Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第三回北海道総会・第一回全国女子部幹部… 幸福のために強き自身を

1990.7.8 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

前後
24  勝つために、真剣な修行と精進を
 さて、何事も「勝つ」ことは、並大抵ではない。敵も必死である。多くの場合、紙一重で勝敗は決まる。
 たとえば、一九七六年のオリンピック男子百メートル競走。決勝に残ったのは八人であった。金メダルの選手と、八番すなわちビリの選手との差は、わずか三分の一秒もなかった。それでも勝ち負けは絶対の事実である。他のスポーツでも、こうした例は無数にあろう。
 また芸の世界で、こんなことがよく言われる。
 ――他人の芸を見て、「自分より下)だな」と思ったら、だいたい同じくらい。「自分と同じくらいだな」と思ったら自分より上。「自分より、うまいな」と思ったら、格段の差がある、と。
 なるほど、人間だれしも、うぬばれがある。どうしても自分に甘くなりがちである。物事を簡単に考えてしまう。とくに組織においては、できあがった組織の力を自分の力と錯覚して、実力もないのに、自分が偉くなったかのように傲ってしまう。ここに大きな落とし穴がある。
 先輩が、どれほどの苦心と努力の汗また汗を流しきって「勝って」きたか。そのことをみずからの苦労で身にしみて知らねばならない。
 遠くの星は、地上からは同じような距離に見える。しかし実際には、まったく異なる。何万光年(一光年は光が一年かかって進む距離)、何十万光年離れている場合もある。それに似て、何の世界でも、一流の人物や、名人、巨匠と呼ばれる人については、低い次元からは、その″遠さ″がわからない。
 次元は異なるが、法華経には「雖近而不見(近しと雖も而も見えざらしむ)」(開結五〇六㌻)――仏がそばにいても、凡夫には見えないようにしている――と説く。
 一般的にも、人物が大きければ大きいほど、すぐそばにいても、その偉大さが、なかなか理解できない、とよく言われる。そのことを知っていれば、慢心するどころではない。本当に謙虚になって、向上の道を歩んでいくはずである。
 ゆえに「勝つ」ためには、普通の努力では足りない。一つの道を極めるには、ある意味で、他からは「その道の鬼」と言われるほどの没頭が必要な場合もある。
 真の「幸福者」となる道も同じである。真剣な修行が、精進が、絶対に必要となる。
 どうか皆さん方は、人生に勝っていただきたい。自分に勝っていただきたい。そしてだれよりも「幸福」になっていただきたい。それ以外に私の願いはない(拍手)。その最高にすばらしい人生のための、現在の″青春時代の修行″と確信していただきたい。
 皆さまが、一日一日を希望に燃えて、一日一日を立派に勝利していかれんことを念願し、本日の記念のスピーチとしたい。
 (北海道池田講堂)

1
24