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日蓮大聖人・池田大作

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第十四回全国婦人部幹部会 幸福を開くのは自分自身

1990.11.30 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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2  その意味で、私は語っておきたい。
 「愚痴よりも賢さを」「悲観より楽観を」「黒い嫉妬の心よりも、真っ赤な太陽の心を」「やきもちよりも、境涯を広げて」「意地悪よりも慈悲を」「感情に負けるより、知恵で勝て」と。(拍手)
 感情といえば、夫婦ゲンカは、もちろん自由だが(爆笑)、できれば、さわやかな明るいケンカを(爆笑)、ご主人を再起不能にまで追いつめない(爆笑)思いやりを、と望んでおきたい。(笑い、拍手)
 そして「平凡より、充実を」――井戸端会議で人のうわさばかりの(笑い)、平々凡々の特識な″向上なき生活″よりも、社会に目を開き、哲学を語り合う、心豊かな″花も実もある生活″を、皆さまは送っていただきたい。また現に、そうしておられる。(拍手)
 要は「みじめに負けるよりも、晴ればれと勝つ人生を」ということである。「心」と「一念」が負ければ、勝負はおしまいである。あきらめは幸福の死である。「断じて勝つ!」。その根性のある人が、最終の勝者である。
 華やかな名声も、位も、富も、それだけでは、表面を着飾っただけである。ほかならぬ自分自身が病み苦しんでいては、どんな衣装をつけても幸せとはいえない。当然の道理である。はつらつたる健康な生命、愉快な、生き生きと、満ち足りた心――そこに幸福の実体がある。(拍手)
 私は皆さまに、ただ「幸福」になっていただきたい。それ以外に願いはない。だからこそ、これらを強く申し上げておきたいのである。(拍手)
3  世界の識者から寄せられる期待の声
 私のもとには、毎日、日本中、世界中から種々の報告、便りが寄せられる。見る間に机にうずたかくなってしまうほどの量である。きょうも、そのごく一部を紹介させていただきたい。私は皆さまにいろんなことを覚えていただきたいし、ありのままをお伝えすることがいちばん正しいと信ずるからである。
 各界の人々の声を紹介する場合も、決して自讃ではなく、私どもへの一つの励ましとしてお伝えしている。
 私としては気恥ずかしいし、本意ではないが、広宣流布のため、多くの人々のためには、語るべきことは語り、個人的感情にとらわれてはならないと思っている。
 創価大学の方からは、昨日来日されたソ連国民教育国家委員会のヤゴジン議長との語らいが伝えられた。ヤゴジン議長の立場は、わかりやすくいえば、国家の文部大臣のような重責である。
 議長は、創大の創立二十周年を祝賀する集いに出席され、教員方の前で、次のように話された。
 「創立者池田先生は、この会場にはいらっしゃいませんが、私は、ここに出席されていると思っております」
 「歴史上、運命を変える偉大な人物がいます。それが池田先生です。先生は、創価大学の国際交流を広げ、そしてSGI(創価学会インタナショナル)を国際的組織に広げられました。それによって、これまで世界平和の基盤をつくってこられたのです」(拍手)
 「先生は今まで、核廃絶への壮烈な戦いをしてこられました。このたび情勢が変わり、すなわち緊張緩和の状況が現出され、先生の尽力してこられたことが実現してきました」と。(拍手)
 次いで「私は、これまで数回、先生に会見していただく幸せをもつことができました。会うたびに先生は創価大学について話題にしておられます。創大のすばらしさ、新しい人材の育成、教育ヘの努力は、ますます未来に向け、すばらしい活動を展開されていくでしょう」「創価大学は世界の三十六大学と交流をされており、その中にモスクワ大学が入っているのは誇りです。私としては、ソ連のもっと多くの大学とも交流を進めたいと望んでおります」と。
