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日蓮大聖人・池田大作

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第三回北海道総会・第一回全国女子部幹部… 幸福のために強き自身を

1990.7.8 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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1  二十一世紀の″精神の大地″北海道
 本日の北海道は、すばらしい晴天となった(拍手)。この札幌の地も、さわやかで理想的な気温となり、そよ風と美しい緑と、すがすがしい陽光につつまれての総会である。北海道の皆さま、本当におめでとう。(拍手)
 また本日は、全国で第一回の女子部幹部会が開催されており、各地の会場に喜々として集い合った、二十万人以上の″花の乙女たち″を心から祝福申し上げたい。(拍手)
 北海道の同志は本当に人柄が良く、仲が良い。障魔の嵐にも紛動されることなく、理想的な団結と人材の流れを築いてこられた。その模範の前進を、私は心からたたえたい。
 そして今後も「わが北海道こそ″幸福の王者″なり」との、強い自覚とみずみずしい信心の息吹をもって、新たな歴史を築き上げていただきたいと念願するしだいである。(拍手)
2  本日は、トインビー博士が、日本のなかでも北海道に期待を寄せていたことを紹介して話を始めたい。
 ご存じのように私は、一九七二年(昭和四十七年)と七三年の二回、ロンドンの博士の自宅を訪れて約十日間にわたる対談を行った。その折の思い出は、まことに懐かしく、意義があった。
 対談のなかで日本訪問の時のことをうかがうと、博士は懐かしそうに、「北海道にも行きました」と語っておられた。
 一九五六年(昭和三十一年)、当時六十七歳のトインビー博士は、世界一周旅行の途上で来日。北海道にも立ち寄り、函館、小樽、札幌、登別などを訪れている。
 その時の印象を、博士は次のように記されている。
 「一つの群島中の最北端の島は、いつもなにか特別な価値を持っているように見える」「北海道は日本の期待の島である。この北海道に、今日すでに未来の日本を見ることができるのだ」(『東から西へ』黒沢英二訳、毎日新聞社)
 明治期以後の日本の西欧化、近代化の流れのなかで、博士は北海道の将来性に注目されていた。いよいよ来るべき二十一世紀へ向けて、その″期待″はますます大きくなっているといえよう。
 博士が鋭い学究の眼で北海道を「日本の期待の島」と書かれたその同じころ、私はいくたびも同志の激励のために北海道を訪れた。そして夕張で、函館で、また道内各地で、「未来は北海道の時代である」と繰り返し訴えてきた。それは、皆さま方の先輩もよく知っておられる。
 そして今、私の申し上げたとおり、北海道は″広布の理想郷″として見事な発展を築いている。いよいよこれから、二十一世紀を先取りした新しい広宣流布の前進を、北海道から開始していただきたいと心から念願せずにはおれない。(拍手)
3  また、トインビー博士は、北海道の発展を「革命」と記している。それは、いわば「近代化」と「伝統」との摩擦という、よけいな負荷が北海道にだけはなかったからである。
 私も、この「近代化と伝統」の問題については、アジア各国のかかえる共通課題として論じてきた。明治以後の日本においても、西欧文明の導入を、古き伝統習慣の璧が阻み、ともすると健全な近代化の歩みがそこなわれる面が多分にあった。
 しかし、北海道は、その開拓の歴史と西欧化の時期が同時であったために、「古い日本」の再生ではなく、「新しい日本」の誕生があった、と博士は指摘されている。
 そして、北海道における「革命」とは、建築様式などの外面に表れるものだけではなく、「心理的な革命」であった、と――。(以上、一前掲書による)
 私は、北海道の先駆性を″こころの革命″と意義づけた博士の指摘に、まったく共感の思いである。
