても、嫉妬はじつに反価値的な、人の生命を傷つける心である。まさに「地獄」の境涯に通じていく生命である。
 もちろん、十界互具、一念三千であるがゆえに、こうした醜い生命は、だれ人の内にも備わっている。だからこそ、その現実を鋭く見すえたうえで、自他ともの幸せを祈り、「仏」の境界へと自身の生命を高めていく。そのための「仏道修行」なのである。
 どのような怨嫉や誹謗があろうとも、決して動揺する必要はないし、また惑わされてもならない。私どもは、どこまでも「正しい信心」で、「正しい生活」「正しい人生」を勝ち取っていきたい。(拍手)
10  無二の「信心」に御本尊の功力
 日蓮大聖人は「当体義抄」に「本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」――本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮の弟子檀那等の中のことである――と仰せである。
 日寛上人は、「当体義抄文段」で、この御文を釈され、次のように述べられている。(文段集六七七㌻)
 まず「本門寿量の当体蓮華の仏」(本門寿量品文底の妙法蓮華経仏)とは、「本有無作の当体の蓮華仏」(本来ありのままの、妙法蓮華経の当体としての仏=御本仏日蓮大聖人)のことであるとされている。
 そのうえで、「本有無作の当体蓮華仏とは、本門の本尊の御事なり。我等、妙法信受の力用に依って本門の本尊、本有無作の当体蓮華仏と顕るるなり」――本有無作の当体蓮華仏とは、本門の本尊の御事である。われらは、妙法信受の力用によって、本門の本尊、本有無作の当体蓮華仏と顕れるのである――と。
 妙法の御本尊を信受する功力によって、凡夫である私どもが、もったいなくも御本仏の御生命を、そのままわが身に顕現していけると記されている。(拍手)
 日蓮大聖人の御本尊は「観心の本尊」であられる。「観心」とは「我が己心を観じて十法界を見る」義である。この御文について、日寛上人は「『我が己心を観ず』とは、即ち本尊を信ずる義なり」(文段集四七一㌻)と釈されている。無二の「信心」によってこそ、「観心の本尊」の無限の功力を身に受けることができるのである。
 一閻浮提総与の大御本尊こそ、言うまでもなく日蓮大聖人の出世の御本懐であられ、その功力は絶対である。私どもは、どこまでも大御本尊を根本として、信心に励み、広宣流布と一生成仏の直道を歩んでいきたい。ここにこそ、永遠に変わらざる「正信」の道があると、申し上げておきたい。(拍手)
 また「日蓮が弟子檀那等の中の事なり」の御文について、日寛上人は、「中」の一字に着目されている。ここでは、他の学者の「『此の″中″の字、アタルとよむなり。大聖の御本意、正信にアタル意なり』」との説を示されたうえで、ご自身の釈を述べられている。
 「今『中』というは、正に外に望みて中というなり。文意に云く、本門寿量の当体蓮華仏とはこれ不信謗法の人の事には非ず、但これ日蓮が弟子檀那等の中の事なり云云」(文段集六七七㌻)
 ――今、「中」というのは、まさに「外」に相対して「中」というのである。文意を拝すれば、「本門寿量の当体蓮華仏とは、不信謗法の人のことではなく、ただ日蓮が弟子檀那等の中の事である」云々と――。
 すなわち、大聖人の弟子檀那、大聖人の一門の正信の人こそ、当体蓮華の仏である。このことを「不信謗法の人」と対比して、強くお示しくださっているのである。
 私どもは、大聖人、そして日寛上人の教えのままに「正信」を貫き、″幸の城″″福運の園″をどこまでも広げていきたい。(拍手)
11  すべてを一生成仏の糧として
 また、大聖人は、在家の門下である北条弥源太へ、次のような御文を送られている。この御文は、御流罪の佐渡の地から与えられたお手紙とされている。
 「石は玉をふくむ故にくだかれ・鹿は皮肉の故に・殺され・魚はあぢはひある故に・とらる・すいは羽ある故にやぶらる・女人は・みめかたちよければ必ずねたまる・此の意なるべきか