 三十六大学との学術・教育交流――この平和のネットワークは、日本では実質的に最高峰の数となった。(拍手)
 またモスクワ大学のほうが創大よりはるかに大きく、歴史もあることはいうまでもないが、創大との交流を「誇り」と言ってくださっており、その謙虚さと、私どもへの期待の大きさに感銘する。
 さらに「最近の五年間(=ゴルバチョフ大統領が党書記長に就任以来)、世界は良い方向へ進んでおります。これは人間の英知に基づいて変化しているもので、その変化にソ連が役立ったことは、誇りとするところです」と。
 そのとおりであろう。世界、とくに日本はこの事実を直視して、新しいソ連に感謝し、応援すべきであると私は思う。(拍手)
4  新しい時代は英知の力で
 「英知による変化」との議長の言は意味が深い。「英知」とは、だれもが納得できる普遍性のある「道理」とも言える。
 どの国にせよ、もはや独善の時代ではない。利己主義や感情論にとらわれていてすむ時代でもない。閉鎖性も完全に時代遅れである。
 人類が一つになりつつある時代である。オープンな、また飾らない、あたたかい人間性をもった、視野の広い外交であり、国家でなければ、取り残されてしまう。これは、どの社会、団体でも同様である。
 そうした万人に開かれた広場が「英知」であり、「道理」なのである。また「文化」であり、「教育」である。
 日蓮大聖人の仏法もまた、もっとも社会に開かれた宗教である。世界に開かれた仏法である。ゆえに″全人類″へと展開し、つねに未来をリードしつつ″永遠性″の運動へと脈動せしめていくのが、大聖人の仰せどおりの広宣流布の前進と私は確信する。(拍手)
 私がさまざまな角度からスピーチし、また仏法を基調として幅広く平和・文化・教育の推進をしているのも、こうした「英知の時代」「人類の時代」を先取りしているつもりである。
 和泉覚さん(創価学会最高指導会議議長)が、先日、面白いことを言われていた。
 「学会は今やどこに行っても、マンデラさん(南アフリカの反人種差別の闘士)とか、ガルトゥングさん(世界的な平和学者)とか、すごい話をしている」(爆笑)「昔は折伏成果の追及ばかりで(爆笑)、それも大事かもしれないが、まるで灰色一色の学会でしたよ」(爆笑)「すごい時代になりましたね。これこそ法華経と御書に示された世界への方向性だと思います」と。(拍手)
 さすがに″年の功″というべきか(爆笑)、今昔両方、身をもって体験しておられるだけに、説得力がある。(笑い、拍手)
5  「英知の時代」と言っても、イコール「学歴の時代」を意味するものではない。むしろその反対である。庶民が賢明になり、正しい情報をもち、知恵を発揮して立ち上がる時代なのである。人を幸福にするという真の「英知」を養わない「学歴主義」など、無意味となる時代である。また、そうしていかねばならない。
 サッチャー首相に代わるイギリスの新首相メージャー氏の学歴は、日本でいえば中学校卒業に相当する(=グラマー・スクール中退、十六歳から実社会へ)。学歴社会、階級社会の終焉を象徴する一つであると思う。
 「英知」は身近なところにある。また、ふだん知っているつもりで、その実、よくわかっていないことも多い。それらを一つ一つ、学んでいくことが、自分の″心の世界″を広げていく。広がった分、充実した人生、生活となる。
 たとえば、「シンデレラ姫」について、お子さんに聞かれ、「シンデル(死んでる)姫のことよ」(爆笑)では仕方一がない。(=この時、民音公演中の「モスクワ児童音楽劇場」の中心演目がバレエ「シンデレラ」であった)
 「シンデレラ」とは″灰かぶり″の意味である。また″燃えがら″などの意味もある。毎日、まま母や姉たちにいじめられ、灰だらけになって、かまどの燃えがらと一緒にいたからである。
 しかし、仕事を押しつけられて、召し使いのように黙々と働いていたシンデレラは、ご存じのように、仙女(妖精とも云われている)の助けで、王官に住む身となる。人を働かせて、威張ってばかりいた姉たちは、みじめな生活となってしまった。
