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日蓮大聖人・池田大作

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第二十四回本部幹部会 聡明なみずみずしい指導者に

1990.10.16 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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2  昨日、アメリカの著名な財界人が、創価大学、東京富士美術館を見学された。世界の多くの大学等を見てこられた方であるが、創大に対して、「本当に真剣に教育に打ち込んでおられる姿、情熱に感銘しました」と感想を語っておられたと聞いた。
 仏法を基調とした私どもの平和・文化・教育の運動に寄せる共感の声は、いよいよ高まっている。世界の識者は、まず正確に″認識″しようとする。そして、認識した人は必ず″評価″してくださっている。
 創大には先日も、イスラエル・ヘブライ大学のヤコブ・ラズ教授が訪問された。教授は、夏目漱石や芥川龍之介、井原西鶴などの翻訳もある、著名な日本文化研究者である。高松学長らが出迎えたが、中近東研究会の学生の歓迎にたいへん喜んでおられたという。
 また東京富士美術館で開催していた、オックスフォード大学の「ボドリーアン図書館重宝展」も見学され、こう語っておられたようだ。
 「私は以前より、創価学会が、仏教哲学という伝統的な思想を積極的に現代社会に展開し、社会的な諸活動をたいへん活発に推進していることに、関心をもっていました。本日、皆さんにお会いでき、私が想像していた以上の多角的な運動に、日本文化を専攻する学者として、とても参考になりました」
 「ヨーロッパでは、十九世紀ごろから、宗教、教育、文化・芸術が分断され、総合的には社会に対する影響力が半減しております。それに対し、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の活動は、平和・文化・教育を包括したものであり、私が考えていた理想的なあり方です」
 「SGI会長に近い将来、ぜひイスラエルに来ていただきたいと強く念願します」と。
3  また、「創価教育学」研究の第一人者であるアメリカのD・M・ベセル博士とは、この夏、軽井沢でお会いしたが、一週間ほど前に伝言を寄せてくださった。
 そのなかで博士は「私が母から受けた教育は、一つには、すべての人が人格を備えているという価値観です。二つには、自然や宇宙と人間は一体のものだということです。これは牧口先生(=初代会長)の教育論と同じだと思います」と述べられている。
 また「私の今の関心は、型にはまった現在の教育のあり方を、どう脱皮するか、教師も生徒も間違った教育に対し、ノーと言えるような状態をどうつくるかということです」「そういう意味で、創価学園は理想的な教育が行われていますね」と称えてくださった。
 このように、世界の目は、私どもの運動を、ありのままに、正視眼で見てくださっている。私も伝えられた言葉を、ありのままに紹介させていただいた。(拍手)
4  新しき大発展を新しき思考で
 ゴルバチョフ大統領に、今年度のノーベル平和賞が決定した。決定の報を聞いて、すぐ祝電を送らせていただいたが、友人の一人としてたいへんうれしく、心から祝福申し上げたい。
 大統領とは、三カ月前にお会いした。その折、「ペレストロイカ(改革)を一年やると、五年は年をとることになっています」と、ユーモアをこめて語っておられたが、その先駆の栄誉を深く称えたい。その時、大統領は、こうも言われていた。
 「新しいことは、最初はバカげたことのように見られがちです。改革者というものは、つねに初めは少数派なのです。ですから、新しい芽ばえ、新しい志向が見られると、すぐに『けしからん』などと否定してしまうのは誤りです」「世界の中、社会の中に、新たな芽ばえ、兆しが出るのを、いち早く発見し、それを伸ばすことは、決して悪いことではないはずです」と。
 この大統領の掲げる「新思考」が、世界を大きく変えたのである。
 時代が動く時も、社会が大きく変わる時も、そこには、必ず、新たな思考の予兆がある。いかなる団体の発展にも、どのような人の成長にも、そこには、必ず新たな発想の芽ばえがあるものだ。
 まさに春の訪れを告げる″芽ばえ″――それを、どういち早くとらえて、大きく伸ばしていくか。そこに、あらゆる社会、団体の発展の鍵があるし、人材を育て、活動を成功に導く方途がある。
