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日蓮大聖人・池田大作

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第五回中部総会・第二回全国女子部幹部会… みな幸福に、みな社会の勝利者に

1990.10.10 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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1  大中部の広宣流布の大発展を
 太陽の光彩につつまれた「偉大なる中部」の第五回総会、おめでとう。(拍手)
 中部は勝った。皆さまは見事に勝利された。私はうれしい。諸天も喜んでいる。きょうのこの青空! 皆さまの人生の前途を象徴するかのように、どこまでも青く美しく、さわやかに広がっている。希望の輝きに満ちている。天には光、地には皆さまの笑顔。私は本日の総会は、いよいよ中部が全国、全世界の模範として、広布の″新章節″に出発する集いと思えてならない。(拍手)
 また、全国各地で開かれている第二回全国女子部幹部会、本当におめでとう(拍手)。皆さま方が一人残らず幸福になられるよう、私は毎日、懸命に祈っている。
2  中部の友は、これまで、たいへんな苦労をしてこられた。どこよりも、つらい坂を越えてこられた。あの伊勢湾台風。そして、学会員に対する″墓地埋葬拒否″事件。三重では裁判でも争われた。勝利の結果を見るまでもなく、人道上、また宗教者として、理不尽きわまる無慈悲の行為であった。
 さらに、いわゆる「言論問題」でもっとも激しく攻撃されたのが中部であった。陰湿な策謀と、心なきいやがらせ、揺さぶりが集中的に行われた。
 幸福になるために信仰したのに、どうして、これほどまでに苦しめられなくてはならないのか。ある意味で、そう思われても無理からぬ日々が続いたのであった。
 しかし、いちばん苦労した人が、いちばん幸福になる。これが妙法である。いちばん苦難と戦った人が、いちばん境涯を開いていく。これが信心の大功徳である。
 そしてつねに、皆さまは勇敢であった。恐れなかった。そして勝った。
 中部は、日目上人が天奏の途上、御遷化された有縁の地である。これは我見かもしれないが、その因縁からであろうか、とくに勇敢な人が、この中部に願って生まれてこられたような気がする。(拍手)
 今や中部は、灰色の″冬″の時代は去った。福運の花咲き乱れる、喜びの″春″が来た。
 きょうは四十力国・地域の青年リーダーも参加されているが、まさに「ザ・サン・シャインズ・ブライト(太陽は輝く)」「ウインター・イズ・オーバー。スプリング・ハズ・カム(冬去りて春来りぬ)」の時節到来である。(笑い、拍手)
 また本日の晴れの会合には、「東京会」「北陸会」の方々も、祝福と、躍進する中部の見学のために(笑い)参加しておられる。(拍手)
3  発展の因は中心者の一念に
 発展している組織には、必ずその原因がある。それでは、近年の中部発展の淵源はどこにあったか。
 それは一つには、「言論問題」の渦中にあって、大野和郎副会長(当時、中部青年部長)を中心とした青年たちの誓いにあった。
 彼ら青年たちは、「いかなる苦難があろうとも、われらは断じて退くまい。断じて勝利の証を示すのだ。大いなる中部を築いてみせる」との決意に勇み立った。ともに祈り、懸命な行動を重ねた。
 妙法は不可思議である。御本尊の御照覧は絶対である。目に見えない信心の一念も、必ずいつか、かたちとなって現れる。厳しき因果の理法が、人生のうえに、組織のうえに、社会のうえに、はっきりと顕現される日が来るものだ。
 ゆえに、わが内なる「一念」がどうであるか。それが根本問題となる。見つめるべき最重要の課題となる。
 法華経には「一念三千」と説かれる。妙法には宇宙大の力がこめられている。ゆえに、信心の「一念」しだいで、乗り越えられない難はなく、転換できない宿命もない。そして組織も、根底は、中心者の「一念」の反映にほかならない。
 その一つの証を、私は大野副会長を中心とした青年リーダーたちの誓いに見る。二十年前の誓いのままに、今や中部は、このように明るく、すばらしき大中部へと発展した。
