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日蓮大聖人・池田大作

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第三回男子青年部幹部会・創価班、牙城会… 永遠なる「魂の勝利者」の道を

1990.12.9 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

前後
2  先日、秋谷会長らとともに、ある著名な財界人と懇談した。その折にも、学会の「大学校」方式が話題となった。
 その方々は、青年部や婦人部の″仏教大学校″″文化大学校″″哲学大学校″など、学会が新しい活動を進めていることに注目しておられた。そして、次のように率直な感想を述べ、讃嘆してくださった。
 学会は草創以来の伝統として「座談会」を基軸に発展してきた。しかし長い伝統のゆえか、外から見ている者にとり、座談会と聞くと、少々″古い″ようにも感じられる場合があった。また、年配の人にはなじみやすいようであるが、現代の若い人々にとって慣れない座談会に参加するのは初めは多少の戸惑いや抵抗感があるのではないか、とも思われた。そこへ、座談会というすばらしい伝統は生かしながら、新たに「大学校」が誕生した。これこそ、時代を先取りした魅力的な方式である。
 自分の会社でも、数多くの研修を行っている。何か新しいものへと脱皮しなければならないとつねに思っているが、なかなか発案し、実行することができない。その点、学会はよくぞ新思考をもって時代の先取りをして、すばらしい発想をなしえたものと敬服している。さすがに「創価」すなわち価値創造の団体である――と。
 「大学校」は、日蓮大聖人の仏法を研鑽し、正法を弘宣しゆく″折伏の場″である。また、古今東西のあらゆる事柄を学び、新時代のリーダーとして知性と知恵を磨く″啓発の場″である。さらに、多くの人々と友情の絆を結び、友好の輪を広げる″社会との交流の広場″となっている。
 「大学校」は、あらゆる次元を包含しつつ、新しい広宣流布の流れを総合的につくっている。本年、全国で総計二百万人近い若い人が集まったことは、広宣流布史上、画期的なことである。座談会だけでは青年部はそんなに集まらない。(爆笑)
3  メージャー英首相、時代が求めるリーダー像
 さて先日、イギリスのサッチャー前首相が、後任の若き新首相に後を託して勇退された。私は辞意表明の報に接してすぐ電報を打った。さっそく、サッチャー女史の個人秘書の方から、次のような返礼の手紙をいただいた。
 「首相(=サッチャー女史)より、貴殿からの丁重な電報に、心からお礼を申し上げてください、とのことでございます。首相はたいへんに感謝しております。
 また首相は、貴殿との会見(=平成元年五月、ロンドンの首相官邸で)をよく覚えており、貴殿ならびに貴会のすべてのメンバーの皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えしてください、とのことでございます」
 学会のすべてのメンバーによろしく伝えてほしい、とのメッセージであり、そのまま皆さまに紹介させていただいた。(拍手)
 サッチャー女史の後を継いだ若き指導者、メージャー新首相については先日も若千ふれたが、ここで氏の経歴や人柄などを紹介しておきたい。(ブルース・アンダーソン『栄光への挑戦』吉田純子訳、経済界、参照)
 メージャー首相は四十七歳。ひとことで「セルフ・メード・マン(たたき上げの人)」と評されている。すなわち″学歴や家柄、財産などによることなく、自分の力だけで自分を築き上げた人物″との意味である。
 新首相は、青年時代、あらゆる苦労をなめつくす。わが身ひとつのほかは、社会の荒波から自分を守ってくれるものがなかった。
 十六歳でグラマースクール(日本の中学・高校にあたる)を中退し、実社会に出る。そして事務員や肉体労働を経験した。十九歳の時には失業。貧乏のどん底生活を体験する。二十二歳で銀行に入るが、ロンドンから遠く離れたアフリカのナイジェリアに派遣される。どこに飛ばされても文句は言えない。人間社会の生存競争も過酷な戦いである。しかもナイジェリアでは交通事故に遭い、片足切断の危機にも直面する。
 その後、志をもって、下院議員に立候補するが、二回落選。一時は政治家への道をあきらめたという――。
 しかし、メージャー氏は、さまざまな苦節や逆境をも、かえって″自身をつくる″ための栄養としたのである。今、彼は自信をもって語る。
