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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカSGI青年研修会 ″母を大切に″そこに幸福と平和

1990.2.22 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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2  今年は「母の日」が制定されて七十六年になる。「母の日」は、アメリカのウィルソン第二十八代大統領が一九一四年五月九日に大統領宣言を発し、毎年五月の第二日曜日を、その日と決定した。
 今日では世界各国に広がり、イギリス、スウェーデン、中国、デンマーク、メキショなどでは二日間行うと聞いている。そのうち一日は学校、クラブなどで、一日は私的に家庭中心で祝ってきたとのことである。日本では、戦後、一般に行われるようになった。
 何事も″一人″から始まる。世界に広まったこの行事にも、一人の先駆者がいた。彼女の名はアン・ジヤービス(一八六四年〜一九四八年)。ニューヨークの少し西、ペンシルベニア州フイラデルフィア近辺に住んでいた。
 彼女は若き日に、苦しい失恋を経験した。ひとたびは死にたいとまで思ったかもしれない。しかし彼女は生きた。相手がどうであれ、自分は自分である。私には私の人生がある。幸福に生きる権利がある。悲しみを越えて、以後、彼女は、母親と盲目の妹に愛情をそそいで生きた。
 最愛の母が亡くなった後、彼女は母をしのんで、教会に集う人々に白いカーネーションを贈り続けた。繰り返し繰り返し――。それは母がこよなく愛した花であった。
 彼女は″お母さんへの感謝″を、自分一人のものにとどめたくなかった。どんな人にもお母さんがいる。みんなで″母への愛″を表す日があってもよいのではないだろうか――。
 彼女は、婦人クラブや有力者に、手紙戦術で働きかけた。誠実に動いた分だけ、波動は広がる。しだいに賛同する人々が増え、一九〇八年五月十日、「第一回母の日」がフィラデルフィアで行われた。やがて、全国的行事となり、六年後の大統領宣言にいたった。
 お母さんのいる人は赤いカーネーションを贈り、お母さんの亡くなった人は白いカーネーションを飾る。この習慣の源流は、″お母さんが好きだった花″を、母の分身のように愛した一人の女性の美しい心にあったのである。
 この習慣に対して、「母のない子どもにかわいそうだ」という批判もある。それはそれとして、お母さんは心の中に生きているし、まして仏法では生死不二と説く。妙法の力で、生死を問わず、お母さんの生命と連なり、″幸福の波″を送っていくことも、できる。
 仏法では三段階の親孝行を説く。親に衣食などをあげるのが下品、親に従うのが中品、そして上品の親孝行とは、妙法の力で両親を救っていくことである。
3  仏法は人間性の究極の世界
 さて一人の無名の女性の呼びかけが、一都市へ、さらにアメリカ中へ、そして世界へと、広がっていった。その理由は何であろうか。
 それは、いずこの国の人々にも、胸の奥には熱き″母への思い″がある。その″琴線″にふれ、美しい音楽のように、共鳴に共鳴を奏で、感動に感動を広げていったからではないだろうか。
 「人間性」の真髄にふれるもの。それを一人の勇気ある人が訴え始める時、人類の心の海を、一波から千波、万波と伝わり、広がっていくのである。
 そして、仏法は「人間性」の究極の世界である。
 ″母への感謝″″礼儀″といった、美しい人間性を離れて、別のところに仏法があるのではない。御書に仰せのごとく、もっとも道理にかなった″人の振る舞い″が即、仏法の生命なのである(1174㌻)。
 ゆえに私どもの集いは、どこよりもあたたかく、こまやかな愛情に満ちた世界でなければならない。また私どもが、そうした人間性の真髄を身につけ、洗練された豊かな人格を練り上げていく時、自然のうちに社会の人々の心を魅了していくにちがいない。
 さらに、万人のいだく″母への思い″を確信して、彼女が行動を起こしたごとく、私どもは、すべての人の胸中に「仏界」のあることを信じ、その胸奥に向かって呼びかけているのである。(拍手)
 なお「母の日」の淵源を、小アジアの神話に求める説や、キリスト教の祝日に、そのはしりをみる説もある。実際には、このアメリカ起源が、歴史的にはっきりしている唯一の説とされる。
 またイギリスには、家を離れた子どもが、ケーキなど贈り物を持って母や両親を訪ねる「母をなぐさめる日曜日」(マザリング・サンデー)が年に一回あると聞く。
4  「自由の女神」像――それは一人の女性の勇気ある姿
 先日、青年部研修会に参加された方々に、せめてもの真心として、創価大学の数々の重宝のうちの一部を紹介させていただいた。その重宝の中に、彫刻家バルトルディ(一八三四年〜一九〇四年)のゆかりの品(サイン入りの「自由の女神」像のデッサン)も収められている。