 真実の社会の繁栄は、物質的側面だけでは築けない。むしろ精神的充足にこそ、光があてられなければならない。あらためて言うまでもなく、すでに時代は「モノ」から「心」の時代へと入っている。そして人類史の深き視点から見れば、仏法の「広宣流布」こそ、時代の必然的な要請であるといえまいか。
 どうか、二十一世紀の「北海道の時代」は「広布の時代」であり、「皆さまの時代」であると確信していただきたい。いちばんすばらしい時代に、いちばんすばらしい所で活躍できるのが北海道の皆さまであると、心から祝福申し上げておきたい。(拍手)
4  「心田」を耕すことが一切の根本
 さて、北海道でクラーク博士といえば、たいへんに有名である。一八七七年(明治十年)、札幌農学校の教頭だったクラーク博士は、ある論文の中で、こうつづっている。
 「先哲謂へるあり。曰く、国に人民無んば、国其国に非ず。人に心志しんし無んば、人其人に非ず。然り而して、人の心田も之を耕さざれば、亦た有れども無きが如し。故に、一国人民の最大貴重の産物は、耕転(=耕すこと)の至り尽せる心田是れなり」(「札幌農学第一年報」佐藤秀顯訳、『明治文化全集』所収、日本評論社)
 つまり簡潔にいえば″国において、国民がいなければ、それは国といっても国ではない。人に心や志がなければ、人といっても人ではない。だから、人の心田(精神)も耕さなければ、あってないようなものである。ゆえに、その国の国民にとってもっとも貴重なものは、よく耕された心田である″と。
 これが、わずか八カ月の間に、北海道、さらには日本を担う人材の流れをつくっていった、クラーク博士の信念であった。
 すなわち、もっとも大事なものは、人間の心であり、その心をどう耕すか。それが一切の根本というわけである。まさに、仏法、また私どもの信心に通じるとらえ方である。
5  次元は異なるが、日蓮大聖人は、「撰時抄」で、次のように仰せである。
 「よろこばしきかなや・たのしいかなや不肖の身として今度心田に仏種をうえたる」――悦ばしいかな、楽しいかな。不肖の身でありながら、今度心田に仏種を植えたのである――と。
 妙法を信受することによって、成仏の種子を、わが生命に植えたのである。こんなにうれしいことはないし、幸せなことはない。その仏種を、一日一日と大きく育てていくのが、私どもの広布の活動であり、仏道修行である。
 人々の心田を耕し、妙法の種子を植えながら、自分自身の仏種を、幸福の大樹へと育てていく――どうか、この尊くも、喜びに満ちた信心の労作業を、たゆみなく続けゆく日々であっていただきたい。(拍手)
6  また、北海道についていえば、日淳上人は、昭和三十二年五月十二日の北海道第一回総会の席上、次のように述べられている。
 「北海道のこの方面に創価学会の折伏に入って参りましたのは、まだ三年ばかりにしかならないのでありまするが、このわずかの間にかようなる同志の方々ができましたことは、これ実に創価学会が正しい信仰に従いまして、正しい指導によって大きな功徳を皆様方にお分けして、かようなる大勢の同志となることができたのでござりまする。これは誠に、創価学会の指導と組織ということがいかに信仰の上に正しい行き方であるかということを証明しているものだと私は感じるのでござりまする」(『日淳上人全集』上巻)
 日淳上人は、北海道広布の興隆の姿それ自体が、学会の「正しき信仰」「正しき組織」「正しき指導」の証左であると述べられているわけである。
 本当に日淳上人は、心から学会を理解してくださり、守ってくださり、たたえてくださった。また、私どもにとって、いつもいつも心優しく慈愛をもって見守ってくださった。いささかたりとも尊大ぶったり、私たちを見くだすようなことは絶対になさらなかった。戸田先生も心から尊敬しておられたことは、皆さまもよくご存じのとおりである。
 思えば、日達上人もまた、北海道に寺院が建立されるたびに、学会の勇猛精進の折伏行を讃嘆され、この地における広布の前進を心から喜んでくださっていた。
7  人生を決するのは青春の今