 「政治家としての経験が浅いとの声もあるが、私は政治以外のところで、いろいろな経験を積んでいる」と。また「大学を出た人とは別の角度からものを見ることができたのは、いい経験である。大学に行かなかったことを後悔してはいない」とも。
 家柄や肩書によらず、学歴にもよらず、体当たりでわが道を切り開き、確固たる自分自身を築き上げた自負。まさに″セルフ・メード・マン″の勝利の言葉である。階級や学歴にとらわれず、人物本位で後継者を選んだサッチャー前首相の見識も、さすがであると思う。
 戸田先生も、人材の登用にあたって、学歴や家柄に偏った世間の悪しき風潮にとらわれることを戒められていた。「本当の人間でなければ広宣流布の戦いはできない」と、つねに人物本位で判断されていた。
 ともあれ、メージャー氏が高校中退くらいの学歴で、世界に冠たる″議会政治の母国″イギリスの宰相となったこと自体、「学歴社会」の一つの終わりを象徴しているようにも思われる。
4  時代は「対立」から「協調」へと大きく変化している。メージャー首相は、その「新しい時代」を担う「新しいタイプのリーダー」として内外から注目されている。
 たとえば、氏は「周囲の声に耳をかたむける柔軟な思考の持ち主。対話型の政治家」と評される。″聞き上手″で、部下の報告によく耳をかたむけ、そのうえで判断を下すという。
 さらに、その人柄についての定評をいくつか紹介すれば――。
 「柔らかい物腰や話し方」「ハッタリや大言壮語と対極にある実直さ」「専門知識に裏打ちされた説得力のある語り口」「自分の大きさを表にせず、平凡さを自身の美徳としている」。また「自分の立場、意見がはっきりしている。物事をあいまいにせず、明快に語り、行動する」とも。
 こうした評価のなかに、「独断」より「調和」を、「押し付け」より「納得」を、「傲慢」より「謙虚さ」を求めるメージャー氏の人間像が明快に浮かび上がってくる。
 さらに氏は、物事を成し遂げるうえでの″モットー″として次の言葉を挙げている。
 「まず仲間をつくること。
 次にその団結を固めること。
 そして一人一人がどの役割を担い、どう実行するかを理解すること。
 あとは、いい仕事ができるよう前進あるのみである」
 これは、第二次大戦中に活躍したイギリスのモントゴメリー将軍の言葉を要約したものであるが、ここにも明朗で柔軟な氏の姿勢が表れているように思える。
 イギリスに限らず、あらゆる社会で、団体で、「新しいリーダー」が待望されている。これはもはや、世界の流れであるといってよい。それは、広布の舞台においても例外ではない。
 一人一人をどこまでも大切にする深き慈愛。心広々と対話しゆく柔軟性。人々を納得させる知性。そして豊かな人間性がなければ、これからの時代には通用しない。
 私が、スピーチをとおして、リーダーのあり方を繰り返し訴えているのも、そのゆえである。どうか、そのことを深く銘記して自身を鍛えに鍛えぬいていただきたい。
5  壮大なる理想、現実は堅実に
 昭和二十九年の秋。奥多摩の水川で、恩師戸田先生と私たち青年が、キャンプフアイアーを囲みながら語り合ったことがある。今なお、たいへん思い出深い。
 その帰り道のこと。ちょうど建設中の小河内ダムを見学した。
 展望台から壮大な工事を見ながら、戸田先生はこう語られた。
 「工事も大規模なたいした工事だが、このような山の中に、大ダムを構想し、それを立案した人間のほうが、はるかに偉いといわなければならん。人並みはずれた大胆にして周到な人がやったにちがいない。私は、そのような人に会いたくなってきた。青年たるもの、気宇壮大で、しかも細心でなければ、将来の大事業はできるものではないということを、よく覚えておきたまえ」と。
 この一言は、今もって、私の胸に響いている。
6  戸田先生ご自身、まことにスケールの大きな方であった。しかも、それでいて、たいへんに現状分析が緻密であった。毎日毎日の生活においても、行動においても、また広布の指導、進め方においても、じつに緻密であった。いかにスケールの大きい仕事であっても、緻密さがないと、どこかで漏れがおき、ほころびができるものだ。
 また、御書を拝しても、大聖人がいかに勇壮な法戦をされながら、緻密で、細かくご配慮なされてのお振る舞いであり、指導、激励であられたかを知ることができる。
 どうか、青年部の諸君は、どこまでも壮大なる理想に、広布の大目的に、雄々しく生きていただきたい。そして、現実はどこまでも緻密に、どこまでも堅実に歩んでいただきたい(拍手)。そこに真実の仏法の生き方もあり、真実の人生の勝利もあるからだ。
