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日蓮大聖人・池田大作

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熊本、大分合同記念会合 信仰はたゆみなき生命の革新

1990.9.28 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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1  勇敢な信心貫いた草創の友
 九年ぶりに熊本を訪問でき、また新しい「熊本平和会館」で懐かしい皆さまとお会いできて、たいへんうれしい(拍手)。大分の皆さまも、ようこそおいでくださいました。(拍手)
 九州といえば、明るい太陽の輝きとともに、あの友、この友の喜びの顔が思い浮かぶ。そして熊本といえば、美しい水と緑の天地で活躍される、懐かしき多くの同志が思い出される。
 私が初めて熊本を訪れたのは、昭和三十三年(一九五八年)の秋十一月、熊本支部の結成大会の折であった。当時、私は三十歳。青春の思い出深き初訪問から、はや三十二星霜、今回で十回目の熊本訪問となった。
 初訪問の折は、長崎県の島原から連絡船で熊本に入り、三角港に第一歩をしるした。ちょうど今朝、三角港の地元の長浜支部の皆さまが、十回目の訪問を記念して、取れたてのハマグリとアサリを届けてくださった。その心がうれしい。同志の真心に感謝申し上げたい。
 熊本は海の幸、山の幸、川の幸に恵まれたすばらしい地である。この地で活躍される皆さまのご多幸とご健勝を、私はいつも祈っている。
2  私が何よりもうれしいのは、熊本は草創の功労者の方々がお元気で、変わらぬ模範の信心を貫いておられることである(拍手)。初代支部長を務められた草創の同志も、昨日、元気な姿で私どもを出迎えてくださった。
 三十二年前の初訪問の折にお宅にうかがい、「熊本に人材の城を築こう」と、ともどもに語り合ったことが忘れられない。その約束どおり、今やこの地にも堂々たる「人材の城」ができあがった。(拍手)
 また夫人も、立派な信心を貫いてこられた。やはり、女性の力は偉大である。夫の活躍も多くの場合、夫人で決まっていく。先ほど、ある婦人雑誌のインタビューを受けたが、そのことが一つの結論として話題になった。
 草創以来の功労者として忘れ得ぬ県指導部長さんがおられる。とくに、昭和三十五年の第三代会長就任の際には、美しい肥後菖蒲の花を届けて祝福してくださった。その真心を、私は生涯、決して忘れることはない。
 また、大学教授か哲学者のような顔立ちであるが、信心一筋の剛毅な方であった草創の友は、信仰ゆえに村八分に遭い、いじめられている学会員がいると聞けば、すぐに飛んで行き、体を張って友を守ってこられた。その行動は、すべて御本尊が御照覧くださっているにちがいない。私もせめてものご恩返しにと、法華経警喩品の「常修慈心(常に慈心を修し)」との文を今朝、記し、贈らせていただいた。
 さらに、青年部の初代部隊長を務めた友も、自身の病気と家族の不慮の事故を乗り越えてこられた(拍手)。私も一生懸命に励ましを送った。元気になり、本当にうれしい。
 この人生を広布に生きぬき、真面目に信心を貫きとおした人が、見事な総仕上げの姿で自身を飾りゆくことは絶対に間違いない(拍手)。人間の幸、不幸の勝負は、信心の眼で、また長い日で見ていかねばわからない。熊本の先輩方は、この広布の天地に根を張り、見事な勝利の証を示してこられた模範の人々である。その労は尊く、功は大きい。
 反対に、熊本出身で、中枢の幹部となりながら、信心に敗れ、多くの同志に迷惑をかけた人間もいた。自身の欲と傲りの悪しき心根を露呈し、結局、清らかな信仰の世界にいられなくなっていったのは、皆さまがよくご存じのとおりである。
3  「火の国」に広布の理想郷を
 ″いざ″という時に、人の心は″鏡″に映すように明らかになってしまう。とくに″妙法の鏡″に照らしてみれば、善悪ともに「因果倶時」(一念の生命に原因と結果を具足し、先後の別がないこと)で、生命の実相が、一点の差し引きもなく浮かび上がってくる。信心の「一念」は、まことに厳しい。
