Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第三十一回本部幹部会・第二回全国壮年部… ″平等″が世界宗教の魂

1990.7.24 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

前後
1  人類の平和に尽くすのが仏教者
 本日は、第二回壮年部幹部会の意義を込めての本部幹部会である。社会の柱、広布の要として活躍されている壮年部の集いを心から祝福したい。(拍手)
 また、沖縄(支部結成三十周年)、新潟(新潟池田講堂落成三周年)、第二宮城(第三回県総会)、第三福島(漁村部発足式)の各県でも、それぞれ記念の会合が行われている。
 さらに学会本部ならびに周辺の会場には、各種グループ、海外十九カ国・地域の友も参加されており、暑いなか、本当にご苦労さまと申し上げたい。
 一九七五年(昭和五十年)一月、グアムで開かれた世界平和会議において、SGI(創価学会インタナショナル)が発足した。この会議に出席された日達上人は、席上、次のように述べられている。
 「世界平和こそ、大聖人の弟子檀那である仏教徒の望むところで理想の常寂光の刹土であります。天の三光に身を温ため、地の五穀に神を養うことは、この地球上の人類を始め、一切の生物が生命を保持する根本であるがゆえに、この地球は一家族といわれる所以であります。
 一家の内に争いがあれば、その家は平和が保たれません。地球上に争いがあれば、地球一家は破滅になります。この地球に世界平和の潮流をまき起こさんと池田先生は率先して働かれております。
 どうか今日よりは池田先生を中心に、ますます異体同心に団結せられ、世界平和の実現を目指して下さい」(『日達上人全集』第二輯第五巻)と。
 「世界平和」のために戦う――ここに、大聖人のお心にかなった広宣流布の実践がある。ゆえに私は、この三十年間、世界の国々を駆けめぐってきた。また、「友好」と「友情」の輪を広げてきた。
 妙法の友のいない、共産圏のソ連(=旧ソ連のこと。以下、同じ)や中国にいくたびも足を運んだのも、「世界平和」への熱願からである。
2  五たびソ連訪問ヘ
 この会議の前年(一九七四年)、私は、幅広い民間交流への先駆を切って、初めてソ連を訪問した。そして、七五年(第二回)、八一年(第三回)、八七年(第四回)と重ねて訪れ、今回、三年ぶり五回目のソ連訪問に旅立つことになった。(拍手)
 私が初めてソ連を訪れた当時、中ソ両国は対立状態にあった。私は私の立場で、中ソの友好が進むように、真剣に祈り、努力した。こうした状況のなかで、私は中ソ両国をもっとも早く訪れた日本人の一人である。両国関係の安定こそ、日本の平和にとって、また世界平和にとって大切な基盤となるとの確信からであった。
 私の訪ソを聞いたある人から、強い批判もあった。私は、「近い将来、中国とソ連は必ず手を取り合う日が来ます。私はそのことを見とおしてソ連へ行くのです」と明言した。
 現在では、中ソは友好の歩みを着実に進めており、その方は「池田先生の言われたとおりになりましたね」としみじみ語っておられた。(拍手)
 また、私が中国、ソ連の首脳と相次いで会見した折、あるテレビ番組で「上の人と握手しなくたって、下のほうからいけばいいじゃないか」といった悪口を言われたことがあった。
 それを聞かれた日達上人は強い勢いで反論してくださった。
 ″中国やソ連は、宗教を認めない共産圏である。そこに入っていくのだから、もし正式に仏教を弘めるなどと言ったら、みな捕まってしまう。それを池田会長が身を挺して自分で行って、向こうの人と握手をして道を開いている。その労苦も知らず、ただ悪口を言うのは、地獄へ行きたい人がすることだ″(趣意)と。(笑い)
 さらに「あなたのような人が日蓮正宗におられることは大変に嬉しいことです。大変に名誉なことです。健康と長寿を真剣に祈っております」と。
