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日蓮大聖人・池田大作

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札幌記念幹部会 正法流布の人こそ国宝

1990.7.14 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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1  ″平和の母″ミュルダール女史
 美しき国土、美しき人の心の北海道。私は七年ぶりに、ここ札幌を訪問させていただいた。皆さま方が、仲良く団結し、すばらしい成長をされ、また、お元気に活躍されている姿を拝見し、たいへんうれしい。(拍手)
 そして、今回の訪問では、さまざまな面で皆さま方にお世話になり、ここに謹んでお礼申し上げたい。
2  さて、北海道といえば、すぐ連動して思い起こすのはスウェーデンである。スウェーデンと北海道で姉妹都市(ダーラナ州のレクサンドと当別町)が結ばれている、ともうかがっている。
 昨年六月、平和が光る、美しき森と湖の国スウェーデンを初訪問してから、すでに一年になる。私にとって、海外訪問四十三カ国目となったスウェーデンでは、牧口先生の生誕記念日である「六月六日」が、ちょうど「建国記念日(ナショナルデー)」にあたっており、何か非常に親しいものをおぼえたものである。北海道と同じく、北欧の友も立派に成長されていた。
 また、国王、王妃との会見も懐かしく思い起こされる。今年の九月には、東京富士美術館による「日本美術の名宝展」が、スウェーデンで開催されることになっているが、国王のご出席も予定されているとうかがっており、たいへんうれしく思っている。
 スウェーデン訪問の折には、水の都ストックホルムの国立東洋美術館で、私の写真展が開催された。これには、各界から多くの文化人や著名人が見にきてくださった。この五月、中国の北京で行われた写真展もそうであったが、マスコミでも大きく報道されるなど、高い関心が寄せられ、私としてはたいへん光栄なことであった。
3  ストックホルムでの写真展を訪れてくださった来賓の中に、ミュルダール財団のローランド・ポールソン会長もおられ、私どもSGI(創価学会インタナショナル)の平和運動に、深く期待をかけておられた。
 この財団は、世界の平和を願って、ミュルダール夫妻が全魂を込めて創設されたもので、現在も、その遺志を受け継いで「平和」への活動を進めている。
 スウェーデンは、二世紀にわたって戦争をしていない″平和の国″である。アルバ・ミュルダール女史(一九〇二年〜八六年)は、同国出身の″平和の母″ともいうべき存在である。
 同女史は、国連の軍縮会議の議長や、スウェーデンの軍縮大臣などを歴任している。軍縮とは、皆さま方もよくご存じのように「軍備縮小」の略で、武器を減らそうとの主張である。一九六八年(昭和四十三年)、スウェーデンがいち早く、核兵器を放棄することを宣言したのも、彼女の努力によるところが大きい。
 八十歳を超えてからも、小柄な体を、杖を使って惜しみなく動かしながら、人と会い、語り、平和への行動をたゆみなく続けてきた。一九八二年(昭和五十七年)、ノーベル平和賞を贈られている。
 学会の婦人部の皆さまも、悩める友に幸の人生を贈るために、日々たゆみなく活動しておられる。人々の心の闇を、幸せで照らしていこうとする、皆さま方の行動。それは、とりもなおさず世界の平和の道を開く源泉となっていることを、深く確信していただきたい。その功績は多くの賞と比較する必要はないし、御本仏のすばらしい御称讃があるにちがいない。
 女史のご主人も、ノーベル経済学賞を受賞されており(彼女の受賞の八年前)、夫婦での″おしどり受賞″となっている。
 女史は、四年前、八十四歳で亡くなったが、それは「平和」のために尽くしきった、尊い生涯であった。
 ミュルダール女史については、私もSGIの平和提言(=一九八三年、第八回「SGIの日」に寄せて)でも紹介するなど、深い関心を寄せてきた。スウェーデン訪問の折にも、ご存命であったならば、ぜひお会いしたかった方である。
 亡くなる少し前になるが、聖教新聞の記者が、手紙でインタビューを申し込んだところ、私の平和行動を知って″ぜひ、どうぞ″と、快い返事があったと聞いている。ただ、残念なことに、その実現の前に亡くなられた。
