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日蓮大聖人・池田大作

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第三十回本部幹部会・茨城県記念総会 信仰は「遊楽の人生」のために

1990.6.20 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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1  「対話の道」「広布の道」を世界ヘ
 茨城に昨日(十九日)、八年ぶりに訪問させていただき、そのすばらしい発展に驚いた。今、全国でいちばん活気があり、成長率が高いのは、ここ茨城ではないかと思う(拍手)。何を見ても、皆の喜びが光っている。信心の息吹に満ちている。純粋な真心がある。(拍手)
 私が折伏したご夫妻(昭型一十五年入会)が、東京から茨城の鹿島に移ってこられた。最初は寂しい思いもあったそうだが、実際に来てみたら、東京よりよほど本部と呼吸を合わせ、信心の歓喜にあふれている。こんなすばらしい信心の世界だったとは、と感動したとうかがった。
 本日も来ておられるかと思う。お二人は、茨城の偉大な前進の証言者でいらっしゃる。(拍手)
2  さて、あれは三十三年前のことになる。昭和三十二年(一九五七年)十一月、見事な秋晴れの日であったと記憶する。戸田先生とご一緒に、総本山へ向かう列車に乗っていた。たまたま、ある著名人と乗り合わせた。道路建設の権威といわれていた人で、その折も、青森から大阪までの道を計画しているとのことであった。
 彼はもう六十代後半であったが、たいへん若々しかった。使命感をもって何かに打ち込んでいる人は若い。高齢でも生き生きしている。アメリカのハマー博士もそうである。松下幸之助氏らも同様であった。
 当時、私は二十九歳。戸田先生は、私に「紹介せよ」と。「わかりました」と言って、私はあいさつに行き、先生に取り次いだ。
 これは、ほんの一例であるが、戸田先生が働きやすいように、陰の準備は全部、自分がやる。それが私の信念であり、戦いであった。弟子の道と定めていた。
 戸田先生と″道路博士″との″列車対談″が始まった。
 その時、先生は言われた。
 「あなたは、いまだかつてない日本一の道路を造ると言われる。それもよいでしょう。しかし、日本だけが世界ではありませんよ。もう一歩、大きく考えて、朝鮮半島から中国、インドまで行く道路を考えてみたらどうですか」と。
 すると、さすがに一流の人物である。話が通じる。
 「自分は日本一の道路を造ることを非常に誇りに思っていたが、そこまでは考えていなかった。あなたのほうが偉い」と語っておられた。
 その後、お二人の間で哲学の大事さなど、さまざまな語らいが進んだ。そして″道路博士″いわく。「あなたは全世界に通じる、絶対に崩れない道路をつくっていらっしゃるんですね」と。
 世界の人々を幸福へと導く永遠不滅の道路、精神の道路をつくっておられた戸田先生の大きさを、彼も感じたのであろう。感じたとおりに、ほめたたえるというのも、人物の一つの大きさを示すものである。
3  戸田先生は、だれとでも率直に、生き生きと対話された。庶民から大臣等まで、多くの語らいの歴史をつくられた。
 人間だけが社会、世界に限りなく「対話」を広げられる。「対話」は、金銭や立場によることなく、大きな価値を生む力がある。
 私も、数えきれない人々と対話してきた。いわゆる著名人だけでも、約二千人にのぼる。これは私の歴史であるし、広布の歴史でもある。
 また、ただ今も、茨城文化会館の間のところまで歩き、会館を訪ねてこられた友と語らい、励ましを送ってきた。たとえ短い時間でも、一言だけだとしても、できるかぎり何らかの″言葉の贈り物″を私はしたい。それが友への″心の贈り物″だからである。
 皆さま方も、それぞれ、ご自身のまわりに、心豊かな、またさわやかな「対話の道」を広げていっていただきたい。(拍手)
4  後継の翼よ使命の大空に舞え
 さて今年は、「未来会」の結成二十周年(六月二十七日)。それを記念して、第九回総会の意義を込めた集いが、きょう、各地で行われている。
 そのこともふまえて、少年時代から一生涯、強盛な信心を貫いた南条時光のことにふれておきたい。
