Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第十三回全国婦人部幹部会 尊貴なる広宣の母に

1990.9.12 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

前後
1  広宣の大道歩みゆく世界一の婦人部
 暑いところ、本当にご苦労さま。残暑厳しい折である。どうか、体には十分、気をつけていただきたいことを、まず申し上げたい。
 さて、健康の問題はもちろん、私たちの人生万般にわたって大切なのは「知恵」である。
 疲れたときには、上手に休むことも必要である。自分の体は、自分がよく知っているのであるから、自分なりに工夫して、快適に生活を送れるようにしていくことが大事である。それも知恵での尊貴なる広宣の母にある。
 毎日を惰性に流されず、より賢明に、より価値的に生きていくうえで、知恵がどれほど大切か。その知恵を限りなく開いていく源が、信心なのである。
 さて、本日は、この広宣会館、また本部周辺の会館に、多くの人材グループの方々等が集っておられる。結成十五周年を迎える「青春会」、同じく結成十五周年の「満月会」。また「金城会」の夫人の皆さま。富山県、埼玉県をはじめ、北海道、東北、群馬県、静岡県、四国、岡山県、九州の各婦人部の代表。そして、「働く婦人の会」、芸術部の文化祭デザイン部、国際部、主婦同盟、富士合唱団の卒業メンバーのほか、海外の方々も集われている。重ねて「ようこそ、ご苦労さま」と心から申し上げたい。(拍手)
 さらに全国の各地では、記念の集いが行われている。
 ともあれ、いずこにあっても、今、自分が活動している地域こそが、広宣流布の使命の天地であり、御本尊まします″常寂光土″である、との確信で悠然と進んでいただきたい。
2  今や、学会婦人部は、名実ともに″世界第一″の婦人団体となった。先日、秋谷会長も、ある著名人との会談の際に語っていた。″生きがいのうえからも、平和のうえからも、友情のうえからも、これほどの婦人団体はほかにない″と。これは、だれ人も疑いえない事実である。(拍手)
 そして学会もまた、婦人部の皆さま方が大きく支えておられる。
 昨日、秋谷会長、森田理事長、山崎(尚)・青木副会長と話し合った時の結論も、そうであった。きょう出席のこの四人は、ご存じのとおり、数十年にわたってただひたすらに、広宣流布に邁進してきた同志である。学会の大黒柱であり、何ものも恐れなき指導者である。
 それぞれ著名な大学の出身者で、いずれの分野にあっても成功を収めたであろう最優秀の人材である。青年時代より、全生命を広宣流布のためにささげてきた。大難の連続のなか、私とともにあらゆる苦労を身に受けながら歩んできた、皆さま方の大先輩である。
 その四人が話していた。「学会の大きな柱は婦人部である。自分たちの経験からいっても、婦人部はまことに偉大である。私たちなどは、とても太刀打ちはできない」と。(爆笑、拍手)
 皆さま方は、広布を現実のうえで文え、推進しておられる。これほど尊い存在はない。重ねて感謝申し上げるとともに、これからも「世界一」の婦人部として、誇り高く、また朗らかな、楽しい前進をお願いしたい。(拍手)
3  ″現代化学の父″ポーリング博士
 さて、きょうのように暑い日は、話もなかなか頭に入らないものだ(笑い)。わかりやすく、飽きないような(笑い)話をと、まず考えた。しかし、大切な幹部会である。少しでも後世に残しておきたいとの思いから、本日は二十世紀を代表する化学者である、ライナス・ポーリング博士につい
 て語っておきたい。
 ″現代化学の父″と言われる博士は、これまでノーベル化学賞と平和賞を受賞されている。異なった分野で、しかも単独で二つのノーベル賞を受けた人物は、博士だけである。のみならず、ノーベル医学・生理学賞受賞の可能性も高かった。ソ連のレーニン国際平和賞も受けておられる。まさに、世界最高峰の知識人である。