 戸田先生は、現状に甘んじることなく、つねに、新しい″何か″を生みだしていくよう教えられた。それが、青春であり、人生である。信仰であるとも言われていた。
 何でもよい。何かに挑戦していく。それが青年の宝である。決してあきらめてはいけない。惰性や安逸に流されてもならない。つねに″何か″に挑戦し、新しいものをつくり、開いていく――その挑戦の行動に、「信頼」という、青年にとって最高の財産が、自然のうちに光り輝いてくるのである。
7  言論は永遠、権力は無常
 「真実」は不滅である。ゆえに「真実」に生きる時、人もまた不滅となる。
 「信念」は永遠である。ゆえに「信念」に生きる時、若人は″永遠の青春″を生きる。
 一方、「権威」は無常である。ゆえに「権威」「権力」に酔う時、人は幻の人生を生きることになる。
 「真実の人」と「権威の人」――その対立と勝敗の姿を、今に伝える史実がある。
 二千五百年以上昔のこと。中国の春秋時代にせいという国があった。その国の王は荘公そうこう。ある時、荘公は、臣下の崔抒さいちょに謀殺されてしまう。主君を殺した悪臣・崔抒は、主君の弟を名目上の王に立て、自分は宰相(総理大臣)となる。こうして天下を取り、実質的な最高権力者となった。
 崔抒は内心″すべてうまくいった″と、ほくそえんでいたであろう。しかし、ここに権威、権力を恐れない一人の大史がいた。大史とは史官(歴史記録官)の長である。今でいえば言論人といってよい。
 歴史家、すなわち言論にたずさわる者は、つねに″本当のこと″を書くべきである――彼はそう信じて疑わなかった。
 彼は書いた。「崔抒、その君をしいす」(弑すとは、主君や父を殺すこと)と。
 これを見て、大臣の崔抒は激怒した。その大史をただちに処刑した。
 これで、事は収まったか。そうはならなかつた。殺された大史の弟が、兄の職を継いだ。弟はすぐに兄と同じことをした。「今の大臣は、主君を殺した」(崔抒、その君を弑す)と記録したのである。そう書けば、自分がどうなるかを承知のうえであった。
 大臣は、この弟も処刑した。″これで俺の権力の怖さが、わかっただろう″――そう彼は思ったかもしれない。しかし、すぐにそれが間違いであることがわかった。さらにその弟が同じことを繰り返したのである。また処刑――。
 そして殺された三人の兄の後を継いで、もう一人の弟が就任し、四たび同じことを書いた。「大臣は、主君殺しの反逆者であり、三人の大史をも殺した」と。
 ここにいたって、ついに大臣は断念した。「彼らを黙らせることはできない」「きりがない」と。
 この間、地方在住の他の史官は、大史が次々に殺されたと聞き、都にやってきていた。彼らは、手に記録板を持っていた(=当時は、紙がないので、竹や木の板に書いた)。何が起ころうとも「すべての真実を書こう」との使命感である。
 もしも、大臣が四人目の弟の大史を殺したとしても、彼らが″本当のこと″を記録するであろう。その全員を処刑しても、後を継ぐ者が現れるであろう。ついに大臣は屈服せざるをえなかった。地方の史官たちは、大臣が弾圧をあきらめ、真実が守られたことを知って、初めて地方に帰っていった。
 ――以上が『春秋左氏伝』(小倉芳彦訳、岩波書店、参昭)が伝える史実である。
8  こうして反逆者・崔抒は、「真実」を抹殺することはできなかった。そればかりか、二千五百年たった今もこうして語られているように、言論を弾圧した自分の罪を、千載に残すことになった。
 同じように、悪意の中傷を千万言連ねようと、正法流布に生きる学会の真実は消えない。かえって「こんなにひどいウソを書いたのか」という証拠を歴史に残していくだけである。
 一方、史官たちは勝った。殺された三人の兄弟も、万世に不朽の名を残した。処刑された時ですら、彼らの瞳は真実を叫びきった誇りに輝いていたにちがいない。だれの目に敗北と見えようと、彼らは「魂の勝利者」であった。やがて事実は後継の同志の手で見事に証明された。「真実の人」が「権威の人」に勝ったのである。
 私どもも断じて勝たねばならない。大聖人の真実の門下らしく「信心の勝利者」の一生を飾らねばならない。(拍手)
9  「権威」「権力」はいわば″酒″である。人を酔わせ、狂わせる美酒であり、魔酒である。また権力者は、つねに不安であり、それゆえに自分を酔わせてくれる魔酒を飲む。「真実」が怖くて、飲まずにいられない――ヒトラーやスターリンなど、独裁者は皆そうであった。