 その勝利の姿を、私は称えたい。これからも中部は、いずこよりも仲良く、美しき団結の前進をお願いしたい。(拍手)
 また、この「偉大なる中部」を築いてこられた功労の方はだれか。当然、それは皆さま方全員である。全員の祈りと努力で、つくりあげてこられたことはいうまでもない。その福徳はいかばかりか。皆さま方に十方の仏・菩薩、諸天の加護がいやますことは間違いないと確信する。
4  若き日に徹底した勉学の鍛錬を
 さて戸田先生は、逝去の直前である昭和三十三年(一九五八年)三月、総本山で最後の指揮をとられた。その一言一言はみな、先生亡きあとの学会の進路を示された″遺言″であった。私はその一切を魂の奥底に刻んだ。
 「これからの学会は、外部から崩されることはないよ。大事なのは内部だよ。団結だよ」と。――先生の予見の眼は、まことに鋭かった。具体的にも、「あれは危ない」と心配されていた人は、やはり後に、その正体を現して皆を苦しめた。
 また、「学会は″気分″で行け。皆の楽しい気分をこわすような者は、敵である」と。
 「気分」とは、異体同心のうえで、同志の心と心が通い合うところに生まれる、あたたかな雰囲気のことを意味しよう。これも先生の言われるとおりであった。皆を裏切り、退転していった人間は、日ごろから、何か呼吸の合わない、いやな雰囲気がどこかにあった。
 自分の黒い野心や利害、やきもちに心を動かされるからであろう、どうしてもうるわしき仏子の世界に溶けこめない、何ともいえない感じの悪さがあった。
 次のようにも言われていた。「基本が大事だ。基本がしっかりしていれば、レールの上を走る列車のように、日本の広宣流布は必ずできていく。日本を盤石に固めることだ。そこから東洋の広宣流布、世界の広宣流布へと広がっていくのだ」と。
 私どもは、こうした先生のご遺言のとおりに進んできた。そして、世界のどこにもない、最高に仲の良い、最高に楽しい人間群をつくることができた(拍手)。先生のお喜びは、いかばかりであろうか。
 さらに先生は、最後の最後まで「若い人は勉強せよ。勉強しない者は私の弟子ではない」と厳しく言われていた。仏法は、決して宗教のための宗教ではない。社会の立派な勝利者、大指導者をつくるための信仰である。仏法上の行学は当然のこととして、だれよりも学び、探求し、一流の見識と人格を磨かなければ使命は果たせない。
 勉強しなければ、社会、世界に盲目となる。それでは社会に開いた「広宣流布」はできない。仏法の深さもわからない。何より自分自身がみじめな敗北者となってしまうであろう。
 しかも、その勉学は、若いうちでなければ、なかなか身につかない。二十代から三十代前半までに、どれくらい徹底して学んだか。ほとんどは、それで決まってしまう。私が今、世界の舞台に大きく悠々と進んでいけるのも、若き日の勉学の鍛錬の結果と思っている。
5  戸田先生の訓練は厳しかった。人文・自然・社会科学――万般にわたる勉強をさせられた。ご自身も、御書は当然として、世界の大思想、大文学をとおし、人生論、指導者論、組織論などを縦横に語ってくださった。またそれらの内容について、青年たちに鋭く質問もされていた。とくに私は集中的にやられた(笑い)。″きょうは、ここを聞かれるな″と思っていても、意表をついて(笑い)、まったく違う角度から尋ねられることも多かった。
 そうした厳しい先生の薫陶を、私は十年間、毎日のように全身で受けきった。毎朝、仕事の前に、先生の個人教授で勉強を重ねた。そして仕事での攻防戦と、激流のごとき広布の法戦。日曜日には、朝から晩まで研鑽に打ち込むこともしばしばであった。
 これが私の青春時代であった。微塵も悔いはない。悔いがないゆえに、私は幸福である。
6  ″民衆の心に背けば滅ぶ″は歴史の鉄則
 戸田先生がよく語ってくださったものの一つに、中国の史書『十八史略』がある。これまで私も何度かスピーチをさせていただいたが、本日も、この『十八史略』の有名な″項羽と劉邦の戦い″から一つのエピソードを紹介しつつ、話を進めたい。それは、「何が勝負を決するか」という話である。
 仏法は″勝負″である。また人生も″勝負″である。勝つか負けるか、いずれかしかない。負けてしまえば、いくら弁解しても意味がない。愚痴をこぼしても自分が不幸なだけである。その意味で、この根本の″一事″について語っておきたい。
 戸田先生は、会合の前に、よく言われた。
