Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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福井、石川、富山第一回合同総会 われ希望という宝を持てり

1990.10.22 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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1  「正義は必ず勝つ」との確信を
 じつに十七年ぶりに福井市を訪れることができた。本当にうれしい(拍手)。また、武生で代表の方々とお会いしてからは、九年ぶりの福井訪問となった。皆さまも待ちに待ってくださった。私もついに念願がかなった。これ以上の喜びはない。(拍手)
 そして、石川、富山からも懐かしき友が来てくださった。日本海三県の晴れの合同総会、本当におめでとう。(拍手)
 ただ今も皆さまとともに勤行し、お一人お一人が健康で、裕福で、安穏の人生であられるよう、また弘法の道がいちだんと開けるよう、何ものにも負けない三県であるよう、真剣にご祈念させていただいた。
 なお、当初は、石川、富山へも訪問させていただく予定であったが、海外からの来客等のスケジュールのために、どうしても日程がとれなかったことも、ご了承いただきたい。
 ともあれ、三県の皆さまのたくましい成長ぶり、広布の発展の姿を目の当たりにし、私はうれしい。とくにこの十年、険しき苦難の峰を乗り越えてこられた福井の同志の方々を、私は最大にたたえたい。「皆さまは見事に勝ちました!」と。(拍手)
2  今、私の胸には、十一年前の思い出がよみがえってくる――。あれは昭和五十四年(一九七九年)の秋、九月下旬であったと思う。福井県の青年部長と、深夜、電話で語り合った。
 ――折から権威の仮面をかぶった悪侶が、全国各地で学会員をいじめぬいていた。福井はその発端の地の一つであり、純粋な信仰に対する卑劣な圧迫は、とくに過酷であった。
 事あるごとの罵声、いやがらせ、脅し等の連続。真面目に信心し、広布の活動に励んできた者が、なぜ悪者にされ、いじめられなければならないのか。それも、もっとも清廉な聖職として信頼していた宗門の僧侶の立場にあった者が、信徒を慈しみ守るどころか、公然と仏子らに権威の牙をむいたのである。
 同志の嘆きは大きく、悲しみは深かった。そのなかを、当時の県長や、青年部長たちは友を励ましながら懸命に耐え、戦った――。
 この時の電話での対話は短時間であったが、私は、彼に万感の思いで語った。
 「皆がかわいそうでならない。皆の悲しみを思うと、私の心は苦しい」
 「福井の皆さまも、悔しいだろうね。しかし、こんなことが、いつまでも続くわけがない。大聖人が必ず裁いてくださる。それまで福井の同志の皆さま、耐えぬいてください」
 「仏法は勝負だ。正義は必ず勝つ。十年後には、はっきりするよ。題目を送るから、福井の皆さまに、くれぐれもよろしく伝えてください」と。
 そして、福井の友は勇敢に戦いきった。負けなかった。そして十年後の今日、堂々たる広布凱歌の証を築かれた。(拍手)
 また北陸においても、同様に迫害の嵐が荒れたが、石川、富山の皆さまも見事に勝ち、越えてくださった。日蓮大聖人の真実の門下としての、その誉れは永遠である。(拍手)
3  日興上人は「いまだむかしより邪は正にかたず」――いまだかつて、邪は正に勝ったことはない――と断じておられる。
 「悪」も「邪」も、必ず滅びる。また、そのために戦わなければならない。正義は勝ってこそ証明される。断じて悪に屈してはならない。
 日興上人のこのお言葉は、京都での他宗との法戦において、最前線で戦っておられた日目上人一行への励ましであると推察されている。
 つねに、悪しき敵の攻撃の矢面に立って、仏子をかばい、守りながら広宣流布を進めていかれた――。もつたいなくも、これが、宗祖日蓮大聖人、第二祖日興上人、そして第三祖日目上人の貫かれたお振る舞いであられた。(拍手)