 新しい「発想」、新しい「思考」は、新たな「知恵」の開発から生まれるものだ。学会も、妙法を根本とし、その時代、それぞれの地域で「知恵」を働かせ、「新思考」をもって進んできたがゆえに、今日の大発展があったと思っている。
5  ゴルバチョフ大統領は、「ペレストロイカの『新思考』も、池田会長の哲学の樹の一つの枝のようなものです」と語っておられたが、謙虚なお言葉に恐縮の思いであった。
 この「ペレストロイカ」の一環として、先ごろ、ソ連では、「良心と宗教団体の自由に関する法律」が採択された。ここに、信仰の自由と、法の前の宗教の平等などが認められたのである。将来、ソ連にも、SGIの支部が誕生する可能性が出てきたように思われてならない。(拍手)
 それはそれとして、どうか皆さま方もまた、壮大なる広布の民衆運動のなかにあって、新しい波をつねに起こしていく「新思考」のリーダーであっていただきたい。
 どうすれば、尊い仏子である学会員が、希望をもって前進していけるか。自信と勇気をもって活動していけるか。いつも、その一点に心を砕いていく時、新しい「知恵」も「新思考」もわいてくるのである。つねに、時代を開く、先駆の「知恵」を輝かせながら、広布のみずみずしい指揮をお願いしたい。
6  何事をなすにも「言葉」が大事である。明快な言葉、新鮮な言葉が、人々の心を動かし、心を開いていく。また、その言葉も、張りのある、生き生きとした声で語られるとき、より大きな力をもつ。
 先日も、私の尊敬する長崎の本島等市長が話されていたという。
 本島市長は、一九八七年(昭和六十二年)五月、私がソ連を訪問し、モスクフで開催された「核兵器――現代世界の脅威」展に出席した際、ともに同展に出席されていた。
 席上、私は共催団体の代表の一人としてスピーチしたが、本島市長は、その時の私の話が生涯忘れられないと述懐しておられた。「まず声がいい。内容もわかりやすく、ソ連の多くの来賓もたいへん感銘していました」と。
 過分な評価に恐縮のいたりであるが、言葉、声の響き、そして真摯な態度――それが、人々の心をうち、納得と理解の輪を広げていくのである。
 あのゴルバチョフ大統領の勝利も、ある意味で「言葉」の勝利であった。今や世界の言葉となっている「ペレストロイカ」。それを、高らかに掲げ、新たな意味をもたせて世界に主張した。そして東西の冷戦に終止符を打ち、平和と協調の潮流を築いたのである。
 それは、武力ではなく「言葉(思想・哲学)」を武器とした戦いであった。ゴルバチョフ大統領は、その戦いに、世界で勝利したのである。
 広布の戦いも、一面、言論戦である。深遠なる仏法の哲理を、どう新鮮な表現で、生き生きと語っていくか。それができれば、これまでの十倍も百倍も、世界に広宣流布の道は開けていくにちがいない。
7  信念の人、確信の人に
 ″確信の人″は強い。心に惑いがない。揺らぎがない。いかなる時も希望を失わず、人生をより良き方向へと開いていくことができる。――そうした、良い意味で希望に燃えた″楽観主義″の生き方を教え、自分のものとしていけるのが、信心の一次元の姿である。
 大聖人は建治元年(一二七五年)、富士在住の門下である西山殿に、一通のお手紙を送られている。
 建治元年と言えば、第一次の「蒙古襲来」となった「文永の役」が起きた翌年にあたる。鎌倉幕府はこの年の九月に、蒙古の使者五人を斬首。ふたたびの襲来に備え、臨戦態勢に入っていた。時代はいわば、一国こぞって″修羅道″に堕ちたかのような様相を呈していた。
 大聖人は、そうした時代混迷の根本原因を、経文のうえから説き明かされるとともに、西山殿にこう仰せである。
 「日本は皆人の歎き候に日蓮が一類こそ歎きの中に悦び候へ、国に候へば蒙古の責はよも脱れ候はじなれども・国のために責られ候いし事は天も知しめして候へば後生は必ずたすかりなんと悦び候
 ――日本国は、すべての人々が嘆いているのに、日蓮の一門ばかりは、嘆きのなかにも喜んでいる。日本国にいるからには、蒙古の責めは、おそらく免れることはできないだろうけれども、大聖人一門が国のために迫害されたことは、諸天も知っておられるのであるから、後生は必ず成仏できるであろうと喜んでいる――。
 「歎きの中に悦び候へ」――物情騒然とした世相にあって、なんと確信に満ちた、泰然たるお姿であろうか。
8  「哲学」なき人生、「信念」なき人生は、もろく、はかない。時流に流され、右往左往してしまう。目先の現象や、世間の評価に一言一憂し、つねに心が落ち着かない。
 いかなる「哲学」「信念」があるのか。「信仰」があるのか。人生の幸、不幸の根本は、ここで決してしまう。