 去る五月一日には、総本山大石寺において、開創七百年を記念し「大行尊霊法要」が行われた。この日は、時光の祥月命日であり、「大行」とは時光が入道してからの名前である。ちなみに入道とは、出家とは異なり、在家の身のままで仏道に専心する人のことである。在家の婦人を尼と呼ぶ場合も同様である。
 時光が「大行」と名乗り始めたのは、大聖人の第三十三回忌を終えて、少したってからと推測されている。師匠の第三十三回忌を自身の新たな出発としたのである。そして時光は長寿で、大聖人の第五十御遠忌にも、日興上人のもとで参列している。
5  大聖人は、時光のお母さんへのお手紙の中で、こう仰せである。たいへん有名な御文であるが、もう一度、拝しておきたい。
 「法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりも・なをむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし
 ――法華経の法門を聞くにつけて、ますます信心に励んでいく人を、まことの道心者(求道の人)というのです。天台大師は「従藍而青」(青は藍より出でて、しかも藍よりも青し)云云と言われています。この釈の意味は、藍は葉の時よりも、染めれば染めるほど、いよいよ青くなる、ということです。法華経は藍のようであり、修行を深めていくことは、藍を染めるにしたがって、いよいよ青くなるようなものです――。
 この御文を拝しつつ、全国の未来会、また未来部の大成長を、私は心より祈りたい。先輩を超える立派な人材が数限りなく輩出してほしい。(拍手)
 時光の母といえば、夫に先立たれ、多くの子どもを育てながら、けなげなる求道の信心を貫きとおした。
 最愛のわが子(時光の弟、七郎五郎)が十六歳の若さで急死するという悲しい出来事もあった。迫害もあった。幾多の苦しみとの″戦いの人生″であった。そして、すべてに打ち勝った″勝利の人生″であった。この母の信心が、一家の境涯も、福運も、大きくまた大きく開いていった。「一人」の信心で一切は変えられる。
 また、子どもの成長は、ほとんどすべて母親の信心に左右される場合が多い。時光の水の流れるような立派な信心も、母の求道の姿が大きな源になっているにちがいない。(拍手)
6  青年・時光は、あの熱原法難の折には、みずから矢面に立って勇気ある法戦を展開する。そうした渦中にあっても、時光は亡き親への追善を忘れることはなかった。
 その時光に、大聖人は次のように仰せである。
 「貴辺は日本国・第一の孝養の人なり・梵天・帝釈をり下りて左右の羽となり・四方の地神は足をいただいて父母とあをぎ給うらん
 ――あなたは日本第一の孝養の人である。梵天・帝釈は天から降りくだって左右の羽となり、四方の地神(大地の神)は、あなたの足をいただいて父母と仰ぐであろう――と。
 妙法による追善こそ最高の孝養であり、その孝養の人を、諸天は必ず守護するにちがいない、との御本仏の御断言である。
 この御文は「孝養」の人の功徳について述べられたものであるが、信心によって得られる境涯そのものについて、仏法の生命観のうえから深い意義を拝することもできる。
 広布の大空に舞いゆく勇者に対しては、梵天・帝釈をはじめ諸天善神が″羽″となり、また父母と仰いで守護する。信仰を貫くならば、そうした雄大な境涯の自分を開くことができるのである。
 どうか未来部、未来会の諸君は、広宣流布という″使命の大空″を舞いゆく偉大な境涯の人に育っていただきたい。全員が″生命の王者″の大道を力強く歩んでいかれんことを、私は心から期待してやまない。(拍手)
7  アヤメの花便りに茨城同志の勝利の歴史
 さて本年四月、新しく完成した、すばらしき″幸の花咲く勝利の城″――この茨城文化会館には、すみずみに皆さまの真心が光っている。(拍手)
 なかでも、文化会館を飾る、美しき「アヤメの道」。皆さまの″勝利″の姿を象徴するかのようなこの道を、私も昨日、着くとすぐに通らせていただいた(拍手)。そして、その奥には「水郷の里」に来たかと錯覚するかのような「アヤメ庭園」――数多くのアヤメが爛漫と咲き香る姿。まるで一幅の絵のような風景に、日も心も洗われるような思いがした。
 ″水郷・潮来のアヤメ″といえば、まことに有名である。私もいつか、アヤメの咲くころに訪れたい、と心ひそかに思っていた。今回、その夢を実現させていただいたようで、本当にうれしい。(拍手)
