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日蓮大聖人・池田大作

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第三十五回本部幹部会・第三回東京総会 平和・文化の推進は人類への責務

1990.11.16 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

前後
2  ベートーヴェンがこの「よろこびの歌」で知られる「第九交響曲」を作曲したのは一八二四年。日本では江戸時代末期となるが、それは死の三年前、五十三歳の時である。完成した最後の交響曲となった。
 「第九」は「合唱付」として有名だが、当時、合唱付きの交響曲は他に例がなかった。いわばベ―トーヴェンの″新思考″によって、新しき挑戦によって、人類に贈られた作品である。
 合唱部分で歌われる「歓喜の歌」は、ベートーヴェンと同時代を生きたドイッの大詩人シラーの詩「歓喜に寄す」に曲をつけたものである。
 ″人類愛″と″平和″と″喜び″にあふれる、この詩に曲をつけようと彼が決めたのは、二十二、三歳のころといわれる。彼は、この夢をいだき続け、育て続けた。そして、約三十年後に実現させた。青春の決意を見事に結実させたのである。
 よく知られているように、そのころベートーヴェンの耳は、ほとんど聞こえなくなっていた。「第九」の初演の際、聴衆の万雷の拍手も彼の耳には届かず、教えられて、初めて人々の大歓声に気づき、お辞儀をした――という話も伝わっている。
 こうしたことを、私は戦後の青年時代、自宅近くの中学校の夏季学校で、招かれて講義したことを思い出す。ベートーヴェン博士と呼ばれるほど、彼の音楽と生き方に傾倒していたわけである。
3  フランスの文豪ロマン・ロランは、「第九」を、嵐の生涯に打ち勝ったベートーヴェンの「精神(エスプリ)の凱歌」と位置づけている。
 「不幸な貧しい病身な孤独な一人の人間、まるで悩みそのもののような人間、世の中から歓喜を拒まれたその人間がみずから歓喜を造り出す――それを世界に贈りものとするために。彼は自分の不幸を用いて歓喜を鍛え出す」(「ベ―トーヴェンの生涯」片山敏彦訳、『ロマンロラン全集』14所収、みすず書房)と。
 そして「悩みをつき抜けて歓喜にいたれ!」とのベートーヴェンの言葉に、彼の全生涯がこめられているとロランは結論している。
 耳も聞こえない。保守的な旧社会の人々からの圧迫もある。妬みもある。病気や経済的・家庭的悩みも尽きない――しかし彼は負けなかった。戦った。そして勝った。あらゆる苦悩の暗雲をつき抜けて、雲上の晴れわたる青空のごとき″歓喜の境涯″にまで自身を高めた。「第九」は、そうした人間ベートーヴェンの人生最終章の勝利の証である。
 仏法もまた″勝負″である。勝負である以上、当然、敵もいる。困難につぐ困難もある。しかし、それら一切に勝ちきってこそ、真実にして永遠の幸福はある。広宣流布もある。ゆえに「断じて勝利を!」と、私は声を限りに訴えたい。(拍手)
4  今年、十月三日のドイツ統一の前日、東ドイツ政府と人民議会の合同のお別れ式典の際、「第九」が演奏された。世界中の人が、テレビでその模様を見た。皆、それぞれの感慨をもったことであろう。
 国家と民衆の新しい出発に当たり、演奏するには、この曲以上にふさわしいものはなかった。
 また三年前(一九八七年)の年末、学生部結成三十周年を記念する「第九」の演奏会に、私も出席した。今もその光景は忘れない。
 そこで一つの提案として、創立六十五周年(一九九五年)、創立七十周年(二〇〇〇年)には盛大に、「第九」の合唱を行ってはどうだろうか(拍手)。具体的な方法や内容については検討していただくことにして、壮麗なる世界広宣流布の前奏曲として、後世に残しておきたい。(拍手)
 日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せである。
 妙法を持った私どもこそが、最大にして永遠の「歓喜」を味わえる。また私どもこそ「歓喜の歌」を声高らかに歌う理由があると確信する。(拍手)
5  さて、昭和十八年(一九四三年)、軍部の弾圧により、牧口先生と戸田先生が投獄された東京拘置所は、東京戸田記念講堂が建つここ巣鴨にあった。そして翌昭和十九年十一月十八日、牧口先生が七十三歳で逝去されたのも、この地である。(=東京拘置所の病監)