 「きょうは大事な話をする。この中に将来、学会の第三代会長になる人がいるから、語っておきたいのだ」と。
 それほどまでに青年に信頼を寄せられ、また深い尊敬の心で接してくださる恩師であった。
 私もまた、本日集われた方々の中から、広布の重責を担う人材が育ちゆくことを期待している。ゆえに、その方々のために語り、残しておきたいのである。
7  紀元前三世紀末、中国を初めて統一し、絶大なる権勢を誇った大帝国・秦――。しかし、この大帝国は、独裁者・始皇帝(前二五九年〜前二一〇年)の死後、あっけなく崩壊してしまう。
 私もかつて、中国・西安にある始皇帝の墓陵を訪れたことがある(=一九七四年六月、第一次訪中)。まことに壮大な、歴代皇帝の墓の中でも屈指の規模であった。それほどの大権力者が治めていた帝国が、皇帝の死とともに、わずかのうちに滅び去ったのである。
 日蓮大聖人は、秦の滅亡について、こう仰せである。
 「秦の世ほどもなし始皇の左道によるなり」――秦の世は、ほどもなく滅んだ。これは始皇帝の非道の行いによるものである――と。
 民衆の心に背いた横暴な独裁は、自滅する――。これが歴史の鉄則である。近年の世界的な″民主化″の潮流も、民衆を苦しめてきた″独裁″への反発であり、その崩壊の姿にほかならない。
8  何が勝負を決するか
 秦が滅びたあとの天下をめぐって壮絶な戦いを繰り広げたのが、項羽(前二三二年〜前二〇二年)と劉邦(前二四七年〜前一九五年)である。この二人の戦いは、歴史上、屈指の激しい決戦であったといわれている。
 しかし、大聖人は「開目抄」の中で、彼らが八年にわたって中国で戦ったよりも、ご自身の法戦はさらに激しく、重大な闘争であると述べられている(御書218㌻)。歴史上のいかなる闘争よりも、正法流布の法戦は、はるかに熾烈な、深い意義のある大闘争である――とのご確信であられた。
 ゆえに、大聖人の仰せのままに妙法を弘めゆく創価学会の前進も、もっとも激しい障魔との大闘争である。そして、世界の「平和」と、人々の「幸福」を築くための、もっとも崇高な戦いなのである。
 皆さま方は、その最高の大法戦に、みずから望んで連なったお一人お一人である。
 「強敵」があればあるほど、功徳も絶大である。また「難」にあえばあうほど、成仏の境界へと近づいていけるのである。人類の新しき歴史を開きゆく誇りをもって、「大勇猛心」を燃え上がらせて前進していただきたい。(拍手)
9  さて、項羽と劉邦の戦いは、激戦に次ぐ激戦の果てに劉邦が勝利を収めた。
 『十八史略』(陳舜臣『小説十八史略』2、毎日新聞社、参照)によれば、漢帝国の王者となった劉邦は、洛陽の都で宴をもうける。
 彼は多くの将軍たちをねぎらいながら、こう問いかける。
 「皆の率直な意見を聞かせてほしい。なぜ自分が天下を取ることができたか。また、なぜ敵の項羽は天下を失ったか」と――。
 ある者が答えた。
 「王(劉邦)は城を攻め、領地を得ると、功績によって皆に気前よく与えられました。天下の人と利益を共有されたのです。だから天下を得たのです。それに対し、項羽は功労のある者に、かえってつらくあたり、賢者には疑いの目を向けました。戦いに勝っても、その功績を人に与えず、土地を手に入れても、その利益を独り占めにしました。だから天下を失ったのです」――。
 漢の国が天下の多くの人々によって支えられていることを、確かに劉邦は知っていた。
 次元は異なるが、戸田先生は「学会は皆が力を合わせてつくった世界である。だから、皆で仲良くやっていくのだ」と言われていた。
 皆のものを皆で大切にし、守り、興隆させていく、自分たちの世界を、自分たちの手と力で楽しく、立派につくりあげていく。その喜びが、喜びを生んで、さらに発展をもたらしていくのである。
10  さて、このように、部下たちは、いわば劉邦の度量の大きさ、気前のよさに、勝利の因があったと見ていた。これを聞いて、劉邦自身は、こう語りはじめた。
 「諸君は一面だけを知って他面を知らない。はかりごとを帷幄いあく(陣幕)の中でめぐらせ(作戦を綿密に打ち合わせ)、勝利を千里の外に決する(千里の遠方にいながら勝利を決する)手腕では、私(劉邦)は張良にかなわない」
 張良は劉邦の名参謀であり、たいへんな知恵者であった。この個所は、大聖人が「一昨日御書」(御書183㌻)に引かれた有名な文である。