 つい先日、このミュルダール女史の娘さんから、私のところへ一冊の本が届けられた。それは娘さんが著された『平和への方策』(=邦訳名『戦争と平和』大沢正道訳)という本であった。
 娘さんは、名前をシセラ・ボクさんといい、アメリカのボストンの大学教授(ブランダイス大学)であり、ご主人はハーバード大学の学長を務めておられる。ボク女史もまた、偉大なる母の志をわが志として、平和の探求を真剣に続けられている。まさに母娘二代にわたる平和への戦いである。
4  母は聡明な人生の模範
 さて、聖教新聞のアメリカ特派員が、シセラ・ボク教授とお会いし、お母さんのミュルダール女史の思い出などをうかがう機会があった。特派員から、日本の婦人部の方々にも紹介していただければと報告があったので、少々お話ししたい。
 ノーベル賞を受けた平和運動家というと、自分たちとは遠く離れた人のように思えるかもしれない。しかし、娘さんが語るミュルダール女史の、母としての面影は決してそうではない。むしろ、学会婦人部の日々の健闘をほうふつさせるほど、親しみに満ちたものであった。
 ボク女史は回想する。「母は、家庭での主婦の役割と、社会への貢献との両立を、厳しくめざした人でした」と。
 つまり、家の中に閉じこもりきりの婦人ではない。かといって、社会に目を向けるあまり、家庭をおろそかにするというのでもない。「家庭」と「社会」――その両面を大切にし、生き生きと働き続けたというのである。
 確かに母は、家を留守にすることが多かった。「でも不思議と、私たち母娘の心は親密でしたね」と、彼女は振り返る。
 ひとつには、母と娘で、よく手紙のやりとりをしていたようだ。やはり、何事をするにも工夫が大事である。いかに母娘のコミュニケーションを保っていくか。お母さんも、よく考えられたのであろう。
 ところで、その娘さんからの手紙を、お母さんは大切にずっととっておいてくれた。ボク女史が今、その手紙を読み返してみると、母と娘の手紙というより、まるで友達同士のやりとりのようだという。
 そのことをとおして、母が深い愛情をもって、子どもの人格を尊重し、自分と対等に接してくれていたことを、今さらながらにかみじめておられる。
 とともに、母は、母娘の間で何か問題があっても、粘り強い「対話」で解決しようとした。体罰を加えるようなことは絶対になかった。
 ともかく、人の何倍も忙しい母であったにちがいない。しかし、彼女はこう語っている。
 「母は自分の価値観を決して子どもに押しつけることなく、模範の姿をみずから示すことによって、ものごとの道理を教えようとしました。この模範の姿こそ、どんな教訓よりも強く人の心を打つものと思います」と。
5  信心においても、親が子どもに教えようとする時、同様のことがいえるかもしれない。
 子どもに幸せになってもらいたい。そのために、信心の大切さをわかってもらいたい――これは、親としては当然の気持ちであろう。
 しかし、そうした心情の強いあまり、子どもへの″押しつけ″になってしまえば逆効果となりかねない。やはり聡明に、みずからの″模範の姿″で、信仰の尊さをわが子に教えていくことが大切ではないだろうか。とはいえ、なかなか思うようにいかないのが(笑い)、親子の現実である。
 いろいろな方にうかがうと、小学校のころは一生懸命、勤行していたのに、高校になるとやらなくなった。大学に入ったら、まったく信心から遠ざかってしまった、とお子さんのことで悩んでいる方もおられる。
 その原因をよく考えてみると、お母さんの押しつけにも問題がある場合があるようだ。子どもにしてみれば、もっとクラブ活動に打ち込みたい、もっと自分のやりたいことをしたい、と思うこともあるにちがいない。そこへ、お母さんから「勤行はしたの」と、毎日のように問いつめられれば(笑い)、せっかくのやる気もなくなってしまう。「お母さんは、大人になってから信心したのだからいいよ(爆笑)。子どものころは気ままだったんでしょ」と言われかねない。(爆笑)
 子どもにとっては、わずか三年間の中学校生活、高校生活である。むしろ、お母さんのほうから、子どもが伸び伸びと勉学、クラブ活動に励めるように、広い心で送り出すことも大切ではないだろうか。
 叱るのは、たまにでよい。勤行をしないようなことがあったとしても、″きょうは疲れているんだな″″学校で先生に叱られて、元気がないのかもしれないな″(笑い)、″その分、お母さんが頑張るからね″(笑い)と言うぐらい、あたたかく包容してあげてほしい。大事なことは、短時間でもよい、少しずつでも信心を続けて、自覚を深めさせていくようにすることである。