 だが、それがどれほどはかないことか。四十五年前の日本軍事政権の崩壊や、昨年の東欧旧体制の消滅を見ても、一つの権力が永続すると思うのは、幻想にすぎない。だまされてはならない。
 「権威」「権力」に生きる人は、幻を追い、幻の霧に迷う人である。最後は苦しみの淵へと転落していく。強き「真実の人」「正義の人」に、権力の魔酒はいらない。自分の正しさを知っているゆえに、いつも心は晴れている。幸福である。
10  信仰とは人間が人間となる勇気
 「信仰」とは、最大の「勇気」である。真実に生き、何ものも恐れない。それが信仰者である。
 大聖人は「石を珠といへども珠とならず珠を石といへども石とならず」――ただの石を宝石といっても、宝石になるわけではない。宝石をただの石といっても、石になるわけではない――と仰せである。
 どんな言葉で飾ろうとも、真実は隠せない。真実は真実、虚偽は虚偽である。
 この当然の道理を、はっきりと言いきっていく。深遠そうな理論にもだまされず、立派そうな格好にも目をくらまされず、″本当のこと″を勇敢に叫びきっていく。その人こそ、真の「魂の勝者」である。生涯、「権力の人」と戦う「真実の人」であられた大聖人の御精神に適った人生なのである。(拍手)
 そして「納得できないことは納得できない」と、民衆が頭を上げていく。″あたりまえ″のことを堂々と誠実に、主張していく。そこに燦然たる広宣流布の歴史がつづられていく。
 また、日本の古い、卑屈な精神風土を打ち破り、人類の進歩に貢献しゆく真の国際化への道もある。その意味で、大仏法の実践こそ、権威に弱い日本の精神土壌を変える、根本的な″薬″なのである。「良薬は口に苦し」で、迫害や圧迫も当然といえよう。
11  ユダヤ人のことわざに、「金を失うのは、人生の半分を失うことだ。しかし勇気を失うのは、人生のすべてを失うことだ」と。
 この人生、大事なのは勇気である。一人の勇気ある、揺るぎない「人格」に、世界は扉を開ける。すばらしき友情の橋が架かっていく。文化と歴史の相違を超えて、広々と広宣の道が開かれていく。私自身、その決心で生きてきた。その「勇気」に、私の一切の勝利の原因があった。(拍手)
12  勇気という「魂」を失う時、人間はもはや人間ではなく、ロボットとなってしまう。ちなみにロボットとは、労働、苦役の意味のチェコ語に基づく。
 「権力」にあやつられるロボット。「金力」の奴隷となったロボット。誤れる「宗教の権威」にひれ伏すロボット――人間は、だれのロボットになってもならない。
 私は十九歳の時から、人間とは何か、人間は何をなすべきか、人間はいかに生きるべきか、その根本課題を追究するために、戸田先生の弟子となった。この妙法に生ききることにしたのである。
 ″人間が「人間」となる勇気をもて!″″人間をロボットと化す鎖を断ち切り、解き放て!″――これこそ、全人類の救済に立たれた、大聖人の魂の叫びであったと私は信ずる。諸君は人間主義の旗を生涯、掲げとおしていただきたい。(拍手)
 さらに、人を機械(ロボット)のように取り扱う者、その者こそ冷たい機械(ロボット)である。
 人を、自分の金儲けの道具としか見ない資本家がいる。″集票マシン″と思っている政治家がいる。″故障″(病気)する機械と見ている医者もいよう。苦しんでいる人を救うべき立場でありながら、献身するどころか、かえって人を利用しようとする学者、聖職者、マスマミ人、弁護士がいる。これも残酷なる一般社会の一断面である。
 ともあれ、道具のごとく人間を見くだす人は、じつは、みずからが「権威」「権力」のロボットになっている。人を従わせる傲慢なロボット。また、人に従うのみの卑屈なロボット。どちらもロボットであることに変わりはない。この両方を、真の「人間」にする戦い――それが真の信仰であり、広宣流布なのである。(拍手)
13  権力者の本質は臆病
 先日(十月二十四日)、私は京都で、世界最高峰の平和学者ヨハン・ガルトゥング博士と会談した。席上、博士は東欧の劇的な革命に触れた際、東ドイツ秘密警察の記録文書を研究した結果をこう言われていた。
 「東側の指導者たちが、いちばん恐れていたのは、西側諸国など他国の指導者ではありませんでした。むしろ自国の少数の平和主義者たちを恐れていたのです。非暴力の運動家たち、『信念』のためにはみずからを投げ出す覚悟のある人々、そうしたグループをもっとも恐れていました。それは彼ら権力者たちでさえ、心の中では、こうした平和主義者のほうが正しいと知っていたからです」と。