 ともあれ、北海道の同志の皆さま方は、よく戦ってくださった。まことに広大な天地。交通の便もまったくたいへんであった。雪に閉ざされる冬。そうした悪条件のなかで、この北海の天地を、みずからの使命の舞台として、地涌の勇者の誉れも高く、戦いぬいてこられた。そのけなげにして、光輝に満ちた法戦に、私は心から敬意を表したい。
 とくに、この総会にも参加されている大村竜太郎さん、今は亡き岩崎武雄さんらの草創の友の活躍を、私は生涯忘れることはできない。(拍手)
 本日はまた、「学会の花」である女子部の全国幹部会が行われている。そこで、″青春時代の信仰″の意義について、少々話しておきたい。
 二度とこない青春。このかけがえのない日々をどう生きるのか。面白おかしく、気ままに過ごそうと思えば、いくらでも過ごすこともできよう。その時に、なぜ信仰するのか。
 それは、青春時代の信仰こそが、″一生涯の幸福″の土台となるからである。
 どんなに、若さに輝き、美貌を誇っていても、いつまでも変わらないというわけにはいかない。青春時代、どれほど幸福そうに見えても、年をとって不幸になった人は、あまりにも多い。
 反対に、若い時代に苦労に満ち、環境的に不幸なように見えても、人生の最終章で、″幸福の女王″と輝く人もいる。
 そして、時とともに幸の大花を開かせていってこそ、真の幸福者なのである。大樹となるには根を張らねばならない。人生も若本のうちに、深く根を張らねば、大きな実りの時は来ない。ゆえに、若き日に、自分をどう鍛えていくかである。幸福の確たる「道」を開くために、どこまで自分の建設に徹していくかである。
 大聖人も「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」――未来の結果を知ろうと望むならば、現在きざんでいる因を見なさい――と、経文を引かれて仰せである。
 未来は、「今」のなかに全部含まれている。
8  私は信仰して四十余年、じつにさまざまな人の姿を見てきた。その経験のうえから、人生は、また幸福は、長い日で見なければわからない。これが私の一つの結論である。
 現在、「聖教新聞」紙上で連載中の「信心20年の夫婦」に登場される方々を見ても、しみじみとその感を深くする。いずれの方々も、夫婦して法戦に駆けてこられた広布の勇者である。懐かしい方々も多い。
 記事を見るたび、私には、その方々の人柄や来し方までも鮮烈に胸に迫ってくる気がする。そして「わが誉れの同志に幸あれ」との思いで、ますますのご活躍とご長寿を願うのが常である。
9  信仰は幸福のための権利
 ともあれ、広布に戦った歴史こそが、人生を幸の花々で飾っていく。この事実を、幾多の先輩の方々が見事に証明されている。信仰に生きた人は強い。だれよりも尊く、美しい。
 信仰はだれのためでもない。全部、自分自身のためである。青春時代に弘法に走り、唱題に励み、教学に取り組んでいくことは、すべてわが生命を福徳の花園に変えていくための労作業なのである。
10  社会は矛盾に満ちている。人生もまた、どうしようもない宿業に翻弄されてしまう場合があまりにも多い。森羅万象は変化、変化の連続である。花は散り、喜びの時も早く過ぎ去る。何ひとつ、とどまるものはない。
 この万有流転の人生にあって、ゆるぎない幸福を、どうつかむのか。――結論していえば、南無妙法蓮華経という常住にして不変の大法を信じて、現実社会で生きぬいていくことこそ、最極の生き方なのである。
 妙法を根本とするならば、人生のいかなる困難も乗り越えていける。厳しき宿命も転換できる。悩みも涙も労苦も、すべて成長と勝利への″こやし″に、″糧″に転じることができる。その繰り返しのなかで、確固たる幸福の人生が着実に築かれていく。
 信仰は「義務」ではない。幸福になるための「権利」である。
 幸福は自分で勝ち取るものである。安閑とした人生のなかでつかむことはできない。押し寄せる風波と戦うなかで、獲得する以外にない。ゆえに強く、あくまでも強くなければ、幸福への道を進むことはできない。
 いわば波瀾万丈の人生で勝利した分だけ、偉大なる幸福は築かれていく。私も、この信念で進んできた。私は、権威とも名声とも無縁の一個の庶民である。ただ「戸田先生の弟子である」との自覚で、「法」のため、恩師に応えんがため、大切な同志のために、この人生の舞台を駆けてきた。
