Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二回全国男子青年部幹部会 世界に人間主義の新しい朝を

1990.9.30 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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2  御書に「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」――受けることはやさしいが、持ち続けることはむずかしい。そのなかで、成仏は、持ち続けるところにあ
 る――と。
 「持つ」とは、生涯、永遠に御本尊を持ちきることである。何があっても、ひとたび決めた信仰の誓いを貫くことである。因果倶時で、その一念に、一切の価値が、すでに含まれている。
 すなわち、「持つ」とは、正法を持つ、自分自身の信念を持つ、英知を持つ、幸福を持つ、三世永遠への原動力を持つ、宇宙のあらゆる珍宝を持つ、崩れざる大境涯を持つ、揺るぎない福運の軌道を持つ――というように、限りなく広がっていく。
 妙法を「持ち」、信行学を実践し、広宣流布のために生き、活躍することによって、こうしたすべてをつつみ、勝利することになる。
 ゆえに諸君は、誉れ高き″わが人生の大道″を、まっすぐに、どこまでもまっすぐに歩みとおしていただきたい。(拍手)
 また、日ごろ、陰の立場で、黙々と広布の活動を支えてくださっている創価班、牙城会、転輪会、金城会の皆さま、いつも本当にありがとう。この場をお借りして、あらためて御礼申し上げたい。(拍手)
3  権力と戦った詩人・尹東柱ユン・ドンジユ
 さて、この九州研修道場がある霧島は、霧島火山帯でも有名である。その霧島火山群の最高峰を韓国岳という。この研修道場からも見ることができる。
 標高は一、七〇〇メートル。山頂からの眺めは壮大である。南には情熱の桜島や、薩摩富士といわれる開聞岳を一望する。北には雄大な阿蘇を遠望することができる。
 古には、遥かなからの国――かん・朝鮮半島を望むことができたところから、この名があるともいう。そうした伝説が生まれるには、さまざまな背景があったと考えられるし、半島との長く深い交流の歴史をしのばせる名と言ってよい。
 ご存じのように、私は今回、韓国を初訪問した(=九月二十二日、韓国・ソウルで開催された「西洋絵画名品展」〈東京富士美術館所蔵〉のオープニングのために初訪韓)。日韓の友好。それは、私が長くいだき続けてきた願いである。
 日本には、戦前、韓・朝鮮半島や中国、東南アジアで、暴虐の限りを尽くしてきた歴史がある。日本が犯した過ちについて、私は戸田先生から幾度となく話をうかがった。とともに、少年のころ、父や長兄からも繰り返し聞かされたものである。
 明治の末、あるいは大正の初めであったか、父は徴兵を受け、現在の韓国・ソウルに二年間、滞在していた。長兄も兵士として、中国に渡る体験をした。
 父と長兄は、当時としては非常に人道主義的な考え方の持ち主であった。よく「日本はひどいよ。あの横暴さ、傲慢さ。同じ人間同士じゃないか。こんなことは、絶対に間違っている」と語っていた。
 そのころ、私は小学生。五年生ぐらいだつたろうか。二人の戦争への怒り、日本の侵略への憤りを、私は少年の魂に深く刻んだ。
 仏法者として、今日まで世界の平和へと駆けてきた私の行動の原点は、当然、戸田先生である。恩師に学んだ平和観と世界観が根本にある。とともに、父と長兄の、こうした平和への願いが大きなバネとなってきたことも間違いない。
4  私の長兄は、終戦の年である昭和二十年(一九四五年)、ビルマで戦死した。朝敏二十九歳。かけがえのない青春の日々を、戦場に送った兄であった。
 この同じ一九四五年二月。九州の福岡刑務所で、二十七歳の若さで獄死した一人の青年詩人がいる。その青年の名は尹東柱ユン・ドンジユ――。韓・朝鮮半島からの留学生であった。
 彼は日本で立教大学に学んだのち、同志社大学在学中に、治安維持法違反の容疑で逮捕される。
 戦時中、牧口先生、戸田先生が逮捕されたのも、この治安維持法違反と、旧刑法の不敬罪に問われてのことであった。
 平和を願う人、人々の幸福を思う人を見れば、消し去ろうと画策する。善意の人、正義の人が立てば、蹂躙しようと襲いかかる。――そうした権力の魔性の働きは、つねに変わることがない。絶対に負けてはならない。