 また、「題目をあげれば、成績も良くなるのよ」と、無理に信心を押しつけようとする場合がある。そういう言い方で、信心を強制するようになれば、子どもに″題目さえあげていれば、あまり勉強しなくても、良い成績がとれるようになるだろう″との安易な考えをもたせてしまう傾向がこわい。それでは本当の信心ではない。いわば信心利用となってしまう。勉強や努力をしぬいてこそ、不可能を可能とする信心の力も発揮されてくるわけである。
 ともあれ、子どもの主体性、自主性を伸ばし、発揮させていくような、聡明な親の励ましであっていただきたい。(拍手)
6  「正直の心」に結ばれる信頼
 さて、ボク教授は、母の姿から″正直な心″、つまり、自分に正直になること、ウソをつかないこと、秘密をもたないことを教わったと言われている。
 具体的な例として、次のように述べておられた。
 「言いにくいことでも、隠さずに言ってあげるところに、信頼関係が生まれる。それは、家庭においても、社会においても、国家間においてもいえることであり、交流と理解のために必要な、一貫して変わらぬ条件である」と。
 いかなる人間関係においてであれ、わが信念のままに、わが心に一点の曇りもなく、言うべきことを言いきっていく――そうした生き方は、まことにすがすがしい。また、それを土台にしてこそ、家族の絆も、信心の同志の絆も、強められていくにちがいない。
 何より信心の世界こそ、まっすぐで正直な、心と心との世界である。
 大聖人は、遠く佐渡まで幼い娘を連れて訪ねてきた婦人の門下・日妙聖人の信心をたたえられ、こう仰せである。
 「法華経は・正直捨方便等・皆是真実等・質直意しちじきい柔輭にゅうなん等・柔和質直者等と申して正直なる事・弓の絃のはれるがごとく・墨のなはを・うつがごとくなる者の信じまいらする御経なり
 ――法華経は、「正直に方便を捨て」「皆これ真実」「質直にして意柔収に(心がまっすぐで穏やかである)」「柔和で質直なる者(穏やかで、まっすぐな人)」等といって、正直であることは、あたかも弓の絃を張ったようであり、墨縄(直線を引くための道具)をうったように、まっすぐな心の人が信ずる御経が法華経である――と。
 法華経を真に信じる人は、清き心の人である。心に濁りもなく、策も迷いもない。人がどうあれ、世間がどうあれ、わが生命の最極の大法にのっとって、どこまでもまっすぐに、正しき人生道を自分らしく貫いていくのみである。私どもの信心の世界は、いつも、晴れわたる青空のごとき心の世界なのである。
7  ボク教授は、身近な母の生き方から″人間としての基本″を学んだ。そして、それがそのまま、教授の平和研究のなかに脈動している。
 ボク教授によれば、人類の危機の打開といっても、何か実生活と離れた、大げさな方策が必要なわけではない。人間同士の「信頼感」をいかに回復するか。そのための戦いこそが肝要である、と。具体的には「約束を守ること」「ウソをつかないこと」「暴力を用いないこと」――こうした″人間としての基本″のうえに「対話」を続けてこそ、「信頼」と「平和」への道が開ける、というのである。そのとおりであろう。
 平和の根本も「人間」である。人間同士の「信頼」である。そして、確かな信頼関係を築くには、たがいに、一個の人間として、人格としての、相手への尊敬がなければならない。
 権威や駆け引きだけでは、「信頼」を生むことは不可能である。そんな簡単なものではない。簡単に考えているのは、社会を、世界を知らないからである。ゆえに、「人間」としての裸の自分を立派に建設していくことが、「平和」の基本となっていく。
 またボク教授は、こうも述べている。
 「人間の尊厳を体現し、その輝きを示すことによって、人々に勇気と共感を与えていくリーダーが、社会にも国家にも不可欠なのです」と。
 その意味から教授は、私どもSGIの行動に、大きな期待を寄せてくださっている。″人間性の輝き″によって、また″輝ける人々″の連帯によって、実質の平和をつくっている私どもの行動を、世界の知性と良心はあやまたず注目し、たたえているのである(拍手)。とくに「平和のために戦う創価学会の婦人の方々の貢献に、心からの敬意を表します」とメッセージも寄せてくださった。
 婦人部の方々は、じつは世界中の女性の最先端を日々走っておられる。そのことにいちばん、気づいていないのは、婦人部の方々自身かもしれない。(笑い、拍手)