 一歩たりとも退かなかった。だからこそ、大きく境涯を開き、最高に幸福な人生譜をつづることができた。
 その意味で、女子部の皆さまは、これからの長い人生で、何があっても信心だけは貫きとおしていただきたい。それしか、永遠に崩れない幸福を築く道はない。どうか、全国に集った女子部の全員が幸福になっていただきたい。(拍手)
11  幸福は、決して遠くにあるものではない。また幸福は外見ではない。幸福は地位でもない。幸福とは、自分自身の「一念」にある。「一念」で決まっていく。その一念とは妙法の「信心」である。
 御本尊を信受した皆さまの「一念」には、幸福の枝を大空に広げゆく、妙法の種子がすでに植えられている。ゆえに今度は、この幸福の種子を、大樹に育てていく生き方が大事となっていく。
 ゆえに、たとえ地味に見えようとも、まっすぐに、悔いなく、自行化他の広布の道を歩みきっていくことである。
 また、女性は「心清ければ天女、心汚れれば魔女」ともいわれる。心ひとつで、人生の明暗も決まっていく。いわんや信心の世界は″心の世界″である。自身の境涯しだい、受けとめ方しだいで、ものごとはまったく別の顔を見せていく。
12  真実の幸福は、世間の評判とは無関係である。人の心は、妬みにとらわれ、卑しい場合もある。人をおとしいれようとする策謀もある。ゆえに、そうした醜い心根からの悪口や世間の風評などに、いささかでも動かされていくのは愚かである。自分が損をする。
13  風雪に耐えてこそ″千年の大樹″
 大聖人は、御自身を迫害する一国の権力者でさえも「わづかの小島のぬしら主等」――わずかな小さな島の主たちにすぎない――と、悠然と見おろしておられた。私どもは、限りなく広大な御境界であられる御本仏の仏子である。″王子・王女″である。
 信仰者は、何ものをも恐れず、堂々と胸を張って生きていくことだ。だれが何と言おうとも、その人は幸せである。むしろ、焼きもちを焼くよりも、焼かれるほうが、ずっとよいのではないだろうか(笑い)。妬みの人はみじめである。
 ともあれ皆さま方は、若き時代に、自分自身の努力で、自分自身を立派につくりあげ、信仰の″女王″に、幸福の「人間王者」に成長していただきたい。そして、人生の最終章を、すばらしき勝利の姿で飾っていただきたい。(拍手)
14  昨日(七日)、千歳平和会館(昨一九八九年年十月落成)を初めて訪問させていただいた。たいへんに立派な会館であり、私もこの新牙城の誕生を心からお祝い申し上げたい。(拍手)
 「千歳」――この名前は、この地で広布に活躍される皆さま方の″千年″にもおよぶ「幸」と「福運」を象徴するかのようにも、私には思える。(拍手)
 ところで、″千歳の樹木は、千年もつ″と言われている。
 たとえば、建物の柱に、ヒノキなどの樹齢千年の本を使うと、その柱は、ほぼ千年もつという。樹齢五百年の本であれば五百年。つまり、本は自分が生きてきた年数と同じ年数ほどもつとされている。年老いた本のほうが長くもつというのは、まことに不思議なことである。
 じつは、千歳の本とは、″一千年の勝負に勝ちぬいてきた木″を意味する。あらゆる風雪との″戦い″に耐えぬいてきた″強い木″なのである。
 そもそも、″戦い″は生命の掟であり、宿命でもある。自然界、そして宇宙全体が、いわば″勝負の世界″である。「人生」もまた、戦いである。
 ″強く″なければ勝利はない。勝利がなければ幸福もない。強さ――それは、幸福の第一の要件である。つまり、「幸福」とは「勝利」の別名なのである。
 さて、樹木にとって、人工樹林ではなく自然の森林の中で生き延びるのは、たいへんな生存競争である。
 まず、大きな森だと、実が落ち、地面に種がまかれても、なかなか芽が出せない。地面まで日光が届かないからである。だから、光があたるチャンスをひたすら待つ。
 近くの本が倒れるとか、森の一部が開かれるとか――そういったチヤンスが訪れたとき、種はいっせいに芽を出すのである。芽には新しいものも、また百年待ったものもあろう。その競争に勝ち残り、伸び始めたあとも、また戦いである。