 日本に勉学にきた学生を、大切にするどころか、非情にも逮捕し、獄死させるとは、まことに狂気の行為といわざるをえない。
 当時の、日本による植民地支配。それはそれは、横暴きわまりない、過酷なものであった。その大きな犠牲となった韓・朝鮮半島――。祖国の独立運動にかかわったという罪に問われ、彼は捕らえられてしまう。
 嵐のような権力の蹂躙――。その暴風雨に身をさらしながら、この若き詩人は、誇り高き青春の魂の詩をうたい続けた。
 日本が奪い取ろうとした、愛する祖国の言葉で、祖国の文字・ハングルで、珠玉のごとき、美しき青春の詩を、命を賭けて残した。祖国に″新しい朝″が必ずくることを信じ、願い、戦った。
 二年間にわたる獄中生活では、残酷な扱いを受けた。そして彼は、日本の降伏による解放の日(八月十五日)をみることなく、福岡刑務所で獄死した。
 いかなる仕打ちを受けようとも、死の瞬間まで希望をいだき続け、戦いぬく精神――これが真実の、青春の魂である。
5  青春の歴史に不滅の魂を刻め
 いわんや広宣流布という、もっとも崇高な使命に生きる青年が、何を恐れ、何に怖じる必要があろうか。広布における苦難は、すべてが青春の勲章であり、魂の誇りである。
 見栄を張り、はったりや小細工をして、いつまでも心の決まらない青年が、どうして本当の人生を生きることができようか。
 世界は今や「民主」と「人間」の時代に向かっているが、まだまだ多くの難問をかかえ、新たな希望の道を模索しつつある。そのなかにあって、妙法を受持した諸君こそ、時代の夜明けを告げ、世界に人間主義の″新しい朝″をつくりゆく使命の人である。そのことを深く自覚しなくてはならない。(拍手)
6  詩人・尹東柱ユン・ドンジユは、弾圧ゆえに、生前には一冊の詩集も出していない。
 日本の官憲に押収され、闇に葬られた詩もあったと推測される。彼はまったく無名のまま、その生涯を終えることを強いられたのである。
 しかし、彼の残した百編あまりの詩は、今なお祖国の青年たちに愛され、鮮烈な魂の共鳴を与え続けている。日本でも翻訳され、『尹東柱全詩集・空と風と星と詩』(伊吹郷訳、記録社)として出版されている。
 彼が日本に留学する前に学んだ延世大学のキャンパスには、彼の詩碑が建てられ、そのなかに次のような文が刻まれている。
 「彼がこの丘を散策しながらうたった珠玉のごとき詩は、暗黒期の民族文学最後の灯として民族の心をうち そのこだまは空と風と星とともにいつまでも消えない」(同前)と。
 空と風と星――その永遠なる自然と宇宙とともに残るであろう青春の燃焼。諸君もまた、否、彼以上に、″不滅の青春″の魂魄を歴史に刻みゆく戦士であっていただきたい。
7  また、彼が十六歳の時に書いた「生と死」と題する詩は、いわば″生と死との戦いのうた″となっている。
 世間の人々は、享楽の歌に踊っている。遊びや酒や恋愛に浮かれ、富や名声に心を奪われながら生きている。彼は思う。生はつねに「死の序曲」を歌っている、と。そして人々は「生の歌」が終わる恐怖を見つめることなく、その日その日を送っている、と。
 これが、彼の目に映った人々の姿であった。
 同様のことは、かつてトインビー博士も語っておられた。キッシンジヤー博士との対話でも話題になった。
 人は、自分がいつ死ぬかをつねに考えながら生きているわけではない。できれば考えたくない。そして、ふと気がついて思うものだ。″ああ、もうこんなに年をとってしまったのか″と。
 彼は若くして「生と死」を凝視した。諸君は若くして「生死の二法」の根源の大法に縁した。
 生死を貫く絶対なる「因果の法」――それを説ききったのが妙法である。ゆえに妙法を根本とした、私どもの一念と行動は、決してむなしく消えることなく、大宇宙と一体たるわが生命に刻まれ、無量の福徳として、永遠に光り輝いていく。
 かけがえなき青春の今、大正法を持ち、広宣流布に進みゆく諸君は、いわば「″生死の二法″の達人」への道を歩む人である、と心から讃嘆したい。(拍手)
 さらに彼は、「序詩」の中でこう語る。
8  死ぬ日まで空を仰ぎ
 一点の恥辱はじなきことを、
 葉あいにそよぐ風にも
 わたしは心痛んだ。
 星をうたう心で
 生きとし生けるものをいとおしまねば
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば  (前掲『尹東柱全詩集』)