 いわゆる二十年前の「言論問題」の渦中、熊本の初代婦人部長であった、今は亡き西田住江さんからお手紙をいただいた。そこには、「これほど厳しい学会弾圧の嵐が、こんなに早く来るとは思いませんでした。しかし、多くの人が退転しようとも、熊本の地には、先生の本当の同志がたくさんいると思ってください」と、熱き思いがつづられていた。頼もしくも、ありがたい同志の心であった。その手紙は、今も大事に保管している。
 広布の戦いにあって、急所、急所となる場面での、同志の言葉、行動は、映写機のように私は脳裏に焼き付けている。″この人は信頼できる″″立派な信心だな″と。その方々のことを、私は永遠に忘れることはできない。
 「火の国」熊本の友には、炎のごとき正義の心がある(拍手)。なかには、意固地になって、信心を退転し、反逆する心もある(笑い)という人もいるが……。
 十年前には、あの悪侶による理不尽な嵐が、この熊本にも吹き荒れた。それは衣の権威をかさに着ての、尊い仏子に対する迫害であった。
 本来、信徒を守り、励ましていくべき立場にある僧が、健気に広宣流布のために戦っている仏子をいじめ、迫害するなど、僧としてはもとより、人間としても絶対に許されるべきことではない。
 当時、県本部長、県長を中心に、八代、人吉、水俣、天草、阿蘇をはじめ熊本の友は、厳然と戦った。そして、堂々と勝った。私はあらためて皆さま方をたたえたい。(拍手)
 また本日は、懐かしい大分の方々も、遠くからお越しくださった。大分のことは、また大分に行った時に、話をさせていただきたい。ともあれ大分は、背信者の策謀の中心であったし、いわば、この地から謀略の嵐が全国に広がったといってよい。
 だが、大分の友も、また勇敢であった。今日の見事なる勝利の実証をもって、仏法の正義を、学会の正しさを示してくださったのである。(拍手)
 熊本は現在、すばらしい人材山脈が築かれ、″幸″のスクラムができあがっている。どうか、さらに仲の良い団結で、九州でもっとも理想的な広布の楽土を築いていただきたいことを、心から念願してやまない。(拍手)
4  さて、熊本は、地理的にみれば九州の中央に位置し、他の四県と接している。生産や物流、営業の拠点として、最適の位置にあるといってよい。
 また、雲仙天草、阿蘇の二つの国立公園があり、熊本市は、文豪・夏目漱石から「森の都」と称された緑豊かな街であり、美しい自然にも恵まれている。
 さらに、熊本では、地域社会の活性化のために、それぞれが日本一をめざして努力している。
 現在、日本一として挙げられるものは、農産物生産量では、甘夏ミカン、スイカ、メロン等である。水産物生産量では、アサリ、ハマグリ等。また装飾古墳(古代の墓で、絵画や彫刻で飾られた墳墓と横穴の総称)の数も、もっとも多い。全国で約四百基が発見されているが、その半数が熊本にある。どれほど歴史が深く、すばらしい民族の活躍の舞台であったことか――。
 また、日本一をめざした桜も、現在、市房ダム湖畔を中心に三万本が咲き香っている。
 ともかく、この熊本の地に、日本一の理想郷を築いていただきたい。(拍手)
5  九州のことを、よく「火の国」という。「火の国」とは、じつは、もともと熊本の一部を指していた。のちにそれが「肥の国」と呼ばれるようになり、そこから「肥後国」という、熊本の旧国名が生まれた。
 熊本は、かつて「隈本」と書かれていた。「熊本」の字を当てるようになったのは、江戸時代初め、加藤清正によると言われている。
 ともあれ、二つの国立公園を擁する美しき天地・熊本。これほど豊かな自然に恵まれたところも少ない。熊本の皆さまのなかには、″太陽と緑しかない″という方がいるかもしれないが、それはまさに「灯台もと暗し」……(笑い)。″人間砂漠″のような都会(笑い)に住む人々にとっては、みずみずしき緑したたる″あこがれの地″といってよい。(拍手)
6  健康、長寿――そこに広布の原動力
 さて現在、日本人の平均寿命は、男性が七十五・九一歳、女性が八十一・七七歳。日本は今や、世界一の長寿国となった。
 そのなかでもわが熊本は、日本各県の長寿者番付(人口十万人当たりの百歳以上の長寿者数)で第四位。隣の鹿児島が三位、佐賀が八位であるほか、福岡も長寿の人が多い。ちなみに一位は沖縄である。
 さらに、日本一の長寿者である百十二歳の女性は、宮崎県。それに続く百十一歳の女性の一人も長崎県。九州には、長寿の方が多くおられる。
 この熊本に、また九州に、これまで以上にすばらしき「健康と長寿の王国」をつくりあげていただきたい。――これが私の願いである。また、そのために、今後も力をそそいでいきたい。
 その願いもこめて、ここで健康について、少々お話ししたい。