4  私ども学会員が、どれほど広宣流布のために戦ってきたか。宗門史上、これほど日本へ、世界ヘと、正法の流布を行ったのは学会をおいてない。
 また、どれほど宗門の興隆に尽くし、外護の任を果たしてきたか。学会が中心となって正本堂を建立し、その他、大客殿、大講堂、奉安殿、大坊などを寄進し、御影堂、五重塔等の修復、そして各地での数多くの寺院の建立寄進など――御本仏日蓮大聖人が、また日興上人が、どれほどまでに御称讃くださっていることか。(拍手)
 こともあろうに、悪侶らは、これほど正宗のために尽くし、広布のために戦ってきた仏子を、いじめに、いじめた。それは大聖人、日興上人のご精神に反逆するものであり、もはや僧侶でもなければ、大聖人の弟子でもない。仏法に照らして、その罪はあまりにも重い。
 そして御書に仰せのごとく、僧の身での過ちは、信徒よりもその罪は深く、重い。正法外護のうえからも、こうした権威による悪の策謀を、断じて許してはならない。絶対に負けてはならない。
 ともあれ大聖人は、仏子が幸福になることを何よりも願われた。僧侶の使命とは、この大聖人のお心のままに、信徒を幸せに導くことにあるはずである。寺院も、そのために大聖人に御供養申し上げたものである。その私どもの信心の心に反して、信徒を見くだすような振る舞いは、御書の御精神に照らし、絶対に許すことはできない。(拍手)
 悪侶らの理不尽な迫害に、苦しみながらも耐え、福井、石川、富山の皆さま方は見事に勝利された。晴ればれとした、功徳爛漫の皆さま方のお姿を拝見し、私は喜びにたえない。御本仏日蓮大聖人も、日興上人も、必ずやお喜びになられているにちがいない。(拍手)
5  わが地域の未来は自らの手で
 ところで、先日、こんな話を聞いた。「福井新聞」に掲載されていた記事とのことである。それによると、東京のある出版社が″住宅環境の満足度″を調査したところ、日本一は、ここ福井県の鯖江市であったという。(拍手)
 この調査結果は、持ち家の比率、ゆとりの水準、通勤時間、家賃等の観点から、総合的に評価したとのことである。住宅問題に頭を痛める東京等の人々にとっては、鯖江は一躍、あこがれの地になった。(笑い、拍手)
 大都会に住むことが幸せとは限らない。また、どこか遠い所に幸福を求めていくのは、真実の仏法の精神ではない。今いる、その場所で″満足″と″充実″の生活を建設していく。その人こそ、人生の王道をいく人である。
 さらに福井県全体としても、二十一世紀に向けて、「生活満足度・日本一の福井」を大きな目標として進んでいるとのことである。
 若狭湾など、美しい自然の景観に恵まれたふるさと――。私も、この福井が、そして石川、富山の地が、大好きである。私は東京生まれで、太平洋側は比較的よく知っているが、できれば将来は、この日本海側の地で、時間をかけて、人生と広布への語らいを、皆さまと行いたい。(拍手)
6  また福井では、これまで発展のマイナス要因とされてきた雪を、逆にプラス要因として活用できるよう、工夫されているとうかがった。「活雪かつせつ」、つまり雪を活かすという、逆転の発想である。
 たとえば、冬に雪にちなんだ行事を催す。また、村おこしに役立てたり、雪を利用する新しいタイプの公園を整備する――まことにすばらしいアイデアと思う。
 ものごとは価値的にとらえたほうが得である。そして、新しい発展のためには、古い″常識″にとらわれない柔軟な発想と知恵が必要となる。いわゆる″新思考″の時代なのである。
 自分たちの地域の未来は、自分たちの手で開いていく――。その意味で、福井県の青年部が主張大会、弁論大会を自主的に開催されていることを評価したい。これまで坂井で十六回、三方みかたで八回、福井東で五回と続けられ、それぞれの地域で、大きな信頼と期待の輪を広げているとうかがった。たいへんにすばらしいことと思う。(拍手)
7  人生の幸、不幸は「一念」によって決まる