9  「星をうたう心」――大宇宙ともつながった心。そして「生きとし生けるものをいとおしむ心」――あらゆる人々を、また草木までもつつみゆく慈愛の心で、この使命の人生を生きていく――。
 二度とない青春である。人生である。青春の大空に、若き生命の大地に、永遠に消えない魂の歴史を、諸君は自分らしく刻みつけていただきたい。
 私も青春時代から、そういう人生を、信心を、歴史を歩んできたつもりである。
 きょうは、嵐のあとの、雲一つない青空。どうか、諸君は、この青空を仰ぐような心で、誇り高きわが信念の道を堂々と、私とともに、また私のあとに続いて歩んでくださることを、心から切望したい。(拍手)
10  人生の師に巡り会うことは最高の誉れ
 なお、牢獄で孤独な死を遂げたこの青年詩人は、かつてソウル時代に、″私たちの悩みを知ってくれる師があれば……″と、師匠を求める心をつづっている。
 親子の縁は深い。しかし、人生において、師弟の絆はそれ以上に深く強いものである。人間として、わが師匠を求める心はまことに尊く、師匠を得た喜びはまことに大きい。また「師匠のいない人は信用できない」とも言われるほど、師をもつことは重大事なのである。
 芸術であれ、スポーツであれ、いかなる分野においても「師弟」の関係は厳しくもあたたかい。
 まして、人生の根本事である「信仰」の世界、「広宣流布」という至高の大目的に立った「師弟」が、どれほど峻厳であり、慈愛に満ちたものであることか。
 私が無実の罪で獄中の身となったのは二十九歳(昭型三十二年)。ユン青年とほぼ同じ年ごろである。大阪の参院補選に関して、選挙違反の嫌疑をかけられてのことであった。もちろん、事実無根の容疑であり、その後(昭型三十七年)、裁判でも無罪が証明されたことは、ご存じのとおりである。
 私が捕らわれの身となった時、戸田先生は、青年部を集めて、私を助け出そうとしてくださった。先生は、学会を弾圧せんとする、不当な検挙・取り調べであることを見抜いておられたからである。
 「仏法は勝負」であり、広布を妨げようとするものに、断じて負けてはならない。社会においても、個々の生活のうえでも、勝負の厳しき現実を見すえ、仏法者として勝利の証を示していくところに、広布の前進はある。
 ゆえに、横暴な権力とは、断固として戦う以外にない。青年部よ立ち上がれ、との先生のお心であった。今度はご自身が投獄される危険をも承知のうえで、一人の愛弟子を救うために、戦おうとされたのである。(拍手)
 私は、恩師のこの深き思いを絶対に忘れない。否、胸奥に焼きついて消えることはない。
 弟子を思う師の心は、弟子が考えるよりはるかに深いものである。その心がわからないということは、弟子にとってこれ以上の不幸はない。
 また、師の深き心を知らない弟子が、自分のほうが偉いと思いこみ、背信、反逆していくことも、残念ながら世の常である。
 私は、戸田先生という稀有の大指導者を師匠として、徹底して訓練を受けさせていただいた。わが人生において、これ以上の誇りはない。
 若き日に人生の師に巡り会い、真実の人間の錬磨を受けることは、青春の最高の誉れである。この人生の真髄がわかれば、富や名声などの飾りに惑わされることもないし、何ものをも恐れることはない。どうか諸君は、学会精神の精髄である″この道″を、貫きとおしていただきたい。(拍手)
11  わが地域で″本物″と輝け
 さて先日、佐賀県の婦人部長から「わが郷土では、うれしいことに創価大学出身者の活躍がすばらしい。県の青年部長、男子部長、男子部書記長も、そして圏男子部長も、みな創大卒業生です。こんなに頼もしいことはありません」との便りをいただいた。
 もちろん、この話をさせていただくのは、創大出身者を優遇するためではないことをご理解いただきたい(笑い)。私は、学歴や立場で人を差別することは決してしない。県婦人部長も、愛する佐賀の地に新しい人材の流れができあがっていることを、率直に喜んでいたのである。
 佐賀は、九州の中でも地味な地域ではあるが、佐賀の友は地道に、真面目に広布の活動に励んでこられた。その労苦を私は最大にたたえたい(拍手)。とともに、むしろそうした目立たないところで活躍していくのが、本当のリーダーとなっていくための修行であることも忘れてはならないであろう。
 世間には、華やかな大都会にあこがれて、幻のごとき名声や人気を追い求める生き方も少なくない。しかし、幻はどこまでも幻である。現実はどこまでも現実である。そして、自分はどこまでも自分であって、それ以上でも、それ以下でもない。それを忘れて目先のことにとらわれ、真実の生きがい、人生の目的を見失ってはならない。