 他の本より早く大きくならないと、日陰になってしまい、十分に伸びることができない。人間でいえば、青年時代にぐっと前進しておかないと、成長が止まってしまい、人生の大舞台に飛翔できなくなるようなものだ。
 また、大きくなればなったで、隣の本にぶつかる。さらに、光だけではなく、水分を取ることも競争である。少しでも多く吸い上げるため、根を深く広く張りめぐらす。生き延びるために、勝っていく以外にない。
 このほか、風雨や豪雪、雷等々、あらゆる脅威と戦っていかねばならない。これら一切の″敵″に勝ちぬいたチャンピオン――これが樹齢五百年、千年の大木なのである。ゆえに、強く、いつまでも朽ちない。
 仏道修行においても、一切の″敵″――三障四魔に打ち勝ち、強固な仏の境界を、わが胸中に築いていけば、その幸福境涯は三世永遠にわたって朽ちることがない。無量の福運によって、生々世々、人生を自在に開いていくことができるのである。(拍手)
15  「仏法は勝負」である。宇宙の最高の法則である「妙法」の世界は、ある意味でもっとも峻厳な″勝負の世界″である。勝つか負けるか、どちらかしかない。成長するか、退転となるか。幸福になるか、不幸の闇に閉ぎされてしまうか、そのどちらかである。
 この大事な一点を忘れてしまえば、自分への厳しさをなくしてしまう。そこから保身が生まれる。名聞名利の心が生まれる。それは信仰者として、人間としての堕落の姿なのである。
 だからこそ、私は信心のうえから、幹部の皆さまに言うべきことは厳しく指摘している。停滞と堕落におちいって、幸福の軌道から外れてしまうようなことがあっては、その本人がかわいそうだからである。また、その幹部とともに進んでいる学会員をも、幸福の城から遠ざけてしまうことになるからである。
 「勝つ」ためには、迅速が第一である。多くの場合「勝負」というものは、逡巡していると取り返しがつかなくなるものだ。
 そのうえで、最終の偉大な建設には、時間がかかる。また、かかってよいのである。「ピラミッドは頂上から作るわけにはいかない」ということである。
 千年生きてきた木が千年もつように、苦労を重ねた分だけ、幸福は末永く続いていく。仏道修行に励んだ分だけ、福徳を積むことができるのである。策や要領では決してない。そういう薄っぺらな人生だけは、絶対に歩んではならない。
16  人間として戦う「強さ」を
 ある映画で有名になったセリフに「強くなければ(タフでなければ)生きていけない。優しくなければ生きている資格もない」とある。
 本当は、「強さ」の裏づけがあってこそ「優しさ」が出る。ただ強いだけでは、傲慢であり、粗野である。しかし逆に、強さのない優しさは、なれ合いであり、甘えであり、臆病にすぎない。
 「強さ」と「優しさ」――これは表裏一体である。両方をかねそなえてこそ、真に偉大な人間性といえる。また、こうした人間の心の豊かさ、多様な可能性を説いたのが、仏法である。
 まして、強さもない。優しさもない。これでは酸っぱいのか、甘いのか、辛いのか、まるで味のわからない食べ物のようなものである(笑い)。こういう人間では、人は頼りがいがない。(爆笑)
 ともあれ、強いからこそ、他を守ることもできる。ミスや欠点をカバーすることもできるのである。弱ければ守れない。ゆえに広布のリーダーの方々は、一人一人が″強く″″賢明に″なっていただきたい。臆病であってはならない。
17  ところで、きょうは朝早くから、近くのグラウンドで、若者たちがスポーツの練習に汗を流していた。大きい声で懸命にトレーニングに打ち込む躍動する姿があった。私は、「鍛えとはすばらしい」「青春はすばらしい」――と、ほほえましく、また頼もしく感じ、しばし見つめていた。
 ――ある著名なスポーツ選手は言う。
 「チームワーク(団結)といっても、強い人間の集まりであってこそ可能なのです」と。
 結局、弱い人間にはチームワークを作れないというのである。
 私も同感である。少なくとも団結の″核″には、他を守っていける″強く優しき男たち″が必要なのである。