 以前、関西でドクター部と女子部白樺グループの方と懇談した折のこと。私は人生を健康で生きぬいていくための、四つのモットーを提案した。
 仏法の眼、信心の眼から見て、私なりにわかりやすく申し上げたものだが、″医学・看護のうえからも、納得できます″と賛同をいただいた。
 すなわち(1)張りのある勤行(2)無理と無駄のない生活(3)献身の行動(4)教養のある食生活、の四項目である。
 健康の基本要素として、医学的に「食生活」「運動」「睡眠」「ストレスの排除」などが挙げられているが、四モットーのなかには、この基本要素はすべて含まれている。
7  (1)張りのある勤行
 第一に「張りのある勤行」である。
 勤行に張りがなくなってくると、体調もさえない。これは多くの人が実感されていることであろう。うなずいておられる方もいらっしゃる。(笑い)
 唱題の声は、よく白馬のいななきにたとえられる。白馬の鳴き声を聞いた王が、どのように色心(身体と心)の威光勢力を増していったか――御書には次のように述べられている。
 「大王此の声を聞食し色は日輪の如しはだえは月の如し力は那羅延の如し謀は梵王の如し
 ――過去の輪陀王という大王は、この声(白馬の鳴く声)を聞かれて、色つやは太陽のように輝き、肌は月のように鮮やかに、力は大力の那羅延のように強く、知謀、知恵は梵天王のように豊かになった――。
 那羅延というのは、諸天の一つで、堅固力士、金剛力士などともいう大力の持ち主である。一説では、大きな象の七十倍もの大力を有するとされる。
 このように、題目の声には大きな功徳があると、大聖人は仰せである。真剣に唱えゆく福徳は、計り知れない。体も心も頭脳も、その秘めた力を限りなく発揮しはじめるのである。
 なお、正座して背筋を伸ばし、深く呼吸することは、医学的にも正しい呼吸法の一つとされる。
 そして呼吸機能の活性化は、心臓や血管の循環機能も高めていく。また、声を出すことは体によく、ストレス解消にもなると、あるドクター部の方が言われていた。声を出さなくなると、早く老けこんでしまう。
 声を出すといっても、いろいろある。夫婦げんかで(笑い)、あたりかまわず大声を出しても(爆笑)――それもストレス解消になるかもしれないが(笑い)――だれもほめてくれない(笑い)。あまり価値がない。その分、唱題に励んだほうが利口である。
 端座し合掌して勤行・唱題することは、あらゆる意味で、大宇宙の法則にのっとった、もっとも荘厳にして意義ある儀式である。小宇宙である私どもの色心も、根本のリズムに合致していく。日々、若々しい生命となっていく。これが「健康」「長寿」の第一の基本である。
8  (2)無理と無駄のない生活
 第二に「無理と無駄のない生活」である。
 ともかく、十分な「睡眠」こそ健康の基盤である。睡眠をとらないのは、車がつねにエンジンをかけっ放しにしているようなもので、どうしても狂いや故障が生じてくる。
 このほど私との対談集(『「生命の世紀」への探求』)を発刊したアメリカのポーリング博士も、対談のなかで、科学的研究から睡眠は「七〜九時間が理想」とされ、「七時間以下でも、また九時間以上でも、健康にはよくありません。その意味では、よくいわれる″八時間睡眠健康法″は正しいのです」と述べておられた。
 また、戸田先生はよく「夜十二時前の睡眠は、それより後の三倍の深さがある。できるだけ早めに休むようにしなさい」と言われていた。これは医学的にも裏づけられるようだ。
 時間を価値的にやりくりして、早めに勤行し、早めに休む。そして朝をさわやかに出発する。そうできる知恵と自律が、自分自身を守っていくのである。
 何となく惰性と習慣で夜ふかしし、疲れがとれないまま、朝も寝坊してしまう。そうした悪循環は、正しい「信心即生活」とはいえない。
 夜遅くまで、打ち合わせ等と称して(笑い)、いつまでも家に帰らず集まっているのが、強盛な信心とは限らない。第一、皆、眠くてぼんやりしているから(笑い)、効果も上がらず、ますます時間がかかる。価値を創造するのが″創価″の実践なのに、これでは反対である。
 とくにリーダーは、この点をよくわきまえ、無理と無駄のない活動をお願いしたい。無理は長続きしないものである。
 また最近、「マイクロ・スリープ(短い睡眠)」ということが注目されている。昼間、五分や十分という短い仮眠をとることが、健康維持や、仕事の能率のうえで、効果があるというのである。九十二歳でなお活躍されているアメリカのハマー博士らも、これを実践しておられる。かといって、居眠り運転や(笑い)、仕事をさぼっての″仮眠″(爆笑)は、絶対にいけないことはいうまでもない。