 初夏を彩るアヤメ。スキッとまっすぐに伸びた茎の頂には、紫と自の花弁が色鮮やかである。優雅で気品があり、ちょうど婦人部、女子部の皆さまのようである(拍手)。とともに、剣のような葉には、凛とした力強さがある。気高い勇者の誇りがただよう。″何ものにもおかされない″――そんな芯の強い美しさを感じさせる花である。
8  この文化会館に香るアヤメは、鹿島圏と稲敷圏の方々が真心を込めて用意してくださったとうかがった。
 今年はアヤメの開花が例年より早い。本日の晴れの集いを彩るようにするため、皆さまがどれほどご苦労をされたことか。一本一本に呼びかけるような思いで、丹精込めて面倒をみてこられたことを、私はよく存じ上げている。重ねてお礼申し上げたい。(拍手)
 ところで、アヤメの花言葉は「よき便り」――茨城の同志の皆さまは、うるわしき花言葉さながらに、この二十年間、アヤメの花便りで毎年、その健闘を伝え続けてくださっている。
 思えば、「県の日」の淵源となった昭和四十八年六月十七日。あの忘れ得ぬ「スポーツ祭」の折、茨城女子部の乙女たちが、美しいアヤメの花を届けてくださったことを、私は今もって忘れない。
 ともあれ、その前後から毎年、この時期になると必ず、アヤメの花が学会本部に届けられるようになった。私はいつも心で合掌するような思いで、真心の花を見つめてきた。
 アヤメの″花便り″は、いわゆる悪侶らによる嵐の中でも、途切れることはなかった。
 当時、いつに変わらぬ清き花便りに、「茨城の友は健在だな」「茨城は必ずや、勝利の花を咲かせるにちがいない」と強く感じたことを思い起こす。
9  とくに、鹿島圏と稲敷圏は、ともに悪侶らの策謀にもっとも苦しんだ地である。
 葬儀や法事、御講の席での、聞くに堪えない悪口雑言。さらには、こともあろうに、学会が建立寄進した寺院の、入仏式の″謝辞″で、学会を誹謗する。まさに僧侶を名乗る以前に、人間としての道をも踏みはずした所業であった。
 そうした悪侶に攪乱されて、鹿島の波崎を中心に、四百五十一世帯が脱会。地区(当時は大ブロック)幹部以上のほとんどが姿を消し、組織は一時、壊滅状態となった。しかし、十年後の今日はどうか。その波崎はさきは、新しい本部が発足するまでに、大発展を遂げている(拍手)。世帯数も、今や七百七十七を数えるにいたった。
 悪侶や、それに踊らされた脱会者の姿とは対照的な、見事なる「変毒為薬」の証。苦闘の嵐を突きぬけた勝者の姿である。――鹿島圏も稲敷圏も、苦しみを乗り越えただけ、組織の足腰はより強くなった。人材も陸続と輩出している。また、広布の歩みとともに、近年、地域社会も目覚ましい発展を遂げているとのこと。堂々と信仰の正道を進みゆく友の雄姿を、私は心からたたえたい。
 あの、気高くも凛としたアヤメの″花便り″。そしてこの文化会館を飾る花々は、そのまま皆さま方の凱歌の歴史を物語っている。(拍手)
10  門下を守り励まされた大慈大悲
 大聖人は、次のようにも仰せである。
 「各各は日蓮ほども仏法をば知らせ給わざる上俗なり、所領あり・妻子あり・所従あり・いかにも叶いがたかるべし
 ――あなた方は、日蓮ほども仏法をご存じないうえ、在家の身です。領地があり、妻子があり、家来もあることですから、どうしても迫害のなか、信心を貫きとおすことはむずかしいでしょう――。
 「いつわりをろかにて・をはせかしと申し候いき・こそ候へけれ、なに事につけてか・てまいらせ候べき・ゆめゆめをろか候べからず
 ――ですから、表向きは信心をしていないようにいつわり、おろかなふりをしておられたほうがよいと、申し上げたとおりにしていきなさい。どのような事態になったとしても、私(日蓮大聖人)があなた方を見捨てるようなことがあるでしょうか。決して決して、あなた方を、おろそかにすることはありません――と。
 ここで大聖人は、門下、とくに在家の人々に対して、必ず成仏させるとの広大な御慈愛をもって包容してくださっている。
 この御文の前で、大聖人は″もとより、私一人はどうなってもよい。私がどのようになったとしても、心に退転することなくして仏になるならば、あなた方をお導きしよう、と約束申し上げた″と明言されている。
 もとより日蓮大聖人は、御本仏でいらっしゃる。その御本仏が、たとえ御自身がどのようになられても、必ず、在家の人々を守ってくださり、成仏させてくださると励まされているわけである。
 大聖人が、現実社会の荒波の中で生きぬかなければならない在家の門下のことを、どれほどこまやかに、どれほどあたたかく包容してくださっていることか。