 その博士と私の対談集が、この九月末に、読売新聞社から発刊される運びとなっている。タイトルは「生命の世紀」への探求――科学と平和と健康と』。語り合った課題は多岐にわたるが、とくに「健康」は、時代の焦点のテーマでもある。
 これまで私は、イギリスの歴史学者アーノルド・トインビー博士、フランスの美術史家ルネ・ユイグ氏、イギリスの宗教社会学者ブライアン・ウイルソン教授、イタリアのローマ・クラブ創設者アウレリオ・ペッチェイ氏など、数多くの識者と対話してきた。
 現在も、″アメリカの良心″と言われるノーマン・カズンズ教授、世界的に著名な作家であるソ連のチンギス・アイトマートフ氏、国際的な天文学者であるイギリスのチャンドラ・ウィックラマシンゲ博士らと、対談を行っている。
 なぜか。それは、「英知」の探求とは、「生命」「人間」の探求にほかならない。ゆえに、知性との真摯な対話は、仏法者としての一つの使命でもあると信じるからである。
4  ポーリング博士は、現在八十九歳。戸田先生より一歳年下にあたる。――博士といい、今年、九十二歳になられたハマー博士といい、戸田先生と同年代の方と聞けば、私は限りなく懐かしい思いがする。
 ポーリング博士はじつにお元気で、今も、平和のため、科学のため、探求と行動をたゆみなく続けておられる。先日も、ロサンゼルスのアメリカ創価大学での「環太平洋シンポジウム」に、サンフランシスコから駆けつけてこられ、講演をしてくださった。
 八十九歳にして、なおも衰えることのない知力、精神力。周囲からの報酬など求めようとしない献身の行動。――一流の人格とは、絶え間ない挑戦と努力のなかで磨かれることがよくわかる。
 博士はまた、大学者でありながら、いささかも権威ぶったり、気取ったところがない。庶民の輪のなかに、人々の心のなかにパッと溶けこんでいく。
 これが、人間としての本当の″偉さ″である。いかなる分野であれ、どんなに高い立場であれ、「われ偉し」と人々を見くだし、尊大に振る舞う人物は、人間として、じつは少しも偉くない。どうか皆さま方は、この一点を心によくよく刻んでいただきたい。
 そのポーリング博士から、「私たちの対談集の発刊は、平和への大きな貢献であると考えています。また、お会いできる日を心待ちにしております」と、丁重なご伝言をいただいた。
5  博士は対談集の中で、ご自分の人生についても率直に語ってくださった。
 博士は、自身の生涯に決定的な影響を与えた四人の師匠を挙げておられたが、その一人は、博士の夫人である。対談集の随所に、九年前に亡くなったエバ夫人への、深き愛情と信頼と尊敬がにじみ出ている。
 博士は、しみじみと語っておられる。
 「私へのおほめの言葉は、妻が受ける資格があるのです。なにしろ、長い間、世界平和のために私が働くよう、鼓舞し、励ましてくれたのは妻ですから」と。
 平和への″戦友″であり、″同志″であった博士と夫人との、美しくも尊き心の絆が伝わってくる一言である。
 博士は、七十年ほど前の、若き日の夫人との出会いを、懐かしそうに、また楽しそうに振り返っておられた。
 夫人は農家の十二人兄妹の十番目であった。二人の結婚は、博士が二十二歳、夫人は十九歳の時である。夫人は、博士が若くして大学の教壇に立った時の教え子であった。結婚式も二十人ほどの、つつましい出発だったという。
 最近の結婚式はしだいに、お金をかけ華美なものとなっているようだ。それはそれで自由であるが、いちばん大事なのは人生の最終章である。結婚式が見栄を張って華やかであったからといって、人生の真実の幸福が決まるものでもない。むしろささやかな結婚式であった人のほうが、人生の総仕上げに輝くばかりの姿を示している場合が多い。
 結婚式は、愛し合う二人の、幸福な人生への新たな出発である。親しい人たちに真心から祝福してもらえるものであれば、それがいちばん良いと思う。いろいろな事情もあるだろうが、あえて華美に流されるべきではないし、まして他の人の式をうらやむことなど、まったく必要ない。