8  信念に徹する人は若々しい
 さて、ミュルダール女史の平和への行動。それが真に輝きだしたのは、いつごろからか。それは一九六一年(昭和三十六年)、彼女が駐インド大使を引退し、本国スウェーデンに帰国してからのことである。時に五十九歳。学会でいえば、指導部の年代に入ってからの活躍である。
 私の会長赫観か翌年にあたるこの年、東西ドイツ分断の象徴である、あの「ベルリンの璧」が造られた。さらに翌六二年には、米ソ両国の関係が大きく悪化して「キューバ危機」が起こっている。世界は対立と戦乱への危機に直面していた。まさに、この時期に、彼女は軍縮と平和への挑戦を開始したのである。
 五十九歳、六十歳といえば、ある意味で社会から″引退″する年齢に思われるかもしれない。しかし女史は動き始めた。人生の新たなる章節を生き、最晩年の約二十年間を、生涯でもっとも光り輝く時期として飾ったのである。ノーベル平和賞を受賞されたのも、八十歳の時であった。
 志のある人物は、いかに年齢を重ねても、人生に″ムダ″をつくらない。若き日の労苦、勉強、経験を生かしきりながら、悠然と人生の総仕上げをしていく。ゆえに、人生を人の何倍も生きていく。
 私も五十七歳から一大決心をし、以来、″よし、これからが総仕上げだ。歴史に永遠に輝く事業を完成するのだ″との新たな気概で走り始めた。(拍手)
 そうした人生の総仕上げの歳月。ミュルダール女史は、一歩また一歩、新しい課題に取り組んでいった。そしてそのつど、自分の世界観や人生観を深め、開いていった。
 娘さんのボク教授は、そんな女史の姿をこう語っている。
 「母は、さまざまなことを一度にやりとげるという、スーパーウーマンのタイプではありませんでした。″人生は長い。子どもを育て、仕事をし、そして他の課題に、一つ一つ着実に、挑戦していけばよい。一つの体験をしたら、その体験のうえに、また新しい体験を積み上げ、人生をより豊かなものにしていきたい″、母はそういう生き方に徹していました」と。
 ミュルダール女史は、このような地道さ、着実さに加えて「あらゆる失敗の経験にもかかわらず、われわれは諦めてはならない」とみずから語っているような力強さをあわせもっていた。そして言葉のとおり、次々と困難を乗り越えながら、平和への行動を続けていった。
 女史は言葉や思想だけでなく、つねに「行動」を重視していた。平和への探求を続けるボク教授の胸には、いつも母の「行動」の姿がある。とりわけ晩年の女史は、抽象的な″平和のおしゃべり″や、見かけだけの″平和主義者のポーズ″を強い調子で嫌っていたという。
 平和を口にするだけでなく、平和のために具体的に何をするか。どう行動するか。――これが母から娘へと受け継がれたテーマであり、母娘の″使命の人生″を貫く精神である。
 とくに婦人部の皆さま方の何らかの参考になればと思い、紹介させていただいた。(拍手)
9  昭和二十九年(一九五四年)の夏八月。戸田先生は私を、愛する懐かしき故郷・厚田村に連れていってくださった。当時は、札幌から車で、ゆうに三時間はかかった。道も悪い。途中、船にも乗り換えた。橋や道路が立派に整備された現在とは隔世の感がある。
 帰りの車中、先生は、こう語られた。今なお、鮮やかに覚えている。
 「北海道は、未来の新天地だ。多くの友をつくろう。青年は、この広野のなかを、まっしぐらに進むのだ。雪の日も、嵐の日も。それが青春だ。それが若人だ」
 「舞台を大きく持つことだ。正義のため、不幸の人々のために。青年期の奮闘は、やがて、悔いなき財宝に変わろう」と――。
 師五十四歳、弟子二十六歳の折の一コマの劇である。
 この戸田先生の言葉どおり、私は北海道の広き舞台で、皆さまとともに、″悔いなき財宝の歴史″をつづってきた。
 後悔は幸福の敵である。私は人生に、また一日一日に、決して悔いを残さない。二十代の時もそうであった。今もまったく変わらない。
10  「悪」との戦いこそ信心の「証」
 この厚田村訪問の翌年、昭和三十年には、三月に小樽問答、そして八月には、ここ札幌での夏季折伏の指揮をとった。十日間で三百八十八世帯――全国四十五都市のなかのトップであった(拍手)。つねに″一番″の結果を出す。これが私の戦いであり、歴史である。
 それから、ちょうど三十五年目の夏を、こうして懐かしい札幌の皆さまと、有意義に過ごせたことは、私の、このうえない喜びである。(拍手)
