Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

三十七回本部幹部会 仏法の″自由の精神″を世界ヘ

1991.1.6 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

前後
2  まず、森繁氏の好きな言葉は「失敗が人間を作る」であるという。また青年に期待を寄せつつ、「成功の半分は忍耐」「結局、失敗を恐れず、忍耐に忍耐を重ね、どん底からはい上がってくるなかで人間は鍛えられる」と。まったく同感である。
 さらに、「厳しい鍛えなくして青年は育ちません」「困難を避けるな」「困難はつねに君のチャンスだ」とも語っておられる。これまた、私どもが日ごろ訴えていることである。
 氏のそばには、たくさんの俳優が集まってくる。その人たちに、いつも語っているのは、「お金なんかに惑わされるな」ということだ、と。
 「人間というのは弱いもので、金に負けたり、名誉に負けたりするんです。役者にはそんなもの何も関係ないと私は断言するんですがね。人間、金で動くようになったらおしまいですよ」
 まったく、そのとおりだと思う。金は人を狂わせる。心をむしばみ、破る魔性をもっている。″金で動く″のも不幸、″金で動いている″人を見抜けないのも愚かである。
 続けて、「私は江戸時代からの由緒ある家に生まれ、お金もいっぱいありました。その私が言うのですから信じてください。人間はお金がたまるほど、いばって傲慢になる。お金がなければないで、自分を卑下して人間を小さくしてしまう。ですから、きょうもあすも『ゼロからの出発!』――これが私の生き方です」と述べておられる。
 一流の″わが道″を歩んでおられる方の言葉には、人生、社会の万般にわたる真理の響きがある。
3  また、森繁氏は、経済にばかり気をとられ、文化に対してあまりに貧弱な日本の現状を強く嘆かれている。
 「ヨーロッパでは、まず、文化を与えることを教えている。日本はもうけることばかり教えている気がします」――文化を愛する心を教えていない。それは人間を愛する心を失っていることではないだろうか。人間として肝心かなめの急所を教えず、金がすべてになってしまっている――。
 このことは、著書の中でも、「よく金持ちに、それで儲かったらどうしますと聞くと、海外に工場を持ち云々という。(中略)一人ぐらい、『この金を一つ貴国の文化のためにおつかい下さい』と、目のひらくような返事が出来ないものか」(『人師は遭い難し』新潮社)等と、しばしば論じておられる。
 繁栄させてくださった人たちに、ご恩返しを。そんな心の豊かさを、なぜ日本人はもてないのか。それこそ、人間らしい生き方ではないのか――。私も同じ気持ちである。ゆえに世界の文化と教育のために、この数十年、微力をささげてきた。
 「ヨーロッパでは、まず、文化を与えることを教えている」と語る森繁氏。てい談では、終戦直後の″満州″(中国東北部)でのエピソードを紹介されている。
 ソ連兵が収奪しているところに出あった時のこと。「彼らがチェロを見つけると『音楽家がいるのか』と聞くんです。そして、全部返すから演奏してくれと。文化の幅広さの違いですね」――。
 豊かな心を育てたい。経済ばかりでは、あまりにも貧しい。文化に心潤う社会を、そして、人間が人間らしく生きる「人間主義」の世紀を――私どもの長年の主張もここにある。
 森繁氏も、てい談の中で、「物の豊かさのなかで、人間の心が枯れている。心、精神の復興こそ、最大の課題」と語られ、私どもの「人間主義」の運動に共鳴してくださっている。
 また氏は、てい談に出席した新進女優の西條晴美さんにも、あたたかい励ましの言葉を贈られている。――文化を愛する人はいばらない。こまやかな心くばりを忘れないものだ。
 「有名になったら、人が変わるのが多いからね。何があっても『いつに変わらぬ西條さん』であってください」。名優の、また人生の達人の言と思う。