 劉邦は続けて語る。
 「また、国内を安定させ、人民を大事にし、経済をうまく運営して食糧を確保していくという点においては、私は蕭何しょうかにかなわない。さらに、百万の大軍を率いて、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取る(成果を出す)ということでは、私は韓信にかなわない。
 この三人は、いずれも傑出した人材である。ただ私は、この三人の人材をよく使いこなすことができた。これこそ、私が天下を取れた理由である。
 ところが敵の項羽は、范増はんぞうという優れた人材がいたにもかかわらず、その一人すら使いこなせなかった。これが私に敗れた理由だ」と――。
11  この劉邦自身による勝因の分析は、何を示唆しているだろうか。
 まず第一に、「知恵の勝利」であった、という点である。
 張良・蕭何・韓信という三人の将軍は、個別の能力では、大将である劉邦を上回るほどの逸材であった。しかし、この三人の力量を存分に発揮させ、勝利に結びつけていく「知恵」が、劉邦には備わっていた。「知恵」の力が、その人間的な魅力と相まって、彼を″将の将″ならしめたのである。
 何事も、「知恵」が勝利のカギである。知恵ある人は一切を使いこなせる。先手を打てる。臨機応変である。マイナスをもプラスに転じる。「力」は有限であるかもしれないが、「知恵」は無限である。
 広宣流布の展開も、一面は激烈な″知恵の戦い″である。そして強盛なる「無二の信心」に「偉大なる知恵」が備わってくる。現実に局面を開き、価値を創造する知恵こそ、信心の重要な証明なのである。
 第二に、勝敗を分けたのは「チームワーク」「団結」の差であった。それぞれの部署で、それぞれの優れた人材が持ち味を生かし、またつねに綿密な連携を取り合い、呼吸を合わせながら、スクラムを組んで進んだことであった。
 これは、多くのスポーツや、社会のあらゆる団体にも共通する″勝利への要諦″である。これまでの学会の勝利も、このチームワークの勝利であった。
 この「知恵」と「団結」において、項羽は劉邦に及ばなかった。ここに両者の勝負を決した要因があった――というのが、『十八史略』のエピソードの一つの結論であろう。
 それはそれとして、僣越ではあるが、私の勝利は「法華経に勝る兵法なし」を行じてきたからだと確信している。(拍手)
 本日ご参加の皆さまは、それぞれの立場で広布と社会の″リーダー″″将″としての使命を担いゆく方々である。つねに豊かな「知恵」を発揮し、人々の「団結」の″要″となっていただきたい。自身の「人格」を立派に磨き、鍛えあげながら、″あの人がいてくれたからこそ″と敬愛されるリーダーとなっていただきたい。だれに見せるためでもない。自分自身の悔いなき人生のために、真の指導者の″勲章″を、胸中に燦然と飾ってほしいのである。(拍手)
12  青春の修行は″幸の城″の土台
 さて、本日の全国女子部幹部会には三十万人の方々が参加されるとうかがった。すばらしい青春のスクラムとスクラムの、勝利の幹部会、本当におめでとう。(拍手)
 青春時代は、人生の土台をつくる時である。そして人生の目的は幸福である。″幸福の人生″には″幸福の土台″がいる。
 女子部の皆さまは、今、この一生の″幸の城″の基盤をつくっているのである。人生は長い。あせってはならない。女性は一段階として、まず四十代がどうかで人生の勝負が決まってくる。それまでは修行であり、建設である。
 ゆえに、今は表面的な華やかさはないかもしれないが、基本である信行学という″正しき道″を、″福運の道″を、まっすぐに、粘り強く進んでいっていただきたいのだ。
 星には星の軌道がある。空を渡る鳥には鳥の飛ぶ道がある。宇宙と自然の運行には、一切に厳たる調和がある。人にも人としての道がある。幸福には幸福になる道がある。皆さまは、すでに、その無上の道を歩んでいる方々である。
 せっかくの、その軌道をみずから離れるような軽率な行動は、あまりにも自分が損である。私たちも悲しい。私の願いは、ただ一つ、皆さまの全員が″これ以上はない″という幸福者になってもらいたいだけである。(拍手)
13  大聖人は「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」――賢いものを人といい、愚かなものを畜生という――と仰せであるが、はかない畜生のような人生ではなく、賢い幸せな人生を歩んでいくべきである。