 一切法はすなわち仏法であり、仏法的にいえば、シンデレラの「陰徳」に諸天が感応して、「陽報」の時を迎えたわけである。
 いわんや皆さまは日々、広宣流布のために、また愛する妙法のご一家のために、地道に、また地道に働いておられる。その陰徳が、王官に住むような大福徳の陽報を招かないはずがない。三世にわたって、必ずや妙法の「シンデレラ姫」と輝くことを確信していただきたい。(拍手)
6  ヤゴジン議長からは日本に到着されてすぐに、次のような伝言があった。
 「七月(本年の第五次訪ソの折)の毎日毎日のことは忘れがたい思い出です。とくにゴルバチョフ大統領と池田先生の会見については、決して忘れることはできません。今でも、話題にのぼるんです。池田先生にくれぐれもよろしくお伝えください」と。(拍手)
 大統領ご自身、この会見について、その後、何度も触れられているとうかがっている。(=モスクワ大学のログノフ総長からは、以前、大統領の次のような言葉が伝えられた。「池田SGI会長とお会いすることができ、本当によかった。私個人としても、池田会長に大きな影響を受けた。それにしても池田会長は、平和の問題をはじめ、すべてに全力を尽くしておられる方だ。私は大きな満足を得た」)
7  マンデラ氏「会見は最大の思い出」
 また、今月、ザンビアのカウンダ大統領とお会いしたが、その後、同国のズル駐日大使からも次のような伝言が寄せられた。
 「池田SGI会長と大統領との会見は、私にとってこのうえない喜びであり、大統領も心から感動していました。また、会見の模様は、ザンビアにおいてテレビ、新聞で大きく報道され、たいヘんな反響を呼びました。さらに、会見の席上、SGI会長より創価大学との教育・学術交流のご提案をいただいたことは、たいへんに名誉なことです」と。
 教育・文化の往来が基本にあってこそ、「交流」は″人間としての交流″になる。それなくして、経済・政治のみの交流では、往々にして一方通行になったり、対等な交流にならない場合が多い。平等の立場で「心」を通わせることこそ大切なのである。
 私が世界各国との教育・文化交流を推進する理由もここにある。まして、二十一世紀への偉大な可能性を秘めたアフリカの国々とは、なおさらのことである。
 そして、大使は、これも先日、私がお会いした南アフリカのマンデラ氏(=アフリカ民族会議〈ANC〉議長、大統領)と、個人的に会われた時に、次のような話をされていたことも伝えてくださった。
 「池田SGI会長との会見は、日本のみならず、アジア各国の訪問のなかでも、最大の思い出になりました。有意義な会見はもとより、学生たちによる真心からの歌の歓迎を受けた時、私は涙が止まらなくなるほど、心から感動しました。あのようなすばらしい青年たちを育てられた池田会長の教育と、その理念に深く感銘したのです。池田会長は世界的な英知の人格者です」と。(拍手)
 さらに、大使は次のような感想も寄せられた。
 「マンデラ氏の言葉を待つまでもなく、SGI会長は日本の他のリーダーとはまったく異なります。一般的に日本人は欧米至上主義で、アフリカの話になるとすぐ、″カネ″を要求されるのではないかとのたいへんに偏った見方をしています。それに対して、SGI会長は、アフリカの将来にもっとも重要な教育・文化交流の道を開いてくださっています。そして何よりもアフリカの人々に未来への希望と勇気を与えてくださっています」と。
 過分なお言葉であるが、私どもの運動を深く理解し、期待してくださってのことと私は受け止めたい。(拍手)
8  「写真に表れた人生哲学に共感」
 また、香港のもっとも権威あるカメラ雑誌『撮影画報』の十一月号に、編集長の麦烽ばくほう氏が、私の写真展の印象をつづってくださっている。(=「自然と平和との対話」の第二回香港展が、この年九月に九竜の香港文化会館で開催され、約四万人の市民が鑑賞した。『撮影画報』は香港で業界第一のカメラ雑誌で、この号には麦氏の論評とともに、氏自身が選定した名誉会長撮影の写真九点を、七ページにわたってカラーで紹介している)
 二度の香港での写真展は、多くの新聞、雑誌等で報道されたとうかがったが、ここでは長文にわたる麦氏の論評から、一部を抜粋し紹介させていただく。
