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日蓮大聖人・池田大作

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第三十六回本部幹部会・第一回壮年部総会… わが「心の王国」の宝を人々に

1990.12.16 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

前後
2  ベートーヴェンは、繰り返し語っていた。「わが王国は、天空にあり」と。
 たとえば一八一四年二月の手紙には「僕はといえば、そうだ、なんとわが王国は大気の中にある。しばしば風のごとく音が響きわたる。魂のなかでも響きわたる」(新編『ベ―トーヴェンの手紙』下、小松雄一郎編訳、岩波文庫)と。ロマン・ロランは、これを「広大な内面の王国」ととらえている。(『後期の四重奏曲』吉田秀和・山本顕一訳、『ロマン・ロラン全集』25所収、みすず書房)
 果てしなく広がる高貴なる青空。その高みに、わが精神のすみかはある。地上には策略や嫉妬や、まやかしが充満している。しかし、それらの喧騒も、わが「天空の王国」には決して届かないのだ――と。強烈な自負であった。
 そして「わたしにとっては精神の王国の方が大切であり、それはあらゆる宗教的世俗的君主国の上に聳えるものであります」(一八一四年秋の手紙。前掲『ベートーヴェンの手紙』)と誇らかに語っている。
 自分の「精神の王国」は、どんな「宗教的王国」をも、「世俗的王国」をも見おろして、堂々とそびえ立っているというのである。
 ――表面的に見れば、まず彼は病身であった。耳の病以外にも、たくさんの病気が彼を苦しめた。彼は裕福でもなかった。いつも家計のことで悩み、経済的に苦闘していた。
 それまでの作曲家とは違って、彼は「精神の独立のためには、経済的独立が必要だ」と考えていた。貴族等のパトロン(後援者)に完全に依存した生活を否定し、自分の作曲による収入を基本とした生活を選び取った。
 自分は自分で生きぬいてみせる。自分の力で不滅の音楽を残すのだ。これは革新的な決意であった。同時に、きわめて困難な道でもあった。そして彼は、孤独であった。結婚への努力はすべて失敗した。
 独り身の彼は唯一、甥(カルル。亡くなった弟の息子)を″わが子″として、愛情をそそいだ。ところが、この甥も、ことごとく彼の気持ちに逆らい、彼を苦しめた。賭博場に入りびたり、ついには自殺未遂の事件まで起こす。彼の寿命は、このただ一人の身寄りのために、確実に縮まったといわれている。
 周囲も彼を理解しなかった。「第九」すら、二回目の演奏会からは、人々は離れてしまった。ひどい不人気だった。後には「野蛮な音楽」などという評論が堂々と新聞に出たりした(=一八二五年、ロンドンでの初演に対して)。今から見れば考えられないことであるが――。まじめに知ろうともしない無認識の評価が、この偉人を攻撃していた。これが世の常である。
3  ベートーヴェンの取り巻きにも、悪い人間がいた。彼の名声と才能を利用して、側近然として、人々を誤解させた。「私こそが、彼の″真実″を知っているのだ」と――。ベートーヴェンのほうでは大いに迷惑していた。
 病み、貧しく、孤独だった彼。しかし、その瞳はつねにはるか上を、かなたを見つめていた。彼は「天空の王国」の王者であった。この内面の帝国では、彼は皇帝ナポレオンをも見おろす″精神の皇帝″であった。低次元の感情やいざこざなど、とうてい届きえぬ空中に、天空に、彼の魂の歌は鳴り響き、舞いわたっていた。
 御書には「賢聖は罵詈して試みるなるべし」――賢人、聖人であるかどうかは、ののしって、ためしてみるものである――と仰せである。
 一般にも、うんと苦労し、迫害を耐えぬいてこそ、初めて本物の″金″であることが証明される。迫害と苦闘がないのは、またそれらに敗れるのは、所詮は″石″なのである。たたかれ、裏切られ、デマばかり流され、ありとあらゆる圧迫を受け――波瀾万丈の人生からこそ、本当に偉大なものは鍛え出されてくる。私も、この決心で生きぬいてきた。(拍手)
4  「剛毅なる精神」で広宣の道を