 御自身は迫害の一切の矢面に立たれ、門下が社会で勝利していけるように、どこまでもかばい、励まし、守りぬいてくださっている。まことに、ありがたい大慈大悲の御本仏のお心であられる。
 このことを拝するとき、一生懸命に信心に励む在家を励ますどころか、責め、いじめ、侮辱しぬいた悪侶たちが、いかに大聖人のお心に違背した存在であったことか――。大聖人の門下として、絶対に許してはならないことである。
 大聖人の御遺命のままに生きる私どもは、この大聖人の御精神を深く拝しつつ、ともどもに助け合い、ともどもに励ましあって、広布の使命の道を、朗らかに進んでいきたい。
11  「強き心」「強き信心」の勇者に
 また、大聖人は「浄蔵浄眼御消息」の中で、次のようなたとえを引かれている。これは、若きわが子を亡くした、ある夫婦を励まされるお手紙の一節である。
 「楽徳と名付けける長者に身を入れて我が身も妻も子も夜も昼も責め遣はれける者が、余りに責められ堪えがたさに隠れて他国に行きて其の国の大王に官仕へける程に・きりもの権家に成りて関白と成りぬ
 ――昔、楽徳という名前の長者に仕える者がいた。自分はもちろんのこと、妻も子も、昼夜にわたってこの楽徳に責められ、こき使われていた。この男はあまりに責められ、その苦しさに堪えられなくなって、ひそかに他国へ行った。そして、その国の大王に仕えているうちに有力者となり、ついには関白になった――。
 「後に其の国を力として我が本の主の国を打ち取りぬ、其の時本の主・此の関白を見て大に怖れ前に悪く当りぬるを悔ひかへして官仕へ様様の財を引きける、前に負けぬる物の事は思ひもよらず今は只命のいきん事をはげむ
 ――その後、その国の力によって自分のもとの主君(楽徳)の国を打ち破った。その時、もとの主君は、この関白を見て大いにおそれ、前にひどくあたって責めたてたことを後悔した。そして今度は、もとの主君のほうがその関白に仕え、さまざまな財宝を奉った。それは、負けた時のことなどをうらみに思うどころか、今はただ、命が無事であることを願うばかりというありさまであった――と。
12  横暴な主君と、責められ使われていた臣下との境遇の逆転――その姿に、一つの因果の理法が映しだされている。
 まして学会を非難し、尊い仏子たちをいじめた徒輩が、初めはいかにいいように見えようとも、ついには、どれほどみじめな境遇となるか――。このことは、事実の姿が証明している。
 大聖人は「仏法は勝負」と教えてくださっている。人生もまた″勝負″である。意気地なしでは、バカにされるだけである。
 絶対に強くならねばならない。悪世末法といわれる現代の社会にあって、力がなく、弱ければ負けてしまう。こちらが勇気を出し、力をつけていけば、おごった敵も必ず打ち破っていけるのである。
 なかんずく学会のリーダーには、会員を守るべき責任がある。仏子を守りぬくために、勇気を奮い起こして戦わねばならない。いざという時にしりごみし、何もしない臆病な心で、かえって仏罰を受けてしまうようなリーダーであっては、絶対にならない。
13  そして、大聖人はこの楽徳のたとえをとおして、次のように仰せである。
 「我等衆生は第六天の魔王の相伝の者・地獄・餓鬼・畜生等に押し籠められて気もつかず朝夕獄卒を付けて責むる程に、兎角して法華経に懸り付きぬれば釈迦仏等の十方の仏の御子とせさせ給へば、梵王・帝釈だにも恐れて寄り付かず何にいわんや第六天の魔王をや
 ――われら衆生は第六天の魔王の流れをくむ者である。魔王のために地獄・餓鬼・畜生等の悪道の境涯に押しこめられて息をつぐ間もなく、日夜、獄卒に責めたてられている。だが、何とかして法華経(御本尊)のもとにたどりつけば、釈迦仏など十方の仏が、その人をわが子となさるのであるから、梵王や帝釈でさえも恐れて寄りつかない。まして第六天の魔王は、まったく恐れをなして、御本尊受持の人に手出しはできないのである――。
 「魔王は前には主なりしかども今は敬ひ畏れて、あしうせば法華経・十方の諸仏の御見参にあしうや入らんずらんと恐れ畏て供養をなすなり、何にしても六道の一切衆生をば法華経へ・つけじと・はげむなり