3  当初、今月の二十七日から八月七日まで、ソ連、西ドイツを訪問する予定であったが、モスクワ大学側の事情で、明二十五日、ソ連を訪れることになった。(=七月二十五日出発、三十一日帰国)
 今回はそうした日程の変更、また帰国後の来客スケジュール等から、ソ連だけの訪問となった。西ドイツヘは、年をあらためて訪問させていただきたいと考えている。
 ソ連での主な行事は、モスクフ大学訪問、ヤゴジン国家教育委員会議長との会見、著名な作家アイトマートフ氏との対談、明年、モスクフで開催予定の「戦争と平和展」の打ち合わせなどである。今秋、民主音楽協会で招聘する国立モスクワ児童音楽劇場の創立者で総裁のナターリヤ・サーツ女史とも会見する予定となっている。
4  西方にも伝わった仏教
 仏法は世界の宗教である。決して一部の地域のみのものではない。インドから、東方の東・東南アジアはもとより、西方にも早くから伝わった。
 たとえば有名なアソカ大王は、ギリシャ人世界にも平和の使者を送った(紀元前三世紀)。伝道におもむいた仏教者の中には、ギリシャ人も含まれていたという。
 かつて、トインビー博士と「世界第一の政治家」について語りあった。博士はその時、アソカ大王の名を挙げておられた。また、キッシンジヤー博士らも深い関心を示しておられた。
 また、ギリシャ人のミリンダ王は、西北インドを治めつつ、仏教に帰依した。(紀元前二世紀)
 現在、創価大学と、中央アジアのソ連・ウズベク共和国文化省との学術交流で、″シルクロードの要衝″であった同共和国の遺跡が発掘されている。シルクロード遺跡の発掘は、中国ではこれまでも多くあったが、ソ連との共同発掘は先駆的なものである。とくに、クシャン朝の遺跡が多く、また多様であり、都城とじょうのあとや集落のあとが、百以上、この共和国から発見されている。
 クシャン朝(盛期は紀元一〜三世紀)といえば、インドでは「大乗仏教」が、また「ガンダーラ芸術」が興隆した王朝である。最盛期の王であるカニシカ王は仏教を保護し、第四回の仏典結集も行った。また、このころ、龍樹・馬鳴らの大乗学者が活躍した。
 創大と同共和国文化省ハムザ記念芸術研究所との共同出版『南ウズベキスタンの遺宝――中央アジア・シルクロード』が、この秋、発刊される(=一九九一年一月に発刊)。写真の説明文は、ロシア語、日本語、英語の三カ国語となっており、シルクロード研究の貴重な基礎資料になると思われる。
 同書では、修行中の菩薩像、仏教寺院から出土した王子の像、ギリシャ人の風貌をした女性の像などの発掘物、約三百五十点が紹介されるという。このように、クシャン朝時代には、国際的な文化交流が華と開いた。その″文化の花束″とともに、仏教も広く伝わっていったのである。
 たとえば、この時代のある仏像絵画は、イラン人のような姿をしていて、光背(後光)がついている。これはイラン系の人にも仏教徒がいたことを表しているとされる。
 またクシャン朝の貨幣の裏には仏像も騰かれ、なんとギリシャ文字で Boddo と書いてある。「ブッダ」の意味である(貨幣には他にイラン語、カローシュティー文字等も使われている)。これほど国際的な交流、文化の融合は盛んであった。
 また、仏教の西への影響の一例として、西洋のロザリオ(キリスト教の一部で使われる数珠)も、インドの数珠が伝わったものであることが、ほぼ定説となっている。
 ともあれ、現在のソ連邦内の地域にも、かつて多彩な菩薩群像が活躍していた。青年が真摯に「法」を学び、多くの老若男女が仏法の歓喜の泉にひたり、身をうるおしていたのである。その様子は、あたかも学会同志の皆さま方の活躍の姿と重なり合って迫ってくるような気がしてならない。
5  「一切衆生平等」が釈尊の精神
 ところで、カニシカ王は、なぜ仏教を奨励したのだろうか。
 その一つの理由は、クシャン帝国が、広大な地域と多くの民族をかかえた、複雑な国家だったからである。この点、現在のソ連に似ている。(=クシャン帝国は古代における最大の国家の一つであり、インド系、イラン系、ギリシャ系、中央アジア系等の諸民族が住んでいた)