 ところで、彼が見おろしていた「宗教的王国」とは、言うまでもなく、当時のキリスト教の権威であった。彼はむしろ東洋に目を向けていた。仏教はまだ知られていなかったが、彼のノートには、インドの哲学書からの、おびただしい抜き書きがある。(=ある東洋学者と文通もした。インドに題材を求めた小歌劇も計画している)
 ベートーヴェンは、一面、″時代の子″であった。自由と人間解放をうたったフランス革命の気分を深く呼吸し、「革命の音楽」を「音楽の革命」によって表現しようとした――ともいえる。
 一方、彼は時代を、とくに自分の周囲の浅薄な社会を蔑視していた。怒ってもいた。
 ″何だ、今の人間の、この有りさまは!″″何だ、卑しいことばかり考えて!″
 彼は書いた。「今の時代にとって必要なのは、けちな狡い卑怯な乞食根性を人間の魂から払い落とすような剛毅な精神の人々である」(ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』片山敏彦訳、岩波書店、以下同じ)
 彼自身が、こうした「剛毅な精神」の持ち主だった。それを音楽によって表現した。彼の音楽は、人間の、あらゆる陰険さ、卑怯さを、弾劾し、鞭打つ。人々に勇気を奮い起こさせる。時に激しく、時に優しく――。息がつまるような、うす暗い部屋から精神を解放し、晴れわたる青空のもとへと引き出してくれる。
 「剛毅な精神」とは、私どもでいえば「信心」である。また「学会精神」である。そして、この精神を雄々しく発揮しゆく人を、われわれの時代もまた″必要としている″のである。ベートーヴェンは、音楽の英雄であった。私どもは一個の「信仰の英雄」でありたい。(拍手)
5  さて彼は、あれほどの苦しみのなかで、どうして作曲し続けたのであろうか。知人に彼はこう語っている。「なぜ私は作曲するのか? それは、私が心の中に持っているものは外に出なければならない。ゆえに私は(=曲を)書く」と。
 ″中″のものを″外″へ――。彼はみずからの「精神の王国」の財宝を、人々に分かち与えたかった。「未来の人類のため」「不幸な人類のため」。苦しみのなか、何度、彼はこう繰り返したことか―天空の高みでつかんだ宝を、光を、私は民衆に渡したいのだ――と。
 その精華の一つが「第九」であり、「歓喜の歌」なのである。(拍手)
 私どもも、″心の中にあるもの″を、堂々と外へ押し出さねばならない。ありのままの学会の真実を語っていく。ありのままの人間の自由を叫んでいく。何より、ありのままに日蓮大聖人の崇高な御精神を訴えきっていく。そこに剛毅なる信念の表れもある。
 広宣流布の「宣」の字は「宣揚」「宣伝」の義に通じる。語るべき時に語らず、黙っていることは、自身の敗北であろう。
 その意味で、わが同志は、まさに仏法の「英雄」である。(拍手)
6  この一年、広宣の同志である皆さま方は本当に悔いなく、よく戦ってくださった。折伏においても、組織活動においても、「信」「行」「学」のあらゆる面にわたって、偉大なる前進を成し遂げられた。私は心から敬意を表し、讃嘆申し上げたい。
 どうか来年もまた、秋谷会長を中心に、大いなる前進をお願いしたい。そして、「妙法の王国」のすばらしさを、「精神の王国」の宝を、多くの人々に伝えていっていただきたい。(拍手)
 また、本日は壮年部の第一回総会である。「全国の壮年部の皆さま、おめでとう」と、祝福申し上げたい。
 総会といえば、女子部の総会は、華やかで初々しい。品格があり、楽しさにあふれている。婦人部の総会は、あたたかな愛情があり、気品があり、美しい。喜びに輝いている。また男子部の総会は、若々しく、凛々しい。革新の息吹に燃えている。
 それらに比べて、壮年部の総会は、広布の重鎮の集いであるだけに、どこか重々しい。(笑い)
 さらに、本日の総会は、壮年にとって、「二百万結集」の最終日ともなっている。全国の壮年部の皆さま方の参加の陰には、婦人部の方々のあたたかくも厳しい(笑い)、励ましと応援があったことと思う。(笑い、拍手)
 壮年は「広布の柱」一家の柱」のゆえか、なかなか動かない(爆笑)。泰然としておられる(笑い)。しかし社会の信用がある。力がある。いったん動けば、その影響力は大きい。
 こうして、全国の各会場に集われた壮年部の皆さま方である。その広布への″行動″を、日蓮大聖人は御称讃くださるにちがいない。日興上人、日目上人も、ことのほかお喜びのことと確信する。(拍手)
