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日蓮大聖人・池田大作

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第二十回全国青年部幹部会 学べ、動け、人生の春に

1990.3.9 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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2  ともあれ、春は、青年の季節である。ここかしこに「生」の鼓動が高鳴り、はつらつとした息吹が大地をつつむ。
 まさに人生の″春″を生きる諸君である。その最良の季節に、どうか、まっしぐらに自己の建設に向かってほしい。一日を十日、一カ月を一年にもしていくように、学び、働き、行動していただきたい。それが、そのまま青春の″黄金の日記″をつづっていくことになる。
 真剣な鍛えもない、求道もないような青春では、人間としての土台ができない。結局は人生の″春″を迎えることはできず、心は″冬″のままである。
 そうならないために、今は徹して学び、行動せよ、と申し上げておきたい。
3  ミッテラン氏――″徹する人″に人間としての勝利
 ところで、昨年(一九八九年)、フランスのミッテラン大統領とお会いした。強い信念と風格をたたえた人物であり、短時間ではあったが、闊達な語らいを終え、感銘は深かった。
 大統領についてのエピソードは数限りない。折あるごとにうかがった話であり、少々、飛躍があるかもしれないが、その点、ご了承願いたい。
 私がまず心を打たれるのは、ミッテラン大統領が人道省を設置するなど、「人権」というテーマに真剣に取り組んできた点である。
 とくにわが国は、国家権力やマスコミ等による人権侵害があっても論議が深まらず、人権意識はあまりにも低い。しかし、人権の確立は民主主義の根本である。これこそ、永遠に幸福を確立していく国家の基本でなければならない。
 また彼の、苦難に屈しない強靭さは、定評がある。
 大統領選挙に、一度ならず敗れた体験もある。だが、決してあきらめなかった。
 「あきらめることは、死を意味する」。それが、彼の信念であった。そして、ついに大統領の立場を勝ち得る。彼には″不死鳥″の呼び名すらあたえられている。
 勝つまでは決して戦いをやめない。ひたすらに挑戦し続ける。その不屈の気概は、ナチズムと戦った青春時代から彼の心に脈打っていた。
 若き日に、彼はこのようにつづっている。
 ″後退は敗北である。意志というものが屈してしまえば、いったい何が残るのか。妥協してしまえば、どうして本当の自由が勝ち取れるのか″
 彼の精神のなかには、戦いに″徹底する″強さが貫かれている。
 何事であれ、中途半端では勝てない。たとえ一時はそれでいいようにみえても、最後は必ず崩れて敗北していくにちがいない。これが人生である。
 いわんや、険難な広布の旅路である。中途半端では、広宣流布の達成はできない。一生成仏はできない。
 ″徹すること″こそ、勝利への要諦である。また、草創以来の学会精神であるといってもよい。
 何があっても屈しない。負けない。挑戦を続ける。ここに、生きている真実の証もある。
 どうか諸君は、この″徹底しゆく″信仰の姿勢を強く強く堅持していただきたい。(拍手)
4  第二次世界大戦の折、ミッテラン氏は、フランスに攻め込んだドイツ軍と戦い、とうとう捕虜となる。その時、二十三歳。もっとも青春の希望に輝くべき年ごろであった。
 彼は捕虜としての屈辱の生活を強いられ、道路や鉄道線路の建設に駆り出される。失望や挫折感も大きかったにちがいない。
 しかし彼は負けない。勇気をふるって、「自由」への挑戦を試みる。ドイツ軍の束縛を断ち切り、祖国フランスのために戦うため、脱走を図る。
 一回目の脱走は失敗。二回目の脱走に挑戦。それも失敗する。こうして彼は、脱走囚人専用の収容所に送られてしまった。
 だが彼はあきらめない。三回目の脱走は、まさに命がけだった。「自由」へと走るミッテラン青年。その彼を七キロにわたって、ドイツ軍の銃弾が追う。″もう、だめか″。間一髪のところだった。からくも隠れ家に逃げきり、脱走に成功したのである。