 そのための信仰である。そのための仏道修行である。そのための青春である。世間の軽薄な風潮に流され、一時の感情や誘惑に負けて、親に心配をかけたり、周囲の人々が嘆くような、愚かな人生を絶対に歩んではならない。
 戸田先生は、よく言われていた。「女子部は多くの男性があこがれるような光輝ある女性になってほしい」「たいてい、男女の関係において、女性が賢く、毅然としていれば、不幸な問題が起こらない。それを、女性のほうが甘い考えで、軽率に応じて、一生を悩み、悔やむことがあってはならない」と、つねに厳しく若い人たちを指導されていた。
 もちろん、恋愛も結婚も自由であり、だれにも束縛する権利はない。だからこそ、自分がしっかりしなくてはならない。聡明に自分を律していかねばならない。
 とくに、若い皆さまは、まだ人生経験が少ない。ゆえに当然、こうした問題で迷うこともあろう。その時には、一人で悶々と悩んでいてはいけない。必ず、親や信頼できる先輩、友人に相談していくべきである。
 多くの体験に照らして、そうした″良き友″″良き人々″の輪のなかにいる女性は、大きく守られていく。このこと自体、たいへんに幸せなことなのである。
 また、この点、婦人部の方々にも″人生の先輩″として、遠慮なく女子部のメンバーに、あたたかなアドバイスと配慮をお願いしたい。
14  ともあれ、幸福のために大切なのは「福運」である。また生き生きとした内面の「境涯」である。それらの建設なくして、早く結婚したから幸せになるとは限らない。好きな人と恋愛したから、それだけで人生の幸福が決まるともいえない。現実の人生と生活は、そんな簡単なものではない。
 自分自身のたゆみなき人間の建設と、また社会にどのように貢献していこうか、さらに周りの人々を、どのように幸福にさせていこうか、そして平和のために自分はどのように献身していくか――こうした、明確にして大いなる目的をもって生きゆく青春は、まことに美しい。
 今、そのような確かなる目的をもって生きぬいている人と、遊び戯れて空しく青春を送っている人とでは、人生の総仕上げの時代に、あまりにも鮮明に違いが出てくることであろう。
 かけがえのない一生である。大切な、尊き自分自身である。将来に悔いや、心の″かげり″を残すような青春であってもらいたくない。最後の最後に「私は幸福になった」「私は本当に満足だ。勝った」と笑顔で言える人生のための青春時代であっていただきたい。(拍手)
15  仏法基調の運動に識者は剖目
 話は変わるが、あるテレビ放送の記者が、最近の学会の運動について、次のように語っていたという。
 「池田名誉会長の各種平和提言を読ませていただいたが、その基調となっている『国連中心主義』の主張に、名誉会長の先見性を垣間見る思いである。
 これまで、米ソ対立という状況下では、国連には、ともすれば米ソ二大国の意思が強く反映し、両国の主導権争いばかりが表面化していたように思う。肝心の国際紛争に対する国連の解決能力は疑問視され、その威信も低下するばかりであった」
 「ところが、冷戦構造が崩れた今日、イラク問題など地域紛争を処理し、解決していくためには、どうしても国連中心でやらざるをえなくなっている。この点を、名誉会長は、きわめて早くから見とおされていたわけで、一貫した信念として国連中心主義を提唱されてきた」と。
 国連中心主義は、私が数十年前から訴え続けてきたことである。その間には、この主張は理想論にすぎないという批判も少なくなかった。しかし世界の平和と調和のためには、どうしても″人類の議会″国連を中心にしていかねばならないと確信していた。今ようやく人類が、この道理に対して認識を深めてきたことを、私はうれしく思っている。
 さらにその記者は、次のようにも言われていたという。
 「池田名誉会長が提唱する民間外交は、たんに民間が主導というだけでなく、そこに哲学、信念が備わっているという点で、他とは一線を画する内容となっている。それを証明してみせたのが、今回のゴルバチョフ会談であった」と。
 民間外交といっても、たんに民間が中心であればよいというのではない。そこに、どのような哲学、信念があるか。いかなる世界観、平和観をもっているか。そこに、時代の″焦点″は向けられてきている。