 青春時代、愛読した十六世紀フランスの思想家モンテーニュの著作『エセー(随想録)』に、こんな一節があった。
 「各人はその考え次第で幸福にもなり、不幸にもなる。他人が見てそう思うのではなく、自分でそう思う人が満足なのである」(『エセー(1)』原二郎訳、岩波文庫)
 「幸福」の人、「満足」の人とは、どんな人か――それは、他人から幸せそうに見える人ではなく、自分自身が幸福だと思える人である、と。
 他人と比べたり、見栄を張ったり、そんなことで、いつも心があせりと不満で揺れている――それでは、どんなに他の人から幸福そうに見えたとしても、何の意味もない。むしろ不幸である。人生は他の人に見せるためにあるのではない。自分自身の人生であり、自分自身が満足できるかどうかが根本である。
 またモンテーニュは、こうも述べる。
 「運命はわれわれに幸福も不幸も与えない。ただその素材と種子を提供するだけだ。それを、それよりも強いわれわれの心が好きなように変えたり、用いたりする。われわれの心がそれを幸福にも不幸にもする唯一の原因であり、支配者なのである」(同前)と。
 運命や環境が人の幸、不幸を決めるのではない。自身の心によって決まるのである、との洞察である。
 勇者は、どんな環境でも平静でいられる。臆病な人はつねに心が不安である。知恵ある人は、障害をも自分の味方にしてみせる。知恵なき人は幸運をも、つまずきの原因にする。強者にとっては、運命と戦うことすら喜びであり、弱者にとっては、人生そのものが重荷であろう。全部、自分で決まる。自分の「一念」で、一切が百八十度、違う顔を見せてくる。
 幸、不幸を決定する、この「心」に、限りない「強さ」と「知恵」をわき出させていくもの――これが妙法の信仰であり、私どもの日々の実践なのである。(拍手)
8  日本海の新しい繁栄の時代を開け
 昨年、東北でもお話ししたが(=九月十五日、第二十一回本部幹部会)、初代会長牧口先生は、日本海を中心として、黄海、東シナ海、オホーツク海にまで及ぶ海域に対し、「花綵かさい内海」という新しい名称を提案されている。(『人生地理学』)
 「花綵」とは「花づな」の意味である。弓なりの日本列島の形が、花を編んでつくった「花づな」のようであるところから「花綵列島」と呼ばれた(=ドイツの地理学者ペシェルの命名)、これを受けての牧口先生の提案であった。
 文明論的な次元からも、この日本海地域の未来に、牧口先生が、どれほど大いなる希望を寄せておられたか。牧口先生ご自身も、新潟県柏崎市の荒浜の生まれである。日本海を眺め、育っておられる。また、戸田先生が生まれたのも、やはり日本海に面した石川県である。
 そして今、私どもが新たに目標としている創立七十周年は、ちょうど戸田先生の生誕百周年という佳節に当たっている。まさに、これからが日本海の時代である。この十年が黄金時代を開く時である(拍手)。私は、こうした意味において、日本海の三県が集った本日の第一回合同総会が、将来への重要な意義をもった会合であると思えてならない。
 学会も、この十年、二十年が絢爛たる開花の時代となる。「六」には「具足の義」があるが、六十周年までに土台は完璧にできた。そして、いよいよ世界ヘ、未来へ、いちだんと大きく羽ばたく時を迎えた。(拍手)
9  近年、「日本海文化」また「環日本海交流圏」などと、よく言われる。時間の都合もあり、多少、むずかしい話となるので本日は詳細を省略させていただくが、古代からこの日本海を舞台に、日本列島と東アジア各地、さらには東南アジアとも壮大な交流が展開されてきたことが、学問的にも実証されている。
 すなわち、日本海は、各地を隔てる″水の壁″だったのではない。反対に、各地を自在に結ぶ″碧き道″であり、東アジアの民衆の″われらが湖″だったのである。
 そして今ふたたび、ソ連、韓・朝鮮半島、中国といった日本海を取り囲む隣国と日本との交流がしだいに広がりつつある。これもまた、時代の重大な変化であり、牧口先生の先見の一つの証明といえるかもしれない。