 抑圧的な権力者――彼らの本質は、じつは「臆病」なのである。臆病だからこそ、みずからを守る″威厳のよろい″として、権威を求める。また人々に尊敬され、忠誠を誓わせないと安心ができない。
 だからこそ、なおさら彼らは、権威もいらぬ、名誉も財産も何もいらぬ、命さえいらぬという「信念の人」が恐ろしい。自分の権威を認めない者がいることが気になってしかたがないのである。
 そして、みずからの「臆病」と「不安」を人々に悟られることを、また強く恐れている――。
 臆病な人間は、残酷である。勇気の人は寛厚(寛大で温厚)である。
 かつての悪侶らの残酷さ、ヒステリックな言動。それらも知性の弱さとともに、内心の臆病と、正しい者への恐れの現れといえまいか。
 ヨーロッパのことわざに「臆病な犬ほど、よく吠える」と。また「深き河は静かに流れる」と。
 恐れているから、弾圧する。不安だから、ことさらに権威的になる。自信と確信がないから、その分、自分を大きく見せようと虚勢を張る。これが「修羅」の特徴である。勝他の念――ともかく自分が一番と思えないと気がすまない生命である。
14  ゆえに、悪に対しては、また障魔に対しては、こちらがそのもろさを見破って強く出ることである。そうすれば彼らは後退し、退散する。
 「佐渡御書」のあまりにも有名な一節、「修羅しゅらのおごり帝釈たいしゃくめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し」――巨大な姿を見せ、おごっていた阿修羅王は、帝釈天に責められると、無熱池(閻浮提の四大河の水源とされた清涼な池)にある一つの蓮の実の穴の中に、小さくなって隠れてしまった――。このように、おごれる者は、強敵にあうと、必ず恐れる心が出てくると、大聖人が教えてくださっているとおりである。
 「修羅の人」が、自分を大きいと錯覚しているのは、権威やうぬばれの風船をふくらませ、その風船の中に隠れて、自分も大きくなったように勘違いしているのである。
 風船を突いて破れば、みすぼらしい小身が現れる。代議士は、落選すれば代議士ではない。権威もなくなってしまう。立場に生きる人が立場を失い、名声に生きる人が名声を失った時――それはあまりにもみじめである。
15  もう一つ、諸君に覚えておいていただきたいのは、「大慢のものは敵に随う」――大慢心の者は、いざという時に敵に従う――との仰せである。
 これまでも悪侶や反逆者は、本来、自分たちと主義主張の反する勢力とも手を結び、野合して、正法を迫害してきた。それまでの敵とも、簡単に″同志″になってしまった(笑い)。また、いよいよ追いつめられると、これまで罵ってきた相手にも頭を下げて、保身を図るのが、大慢の人の行動パターンである。
 これに対し、大聖人は、しばしば世間から「慢心だ」「傲慢だ」と非難をされておられる。ありのままの″真実″を語られるのだから、保守的な人々にそう見えるのも、ある意味で仕方なかった面があるかもしれない。
 しかし言うまでもなく、それは「正法を惜む心」が強盛なためであり、慢とは正反対の、正法への大確信と大慈悲であられた。
 「顕仏未来記」には「我が言は大慢に似たれども仏記をたすけ如来の実語を顕さんが為なり」――わが言葉は大慢心のように見えるかもしれないが、仏の予言を助け、如来の真実を証明するためである――と。類似の御文は御書に数多い。
 ともあれ、信仰とは、何ものも恐れぬことである。庶民が、民衆が、不敵なまでの強さで立ち上がる時、時代は変わる。
 迫害しているほうではなく、されているほうが正しいのだ――という″真実を見る眼″を人々が揺るぎなくもつ時、いかなる悪しき権威にも左右されない″民主の世界″の礎ができる。諸君こそ、その新世界の建設者なのである。(拍手)
16  先見的な運動に月氏の国(インド)からも期待と称讃
 話は変わるが、ご存じのとおり、このたび仏教発祥の地インドから、二つの賞を受賞した。(拍手)
 一つは「シャストリ記念国際賞」。仏法を基調とした平和・文化・教育の運動推進に対し授与されたものである。そして、もう一つは「一九九〇年ラグヴィラ賞」。これは仏法の精髄である「法華経」の価値観を世界に宣揚したことをたたえて贈られたものである。
 この受賞に際して、インド文化国際アカデミー理事のタラ・チャンダリーカ女史が朗読した表彰文には″日蓮大聖人は「開目抄」を著しました。池田SGI会長は、この著作を生き生きと現代に展開しています″と述べられている。