 その意味で私どもは、幸いにも、仏法という成仏の大法を受持することができた。一切を、より価値ある方向へと転じていける「知恵」の源泉を得た。三世永遠にわたる幸福の軌道を知った。あとは、その大道を、堂々と進んでいけばよいのである。
 その途上で、何があろうとも、嘆くことも、恐れる必要もない。苦難にあえばあうほど、わが生命に崩れざる福徳が刻まれていくからである。その福徳の光は、時がたてばたつほど明らかとなる。くっきりと、日に見えて輝きを増していく。
 反対に、仏子を見くだし、圧迫を加えた人間はどうか。御書には「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」――はじめは、何も起こらないようでいて、結局、滅亡していかないものはない――とある。
 因果の法則は、厳しい。やがて必ず、相応の果報となって現れていく。
9  さらに大聖人は、西山殿に、このようにも仰せである。
 「御辺こそ今生に蒙古国の恩を蒙らせ給いて候へ、此の事起らずば最明寺殿の十三年に当らせ給いては御かりは所領にては申す計りなし、北条六郎殿のやうに筑紫にや御坐なん
 ――すでに今生に、あなたは蒙古国の恩を蒙られたのです。蒙古の事が起こらなかったならば、今年は最明寺殿(北条時頼)の十三回忌に当たっており、狩りがあなたの所領内で行われたであろうことは言うまでもありません。また、北条六郎殿のように、あなたも筑紫(九州)へと行かれたことでしょう――と。
 蒙古襲来の動きのために、西山殿の所領内で行われるはずであった「狩り」も行われなかった。これによって、当然予想される煩わしい気遣いや出費を免れることになったわけである。
 また、くわしいいきさつは不明だが、本来なら蒙古の襲来に備えて九州の警護に出かけるべきところであった。もし行っていれば、やはり、夫婦や親子が離れて暮らさねばならない。あるいは、蒙古との戦いのなかで、いつ命を落とすかわからない。しかし、そんな危険な任務にも就かずにすんだ。
 この事実に対し、大聖人はお手紙の中で、「一には法華経の御故にたすからせ給いて候いぬるか」――一つには法華経の功徳によって助けられたのでしょうか――と仰せになっている。
 蒙古の問題で世情が騒然とし、皆、苦悩と不安におののいているなかで、大聖人は「あなたにとっては良いことでした」と、すべて積極的にとらえ、法華経に感謝していくよう教えられているのである。
10  同じ現象でも、どうとらえるかによって、その意味はまったく違ってくる。その意味で、信心は、すべてを前向きに受け止めていく心の″バネ″とも言えまいか。とともに、どんなに変化に満ちた道程も、一念の″ハンドル″によって、正しき方向へ、歓喜と満足の方向へ、そして幸福の方向へと、力強く回転させていく。これが妙法なのである。
 世間体や表面的な次元にとらわれた生き方では、どこまでも安心感は得られない。いつも何かに左右され、″残念だ、残念だ″″困った、困った″と愚痴の絶えない場合が、あまりにも多いものだ。
 正しき信心の軌道に、不幸への逆コースはない。必ず前へ前へ、成仏の方向へと進んでいける。どうか皆さま方は、その確信ある指導、激励をお願いしたい。
 さらに大聖人は、西山殿に、こう語られている。
 「是程の御悦びまいりても悦びまいらせ度く候へども人聞つつま包兼しく候いてとどめ候いおわんぬ
 ――これほどの、うれしいことですから、あなたのところに親しくおうかがいして、お喜びを申し上げたいと思いますが、人聞きもあることですので、やめることにしました――と。
 ″あなたの所に、親しく行ってさしあげたい。しかし、私が行ったために、世間の人が何やかやと、あなたの批判をするようなことがあってはいけませんから″と、門下の身を案じられる大聖人の、濃やかなお心遣いがしみじみと拝される御文である。
 一人の門下の無事安穏をわが喜びとされ、そして次の前進への希望を与えてくださる大聖人――。そのお心を、みずからの立場で深く拝していくことが、大聖人の門下に連なる者の心であり、行動でなくてはならない。
11  御本仏の限りない大慈大悲
 大聖人は、同じ建治元年、富士地方の門下である高橋殿にも、真心こもるお手紙を寄せられている。
 この高橋殿の夫人は、日興上人の叔母にあたる方である。日興上人のご化導により、夫人は強盛な信心を貫いていた。その夫人に比べて、夫である高橋殿のほうは、それほど強信でなかったようである。こうした夫婦の信心の関係は、現在も多く見られる姿かもしれない(笑い)。しかし、大聖人は、夫人のほうも最大に大事にされ、あたたかく激励されているのである。