7  皆が無量の福徳光る長者に
 私は、毎日、皆さまが健康で、長寿であられるよう、また無事故で、そして裕福であられるよう、真剣に御本尊に祈念申し上げている。全世界の同志の、「幸福の道」「福徳の道」「広宣の道」が、広々と無限に開かれていくよう、祈りに祈りぬいている。皆さまに、一人残らず幸福になっていただきたい。私の願いは、ただそれだけである。
 そうした思いから、代表に贈らせていただいている揮毫も、毎年、何千という数にのぼる。差し上げる方のなかには、信心されている方も、されていない方もおられるが、午前中はそのご多幸を願いつつ、ペンをとるのが常である。
 そのため、揮毫する言葉も、かなりの種類になる。本日は、皆さまにとって何らかの参考になればと思い、そのいくつかを挙げてみたい。
8  まず、中国の古典からとった言葉を平易に紹介すれば――。
 「精神は万古に新たなるが如し」(『菜根譚さいこんたん』)――形あるものは、いつか必ず壊れていくものだ。だが、人間の精神の輝きは、永遠に朽ちない。いつも新しい。
 「仁人じんにんは天下に敵なし」(『孟子』)――本当の人格者、正義の人に敵する者はいない。打ち破れない「悪」などない。いかなる敵も戦わずして逃げていく。
 「善以て宝と為す」(『大学』)――中国古代の楚の国の歴史によれば、楚国には、とりたてて宝とするものはない。もしあるとすれば、それはただ善人がいることだ、と。
 「戦いは勇気なり」(『春秋左氏伝』)――戦いに勝つためには、まず勇気である。恐れなき″勇気の一人″の前には、百万の敵も道をあける。勝利が輝く。
 「王者は天地の私心なきが如し」(『近思録』)――王者の心には、私心がまったくない。たとえていえば、天地が万物をあまねく育むのに似ている、と。
 「不言の言を聞く」(『荘子』)――口には出さない言葉、声なき声を聞くことである。指導者論といえる。
 「知者は惑わず」(『論語』)――知者は、どんな問題にも惑うことがない、と。
 皆さまもまた、悪を見破り、善を伸ばしゆく「知者」となっていただきたい。賢明であることが、リーダーの条件であり、幸福の条件である。
 「寛なれば則ち衆を得」(同)――寛大な人は多くの人々の心をとらえることができる。
 「文章は経国の大業」(『典論』)――文章をつくることは、国を治めていくうえでの大事業である、と。
 文章は人の心を動かす。心を動かし、心をとらえた者が、勝者である。また文章は後世をも照らしていく。私どもにとっても、文章は、また言葉は、広宣流布を進めゆくための大事業である。新しい表現、胸に響く言葉を求めて、時代、社会はつねに動いている。一方的な″演説調″の話のみでは、もはや人の心は動かない。私が今、「スピーチ」という形をとっているのも、言葉のもつ力を最大に重視しているからである。(拍手)
 「一国は一人を以て興る」(『管仲論』)――一国は、一人の力によって栄える。
 「人に勝たんと欲する者は、必ず先ず自ら勝つ」(『呂覧』)―!″自分に勝つ″ことが根本の勝利である。
 「学ばざれば便ち老いて衰う」(『近思録』)――学んでおかなければ、すぐに年をとり、衰えてしまう。
 「自ら勝つ者は強し」(『老子』)――自分自身に勝った人にかなう者はいない、と。信仰の世界ではなおさらである。
 「少壮に努力せずば、老大徒に傷悲せん」(『古文真宝』)――若い時に努力しなければ、のちに必ず悔い、悲しむだろう、と。
 「高山に登らざれば、天の高きを知らず」(『荀子』)――高い山に登らなければ、天の高さはわからない。偉人の高さもある程度、自分が高く登った者でないとわからない。
 「兵、其の心に戦う者は勝つ」(『韓非子』)――臆病を克服し、勇猛心がわいて初めて、戦いに勝てる。
 「朋友は之れを信ぜしむ」(『論語』)―!″彼なら信じられる″と、友から言われる人でありたい。
 「友なる者は其の徳を友とするなり」(『孟子』)――友とは、もともとその人の「徳」を認め、それを友とするべきである。人を利用したりするのは友とはいえない、と。
 「特立して独行す」(『文章軌範』)――世に迎合せず、みずからの道を堂々と進む、と。いわば、私どもの姿である。
 「済々たる多士、文の徳をる」(『詩経』)――たくさんの人材が文化の道を守っている、と。
9  さらに、法華経の経文を揮毫させていただくことも多い。