 新しき歴史は、新しき哲学の台頭から生まれる。仏法の人間主義、文化主義に基づいたSGI(創価学会インタナショナル)運動に世界が注目する一つの理由がここにある。
 また「米ソ首脳会談の提言、東西融和という時代の流れを見越したうえで、国連の重要性を説く池田名誉会長の提言は、十分に説得力があり、この先見性は日中国交回復の提言と同様、日本外交史に特筆すべきものと認識している」と話されていた。(拍手)
 まことにありがたい理解の言葉であり、感謝にたえない。
16  さらに、今後の学会の展望についても、種々、意見を寄せてくださったとうかがった。
 「駆け出しの記者の時代、学会には無認識であった。しかし、生活保護世帯の取材を通じて、学会に対する考え方も変わっていった。それは、多くの生活保護者が挫折感を味わっていたなかで、私の知る学会員は、小説『人間革命』の学習に燃えて、いつも前向きに生きていた。日常の生活苦や悩みを他の会員と共有し、励ましあいながら活動する彼らは、宗教的自覚とともに、社会的使命感へと目覚めていった。
 すなわち、池田名誉会長のリーダーシップにより、会員は急速に文化的志向へと向かい、今日の開かれた学会へと発展したのではないか」と。
 無認識の目につきつけられた、学会員の真実の姿――記者にとって、たいへんな驚きであったにちがいない。仏法への偏見と無理解という社会の″璧″は、こうした学会員の真摯にして、希望に満ちた生き方によって打ち破られていったのである。
 また「わが国は高度成長期に、いわゆる新中間層を生みだしたが、それを文化的な側面から支えたのが、じつは創価学会であり、その役割は貴重なものだ。
 一方、社会の表面的な安定とは裏腹に、実情は今や生き残り戦争である。地盤沈下をはじめた組織は、国民の急激な変化に対応できなくなった結果、その社会的役割さえ果たすことができなくなっている」と。
 人の心も社会も、時代とともに変化していく。それに対応できないものは、消えていかざるをえない運命にある。とくに変化の激しい今日では、政治も企業も宗教も、あらゆるものが″生き残り″のための戦いを強いられているのである。
 そして「九〇年代の人々は、自身の豊かさにつながらないものは、明確に拒否している。逆に、自分にとって価値あるものには、コストを払ってまでも、積極的に行動を起こしていく。このような大衆自身の変化のなかで、学会がどういう新たな形で、しかも活力をもちながら役割を果たしていくのか。ここに、日本の社会が注目すべき本質的な問題がある」「その意味で現在のマスコミの批判は、まったくの的外れで話にならない」と――。
17  また、中部の地には、名古屋大学前学長であった飯島宗一氏がおられる。
 飯島氏が、先ごろ、ポーリング博士と私の対談集『「生命の世紀」への探求』(読売新聞社)を読まれての感想を語ってくださった内容を聞いた。
 皆さまもご存じのように、ポーリング博士は「現代化学の父」ともいわれ、ノーベル平和・化学賞の両賞を受賞されている。そしてアルキメデス、ダーウィン、ガリレイ、ニュートン、パスツール、キュリー夫人、アインシュタインなどと並ぶ、史上最高の科学者にランクされるとも言われる方である。
 飯島氏は「ポーリング博士のことは学生時代のころからよく存じております。それだけに、池田名誉会長との対談集を興味深く読ませていただきました。対談の内容は、素粒子などミクロの世界から、地球的規模のマクロの世界まで幅広く、しかも話題は科学、人間、宗教、平和などの広い領域の現代的課題をめぐって、率直に、また深く、スケールの大きさを感じさせられました。ことに二十一世紀を担う若い人々にとって、よき勉強の糧となるでしょう」と。
 そして「九十歳を迎えようとして、なお人類の当面する諸問題について生き生きとした思索を展開してやまないポーリング博士の素顔に触れることもすばらしいことですが、池田名誉会長が博士への質問の形をとりながら、カント、アインシュタイン、ラッセル等々、世界の偉大な知性の考えや発言を織りまぜて、読者のために引用し、紹介してくださっている点も有益なことだと思います。この対談集が多くの人々に読まれ、世界の平和への貴重な提言となることを信じてやみません」と述べられていた。
 ていねいに読んでくださり、ポーリング博士も、ことのほかお喜びになられるにちがいない。(拍手)