 たとえ、喝采のない地味な一隅にあったとしても、自身の立場で″良き人生″と″良き社会″の建設へ、そして″広宣流布″へと懸命に祈り、行動していく。そこに仏法者の生きがいがあり、その健気な心根こそ大切なことなのである。
 そして、周囲の人々とあたたかく心を通わせながら、人々を守り、また人々の心からの信頼と敬愛を勝ち得ていく人。これこそ「民主の時代」の本物のリーダー像であると、強く申し上げたい。
12  「法」の偉大さは「人」が証明
 国においても、それぞれの県や地域においても、栄枯盛衰を決める要件は何か。
 それは「人」である。国土は、人によって栄えるのであり、立派な建物があるとか、すばらしい物品がそろっていることによって、栄えるのではない。
 仏法にあっても、この尊い「法」を弘めるのは「人」である。広宣流布は、妙法の偉大な力によることはもとよりとして、「法」を弘めゆく「人」がいてこそ、世界へ弘まっていく。ゆえに「人」もまた尊いのである。
 したがって、弘法に励む人を見くだしたり、権威で縛りつけるようないき方は間違いであり、大聖人のお心に違背していることを忘れてはならない。
13  話は変わるが、インドの文化団体である「国際文化開発協会(ICDO)」から、私に第二回「ラルバドール・シャストリ記念ICDO国際賞」が贈られることになった。(=九〇年八月十七日にインド下院のラビ・レイ議長によって公式発表されている)
 当初、その授賞式が、十月二日にシャルマ副大統領らが出席して行われる予定であったが、インドの国内情勢等、諸般の事情から式典が延期されることになった。この席を借りて、多くの方々から祝福をいただいたことに深く感謝申し上げるとともに、その旨をお伝えしておきたい。(=ICDO国際賞は、マハトマ・ガンジーの非暴力の精神を継承して平和への貢献をした、インドのラルバドール・シャストリ第二代首相を記念して創設。精神的な価値の実現をとおして世界の平和に貢献する人物に贈られるもの。名誉会長への授賞は世界で二人目。日本人として初となる。授賞式が予定されていた十月二日は、マハトマ・ガンジー、シャストリ元首相の二人の生誕記念日に当たる)
 さらに、インドの権威ある仏教研究の機関である「インド文化国際アカデミー」から、インドで生まれた仏教の最高峰である「法華経」の真髄をとおして、世界の平和と文化に多大な貢献をしたとして、「世界法華経宣揚大功労賞」の意義をもつ「一九九〇年ラグヴィラ賞」を、初めて私に授賞することが内定したとの通知をこのほどいただいた。(拍手)(=授賞式は九〇年十二月六日にニューデリーのネルー記念オーデトリアムで行われた)
 同アカデミーの理事長であるロケッシュ・チャンドラ博士は、日本を含めたアジアの仏教研究に多大な業績を残されている方である。私への通知の中で同理事長は、″法華経のメッセージ″をとおして人間の精神を豊かなものにしたとして、私を現代の鳩摩羅什(法華経の漢訳者として有名)すなわち「ニュー・クマラジュー」ともいうべき存在である、と称えてくださっている。
 まことに恐縮の思いであるが、「法華経」の真髄である日蓮大聖人の仏法を信奉し、実践する者にとって大きな栄誉であり、謹んで感謝申し上げたい。(拍手)
14  世界の識者とともに平和を創る
 私のもとには毎日、早朝から深夜まで、世界中から、さまざまな手紙や報告が送られてくる。きょうは、ごく最近届けられた報告のなかから、いくつかを紹介しておきたい。
 私あてに送られたものであるが、諸君は大切な学会の後継者であるゆえに、できうる限り、さまざまなことを知っておいてほしいし、国際人として、狭く閉鎖的な日本の嫉妬の風土にとらわれることなく、″世界の目″と″世界の知″の一流のレベルを身につけてほしいからである。
15  ソ連の作家チンギス・アイトマートフ氏は、ゴルバチョフ大統領の側近で大統領会議メンバーである。この八月、来日されていたが、ソ連への帰国の際の感想などを、訪ソしていた学会の代表メンバーをとおして、私に伝えてくださった。
 そのなかで氏は、次のように述べておられる。帰りの飛行機から、まことにすばらしい夏の富士が見えたというのである。