 広布の組織にあっても、夫人のほうが役職が高い場合など、そのご主人を心から大切にしていくことを忘れてはならない。それが信心の指導、激励の、重要な″急所″となるからである。
 大聖人は、高橋殿に、次のように仰せである。
 「一日も我がかたとて心よせなる人人はいかでかをろかなるべき世間のをそろしさに妻子ある人人のとをざかるをば・ことに悦ぶ身なり
 ――たとえ一日であろうと、わが味方として心を寄せてくれる人々を、どうして疎略(粗末)にしましようか。世間の恐ろしさに、妻子ある人々が遠ざかるのを、ことに喜んでいるのが私の気持ちです――と。
 たとえ、わずかでも大聖人に心を寄せてくれた人を、決しておろそかにされない。どこまでも大切にし、心を尽くしていかれる。これが大聖人のお心である。
 だからこそ、門下が迫害を受けることは、じつに心苦しい。もし迫害を免れることができるのなら、自分のもとから離れていくのも喜ばしいことである――。
 大聖人は、世間の圧迫のなかにある信徒の労苦を、これほどまでに案じておられたのである。
 さらに大聖人は、こう述べられている。
 「日蓮に付てたすけやりたるかたわなき上・わづかの所領をも召さるるならば子細もしらぬ妻子・所従等がいかになげかんずらんと心ぐる
 ――日蓮についていても、助けてあげることもできないうえ、わずかの領地をも主君に取り上げられるならば、くわしい事情を知らない妻子や家来等は、どのように嘆くことであろうかと、私は心苦しく思うのです――と。
 ご自身はあらゆる大難小難を一身に受けられながら、ただひたすら門下の安全にお心を配り、守ってくださったのである。なんと深く、限りない御本仏の大慈大悲であられることか。(拍手)
 どうすれば、一人一人が「安穏」な生活を送れるか。「幸福」に生きぬいていけるか。みずからは何も恐れない。何も惜しまない。しかし、大勢の仏子には、どこまでも「安心」を贈り続けたい。また「苦しみ」を除いてあげたい――。ここに、御本仏のお心があられた。
 人間性の精髄ともいうべき、仏法の「慈悲」の精神――これこそ、創価学会の根本の精神である。私も、こうした強き一念で、今日まで皆さまを守り、広布の大道をともに歩んできたつもりである。この決意は生涯、変わることはない。(拍手)
 逆に、仏法の本来の精神を忘れ、仏子に圧迫感を与えたり、苦しませていくことは、すべて″極悪″である。近年も、そうした姿があった。悪をとりつくろう詭弁や、ごまかしの理屈、偽善に、絶対に騙されてはならないと、将来のために申し上げたい。(拍手)
12  包容力と愛情深き指導者に
 末法における成仏の直道は、三大秘法の御本尊への祈り、唱題と、時に適った折伏行の実践である。この信行の正道を歩む尊い同志に、どう、希望と、張り合いと、喜びの道を開いていくか。その強靭な一念で祈り、同志のもとに飛び込んでいく時、新しい「知恵」は、泉のごとくわいてくる。
 決して無理をさせるのでもない。また、押しつけや命令でもない。どこまでも地道な対話、指導をとおして、人々を納得させ、共感の心を呼び起こしながらの広宣流布の前進。遠回りのように見えて、じつは、これほど強く、確かなものはない。
 要するに、仏子への深き″愛情″が、胸中に脈打っているか否か――。この一点に、広布前進の指揮を担うリーダーの根本条件があることを、皆さま方は深く知っていただきたい。(拍手)
 本日の会合は、学会のすばらしき指導者の方々の集いである。どうか、皆さま方は、それぞれの地域にあって、すべての方々をあたたかく、大きく包容し、守り、賢明にリードしゆく指導者であってほしいと、私は心から念願する。(拍手)
13  私どもの次の目標は西暦二〇〇〇年、学会創立七十周年である。「七」とは、五字七字の妙法に通じゆく、意義ある数でもある。
 まずは、これからの十年間を、ここに集われた全員の方々が、「長寿」と「幸福」で飾っていただきたい。そして、二十年後には創立八十周年を迎える――。「八」には、「開く」との意義もある。これからの十年、二十年は、日本、そして世界の広宣流布が絢爛と開けていくことは間違いない。(拍手)
 私どもは、今、すばらしい時代に生きている。どうか伸び伸びと、深き信心の″新思考″で、最高の「知恵」を発揮しながら、秋谷会長を中心に、スクラムも固く、晴れやかに進んでいただきたい。新たなる広布の″希望の峰″をめざして、ともに前進していきましょう(拍手)。では、皆さま、お元気で。ありがとう。
 (創価文化会館)

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