 ドイツの世界的な思想家カール・マルクス。彼は、″男性の「徳」のもっとも重要なものは何か″という質問に答えて、「強さ」を挙げている。
 ちなみにマルクスは、「あなたの幸福観は?」との質問には、「戦うことである」と。また「あなたの不幸観は?」との問いには、「屈従である」と答えている。
 権力への「隷属」こそ、不幸である。自分は自分らしく、正義を掲げて戦っていく――じつに男らしく、歯切れがよい。真剣勝負で″法敵″と戦ってきた私には、彼の信条、生き方がよく理解できる。
18  宰相ディズレーリの勇気、忍耐
 大切なことは「最後に勝つ」ことである。今はどうであれ、その人が真の幸福者である。それまでは歯を食いしばっての、努力また努力である。
 世界一の繁栄を誇った十九世紀のイギリス。その首相として活躍した一人にデイズレーリ(一八〇四年〜八一年)がいる。世紀の名宰相とうたわれた彼も、政治家としての第一歩はさんざんであった。議会での記念すべき処女演説の時である。
 彼は一年生議員として、精魂をかたむけて準備した。「さあ、いよいよ、俺の出番だ!」との高揚した気持ちでもあったろう。
 晴れの舞台である。普通は、儀礼のうえからも、ともかく静聴するのが慣習であった。ところが――。デイズレーリの演説に対しては、一言ごとに哄笑がわき、ヤジとざわめきで、ひどい騒々しさとなった。彼の話す声も聞こえない。大混乱の議会となった。それは、一つには、彼が当時の重要にして微妙な問題(アイルランド問題)に言及したためである。
 一般的にも、″核心″にふれる言論は反発も大きい。真実を、″本当のこと″を叫ぶ声は、多くの敵を呼び起こす。
 次元はもとより異なるが、日蓮大聖人も、″立教開宗″の第一声を放たれた時、たちまち迫害の波が押し寄せ、故郷から追放になられたことは、ご承知のとおりである。
19  デイズレーリが目のかたきにされた、もう一つの理由は、彼に立派な学歴や学閥がなかったこととされる。
 彼はオックスフォード大学も出ていなかった。ケンブリッジ大学の出身者でもなかった。当時の議員の多くが両校の卒業生であったにもかかわらず。それどころか彼は、パブリック・スクール(年少者のための私立学校)の名門、イートン校もハロー校も出ていない。いわゆる″独学の人″であった。
 学歴と実力は無関係である。にもかかわらず、あまりにも多くの場合、世間は学歴で人を判断する。有名校を出ていないというだけで、真の実力者をも締め出そうとする。また″名門の同窓生同士″というプライドによって、自分たち以外の人を見くだし、排他的になる傾向も強い。
 あえて公言はしなくとも、心の中で、また裏で、そうした傲りと偏見にとらわれ、動かされていく、もろさ、醜さが人間社会にはある。それは今日も、まったく同じであろう。ますます陰湿になっているかもしれない。
 本来は、そうした権威の後ろだてもなく、自力で伸びてきたデイズレーリのような人物のほうが、どれだけ一個の人間として優れていることか。見る人が見れば、また、だれでも少し冷静に考えれば、その道理は明白であろう。しかし、この時の議会は違った。
20  ざわめきと嘲笑にかき消され、デイズレーリの演説はまったく聞こえない。しかし彼は、だれも聞いていなくとも、ともかく語り続け、語り終えた。そして議会史に残る、次の一言を言い放った。
 「私はいろんなことに何度も手をつけました。そしてしばしば最後には成功したのであります。(中略)私はこれで着席しますが、みなさんが私の言葉に耳を傾けるときがいつかくるでしょう!」(A・モロワ『ディズレーリの生涯』安東次男訳、『世界教養全集27』所収、平凡社)
 傲れる選良(エリート)たちに向かって、彼は昂然と胸を張り、このように一矢を報いた。男らしい、痛快な姿である。何ものにも屈従せぬ「強さ」がある。「人間」が躍動する、名画のごときドラマがある。
 この最後の一句、「われに耳傾ける日、必ず来るべし」は、やがて現実となる。彼は名宰相として君臨し、人々は彼の言を聞かざるをえなくなったからである。