 絶対にあきらめない。最後まで戦いぬく――この強い執念が、ミッテラン青年の勝利の道を切り開いていった。
5  ″魂の自由″のために戦い、学ベ
 また、一年半におよんだ捕虜生活。私も無実の罪で牢に入ったことがあるが、牢に入ったものでないと、その苦しさはわからない。
 捕虜生活が一年半にもおよべば、失意の底に沈み、無気力の日々を送るようになるのが普通かもしれない。だがミッテラン青年は違った。彼は収容所の中にあっても、自分の″人生の時″を大事にし、ムダにはしなかった。
 ドイツの収容所では、彼は″大学″を組織する。そして、同じ捕虜の友人に、こう呼びかける。
 「もっと君の人生を教えてくれ。僕も君に教えることがあるかもしれないが、君のほうが教えることはもっと多いから」と。
 この試みは″体は捕らわれの身となっても、心は、魂までは捕らわれはしない″という、彼の信念の表れだったといってもよいだろう。
 日蓮大聖人は「身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」――身は随えられているようであるが、心まで随えられはしない――と仰せである。
 たとえ、やむなく束縛の身となったとしても、心までは絶対に従わない。屈しはしない。これが、真実の「自由」の精神である。人間の魂の強さである。
 青年部の諸君は、若き日の労苦のなかで、この人間としての精神の強さ、魂の深さを、しっかりと養っていただきたいのである。(拍手)
6  こうして、収容所の″大学″が始まった。大学は、収容所の地名をとって「臨時ジーゲンハイム大学」と名づけられた。
 ミッテラン青年は、新聞をつくり、その編集長にもなった。
 捕虜たちの大学では、それぞれが専門分野について、講義をした。
 もちろん、ミッテランも語りに語った。ヴォルテールを、ルソーを、またフランス王政のことを――。そして時にはパリのカルチェ・ラタン(セーヌ川左岸の学生街)の生活を、ノートなしで何時間も語り続けた。
 青春時代に学んできたこと、思索してきたことが、せきを切ったようにあふれ出る彼の話は、仲間たちに大きな感動をあたえた。それは、ミッテラン青年の″精神の戦い″の勝利の姿でもあった。
 青年部の諸君も、若い時代に、存分に勉強してほしい。知性を磨いてほしい。そして、どこに行っても、哲学を、人生を、仏法を語っていける人になっていただきたい。
 私も、どんな人に会っても、どのような所に行っても、「仏法」を、「生命」を、「人生」を、「世界」を語りに語ってきた。今後も一生涯、語り続けていくつもりである。
7  ミッテラン大統領は、この収容所でのエピソードが物語るように、たいへんな読書家、勉強家である。少年時代から読書が大好きであった。これは、お母さんの影響を強く受けている。
 子どもには、なんといっても、母親の影響が大きい。子どもは、母親の姿を、恐ろしいほどよく見ているものだ。
 ミッテラン大統領のお母さんは、八人の子どもたちを育てながら、夕食後には、詩や本をよく読んで聞かせてくれたという。お母さん自身も、たいへんに読書が好きであった。そして、お母さんは心のあたたかい方であった。夜になると、貧しい人たちのために、出かけていっては手助けをしてあげる人であった。
 西欧では、苦悩の人に奉仕していくという人間愛の精神が、家庭の中に根をおろしている。まことにすばらしいことだと思う。私どもの日々の仏法の活動もまた、そうなのである。
 また、ミッテラン大統領は「もし、正義の人を思い浮かべるとしたら、私は父を思います」と語っている。
 お父さんは、国鉄の職員を絞て、会社を経営した人である。若いころから、ラテン語やギリシャ語の古典等に親しんでいた。とりたてて、英雄とか、偉人といわれるような人ではなかったが、″どんな立場の人であっても、人間として受け入れ、認めていく人であった″という。こうしたお父さんの生き方が、ミッテラン大統領の人間観、人生観を育んでいったにちがいない。