 こうした歴史の流れのうえからも、また広宣流布の流れのうえからも、今後、福井、石川、富山をはじめとする日本海の各県が、大きな役割を担っていくことは間違いない。
 どうか、三県の皆さまは、アジアヘ、世界へ、また二十一世紀へと広がる郷上の可能性に、目と心を大きく開きながら、日本海の新しい繁栄の時代を開いていっていただきたい(拍手)。そして牧口先生の言われた「花綵内海」の名のごとく、仏法を根底とした、美しい文化の華、幸福の華、人間性の華が咲き薫る″あこがれの楽土″の建設をお願いしたい。(拍手)
10  希望を力にアレキサンダーの遠征
 「希望」とともに生きる人は強い。負けない。いかなる逆境の扉も開け放つ、知恵と勇気と情熱がわく。――そうした「希望の人」の一人に、アレキサンダー(アレクサンドロス)大王(前三五六年〜前三二三年)がいる。
 大王については、「高校新報」紙上でも『アレクサンドロスの決断』と題して、後継の友のために筆をとった。(=昭和六十二年七月に単行本として刊行。本全集第50巻収録)
 これは青年時代に読んだ『プルターク英雄伝』に材を取り、アレキサンダーと彼の侍医であり親友であったフィリッポスとの心の絆、そしてアレキサンダーの少年時代の恩師、哲学者アリストテレスの思想を軸に、私なりの大王像を描いたものである。
 本日は、彼の有名なエピソードを通じ、人生における「希望」の価値について語りたい(『ブルターク英雄伝』(9)、河野与一訳、岩波書店、参昭)。このエピソードについては、先日もある婦人雑誌の新年号のインタビューでもお話しした。また、これまで触れたこともある。(=第二回全国学生大会〈昭和六十一年一月八日〉へのメッセージ、『私の人間学』等)
 アレキサンダー大王は紀元前四世紀、現在のギリシャ、エジプト、トルコ、インド方面にわたる広大な地域に、一大帝国を築いたマケドニアの国王である。
 彼は十六歳の時、遠征中の父に代わり、摂政としてマケドニアを統治。ギリシャ諸国と雌雄を決した「カイロネイアの会戦」では、騎兵部隊を率いて戦い、マケドニアを勝利に導いた。やがて弱冠二十歳で国王に。暗殺された父の後を継いでの即位であった。青年王に、苦難は多かったことだろう。
 それはそれとして、一切が順風満帆の人生などない。肝心なことは、障害に勝つか負けるかである。そして何ものにも負けない自分をつくるのが信仰である。
 苦難や不幸が大きければ大きいほど、それを克服した満足は深く、喜びは大きい。いわんや使命の人は、断じて負けてはならない。
11  さて、紀元前三三四年、二十二歳のアレキサンダーは、青春を賭けたペルシャ遠征へと出発する。勝利の栄光か、敗北の死か。――マケドニアにとっても、文字どおり、国運を賭しての大遠征であった。
 その旅立ちに際し、彼は一切の財宝を、臣下たちに分け与えた。
 ペルシャを討つ長途の旅には、さまざまな軍需品や食糧などを購入しなければならない。そのためには、莫大な資金が必要である。にもかかわらず彼は、自分の財産を、ことごとく分配してしまった。それは、将兵たちが妻子への気遣いを断ち、少しでも後顧の憂いなく出発できるようにとの配慮だったかもしれない。
 しかし、それでは王である彼自身に何も残らない。不審に思った臣下の一人ペルディッカスは尋ねた。
 「王は、いったい何をもって出発されるのですか―!」
 青年王アレキサンダーは答えた。
 「ただ一つ、″希望″という宝をもてるのみ」と。
 ″私には「希望」という財宝がある。それさえあれば、他の宝物は何もいらない。「希望」一つを抱きしめて戦うのだ″との思いであった。
 これを聞いた臣下たちもまた「ならば、われわれもその宝(希望)を分けていただきましょう」と申し出た。――まことにさわやかな、一幅の絵のような美しい場面といえまいか。
 「ただ一つ、″希望″という宝をもてるのみ」――。希望は力である。光である。炎である。二度とないこの人生を、どう悔いなく燃焼させきっていくのか。それを決めるのは、胸中に赫々と燃える希望の一念である。