 ――石は、その中に玉を含むゆえに砕かれる。鹿は、皮や肉のゆえに殺される。魚はおいしいゆえに捕らえられる。翡翠かわせみは美しい羽があるゆえに殺される。また女人は容姿が美しければ、必ず妬まれる。難にあうことは、これらと同じ意であろうか――。
 「日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あつて種種の大難にあへりしかるにかかる者の弟子檀那とならせ給う事不思議なり定めて子細候らん相構えて能能御信心候て霊山浄土へまいり給へ
 ――日蓮は法華経の行者であるがゆえに、三類の強敵があって、種々の大難にあったのである。しかるに、このような者(法華経の行者である日蓮大聖人)の弟子檀那となられたことは、不思議なことである。きっと子細(深い意味)があるのであろう。よくよく信心を強盛にして霊山浄土にまいってください――と。
 正しい法を、正しく信じ、正しく行じているがゆえに、難が競い起こってくる。この道理を、大聖人はお示しくださっているわけである。
 言い換えれば、難が起こることは、根本としている法が正しく、信・行・学の実践が正しいことを意味している。
12  私をはじめ創価学会は、数々の難を受けてきた。この半世紀、これほど難を受けた団体はない。これはとりもなおさず、私どもの広宣流布の活動が、いかに正しかったかの証左である。(拍手)
 宝石を内蔵している石は砕かれる。肉のおいしい動物は殺され、食べられてしまう。美人は妬まれる。財産があるがゆえに悪人に狙われる。つまり、信心が正しく、強盛であるからこそ難がある。その意味で、難は信仰者の誉れであり、勲章なのである。(拍手)
 また難は、一生成仏への飛躍台である。人生にあっても、何の苦労もなく、平々凡々と生きていては、成長の高山に登ることはできない。偉大な仕事もできない。偉大な人生も築けない。
 難に耐え、戦っていってこそ、一生成仏の大道を歩み、幸福の人生を開いていくことができる。
 数々の大難を受けられた御本仏日蓮大聖人の門下として連なった私どもである。その縁に、どれほど深い意味があることか。強盛な信心を貫いていけば、成仏は絶対に間違いないのである。
 それを思えば、今日の少々の難など、雨が広く全体に降るようなものである。草木も雨が降れば喜び、生長する。私どもも、すべてを一生成仏への糧とし、幸福境涯への追い風としていけばよいのである。
13  古代エジプトの輝く「知恵の宝」
 さて、エジプトのピラミッドには、「ピラミッド・テキスト」と呼ばれるものがある。これは、今から五千年前、ピラミッドの中に刻まれた人類最古の文学といわれるもので、そこには、エジプト文明の「知恵の宝」が記されている。
 ピラミッドの歴史は、盗掘との戦いの歴史でもあった。数千年の間に、財宝はあらかた盗まれてしまった。しかし、どんな泥棒も、この「知恵の宝」は盗めなかった。
 そうした古代エジプトの「知恵の宝」のなかには、数千年後の現代にあっても、色あせるどころか、ますます輝きを放つ数多くの言葉が残されている。
 たとえば、次のようなものがある。(モハメド・アブデル=カデル・ハテム『太陽に一番近い国』若居亘訳、潮出版社)
 「言葉と会話の芸術家になれ、人間の力は舌にある。言葉は戦いよりも強力である」
 また「汝富裕ゆたかになったら、息子の行動から目を離すな」「富が出来ても得意になるな」「強欲に留意しなさい。それがひとの心に入り込むとき、ひとは進歩できなくなる」と。――いつの時代も、富に心を奪われる人間の弱さがあるものだ。
 「汝指導者となったら、訴えるものの言葉に耳を傾けなさい」
 「民を奴隷にするために大臣に任命されるのではない」――指導者のあるべき姿を鋭くついた警句である。
 さらに「民は正義を期待する」「私は正義の道を歩んだ」――正義の道を歩むこと、そこに不滅の光を放つ人生の宝がある。
 また「生ある限り、汝の顔に喜びをたたえなさい」と。