 かつて、スクーターに二人乗りして駆け回った、あの道、この道。今は、多くの会館もできた。こんなにうれしいことはない。仏法の真の功徳は「冥益」であり、一切の行動は、時とともに大きく花開き、実っていく。
 戸田先生は、小樽問答を記念して、私への和歌を毛筆で本にしたため、贈ってくださった。
   空を飛び
     小樽の海に
       敵ぞつく
   若き姿は
       永久に残れり
 空飛ぶ勢いと鋭さで、仏敵と見事に戦った若武者の、おまえの姿は、永遠に歴史に残るよ――とのお心であった。
 正法を破り、仏子を苦しめる「敵」とは、猛然と戦わねばならない。敵と戦ってこそ、功徳があふれてくる。境涯も大きく開く。成仏もできる。これが御書の御教示であり、学会精神である。戦いこそ、信心の信心たる「証」なのである。
11  人間の位はその人の境涯にある
 大聖人は、「教行証御書」の「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」――日蓮の弟子等は臆病であってはならない――との有名な御文に引き続いて、こう仰せである。
 「彼れ彼れの経経と法華経と勝劣・浅深・成仏・不成仏を判ぜん時・爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず何にいわんや其の以下の等覚の菩薩をや、まして権宗の者どもをや、法華経と申す大梵王の位にて民とも下し鬼畜なんどと下しても其の過有らんやと意を得て宗論すべし
 ――敵人が拠りどころとする、かの経々と法華経との勝劣(どちらが、勝っているか)、浅深(どちらが深いか)、成仏・不成仏(どちらが成仏の教えか)を論じ決定していく時は、法華経以前の諸経や法華経述門の釈尊であっても、物の数ではない。いわんや、それ以下の等覚の菩薩(仏の次に位する菩薩。その覚りは仏に等しいとされる)はいうまでもない。ましてや権宗(法華経以外のかりの経典を依経とする宗)の人間など、まったく問題ではない。あなたは法華経という大梵天王の位にいて、彼らを民ともくだし、鬼畜とも見くだして、あえて誤りではないと心得て、宗論(法論)しなさい――。
 厳しいお言葉である。偉大な御境界と大確信からの御指南である。
 正法正義の敵を打ち破り、「仏子の世界」を守りぬいていく攻防戦――。ひとたび、その戦いに臨んだ以上、一歩も退くことはできない。その人は仏法上、最高に尊き「王者」の位にいる。
 ゆえに、相手が、形のうえで、どんなに社会的に高い立場にいようとも、ものの数ではない。仏法の眼から見れば、その位置は「鬼畜」の低さなのであり、見おろしながら堂々と打ち破っていきなさい、と教えてくださっている。
 「大王者」の気位、プライド(誇り)で、敵との戦いに臨め、との御聖訓なのである。
12  人間の「位」を決めるのは、形式上の地位ではない。その人の「境涯」である。信心の深さである。
 正法を持った人に対すれば、世間のどんな権力者も有名人も、権威をふりかざす人々も、比較にならないほど低い立場なのだと、仏法では説かれている。
 また形のうえで仏法を持っているようでも、どんなに位が上であっても、その「心」が卑しく、堕ちている人間であるならば、広宣流布に行動しゆく無名の庶民のほうが、確かなる「王者」なのである。
 そうした人間の過ちを正し、破っていくにあたっては、いかなる遠慮も臆病もあってはならないと、大聖人はつねに仰せである。臆し、妥協しては、大聖人の教えに反する。
 「爾前述門の釈尊なりとも物の数ならず」との御確信を、私どもは深く、また深く拝さねばならない。
 北海の天地での法戦の歴史――小樽問答、札幌の″夏の陣″。そして、今は無き「炭労」と戦った夕張――。私はすべての闘争に堂々と挑み、堂々と勝ちぬいてきた。(拍手)
 長い目で見れば、仏法の「正義」は、事実のうえにはっきりと証明されていく。これまでもそうであった。これからも必ず、そうなっていくにちがいない。このことを、私は皆さまに断言しておきたい。(拍手)
 どうか北海道の同志の皆さまは、「広宣流布の王者」としてのプライドも高く、私とともに、悔いなき「凱歌」の人生を歩んでいただきたい。(拍手)
13  日達上人は、青年部の第十四回総会(昭和四十年十一月二十三日)の折、「国宝」という言葉をとおし、次のように話された。
 「国宝といえば、何も昔の美術品、古い仏様や菩薩像をもって国宝とするのではありません。真の国宝は、国家を安泰にし、常楽の国土とし、人民を皆幸福に導くことのできる人を国宝と申すのであります。
