Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十二回SGI総会 三世にわたる幸福の王者に

1990.9.5 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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2  大聖人は、また釈尊も、権威や名声、経済的な裕福さなど眼中におかれなかった。ただ、全人類を救おうとの、広大なる慈悲の一念であられた。
 ともあれ、人々の幸福を願い、行動する慈しみの一念の人こそ、人間としてもっとも偉大なのである。
 皆さま方お一人お.人、また留守を守るご家族、同志の方々を、御本仏日蓮大聖人はすべて御照覧くださり、最大に讃嘆しておられるにちがいない。
 鎌倉の地より、遠く佐渡まで訪ねてきた門下の四条金吾に、大聖人はこう仰せである。
 「在俗の官仕隙なき身に此の経を信ずる事こそ稀有なるに山河を凌ぎ蒼海を経てはるかに尋ね来り給いし志・香城に骨を砕き雪嶺に身を投げし人人にも争でか劣り給うべき
 ――在俗(在家)の官仕え(仕事)でひまのない身で、この法華経を信ずるだけでも稀なことであるのに、あなたは山河の険難を凌ぎ、蒼き大海を経て、はるばる尋ねて来られました。その志は、法のため、香城(妙香城などともいう菩薩の住処)で、わが骨を砕いた常啼菩薩、また雪嶺(雪山)に身を投げた雪山童子などの人々の志にも、どうして劣るわけがありましょうか。決して劣っておられません――と。
 国を越え、大洋を渡って集われた皆さま方もまた、永遠にうたわれ、称えられていく「求道」の足跡を刻まれていることは間違いない。どうか、その誉れと福徳を確信していただきたい。(拍手)
 また、今回、さまざまにお世話になった地元・埼玉の同志の皆さまに、心から御礼申し上げたい。埼玉の皆さま方は、世界の友を真心こめて歓迎してくださった。
 「法」のため、「同志」のために尽くす行動のなかに、今度は自分が悠々と世界を旅行できるような、すばらしい″福運の因″を刻んでおられることを確信していただきたい。(拍手)
3  時代の潮流は「地球民族主義」ヘ
 昭和二十七年(一九五二年)二月、青年部の第一回研究発表会の折、戸田先生は″私自身の思想は地球民族主義である″と語られた。
 一国を超え、一民族を超え、人類という見地から、一人一人が地球民族、世界民族としての自覚をもつ時、おのずと争いのない平和な社会が現出するにちがいない。
 戸田先生は、イデオロギーを″主″、人間を″従″とする、当時、支配的であった思想から、人間を″主″、イデオロギーを″従″とする新しき思想への転換の必要を鋭く見とおしておられた。
 当時の社会は、この考え方を受け入れようとはしなかった。むしろ偏狭なイデオロギ‐に固執し、そのイデオロギーの大義名分のもとに、自国の利益を第一義とした行き方を、とくに大国といわれる国々はとってきたように思う。しかし、ボーダーレス(国境のない)時代といわれる今日、人々が求めているのは、この人間主義に立った地球民族主義の思想と実践といえよう。
4  戸田先生自身は、一度も海外へ出ることはなかった。しかし、私は弟子として、恩師の理念と行動と信念を必ずや世界に証明せんとの強き心を、つねにいだいていた。そして、今から三十年前の昭和三十五年(一九六〇年)十月二日、世界広布への第一歩を踏みだしたのである。
 折しも、この年、キューバをめぐる米ソの対立は、核戦争への危機をはらみながら険悪化の道をたどっていた。
 また次の年、私は、初訪問のドイツで、東西分断の象徴となった「ベルリンの壁」の前に立った。
 こうした「対立」と「分断」の時代状況のなか、私は一人の人間として、また仏法者として、民衆の連帯による世界平和への波動を起こすべく、行動を開始した。それは「人間」の変革、「時代」の変革への挑戦であった。
 以来、三十年。今、歴史は大きく変わろうとしている。昨年(一九八九年)の十二月には、米ソ首脳により″冷戦の終結″が宣言された。また、「ベルリンの壁」も撤去され、今年の十月三日には、東西ドイツの統合をみることになっている。奇しくも、その前日の十月二日は、私どもが「世界平和の日」としている記念日である。いまや新しき民主と平和のうねりが、世界へと広がっているのである。
5  さて、大聖人はこう仰せである。
 「我等凡夫はまつげのちかきと虚空のとをきとは見候事なし、我等が心の内に仏はをはしましけるを知り候はざりけるぞ
 ――私たち凡夫は、近くにあるまつげと遠くにある虚空(大空)を見ることはできません。それと同じように、私たちの心の中に仏がおられるのを知らないでいたのです――と。