8  少年時代から青年時代にかけてミッテラン氏は、むさぼるようにして学んでいる。屋根裏部屋には、さまざまな作家の全集など、本がびっしりつまっていた。彼はよくその部屋に入り、床に寝そべって本を広げては、思索をしていたようである。
 だが、聡明で努力家の彼にも不得手なことがあった。少年時代の彼は内気な性格であり、人前で話すのが苦手だった。そのためか、バカロレアという大学進学の資格試験も、面接で一度失敗した。だが、ふたたび挑戦し、合格。見事に進学を果たしている。
 彼は読書だけでなく、あらゆるものから懸命に学び、精神と人格の滋養としていった。
 コレージュ・ド・フランス(フランス文部省直轄の高等教育機関)におけるフランスの一流の知識人の講演に、足しげく通った。また美術館にも足を運んで、一流の芸術にもふれている。こうして一つ一つの体験を、着実に自分のものにしていった。青春時代のあくなき知的探究心、そしてひたむきな努力が、彼の人生の偉大なる″土台″を築いていったのである。
 青春時代は人生の土台づくりの時代である。強固な基盤なくして、広大な堂宇も高層ビルも建設できるはずがない。それと同じく、青春時代のひたむきな勉学、労苦なくして、人生の栄光の未来はありえない。
 ともかく自分自身をいかに鍛え、磨いていくかである。要領や策にとらわれ、こうした基礎づくりの労を避けていては、結局、あとになって自分が損をするだけである。
 いわんや、妙法の因果の理法は厳然である。真摯な信心の鍛えなくして、崩れざる幸福と勝利の人生は絶対に開けるものではない。
9  偉大なる目的に生涯を
 さて、収容所の脱走に成功したミッテラン大統領は、ふたたびレジスタンス(対ナテス抵抗運動)に身を投じていった。その闘争のさなかで、夫人となるダニエル女史と出会う。
 やがてダニエル夫人は、レジスタンスの戦いのなかで、傷ついた兵士たちのために看護婦として活躍していく。夫妻は同じ理想に向かって、青春時代を鮮烈に生きたのである。
 「ともに祖国を守ろう」と――。
 ″偉大なるもの″に生涯をかけてこそ、真の価値ある人生といえる。
 私どもは、妙法という生命の根本法にのっとって生きている。そして「人間」の復権と世界の平和と安穏を築く、広宣流布という未曾有の理想に向かって前進しているのである。これほど尊く、崇高な人生がどこにあろうか。(拍手)
 ところで、ダニエル夫人がまだ七歳の少女だった時のことである。一家の住む村に火災が発生した。くわしいいきさつは省略させていただくが、この火事は一部の村人らによつて、まったく身におぼえのない彼女の父親の責任にされてしまったのである。
 幼い少女の心は、深く傷ついた。″無実の人を噂だけで有罪におとしいれる″世の中のあり方に、幼いながらも強い憤りをおぼえ、このことは以後ずっと、彼女の胸に深くきざまれているという。
 また一家のいた村の人々は、カトリックを熱心に信仰していた。だが彼女の一家はカトリック教徒ではなかった。「教会に行くように」と、村の人々から圧力をかけられても、一家は決して信念を曲げなかった。そのため何かと周囲の人々から冷たくされ、いじわるをされたという。
 後年(ダニエル夫人が十六歳のころ)、ナチの占領下にあった時、校長を務めていた父に、ユダヤ人の先生と生徒の名を提出するようにとの要求があった。しかしこの折も、父は断固として要求を拒否し、そのため、ついに校長の職を追われてしまう。
 だがこの時、父をよく理解する家族や友人たちは、この解任を「かえって名誉なことだ」と逆に称讃し、励ましたのである。
 ダニエル夫人のお父さんは、どこまでもみずからの信念に生きる人であった。
 ともあれ、こういう家庭環境の中で、グニエル夫人は強い正義の心を養っていったにちがいない。
 「人間は、金と軍隊と教会を前にして、つねに革命を起こさなければならない」
 彼女の父は、つねづねこう語っていた。財力、武力、そして宗教的権威――これら三つの権威に対しては、毅然として戦いぬくべきだ、との言葉である。
 ダニエル夫人は、このお父さんの信条を、たしかに受け継いでおられるようである。
 そういえば、スタンダールの有名な小説『赤と黒』のタイトルも、「赤」は「軍服」、「黒」は
 「僧服」を象徴した題であると一般に言われている。
 いかなる権力にも、媚びてはならない。いかなる権威にも、屈してはならない――。