 名声や地位、財産を得て、人間が変わってしまう人はあまりに多い。それでは、名声や財産のあやつり人形になったようなものである。そのようなものに左右されず、人間として不変の自分をどう生きていくか。そこに人生の戦いがあり、信仰者としての生き方もある。
4  さらに、演劇についてこう語っておられる。
 「あえて申しますと『演劇はアラームである』という言葉で表せますか。『アラーム』とは警告する、呼び覚ます、ということです。観客の心の中に眠っているものを呼び覚ますんです。確かにあるんですよ、美しい心が。ただ、世間のちりあくたに覆われているだけなんですね。そういう意味では本当の宗教も『アラーム』ではないでしょうか」
 氏も言われるように、信仰の一つの意義も「ちりあくたに覆われ、眠っている人間の美しい心を呼び覚ます」ところにあるといってよい。つまり、人間の内面の宝、内なる可能性を呼び覚まし、開花させていく――それが正法の力である。
 私どもは、その正法の扉を、民衆に大きく開いてきた。祈り、語り、走り、知恵をしばり、真心をこめて、理解と納得の輪を広げてきた。人々の心を覆った、さまざまな″ちりあくた″と戦いながら、無上の「幸福の軌道」へと呼び覚ましてきた。それが、私どもの誇りある歴史であったし、未来もまた同じである。(拍手)
5  人生の王者は朗らかに楽しく
 さて昨年、この場所(創価国際友好会館)で「喜劇王チャップリンのごとく、『明朗王』として生きぬいてほしい」とお話しした。(=十二月九日、第三回全国男子青年部幹部会。本全集75巻収録)
 すると、今は何でも反応が速い(笑い)。高校生、中学生をはじめとして、″もう少し聞かせてほしい″との要望が多数、寄せられた(爆笑)。私もチャップリンが大好きである。青年時代に見た傑作の数々が忘れられない。
 そこで、そうした思い出のなかから、記憶違いがあるかもしれないが、少々、彼の言葉を紹介しておきたい。
6  チャップリンはつねに語っていた。
 「生きることはすばらしい!」。そして「笑うことはすばらしい!」と。
 「笑うこと、人生におけるもっとも厳しい事態をも笑い、死すらも笑うことのなかには、健康なものがある。笑いは強壮剤であり、気晴らし、苦痛の放棄である。それは、この世でもっとも健康的なものである」――。
 何があろうと、笑いとばす強さ、朗らかさ、心のゆとり。そこに「生命の健康」がある、と。
 真剣と深刻とは違う。勇敢と悲壮とは違う。大勇の人は、明るい。確信の人は、冷静である。知性の人には笑顔の余裕がある。
 健康な「笑い」は″元気のもと″(強壮剤)であり、どんな悩みも吹きとばしていく(苦痛の放棄)と、彼は説く。
 まさしく闊達な「笑い」こそは、不屈なる″心の勝者″の証である。(拍手)
7  次元は異なるが、日蓮大聖人も、つねに門下に対し、嘆くことなく、悲壮になることなく、悠々と生きぬくよう示され、励まされた。
 竜の日の刑場に向かう途中、悲嘆する四条金吾に、「不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし」――しようがない殿だなあ。これほどの喜びを、笑いなさい――と仰せになったことは、あまりにも有名である。
 金吾への限りない情愛が拝されるとともに、「わらへかし」とのすばらしき大境界が仰がれる。同趣旨の御文は数多い。
 また「御義口伝」には「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せである。
 妙法流布に生きゆく私どもこそが、もっとも深い生命の「大歓喜」を味わって生きることができる。広布遠征の途上で、何かあればあるほど、障害と戦えば戦うほど、妙法の「歓喜の中の大歓喜」が五体に躍動してくるのである。(拍手)
 ともあれ、つねに明るく、楽しく、笑顔で進んでいただきたい。苦しんだり、心が圧迫されたり、いたずらに感情的になったら、何より自分が損である。大聖人も悲しまれるであろう。晴れやかに、「正義は楽し」の確信で、仲良き庶民のスクラムを広げていただきたい。(拍手)
8  「笑い」で非人間性と闘ったチャップリン