 また首相だからということではなく、名演説として、だれもが聞きほれるだけの修練を彼は重ねていた。言葉を練り、議会記録に通じ、あらゆる問題を掌握し、声を鍛え――名人の域に達した。すべて、初演説の悔しさが、奮起をもたらしたのである。
 ″バカにするならしろ! 君たちが笑っている間に、俺だけは″本物″になってみせる。「どこからでも来い」という勉強をしぬいて、うむをいわせぬ力をたくわえてみせる!″――このような心境でもあったろうか。
 強き人間は、障害があればあるほど、いよいよ強くなる。たたけばたたくほど、ますます彼を勢いづかせるだけであることを、敵も知るべきであった。
 こうしてデイズレーリは勝った。最初の敗北を、最後の勝利への起爆剤にした。彼をあざわらった人々は、そのことで歴史に汚名を残すことになった。
 真の″勝者″に悪口を言えば言うほど、策謀をこらせばこらすほど、「こんなに卑劣なことをしていたのか!」と後世の人にあきれられ、笑われるだけである。その意味で、正義の人への誹謗を書きつらねている人間は、その実、せっせと自分の悪行を書き残していることになろう。
21  デイズレーリいわく、「絶望とは愚者の結論なり」と。
 ″もはや希望はない″″もう勝つことはできない″、こう結論する人間は、愚か者だというのである。その言葉どおり、彼はあらゆる不利な条件、境遇を、渾身の力で、自分の味方につくりかえた。
 私はナポレオンの言葉を思い出す。
 「境遇が問題というのか! 我、境遇をつくらん!」
 境遇がどうとかグチを言ったり、自分の不幸を環境のせいにしたり、そんな弱々しいことでは勝利はつかめない。自分の力で境遇をつくり、変えていけばよいではないか――これが彼の人生哲学であった。
 いわんや私どもは、大仏法を持っている。一切を幸福と勝利へと転じゆく根本の力を知っている。あとは「勇気」である。あとは「執念」である。努力また努力で、わが人生という大理石の塊を彫り、自分らしい、堂々たる「勝利の像」をきざんでいっていただきたい。(拍手)
22  最後の勝利まで屈せず前ヘ
 デイズレーリと同時代のイギリスの政治家は言っている。
 「長生きすればするほど、私は確信するようになった。強者と弱者、大人物と小人物とを分けるものは、才能でも環境でもチャンスでもない。それは『根性』であり、『底力』だ。つまり決めたあとは、何があっても不退転で進む、『勝利にあらずんば死』という断固たる一念だ」(トマス・パクストン卿)
 「絶対に勝つ」という決心――これがあるかないか。この決意こそが、個人のみならず、一団体、一国の運命をも左右していく。
 ロシアの文豪トルストイの『戦争と平和』は、私の青春の愛読書である。また以前、少々、お話ししたこともある。(=昭和六十二年七月二十一日、学生部夏季講習会。本全集第68巻収録)
 この小説で彼は、ロシアのナポレオン撃退の苦闘を描いた。その焦点となる戦いは、モスクワ近郊(百二十四キロ西)のボロジノ村での戦闘であった。この戦いの模様は、モスクフの「ボロジノ・パノラマ博物館」でも見事に再現されており、私も見学した。(=昭和六十二年五月二十七日)
 本日は詳細は省かせていただくが、この戦いの意義を、文豪はこう書いた。
 「戦力の大半を失いながら、戦闘の終わりに近づいてもなお開戦当初同様に厳然と立っている敵に対して、一様に恐怖感をおぼえていたのである。フランス攻撃軍の精神力は、つきはててしまったのだ」「敵をしてわが精神力の優位と、自己の無力を確信せしめる、あの精神的勝利を、わがロシヤ軍はボロジノにおいて獲得したのである」(『戦争と平和』中村白葉訳、河出書房新社)
 撃っても撃っても、ロシア軍は厳然として立っている。いったいどうしたのか、どうすればよいのか。これでは、いくら攻撃しても無駄ではないか――フランス軍の間に″無力感″が広がってるいった。こんな敵には、これまで出会ったことがなかった……。
 軍事上の勝敗は、どちらとも決められなかった。しかし、じつはロシア軍が勝ったのだと、トルストイは言う。「精神的勝利」「精神力の優位」を得たのだ、と。
 たしかに、後になってみれば、この戦いが分岐点であった。ロシアを亡国から救った。
