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日蓮大聖人・池田大作

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高知・南国圏勤行会 わが人生を「朗らか王」で

1990.11.26 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

前後
2  幸福になるための信仰である。楽しみきっていくための人生である。
 日々の勤行や活動も、″やらなければ罰があたる″(笑い)などと追いつめられ(笑い)、苦しみながらやったのでは、自分がつまらない。喜びがなければ、真の功徳も感じられない。たとえば″食事″も義務的にイヤイヤ食べるのと、楽しくおいしく食べるのとでは大違いである。
 勤行は、いわばわが生命に″栄養″をたくわえる″食事″ともいえる。ゆえに、勇んで行っていくほうが、自分が得である。
 もちろん、時には体調が悪かったり、時間がとれず、勤行が完全にはできない時があるかもしれない。しかし、それを理由に、家族のなかでお互いを責めたり、攻撃しあう(爆笑)必要はない。
 大切なのは「持続」である。長い日で、また「自分が全部、一家を照らしてみせる」とのおおらかな気持ちで、あたたかく励まし合いながら″幸福へのリズム″を築いていくのが聡明な信仰者である。この点、とくに一家の″太陽″であるご婦人の皆さまの賢明なリードを、壮年部を代表して(爆笑)お願いしたい。(拍手)
3  強く、前へ、その人が勝利者
 人生は″強く″また″強く″生きることである。″前に″また″前に″進み続けることである。頭を上げて、堂々と生きる人は幸福である。その人に、人生は道を開ける。魔も逃げていく。
 かつて、この高知においても、ご存じのとおり、仏子への迫害の嵐が吹き荒れた。悪侶のために、どれほど皆がいじめられたことか。多くの人が涙を流し、私はその訴えを聞いた。この事実は一生涯、私たちの胸から離れないであろう。
 二度と、こうした不幸の歴史を繰り返してはならない。鋭く真実を見抜き、強く護法のために戦わねばならない。「大勇」の信心に、乗り越えられぬ山はなく、打ち破れない壁はない。(拍手)
 これからも広宣流布の途上には、どんな難があるかわからない。しかし、何ものも恐れることはない。「法華経の兵法」に勝るものはないからである。
 正義を正義として、真実を真実として、勇敢に叫びきっていくことである。沈黙する必要はない。へつらう必要も絶対にない。中世の暗黒時代とは違うのである。
 とくに信仰の世界においては、活動に参加するのも、会館の会合に来るのもすべて、幸福になるためである。皆、心から納得できる人生のために信仰している。ゆえに指導者は、絶対に仏子を意地悪く抑えつけてはならない。
 会えばホッとする。何でも話せるし、喜びと希望がわいてくる。それが真の指導者である。行けばホッとする。仏道修行への勇気がみなぎってくる。それが会館の使命である。この点、職員の方々も、よろしくお願い申し上げたい。(拍手)
4  ともあれ″朗らかに″人生を生きぬいていただきたい。簡単なようで、じつはそこに信心の一つの要諦がある。幸福を呼び寄せる大切な秘訣がある。
 ″朗らか″のなかには、強さがある。賢明さがある。豊かな心情もある。″芯″の通った人格の輝きもある。
 幸、不幸を決めるのは、環境ではない。人間である。自分自身の境涯である。
 弱き人は、幸福そのもののような環境でも「不幸」を感じる場合がある。強き人は、不幸そのもののような悩みの境遇のなかから、金剛のごとき「幸福」を打ち鍛え、つくり出すことができる。
 そして信仰とは、最高に″強く″生きぬくことである。悩みも圧迫もすべてをはね返し、ねじり伏せ、わが「精神の王国」には一歩たりとも寄せつけない。すべてを希望へのたきぎとし、幸福ヘのエネルギーとしていける――それが王者である。「朗らか王」である。
 かけがえのない人生である。同じ生きるならば、楽しく生きていきたい。人をも幸福にさせていきたい。
 そして、皆さまこそ「金剛宝器戒」を持った″金剛の境涯″の人である。福徳あふれる「朗らか王」として、きょうの快晴のごとき「朗らか王国」を、四国の天地に築きゆく使命の人である。(拍手)
5  四国の皆さまには、さまざまにお世話になるが、よろしくお願い申し上げたい。今後とも私は、全力で皆さまを応援していく決意である。(拍手)
 最後に、きょうお会いできなかった方々に、どうかくれぐれもよろしく伝えていただきたい。きょうは本当にありがとう。お幸せに!
 (南国文化会館)

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