 私が、こうした世界の知性の方々と対談し、出版させていただいているのは、人類の知性の遺産を後世に残しておきたいためである。とともに、若き人々が、偉大なる英知に触発されて、みずからの世界を広げていただきたいからである。その意味で、この対談集も、青年部諸君の成長の一書としていただければと念願している。(拍手)
18  真実の宗教は人間へ、社会へ脈動
 先ほど秋谷会長からも少し触れられたように、歴史上、宗教はしばしば民衆を抑圧し、不幸をもたらしてきた。政治も同様であるが、本来、人間と民衆の幸福のためであったはずのものが、反対に人々を苦しめる「悪」と化す場合があった。
 先日、ある著名な学者と懇談した折も、この点が話題になった。その方が言われていた。
 「宗教戦争は、まっぴらである。人類の過去の不幸の流転は、その多くが、宗教と宗教との衝突から生まれた。その流れは現在も変わらない。宗教はどれも自分の宗派がいちばん正しいと信じこませる。そこから独善と排他が生まれる。
 宗教同士の戦いが、野球のゲームのように、たんに勝敗を決するだけならば、それもよいだろう。しかし実際は、深刻な悲劇をもたらすことが、あまりにも多い。結果として、大勢の人々を不幸にしてしまう。これでは何のための宗教か。本末転倒ではないか。
 ゆえに、自分だけが正しく、他はすべて誤り劣っているとする独善、ドグマの戦いには、人類はもはやこりごりしている。偏狭なイデオロギーも含めて、排他的・閉鎖的な思想・宗教は、人類の進歩に逆行している。
 そこに、社会にどう貢献するか、開かれた知性の広場で人々を納得させうる理論を、どうつくっていくかが大切になってくる。
 宗教が宗教のみの世界に閉じこもっていれば、社会の人々には、その力も内実もわからない。宗教は土台である。その大地から、万人に開かれた平和と文化と教育という次元に、どう具体的に、現代的、進歩的に、脈動、命脈を伝え、広げていけるか。
 ここに現代と未来の宗教がとるべき重要な方向性がある。歴史と文明の流れのうえから、また人間性と平和への貢献のうえから、全世界の宗教が自覚し、選択すべき王道があると思う」と。
 そして「この軌道をみずから創造し、世界に開いて、模範的な先駆の活動を続けてきたのが創価学会である。この先見性があって、世界の人々は、仏法の偉大さと力を認識することができた。
 宗教の純粋性を真摯に保持しつつ、しかも人類のあらゆる人々、国々とダイナミックに交流し、普遍的な価値をつくって貢献してきた。まさに奇跡ともいうべき理想的な歩みであり、見事なリーダーシップである。現代において、宗教がこれほどすばらしいものであり、魅力をもっていると示すことも、並大抵のことではできない。
 あらゆる意味で、学会の路線は歴史の最先端をいっていると思う。今後、これまで以上に、世界の識者の讃嘆を得ていくにちがいない」と結論されていた。
 この著名な仏教学者のみならず、仏法を基調とした私どもの平和・文化・教育の推進運動に、多くの一流の知性が注目し、期待を寄せてくださっている。
19  日目上人の勇気ある弘法の実践
 仏法は即社会へ、信心は即生活へと脈動していくものでなければならない。これが日蓮大聖人の教えである。
 私どもの軌道は、この大聖人の御精神を拝し、日興上人の御指南にそって、信心で深く実践してきた帰趨であり、この軌道は、これ以外にないと、おのずから定まり、広がってきた結果であると私たちは思っている。(拍手)
 日亨上人は『富士日興上人詳伝』の中で、大聖人の弘法の方軌を論じておられる。
 すなわち、初めは「弁論」をもって、次に「文筆」を用いて教導された。対象も、「個人」から「集団」へと移り、ついに「一国の主権者」を動かす御法戦へといたられたとの考察である。さらに、日興上人も、第三祖日目上人も、この大聖人の弘法の方軌に基づいて、立正安国への御行動を貫かれた、と。
 ご承知のように、日目上人が天奏の途次、御遷化されたのが、この中部の美濃(岐阜県)垂井の地である。日亨上人は、次のように書かれている。
 「開山遷化の直後、その嗣法日目上人は老躯にむちうって、寒中悲壮の西上を企て美濃の雪原に志をもたらして凍死せらるること、万世に懦夫だふをして起たしむるの概あり」
 ――日興上人の御遷化の直後、その法を継がれた日目上人は、老体(当時七十四歳)に鞭打って、寒中に悲壮なる西上の旅(京都に上る旅)を計画実行し、美濃の雪原にその志を運んで凍死された。このお姿は、万代にわたって、臆病な者たちを奮起せしむるであろう趣がある――。