 昔、感動して見た作品に『チャップリンの独裁者』がある。その結びの演説は、あまりにも有名である。長いので、一部の紹介になるが――。
 「わたしは皇帝になどなりたくありません」「わたしは人を支配したり、征服したりしたくありません」「わたしたちは、お互いの不幸ではなく、お互いの幸せのために生きたいと思っています」
 「わたしたちに必要なのは、機械ではなく、人間性です。頭のよさよりも親切と思いやりが必要なのです。人間らしさがなければ、人生は暴力的になり、すべてが失われるでしょう」
 「兵士のみなさん! あなた方を軽べつし、奴隷にし、何を考えたり、感じたりするべきか、そんな個人的な生き方にまで指図する非人間的な者たちのいうなりになってはいけません。かれらはあなた方を猛訓練し、飼育して、家畜のようにあつかった末、大砲の的にするだけなのです。人間とはいえないこうした者たちの意のままになってはなりません。かれらは機械の頭と機械の心を持った機械人間です! でも、あなた方は、機械ではない、人間です! 人類愛あふれる人間です!」
 「兵士の皆さん! 奴隷になるために戦ってはいけない! 自由のために戦ってください!」
 「幸福を生み出す力をもっているのは、あなた方、普通の人々なのです! あなた方は、人生を自由で、美しくまたすばらしい冒険にあふれたものにする力を持っています」
 「民主主義の名の元にみんなでひとつになりましょう!」
 (以上、ラジ・サクラニー『チャップリン』上田まさ子訳、佑学社)
9  チャップリンは、ナテスによる「ユダヤ狩り」と戦うこの映画を大戦中に作った。もっとも人間的な「笑い」によって、もっとも非人間的な「暴力」と戦ったのである。製作中から激しい妨害を受けたが、一九四〇年に完成。当時アメリカはまだ参戦しておらず、非難も多かったが、現在での本質は、もっとも早くヒトラーを見抜き、描いたとして不朽の評価を得ている。
 さらに、戦後のアメリカを恐怖のどん底におとしいれた、いわゆる「赤狩り」(共産主義者迫害)すなわちマッカーシズムの嵐にも苦しめられた。そして、ついにヨーロッパに帰ることになる(彼はイギリス出身)。世界一の「自由の国」のはずのアメリカからも追放されてしまった。歴史には、しばしば、こういう狂気の時期がある。そうした試練を越えて、偉大な人間は、また「自由の精神」は鍛えられていく。
 こうした弾圧のさなかでも、彼は使命に生きぬいた。彼は、真の「人間」だった。状況に左右される、いわゆるロボットではなかった。
 ″何があろうと、私は人々に「笑い」を与えよう! そして「勇気」を与えるんだ!″――こうして、できあがったのが名作『ライム・ライト』である。(一八五二年完成。この直後、アメリカ追放となる)
 チヤツプリン自身を思わせる老優カルヴェロが、足が麻痺して絶望しているバレリーナの娘テリーを励ますシーンで、「人生は美しい! 生きることは素晴らしい! 君は、いつも病気(悩み)のことばかり考えて、暗く、うつむいている。それじゃあ、いけない。人間には『死ぬ』ことと同じくらい、避けられないことがあるんだ。それは『生きる』ことだよ!」
 さらに、「宇宙を運行させ、地球を回し、木々を育てている力と同じ力が、きみのなかにもあるんだ」と励ます。
 チャップリンは、人生の哲学者であった。その哲学は過酷なまでの苦闘の実践から生まれたものであり、観念ではなかった。彼の熱い血潮と一体であった。
 彼の人生観を凝縮した次の言葉も、この『ライム・ライト』の台詞だったと思う。
 「『生きる』ために必要なのは、ただ、ほんの少しのお金と、そして『勇気』なんだよ」と――。
10  さて、ふたたび御書を拝したい。大聖人は、四条金吾の冤罪(ぬれぎぬによる罪)を晴らすため、御みずから「頼基陳状」を代筆された。まことにありがたき御本仏の大慈大悲である。
 くわしいいきさつは、ここでは略させていただくが、その陳状の中で大聖人は、中国の古典「新序」の一節を引いておられる。
 「死を畏れて言わざるは勇士に非ざるなり」――死をおそれて、言うべきことを言わないのは、勇士ではない――と。