 「法華経」には、釈尊の法華経(二十八品)、天台の法華経(摩訶止観)、そして大聖人の法華経(三大秘法の南無妙法蓮華経)とがあるが、言うまでもなく私どもの信仰の根本は、仏法の真髄である大聖人の法華経にほかならない。「ラグヴィラ賞」は、この大聖人の仏法を基調とした私どもの運動を高く評価して、贈呈された賞なのである。
 今回は、せっかくのご招待にもかかわらず訪問することができなかったが、授賞式には、代理の出席とさせていただいた。
 ″精神の大国″インドからの受賞は、「ラマチャンドラン賞」(一九八八年一月)、「国際平和賞」(同年十二月)に続き、これで四つとなる。何よリインド創価学会の皆さま方が、インド広布三十周年(一九九一年二月)の目前とあって、今回の受賞を本当に喜んでくださり、誇りとされているとうかがい、私もうれしい。
17  またインドの各界の識者の方々も、心からの祝福を寄せてくださり、新聞や国営テレビ放送でも受賞のニュースが大きく報じられたとうかがった。なかでも、インド文化国際アカデミーの理事長であるロケッシュ・チャンドラ博士は、受賞に際し、次のような言葉を寄せてくださった。
 「インドには『法華経』がなくなってしまいましたが、池田先生によって法華経が、日本で、また世界で、生きた形として存在することは私の最大の喜びです」と。
 またこれは、博士独特の一つの譬えと受け取っているが、このようにも語られたという。
 「仏教に千手観音というのがありますが、それは千の手を持っているというより、知性の眼がある、ダイナミックな知性が働いているということを意味しています。
 池田先生の知性の眼は、それ以上のものです。日本のもつ知識、科学・技術も、先生の千の知性の眼によってさらに輝き、強化され、発展するでしょう」
 「千手観音」云々の表現はともかく、世界に開かれた「知」は、正法宣揚の偉大な武器である。
 博士は、ヴェーダ語(古代インドの言語)の世界的権威である父ラグヴィラ博士と二代にわたって、インドの深遠な文化・思想・学術の研究、出版に尽力してこられた方である。古代からの貴重な文献の刊行は、シリーズで三百数十巻にわたり、チャンドラ博士ご自身、じつに二十力国語を駆使して世界の識者と交流され、平和への行動を続けておられる。まさに父子一体となって、インドの尊き精神遺産を未来へ、世界へ、伝承・展開するために心血をそそいでこられた″インド最高峰の知性″である。こうした方が、私どもの行動に、これほどまでに信頼と評価を寄せてくださっているのである。(拍置
18  大仏法の″精神の王道″を世界ヘ
 また、ラダクリシュナン博士(ガインー記念館館長)からも祝福の言葉をいただき、すぐに訪印団から報告を受けた。博士とは四年前にお目にかかっており(=一九八六年九月の群馬青年平和文化祭に来賓として出席)、これまでもSGIの活動に深い理解を寄せられ、見守ってくださっている。
 長文のため抜粋になるが、ありのままをお伝えしたい。博士は、次のように語られた。
 「池田先生は現在、人類を発展させる平和のため、大きな躍進をする基礎をつくっておられます。世界には、自分の目的を実現させるのに、政治的・経済的革命を行う人はおります。たとえばフランス革命もそうでしょう。
 しかし、文化・教育をとおして革命を試みているのは池田先生だけです。学会の文化祭、また創価大学をはじめとする教育機関や民音の活動を見ますと、そのことを強く感じます。政治以上に、教育・文化こそが、明日を開く大きな事業なのです」
 「創価学会は、本当に優秀な仕事をしておられる。国際的レベルで見ても、学会ほどの幅の広い、尊い組織はありません。世界にはいろいろな組織がありますが、いずれもローカルなものでしかないように思われます」と。
 博士は、じつに正確に認識してくださっていた。――いわゆる一般の聖職者であれば、宗教のための宗教でもよいであろう。しかし、皆さま方は在家であり、社会人である。であるならば、宗教を基調として文化・平和・教育へと開き、社会に貢献されているのは、まったく正しい。また、そうでなければ、あらゆる人々に開かれた仏教の世界を狭めてしまいかねないし、社会の一員としての道理にも反する。したがって、インドをはじめ世界の英知が皆さまを支援するのは当然である――と。(拍手)
19  また博士は、次のようにも語ってくださっている。
 「池田先生の思想は、戦争を阻止することにあります。先生のインスピレーション(着想、ひらめき)はすばらしいもので、四年前の会見の模様は鮮明に覚えております。先生は、世界の最高峰のものを象徴しておられます。