 皆さんもご存じのように、あのニューヨークの「自由の女神」像の作者はバルトルディである。
 「自由の女神」像――それは、正式には「世界を照らす自由」という名前で呼ばれるが、アメリカ独立百周年の折、フランスの民衆から友情を込めて贈られた。
 フランスには、「自由の女神」の模像がセーヌ川の橋のそばに立っており、私もパリを訪れたさいによく目にしたものである。
 「自由の女神」の顔は、作者バルトルディのお母さんがモデルであると言われる。子どもにとって、母の顔はもっとも尊く、美しく感じられるものの一つなのであろう。
 このお母さんは、早く夫に先立たれ、女手一つで子どもたちを育て上げた。苦労して自分を育ててくれた母。いつも深い愛情でつつんでくれた母。その母への感謝を、バルトルディは生涯、忘れなかった。
 ″何かで必ず母をたたえたい″と思い続けていたのであろうか。彼は長じて彫刻家となり、「自由の女神」像をつくることになった。そこで誇らしい像の顔をどうするか――。人々の興味も、そこにそそがれていた。彼は、ほかならぬ″わが母″をモデルに選び取ったのである。
5  右手には高らかに「自由のたいまつ」。左手には「独立宣言」(一七七六年七月四日の日付が入った銘板もしくは文書)。この「自由の女神」像のポーズは、作者バルトルディの、若き日に胸に焼きついた、一人の勇気ある乙女の姿がもとになっている。
 それは一八五一年のフランスで、十七歳の彼が目の当たりにした光景である。
 当時、野心の権力者ルイ・ナポレオン(ナポレオンの甥)に抗議して民衆が立ち上がっていた。ルイ・ナポレオンに対しては、文豪ユゴーも、徹底して戦っている。
 そのなかでバルトルディは、一つの忘れ得ぬ場面を目撃する。
 敵(権力側)のバリケードを前に、ひるんで立ちすくむ人々。そのとき、突然、夜の闇を破って、一人の若い女性が現れた。
 彼女は、たいまつを高らかに掲げ、「前進!」と叫びながら、そのバリケードを一人跳び越えた。その瞬間、銃声が鳴り響き、乙女は倒れる。だが、彼女のたいまつの炎は、バリケードに燃えうつった――。
 圧倒的な権力を前に臆する人々。しかし、そのなかで、一人、敢然と敵陣に飛び込んでいった勇気ある乙女。だれにもたたえられることなく、戦い、死んでいった無名の乙女。
 ″本当に崇高で、偉大な人間の姿はここにある″との思いが、バルトルディの胸に深くきざまれたにちがいない。そして、この勇気ある戦いの姿は、彼の心に「自由」の意味を問いかけ、やがて、あの「自由の女神」像へと結晶したのである。
 目先の勝敗を超えて、彼女の勇気は永遠に勝った。彼女が高らかに掲げた、あのたいまつは、今も「世界を照らす自由」の人となって、燃えている――。
6  仏界へと通じゆく母の祈り
 御書にも、母の恩や、母を慕う人の心を述べられた御文は数多い。皆さんも拝読したことがあるかもしれない。
 そのうちのいくつかを拝せば――。
 「子を思う金鳥こんちょうは火の中に入りにき、子を思いし貧女は恒河に沈みき、彼の金鳥こんちょうは今の弥勒菩薩なり彼の河に沈みし女人は大梵天王と生まれ給えり
 ――子を思うキジは火の中に飛び込んだ。子を思う貧しい女人は、子を抱いたままガンジス川に沈み、手放さなかった。かのキジは今の弥勒菩薩である。かの川に沈んだ女性は大梵天王と生まれられた――。
 「何にいわんや今の光日上人は子を思うあまりに法華経の行者と成り給ふ、母と子と倶に霊山浄土へ参り給うべし
 ――いわんや、あなた光日上人は子ども(息子の弥四郎。信心していたが若死にする)を思うあまりに、法華経の行者となられた。母と子と、ともに同じ霊山浄土に行かれて、再会されることは間違いない――と。
 在家の女人にも「光日上人」と、大聖人は最大の敬意で呼びかけておられる。美しい人間性の模範とも拝される。そして、子を思う母のひたむきな「心」は、そのまま「菩薩」に通じ、「大梵天」に通じるとされている。
 そのうえで、妙法を持った母の思いは、必ずや御本尊に通じ、「仏界」へと自身を運んでいくと激励されている。
 「人間性」の真髄は即、仏法である。この御書に仰せのとおり、母の愛に象徴される、誠実な美しい愛情が、妙法の翼を持つ時、菩薩界へ、仏界へとわが境涯は上昇していく。また子どもなど、相手にも福徳を分けあたえることができる。
7  笑顔は両親への心の贈り物
 また、子が母を思い、母に感謝する「心」も、そのまま仏法の世界である。
 親孝行について、大聖人はこう述べておられる。
 「たとひ親はものに覚えずとも・悪さまなる事を云うとも・いささかも腹も立てず誤る顔を見せず・親の云う事に一分も違へず・親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度みて向へとなり
 ――たとえ、親がわからずやであっても、ひどいことを言う親でも、少しも腹を立てず、いやな顔をせず、親の言うことをよくきいて、親によい物を与えようと心がけ、もしも何もしてあげられることがなければ、せめて、一日に二、三回、やさしい笑顔で向かいなさい――。