 その巣鴨の地に、恩師を記念する講堂が、このように立派に新装なった。東京はもちろん、全国の、そして世界の友も喜んでいることと思う。本当におめでとう。(拍手)
 また、きょう(=第三回東京総会)のために、東京の各区・圏の皆さま方が、真心の作品で講堂を飾ってくださった。私も先ほど、「東京もずいぶん進歩した」(笑い)との思いで拝見した。一点一点に東京の新しい前進の息吹を感じた。(拍手)
6  ″われ、永遠に富める者なり″と生きゆけ
 昭和十九年八月、当時四十四歳の戸田先生が、巣鴨の獄中から夫人のお父さまにあてた手紙に次の一節がある。
 「どうか強く生きていて下さい。(中略)今どんなに苦しくても貧しくても、私の生きている限り、『富める者』との自信を失わずにいて下さい」
 国全体が混乱の渦中にあった時代である。激しさを増す空襲。ご子息も疎開。ましてご自分は獄中の身である。
 だが、先生のこのご確信はどうか。―!″われ、永遠に富める者なり″″われに連なる者も皆、富める者なり″と。
 信仰こそ最高の「富」である。信仰者は、苦難があるほど、より力を出せる。周囲をも幸福にしていける。絶対に動ずることがない。
 皆さまもまた、仏勅をこうむった方々である。尊貴なる地涌の一門である。「自分がいる限り、何の心配もいらない」「自分こそ、最高に『富める者』である」との気概で、この人生を強く、また強く生きぬいていただきたい。(拍手)
7  学会創立記念日、創立六十周年はついに来た。
 ――十年前の創立五十周年に、だれが今日の学会の発展を想像しただろうか。反逆され、悪侶にいじめられ、策謀のペンに取り囲まれていた。私も第三代会長を勇退していた。幹部も自信を失いがちであった。″先がまったく見えない″″これからいったいどうなるのか″と。
 しかし、私は当時の北条会長に言った。「十年後を見よ。必ずや絢爛たる最高の六十周年を迎えてみせる」と。その決意どおり、学会は一切に勝った(拍手)。六十周年を、勝利の凱歌で見事に飾ることができた。(拍手)
 次はいよいよ創立七十周年への出発である。どうかこの十年間、一人残らず健康で、長寿であっていただきたい。そして、いちだんと社会に勝利し、幸福に満ちみちた姿で、壮大な創立七十周年を、私とともに迎えていただきたい。(拍手)
 さて、創立六十周年を前に、アフリカ(ナイジェリア、ザンビア、ケニア)、ソ連、東欧(ブルガリア)、中東(トルコ)と、歴史上、比較的、仏教と縁の薄かった地域の指導者の方々と、連日、親しく語り合った。私はあえて、″これからの国″″未来性に輝きわたる国″との間に友好の道を開いておきたかった。
 ともあれ、今や世界への道は壮大な広がりを見せている。仏法を基調とした平和・文化・教育の道は、これからも、時とともに、ますます拡大していくにちがいない。
8  時代即応の知恵で広布は伸展
 「広宣流布」は、日蓮大聖人の御遺命である。しかし、仏法の弘通といい、流布といっても、現実に進めていくことは、いかにたいへんであることか。皆さま方がよくご存じのとおりである。
 昭和三十年(一九五五年)五月三日、創価学会第十二回総会の折、日淳上人は、「布教」がどれほど困難かに言及された。そして学会が、その困難の前に萎縮することなく、活発な活動を展開しているとされ、「深く敬意を表する次第であります」と称えてくださった。
 そして日淳上人は、こう述べられている。
 「若し布教が形式的に教義を説くということだけでありますならばそれは平易であります。しかし布教活動の目的は畢竟(=要するに)人に向って仏の教義を説き、それを信ぜしむるにあるのであります」
 「批評は如何様にも出来ますが、その実を挙げるということは至難であります。何故に実を挙げることが難しいかといえば、結局世間の人あるいは他宗徒との間の人生観、社会観、世界観が異るのでありますからそこに非常なハンデキャップがあるのであります。
 この相違においてどこを手懸りとして理解の道を開くかということは、人類の生活が種々複雑であると同様に複雑で唯一つの道を定める事は出来ないと考えます。この場合において、若し適切な手懸りの道を見出し得なければ効果を期する事は出来ませんし、そこに種々なる誤解を生ずるのであります」(『日淳上人全集』)
 人は千差万別である。画一的な法の説き方では、弘法は進まない。とくに、仏教の用語や概念は、難解である場合が多い。教条的な態度であっては、かえって誤解を生じるであろう、と。だれに対しても、わかりやすく法を説いていくことの至難をば、日淳上人は深く理解されてのご指導であろう。