 「池田氏の作品を見ると、そこには作為的に選ばれた風景や厳密な構図はない。レンズの使い方にも、形式ばったアングルは見られない。静かな庭園を心赴くままに歩きながら、自由にシャッタ―をきっているかのようである。氏がカメラを持つ時に、あたかも自分がそのそばにいるようで、とても懐かしく、心地よい雰囲気にさせられる。古い友人に久しぶりで出会い、その頼を撫で、ヘだたりを感じなくなる、というイメージである」(拍手)
 さらに「『自然』と『平和』――これらは、池田氏の心を離れることのないテーマであり、その表現方法から、また作品に内包する思想から、おのずと氏の人生哲学が表れている」――氏の人生哲学を理解すれば、さらに深くその作品を味わうことができる。写真愛好家の諸氏は、これらを踏まえて、池田大作氏の作品を鑑賞してほしい」とも書いておられる。(拍手)
 なお麦氏は、第一回香港展(一九八八年七月)の折には、″宗教宣伝″の作品が並んでいるであろうと思い、また自分は仏教には門外漢なので、足を運ばなかった、と率直に述べておられる。その後、ある友人から第一回展の作品を収録した写真集を贈られたのを機に、関心をいだくようになったとのことである。
 私の場合、多忙な日々のなかでの撮影である。移動のさなか、車中からレンズを向ける場合も少なくない。こうした私の写真に対して、麦氏のご評価は過分のものと恐縮している。
 ただ、宗教、哲学といっても、むきだしの生の形だけでは、氏のように拒絶反応を示される方が多いにちがいない。もっと普遍的な、「人格」とか「文化」という何らかの洗練された表現をとおしてこそ、多くの人々に共感と理解を広げることができる。その一例として、紹介したしだいである。(拍手)
9  創価学園生の目覚ましい活躍
 過日、東京・創価高校の校長先生から、お手紙をいただいた。生徒思いの、立派な先生である。校長先生は手紙の中で、学園の現状や生徒の皆さんの近況等を、率直に綴っておられた。そのなかに、次のような報告がなされていた。
 「二学期の後半には、創価大学、創価女子短期大学、ならびに創大国家試験研究室の説明会が相次いで開催されました。その際、話題となったことの一つに国家試験における学園出身者の活躍ぶりがありました」「一年次に約二百人が国家試験研究室に集まり、最終的に合格する者は半分以上が学園出身であり、その率はたいへん高いとのことであります」と。(拍手)
 本年、創大からは外交官試験などの国家試験に多くの合格者が出た。また、女性の活躍も本当に目覚ましい。こうした創大生の健闘のなかでも、学園出身者の活躍がとくに光っている。
 また続けて、「決して秀才が集まるわけでもなく、人柄もいろいろで、表面的には共通の要素はないとのことでした。ではなぜか、ということになったのです」と。
 それは、お母さま方のすばらしい″知性″と、お子さまに対するあたたかい″励まし″のゆえである――と私は想像したが(笑い)、あにはからんや(爆笑)、手紙にはこうあった。
 「ただ一つ思いあたることは、合格体験発表の際、共通に述べる次のような言葉だということです。『創立者との誓いを果たすために、また先生に合格のご報告をするために自分はひたすら頑張った。そのことが苦しく長い受験勉強を支えてきた』ということでした」
 「最近、私は生徒たちにも教職員にも『学園生には表面的な成績表等には表れない不思議な力、ミラクル・パワーがあるのだ』とアピールしています」(爆笑、拍手)
 生徒への深い愛情、一人一人の成長への期待と信頼が、ひしひしと伝わってくる。創価教育、人間教育の道は、今後ますます豊かに花咲き、実を結んでいくにちがいない。(拍手)
10  皆さまこそ大功徳の人
 先日、私は十二年ぶりに高知を訪問し、懐かしい友とお会いすることができた。当初、アメリカでいろいろな方とお会いする予定もあったが、深く心に期していたこともあり、四国訪問となった。