 ゆえに伝教大師は年分学生式という本の一番最初に『国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心ある人を名づけて国宝となす』と説かれています。
 今日の道心とは末法の大白法、南無妙法蓮華経を正直に信じて、広宣流布に励む心をいうのであります。
 この道心を持っておるのは創価学会の皆様であります。皆さんこそ国宝であります。金剛宝器であります」(『日達上人全集』第一輯第三巻)と。(拍手)
 伝教大師の「年分学生式」(山家学生式)の″国宝論″については、私もかつて紹介させていただいた(=平成元年八月十七日、第二十回本部幹部会。本全集第73巻収録)。日達上人のお一言葉一は、正法を持ち、広宣流布の実践に邁進する私どもこそ、真の「国宝」である、社会の、世界の宝である、とのご断言である。
 「広宣流布に励む心」があるかどうか。「行動」があるかどうか。現実に社会の中で人々に正法を「流布」しているかどうか。それが基準である。そこに仏法の生きた魂がある。
 外見ではない。地位でもない。「弘法の人」――その人こそが「国宝」なのである。
 すなわち、たとえ外見上は仏道修行をしているようにみえても、「広宣流布に励む心」のない人、″難事″である折伏の労苦なき人は、大聖人の真の門下ではない。「国宝」でもない。どんなに立派そうに見せても、それは虚栄であり、虚偽である。「正直」の人ではない。法華経の実践者ではない。御本仏日蓮大聖人のお心に反した堕落の姿なのである。
 いわんや、日達上人が「国宝」とも「金剛宝器」とも讃嘆された、尊い仏子である皆さま方を軽んじたり、いじめたりする者は、「仏敵」となる。また、権威をカサに着て威張ったり、学会員を苦しめた一部の悪侶たちは、日達上人のお言葉に反する師敵対の輩である。
 仏子を心で軽蔑してすら、罪となる。まして口でののしるなど、その罪は甚大である。迫害のため策動するにいたっては、言語道断と言わざるをえない。
14  学会の金剛の世界を永遠に
 僧侶は「少欲知足」が本分である。高潔な「聖僧」が大聖人、日興上人の教えられた道である。
 踏むべき道を忘れた末法の僧侶のことを、大聖人は、食べ物を奪い合う犬にたとえて厳しく裁いておられる(「松野殿御返事」御書1381㌻)。″畜生道″であり、また″餓鬼道″の姿である。
 そして弘法もせず、わが身を養う欲望ばかり盛んな僧侶を、「法師の皮を著たる畜生なり」――表に法師の皮をつけただけの畜生である――、また「法師と云う名字をぬすめる盗人なり」――僧侶という本来は尊い名前を、資格もないのに盗んでいる泥棒である――と、激しく非難し、指弾しておられる。
 これは本来、他宗の僧への破折であった。それが近年、かの悪侶たちのごとく、日蓮正宗からも、そうした卑しき輩が出たことは、大聖人のお悲しみ、お怒りは、いかばかりかと嘆かずにいられない。(拍手)
 私どもは御書の仰せのままに、また日達上人のこうしたお言葉のままに、厳然と悪を見破り、堂々と「正義」の道を前へ、また前へと進んでいけばよいのである。(拍手)
 さらに日達上人は、こう述べられている。
 「どうか、名誉あるこの国宝を堅く持ち、外部の謗法の輩や大蝗おおいなむし(=貪欲に稲を食いぶくすイナゴやバッタなどの害虫)に、この金剛宝器を乱されず、破られざるよう、宜しくお願いいたしまして、今日の私のお話といたします」(前掲書)と――。
 このお言葉は、あまりにも甚深の意味があると拝される。
 創価学会は、この世でもっとも尊い「広宣流布の団体」である。「大道心」みなぎる金剛(ダイヤモンド)の宝の世界である。絶対に壊されてはならない。乱されてもならない。また何ものも恐れぬ「信心」あるかぎり、創価学会は、永遠に不滅であり、永遠に発展していくにちがいない。
 そのためには三類の強敵と戦うことである。三障四魔を打ち破っていくことである。その大闘争心ゆえに、現在の世界的な学会ができあがったのである。
15  最後に、今回の訪問でたいへんにお世話になった北海道の同志の皆さまに、重ねて心から御礼を申し上げたい(拍手)。明年からも、できることなら毎年でも訪問させていただきたいと念願している。(拍手)
 皆さま方が、これからも朗らかに、たくましく、健康で、すばらしい人生の一日一日を歩んでいかれんことを心からお祈り申し上げ、本日のスピーチを終わりたい。
 (北海道池田講堂)

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