 希望に満ちて、自己の課題に挑戦している人は強い。生き生きしている。希望なき人には、生の充実もなければ、躍動感もない。
 生命は、希望の力をエネルギーとしている。希望の「死」は、人生の「死」、生きながらの死にさえ通じていく。
 ゆえにどんな困難に直面しても、希望を失わないことだ。希望の人が消えない限り、やがて、いかなる闇をも燃え尽くすことができる。いのちある限り、希望はあり、希望ある限り、道は開ける。
 その強靱な″希望の一念″を育む根源の力が、信仰なのである。信仰こそ″永遠の希望″である。無限のホープ(希望)への源泉である。(拍手)
12  紀元前三二三年。アレキサンダーはふたたびの遠征を目前にしながら、病のためバビロンで亡くなる。時に三十二歳(三十三歳ともいわれる)。夢半ばにしての、あまりにも若すぎる死であった。
 だが、彼が歩んだ道には、後世に花開く文化の種子が、しっかりと植えられていた。
 たとえば広大な領域の各地に、七十力所以上も建てられた都市「アレクサンドリア」は、ギリシャ世界と東方オリエント世界の融合と、新しい文化(ヘレニズム)創造の拠点となった。アレキサンダーの足跡の大きさは、時とともに、歴史が証明していったのである。
 まして広宣流布の遠征は、全人類を平和と文化の心で結び、永遠にわたる幸福の橋を架けゆく大偉業である。その意義の大きさ、福徳は限りない。
 その遠征の途上、私どもが人々のために祈り、行動した足跡は、たとえ目には見えなくとも、わが生命に確かに刻まれていく。また、何らかのかたちで証明されていくものである。そして、その価値は、時がたつほど光を放ち、社会に、世界に輝いていくにちがいない。(拍手)
13  「言論の力」こそ「民衆の力」
 ″精神の力″は偉大である。歴史を変える。地域を変える。世界を変える。
 ソ連のゴルバチョフ大統領については何度かお話ししたが、その改革(ペレストロイカ)を応援する意味で、きょうも少し触れておきたい。
 今年度のノーベル平和賞を受けた大統領の「平和」への貢献は、多岐にわたる。その一つの核心は何か。それは″言論の力″言葉の力″を証明して見せたことであると私は思う。
 「武力」による対立を、「対話」による協調へと、流れを変えた。話し合い、理解しあう――その力を世界に示した。
 国内的にも「言論の自由」を保障した。言いたいことを自由に言いなさい、と。そして、みずからも″真実″を、ありのままに語るところから始めた。
 経済の停滞も率直に認めた。自国の歴史的過ちにも言及した。皆、その勇気に驚いた。そして称讃した。だれもがじつは知っていることであった。だれもが心で思っていて、しかもだれも言えないでいたことであった。
 ここから状況は変わった。世界の多くの人々が、大統領の味方になった。
 過去の権力者は″本当のこと″を言う人間を弾圧してきた。これはつねに変わらぬ権力の魔性である。
 新しい指導者(ゴルバチョフ大統領)は、みずから″本当のこと″をしゃべりだした。格好のよい″ウソ″で固めた社会から、困難はあっても″真実″に基づく社会へと、歴史が動きだした。
 「核競争なんて、ナンセンスだ」と、大統領が本気で言い始めた時、世界は軍縮へと回転を始めた。
 「それぞれの国の進路は、それぞれの国民が決めるべきだ」と言ったとたん、東欧の旧体制は崩壊した。しかも、ルーマニア以外では、ほとんど無血の革命が成功した。
 たとえばチェコスロバキア。昨日、私は同国のフリッチェ教授(=芸術センター教授。オーディオ・ビジュアル・アート〈視聴覚芸術〉の国際的権威)と七年ぶりに再会した。
 十五年前に初めてお会いした時、私は言った。「必ず、新しき自由の時代が来ますよ」と。「そのとおりになりました」と教授は喜んでおられた(拍手)。そして、ぜひチェコに来てほしいと、何度も言っておられた。
 ――ハベル大統領を中心とする今回のチェコの革命は、「ビロード革命」と呼ばれている。布地のビロードのような、柔らかな、静かな革命という意味がこめられている。
