Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二十九回本部幹部会 自らの前進そこに信仰はある

1990.5.23 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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2  ベロン氏――師を求める心
 さて、ベロンさんは、ご自分の歌の「師匠」を、今もこよなく大切にしておられる。ベロンさんは十八歳の時、師匠を探すために、オペラの本場ミラノに向かった。そこでエドアルド・ガルビン氏と出会う。
 ガルビン氏はかつてミラノ・スカラ座や、ローマのコンスタンツィ劇場などで活躍した有名なテノール歌手であった。当時七十七歳。「もうガルビンの盛りは過ぎた」などと批判し、ベロンさんに別の師に移るよう″忠告″する人々も少なくなかった。
 けれどもベロンさんは師を信じた。やがてみずからの実力を満天下に示すことによって、師のすばらしさを証明してみせた。批判は吹き飛んでしまった。
 ベロンさんは今も、自分の家に、みずから描いた師の肖像を飾っているという。
 そして練習の時、自分で声を出しては「これは、まだガルビンの声ではない」「この響きはガルビンの声だ」等、いつも師との鍛錬の日々を思い出し、確認しながら歌っている、と。みずからの耳もとに、師の声を聞き、毎日、亡き師と対話しながら、精進しておられる。
 その姿が、私には、大光を放つがごとく尊く思われる。正法の信仰のうえに立った師弟は師弟として、ここには芸術の世界の、本物の「師弟の道」がある。
 私も戸田先生亡きあと、三十有余年、ひとときたりとも、先生を忘れたことはない。三百六十五日、人生の師であられる先生とつねに会話しながら、ひとり生きぬいてきた――。
3  このように、ベロンさんは大芸術家であるにもかかわらず、今なお師匠には謙虚そのものの姿勢でいらっしゃる。否、謙虚であるがゆえに、偉大な芸術家となられたのであろう。その美しい「心」が、すばらしい歌の「心」を引き出しているのではないだろうか。八十四歳になっても、毎日練習を欠かさないとも聞く。
 信心も同じである。一生涯、磨きに磨かねばならない。信心の「心」を鍛えに鍛えた分だけ、三世永遠に崩れない自分ができるのである。
 ベロンさんは、信仰と芸術について、最近、こう語っておられる。
 「私の人生はガルビン先生との出会いに始まりました。師匠を求めぬいた人生の延長線上に、この信心との必然的な出あいがあったと思います」「芸術の追究、真実の追究の果てには、必ず正しき信仰に行き着かざるをえないと思います」と。
 まことに含蓄の深い言葉である。芸術の真髄へ、真髄へと迫っていく。それは人間と人生の真髄に迫っていくことである。その求道の道は、そのまま仏法へと通じていく。信心には人生の真髄そのものがある。
 ベロンさんは、現在も、元気に後進の育成にあたり、また老人ホームや身体障害者の施設等を訪問して歌っておられる。
 私どもも、この大切な一生を、見事に総仕上げし、これ以上はないという充実と満足で飾ってまいりたい。その何らかの参考になればとの意味も込めて、少々、紹介させていただいた。(拍手)
4  日中「金の橋」の第二期の往来
 話題は変わるが、先ほど秋谷会長から話があったように、今月末、学会の第七次訪中団が中国ヘ出発することになっている(拍手)。これは、私をはじめ、秋谷会長を団長とする訪問団で、約一週間、北京を訪れる。(=五月二十七日出発、六月一日帰国)
 この間、鄧頴超とうえいちょう女史(周恩来総理夫人)らとの会見のほか、北京大学の訪問(=初の「教育一員献賞」を受賞、「教育の道 文化の橋」と題して記念講演)、さらに民族文化宮で、写真展「自然と平和との対話」(「池田大作写真展」)が開催されることになっている(=五月二十九日から六月十日まで)。
 また、第七次訪中団と時を同じくして、「友好交流代表団」が訪中する。これには、全国の代表二百数十人が参加し、約一週間の予定で、北京と上海を訪れる。
 これだけの多人数による交流団の訪問は、久方ぶりといわれる。交流団は、人民大会堂での中国側の招待による歓迎宴に出席するほか、万里の長城で友好の記念撮影を行うなど、友情の絆を幾重にも固め、深め合うことになる。