 多くの民族を融和させ、治めるには、人間の″平等″を明確に示した仏教が、もっとも大きな力を発揮した。すなわち仏教は、民族や階級、地位、生まれ等で人間を絶対に差別しなかった。だからこそ世界に広まったのである。″平等″こそ、世界宗教たる仏教の魂である。
 この教訓は重要である。一般的にいって、かりに「法」が優れていても、その法を行じ弘める人々の間に、特別な階級や権威、立場等による差別意識が出てくると、その宗教の生命力は落ちていく。外に広まっていくパワーもなくなっていくものである。それが歴史的な法則である。
 じつは釈尊が出現した当時のバラモン階級も、特権意識の傲りによって堕落していた。その悪しき差別の制度である″カースト″を打ち破ったところに、仏教の大きな価値と力があった。
 初期の仏典(スッタニパータ)に、次のような問答が説かれている。(『南伝大蔵経』第二十四巻、および『ブッグのことば』中村元訳、岩波文庫を参照)
 バラモン階級の二人の青年がいた。ある日、二人は議論した。
 「そもそも、バラモンとはいつたい何か?」
 一人は「人は生まれによって、バラモンになる」と主張した。バラモン階級の家に生まれ、バラモンとして育てられた者が、バラモンだというのである。
 もう一人は「人は戒律を守り、徳と行を身にそなえているなら、そのことによってバラモンである」と、ゆずらなかった。
 議論の決着がつかないので、とうとう、釈尊にたずねることにした。
 「教えてください。人は生まれ(立場)によってバラモンになるのでしょうか?それとも人は行いによってバラモンになるのでしょうか?」と。
 権威的な硬さもない。立場の違いによるぎごちなさもない。本当に気安く、自由に、何でもたずねていける。この豊かな人間性――これが仏法の精神の一つであろうかと思われる。
 それに対して、釈尊も優しく答える。「青年よ、よく聞きなさい」。
 決して上から教えるような態度ではない。われわれ幹部も、大いに気をつけなければならない一つと思う。
 釈尊は説く。
 ――草や木は、生まれながらに、さまざまな種類がある(生まれによって決まっている)。虫たちも(コオロギとかアリとか)生まれによって特徴が異なる。動物も(ゾウとかトラとか)生まれによって異なっている。水の中に住む魚も、その違いは、生まれにもとづいている。空を飛ぶ鳥たちも(ツバメとかタカとか)生まれによって、形などが決まっている。
 しかし青年よ、人間はそうではない。人類においては、階級や立場によって特徴が異なるということはない。
 耳も同じである、目も同じである。口も鼻も唇も眉も、どこに違いがあるか。
 首についても、肩についても、腹も背も胸も、手足も、指も、爪も、音声も、他の生きもののような違いがあるだろうか。決してない。皆、同じ人間である。
 人間に区別が説かれるのは、ただ「名前」(呼び方)が違うだけである。
 牛を飼って暮らす人は、農夫であって、バラモンではない。
 技術によって生活する人は、職人であって、バラモンではない。
 売り買いで暮らす人は、商人であって、バラモンではない。
 ゆえに青年よ、私は、バラモンの家に生まれ、バラモンとして育てられた人を、バラモンと呼ぶのではない。無一物で執着のない人――彼を、私はバラモンと呼ぶ。
 道を守り、欲を増すことなく身を整え、真実の言葉を発する人。清き月のごとく澄み、歓楽せず、とらわれぬ人――彼を、私は真のバラモンと呼ぶ。
 青年よ、バラモン等と世に名づけられ、呼ばれるのは、その時々の、かりの名にすぎない。
 そのことを知らぬ人は、誤った先入観にとらわれて言う。「階級によってわれはバラモンなり」と。
 しかし青年よ、人は生まれによってバラモンなのではない。生まれによって非バラモンなのでもない。人は行いによってバラモンなのである。人は行いによって非バラモンなのである。