 ハベル大統領は、著名な劇作家であり、三年間の投獄など、権力によって言論を弾圧されてきた。そして今度は、民衆の″言論の力″で、古き権力を打ち倒した。ここに「ビロード革命」の真髄があるとされている。″言葉″を職業とする劇作家のハベル氏が大統領に就任したことは、その象徴であろう。
14  「正しき道理」のみが真の歴史を
 人類史は、今や「力」から「対話」へ、「権威の支配」から「道理の支配」「理性の支配」へと、一歩を進めつつある。
 どんな権力者も、権威で抑えつけるのではなく、道理のうえから、理性のうえから、人々を納得させねばならない。いわば新しき「言論の時代」の幕開けである。
 そして、仏教はつねに、武力でも権威でもなく、当面論の力″によって、法を弘め、平和と文化を拡大してきた。大聖人がそうであられた。私どもの運動も同じである。
 「言論の時代」とは、こうした仏教の根本精神が、大きく花開く時代である。否、いやまして大きく開花させねばならない時代である。(拍手)
 ゴルバチョフ大統領は、一昨年、ポーランドの国会で、こう語った。
 「歴史を変えることはできない。しかし歴史から学ぶことはできる。真実は遅れても必ずやってくる」
 善かれ悪しかれ、真実は、隠そうとしても、いつか必ず現れる――この信念に、大統領の哲人政治家としての″魂″があろう。
 民衆のために戦っている私どもの″真実″も、必ずや、歴史のうえで、全世界に証明される日がやってくることは間違いない。(拍手)
15  ともあれ、″真実″を語り合える世界は、すがすがしい。遠慮したり、圧迫されたり、信頼できなかったり――心にある思いを率直に外に出せない世界は暗く、不幸である。
 とくに、信仰は、自分が、そして皆が、幸福になるための世界である。だれ人にも、卑屈になる必要はない。遠慮する必要もない。道理に合わない話、納得できない、わからない話、それらを黙って聞かねばならない義務もない。
 堂々と、″本当のこと″を、″正しき道理″を語っていくべきである。とりわけ、自分より強い立場の人に対して、皆のために、″真実″を言える人が偉い人である。
 日蓮大聖人の御一生もそうであられた。独裁的な権力に対して、″真実″を叫ばれたがゆえに、一生涯、迫害の連続であられた。私どもも同じ精神に生きることが、門下としての正しき人生であると私は信ずる。(拍手)
 ″真実″といっても、決してむずかしいことではない。だれもが心から「そのとおりだ」と思える、いわば″当たり前″の道理を、道理のままに語っていく勇気が必要なのである。
16  「声仏事を為す」じである。しゃべらなければならない。声で、言論で戦っていかねばならない。私も連続のスピーチ等によって、言論戦の火ぶたを切っているつもりである。
 民衆が心から納得し、心から語り始める時、時代は音をたてて変わり始める。胸を張り、頭を上げて、朗らかに、何ものをも恐れず、語っていかねばならない。その時に知恵が出る。その時に、境涯も開ける。目の前に広々と道も開けてくる。
 夫婦げんかをする時の奥さま方の舌鋒の鋭さ!(爆笑)。どこからこんな知恵が出るのかと不思議なほど、頭がす早く回転する(爆笑)。ご主人が大学の教授であろうと、ご婦人方の機関銃のごとき追及にはかなわない(笑い)。福井のご家庭はみな平和かもしれないが……。(笑い)
 ともあれ庶民の知恵、庶民の叫び――これほど強いものは、この世界にないことを、皆さまは確信していくべきである。(拍手)
 そして、とくに若きリーダーの皆さまは、内外から「さすがである」「あざやかである」とたたえられる、水際立った言論の戦士、言論の勇者として人々を守り、また周囲に納得と信頼の輪を広げていっていただきたい。
 最後に、皆さまの健康と長寿を、そしてすばらしき″最高の人生″でありますようお祈りし、記念のスピーチとしたい。また、お会いしましょう。
 (福井文化会館)

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