 先生のことを考えますと、今、自分がやっている仕事を、偉大な文化、平和のためにやっているのだと思うことができ、勇気が湧いてくるのです。私の祈りは、先生のメッセージが、広く世界に伝わるようにということです」と。
 そして、トインビー博士と私との対談(=『二十一世紀への対話』。本全集第3巻に収録)に触れられ、「対談集を読んで、つくづく思ったことの一つは、池田先生がトインビー博士に影響を与えているということです。対談というのは普通、両者がそれぞれの思想を交換するという形になるのですが、この対談は、先生がトインビー博士に、どんどん影響を与え、博士自身が自分の考えを改めたりしているのです」とも。
 さらに「先生は『二十一世紀はアフリカの世紀である』と言われました。まったく、そのとおりだと思います。今、アフリカは″眠っている巨人″です。石油などの天然資源もあり、二十一世紀には、地球の発展のために大きな役割を果たすことでしょう。二十世紀は、アメリカ、そして日本、ドイツが経済的な強国になりましたが、諸大国は力を失ってきています。しかし、アフリカの発展の可能性は大きく未来へと開かれています」と。
 博士の話は、このほか教育交流などにも及び、将来の日印交流について、具体的な展望を語っておられる。そこには、両国の未来を見つめる真剣な眼差しがあり、人間と人間の絆に対する誠実さがあふれている。
20  若き皆さま方であるがゆえに、あえてこのような形で紹介させていただいた。
 こうした、SGIの世界的な活動をたたえる評価、そしてさまざまな賞や勲章――。これらは、皆さま方が将来、さらに人類貢献の道を開き、生々世々にわたって人々から信頼され、最大に称讃されていくという証左であり、その″大河の流れ″の一流であると確信していただきたい。(拍手)
 仏法では「依正不二」「本末究竟等」と説く。私どもは永遠に一体の同志である。諸君の″栄光の未来″に連なる一つの源流として、私は賞をお受けしているのである。
 この″大河の流れ″が、世界へと広がり人々を潤していく。そして、全地球上に広宣流布の壮大な沃野が開かれていく――これが二十一世紀である。皆さま方の時代である。(拍手)
 大聖人は「撰時抄」の中で、次のように述べられている。
 「大集経の白法隠没の時に次いで法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか
 ――大集経に説かれる白法隠没の時(釈尊の仏法が功力を失う時)に次いで、法華経の大白法(大聖人の仏法)が、日本国並びに一閻浮提(全世界)に広宣流布していくことも疑いないであろう――と。
 大聖人門下として、この仰せを現実のうえで違わず実現してきたのはだれか。他のだれでもない、私ども創価学会である。
 大聖人の立宗宣言以来、三大秘法の仏法を、これほどまで日本中、全世界に弘めた事実が、かつてあったであろうか。まさに、正法の歴史に未曾有の、そして世界の仏法史に燦然と輝く壮挙なのである。(拍手)
 先ほどのチャンドラ博士の言葉にみられるように、月氏の国インドの誇る「良識」と「知性」の人々も、もろ手をあげて、私どもの行動の正しさを評価してくれているのである(拍手)。どうか諸君は、この厳然たる事実を忘れず、胸を張って進んでいただきたい。学会とともに、大いなる気概をもって誇り高く生きぬいていただきたい。(拍手)`
21  東洋広布への初の訪印から三十年
 一九六一年(昭和三十六年)、私が日達上人をご案内し、インドを初訪問してから明年二月でちょうど三十年になる。その訪印の直前、日達上人は次のように語っておられた。
 「今回創価学会会長池田大作先生の道案内によりまして、東南アジア方面へまいることになりました。まことに身に余る光栄と存じておるのでございます」
 「この大聖人様の仏法を、不肖私が創価学会の案内で、今あの釈尊の悟りを開いたブッダガヤの地へまいりまして、大聖人様の『三大秘法抄』をもってそこに埋蔵し、再び化儀の広宣流布と、この印度に到達する時を希って、今回行って来たいと思うのでございます」(『日達上人全集』)と。
 そして、ブッダガヤの地に「三大秘法抄」一巻、「法華経」の要品一巻、願文一通等を埋納されたのである。
 以来三十年――。本年八月には、「SGI青年文化訪問団」のメンバー六十一人がインドを訪れた。今回は猛暑の最中の訪印となったが、八月十日、訪問団一行は、インド創価学会の青年部の代表とともにブッダガヤを訪れた。そして金属探知機で、「三大秘法抄」などを埋納した場所を確認した。