 ―!″正義は楽し″である。笑顔で朗らかに正義の道を生きぬいていきたい、朗らかさを失ったり、悲壮になっては、悪を喜ばせるだけである。
14  エジプトには、次のような物語も残っている。人類最古の物語の一つで、「雄弁な農夫」という話である。(前掲書)
 一人の農夫が、二頭のロバに小麦を積んで売りに出かけた。
 ある王子の領内に入ったとき、突然、王子は家来に命じて、ロバと小麦を取り上げてしまった。農夫は抗議したが、拒否され、殴りつけられる。
 農夫は諦めない。そこで王の家老に訴えた。けれども家老の取り巻きたちは″農夫が王子の領内を通ったのだから、小麦は全部、通行税だ″と理不尽な主張をした。悪い側近が人の判断を狂わせていく。歴史にその実例は事欠かない。
 農夫は怯まない。怯む必要がなかった。彼は正しかったからだ。
 怯まぬ「勇気」が人間を人間にする。昨年十月に会談したネルソン・マンデラ氏(南アフリカの人種隔離政策に反対し、二十八年間、獄中闘争を続ける)は、黒人の人権のためには、死をも辞さぬ気迫で生きぬいておられた。
 また、十一月にお会いしたブルガリアのジェレフ大統領も「″つねに自分の信念に忠実であること″を大事にしている」と語られていた。戸田先生が身をもって教えてくださったのも、不敵なまでの大闘争心であった。(拍手)
 農夫は、悪い取り巻きがいないすきに家老に直訴した。
 「強慾とは縁のない奉行さま」「公正をお守り下さい。それはあなたが賞讃されるのです」と。
 家老は王に取り次いだ。そこで農夫はもう一度、公式に訴えた。
 「あなたは弱者の保護者、強盗の敵。私を守って下さい」「公正の節目をつけて下さい」「正義はえこひいき致しません」と。
 しかし何日たっても、小麦は返ってこない。農夫は自分の権利を主張してやまない。最後まで主張した。いわば″学会精神″をもっていた。(爆笑、拍手)
 王子の手下に殴られたりした。脅されもしたろう。権力をちらつかせて、恐れ入らそうともされたであろう。それでも怯まず、抗議を続けた。
 五回目の抗議のさい、家老に向かって言った。
 「あなたは、悪行に対して気を配り、悪者を処断し、強盗に立ち向かうのが役目だ。あなたは威張っているが、それでも民は慕っている」「偉人中の偉人よ、腐敗した輩を皆やっつけて下さい」「嵐の後、輝く青空のようになって下さい」と。
 皆が、その地位を信用しているのをいいことに、ただ安住して、威張っているだけ。「正義」を明らかにしなければならない肝心なときに、手をこまねいて保身を図る。それでは、いつまでたっても、「青空」を仰げない。わが学会の壮年部の皆さまには、こういう人は決していないと、私は信じている。(拍手)
 また、農夫は家老の取り巻きにも言った。
 「汝らの心は強慾でいっぱいだ。地位を守るためには恥も外聞もない」
15  農夫は悲しかった。怒っていた。指導者がこうであっては、われわれ民衆は永遠に不幸だ。戦わねばならない。自分のためではない。正義のためだ。正義という太陽がなくなれば、この世は真っ暗だ――と。
 「いくら盗んでも、それは何の役にも立たないぞ」「ひとはこの世から消え去っても、名前はいつまでも残るのだ」
 「こんなことを喋らせて、礼をいってほしいほどだ。なぜなら、こんなことはラー神(=正義の神)しか語らないからだ」(正義に背いて地獄に堕ちるところを救っているのだから、じつは守ってあげているのだ。弾圧するどころか、むしろ、礼を言ってもらって当然だ)
 「語れ、真実を語り、公正に行動せよ」と。
 それでも農夫の持ち物を返さないので、彼はさらに警告した。
 本当にしつこい(爆笑)。しかし、これが本当の「人間」である。″長いものに巻かれ″、ただおとなしく飼いならされてしまっては、魂を抜かれた人形のようなものである。学会でいえば、徹底した破折の精神をなくしては、「歌を忘れたカナリア」であろう。(笑い)