9  さらに上人はこう語られている。
 「布教の困難は唯々困難な仕事であるとつくづく感ずる次第であります。仏法を修行しつくした菩薩もなお、このことにおいて最後の難しさを思い、その適切な方法に迷うといわれております。
 私共はこの困難な仕事に当面し、日夜よりよき方法の発見につとめ、無用な衝突や誤解を排除し、一人も多く信仰の恩恵に浴せしめなければならないと思います。そのよりよき方法と理解の道の発見はこれまた何時までいっても際限がないのでありまして、人類に際限がないのと同じであります。努むべきは布教であり、工夫すべきはその方法であります」(同前)
 正法理解へのよりよき道。そのための「発見」と「工夫」がなければ、仏法流布は進まない、と。
 「努むべきは布教であり、工夫すべきはその方法」――学会は、日淳上人のこのお言葉どおりに、時代と社会に即応した知恵を渾身の努力で発揮してきた。この苦心があったからこそ、七百年来、未曾有の正法興隆を見ることができたと信ずる。(拍手)
10  社会は生きものである。変化の連続である。考えたとおりに物事が進むのなら、何の苦労もないが、そんなことはまずありえない。
 日淳上人は、その道理を、弘法のうえから教えておられる。他の面でも万般にわたって、つねに私どもの苦労を深く理解されていた。
 会館の建設についても、地域によっては、さまざまな制約があり、配慮が必要である。とくに近年は、社会情勢上、むずかしい側面も増えてきていることは、多くの方がご承知のとおりである。
 そうしたところから、当初の予定よりも遅れている地域もある。たいへん申しわけなく思っているが、本部としても努力を重ねており、何とぞご了承いただきたい(拍手)。また秋谷会長、森田理事長を中心とする関係者の労に心から感謝申し上げたい。
11  「対話」が平和への流れをつくる
 次に、私どもが進めてきた、仏法を基調とした平和・文化運動について、少々、触れておきたい。日達上人は、アメリカSGIの第十二回総会(一九七五年〈昭和五十年〉)に寄せられたメッセージの中で、次のように語っておられる。
 「私は、世界の仏法流布という平和文化運動の実践運動をインターナショナル日蓮正宗創価学会会長池田大作先生に一切お願いいたしております。
 どうか皆様方も人類の進歩と幸福のために日夜先駆を切って激闘を続けられている池田先生の指導をしっかりお受け下さい。
 私も人類の恒久平和のためにそして世界の信徒の幸福のために毎日毎夜、大御本尊にご祈念申し上げております」(『日達上人全集』)と。
 大聖人が「立正安国」と仰せのごとく、世界の平和は、正法を根本としなければならないのは当然である。そのうえで、平和・文化運動を、どう進めていくか、これが大事になってくる。
 「平和」は仏法の根本思想でもある。そして平和は人類共通の願いである。また、「文化」は、人間精神の豊かな営みから生みだされたものである。それぞれの時代、それぞれの社会や人々の生活の基盤をなすものといってよい。
 その意味で、仏法を基調として、平和。文化運動を推進していくことは、正法の精神にのっとったものであり、仏法者としての大きな責務だと思っている。
12  先日、京都で、世界的な平和学者であるガルトゥング博士とお会いした。半年ぶり四度日となったこの日の会談では、現在、出版が進められている対談集『平和への選択』(=平成七年五月に毎日新聞社から出版された)の打ち合わせをするとともに、「平和に果たす仏教の役割」「非暴力と民衆運動」などについて、語り合った。
 私との会談の席でも話題となったが、同席者との、その後の懇談で、「平和運動」について、次のように述べられていたという。
 まず、日本の平和運動について「一九六〇年代の安保反対運動があったが、日本は、それに否定的であった。原水爆反対運動もあったが、狭い見方しかできなかった。平和をつくる潜在的な基盤はあるが、一つの流れになっていない」と。
 日本のこともよく見ておられる。行動する平和学者の目は鋭く注がれている。いくら形をつくろい、言葉だけを声高に叫んだとしても、真実の姿を隠すことはできない。また、いくら私どもの真実の行動を隠蔽するようなペンの策動があったとしても、長い歴史から見れば、絶対に真実は隠せない。(拍手)