 「安穏楽処(安穏の楽処)」(無量義経)
 「身意しんに泰然 快得けとく安穏(身意泰然として、快く安穏なることを得たり)」(譬喩品)
 「安穏豊楽」(同)――安穏で豊かな楽土を称えた言である。わが友の家庭、地域もかくあれと私は祈る。
 「長者大富(長者大いに富んで)」(同)――本日お集まりの壮年部の方々もまた、「長者」で「大富」であっていただきたい。また、必ずそうなっていくことを確信する。(拍手)
 「無量珍宝 不求自得(無量の珍宝 求めざるに自ら得たり)」(信解品)
 「智慧深遠(智慧深遠なり)」(薬草喩品)
 「多所安穏(安穏ならしむる所多からん)」(化城喩品)
 「百福自荘厳 得無上智慧(百福をもってみずから荘厳し、無上の智慧を得たまえり)(同)――これ以上ないという「福」と「智」を、ともに得ることができる。それが、この信心なのである。
 「功徳悉成満(功徳悉く成満して)」(五百弟子受記品)
 「無量億千万 功徳不可数(無量億千万の功徳数うべからず)(人記品)
 「是則勇猛 是則精進(是れ則ち勇猛なり、是れ則ち精進なり)」(宝塔品)
 「是真仏子(是れ真の仏子)」(同)
 「如法修行(法の如く修行し)」(勧持品)
 「忍辱大力(忍辱の大力)」(安楽行品)
 「智慧宝蔵(智慧の宝蔵)」(同)
 「如師子王(師子王の如く)」(同)
 「功徳不可量(功徳は量るべからず)」(分別功徳品)
 「随喜転教(随喜して転教せん)」(随喜功徳品)
 「其福雌尚量(其の福雌尚量なり)」(同)
 「即是道場(即ち是れ道場なり)」(神力品)
 「其福最多(其の福の最も多き)」(薬王品)
 「破諸魔軍(諸の魔軍を破すべし)」(同)
 「深種善根(深く善根を種えたり)」(妙音菩薩品)
 「宿福深厚(宿福深厚にして)」(妙荘厳王品)――「宿命」ではなく「宿福」と。皆さま方こそ「宿福深厚」の人である。
 以上、一部であるが、ご紹介させていただいた。(拍手)
10  偉大なものは常に単純なり
 ところで、ベートーヴェンには、膨大な「音楽のスケッチ帳」が残されている。これは、彼が作品を作り上げる制作過程を伝える貴重な資料であり、彼の創作ヘの努力が並大抵でなかったことがうかがわれる。
 そして、これを見ると、たいへん面白いことに、彼の音楽は「複雑なものから単純なものへ」と、その基本が練り上げられているという。これは通常の予想とは反対かもしれない。つまり、彼は苦心に苦心を重ねて、「もっと単純に、もっと平明に」と、推敲しているのである。
 このことについては、いろいろ論ずべき点があるが、要は、彼は「偉大なものは常に単純なり」との格言の体現者であった。
 単純ということは、内容が薄いことではない。反対である。より本源的であり、根本的ということである。ゆえに、そこには、より多くの内容がこめられ、充実している。
 もとより次元は異なるが、仏法においても、日蓮大聖人の仏法は、三大秘法の「南無妙法蓮華経」に一切がこめられている。「八万法蔵」といわれる釈尊の広大な教えも、功徳力用も、全部、収められている。「南無妙法蓮華経」だけなのだから、ある意味で、単純といえば単純である。しかし、そこに偉大さがある。
 もっとも深いがゆえに、もっとも平易に説かれることが可能だったのである。ここに日蓮大聖人の法華経が、釈尊や天台の法華経よりも偉大である一つの証もある。(拍手)
 そして今度は現代の人々に、この日蓮大聖人の仏法を″よりわかりやすく″″より平明に″説こうと、努力に努力を重ねてきたのが学会の歴史である。戸田先生も本当に苦心されていた。
 この苦労があったればこそ、人々の心をとらえ、ここまで広がった。「広宣流布」の道ができあがったのである。
 むずかしいまま言うのは簡単である。しかし、それだけでは、より多くの人々の間に仏法を広げ、幸福に導くことはできない。このことをリーダーは忘れてはならない。こうした大聖人の仏法、そして学会の偉大さは、今日の正法の興隆、学会の発展の事実が、明確に証明している。未来は、より輝かしく証明されていくであろう。(拍手)
11  改革から新しい力と人材が出る
 今回、大田区が「蒲田区」「大森区」「多摩川区(=大田池田区)」の三区体制に発展し、新出発した。これは、大田創価学会が日本で初めて断行した新思考、ペレストロイカ(改革)である。(笑い、拍手)