 彼は言う。「航海中、船上で民を欺くものは陸に着くことはない(途中で水にほうりこまれてしまう)」「正義に耳を傾けないものに友はない。欲ばりに幸せはない」と。
 だれも彼を黙らせることはできなかった。何度でも言い続けた。追撃の手をゆるめなかった。「抗議の申し立てなどするな」。あきらめて分相応に従順にしていろ、と言われようと、頭を上げて、くってかかった。
 「お前は私の金を盗み、私を打ちこらした。そのうえ私に抗議させまいとするのか」
 彼は本当は争いたくなかった。けんかもしたくなかった。しかし、けんかをしかけたのは、王子のほうである。不正を前に、言うべきことを言わなければ、人間としての道をはずれる。ロバと小麦の問題ではないのだ。ここで引き下がっては、多くの弱者がみんな不幸になる。
 勇気がある自分は抵抗できる。しかし、それすらもできない者たちは、どうなるのか。いいように料理されてしまうだろう。自分が、ここで勝利の歴史を示すことは、民の勝利なのだ。正義の夜明けなのだ。
 ――私は思う。王子の権力をも恐れず主張しきった、この農夫こそは、男として、人間としての「王」であった、と。(拍手)
 彼は叫ぶ。
 「不正に抵抗するのは果たして罪なのか。見るがいい。貴方(=権力者)は強くて(=権力を持ち)、勇気がある。しかし盗人だ。民を護りその楯となるべきだ」
 「嘘をつくな」
 「悪の本を植えるものは悪の実をかりとるのだ。正義は不滅だ。正義だけが人間があの世に行くとき、いっしょにやつてくるのだ。徳はこの世で人間を不滅にしてくれる」と。
 彼は、仏法を知らなかつた。けれども、その厳しき因果の理法の一分を、おのずから主張している。
16  ″なんて、うるさい男だろう!″――支配者は耳を覆った(爆笑)。しかも理は農夫にある。その点を突かれると一言もない。すり替えが通用する相手でもない。皆、言葉に詰まってしまった。まさに「人間の力は舌にある」(先述のエジプトの言葉)の証明者であった。
 こうして、言って言いまくった結果、ついに家老は王から罰せられ、彼は王子から自分の持ち物を取り戻した。
 今風にいえば、「人権闘争勝ちたり!」というところである。農夫は悠々と、小麦を積んだロバと一緒に帰っていった。(爆笑、拍手)
17  「言葉の力」こそ「民衆の力」
 「雄弁な農夫」の話は、時代から時代へ伝えられ、昔も今もエジプトの学校の教材になっているという。
 「最後は正義が勝つ」――これが農夫の信念であった。そして彼を模範として、エジプト人の伝統精神となってきた。
 古代の身分制の社会にあってさえ、相手が権力者でも、堂々と農夫は正義を訴えた。主張がとおるまで、あの手この手で叫び続けた。途中では絶対やめなかった。また本来、だれにもやめさせる権利はない。
 ″近代的″ともいうべき、この民衆の「正義の闘争」は、現在なら納得しやすいが、五千年も前の戦いである。この闘争が、今なお人々の胸に勇気の光を投げかけていることを見逃してはならない。私どもも、「民衆の勝利」「正義の勝利」の歴史を堂々と刻み、後世のために残してまいりたい。(拍手)
18  最後に、この一年も、どうか健康で、愉快に、すばらしい年にしていただきたい。一年が十年にも勝る年にしていただきたい。私も海外を何回か訪問する予定である。また全国各地も、できうる限り訪問させていただきたいと願っている。(拍手)
 堂々と獅子のごとく、前へ、また前へと進んでいただきたい。自分らしく、また自分らしく、朗らかに「わが不滅の歴史」をつづっていただきたい。
 毎朝毎晩、皆さまのご健康、ご長寿、無事故を、私は祈らせていただいている。そして、広布に走る皆さま方の三世にわたる幸福を祈っている。また、皆さま方を守るために、私は戦っている。このことを申し上げて、本日のスピーチを終わりたい。
 お休みのところ、遠いところ、本当にご苦労さま!
 (東京戸田記念講堂)

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