 思えば創立六十周年への勝利の前進は、昭和五十六年(一九八一年)の四国(徳島)指導から始まった。当時、私は、背信者らの策謀のために、まったく動けない状況に置かれていた。そうしたなか″よし、四国から始めよう″と、謀略の鉄鎖を断ち切って行動を開始したのが、あの徳島指導であった(拍手)。その意味からも、創立七十周年への一つの出発を、四国からしよう、と心に決めて、高知を訪れたのである。(拍手)
 この十二年間、四国の皆さま方は、本当によく戦ってこられた。経済的に豊かというわけでもない。交通網の不備な地域も多い。また、理不尽な悪侶たちの跳梁も激しかった。口では言えない辛苦のなかを、耐え忍び、正法正義の大道を切り開いてこられた。その涙ぐましい健闘を、私は心からたたえたい。(拍手)
 私は、苦労して戦ってこられた方々のことは絶対に忘れない。今回は多忙なため、高知のみの訪問となったが、他の地域にも、できるだけ早くうかがいたいと念願している。
 ともかく、四国の友は、立派に成長されていた。見事な発展をされていた。その姿を拝見し、私は本当にうれしかった。また、皆さま方の活躍は、何よりも御本仏日蓮大聖人が御照覧くださり、御称讃くださっているにちがいない。(拍手)
11  大聖人は、四条金吾へのお手紙の中で、こう仰せである。
 「(=釈迦仏は)十九の御年・浄飯王宮を出でさせ給いて檀特山に入りて十二年、其の間御ともの人五人なり、所謂拘鄰くりん頞鞞あび跋提ばつだいと十力迦葉と拘利太子となり
 ――釈迦仏は、御年十九歳で、父・浄飯王の宮殿を出られて、インドの檀特山に入って、十二年間修行されたのである。その間の供の人はわずかに五人であった。いわゆる拘鄰くりん頞鞞あび跛提ばつだいと十力迦葉と拘利太子である――。
 「此の五人も六年と申せしに二人は去りぬ残りの三人も後の六年にすて奉りて去んぬ、但一人残り給うてこそ仏にはならせ給いしか
 ――しかし、この五人も、六年にして二人は去り、残りの二人も後の六年間に、釈尊を捨てて去ってしまった。釈尊は、ただ一人残り修行されたからこそ、ついに仏になられたのである――。
 国も王位も、富も権力も捨てて道を求めて出家した釈尊。その釈尊には五人の比丘(僧)が付き従っていた。そして、この五人の比丘は釈尊とともに修行していたが、苦行を行っているうちに二人が去ってしまった。後に釈尊は、極度の苦行では、悟りは開けないことを知る。やがて残りの三人も、釈尊が苦行をやめて、飲食(飲食物)、酥油そゆ(牛、羊の乳でつくった油)などを受けるのを見て、釈尊が堕落したと錯覚して去っていった。
 釈尊の心を知り、修行を全うすることは、それほどむずかしかったのである。(=後に釈尊は成道すると、いちばん最初にこの五人に法を説き、五人は弟子となっている)
 「法華経は又此れにもすぎて人信じがたかるべし難信難解此れなり、又仏の在世よりも末法は大難かさなるべし、此れをこらへん行者は我が功徳には・すぐれたる事・一劫とこそ説かれて候へ
 ――法華経はまた、これにも増して信じ難い。経文に「難信難解」(信じ難く、理解し難い)とあるのはこのことである。また、仏の在世よりも、末法は大難が重なるのである。これに耐えて実践する人は、一劫というきわめて長遠な期間、仏を供養する功徳よりも勝ると、法華経には説かれている――。
 苦難のなかで、広宣流布のために戦う人の功徳がいかにすばらしいものか。この御文からも拝されよう。
 学会の、この十二年間を見ても、たび重なる難に臆し、去っていった人もいる。不知恩にも、同志を裏切った者もいる。しかし皆さま方は、嵐に身をさらしながらも、難事中の難事である折伏を貫いてこられた。広宣流布のために、ただひたすら戦いぬいてこられた。
 御書に照らし、法華経に照らして、皆さま方の行動が、どれほど崇高であるか。どれほど功徳を積んでおられることか。皆さまこそ、大功徳の人であり、大福運の長者であると、強く確信していただきたい。(拍手)
12  恩師との高知への旅
 ところで戸田先生が四国でただ一カ所、指導に行かれたのは高知であった。三十五年前の昭和三十年(一九五五年)一月のことである。
 私もお供をさせていただいた。それだけに、高知は限りなく懐かしい。当時、宗門の庶務部長であった日達上人もご一緒してくださった。