 これは恩師戸田先生が、つねに教えられていた点であり、大聖人の仏法を実践するうえで、大切な精神である。
 私どももこれまで、「信心をしている」「学会員である」というだけの理由で、どれほどの中傷や理不尽な仕打ちにあってきたことか。どれほど傷つけられてきたことか。
 だが、いかなる圧力に対しても、絶対に屈してはならない。負けてはならない。人生はつねに闘争の連続である。そして「仏法は勝負」である。負ければ自分が不幸になり、みじめになるだけである。
10  輝ける歴史は″まず行動″から
 ダニエル夫人は、手作りのジャムを作るのが好きだという。そうした家庭的な一面をもちながら、″ここぞ″という時は、自分の信念を堂々と主張し、進んでいく。
 ミッテラン氏が大統領になる前のこと。ある時、氏は大きなスキャングルに巻き込まれた。マスコミから大々的にたたかれ、窮地におちいる。なかでも、徹底的に攻撃したマスコミの編集長は、彼の長年にわたる友人だった。
 この時、夫人は怒りに燃え、敢然と立ち上がる。みずから出向き、その編集長に対して、真正面から抗議した、という。
 夫人は「行動の人」である。現在は、とりわけ人権擁護の活動に奔走。メキシコ、エルサルバドル、インド、バングラデシュ、モザンビークなど世界各地に足を運び、活動の第一線に飛び込んでいる。さらに私財を投じて、人権擁護等の運動を展開している「フランス・リベルテ」を創設。未来を担いゆく子どもたちを守り、その育成に尽力している。
 夫人はあるインタビューに対して、こう答えている。「私たちがエリゼ宮(大統領府)に住まなくなったら、私はもっと活発に行動するでしょう」と。
 つまり、大統領夫人だから戦っているわけではない。何よりも、一個の人間として、人間を守るために戦っている、というのである。
 そうした夫人の活動を、「大海の一滴の水にすぎない」と批判する声もある。
 夫人はきっぱりと言いきる。「それは、何もしないという、あなたの口実ではないですか?」と。鋭い反撃の一言である。
 ――「善」をなすには、まず″決意の一人″が大切である。「だれがやらなくても、私はやる」との、信念の行動から、すべては開かれていく。
 逆に、そうした信念の行動を、何もせずに黙って見ている人がいる。遠くで批評ばかりしている人もいる。なるほど、そうした傍観者たちは、キズはつかない。悪口も言われまい。しかし、それでは真実の人間として、何の進歩もない。また、偉大な価値も生まれない。
 「大海の一滴」を軽んじ、要領よく立ち回った人で、歴史に名を輝やかした人はいない、といってよい。
11  先駆の一人に無量の功徳
 まして、広宣流布の戦いにあっては、なおのことである。
 大聖人は「大海の初は一露なり」と仰せである。大海といえども、小さな「一露」に始まる。では、その「一露」になるのはだれなのか。
 ほかのだれでもない。まず自分が「一露」になって戦おう。行動しよう。先駆を切っていこう――ただ一人であっても、決定した信心と実践の人から、広宣流布という大海は始まるのである。
 そしてまた、先駆の「一露」の人の受ける福徳は無量無辺である。
 大聖人はこう明言されている。
 「国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、其の功徳は大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し
 ――国中の諸人のうち、一人から二人へと妙法が広まり、やがて千万億の人が題目を唱えていくならば、考えられないほどの功徳が、その身に集まることでしょう。その功徳は、あたかも大海が一露を集めてでき、須弥山が微塵を積み重ねてできるようなものである――と。
 広布のうねりが千波、万波となり、弘教の一露が大海へと広がりゆく時、初めに勇気をもって立ち上がった一人に、功徳はいや増して輝く。――これが、大聖人の仏法の方程式なのである。
 どうか、諸君一人一人が、千年の広布の未来をめざす、先駆の「一露」として活躍していただきたい。