13  平和の流れをつくるにはどうするか。博士は「私の経験からいって、平和研究家と平和運動家が『対話』することが大事だと思う」と。世界平和のために、長年にわたり真剣に研究し、行動されている博士の言葉は重い。
 私が、主義主張を超えて世界の各界の指導者と「対話」を重ねてきた意味が、ここにもある。私どもの世界と人類に対する使命の大きさ、意義の深さを思えば、さまざまな世間の非難など何でもない。歴史が必ずや証明してくれるにちがいない。
 また、博士は、女性の活躍にも期待を寄せられていた。
 「女性は社会を見る新しい、鋭い角度をもっている。新しい質問、問題を提起するのは女性である。女性は、単純、明快に一つのことに鋭い視点を提供する感受性をもっている」「戦争の九九・九%は男性によって引き起こされている」と。
 男性にとっては、耳の痛い言葉である(笑い)。たしかに女性の感受性は鋭い。男性のもつ″ずるさ″″権威的性分″″暴力性″などを、敏感に感じ取る。身近な例でいえば、夫婦間のことや家庭内のことで、婦人の勘の″鋭さ″に驚き(笑い)、たじたじとなった(爆笑)経験をお持ちの男性の方も多いにちがいない(笑い)。世の男性は、あまりにも女性の働きや意見を軽視してきたきらいがある。その報いか(笑い)、争いの絶えない、住みづらい社会をつくってしまったようだ。(拍手)
 今こそ、女性の復権を、と私は望みたい。生命を慈しむ平和的特質を、現実社会で、さらに輝かせていただきたい。そして女性の意見を尊重し、活躍を大切にしていく社会でなければならないと思う。
14  最先端の平和学は仏法の宿業論に接近
 さらに、ガルトゥング博士が強調されていたのは、「平和」と「仏教の宿業論」であった。
 「キリスト教は、『善』と『悪』を分け、悪をなくすことが、また悪が謝罪すれば『平和』になると説いている。この考えの弱点は、たとえ悪が謝っても、それはその場限りになり、ふたたび同じ行動が繰り返されることだ」
 「これを解決するには、仏教の宿業論しかない。仏教では、だれが間違っているか、どちらかに罪があるかを問題にするのではない。すべての人には、共通に宿業があり、それを転換するしかない、と教えている。
 これはすごい思想である。ただ私は、三点、質問がある。(1)悪い業の本質は何か(2)良い業とは何か(3)良い業のほうへと、悪業を転換するにはどうすればよいか、ということである。これは、人類の協力、共同作業によらなければならない」
 「戦争は、それを引き起こした国や人が、謝罪して済む問題ではない。人間の『業』そのものが問題である」と。
 西欧の平和学者が、「平和」への思索を深めていくなかで、「人間」の問題につき当たり、その解決の道として、仏教の宿業論まで到達しているのである。
 人類のかかえる諸問題を、真剣に追究し、打開の道を探っていけば、必ず仏法に到達せざるをえない、というのが博士の結論である。(拍手)
 博士の出された三つの質問についても、これから「対談集」の中で語り合うことになっている。
 博士は、私の小説『人間革命』のテーマ――一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする――に、たいへん感銘されていたとうかがった。
 また、仏教の偉大性についても、一人一人の人間がすべて繋がっていると説いている点を挙げておられる。
 私どもの人生も、生活も、社会も、そして世界も、あらゆる人々との関係性のうえに営まれ、成り立っている。つまり、一人一人の人間が、何らかの関係性をもち、繋がっている。そこに人類愛や、平等観、平和観の必要性が生まれてくる。
 人々は互いに励ましあい、助け合っていかねばならない。自分一人の意思で人を動かしていこうとする独裁的な考えであってはならない。他人の犠牲のうえに、みずからの幸福を築くような人であってもならない。世界も、平和で安穏な社会にしていかねばならないのである。
 さらに博士は「仏教を研究すると本当に深く、優れていると思う。とくに、今『空』の概念にたいへん関心をもっている」と言われていた。
 また「仏教は自分の中に偉大な力、法があり、それを理解し、それによって自分の人生を創造することができるといっているが、大事なことである」と語っておられたとうかがった。
 私どもが主張してきた仏法による「人間革命」の実践理念が、いかにすばらしいものであり、時代を開く卓越した思想であるか。今や、西欧の多くの識者が注目し、そこに解決の道を見いだしはじめているのである。(拍手)