 大田は学会伝統の地である。しかし、改革がないところに進歩はない。伝統だけでは、どうしても行き詰まり、硬直化してしまう。また、つねにフレッシュな改革を重ねてこそ、伝統も生かされていく。そこに新しい人材も育ってくるし、折伏も進んでいく。そして、大勢の人に喜びを与えられる。
 何事にも時がある。春と夏とは違う。昔と今は違うのである。昔、わらじをはいていたからといって、「それが伝統だから今もわらじをはけ」とはいかない。(爆笑)
 ともあれ今回の改革で、大田から三倍の、またそれ以上の「新しい力」と「新しい人材」が出てくることを期待する。(拍手)
 そして学会は、ますます拡大・発展しているゆえに、将来は多くの県や区が、大田に続くであろう。その意味で、今回の″大田ペレストロイカ″が成功するかどうかは、これからの県区発展の一つのカギを握っているともいえる。全国に先駆けての偉大なる模範の道を開いていただきたい。(拍手)
12  昨日、私は、カナグのモントリオール大学のルネ・シマー副学長と会談した。シマー博士はガン研究の権威として著名な方である。
 「聖教新聞」で紹介されたとおり、対話は、″人類の敵″であるガンの克服を中心に、さまざまな先端の研究や地球的課題にも及んだ。
 そして、私は最後に「美しきカナダの天地を思い描かせる、貴国の美しい詩で、きょうの有意義な語らいを結びましょう」と提案した。ガンの話ばかりだと、あまりにも暗い。少々、空気を清浄化し(笑い)、さわやかに終わるためである。
 その折に紹介したのが、フィリックス・レクエア(一九一四年〜八九年)の詩である。カナダを代表するこの詩人は、昨年、惜しまれて亡くなった。
 彼は、ケベック州(カナダ東部)を流れるセントローレンス川のオルレアン島で、素朴な暮らしを営みながら、自然と人間を愛し、詩を詠み、歌を歌ってきた。また、フランスのパリでも活躍し、故郷・ケベック州のことを大いに宣揚した。
 カナダは、今では各国から人々が移り住み、多民族社会となっているが、歴史的にはイギリスとフランスからの移住者によって築かれた。ケベック州はフランス語圏に位置しており、モントリオールはその中心都市である。
 レクエアは、どちらかといえば少数派として苦しい立場にあったカナダのフランス系市民に、自信と希望と勇気を贈った。わが同胞への深き友愛。それが人々の心をとらえ、すばらしい詩句に結晶していったのである。「心」をとらえるのはつねに「心」なのである。
 なお一九五〇年代には、彼の「私の靴」という歌が、フランスやカナダで広く愛唱された。
 対談の結びとして、レクエアの詩の一節をシマー博士に贈ると、モントリオール出身の博士は「よくご存じですね」と、たいへん喜んでくださった。
13  妙法を世界に弘めゆく誉れ
 さて、全国の同志の活躍により、今年も見事な弘法の前進を刻むことができた(拍手)。この二年間で、じつに数十万世帯もの方々が入会されている。
 もとより、大聖人の仏法の偉大さ、妙法のすばらしさを語ること自体が、仏の使いとして、折伏を行ずることになる。「聞法下種」(法を開くが、まだ信受しないこと)と「発心下種」(法を聞いて信心をおこすこと)は、ともに立派な折伏となるからである。
 したがって、私どもは数十万と言わず、その何倍、何十倍もの人々を折伏し、幸福の道へと導いていることになる。皆さまの功徳は無量無辺と確信していただきたい。(拍手)
 宗教の正邪を別にしても、学会ほどの弘法の大行進は、他の教団にはとうていまねができなかった。
 ある学者は「人々の精神が退廃し、宗教の生命力が失われているなかで、創価学会が、一部から、ためにする非難を受けながらも、これほどの発展をしていることは驚異であり、驚嘆であり、讃嘆の言葉を知らない。いな今世紀の奇跡である」との声を寄せておられた。
 昨日、お会いしたシマー博士も、SGIの発展を深く称讃しておられた。世界に例を見ない大宗教革命である――これが多くの識者の一致した見方なのである。(拍手)
 ただし、世帯が増えれば、入会に対して厳格な基準を定めるのは当然である。入会者の数にとらわれることは、本来の折伏精神に反する。なお、「折伏」については、過日の関東代表協議会でも話をさせていただいた。ともあれ、私どもはただ御本仏日蓮大聖人の御聖訓のとおりに、広宣流布に邁進していけばよい。事実、大聖人の仰せどおりに進んできたと確信する。(拍手)