 日目上人の御遷化のお姿は、門下の永遠の亀鑑(手本)であり、何ものをも恐れぬ勇気をもって広宣流布に進むべきことを教えてくださっている、とのご指摘である。
 法華経寿量品には「或示己身。或示他身(或いは己身を示し、或は他身を示し)」云云(開結四九九㌻)と説かれている。仏は十界のさまざまな身を現じて衆生を教化されるというのである。雪中での死というお姿をみずから示された日目上人にも、「万世に懦夫をして起たしむる」深甚の意義を拝することができると、日亨上人は示されているのである。
 また総じては、凡夫である私どもも、御本尊に照らされた生活は、根底的にはすべて「成仏」へ、絶対的な「幸福」へと向かう一日一日であることを疑ってはなるまい。
 ゆえに信心の眼で見るならば、すべてに意味がある。信心がある限り、その時はわからなくとも、必ずや自分自身の最高の「人生勝利」へのバネとなり、一里塚となっている。このことを確信するならば、私どもの一生は、根本的に大歓喜の人生なのである。(拍手)
 ともあれ、開創七百年という大佳節に、また創立六十周年という喜びの年に、世界四十力国・地域の青年リーダーを、日目上人有縁の天地・中部に迎えることができた。このことを、ともどもに喜び、ともどもにすばらしき自身の歴史として、つづり残していただきたい。(拍手)
20  なお日亨上人は、続いて書いておられる。
 「弘教はもとより一般の大衆に対するがゆえに、時機を顧みずして、みだりに主権者のみによるべきにあらず、いわんや、独裁政治にあらざる時代においてをや」
 ――弘教は、もとより一般の大衆に対して行うものであるがゆえに、時と機根を考慮することなく、みだりに政権の中心者のみに弘教するべきではない。いわんや過去のような独裁政治でない時代においては、なおさらである――と。
 仏法の本来の弘法の精神は、民衆の中で、民衆に対して行うものである。それを大前提として、それぞれの時代に応じ、それぞれの社会の状況を冷静に見つめながら、最大に価値ある行動をとっていくことが必要となる。
 これが日亨上人の教えである。また日蓮大聖人の御精神と拝される。私どもの前進は、こうしたお言葉に深くかなったものであることを確信していただきたい。(拍手)
21  闊達に「信心即生活」を
 信仰は、ともすれば個人をも狭い世界に閉ざしてしまう傾向がある。勤行や活動についても、何となく窮屈な圧迫感や義務感に苦しむ場合もあるかもしれない。
 しかし大聖人は、妙法を持ったわが身の中に生命の宮殿があると仰せである。その荘厳なる宮殿を開いていくための仏道修行であり、全部、自分自身のためである。このことを自覚すれば、一切は喜びに変わる。自覚できなければ、これくらい苦しいものもないであろう。
 この意味で、信仰は義務ではない。権利である。いたずらに形式にとらわれ、不自由な思いをするためのものではない。もっとも自由にして、闊達に、賢明に、人生をエンジョイしていくための信仰なのである。
 また仏法では「不改本位の成仏」と説く。これは九界の凡夫が、それぞれの本来の位を改めることなく、そのまま即身成仏するとの教えである。
 私どもが生活している、まさにその場所で、そのままの姿で、生きていること自体が楽しいという絶対的幸福の境涯を開くことができるのである。
 ゆえに、だれ人をうらやむ必要もない。何を嘆く必要もない。「足下を掘れ、そこに泉あり」との言葉があるが、御本尊を持ち、広布に進む、ほかならぬわが地域が、わが家庭、わが人生の舞台が、そのまま常寂光土(永遠の仏の国土)と輝いていくからである。
 このことを確信し、堂々と、朗らかに、自分自身の所願満足の歴史を刻んでいっていただきたい。(拍手)
 最後に、中部の皆さまのご健康とご長寿を心よりお祈り申し上げたい。
 また、男子部の諸君が、「われ一人あれば」との一騎当千の実力あるリーダーに成長されんことを期待している。
 そして全国、全世界の女子部の皆さま方が、だれよりも幸福な人生の骨格を立派に築いてくださることを重ねて念願し、本日の私のスピーチとしたい。
 (中部記念講堂)

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