 ロシアの総司令官クトゥーゾフ将軍の言ったとおりになった。「2人の兵隊、忍耐と時より強いものはほかにはない」(同前)と。
 そしてロシア人は、この忍耐力にかけては、どの国の民族よりも偉大であった。
 まず「精神力」において勝てるか否か、相手をのめるか否か。実力伯仲の戦いにおいては、「絶対に勝つ」という一念が大であるほうが勝利していくものである。
 結論して言えば「信心の一念」には無限の力がある。
23  「忍耐」には、勇気が必要である。「時」を信じ、「時」をつくりゆくにも、大いなる勇気がいる。どんな攻撃にも、びくともしなかったロシア軍の勇気は、私どもにも多くの教訓をあたえてくれている。
 ともあれ皆さまは、たとえ今はいかなる境遇にあろうとも、「最後には断じて勝つ」勇者であっていただきたい。とくに、若い方々に、このことを強く訴えておきたい。(拍手)
 私も、戦ってきた。経文に説かれたとおりの三障四魔、三類の強敵と、真正面から戦い、勝ちきってきた。
 権力や権威の鎧もなく、赤裸々な一個の人間、一人の信仰者として、戦闘しぬいてきた。戸田先生の真の弟子として、一人、矢面に立って、ここまで「世界広宣流布」を成し遂げてきた。
 私は勝った。あとは若き皆さまの番である。どう生きるのか。どう戦うのか。全部、自分が決めることである。
24  勝つために、真剣な修行と精進を
 さて、何事も「勝つ」ことは、並大抵ではない。敵も必死である。多くの場合、紙一重で勝敗は決まる。
 たとえば、一九七六年のオリンピック男子百メートル競走。決勝に残ったのは八人であった。金メダルの選手と、八番すなわちビリの選手との差は、わずか三分の一秒もなかった。それでも勝ち負けは絶対の事実である。他のスポーツでも、こうした例は無数にあろう。
 また芸の世界で、こんなことがよく言われる。
 ――他人の芸を見て、「自分より下)だな」と思ったら、だいたい同じくらい。「自分と同じくらいだな」と思ったら自分より上。「自分より、うまいな」と思ったら、格段の差がある、と。
 なるほど、人間だれしも、うぬばれがある。どうしても自分に甘くなりがちである。物事を簡単に考えてしまう。とくに組織においては、できあがった組織の力を自分の力と錯覚して、実力もないのに、自分が偉くなったかのように傲ってしまう。ここに大きな落とし穴がある。
 先輩が、どれほどの苦心と努力の汗また汗を流しきって「勝って」きたか。そのことをみずからの苦労で身にしみて知らねばならない。
 遠くの星は、地上からは同じような距離に見える。しかし実際には、まったく異なる。何万光年(一光年は光が一年かかって進む距離)、何十万光年離れている場合もある。それに似て、何の世界でも、一流の人物や、名人、巨匠と呼ばれる人については、低い次元からは、その″遠さ″がわからない。
 次元は異なるが、法華経には「雖近而不見(近しと雖も而も見えざらしむ)」(開結五〇六㌻)――仏がそばにいても、凡夫には見えないようにしている――と説く。
 一般的にも、人物が大きければ大きいほど、すぐそばにいても、その偉大さが、なかなか理解できない、とよく言われる。そのことを知っていれば、慢心するどころではない。本当に謙虚になって、向上の道を歩んでいくはずである。
 ゆえに「勝つ」ためには、普通の努力では足りない。一つの道を極めるには、ある意味で、他からは「その道の鬼」と言われるほどの没頭が必要な場合もある。
 真の「幸福者」となる道も同じである。真剣な修行が、精進が、絶対に必要となる。
 どうか皆さん方は、人生に勝っていただきたい。自分に勝っていただきたい。そしてだれよりも「幸福」になっていただきたい。それ以外に私の願いはない(拍手)。その最高にすばらしい人生のための、現在の″青春時代の修行″と確信していただきたい。
 皆さまが、一日一日を希望に燃えて、一日一日を立派に勝利していかれんことを念願し、本日の記念のスピーチとしたい。
 (北海道池田講堂)

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