 私がミッテラン夫人とお会いしたのは、昨年の六月八日、パリのシャンゼリゼ劇場であった。民音(民主音楽協会)と、フランスのJ・M・F(青少年音楽団体)が共催し、フランス革命二百年祭の記念行事の一環として行われた公演に、出席していただいた折のことである。
 幕間に交わした語らいのなかで、印象的な一言があった。
 「もし、私が今晩ここに来なければ、一生涯、悔いを残したことでしょう」と。深い信頼と友情の込もった言葉であった。
 そしてまた「昨日、夫は、あなたのことを話しておりました」と。前日にお会いしたミッテラン大統領が、私との会見の様子を、夫人に語っておられたそうである。
 大統領とは、「青年」「家庭」「読書」「レジスタンスの思い出」など、さまざまな話題をめぐり、有意義な語らいとなった。一つ一つの言葉に十倍、百倍の深みと広がりを感じる、友誼の対話であったことが懐かしい。
12  正邪を見きわめる知の力を
 さて、日興上人の正義を門下の日順師がまとめた「五人所破抄」には、日興上人のお言葉として、次のように記されている。
 「案立若し先師に違わば一身の短慮尤も恐れ有り言う所亦仏意に叶わば五人の謬義びゅうぎ甚だ憂う可し
 ――私(日興上人)の立てる法門が、もし先師(日蓮大聖人)に違背しているならば、それは私一身の浅はかさであり、何よりも恐れ多いことである。また、私の言うところが、仏意に叶うものであれば、五人(五老僧)の誤れる法門は、はなはだ憂うべきである――。
 すなわち、日興上人が正しいのか。五老僧が正しいのか。
 「取捨正見に任す思惟しゆいして宜しく解すべし
 ――私(日興上人)の主張を取るか捨てるかは、あなたの正見にまかせる。よく思索して、正しく理解しなさい――。
 正義がどこにあるかは、あなたの「正見」、正しい見方にまかせます、よく考え、間違いなく理解しなさいとの言である。
 正邪を見きわめるには、強い″知力″が必要である。知力がないと、ウソを見ぬけない。誤るか、まただまされてしまう。
 書物にせよ、人物にせよ、言っていることが事実なのかどうか、正しいのかどうか、明確に見きわめ、判断していかねば、道を誤る。指導者であればあるほど、その責任は大きい。
 ゆえに諸君は、今こそ、強靭な知力を鍛えていただきたい。私がさまざまな角度からスピーチを続けているのも、その期待を込めてのことである。広宣流布の未来のために、強くこのことを申し上げておきたい。
13  仏法に説く悪の流転の原理
 正法の世界に、なぜ反逆者、仏法破壊者が出てくるのか。その本質は、何なのか。次に、このことにふれておきたい。
 御書には明快に、その原理が説かれている。「佐渡御書」には、こうある。
 「般泥洹はつないおん経に云く「当来の世仮りに袈裟を被て我が法の中に於て出家学道し懶惰懈怠にして此れ等の方等契経ほうどうがいきょう誹謗ひぼうすること有らん当に知るべし此等は皆是今日の諸の異道の輩なり」等云云
 ――釈尊の入滅前後のことを記した般泥洹経には、こうある。「釈尊入滅後の未来の世に、形は一応、袈裟を着て、仏法のなかで出家して道を学ぶ僧となり、しかも仏道に精進せず、怠けおこたり、これらの大乗経典を誹謗する者が出るであろう。よく知りなさい。これらの僧はみな今日(釈尊在世)の、さまざまな外道(仏法以外の教え)の者が仏法のなかに生まれてきた者である」――。
 大聖人は、この経文を引かれて、こう仰せられている。
 「此経文を見ん者自身をづべし今我等が出家して袈裟をかけ懶惰懈怠なるは是仏在世の六師外道が弟子なりと仏記し給へり
 ――この経文を見る者は、自分を恥じるべきである。現在、出家して袈裟を着ながら、仏道修行に励まず、怠け暮らす者は、釈尊在世の六師外道(六人の主要な外道論師)の弟子であると、仏は記されている――。
 そして大聖人は、具体的に、大聖人御在世当時の念仏宗、禅宗の指導者らについて、「六師が末流の仏教の中に出来せるなるべし
 ――六師外道の末流が、仏教のなかに生まれてきた者である――と、その本質を指摘しておられる。
 仏法の正しき師に敵対し、迫害する生命。その流れは、決して今世限りのものではない。深き因縁と宿習があるとの御指導である。
14  大聖人を迫害する他宗の僧らの″前身″は、六師外道の類であった。