 ステンレス製のカプセルの反応で、釈尊ゆかりの″聖地″に埋納されている場所を特定することができたのである。
 また、現在インドでは、数多くのメンバーが祖国の繁栄と平和のために、すばらしい活躍をされている。若き妙法の人材も陸続と育っている。こうした事実は、今回インドから受賞した二つの賞と考え合わせ、まことに感慨深いものがある。
 まさに、「諫暁八幡抄」の「日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」――日は東から昇る。日本の仏法が月氏(インド)に帰るべき予兆である――との御金言どおり、「仏法西還」の歩みが確かに刻まれている姿を、御本仏日蓮大聖人はどれほどお喜びであろうか。(拍手)
22  さらに日達上人は、学会の第三十一回総会(昭和四十三年五月)の折、折伏の意義について、次のように述べられている。
 「今日の我々は、大聖人様の仏法を、今日の時代にひろめ、広宣流布のお手伝いをするのでありますから、我々の折伏は、化儀の折伏であります。故に、化儀の折伏は、政治、経済、文化、あらゆる方面にわたるべきであります」(『日達上人全集』)と。
 そして、私どもの社会への行動、平和への努力を、化儀の折伏の反映であると意義づけ、最大に讃えてくださっている。
 私どもの進める平和・文化・教育推進の運動が、どれほど正法流布の精神に適った歩みであるか。このことを、深く確信していただきたい。(拍手)
23  「深き人生」を行動の中に
 ともあれこの一年間、諸君は私とともに、すばらしい広布の歴史をつづってくださった。来年もまた、見事なる活躍をお願いしたい。
 日興上人は「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」――いまだ広宣流布していない間は、身命を捨てて、各人の力に応じて妙法弘通に励んでいくべきこと――と仰せである。この「随力弘通」の精神を満々とたたえながら、健康で、勇気と希望あふれる前進を重ねていかれんことを願ってやまない。(拍手)
 どうか、よいお正月を、楽しいお正月を迎えていただきたい。各会館での新年勤行会も、青年部の諸君がはつらつとリードして、最高の出発にしていってほしい。勤行のあとは、幹部のあいさつもできるだけ簡潔にして(笑い)、元気よく、気持ちよく新春のスタートを切っていくことが大切である。若い力と″新思考″を存分に発揮して、創立七十周年へ晴れやかに船出する原動力となっていただきたい。(拍手)
 信心の世界は、はつらつと、歓喜に燃えて頑張ったほうが″得″である。その行動力の分だけ、自分自身が「永遠の幸福」の軌道を生きることになるからである。
 最新鋭ロケットの噴射のように(笑い)、ぐんぐんと勢いを増しながら、永遠なる「境涯の宇宙」を遊戯していくか。逆に、元気よく飛び出したものの(笑い)、途中で失速し、墜落してしまうか。すべては自身の「一念」で決まる。
 信心の「一念」の姿勢によって、燦々たる陽光のような人生を歩むこともできれば、業火や風雪に閉ざされた不毛の人生にもなる。これが生命の厳しき因果の法則なのである。
24  信心は「行動」である。妙法蓮華経の「経」にも、広くいえば、「行動」「振る舞い」の意味がある。広布のために動いた分だけ、自身の境涯も、福運も、無限に開けていく。
 人生それぞれ自由である。どう生きようが、どう遊ぼうが、とやかく言う必要もなければ、とやかく言われる必要もない。それを前提としたうえで、妙法の信仰は、自分自身の「深い境涯」を開き、「深い福運」を積み、「深い人生」を生きていくためのものである。また縁する人々をも全部、幸福の方向へと導いていける。
 ゆえに私は、信仰だけは、「強き信心」に生きぬけと申し上げたい。
 結局、最後に幸せになった人が得である。また、勝利した人が得である。途中のよしあしや楽しさに幻惑され、それと最終章の厳しき勝負とをはきちがえてはならない。このことを教えるのが真実の仏法である。百千万億劫の功徳を、ともどもに大輪の花と光り輝かせていくための、今世の信心の闘争なのである。(拍手)
 ともあれ、いかに悲しく、また苦しいことがあっても、かの喜劇王チャップリンのごとく、「明朗王」として生きぬいていかれんことを心から念願し、本日の私のスピーテとしたい。この一年間、本当にありがとう。ご苦労さま!
 (創価国際友好会館)

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