 脅しに屈服して口を閉ざすようでは、信仰者とはいえない。言うべきことを、言うべきときに敢然と言いきっていく。そうでなければ、心は地獄に縛られ、魂の敗北となってしまう。庶民を守る雄弁の人たれ。人間を守りぬく勇士たれ――これが大聖人のお心であられたと拝する。そして、これこそ真実の信仰者の生き方であると、お教えくださったのである。
11  法華経に説く「大白牛車」
 生死は不二である。この年末年始、広布に献身的に邁進されてきた何人かの同志の方々が、亡くなられた。妙法の功徳につつまれたご一家、ご一族の、いっそうの繁栄を祈念しつつ、私は心から追善の題目を送らせていただいた。
 広宣流布に生きゆく私どもの人生が、永遠の生命において、どれほどすばらしい「幸福」の軌道となっているか。そのための信心である。そこで、大聖人の仰せを拝しながら、仏法の生命観の一端について、少々、述べさせていただきたい。
 大聖人は、「法華経譬喩品第三」に説かれた「大白牛車」をとおして、門下を励まされている。これは、ある檀越(在家の信者)に送られたと推定されるお手紙である。
 ご存じのように、大白牛車とは、大きく立派な白い牛に引かれ、数々の美しい宝で飾られた車である。
 大白牛車は、次のような「三車火宅の警」のなかで説かれている。
 家が火事になっていることを知らずに、そのなかで遊んでいる子どもたちを、父である長者が救いだそうとする。そのための方便として、子どもたちが日ごろから欲しがっていた羊車・鹿車・牛車の二車を示して外に誘いだす。そして出てきたときには、それらに勝る大白牛車を与える。
 羊車・鹿車・牛車の三車は、三乗(声聞・縁覚・菩薩)の方便の教えをいう。大白牛車は、一切衆生の成仏の法を説いた法華経(一仏乗)を意味している。長者は仏を、子どもたちは一切衆生を、火宅とは煩悩に支配された苦悩の世界を譬えている。そして末法においては三大秘法の南無妙法蓮華経こそ、一仏乗の教え、つまり一切衆生が成仏できる真実最高の教えであることが示されている。
 大聖人は、お手紙の中で、まず「そもそも法華経の大白牛車だいびゃくごしゃと申すは我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり」――そもそも法華経の大白牛車というのは、我も人もともどもに法華経の行者の乗るべき車であります――と仰せである。
 「我も人も」――この短いお言葉からも、すばらしい宝の車に「さあ、どうぞ。どうぞ、お乗りなさい」と、私ども仏子を一人も残らずお招きくださるような、御本仏の大慈大悲のお心が拝されてならない。これほどまでに大聖人は、広宣流布に励む仏子を大切に、そして、あたたかく包容してくださったのである。
12  同抄で大聖人は、この大白牛車の様子について、鳩摩羅什の漢訳法華経では略されているとされたうえで、梵語(サンスクリツト〈古代インドの言語〉)の法華経をふまえてくわしく述べられている。
 梵語の法華経といえば、昨年末、インドからラグヴィラ賞の受賞を記念して贈られたのも、たいへんに由緒ある貴重なサンスクリットの法華経であった。
 「大白牛車」の壮大で尊貴な姿について、大聖人は、次のようにくわしく示されている。
 「先ず此の車と申すは縦広五百由旬の車にしてこがねの輪を入れ・しろがねむなぎをあげ・金の繩を以て八方へつり繩をつけ・三十七重のきだはしをば銀を以てみがきたて・八万四千のたからの鈴を車の四面にけられたり
 ――まずこの車というのは、高さと四方の広さが五百由旬(由旬は古代インドの距離の単位で、一由旬は帝王の一日の行軍距離とされる。その長さは古代中国の四十里、または十六里にあたるなどの諸説がある)の車で、金の輪を入れ、銀の棟をあげ、金の縄をもって八方へつり縄をつけ、三十七の階段を銀をもって磨きたて、八万四千の宝の鈴が車の四面にかけられている――。
 「三百六十ながれの・くれなひの錦のはたを玉のさほにかけながし、四万二千の欄干らんかんには四天王の番をつけ、又車の内には六万九千三百八十余体の仏・菩薩・宝蓮華に坐し給へり