6  ポーリング夫人は、結婚してからも、博士を先生として″個人授業″を受けながら、熱心に勉強されている。
 学びの人生――これは美しいものである。先日、お会いしたメキシコ・グアナファト大学のエルナンデス前総長夫人も、十人の子どもを全員大学までいかせ(うち八人はすでに卒業)、立派に育ててこられている。
 そして、五十八歳になられた今も、ご夫妻で日本語の勉強を始められたという。
 エルナンデス前総長は、創大生に対し、次のように励ましてくださった。
 「学びの時というものは、時間とともに価値が出てくる。一生学び続けるところに、人間として、よりよい人間として、『自分の問題』『家族の問題』『人類の問題』を解決しゆく人間になれる」と。
 その意味から、婦人部の皆さま方が「文化哲学大学校」を開設し、さまざまな分野のことを学んでおられることは、じつにすばらしい。なかんずく、この仏法を真剣に求め、学んでいくことが、どれほど尊いことか。いかに尊貴な価値ある人生を生きておられることか――。
 学会は、最高の人生の生き方を創り出し、それを現実に実践しているのである。これは絶対に正しい道であり、時代の先端を行っているのである。
7  「学び」「行動」が人間を深める
 さて、大聖人門下の婦人・妙法尼御前は、ある折、大聖人に「題目を唱えるだけで成仏できるのでしょうか」(「南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしや」)と尋ねられている。
 この質問には″夫は、重い病気にかかっている。そのため、長い経典を読んだり、むずかしい法門を勉強することはできません。それでも成仏できるのでしょうか″という切実な思いがこめられていたようである。その気持ちを率直にお手紙に託し、大聖人に送られたものと推察される。
 これに対し大聖人は、御返事をしたためられ、法門のうえから、成仏できることを明快に答えられている。しかも、その冒頭では、何よりもまず妙法尼御前が、こうした質問をしてきたこと自体を最大にたたえられ、次のように仰せである。
 「先法華経につけて御不審をたてて其趣を御尋ね候事ありがたき大善根にて候
 ――まず法華経について、あなた(妙法尼)が不審と思われるところを取り上げられ、その趣旨を尋ねてこられたことは、尊い大善根であります――と。
 そして「須弥山を他方の世界へつぶてになぐる人よりも・三千大千世界をまりの如くにけあぐ蹴上る人よりも無量の余の経典を受け持ちて人に説ききかせ聴聞の道俗に六神通をえせしめんよりも、末法のけふ今日このごろ此頃法華経の一句一偈のいはれをも尋ね問う人はありがたし」と。
 ――須弥山(古代インドで、世界の中心とされた山)を他方の世界へ小石のように投げる人よりも、三千大千世界(仏法の世界観で宇宙のこと)をまりのように蹴りあげる人よりも、また無量の経典を受け持って人々に説き聞かせ、聴聞した僧や在家の人々に六神通(六種の通力)を得させる人よりも、末法の今日において、法華経の一句一偶の意義を質問する人は、まれである――。
 「此の趣を釈し給いて人の御不審をはらさすべき僧もありがたかるべしと、法華経の四の巻・宝塔品と申す処に六難九易と申して大事の法門候
 ――また、この趣旨を説いて人の疑問を晴らすことのできる僧もまれであると、法華経の第四の巻の宝塔品というところに、六難九易という大事の法門が説かれています――。
 「今此の御不審は六の難き事の内なり、ここに知んぬ若し御持ちあらば即身成仏の人なるべし
 ――今、あなた(妙法尼)が疑問点を質問されたことは、この六つの難しいことの中の一つです。それゆえ、もし法華経を持っていかれるならば、必ず即身成仏できる人なのです――と。
 「六難九易」とは、六つの難しいことと、九つの易しいことを相対させ、釈尊の滅後に法華経を持ち弘めることが、いかに難事であるかを示したものである。