15  昭和四十六年(一九七一年)九月一日、法華講の富士会館で「会館創立五周年記念法要」が奉修された。私も寄進者としてお祝いを申し上げた。その席上、日達上人は、法華講総講頭である私に対して、次のように述べられた。
 「今、幸いに宗教の自由が許され、本当に民主的時代になった今日、ここに幸いにして、我々の法華講の大指導者が出現せられたのでございます。まことに今日この指導者が出たということは、おそらくこの時代に広宣流布をさせんがために、仏さまがそうした、大聖人様がそうなさった、と推測するのでございます。
 私どもも、本山において全面的に、この指導者に外護を依頼し、すべて信頼して、本山もますます盛んになり、本宗の各寺院も盛んになり、年々寺院も増加していく、ありがたい時代となったのでございます」
 「この法華講総講頭という大指導者を得た今日、みな一致して、そして広宣流布へ邁進して、大聖人様の御意を達成していただきたいと思うのでございます」(『日達上人全集』)と。
 このお言葉どおりに、私もさらに外護の誠を尽くし、ご信頼にお応えしようとの思いで、今日まで歩んできた。(拍手)
16  三世に崩れぬ″生命の勝利者″に
 最後に御書を拝し、私どもの幸福の旅路が三世にわたることを確認しておきたい。
 「死」について「自分には関係ない」と思う人がいるかもしれないが(笑い)、じつは″関係ない″人は一人もいない(爆笑)からである。
 大聖人は、こう仰せである。
 「生を受けしより死を免れざる理りは賢き御門より卑き民に至るまで人ごとに是を知るといへども実に是を大事とし是を歎く者千万人に一人も有がたし
 ――生まれて以来、「人は必ず死ぬ」という道理を、天皇から民まで、だれ一人、知らない者はない。しかし実際に、これを大切に思い、このことを解決しようと求め嘆く人間は、千万人に一人もいない――と。
 事実、現代はますますそうなっている。
 また、皆さまもよく拝されている御文であるが、「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」――まず、臨終のことを習ってから、その後に他のことを習うべきである――とも仰せになっている。
 「死の解決」の一点を離れては、いかなる知識を習い覚えても無用になってしまう。幸福へと生かすことはできない。また死を前にしては、どんな名誉も才能も財産も、夢のようなものでしかない。
17  先日お話ししたように(=十一月三日、創価教育同窓の集い)、ロシアの文豪トルストイは「死の準備」のために家を出た。現世のあらゆる絆や栄誉を捨て、一人の無名の老人となり、赤裸々な一個の人間、一個の生命となって、「永遠」を求めようと――。
 ここには仏教的な考えの反映が見られる。すなわち、″家庭を出て″(出家)、一切の富や快楽や虚飾から離れ「少欲知足(欲少なく、足るを知る)」との生活に入るということである。
 もちろん、私どもは「家を出る」必要はない。奥さんに叱られて、家を追い出される人はいるかもしれないが。(爆笑)
 妙法を持った私どもは、日々の生活のなかで、仏界という「永遠の生命」を自覚することができるのである。なんとありがたいことであろうか。
 「最蓮房御返事」には、大聖人の門下となった人は「一歩を行かずして天竺の霊山を見・本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ」――一歩も歩むことなく、インド(天埜しの霊鷲山を見、本有の今永遠に存在する)寂光土(仏が住む国土)へ昼夜に往復されるのである――と。
 霊鷲山(古代インド・マガダ国にある)は、釈尊が法華経を説かれた地であり、ここでは仏国土の意味である。御本尊を拝し唱題する人は、仏界という「絶対的幸福の境界」へ、また本有の寂光土という「永遠の幸福の世界」へ、わが身を運んでいるのである。
 ″往復″というと、東京の皆さまはすぐ、ラッシュにもまれての通勤や通学を連想されるかもしれない(笑い)。これは「仏界」と「九界」の往復である。その繰り返しのなかに、信心即生活の盤石な軌道がつくられ、一生成仏の証明の大花が爛漫と咲き誇っていく。
 私どもは一日一日、永遠にして無限の「福徳」を積んでいるのである。仏法の眼から見れば、最高に尊貴な存在である。ゆえに、御本尊を持ち、広宣流布に進む人を見くだしては、罪を得る。大聖人は「軽ずる事勿れ」「蔑如べつじょすること勿れ」と強く断じておられる。