 ――三百六十の紅の錦の旛を玉の棹にかけ流し、四万二千の欄干には四天王(持国天王、広目天王、毘沙門天王、増長天王)が番につき、また、車の内には六万九千三百八十余体の仏・菩薩が、宝蓮華(蓮華の台座)に座っておられる――。
 「帝釈は諸の眷属けんぞくを引きつれ給ひて千二百の音楽を奏し、梵王は天蓋を指し懸け・地神は山河・大地を平等に成し給ふ、故に法性のそらに自在にとびゆく車をこそ・大白牛車とは申すなれ
 ――帝釈天は諸の省属を引き連れられて千二百の音楽を奏で、大梵天王は天蓋をさしかけ、地神は山河・大地を平らにされる。このようにして法性の空へ自在に飛びゆく車を、大白牛車とはいうのである――と。
13  もとより、この大白牛車のすばらしい姿は、御本尊の荘厳さ、御本仏のご境界を表されたものである。
 とともに、妙法を持つ私どもも、同じくこのように美しく、かつ楽しく、絶対に安心な、絢爛たる車に乗って三世永遠の旅を遊戯できる、と大聖人は仰せくださっている。
 なんとありがたいことであろうか。「仏語実不虚」(仏の言葉は真実であり、虚しくはないこと。法華経寿量品の文〈開結五〇九ページ〉)とあるように、御本仏のお言葉に絶対に″偽り″はない。
 そして「法性の空に自在にとびゆく車」と仰せのごとく、何があろうとも、「融通無礙」(すべてに行きわたって通じ、少しも渋滞しないこと)、「自由自在」の大境涯へと、一人も残らず飛躍させてくださるのが大聖人の仏法である。(拍手)
 ゆえに、私どもの仏道修行は、わが胸中に限りない「精神の自由」「生命の自由」を獲得し、拡大していく「幸福の軌道」であり、そこに、「信仰」の一つの真髄があるといえまいか。(拍手)
 大聖人は御文の最後にこう明言されている。
 「我より後に来り給はん人人は此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候、日蓮も同じ車に乗りて御迎いにまかり向ふべく候
 ――私(大聖人)より後にきたる人々は、この車(大白牛車)に乗られて霊山へおいでになるがよい。そのとき、日蓮も同じ車に乗ってお迎えに向かうであろう――と。
 私どもは、この大聖人の大慈大悲のお約束を確信し、安心して進んでまいりたい。
 そして、この一年もまた、秋谷会長を中心に、にぎやかに、楽しく、力強く、広布への前進をお願いしたい。(拍手)
14  「万事うまくいくよ」の気概で
 さて、婦人部では「平和と幸福の連帯五百万」のスローガンを掲げ、記念総会がスタートした。そこで、この記念総会にちなみ、平凡にして偉大なる二人のご婦人を紹介しておきたい。
 一人は、ソ連の私の大切な友人であるドナエフ氏のおばあさまの話である。氏は、ソ連のノーボスチ通信社の論説委員。優れた識見と人格のジャーナリストである。
 ご夫妻ともに日本語が堪能で、夫人は日本語教育にも長くたずさわってこられた。
 ドナエフ氏には、十七年前の第一次訪ソ以来、ソ連を訪問するたびごとにお世話になった。昨年の第五次訪ソの折には、ゴルバチョフ大統領との会見にも同席されていた。
 ドナエフ氏が尊敬する人はだれか。創価大学ロシア・ソビエト研究会の学生のインタビューに応えて、氏はこう語っている。
 「私が尊敬する人は、祖母のワーリャです」と。
 このワーリャおばあさんは、学校は出ていない。特別な才能があったわけでもないだろう。無名にして平凡なる一婦人であった。
 しかし、ドナエフ氏は「自分の力で、三人の子どもと六人の孫を育て上げた、たいへんに優しくて、力強い女性でした」と、おばあさんを最大の誇りとされている。
 そして氏は、創価大学生に、こう語っている。
 「私はつらくなった時、いつも祖母の言葉を思い出すのです。それは『万事うまくいくよ』との言葉です。これは、わが家のモットーになっています。実際、つらい時といっても、いつかは過ぎ去り、人生はふたたび明るいほうへと向かっていくものです」――と。
15  何があっても「万事うまくいくよ」と、悠然と生きていく。その強さ、明るさ、たくましさ。平凡な言葉かもしれないが、ここには、深い人生哲学があると思えてならない。