 ちなみに、この外道を生んださらに根源は何であるのか。大聖人は、次のように教えられている。
 「この外道と申すは先仏の経経を見て・そこないて候いしより事をこれり
 ――釈尊を迫害したこの外道というのは、過去の仏のさまざまな経典を見て、それを読みそこなったところに、起源がある――。
 すなわち、釈尊以前の仏の教えにもきちんとつけず、自分勝手な解釈をした者たちの末流が、今、釈尊を迫害している、と。正しい師の正しい教えという軌道から外れてしまった者たちである。
 その外道の末流が、今度は御本仏を迫害しているのである。根は、はなはだ深い。悪しき因果の長い流転が、そこにはある。
 戸田先生は、「佐渡御書」の講義で、こう述べられた。(『戸田城聖全集』第六巻)
 「釈尊の時代の六師外道が、大聖人様が三大秘法を広宣流布するにあたって、僧侶になって生まれてきて敵対しているのであると。
 いま、わが創価学会が広宣流布をして、日本民衆を救わんと立つにあたって、それを邪魔するのは大聖人様の時に邪魔した僧侶が、いま日蓮宗等の仮面をかぶって生まれてきているのです」
 「こんど、それではどうなるのかというと、あのような連中が死ぬと、こんどは日蓮正宗のなかに生まれてくるのです」
 「そういう原理がきちんと出ているのだから、こわいものです。三世の生命観に達すれば、きちんとわかるのです。三世の生命を信じなければ、この理論はまだわかりません」
 まことに明確な原理である。
15  仏子を苦しめる悪と戦ってこそ正義
 大聖人はまた「三世各別あるべからず」――過去・現在・未来世のそれぞれが、別々であるということは絶対にない――と仰せである。
 「正法」に敵対し、破壊しようとする生命は、ある時は外道となり、また仏教の他宗の僧などとなり、さらに正宗や学会の中に入ってきて、同様の悪を働く。
 姿は違うようでも、本質は三世に変わらない。外見の「仮面」に惑わされなければ、何も驚くこともなければ、不思議に思う必要もない。御書と経文に、はっきりと説かれたとおりの実相である。御書の正しさの証明をしているともいえる。
 近年も、正法の世界にあって「懶惰懈怠」の堕落の姿で、反逆の振る舞いをなす者らが出た。僧であり、また幹部でありながら、御本仏の仏子をいじめ、尊き広布の世界をこわそうと画策する人間。彼らは、御書に御教示されたとおりの「正体」を現したのである。
 決して表面的な理由ではない。彼らが反逆にさいして、あれこれとこしらえた理屈などは、仏法の眼から見れば、自分を正当化するための哀れな虚構であることは明白である。
 また、だれかが厳しく叱ったからとか、もっと別の接し方をすればよかった等の見方も、あまりにも皮相的である。
 彼らは、過去にも正法の世に敵対し、仏子をいじめてきた者らである。そのままにしておけば、ガン細胞のように、体内を侵食していく。
 ゆえに悪とは断固、戦わねばならない。悪がみずからいられなくなり、出ていくことによって、清浄な広布の世界を守ることができる。かわいそうなようでも、全部、自分たちがつくった因果なのである。
 安易に妥協すれば、またいつか、正法の世界に忍び寄って、仏子を苦しめる。ゆえに、どんなに自身が返り血を浴びようとも、戦う以外にない。これが大聖人の厳粛な御指南に基づいた、正しき実践なのである。
 もちろん、仏法は一切衆生を救っていく慈悲の大法である。それを大前提として、大聖人があえて厳しく、悪との闘争を教えられた御心を深く拝さねばならないと私は思う。悪と戦う勇気と厳愛がなければ、正義は守れない。現実に人類を救っていくこともできない。
 本日は、北海道の小樽文化会館で、3・11小樽問答三十五周年の青年部総会が行われている。また東京の北多摩圏では、3・10「北多摩圏の日」記念の幹部総会が開かれている。これらを代表にして、全国の青年部の集いを、心から祝福申し上げる。(拍手)
 最後に、諸君は「永遠の青春」で、壮大なる法戦を展開しゆく一生であっていただきたい。「永遠の青春」で、燦然たる自身の今世の歴史を飾っていただきたい。こう願望し、本日のスピーチとしたい。
 (創価文化会館)

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