 昭和三十五年(一九六〇年)五月三日、私は第三代会長に就任の際、日達上人から、「開目抄」の「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」――結局は、天も日蓮を捨てなさい。諸難にもあおうではないか。一身一命をなげうって妙法の弘通に邁進するのみである――との御文を賜った。そして私は、この時の″誓い″のままに、正法流布にひたぶるに進んできたつもりである。(拍手)
14  「正法」の力用とは、どれほど偉大なものか。大聖人は、諸経に優れた法華経の力用について、「三世諸仏総勘文抄」に、天台大師の『法華玄義』のたとえを引かれている。
 「薩婆悉達さるばしった・祖王の弓をひいて満るを名けて力と為す」――薩婆悉達(王子時代の釈尊)が祖王(釈尊の祖父・師子頬王)のだれも引くことができないといわれた強い弓を満々と引き絞ったような力を名づけて、法華経の力用の「力」とする――。
 「七つの鉄鼓てっくやぶり一つの鉄囲山を貫ぬき地をとおし水輪にとおる如きを名けて用と為す」――そして放たれた矢が、七つの鉄の鼓を突き破り、一つの鉄囲山(古代インドの世界観で、世界の外側を取り巻く鉄の山)を貫き、大地をも通り抜けて、その下の水輪(世界を支えていると考えられた四輪の一つ、水の層)まで突き抜けるような働きを名づけて、法華経の力用の「用」とするのである――と。
 「玄義」はまた、法華経以外の教えの力用を″凡夫の弓矢″にたとえている。それほど、諸経の王たる「法華経」には、けた違いの圧倒的な勢いがある。その法華経の精髄は、言うまでもなく「妙法」であり、私どもは最高の力用をそなえた大法を受持しえたのである。
 「信心の一念」の力こそ、世界のいかなる武器よりも優れた最高の力である。ゆえに私ども自身もまた、日々、月々、年々に、わが「生命の弓」を満々と引き絞り、あらゆる障害を突き破る「勝利の矢」を勢いよく放っていきたい。そして明年、七十周年への広布の前進を、強き一念をこめた「祈りの矢」を放ちながら″圧倒的な勢い″をもって開始していきたい。(拍手)
 さらに壮年部の皆さまも、″信心第一″″健康第一″で、ともどもにこの十年を戦いきり、七十周年には全員が晴れやかに集い合いたい。そのことを、本日の第一回壮年部総会の「誓い」としてはいかがだろうか。(拍手)
15  至誠の実践の人こそ真の仏子
 ここで、日達上人のお言葉を紹介したい。以前にもスピーチの中で紹介させていただいたが、私どもの広布の実践に関する大切な教えであり、あらためて拝しておきたい。
 昭和四十八年(一九七三年)十二月、第三十六回本部総会(大阪・中之島の中央公会堂)では次のように述べられている。
 「『法華経法師功徳品』には『若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん』と説かれております。
 このご文の意は、世を指導する言語も、産業を振興する才能も、法華経の諸法実相の観点から出るものであることを、示されたものでございます。
 故に『観心本尊抄』に『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』とも説かれているのであります。
 この法華経の肝要である大聖人の仏法を、よく研鑽されている池田先生の言論が、政治、経済にわたっても、しぜんと、その実相に到達していることは、深く評価せられるべきものであると考えます。
 この英知の池田先生を会長としていただいている学会員のみなさまは、まことに幸福であり、名誉であると思うものであります。また、この偉大な池田先生は、我が日蓮正宗の大外護者であります。今後、ますます激しい社会情勢に対処して、我が日蓮正宗の発展のために、会長池田先生のいっそうの外護を得たくお願いする次第であります」(『日達上人全集』、以下引用は同書から)と。
 私のことはともかく、社会と世界の変化に賢明に対処しながら、「広宣流布」を進めている学会のことを、心からたたえてくださっているのである。(拍手)
16  また日達上人は、昭和三十八年(一九六三年)七月十五日付の「訓諭」の中で、こう言われている。