 ――魔王は、衆生が法華経(御本尊)を信受する以前は主(暴君)であったが、御本尊を持った今は、われら衆生を敬い畏れる。もしわれら(仏子)に悪くあたるならば、法華経・十方の諸仏の御見参の折に、自分の立場が悪くなるであろうと思って、仏子を恐れかしこみて供養するのである。また、だからこそ魔王はどんなことをしても六道の一切衆生を法華経(御本尊)につかせまいとして、懸命に邪魔をするのである――と。
 第六天の魔王とは、人の心を操り、自分の思いどおりに支配しようとする魔性の働きである。一切の衆生は、この魔王の働きに左右されて、絶え間ない苦悩の境涯をさまようことになる。
 その悪しき流転をとどめる道は何か。それは、末法の真実の法華経、すなわち御本尊への強き信心しかない。
 御本尊を持ち、広布に邁進する皆さまは、すべてが尊い仏子である。仏の子を、三世十方の仏菩薩、諸天善神が守らないはずがない。その諸仏の威光を恐れて、魔王すら仏子を敬い供養するのである。
 先の楽徳のたとえのように、第六天の魔王に支配される衆生から、魔王にも守られる仏子への境涯の転換――ここに正しき信仰の証があり、醍醐味がある。
 ゆえに、妙法の大道を歩む私どもには、何も恐れるものはない。御本尊の無量無辺の功徳につつまれた皆さまほど、強くすばらしい存在はない。どうか、そのことに深き確信をもって、堂々と勝利の人生を生きぬいていただきたい。
14  この人生を悠々と楽しく
 ところで、私たちは、何のために生まれてきたのか。この人生の大問題について、戸田先生は次のように明快に述べられている。(『戸田城聖全集』第三巻)
 「大宇宙は南無妙法蓮華経であり、また、あなた方も、南無妙法蓮華経の当体でありながら、みなそれぞれ差別のところに生きているのであり、仏です。
 覚えていただきたいことは、なぜ人間に生まれてきたか。簡単なようで、しっくりとしない問題でありますが、あなた方はこの世に遊びにきたのです」と――。
 ″われわれは、この世に遊びにきた″――。もとより、「遊び」といっても、たんなる娯楽などとは根本的に異なる。人生を自在に楽しみ、幸福を満喫しきっていける″境涯″を示されているのである。
 さらに、戸田先生は「遊ばないで、病気をしたり、夫婦げんかをしたり、忙しい、忙しいと目の色を変えていることは、見当が狂っているといえるのであります。
 会社へ行くのも楽しみであり、女房にしかられること、亭主にしかられることも、楽しくならなければならないのであります。遊ぶことの第一は、あまいしるこに、砂糖と塩がなければなりません。塩の程度の苦労がなければ、真のしあわせも感じられないのです。あなた方は、塩のほうが過ぎるのです。
 折伏せよということは、また信心をしっかりすることは、学会、国家のためのように聞こえるが、再往は、あなた方自身のためなのであります」と述べられている。
 「遊楽」――人生、生活の一切が楽しく、つねに「喜び」と「希望」を見いだして、悠々と生きぬいていく。ここに、私どもの信仰の目的がある。また人生の究極の目的、理想がある。
 会合や日々の広布の活動はもちろん、仕事も楽しい、家族や友人との語らいも楽しい。そうなるためにも、たとえば、職場で上司に叱られることがあっても、その指摘を誠実に受けとめればよいのである。へんにしょげかえってしまう必要はない。「ああ、自分を励ましてくれて、ありがたいな」とか、「うちの課長も本当に元気だな」(笑い)と、いい意味でたくましくとらえて、奮起していけばよいのである。
 要するに、″グチ″や″不平″に流されず、つねに現状を″いいほうへ、いいほうへ″、″希望へ、喜びへ″と、とらえていける「強い心」をもつことである。ここに、人生の勝利をもたらす「知恵」がある。また、それを実現していけるのが信心である。
 皆さま方は、あらゆる労苦をも悠々と見おろしながら、堂々たる「遊楽の人生」を歩んでいただきたい。(拍手)
15  最後に、学会創立六十周年を記念し、一つ、提案をしておきたい。それは、全国各地の会館の「管理者」の皆さま、また「守る会」の方々のために、会館、研修道場などの、よき地を選んで記念植樹をしてはどうか、ということである。
 これには創価班、牙城会、白蓮グループ、白樺会(グループ)などの方々も参加されてはどうだろうか。何の木でもよいと思う。日ごろの広布への献身に感謝を込めて、創立六十周年の記念の贈り物とさせていただきたい。(拍手)
 皆さまのご健康、ご多幸を心から念願し、私の本日のスピーチを終わりたい。
 (茨城文化会館)

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