 このうち「九易」には、須弥山を投げる、三千大千世界を蹴りあげる等、常識的には不可能な事柄が、「六難」つまり六つの難事に比べれば、易しいこととして挙げられている。
 その「六難」とは、仏の滅後に法華経を(1)悪世の中で説くこと(2)書き、人に書かせること(3)悪世の中で、しばらくの間でも読むこと(4)一人のためにも説くこと(5)聴聞して、その義趣(意味)を問うこと(6)よく受持すること、の六つである。妙法尼が法華経について質問したことは、この六難のうちの「義趣を問う」にあたる尊い行為であると、称えられているのである。
8  妙法尼御前は、大聖人に質問することに″こんなこと、聞いていいのかしら″という、ためらいがあったかもしれない。
 しかし、大聖人は″よく質問してこられました。偉いですね。質問されたこと自体が、必ず幸福になれる因を刻んでおられるのですよ″という慈愛をこめられ、尼御前をおほめくださっている。
 大聖人からのお手紙を拝して、尼御前は、どれほどありがたく思い、心が安らぎ、勇気づけられたことか。この限りないあたたかさ、包容力、これが法華経の精神であり、大聖人の仏法にみなぎる人間性である。
 婦人部の皆さまのなかにも、妙法尼と同じような境遇にあって活動されている方がおられると思う。また一見、素朴で平易な質問のようであっても、″今の状況を何とか打開したいが、どうしたらよいのか″という、切実な悩みと不安が背景となっている場合も多い。
 ゆえに、わからないこと、納得できないことは、何でも率直に言ってよいのである。また言っていくべきである。少しも恥ずかしいことではないし、間違ってもいない。互いに聞き、互いに答え、納得しながら進んでいくのが、正しい人生の道であり、同志のあり方である。
 何か言われると、すぐ「生意気だ」とか「慢心になっている」などと決めつけて、耳をかたむけないようなリーダーであっては、絶対にならない。大きく包容し、質問した人がほっと安心し、勇気づけられるように指導していくことである。
 広布のために尽くしゆく、真摯な求道の人に対しては、誠実に答え、誠実に対話していく。これが仏法の世界である。役職の上下ではない。求めて質問する人が偉いのであり、真剣に誠実に答える人が偉いのである。
 そして大聖人は、答えとして、一遍の題目に、どれほどの力が収まっているかを示され、唱題によって必ず成仏できると約束してくださっている。
 この答えについても、尼は、どれほど安心したことであろうか。どれほど喜び、また発心したことであろうか。
 私どもにあっても、リーダーは、友の胸中の重荷を取り除いて、晴ればれと前進していけるように、心を砕き、知恵を働かせていきたい。
 皆、幸福になるために信心したのである。その信仰のことで、なにか窮屈な思いに苦しんだり、圧迫を感じるのでは、本末転倒である。
9  勤行についても価値的な判断を
 勤行についても、これまでも何回かお話ししたように、当然、五座三座を基本としたうえで、それを一〇〇%、冠璧にできなければ割が出る(笑い)などと考える必要は決してない。
 一遍の題目にも、限りない功徳があると大聖人は仰せである。いわんや勤行し、唱題に励む人に、どれほどの福徳が備わるか、計り知れない。
 たとえ時には方便品・自我偈だけしかできない、また唱題だけしかできないということがあったとしても、御本尊に向かおうという「信心」に、すでに無量の功徳が備わっている。否、妙法を信じただけで、功徳はある。勤行・唱題によって、その功徳の種が大きく育っていくのである。
 ゆえに、当然、頑張った分だけ、自分の境涯を開くことができる。全部、自分のためである。
 だが″これだけやらなければ罰が出る″などということは、ない。御書のどこにも、そうした不変の形式が決められているわけではない。