 「今や末法の慧日宗祖大聖人の大白法は 潮の如く滔々と四海へ流れて止まず 宗勢はとみに興隆の一途を辿りつつあり まことに為法為宗有難き極なり
 而してその源をたずぬるに 末法閻浮衆生の帰命依止所たる大御本尊の御威光の然からしむるところと雖も ほその功たるや創価学会会長池田大作指揮のもと一致団結く化儀の折伏に挺身し 以て本仏の願業たる閣浮広布の一刻も早からんことをこいねがう創価学会会員の至誠に帰するものと謂ふべし」と――。
 日蓮大聖人の大白法が、潮のごとく世界に広まっている姿、そして宗門の大興隆は、ひとえに大御本尊の御威光によるものである。
 そのうえで、正法広布の功績は、ただひたすら世界広布を願い、「化儀の折伏」に挺身してきた学会員の「至誠」――このうえない誠実さにある。日達上人は、このように、はっきりと断言されているのである。(拍手)
17  さらに日達上人は、「なぜ学会員を大切にするか」ということについて、昭和四十一年(一九六六年)五月三日、第二十九回本部総会で、日興上人の遺された「日興遺誠置文」を拝し、次のように述べておられる。
 「日興上人は『身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も、当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事』と明らかにお書きになっております。また『我より智勝れたる者をば仰いで師匠とすべき事』と明らかにお教えになっております。
 これら正宗を破壊しようとする人々は、ただ一言のことばをもって真実の日興上人の心を知らないのであります。悪い、少しばかりの智慧をもって解釈し、ほんとうの信徒の真髄を知らない。そして日興上人や大聖人の御書を解釈するということは、もっとも悪いことであります」と。
 弘法に励む学会員こそ、「身軽法重(身は軽く法は重し)の行者」にほかならない。そこに「信徒の真髄」がある。この学会員を、「当如敬仏(当に仏を敬うが如く)」と最大に尊敬し、大切にしきっていくなかに、日興上人のお教えにかなった「広宣流布」の伸展もある。
 これが日達上人のお心であられた。かつての悪侶らのように、御書を曲解し、自分の権威にまかせて仏子を愚弄し、言いなりにしようとすることは、最大の″悪″であると、彼らの先師が断じておられるのである。その教えに反すれば師敵対となる。
 そして日達上人は、続いて「私は、世界の人の前で、この身軽法重の行者、折伏の指導者である創価学会会長池田先生を大事にします。また、折伏の闘士として、創価学会の皆さんを大切にします」と。(拍手)
 こうしたことを紹介するのは、もとより自讃のためではない。私にとって、そんな必要は微塵もない。ただ、広布に生きる学会員が、どれほど大切にされるべき存在であるか。その確かな証を、後世に厳然と伝え、残しておきたいからである。(拍手)
 先ほど述べたように、今年もすばらしい弘法の歴史を刻んだ。御本仏の仰せどおりの「仏の使い」としての黄金の軌跡である。その意味で、日達上人のお言葉が、私には、いよいよ光を放って拝される。(拍手)
18  新しき年を最高に晴ればれと
 昨日、シマー博士には、カナダの詩人レクエアの、こんな言葉も語らせていただいた。
 「無知な人ほど人を軽蔑する。知恵のある人は包容力をもつものだ」
 すぐに人を見くだす傲りは、愚か者の証明である。賢い人は、人を守り、包容する、と。
 また「愚かな人に嫌われることを喜びなさい。彼らに好かれることは侮辱でさえあるから」と。
 大聖人は「開目抄」の中で「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」――愚人に褒められるのは第一の恥である――と仰せである。この御精神にも通じる言葉であろう。
 ともあれ私どもは、すべてに一言一憂せず、みずから決めた「この道」を朗らかに、晴ればれと進んでまいりたい。(拍手)
 最後に、皆さま方が、最高に楽しい、最高にすばらしい、最高に仲の良い、晴れがましいお正月を迎えられることを心から念願し、また一年間のご活躍に、重ねて最大の敬意と感謝を申し上げ、本日のスピーチを終わりたい。
 (大田文化会館)

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