18  人生を山に例えれば、「臨終」は山頂といえよう。山頂からは、広々とした下界が見渡せる。「死」の頂から見てはじめて、生涯の幸、不幸の光景も、勝利と敗北の実相も見えてくる。また死後、すなわち来世という新しい出発を望むこともできる。
 荘厳な大光につつまれた山頂もあろう。噴火口のような地獄への山頂もあろう。さまざまであるが、必ずそこにいたることだけは、間違いない。
 人生は、この頂への登攀である。ゆえに山頂(死)を見つめずに歩む人は、目的地から目をそらして山登りするようなものであり、道に迷うのはむしろ当然かもしれない。ここに「死」の解決を教えゆく正しき信仰が必要となる一つの理由がある。
19  大聖人は、私ども門下の臨終は「妙覚の山」に登ることであると仰せである。
 「但在家の御身は余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ
 ――在家の身としてあなた(松野殿)は、ただ余念なく、昼に夜に、朝に夕に、南無妙法蓮華経と唱えて、最後の臨終の時を見てごらんなさい。妙覚(仏の最高の悟り)の山に走り登り、四方をご覧なさい――。
 「法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし・金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列ならん
 ――法界(全宇宙)は寂光土であり、大地は瑠璃でできていて、黄金の縄で八つの道をしきり、天からは四種類の花がふり、空中に美しい音楽が聞こえ、諸仏・菩薩は皆、常楽我浄の四徳の風にそよめかれている。われらも、必ずその仏・菩薩の列に連なるでしょう――と。
 なんとすばらしい、燦爛たる光の世界であろうか。宇宙の広がりをつつみ、永遠の時を自在に遊戯される御本仏の偉大な御境界が仰がれる。そして、門下をどこまでも慈しみ、包容されるあたたかさ――。
 妙覚の高みから望む全宇宙は、煌々と輝く寂光上であり、妙法につつまれた生命は、瞬時にその遊楽の都に入っていくとのご断言である。御本仏のお約束は絶対である。微塵の狂いもない。
 お手紙を拝して、松野殿はどれほど大きな希望を得たことであろうか。私も幸福の光彩につつまれた「永遠の生命」の世界を確信している。(拍手)
20  ところで、この御文を拝しつつ、私の胸中には生涯忘れられないある光景が浮かんでくる。それは、三年半ほど前である(一九八七年二月)。私は北・中米訪問のため、東京からロサンゼルスヘと向かう機中で、高度一万メートルから日出(日の出)を見た。
 それは壮大な赫々たる太陽であった。黄金を溶かしたように燦然と燃え、輝く大生命体であった。厳かに、また躍如として巨大な日輪が躍り昇っていた。その雄渾にして鮮麗なる大光源から、無数の金の矢が十方に走り、静寂をたたえる紫の暁天を染め上げていた――。機長さんも、これほどの日出を見るのは初めてであると言われていた。
 形容しつくせない、その″元初の太陽″ともいうべき荘厳な光景に、私は大宇宙に満ちる「永遠の生命」の象徴を見る思いであった。
21  新たな生の出発を今世の凱歌で
 ともあれ、「死」は万人に平等に訪れる。「臨終」の善し悪しは、社会的な地位や名声、財産などとは無関係である。自身の「生命」そのものの勝負である。内面の境涯がためされる場である。その意味で、「死」には、地位等にとらわれない、究極の民主主義があるといえるかもしれない。
 その人生の総決算に勝利できた人が、本当の勝利者である。真実の幸福の人である。そして私どもは最高の生命の凱歌、「歓びの歌」をもって、次の「生」へ、新しい″幸福の旅路″の出発をしていくことができる。(拍手)
 そのためにも、現世で勝つことである。何があっても妙法の信仰を貫くことである。これが、仏法の「生死観」の一つの結論となろう。
 私は毎日、大切な皆さま方のご健康、ご長寿、無事故を、そして幸福を、真剣にご祈念している。どうかこれからも、来る日も来る日も生命力を満々とたたえながら、朗らかに、どこまでも朗らかに進んでいただきたい。そして皆さま全員が堅実な信心の実践で大福運を積みつつ、壮大なる、また絢爛たる創立七十周年への歴史を飾っていかれんことを重ねてお願いしたい。本日は本当におめでとう。ご苦労さま!
 (東京戸田記念講堂)

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