 もちろん、「いいことを聞いた」(爆笑)と利用してはいけない(笑い)。ただ「完全でなければマイナス(罰)になる」――それなら、極論すれば「初めから、やらないほうがいい」(爆笑)と思う人さえ出てくるのも無理はない。そんなおかしな道理はない。
10  いうまでもなく、私たちの信心修行においては五座三座が基本である。ただ、海外の場合、五座三座が続かなくて退転していくというケースをよく耳にする。また日本においても、五座三座ができなくなると、しだいに信心から遠ざかってしまうこともあると聞く。
 しかし大切なのは、一生涯、御本尊を受持して信行に励んでいくことである。時とともに、すばらしき幸福境涯を開き、成長することである。
 それを、形にとらわれるあまり、圧迫感を与えては、途中でいやになってしまう場合がある。それではあまりにも損である。転倒である。
 したがって、場合に計っては、方便品・自我偈でも、凡夫の世界ではやむをえない時もあるだろう。
 人によっては、一度やらなくなるとリズムに乗れず、かえって罪悪感が深くなって、退転してしまうという声もある。こうした点をリーダーは配慮し、きめこまかい、安心できる指導が必要であると思う。
 私どもの家庭においても、子どもに、初めから五座三座を完璧にするよう求めても、かえって信仰から遠ざけてしまうことが多々ある。長い日で見て、少しずつ向上していけばよいし、できない時には、「お母さんが、あなたの分もやってあげるから、安心しなさい」と言ってあげるぐらいのおおらかさでよいと思う。
 また、ご主人が疲れて帰宅した時も、まるで昔の怖い検察官か裁判官みたいに(爆笑)、「勤行はどうしたの!」(爆笑)、「そんな題目では結果が出ないわよ!」(爆笑)等と追及されたのでは(笑い)、だれだっていやになってしまう。
 長い人生である。一生の信仰である。操縦というと言葉は悪いが(笑い)、その折々に賢明に判断し、知恵を使って、家族が、また友が″幸福の軌道″を、たゆまず、伸び伸びと進んでいけるよう配慮していただきたい。
11  信心は幸の人生開く知恵の源泉
 そうした、人の心の機微に敏感に、また柔軟に対応し、もっとも価値的な選択を行っていく「知恵」、それが大切である。
 「以信代慧」(信を以って慧に代う、と読む。智慧のない凡夫も、信心の修行によって、成仏への智慧を得ることができる)と仏法では説く。
 その深義はともあれ、幸福には「知恵」が必要である。知識や学問は即、幸福になるとは限らない。かえって、それらにとらわれ、幸せへの道を閉ざしてしまう場合さえある。
 知恵こそ、人間が幸福に生きていく最高の条件である。そのもっとも深い知恵が仏法であり、妙法への信心に、すべて含まれている。ゆえに信仰者は、だれよりも知恵者でなければならない。
 たとえば、自分の健康も自分で守らねばならない。無理をすることが強盛な信心であるとは限らない。一生涯、はつらつと使命を果たしゆくのが強盛な信心なのである。無理は決して長続きしない。また熱がある時など、病気の時は、必要に応じて休み、また速やかに病院に行くことも当然である。そのほうがよほど早く完治する場合がある。
 私も若いころ、ある時、足がはれてしまった。何とか信心で治したい。戸田先生に、そう申し上げると、「ばかだね、早く病院に行ってこい」。(爆笑)
 病気を治すのは医師の仕事である。信心は、病気を治す自身の生命力を強めるのである。この両者の関係を混同してはならない。要するに、信心があってこそ、医学をもっとも効果的に使っていけるのである。
 信心しているからといって、非常識な行動は、知恵がない姿である。信心しているからこそ、むしろだれよりも聡明な生き方をしていかねばならない。
 また、よく婦人部の方々から、「夜の勤行は何時ごろがよいのか」という質問が出る。それぞれの立場があるから、いちがいには言えないが、私は夜の勤行は、なるべく早く行ったほうがよいのではないかと最近思っている。
 もちろん人により、家庭によって、いろいろ事情は異なるが、できるだけ勤行を早めに終わらせたほうが賢明ではないだろうか。