 これは、大聖人が若き南条時光に語られたお言葉である。もちろん時代や社会の違いもある。また全部を実行するのは、たしかに並大抵のことではない。
 しかし、たとえば最後の「一日に二三度えみて向へ」との御指南については、比較的、実行しやすいかもしれない。要は、両親を大切にしていこうという「心」である。
8  現在、創価女子短期大学の代表が、語学研修でロス分校(=現アメリカ創価大学)を訪れているが、清純な乙女の笑顔ほど、心なごむものもない。まさに値千金、百万ドルの笑顔である。両親にとってはなおさらであろう。
 反対に、お母さんをまるで召使のように(爆笑)、「出発の用意、まだなの!」(笑い)、「アメリカに行くんだから、もっといい服、着たいわ! お小遣いも増やして!」(笑い)と、やさしい笑顔どころか(笑い)、こわい顔ばかりしているのでは、お母さんに心から同情せざるをえない。(笑い)
 帰国した時も、「ただ今、帰りました。お父さん、お母さんのおかげで、すばらしい経験と勉強をさせていただきました。今はご恩は返せませんが、将来はきっと私が世界旅行にもご招待させていただきます」――とでも、たとえウソでもいいから(爆笑)、ていねいに言ってあげれば、「ああ、さすがはうちの娘だ」(笑い)、「アメリカにやったかいがあった」と涙ぐんで(笑い)、喜ばれるにちがいない。
 だますということではなく(爆笑)、口のきき方も、思いやりの一つである。
 帰るなり、「ああ、疲れちゃった!」(爆笑)、「ロス分校は夜が冷えるのよね!」(笑い)、「英語も全然わかんなかったわ!」(笑い)。これでは、親でなくとも″ガックリ″してしまう。(爆笑)
 語学研修は、洗練された国際人になるのが目的である。英語のほうは、まあ一つか二つ、覚えていることだけ(笑い)、ちょっと″実演″してみせれば、親は信じやすいものだから(爆笑)、″たいしたものだ″と信じてもらえるかもしれない(笑い)。しかし、英語の力とともに、こうした礼儀、人格を磨くのも、大事な勉強であることを知っていただきたい。(拍手)
9  ″仏は子を思う母のごとし″
 本当に母親はありがたい。この世に、かけがえのない宝である。その恩を感じられる人になっていただきたい。その人は自分も幸福である。
 御書には、仏の慈悲を母の愛にたとえて、こう仰せである。
 「幼子は母をしらず母は幼子をわすれず、釈迦仏は母のごとし女人は幼子のごとし
 ――幼子は母の心を知らない。しかし母は幼子のことを忘れない。釈尊(大聖人、御本尊)は母のごとく、女性は幼子のようである――。
 「二人たがひに思へば・すべてはなれず一人は思へども一人思はざれば・あるときはあひ・あるときはあわず
 ――二人がたがいに思い合えば、心が合ってすべて離れない(仏と一体である)。一方が思っているのに、片方が思わなければ、ある時は会えるが、ある時は離れてしまう――。
 「仏は・をもふものの・ごとし女人は・をもはざるものの・ごとし、我等仏を・をもはば・いかでか釈迦仏・見え給はざるべき
 ――仏はいつも子を思っている母のようである。女性は親である仏を思わない、幼子のようである。われらが仏のことを思えば、どうして釈尊(大聖人)にお会いする(仏になる)ことができないことがあろうか。必ずできる――。
 この御書は、四条金吾の夫人が、まだ小さな月満御前(生後十一ヶ月)を抱えて、育児に追われていたころにいただいたお手紙である。仏の慈愛と苦心をわからせるのに、「母と幼子」のたとえほど、この時、彼女の心に響くものはなかったにちがいない。
 こうしたところにも、大聖人がどれほど相手の心を察せられ、その心に合わせて法を説いておられたか、そのやさしさがしのばれる。
10  私どもは「仏子」である。ゆえに親であられる「仏」は、つねに私どものことを心配し、心を休められることがない。それにもかかわらず、幼い子どもが母の苦労を知らないように、凡夫もまた、仏の慈愛を知らないでいる、と大聖人は述べられている。
 お母さんの愛を忘れてはならない。お母さんの苦労を忘れてはならない。お母さんの慈顔が心に生きている時、人間は決して大きく道を誤ることがない、と私は思う。
 それと同じく、私ども凡夫が御本仏の大慈悲を忘れることなく、深き感謝の心で生きていく時、心には仏界の光が大きく広がっていく。そして御本尊の大慈悲につつまれた、根本的に安穏と歓喜の人生の軌道となっていくのである。
 どうか若き皆さんは、かけがえのないご両親、とくにお母さんを大切にしていただきたいと重ねて申し上げたい。
 「母」の愛は深い。「母」の力は偉大である。そしてすべての人々が「母」を大切にすれば、必ずや世界も平和になり、幸福になっていくにちがいない。
 最後に、皆さま方のご健勝とご多幸、ご活躍を心からお祈りして、本日のスピーチを終わりたい。
 (創価大学ロサンゼルス分校)

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