 行いによって農夫であり、行いによって商人であり、行いによって盗賊であり、行いによって武士であり、行いによって王である。
 青年よ、賢者は、かくのごとく、この「行い」をあるがままに見て、相手の立場等にまどわされない――。
 釈尊の明快な答えに、二人のバラモン青年は、仏教に帰依した。これが仏典の伝える問答である。
6  豊かな社会による伝統社会の堕落――当時、バラモン階級はひどく堕落していた。初期の仏典には、その様子がよく出てくる。
 それらを要約していえば、昔、バラモンは皆、厳しい修行をして、それなりの尊敬を受けていた。しかし、しだいに社会が豊かになると、供養も増え、転倒が起こった。
 彼らは修行を怠るばかりでなく、多くの供物を受けるために、聖典(ヴェーダ)の改変までした。そして社会的な有力者のもとに行き、「あなたの財産は多い。もっと供養しなさい」等と説いたのである。こうして豊かになったバラモンは、いよいよ欲望が肥大し、目をおおうような堕落を示した。こうした時に、釈尊が厳として説いたのである。「人は『行い』によって、高貴にもなれば卑しくもなるのだ」と。
 ここに仏教の教える一つの核心があると思える。また青年たちの議論にあるように、当時すでに、心ある人々の間では、「これはおかしい」という疑問も出ていたことと推定される。
7  仏教の″原点″に返った大乗運動
 これと同様の方程式が、大乗仏教興隆の背景の一つにある。
 先ほど述べたように、クシャン朝では文化が栄え、経済も繁栄した。しかも、その豊かな社会の大王が仏教を保護したのである。仏教教団が豊かになることは当然であった。また、海外貿易に従事する多くの大富豪も、仏教に帰依していた。
 こうして、当時の仏教教団は、莫大な寄進を受け、たちまち大地主、大資本家に変身した。大寺院も数々つくられた。荘園(耕作者つき農園)をもち、金貸しをして、その利子を収入とするにいたった。
 これらの伝統的仏教教団のうち、とくに「説一切有部」は有名であり、もっとも栄えていた。彼らは、生活の心配もなく、アビダルマと呼ばれる、スコラ哲学(西洋中世の煩瑣哲学)的な研究を行っていた。釈尊が教えた、人生に希望をあたえゆく″人間学″としての仏教とは、まったく様相が変わってしまった。民衆から遊離し、直接の生きた交渉がないのである。硬直化し、独善的になるのは、ある意味で無理もなかった。
 この「説一切有部」に対する一種の宗教改革として、釈尊の精神の″原点″に返り、民衆の中で利他行を行う、新しい運動が起こってきた。ここに「大乗仏教」興隆の一因があるとされている。
 すなわち、釈尊の教えも、大乗仏教の運動も、″豊かさによる伝統教団の堕落″を打ち破るかたちで起こってきた――これが多くの学者の説である。
 ″人間は皆平等だ!″″人は行いしだいで、その尊さ、偉さが決まるのだ!″。
 この人間本然の勇気ある叫びが、民族を超え、文化の差を超えて、世界へと仏教が広まる根源的なパワーとなった。
 この「魂から魂へ」の真実の波動以外に、広宣流布の進展もない。権威や組織等の力のみで、正法が広まるのではない。
 ここに、大乗仏教の真髄たる日蓮大聖人の仏法の精神もある。創価学会の発展の要因もあった。他の既成教団が堕落の姿を示すなかにあって、学会だけは、″和合″にして″高潔″な仏法の精神を貫いてきたのである。(拍手)
 いよいよ本格的に始まった「世界広宣流布」を担うわれわれは、この精神を永久に忘れてはならない。(拍手)
8  最後に、毎日、暑い日が続くが、体に十分注意して健康であっていただきたい。決して無理をしないでいただきたい。いつまでも、ご長寿であっていただきたい。それ自体が広宣流布につながるからである。
 留守中は、秋谷会長を中心に、よろしくお願い申し上げたい。今日は暑いところ、ご多忙のところ、本当にご苦労さまでした。それでは行ってまいります。
 (創価文化会館)

1
1