 私どもは、この″仏教恩人の国″との文化、教育交流に先駆けをしていきたい。そして、日中両国間に、友好の「金の橋」の第二期の往来ともいうべき新しい歴史を開いていきたいと念願している。(拍手)
5  人生を深く、ゆえに信仰を
 先日(二十一日)、私は著名なフランスの仏教学者であるセルジュ・C・コルム教授(パリ・社会科学高等学院、日本でいう大学院にあたる)とお会いし、仏教思想の卓越性について語りあった。
 教授はもともと、経済学が専門であった。だが、やがて、人間の内なる″原理″を学ぼうと志して、仏教の研究を始めた。そして仏教のなかにあっても、小乗教から大乗教へ、さらに、より深き大乗の教えへと探究の歩みを進めてきた。――この人間の内なる″原理″を求めてやまない、教授の探究の足跡それ自体が、壮大なる精神のドラマといえよう。
 教授の真摯な探究と深き思索は、自然のうちに、仏教の″従浅至深″の道程をたどっておられるように思えてならない。
 思えば、これまで仏教に注目した西洋の知性は、低い小乗教研究の段階にとどまってしまった場合が少なくない。残念ながらほとんどが、仏教の″全体像″をつかめないままに終わってきたようだ。また、どちらかといえば、文献の研究に終始し、現実社会との関連のなかで仏教の英知をとらえ、生かしていこうという側面が弱かったように思う。
 そうしたなかにあって教授は、仏教の精髄へと、たゆみない″求道″の歩みを続けてこられた。さらには仏教を社会へ――とくに西洋の社会へ、いかに広く、生き生きと脈動させていくかを志向されている。また、SGI(創価学会インタナショナル)の良き理解者である。
 語らいのなかでも教授は、仏法思想に大きな感動を受けている、と強調しておられた。その優れた知性と人格――私もまた深い敬意をおぼえた。
6  「八万法蔵」といわれる、膨大な仏教の教え。それを、天台大師の「五時八教」の判釈を基本にされながら深め、体系づけられたのが日蓮大聖人の仏法である。
 「五重三段」「五重の相対」「四重の興廃」「三重秘伝」等々の原理によって、浅き教えから深き教えへと立て分けられ、根源の一法を明らかにされた。
 また、御書には「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」――浅い教えは信じやすく理解しやすいが、深い教えは信じ難く理解し難い、とは釈尊が説かれたところである。浅きを去って深きにつくのが丈夫の心である――とある。この御文は、伝教大師の言葉であるが、これをとおして大聖人は″深き教え″につくべきことをお示しになっている。
 いかなる分野にも、″浅深″がある。人生にあっても同じである。自分一人のために生きるのか、より大きな価値のために生きるのか。もとより、自分のことのみを考えて生きることはたやすい。
 大いなる理想のために生きるには、強靭なる決意と勇気が必要である。その決意と勇気に立てるか否か。そこに人間としての真価が問われるといえよう。
 コルム教授も、研究者として、すでに功成り名を遂げた人である。しかし、人々のため、社会のため、未来のためを思い、深き″求道″の人生を送ろうと心に決められた。西洋の一級の知性に脈打つ、この雄々しき丈夫の心が、私の胸に迫ってならない。
 まして、私どもは仏法者である。偉大なる人間的完成、また永遠なる幸福の確立のために、どこまでも″深き″人生を生きぬく、雄々しき信仰の魂を失ってはならない。
7  「第三の千年」は仏法の時代
 さて、コルム教授がこの十五日に創価大学で行った講演は、″二十一世紀から三十世紀へ、「第三の千年」への扉をいかに開くか″という問題を提起するものであった。
 「第三の千年」――思考のスケールの大きさをしのばせる言葉であるが、これは私どももつねづね意識し、掲げてきた指標である。見はるかす「第三の千年」を、仏法を根本とした新しき知恵と慈悲の光で輝かせていく――そこに、私どもの運動の目標がある。
 ともあれ、コルム教授をはじめ、心ある識者は、私どもの運動の前途に、大きな期待を寄せているといってよい。
8  このように西洋の知性が、ますます仏法の英知に熱きまなざしをそそぐ時代となってきた。この事実を思うにつけても、正法を受持しえた私どもは、なんと幸福者であることか。
 御書にはこう仰せである。