 一月二十二日の朝八時四十五分、伊丹市の大阪空港を出発。寒い朝だった。今とは比べようがないほど小さな飛行機で、九時五十五分、一面、野原のような(笑い)高知飛行場に到着した。午後はすぐさま土佐女子高校で行われた高知地区総会に出席した。今回、高知を訪問した際、戸田先生を偲び、この学校の前まで妻と二人で訪れた。
 結成まもない地区(=約半年前の昭和二十九年七月に結成)であったが、八百人以上の同志が集っておられたと記憶する。
 戸田先生は総会で、ルソーの『民約論(社会契約論)』をもとに「自由民権」の旗を掲げた、高知の誇る偉人、板垣退助、中江兆民らに触れつつ、高らかに叫ばれた。「新時代の平和革命の大思想は、この日蓮大聖人の仏法である」と。
 自由民権運動の源流の天地に響きわたる、獅子吼であった。人が聞いてくれようが聞いてくれまいが、もとより問題ではない。″ただわれ一人、大仏法を証明するのみ″″平和の旗を振り続けるのみ″との信念であった。まさに一人立てる、真正の勇者の言葉であった。私はどこにあっても先生のお言葉は、決して忘れない。魂の奥底に刻みつけている。
 また席上、当時、渉外部長だった私も「高知の広宣流布は、ここに集っておられる皆さまの手で実現してください」と訴えた。
 友の胸にともる広宣の灯は、この地区総会の後、炎となって燃え広がった。広布の法戦に、見事な勝利の歴史は築かれ、翌昭和三十一年八月には、堂々、高知支部が誕生したのである。(=地区結成後二年間で約一千世帯から約六千世帯への、じつに六倍の発展であった)
13  当時の行程を見ると、戸田先生との高知訪問は強行軍であった。
 一月二十一日(金)、東京から大阪へ。二十二日(土)の午前、伊丹市の大阪空港から高知へ。午後一時三十分、高知地区総会。午後七時、四国の僧侶方と懇談。そして午後十一時三十分、高知駅を夜行列車で出発し、翌二十三日(日)の正午過ぎに大阪着となっている。十三時間にもおよぶ旅であった。
 その日の午後一時には、大阪・中之島の中央公会堂で開かれた西日本三支部連合総会に出席している。この間、ずっと先生とご一緒であった。
 交通事情も現在ほど発達していない当時のこと。しかも、そうとう厳しい日程である。高知からの帰りは夜行列車。それも一等車など思いもよらない。
 今でも思い起こすのは、硬いイスに揺られての車中のことである。何人かの婦人部幹部が一緒であった。戸田先生は「大作。婦人部の方が″本当に楽しかった″″本当に良かった″と思える話を、一時間くらいしてあげなさい。私は休むから」(爆笑)と。
 話すほうは、たいへんだった(笑い)が、円山応挙(江戸時代の著名な画家)の話をしてさしあげた。たいへん喜んでくださった。
 しかし、寝ておられたはずの先生は起きられるや一言。「いい話だったが、二カ所、間違いがあった」と(爆笑)。――あの明晰さ、鋭さ。世界の多くの指導者にお会いしてきたが、先生ほどの方を、私は知らない。あまりにも偉大な、人生の師であられた。
14  「信心も弘法も自分のために」
 この時の、大阪での西日本三支部連合総会で、戸田先生はこう話されている。(『戸田城聖全集』第四巻)
 「創価学会の会長といえば、諸君らは、ちょっと偉い人ではないかと思うのではないか(そうではないのです)」「この金曜日に細井尊師(=日達上人)といっしょに大阪へきて、土曜日に、ちっぽけな、ブルブルブルブルふるえている、まるで病気やみみたいな飛行機に乗って、土佐へ行って、ゆうべの十一時半に、なんだか知らんけれども、汽車というものに乗っけられて、きょうの十二時十分に大阪へきて、少しも休まさないで、またここへ連れてこられて、こうして、あすこへすわらされてごらんなさい。あまり楽なものではない、じっさい」(笑い)――。
 ユーモラスななかに、率直で飾らない先生のお人柄がしのばれる。このように、聞く者の心をホッと和ませ、安心させる話――これこそ、民衆とともに生きる真の宗教家の心ではないだろうか。(拍手)
 冬の厳しさを知らない人に、寒さに凍える人々の心は、なかなかわからない。苦難の冬を耐えた人だけが、暖かい春風で人々をつつみこむことができる。――数々のご苦労を経てこられた先生は、本当の庶民の味方であられた。