 今、ようやく人類の眼は、″人間それ自身″へと向かい始めた。その人間の「内なる生命」に、旭日の輝く天空のごとき大境涯が、限りなく、また永遠に広がっていることを、仏法は示している。
 私どもは、この哲理を胸にいだきながら、一人の人間が、どれほど尊厳であるか、どれほど高貴であるか、どれほど強靱であるかを、この人生において証明しぬいていきたい。
 とともに御書には、このように述べられている。
 「仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし
 ――仏法を持った者は、仏を敬うがごとく、互いに尊敬しあうべきである。たとえば、法華経宝塔品の儀式のとき、多宝如来が半座を分けて釈迦仏を迎え、二仏が並座(並び座る)したように、互いに尊敬しあわなければならない――と。
 どうか皆さま方は、この大聖人の仰せのとおりに、お互いに最大に尊敬し、守り合いながら、最高にうるわしい人間共和の世界を、それぞれの国、それぞれの地域で、つくりあげていただきたい。(拍手)
6  「哲学」と「慈悲」と「智慧」の力で
 ここで海外での弘法のあり方について確認しておきたい。
 日達上人は、創価学会第六十四回本部幹部会(昭和四十年八月)の折、この点について指南されている。
 そのなかで日達上人は、「謗法の国」である日本では、折伏を表としていかなければならない。しかし、いまだ仏法の流布していない海外にあって、折伏を表として説いたならば、混乱を生ずる場合がある、と指摘され、次のように示されている。
 「これらの国々(=アメリカ、ヨーロッパ等)においては、四悉檀をもって、あるいは為人悉檀、あるいは世界悉檀等、随方毘尼をもって流布する事が、もっともよいのではないかと考える次第でございます」(『日達上人全集』)と。
 「四悉檀」とは、仏が衆生に対して、どのように法を説いたかを四種に分けたもので、私どもの弘法の方軌も、ここに示されている。この四種のうち「為人悉檀」とは、人それぞれの資質や能力、境涯に応じて法を説くこと。また「世界悉檀」とは、一般世間の考え方や、望み欲するところにしたがって法を説くことをいう。
 そして「随方毘尼」とは、仏法の本義にたがわない限り、各地域の風俗・習慣や、時代の風習に随ってもよいという意味である。
 まことに、日達上人は、現実に照らし、歴史的な流れのうえからも、明快な指導をしてくださったと、私は確信している。
 万年の未来のため、今は仏法をその国に根づかせていくことが大事である。あせってはならない。根を張ることがもっともたいへんであるし、もっとも尊いのである。どうか、聡明に、社会を大切にしながら、着実な前進をお願いしたい。
 また現在、私どもが世界で進めている、仏法を基調とした「平和」「文化」「教育」の運動も、この指南にのっとったものなのである。(拍手)
7  ただ、日本は邪智謗法の国であるがゆえに、折伏の中の折伏である。
 学会が、大聖人の仰せどおりに、今日まで熾烈な広宣流布の戦いを展開してきたことは、皆さまのご存じのとおりである。「折伏」が大聖人の仏法の根本義だからである。
 だれ人が、恐れることなく、この実践をしてきたか――。それは私どもである。学会こそが破邪顕正の戦いを日夜にわたって実践、実行してきたことは、最高の誉れであり、必ずや三世十方の仏・菩薩が御照覧のことと確信する。
 折伏行を展開してきたがゆえに、御書に述べられているごとく、大難がつねにあった。逆に言えば、難がないのは、折伏をしていない証拠とはいえまいか。(拍手)
 戸田先生は、海外に雄飛する青年を、こう励まされていた。
 「気負うことはないんだよ。みんなから好かれる人となることだよ、弘法といっても、そこから始まるんだ」と。
 仏法の精髄は「人の振る舞い」にこそある。一人一人が、信仰をとおして磨いた「人格」の力で、さわやかな信頼の輪を広げていく。そうした、身近な現実のなかでの地道な行動にこそ、広布の発展があることを忘れないでいただきたい。
 これからもさらに、世界にSGIの平和と文化のネットワークを広く深く結んでいきたい。その意味で、今後予定されている海外交流について紹介しておきたい。
 まず、今秋、関西から四十人の交流団がアメリカを訪れる。また、来年初め、熊本県から八十人が香港を訪問。春には、全国の代表メンバーによる文化交流団がヨーロッパヘ行くことになっている。さらに夏には、青年部の代表三百人による大規模な交流団が中国を訪問。また同時期、インドには第二回の青年文化訪問団を予定している。
 今夜の月は満月である。どうか、きょう、お集まりの皆さま方が、一人ももれなく「満月のごとき充実の人生、悔いなき人生、幸福の人生」を満喫されゆくことを心からお祈りし、私のスピーチを終わりたい。
 (埼玉文化会館)

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