 「世界に、山は数々あり、また六千メートル、八千メートルという高山もたくさんあります。しかし富士山は格別です。すばらしい円錐形で、周囲には何もなく、ひとり悠然と屹立しているのです。それは男の生きざまのような、何とも言えない、見た人に勇気を与えずにはおかない、そういった姿なんです」
 吉川英治の小説に「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」(『吉川英治全集17 宮本武蔵』講談社)とあるが、富士に一個の大人格を見た、相通ずる言葉であろう。
 アイトマートフ氏はさらに「池田先生のもとを離れ、日本から離れるにあたり、富士山の雄姿を見られたということは、本当に象徴的であり、日本という国、池田先生の存在、日本の文化、民族性、伝統など、さまざまなことを回想できる瞬間でした」と。
 「かつて書いた私の中編小説も浮かんできました。古い友人が、それぞれのルートで、それぞれの方法で、この富士のような山頂めざして集まってきます。そして、頂上で人生のさまざまなことについて話し合うのです。
 ある友人は『戦争の悲惨さに出あった。二度とふたたび戦争はいやだ!』と発言します。すると他の友人が『戦争の悲惨さは、戦争で破壊された村や町も当然だが、何よりも人間の心を破壊したことなんだ。戦争によって、こうむった人間の心の悲鳴というか、心情は、いつまでも消えることはない』と続けるのです。
 これまでソ連では、こうした人間の内奥、心情を吐露するということには、権力というか、圧力がかかり、人々は慣れていませんでした。したがって、このような小説もなかったのです。
 私は、富士山を見ながら、このような人間の心の中、それも人間が二度と味わいたくない悲惨な体験を吐露することによって、少しでも平和の尊さというものを訴えることができればと考えたのです」
 アイトマートフ氏の気持ちは、同世代である私にも痛いほどわかる。私たちの世代の青春は戦争の苦しみと切り離せない。それだけに、戦争を知らない諸君らの世代に、平和を設る大切さを、強く深く知ってもらいたいと思う。
16  文化が政治をリードする時代を
 またアイトマートフ氏は、私とゴルバチョフ大統領の会談について、こう伝えてこられた。
 「会談はソ連でも大きな反響を呼んでいます。とくに、知識人は注意深く、この会談記事を読んでいます。
 政治というと、これまで相手を突き落とし、あるいは殺すことまでして権力の座につくようなことがあった。民衆とか、人のため国のためという政治、本来の政治より、権力闘争が優先されがちでした。しかし今や、文化的・知的思考が非常に重要な時代に入ってきたことを実感しています。
 文化が政治をリードする時代が必ず来ると、私は確信がもてるようになってきています。この確信のなかに、池田先生の人格の存在があるからです」
 「池田先生との会談によって、文化面、精神面での重要性が、あらためて大統領にも実感できたのではないでしょうか」
 ″文化が政治をリードする時代″。それこそ、人間性と民主の時代である。また「立正安国」との大聖人のご精神にも通じる、正しき人類の進路であると確信する。(拍手)
17  さてソ連では先日(=九月二十六日)、宗教活動の完全自由化をうたった法案(「良心と宗教団体の自由に関する法律」)を最高会議で基本採択した。革命以来、「宗教はアヘン」との立場をとってきた同国にとって、まことに画期的な変化である。(=同法案は六章三十一条から成り、国民の信教の自由や、個人またはグループが布教活動を行う自由を容認。法律に違反しない限り、国家は宗教団体の活動に干渉しないとして、国家による宗教への干渉を排除している。また各宗教、宗派の「法の下の平等」も明記されている)
18  この法案について、ソ連の有名な「文学新聞」の編集長ブルラツキー氏の言葉が伝えられた。
 「きょう、最高会議で″信教の自由に関する法案″が決められる審議があり、私はこの委員会の中心者の一人として出席してきました。
 信教の自由ということは、現代文明にとっても最重要の思想であります。そして今回の法案の内容は、いわば現代文明についての池田先生の思想を発展させたものです」
 「現代文明のいちばんの課題は、人間主義=ヒューマニズムということです」と。(拍手)
 時代は刻々と変わっている。人類社会は急激に変化している。その変化をリードする最先端に、私どもSGI(創価学会インタナショナル)がいることを諸君は自覚していただきたい。(拍手)
19  「民衆外交」で平和に貢献
 さらに、モスクワ大学のログノフ総長からは、次のような伝言があった。