 いまだ妙法を知らない平凡な一婦人であっても、その波瀾に富んだ人生のなかで、このような哲学を自分のものとしている。いわんや大聖人の仏法を持ち、広宣流布に進んでいる皆さま方が、″万事うまくいく″という人生でないわけがない。(拍手)
 何があっても、悲しむこともない。萎縮する必要もない。恐れることもない。どんなにつらいことや苦しいことがあっても、笑顔で、生き生きと人生を生きぬいていく――そこに「幸の大道」は開かれる。
 ドナエフ氏のおばあさんは強く、明るかった。その強さ、明るさが、一家、一族の、かけがえのない宝となった。孫であるドナエフ氏は、二十歳を超えた今もなお、幼き日に刻んだ祖母の言葉を、人生の支えとしているという。
 「強い」こと、そして「明るい」こと。その人は、幸福である。人生の勝者である。
16  民衆の時代の新しき夜明け
 ところで、「ロシアの母」も強いが、「アメリカの母」も、これまた強い(笑い)。母が強いのは″万国共通″のようだ。(爆笑)
 以前にもお話しした、文豪スタインベックの大作『怒りのぶどう』。この作品の舞台は、一九三〇年代――ちょうどわが学会の創立まもないころ――のアメリカである。
 打ち続いた砂嵐や不況を理由に、地主に土地を取り上げられた農民一家。彼らが中古トラックに総勢十数人で乗り込み、故郷のオクラホマ州から、希望を託したカリフォルニアヘ移住していく姿を描いたドラマである。
 家財も売り払い、西部への長い旅路。いくつもの町を過ぎ、ロッキー山脈を越え、砂漠を横断する。テントで野宿をしながらの困窮の旅である。しかも、ようやくたどり着いたカリフオルニアでは、同じような境遇の移住労働者があふれ、飢えた″よそ者″に、人々の目は冷たかった。よいお金になると吹聴されていた果樹園の仕事も、機械化などの影響で失業が多かった。賃金も容赦なく切り下げられた。貧しさゆえの反抗も、暴力で弾圧されていた。
17  どれほど悲しいことがあろうとも、また、どれほど意地悪をされ、いじめられても、この一家は決してへこたれなかった。それは明るく、たくましい母―!″おっかあ″(笑い)の存在が支えとなっていたからである。″おっかあ″は、息子に語りかける。
 「あたしたちはほんとうに生きていく人民なんだよ、やつらになんかあたしたちを根こそぎやっつけられやしないよ、そうとも、あたしたちは人民だもの――生きつづけていくんだよ」(石一郎訳、『世界文学全集』第31巻所収、河出董房新社、以下同じ)と。
 息子は言う。――俺たちは「年がら年じゅうたたきつけられてるぜ」と。いやな思いばかりじゃないか、と言うのである。
 母は、″だからこそ強くなれるんだよ″と朗らかに笑いとばす。「あたしたちはあとからあとから生まれてくるんだよ、何もおそれることはないよ」「ちがった世の中がきかかっているんだよ」。新しい時代の夜明けなんだよ、と。
 私たちは「人間」なんだ。「民衆」なんだ。絶対にくじけてはいけない。「民衆」は次々に生まれ、生き続けていくのだから。今、「新時代」が到来しようとしているのだよ――こう言って、母は息子を力強く励ますのである。(拍手)
 アメリカン・デモクラシー(民主主義)の根っこにも、このように明るく強い「母」たちがあった。スタインベックは、その真実の姿を、文学を通じて人々に訴えたのである。
18  ともあれ、新世紀は、日一日と迫っている。新しい決意は、新しい時代を開き、新しい希望を生む。
 いわんや「わざはひも転じて幸となるべし」、「さいわいを万里の外よりあつむ」の妙法を持つ皆さま方である。すばらしき「民衆の時代」「幸福の新時代」への陽光につつまれながら、広布の大道を堂々と進んでいただきたい。(拍手)
 どうか、くれぐれもお体を大切に。風邪などひかれませんように。そして健康で、ますます朗らかに、生き生きと、また悠々と、この一年を歩んでいかれんことを念願し、本日のスピーチとしたい。ありがとう。ご苦労さま!
 (創価国際友好会館)

1
2