 「若し爾らずんば五体を地に投げ徧身へんしんに汗を流せ、若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め(中略)我弟子等の中にも信心薄淡うすき者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し其の時我を恨む可からず
 ――(信心していても、その信心が薄い者は、無間地獄の苦しみをまぬかれない。それをまぬかれようと思えば、薬王菩薩や楽法梵志のように、ひじを焼き皮をはいで法を求めなさい。雪山童子や阿私仙人に仕えた国王のように、法のために我が身を投げ捨てなさい)もしそれができなければ、五体を地に投げて全身に汗を流しなさい。もしそれができなければ、珍しい宝を仏前に積みなさい。(中略)わが弟子等のなかにあっても信心の薄い者は、臨終の時に阿鼻地獄の相を現じるであろう。その時に日蓮を恨んではならない――と。
 信心しているからといって、安閑としていては、一生成仏の大道を進むことはできない。名ばかりの信心では、真の功徳はない。そればかりか、もっとも大切な「死」を大苦悩のなかに迎えてしまう場合もある。それでは信心したかいがない。
 ひとたび正法に巡りあえた以上、悔いなき求道の人生に徹していく、そして信心の喜びにあふれ、勇んで法を弘めゆくことこそ、正法を受持しえた私どもの使命であり、権利である。
9  「諫暁八幡抄」の御精神拝し
 さて、日達上人は、第三十七回本部総会(昭和四十九年十一月十七この折に講演され、そのなかで次のように述べられている。
 「池田先生は、大聖人の仏法を世界に流布のため、本年一月より九月にわたって香港をはじめとしてアメリカ、パナマ、ペルー、中国、ソ連等の諸国に偉大なる足跡を敷かれてきました。
 私は、つらつらこのことを考えますと、仏教は、東漸と申しまして、インドすなわち月氏国より、中国、朝鮮を経て日本へ伝来してきたのであります。これが更にハワイを経てアメリカ大陸に流布していくことは、考えやすいのでありますが、大聖人の『諫暁八幡抄』に説かれるごとく『月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり』と説かれてありますが、日本の仏法、すなわち日蓮大聖人の仏法、南無妙法蓮華経が西へ進むことはたいへんなる難事であります」(『日達上人全集』第二輯第五巻、御書は御書全集にあわせた)と。
 さらに、日達上人は、中国で天台大師によって広まった仏法が、大弾圧を受けて破滅した時代があったことを振り返られながら、次のようにも述べられている。
 「これを考えるとき、池田先生は中国に文化交流のため渡られたとき、日蓮大聖人ご所持の註法華経の写しである大石寺版『妙法蓮華経十巻本』を中国の要人方に贈られたのであります。これまことに大聖人の仏法が西へ渡るべき先蹤(=先例)となると、私は賛嘆するのであります」(同前)
 ――月は西から東に向かう。それは、インドに誕生した釈尊の仏法が、東のほう、つまり中国、朝鮮半島、日本へと流布してきた姿を象徴している。太陽は東から出て西に入るそれは、日本から″太陽の仏法″たる大聖人の教えが、西のほうへ還っていくという姿をあらわしている――。
 この「諫暁八幡抄」の御金言は、甚深の意義を込められた大聖人の御予言であり、御確信であると拝される。そして、日達上人は、この大聖人の仰せに照らして、私ども学会の歩みが、いかに正しいかを称讃してくださっているのである。(拍手)
10  平和の大道を世界へと
 その後、日達上人は、私が周恩来総理との会見の模様を書いた一文を読まれ、「目頭が自然と熱くなったのを覚えた」との感想を記されていた。
 さらに、別の折には、「今、(=池田)会長は世界中を回っております。それを日本(=での布教)と同じように世界に(=仏法のことを)言ったってだれも世界の人は相手にしてくれはしない」(同前)等々と、それぞれの国の人々に合った接し方の大切さを強調され、学会が仏法を基調とし、多次元にわたって世界に展開している行動を、厳として擁護してくださったのである。(拍手)
 御書には、妙楽の言葉として「礼楽前きに馳せて真道後に啓らく」――社会規範としての「礼儀」や、秩序を教える「音楽」が先に広まって、そのあとに真の道である仏法の道が開かれる――とある。