 何か、惰性的に、一日のなすべきことが全部終わってから、夜の十一時、十二時ごろ、くたびれきってするのが夜の勤行と思いこんでいる人もいるようだ。(笑い)
 当然、立場上、遅くなって勤行することは結構である。さまざまな都合もあると思う。それは、あくまでも自由である。
 ただ夜遅くしなければ、夜の勤行ではないと考える必要は、まったくない。夜中はみな寝ているし、しかも隣近所のことも考える必要がある。また自分自身も疲れて、生き生きとした勤行ができない場合もあるだろう。眠たいし、とても朗々とはできない(笑い)。それでは正しい「信心即生活」とは言えない。
 そういう意味から、できれば時間を工夫して、早めに夜の勤行を行い、さわやかな夜を過ごし、明日への大いなる希望の出発ができるよう申し上げておきたい。(拍手)
 ともあれ、その他の活動においても、信仰者はだれ人にも圧迫される必要はない。むしろ、聡明に、強く、一切の圧迫をはね返して、いつも伸び伸びとみずみずしい心で、また悠々と、使命に生きぬいていくことである。その朗らかな姿をこそ、御本仏は喜んでくださることを確信する。
12  美しくも尊き平和の二人三脚
 さて、話はポーリング夫人のことに戻るが、エバ夫人は、いつもさわやかな微笑みをたやさず、ユーモアのある明るい女性であったようだ。あのアインシュタイン博士も、エバ夫人のことをとても気に入っておられた、とうかがった。
 七十七歳で亡くなるまで、夫人は四人の子どもの良き母であり、十五人の孫の良きおばあちゃんであった。三人の曾孫にも深い愛情をそそがれていた。エバ夫人は、大学では栄養学を学んでおり、あまり丈夫でなかった博士のために、ずいぶん食べものの工夫を重ねて、博士の健康を支えたという。私がポーリング博士に「好きな食べものは」とうかがったところ、博士は、まっ先に奥さま手づくりのサワークリームのケーキを挙げておられた。
 そうした家庭的な側面とともに、夫人は、信念の行動を貫く″強き人″″賢き人″、そして″負けない人″であった。
 ポーリング博士は、こんなエピソードを、淡々と語ってくださった。
 ――それは日本とアメリカの戦争中の話である。ある人からエバ夫人に、日系人の青年を庭師として雇ってほしいという依頼があった。戦時中で失業も多かった時代のことである。個人の人権を何よりも大切に考えていた夫人は、青年が日系人であることに関係なく、この依頼に快く応じた。
 ところが、なんとその晩、ポーリング家のガレージには「アメリカ人が死んでいるのに、ポーリングは″日本人″を大切にしている」といった落書きが、ペンキで大きく書かれたのである。
 この事件は、新聞にも報じられ、博士夫妻には脅迫の手紙も何通か送られている。ずいぶん悪評も立てられたようである。しかし、それでも博士と夫人は、その日系人の青年を解雇せず、保護し続けたのである。「心配しなくていいんだよ」「人間には生きぬく権利があるのだから」と――。
 このように博士夫妻には、万事に一貫した、さわやかな信念の行動がある。(拍手)
 偏見の人々による脅迫や、悪意にみちた評価――。私もこれまで、さまざまな中傷を受け、悪意の評判を立てられてきた。しかし、それらの本質は、正法流布の発展の姿への嫉妬にほかならない。
 大聖人は、日本国を、一闇提(正法不信の衆生)の生み広げた国と呼んでおられる。正法誹謗の人々は、心の中は牢獄のように、不信と憎悪で閉ざされているのである。ゆえに、そのような悪意の中傷にだまされて、信心の大道を退することは、生命の敗北を意味する。
 むしろ、そうした低次元の中傷や悪評は、かえって偉大なる正義の″証明″となる。御書を拝すれば、広布の正しき修行には「三類の強敵」「三障四魔」が必ず出てくると仰せであるからだ。
13  戦時中、ポーリング博士夫妻は、長男を戦場に送っている。そうした経験をもつ母親としての思いもこめ、エバ夫人は、戦後、夫とともに平和への行動を開始する。「息子を苦しめた戦争を二度と起こしてはならない」「平和のために戦おう」と決意し、核兵器廃絶への活動に立ち上がる。