 休憩の時間などをうまく利用して、自分で自分の体調を整えていくことだ。
9  (3)献身の行動
 次に、第三の「献身の行動」に触れておきたい。
 体を動かすことは、もとより健康増進のための大きなポイントである。そのなかでとくに、法のため、人のため、社会のために尽くしゆく行動が、どれほど生命を革新させ、はつらつと人生を生きる源泉となりゆくことか。
 それを、人のために体を動かすことを面倒に思ったり、利己主義、悪しき個人主義のカラに閉じこもって、人々のために行動しないようになれば、これはまさに心身の停滞となる。そこに病魔もつけ入りやすくなる。
 人間を含め、動物とは″動くもの″である。みずから動かなければ、本石にも等しい。また、生命の躍動をもつものが″動き″を失えば、腐ってしまう。
 川の水も同じである。流れがよどみ停滞すれば、いつしか濁って、変質する。妙法の世界にあっても、献身の行動をいとい、退転した人間は、信心の清流が濁り、心が腐ってしまった姿にほかならない。
 それに対し皆さまは、弘法に、同志の激励に、また地域の発展のために、尊い「献身の行動」を、日夜、展開されている。
 たまには、「きょうは、家でゆっくリテレビでも見ているほうが楽だな」(笑い)と思われる人がいるかもしれない。しかし、人々のために、妙法の友のために、心軽やかに歩き、動いたほうが、どれだけ充実した日々となっていることか。
 さらに、現代は「ストレス社会」といわれる。自身を取り巻くすべての環境が、ストレッサー(ストレスの因となる刺激)となりうる。
 ストレスは、一次元でいえば″心に加えられる外からの攻撃″である。それと戦わねばならない。じっとしていれば、その圧迫に押しつぶされ、心身ともに破壊されてしまう。
 みずから外に打って出る行動。これがストレスをはね返す最善の方法とはいえまいか。その意味でも、御本尊へ連なった私どもの行動は、もっとも生命の法則にかなった蘇生と活性化の行動なのである。
 また、「歩く」ことの意義については、これまでも何度かお話ししたが、運動不足の解消のためには、一日一万歩が一つの目安になるという。
 ある統計によれば、平均的サラリーマンの一日の歩行数は八千二百八十歩。主婦では八千六百二十歩。つまり、普通に生活するだけでは、なかなか一日一万歩を歩くことはできないわけである。
 「老化は足から」といわれるが、学会活動で歩いた分は、体力の維持、健康の増進にとっても大きなプラスとなる。
 御書には、こう仰せである。「人のために火をともせば・我がまへあきらかなる」――人のために灯をともせば、その光は自分の前をも明るくする――と。
 友に希望の光を送りゆく「献身の行動」は、そのまま、自身の生命を、みずみずしい希望で照らし、福徳で輝かせていくのである。
10  (4)教養のある食生活
 第四に「教養のある食生活」である。
 「食いしんぼう」は肥満のもとである。(笑い)
 御書にも「飲食節ならざる故に病む」――食事の不節制のゆえに病気になる――との仰せがある。不節制な食生活をどう正していくか、必要以上に食べたいという欲望を、どう上手にコントロールしていくか。そこにも教養と人格があらわれる。
 とくに、ドクター部、白樺グループの方は、夜食のとりすぎを心配されていた。学会活動を終えたあと、つい夜食をとりすぎてしまうという場合もあるからだ。
 しかし、医学的にも、寝る前の三時間は食べないほうが望ましい。どうしても、おなかがすいて我慢できないという場合には、野菜などカロリーの低いものですませるよう工夫したい。
 ともあれ、皆さま方は広宣流布にとっても、それぞれの一家にとっても大切な方々である。肥満から糖尿病や、さまざまなやっかいな病気になったりしてはたいへんである。
 教養ある食生活で、快適な日々であっていただきたい。自身の体は、自分で責任をもって管理していくことである。
 どうか、「森の都」の、この熊本で、また大分の天地で、心身ともに健康で、すばらしき生活を送っていただきたい。そして、すがすがしい信心と同志愛で、この尊い一生を、勝利と幸福で飾っていただきたい、と申し上げ、スピーチを終わらせていただく。また、お会いしましょう。
 (熊本平和会館)

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