 この意味からも、世界に対し、仏法を基調として文化、友好交流をどう進めていくかが大事となる。いかに世界平和の実現に寄与し、文化・教育をはじめとする社会の発展に貢献できるか、そして、国を越えて、いかに強く信義と友情の絆を結んでいけるかである。
 ゆえに、今回の第七次訪中団ならびに友好交流代表団の訪問が、日中の友好と平和の歴史の新たな一ページとなるよう、私も全力をそそぐ決心である。(拍手)
 また、とくに交流団メンバーを送り出される各地域の皆さまには、留守中、何かとご迷惑をおかけすることもあるかと思うが、どうかあたたかく見送っていただけるよう、お願い申し上げたい。(拍手)
11  さらに、日亨上人は、かつて回向について、次のように論じられた。
 「回向といえば、大概は死んだ人たちのために、お経をあげたり、お題目を唱えたりすることと思っている……(しかし)回向は過去にも、現在にも、未来にも通ずべきである」
 亡くなられた、いわば過去の人への祈りだけにとどまらない。御本尊の功徳の回向は、現在生きている人のために、さらに未来にも通じていくとの言である。
 そして「自分の善分、功徳分を、自分の身心に積み蓄えて自分の物としないで、法界に貯蓄して、社会の用に供するが回向である。お題目の功用はそこにある。われわれ宗徒の考えもそこでなくてはならぬ」と。
 一人一人が御本尊に唱題して積み重ねた功徳、福運を、″自分のもの″として独り占めするのではない。妙法の絶大な功徳を、自分という狭い枠を超えて、人々の中へ、さらには宇宙へと広げていく。そして、社会の役に立つようにしていくことが大切である。そこに回向の深義がある、と述べられているのである。
 「過去」という次元や、限られた「人々」だけではない。題目のすばらしい功徳の力用(はたらき)は、広く社会に、未来にと歴然と現れるのである。学会の発展と軌を一にして、日本の繁栄が進んできたのも、御本尊の功徳の、社会への回向によるものであると、私には思えてならないし、そう確信している。(拍手)
12  また日亨上人は、回向の祈りのなかに、過去も現在も含めて、さまざまな分野の人々、各国の国王や大統領などの元首等をも網羅していくべきであることを示されている。
 私は、誠実をモットーとした平和と文化の対話の積み重ねによって、各国の元首をはじめ、世界の各分野の人々と、友情と信頼のネットワークを結んできた。これも、日亨上人のお心にかなったものと思うし、莞爾(にっこり)としてお喜びくださっているにちがいない。
 私たちは現代の複雑化した社会に生きている。そこには、信仰のみならず、政治もあれば、経済もある。科学もあれば、芸術もある。さまざまな人間の営みがある。しかし「一切法即仏法」で、それらは根源的には、すべて妙法につながっている。
 それゆえ、信仰者だからといって、社会から遊離してしまっては、妙法の精神に反する。
 私どもが、正法を根本に、社会に深く根ざし、人々に貢献している姿は、まさにこの仏法の精神を世界に開いたものである。大聖人も必ずや御称讃くださることと確信している。(拍手)
13  リーダーはまず誰より自らが前進
 本日は東京各区・圏のリーダーの皆さまが代表として参加されている。最後に、広布のリーダーの姿勢について申し上げておきたい。
 四条金吾に与えられた御書に、次の一節がある。
 「日蓮はわかきより今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり
 ――日蓮には若い時から現世についての祈りはない。ただ仏になろうと思うだけである。けれども、あなた(四条金吾)のことはいつも法華経、釈尊、日天にお願いしている。それはあなたが法華経の命を継ぐ人であると思っているからである――。
 これはもちろん、御本仏の深い祈りについて示された御文である。
 もとより、凡夫に現実生活のさまざまな祈りがあるのは、当然であるかもしれない。それはそれとして、私どもは信心の根本の姿勢として″ただ仏にならんと思うばかりなり″との大聖人のお心を深く拝してまいりたい。大聖人は示同凡夫(仏が凡夫と同じ姿を示すこと)のお立場から、人生の真実の目的を教えてくださっているのである。
 そして大聖人は、御自身の現世の栄えは祈らないが、仏法の「命を継ぐ人」すなわち広宣流布に邁進する門下のことを、いつもいつも祈っていると述べられている。まことに御本仏の大慈大悲が拝されてならない。