 先生は、総会でこう続けられた。「ここに、ひとつの覚悟をもって会長になった以上は、つらいも悲しいもあるものか。私のからだは皆さまの前に投げ出して、広宣流布の大闘士として、私は戦います」「あなた方に広宣流布をしてくれということは、戸田は頼みません。広宣流布は私がいたします」と。
 この崇高な言葉。この峻厳な決意。だれに責任を押しつけるのでもない。だれを頼りにするのでもない。だれに強制をするのでもない。みずからが五体を投げ出して未開の原野を切り開く。――これこそ、先生が生命をかけて教えられた、学会精神の精髄である。これこそ真実の仏法の心であると私も思う。
 これほどまでの慈愛に満ち、決意に立たれた方が、学会の会長であり、皆さま方の先達なのである(拍手)。日達上人も「本当に偉い方である」と語っておられた。
 私は、つねに先生とともにある。先生の精神のままに、一人戦うのみである。ゆえに何ものも恐れないし、一歩も退かない。(拍手)
15  会員の幸福こそが第一である。もっとも大切なのは仏子の幸せである――。会員の幸福をまず考える。それが先生のお心であった。
 総会でもこの点を強調しておられる。
 「あなた方は、ご自分のしあわせのために折伏しなさい」「あなた方のためにやることが、結局は広宣流布のためであり、社会のためになるのである。だから、皆さんの信心の努力の大半を自分自身の幸福のために使って、その残りを広宣流布のためにこっちへよこしなさい。豆腐のカスみたいなものをこっちによこして、自分がしあわせになって、そうして、そのカスで広宣流布をやるのだから、楽なものです」
 だれのためでもない、自分が幸福をつかむための信心であり、折伏である、と。
 幸福は、だれかが与えてくれるものではない。自分の手でつかむものである。「自分のため」に信心をし、折伏・弘法に励んでいくことが、そのまま大聖人の御遺命たる広宣流布のためであり、末代までもつつみゆく福徳の源泉となっている。
 この先生の言葉に、東大のある宗教学者が、「表現はさておき、見事に庶民の心をつかんでいる。真実の仏教の指導者であろう。庶民に仏法の慈悲の光を与えた、信念と行動の人であると感銘した」と語ったことを覚えている。
 ともあれ、高知への訪問は、今回で七回目。思い出深き訪問であった。高知の皆さまには本当にお世話になり、ここで、あらためて御礼申し上げたい。(拍手)
16  婦人誌のインタビューに答えて
 先日、『主婦の友』誌と『主婦と生活』誌から、それぞれ新年号のインタビューを受けた。両誌はいずれも、婦人の意識の向上、生活文化の向上に尽くされている代表的な婦人誌である。私も何かのお役に立てればと、寄稿やインタビューなどの形で、長年お付き合いさせていただいている。
 二誌のうち、『主婦の友』のインタビューのタイトルは「幸福な夫婦は『希望』に向かって進歩する」。編集部から「どうしても奥さまと、ご一緒に」との強い要望があり、熊本を訪れた際、二人でインタビューに応じる形になった。
 私ども夫婦の日常や、それぞれの人生観などについて多くの質問があったが、その一つは「人生のなかで、互いに信頼を深め合う節目となったことは」ということであった。
 私は「節目は何回もあった」とお答えした。そして「苦難があればあるほど、悪意に満ちた攻撃を受ければ受けるほど、私ども夫婦は、ますます同志として、人間として、夫婦としての絆が深まってきた」と。
 もとより、社会の平和と変革のためにささげた一生である。日々、激動の連続であり、波瀾万丈の人生であった。その波濤を乗り越えるなかで、これ以上はないという、充実した夫婦の歴史をつづり残してきたつもりである。(拍手)
 また、この質問に関連して、理想的な夫婦のあり方についても話題になった。私は、次のような思いを語らせていただいた。
 人生の充実、夫婦にとっての幸福は、環境によって決まるものではない。立派な家を建てた。財産がある。平穏である――ただそれだけで、幸せと言いきることはできない。富や平穏が二人の気持ちを引き離す場合もある。反対に、客観的には苦しみの坂に見えようとも、振り返ってみれば、その時がいちばん二人の心を近づけ、幸福の季節として輝いているという場合も多い。