 「池田SCI会長とゴルバチョフ大統領との会談のあと、大統領に会う機会がありました。その時、大統領は『池田会長とお会いすることができ、本当によかった。私個人としても、池田会長に大きな影響を受けた。それにしても池田会長は、平和の問題をはじめ、すべてに全力を尽くしておられる方だ。私は大きな満足を得た』と語っていました」
 「今回の池田先生の訪ソ。とくに大統領との会談は、ソ連国内で大きな反響を呼んでいます。ソ日両国間の将来のためにも、すばらしい影響を与えました。それも池田先生の多大な努力のおかげであると思います」
 「先生が、この道(=ソ日友好の道)を歩み始められたのは十六年前でした。その時は、われわれの交流に将来性がないと考える人が多かったのです。しかし池田先生は、今日あることを考えられ、将来を信じて歩みを開始されました。
 そして、先生の考え方のほうが、ゴルバチョフ大統領より、政治的方面においても早かった。大統領は現在の世界に対して、根本的な変化をもたらしましたが、池田先生も同じように、われわれの関係を根本的に変えたと思います」(拍手)
 たしかに当時、内外から多くの批判が寄せられた。いわく「宗教者がなぜ宗教否定の国に行くのか」「対立している中国とソ連の両方に行くのは、ふたまたをかけているというべきだ」等々。
 しかし私は言った。「ソ連にも人間がいます。私は人間主義者です。そこに人間が、民衆がいる限り、私はどこにでも行きます」と。そして「中ソは必ず和解します。否、そのためにも私は行くのです」と。
 私はつねに、少なくとも十年、十五年、二十年先を見つめて、一人、道を開いてきた。そして今、ようやく世界に、この人間主義という大潮流が流れ始めた。(拍手)
20  この夏、長野研修道場で、アメリカの哲学者であるノートン博士とお会いした。ノートン博士は、軽井沢で宿泊されたホテルの社長さんに礼状を差し上げられたが、そのなかで、私に対して次のように述べられていたことを、その社長さんが伝えてくださった。
 「私の六週間に及ぶ日本滞在中に、池田SCI会長にお目にかかれたことは、特筆すべき出来事でした。私は、池田会長こそは、軍縮による平和のための、また世界市民に人類愛を教えるための、もっとも偉大な世界的指導者であると固く信じております。私は微力ですが、私の仕事をとおしてできる限り、この池田会長の理想実現に協力していきたいと存じます」と。
 まことに、ありがたいお言葉で恐縮している。
 また先日は、SGIの関係者が、ソ連外務省のロガチョフ次官と懇談した折、私どもの民衆活動への期待の言葉が寄せられた。
 「池田先生はじめ創価学会の皆さまの活動は、まさに″民衆外交″です。そして、事実が示すとおり、民衆外交の輪はますます広がりつつあります。私たちは、民衆外交の大切さを十分に知っております」と語っておられたという。
 さらに日本のある著名な平和学者が、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のある哲学者と会談した。その際、学会のことが話題となり、現在、世界でもっとも成功している哲学は、池田名誉会長のもつ哲学であると、高く評価されていた。そして、今や激論を交わせるような哲学者や指導者が世界には少なくなったと嘆いておられたことを伝えてくださった。
 現在、世界の一流の方々から、私どもの活動を深く理解し、高く評価してくださる言葉が、数多く寄せられており、まことに喜びにたえない。こうした言葉を大いなる励ましともして、私は、世界のため、人類のために、青春時代に誓った信念の道を、これからも堂々と進んでいきたいと思っている。
21  ともかく、九州の方々には、この一週間、本当にお世話になったことを、この席をお借りして、感謝し、お礼申し上げたい。また本日は、なんと一日で、広宣流布の若き指導者である男子青年部が、全国で四十数万人集い合うと聞いている。(拍手)
 これだけの若き人材群が、二十一世紀をめざして伸びゆくならば、広布の未来は盤石である。どうか、学会の宝であり、広布の若武者たる皆さまが、若々しく健康で大活躍の日々を送られ、「広布」と「社会」の使命の舞台で大勝利の人生を歩んでいかれるよう、強く強く念願し、私の祝福のスピーチとさせていただく。
 (九州研修道場)

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