 次元は異なるが、私どももまた、同じ祈りの姿勢でありたい。祈りは即行動となる。みずからが率先して歩き、語り、法を弘めゆくのはもちろんとして、弘教を行っている人、広布の活動に励む友を、どこまでも守り、大切にしていくのが、仏法のリーダーの最大の責務である。この尊い仏子なくして、正法を厳護し、広宣流布を進めることはできないからである。
 また、自分が「成仏しよう」という求道心と、「後輩(後継の人)を育てよう」という祈りは、一体であって別々のものではない。
 リーダー自身が信仰者として成長し、境涯を開いた分だけ、後輩も伸びる。「目標」をさして先頭の人が歩みを運べば、あとに続く人々も前へ進める。号令だけで、一歩も進まなければ、後ろの人がつかえてしまう。これは道理である。
 中心者は、まずだれよりも自分自身が進む。これが学会伝統の「指導主義」である。またそれは「人間主義」であり、自他ともに成長しゆく道である。″自分の信心の成長″と″後輩の成長″への常なる祈りによって、先輩も後輩もともに「仏」という永遠の幸福境涯への軌道を歩んでいけるのである。
 それを忘れた場合に、かけ声だけで人を動かそうという「組織主義」の悪弊におちいるのである。命令や伝達は「指導」ではない。口先や要領では、人の心は動かせない。
14  創立六十周年をめざしての躍動のなかで、関西、中部、九州をはじめ各方面とも見事に成長してきた。また海外でも、みずみずしい求道心と歓喜にあふれるメンバーが、立派に社会貢献の活躍をしている――今まさに広布の新しき時代を迎えているといってよい。
 そのなかにあって、東京の成長が、弱いように思えてならない。東京に対しては、地方や海外から来た人が、「もっと歓喜をあたえてもらいたい」「もっと求道の精神を教えてもらいたい」「もっと家族的なあたたかい交流をお願いしたい」と厳しく見ているのである。
 それはつまり、東京は厳しくいえば慢心で、歓喜と求道心が薄らいでしまったからといえまいか。あくまでも東京が、全日本、全世界の中心となっていかなければ、まったく意味がない。
 どうか東京の皆さまは、ふたたびみずみずしい信心の前進に立ち返って″広布の本陣″の見事な団結と勝利の歴史を開いていただきたい。そのために私自身も、また秋谷会長も、″わが東京″の一員として、全力の応援を惜しまぬ決心である。(拍手)
 幹部は「進まざるは退転」との戒めを銘記して、自身の″信心の停滞″とつねに戦わなければならない。そのためには、責任をもち、徹底して広布の現場を歩くことである。
 とくに婦人部の皆さまは、弘教に個人指導にと、日々懸命に活躍しておられる。どうか壮年の幹部は、けなげに戦っている同志を守りながら、率先して対話に励んでいくようお願いしたい。
 リーダーが臆病な組織は不幸である。皆さまは、真実の信仰者らしく堂々と、学会の指導者として大胆に指揮をとっていただきたい。無認識の批判や中傷に臆してはならない。御本尊に誓ったとおりに、この一生を「信心」で生きぬいていくべきである。その強き信念とあたたかな人格のもとに、地域の人々は安心して団結できるものだ。
 ともあれ、一般にも、「トップの器以上には組織は大きくならない」といわれる。広布の組織も、中心者で決まるといってよい。中心者がいかに力をつけ、境涯を開きに開いていけるか。簡単にみえて、これほどむずかしい課題はない。
 「信心」が″本″であり、「組織」は″述″である。「境涯」が″本″であり、「役職」は″述″である――学会リーダーの要件は、これが本当にわかっているかどうかなのである。
 真実の同志の絆は、家族以上に強いものである。どうか世界でもっとも美しくうるわしい″広布の家族の組織″を、ともどもにつくつてまいりたい。(拍手)
 なお本日は、秋田、岩手、島根、愛媛でも記念の集いが開かれており、心から祝福したい。また海外十力国・地域から参加されたメンバーにも、本当にご苦労さまと申し上げます。
 訪中の間、日本をくれぐれもよろしく、とあらためてお願い申し上げ、大切な皆さまのいっそうのご活躍とご健康を祈り、私のスピーチを結びたい。
 (創価文化会館)

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