 「核の力」に対する「精神の力」の戦い――。夫妻は健気にも、二人三脚で新しい使命の道を歩み始めたのである。
 しかし、尊き無償の行動を続ける夫妻に、さまざまな理不尽な圧迫が加えられた。
 一九五〇年(昭和二十五年)から数年間、アメリカでは、マッカーシー旋風(=マッカーシー上院議員らによる、共産主義をはじめとする思想・言論への弾圧)が、暴風雨のように吹き荒れた。そのなかで、ポーリング博士は何回も取り調べを受け、外国にも行けないように、パスポートも没収された。また大学でも学科長の職を解任され、給与も減額。さらに、研究室を明け渡すよう迫られたのである。
 ――このことは、対談ではさらに詳細に語られているが、ここでは割愛させていただく。
 こうしたなかにあって、なぜ博士が正義の信念を貫きとおすことができたのか。
 博士は、こう言われた。「核兵器反対の立場をとるという決断をうながす決め手となったのは、妻から変わらぬ尊敬を受けたいという私の願いでした」と――。
 夫妻は、平和への強い″同志愛″で結ばれていたのである。(拍手)
 まことに、夫婦において「女性は弓」「男性は矢」である。女性が毅然としていれば、男性も勇んで人生の軌道を正しく歩んでいける。反対に、女性がくじけてしまえば、男性も堕落していってしまう。
 信仰の世界にあっても、信心の立派な壮年は、それ以上に信心強盛な夫人に支えられている場合が多い。逆に背信者、退転者の場合は、夫人の信心も弱く、広布の活動を避けていたり、また見栄っぱりで世間的な虚栄にとらわれているケースがほとんどである、と言ってよい。
 その意味で、婦人部の皆さまの使命は、まことに重大である。これは、この四十年間、さまざまな方々の信心の姿を見てきた私の結論である。どうか、賢明にして毅然たる信心を貫く、婦人部のお一人お一人であっていただきたい。(拍手)
14  現在、ポーリング博士は、夫人との思い出が刻まれたカリフォルニアのビッグ・サーにおられる。広大な太平洋を眼下に望むこの地で、情熱的に研究を続けておられる。
 その研究は、夫人の命を奪った病気・ガンに対する壮大な挑戦である。″ガン撲滅″への決意も固く、八十九歳の今も若々しく仕事を続けられている。
 博士は、私との対談の一つの結論として、「民衆は、権威者の虚偽の発言に惑わされてはならない。民衆には、権力者を本来の正しい軌道に乗せる力と責任がある」とされていた。
 そして、「池田会長が、これからも一段と、平和運動を進めていかれることは重要と思います。平和実現の暁には、″こうした人たちの尽力があって、世界の平和があったのだ″と、初めて言えるようになるのです」と、絶大なる期待と信頼を寄せてくださった。(拍手)
 ともあれ、こうした話のなかから何かを汲み取っていただければ幸いである。
15  健康と安穏へ強き祈りを
 皆さま方は、「広宣流布」という最高に尊く、高貴な偉業を進められている仏子である。「仏の子」であり、「仏の使い」である。
 その尊貴なる「広宣の母」である皆さま方を、十方の仏・菩薩、また諸天善神が守護しないわけがない。どうか、この一点を深く深く確信して、進んでいただきたい。(拍手)
 厳しい残暑が続いている。くれぐれも健康に気をつけていただきたい。そして一家一族が安穏に暮らせるよう、お願いしたい。また強い祈りで、病魔を近づけないように、一家の太陽である母として、すべてに気を配っていただきたい。
 私も、皆さま方の健康と無事故、また裕福にして最高の人生を送っていかれるよう、日々、真剣に御本尊にご祈念させていただいている。(拍手)
 どうか、朗らかに、たくましく、そして楽しく語らいながら、この人生を晴ればれと歩んでいかれんことを念願し、本日のスピーチを終わります。長時間、ありがとう。ご苦労さまでした。
 (創価文化会館)

1
1