 本当の愛情は、風波が起これば起こるほど、困難があればあるほど磨かれ、深まっていくものである。どんなに環境に恵まれたとしても、目先の利害に眼を奪われ、見栄の心に支配されてしまったならば、夫婦の愛情は色あせていこう。それでは幸せなはずがない――と。
17  教養とは「自分を育てる」こと
 もう一方、『主婦と生活』誌のインタビューは、「『女性の時代』は『知恵の時代』」というタイトルになった。
 最近の傾向として、女性の間で「心の豊かさ」「知的向上」を求める声が、非常に強くなってきているという。やはり「英知の時代」である。いいかえれば、本当の意味での「教養」、すなわち「自分をどう育てるか」が問われる時代になってきたということであろう。
 そうした背景をふまえて、″教育とは何か″″幸福とは何か″について、大要、次のようなお話をした。
 教養を磨く、自分を育てるといっても、むずかしく考える必要はない。「人の気持ちに敏感であること」「希望をもって前向きにとらえていく強さ」――これも「教養」である。そして創造的に、自分も人も楽しく生きていくための「知恵」。心の工夫。これがもっとも大切である。
 では、どうすれば本当の教養を身につけることができるか。結論していえば、「学ぶ」心を失わないこと、そして″自分自身に生ききること″である。
 一例として、海外のある世界的な版画家の話をさせていただいた。
 彼の作品の偽物が現れた。当人が見ても、本物よりうまい(笑い)。しかし、この作品は見る人の心を動かさなかった。なぜか。偽物は、「よく見せよう」として、上手に、きれいに刷ってある。本物は一見、汚れているが、ひたむきな人間の″いのちの火″がこもっている。その炎の″熱″が、見る人の胸に迫ってくる――。
 人生も同じである。だれかに見せるための人生ではない。自分自身の幸福のために生きるのである。ここに戸田先生が強く叫ばれた眼目もある。
 自分自身の生命の炎を、とことん打ち込んでつくり出す創造――これが本当の人生である。そして信仰はそのエンジンである。人間は「自分への挑戦」をやめない限り、どこまでも伸び続けていくことができる。
 私どもの信仰上の行動においても、時間をやりくりして会合に参加すること、題目を唱え、弘法に、同志の激励にと走ること――すべてが挑戦である。この着実な一歩一歩が、自分を育て、伸ばしていく。
 「自分への挑戦」ではなく、他人に見せるための、人との比較や虚栄にとらわれると、成長が止まってしまう場合が多い。また、それではあまりにも自分自身がむなしい。
 ともあれ、長い人生行路、生活の行路において、″みずから勝ち取った幸福″だけが真実の幸福である。与えられた幸福は、もろい。人の不幸の上につくった幸福には、陰りがともなう。
 結婚したから幸福か――。そんなに簡単なら苦労はしない(笑い)。結婚したゆえに不幸な人、一生、後悔する人は、たくさんいる(笑い)。家を建てたから、社長になったから、代議士になったから幸福か――。そんなものでは決まらない。
 婦人部の皆さまは、もっと「深い幸福」を、絶対に「崩れない幸福」をつかみ取ってほしい。これを胸中に開くのが妙法の信心である。(拍手)
18  どうか健康で朗らかに、悩みをも楽しみへと転じながら、賢明に生きぬいていただきたい。よく工夫して体を休めることも大事である。そして、ご主人を聡明に″操縦″し(爆笑)、子どもには、毅然としてあたたかい″広布の母″の祈りを送りゆくことである。子どもの成長は、親の姿を恐ろしいほどに映しだしているものだ。
 最後に、すばらしきご夫婦で、親子で、すばらしき家庭を築きゆかれんことを心からお願いし、また、皆さま方のご一家が、ますますご多幸でありますようお祈り申し上げ、本日のスピーチとさせていただく。
 どうか皆さま、風邪をひかれませんように。お元気で!
 (創価国際友好会館)

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