Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカSGI最高会議 誠実、公平、進歩の人に

1990.2.21 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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2  「進歩」しないリーダーは、魅力を失う。後輩もかわいそうであり、自分も行き詰まる。行き詰まり、人もつかないから、なおさら権威でしばったり、抑えつけるようになる。ますます人の心が離れていく。悪循環である。
 御書(1382㌻)には十四の謗法のうち「浅識」の罪が説かれている。たんに知識が浅いということではなく、そこにとどまり、求道心を失って、″学ぼう″としない姿勢を意味する。それは信心の後退である。
 リーダー自身が学びに学び、つねに成長し、つねに新鮮であることが即、組織の活性化と進歩に通じる。
 リーダーが変わった分だけ、組織が変わる。わが地域、わが国土の広宣流布が進んでいく。その意味でも、リーダーは「知性」を磨いていただきたい。私がさまざまな角度からスピーチを重ねているのも、その願いからである。きょうも、むずかしい点もあるかと思うが、少々語っておきたい。
3  アメリカ史の三十年周期
 アメリカの変化には、三十年ごとの周期がある。――これは、この国の著名な歴史家、A・M・シュレシンジヤー博士の説である。
 くわしい説明は省くが、著作の『アメリカ史のサイクル』によると、一九九〇年代は、三〇年代、六〇年代と、よく似た時代になるとの予想である。
 なるほど一九三〇年代は、フランクリン・ルーズベルト大統領が掲げた「ニュー・デイール政策」に象徴されるように、「平等」という建国の理想への挑戦があった。
 先日(二月十六日)会談したアーマンド・ハマー博士は、ルーズベルト大統領について、自分の会ったもっとも偉大な大統領とされていた。
 そして六〇年代は、ケネディ大統領の掲げた「ニュー・フロンテイア」政策に象徴されるように、「人権」を根本にした″新・開拓者精神″で、「人類の理想のトップランナー、アメリカ」を証明しようとした。またステューデントパワーに代表される対抗文化(カウンタl・カルチャー)の嵐が吹き荒れた。大いなる変革の時代であった。
 三〇年代、六〇年代と同じように、九〇年代も「理想主義の台頭」があるかどうか、それはわからない。ただ三十年とは、人間の一世代である。漢字でも「世」の字は、もともと「丗」(三十)を意味している。一世代ごとに、アメリカが建国の理想への″原点回帰″を繰り返しているという指摘は興味深い。
 三十年という年月は、世代の交代、若々しき「青年の台頭」を要求しているともいえる。それが自然の摂理でもあろう。
 三十周年を迎えたアメリカSGIに、今年を次へのスタートにしてほしいと願う一つの理由もここにある。
4  仏法は「平等」と「人権」を実現しゆく世界
 「平等」「人権」というアメリカの理想――。じつは、仏法の世界こそ、最高にして根本的な「平等」と「人権」を実現しゆく世界である。
 人間は「平等」である。上下の差別など絶対にない。組織の役職等は、機構上の仮の姿である。方便であり、皆がより喜んで信仰に励み、幸福になっていくための一手段にすぎない。
 ゆえに組織のリーダーとは、皆の″上にいる人″ではなく、皆に″奉仕する人″なのである。戸田先生は「幹部は会員の小使い」と教えられた。
 ある意味で、皆の犠牲になっていく決心で、尽くしていくのが、真の広布のリーダーである。
 組織の上下にとらわれて、リーダーが自分が偉くなったかのように錯覚したら、仏法の「平等」の精神に反する。
 また、リーダーに対して、だれでも自由に、言うべきことを言える雰囲気が大切である。私どもは、皆、平等の「善知識」(良き友)だからである。
 仏典には「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」(章安大師『涅槃経疏』大正三十八巻)――その人のために、悪い点を取り除いてあげる人は、その人の親の存在である――と説かれている。
 黙っていることは、無慈悲に通じる。小さな感情にとらわれての非難はよくないが、建設的な、価値ある意見は必要である。言われたほうも、それに感謝できる大きさを持てば、たがいの心の世界が広々と開けていく。
 また相手の成長のために、必要な″注意をする″ことは慈愛であるが、自分の感情で″叱る″のは傲慢である場合がある。リーダーは人を叱ってはならない。人の心は限りなくデリケートである。
 同様に、男女も「平等」である。女性を抑えつける男性は、文明人とはいえない。(爆笑)
 御書には「女るひはいかなる失ありとも一向に御けうくん教訓までも・あるべからず、ましていさかうことなかれ」と仰せである。
 ――女性に対しては、どんな失敗があっても、叱ってはならない。まして争うことは絶対にいけない――。
 女性はそれほど繊細である、とのお心と拝される。「レディー・ファースト」の国であるし、女性をこれまで以上に尊重していただきたい。
 また女性のほうも、男性のリーダーに盲従していては、両方が不幸になってしまう場合がある。むしろ、弓と矢のように(御書975㌻)、男性が正しい軌道を進めるよう、方向を定め、時には軌道修正していくことが、正しい仏法の精神にのっとることになる。
 大聖人は「夫の心をいさめば竜女が跡をつぎ末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし」と教えておられる。
 ――池上兄弟の夫人たちがともに夫の心をいさめて、夫たちが大聖人の御指導どおりに振る舞うようにしていけば、法華経で即身成仏の姿を現じた竜女の後継となり、末法悪世の女性の成仏の手本となられるであろう――。
 この厳愛の御指南を、またこの道理を、深く拝していただきたい。
 また仏法は、最大に「人権」を尊重し、「人権」を実現していく世界である。
 一人の友を、これ以上できないというぐらいに、徹底して守り、してあげられることは、すべて実行しようと心をくだいていく。仏子を心から尊敬し、愛情をもってつつんであげる。その人が真実の人材であり、リーダーなのである。
5  信・行・学の根本の軌道を
 ともあれアメリカSGIの広布三十年の今年こそは、次への偉大なステップの時である。そのエネルギーは、どこから出てくるか。
 アメリカ社会の新たな活力は、建国の理想という″原点″への回帰から生まれている。同じように、もう一度、「信・行・学」という根本の軌道を確認し、「異体同心」という″原点の心″から出発することが、「世界の模範」のアメリカをさらに建設していくカギである。
 具体的には「広宣流布」という大目的観を″同心″として、一切を「信心」で受けとめ、「信心」で進み、勝ち開いていくことである。その人、その組織は、無量の福徳の軌道に入る。
 電話も、番号をたった一つ間違えても、全然ちがった所に通じてしまう。精巧な機械は、配線を一つ間違えても動かない。ときには壊れてしまう。
 まして仏法は厳しき三千羅列の″生命の法″である(御書714㌻)。正しき法を、正しき信心で、正しく実践していかなければならない。そうでなければ、多くの人々を間違った方向に行かせてしまう。その罪はあまりにも重い。また、ついてくる人があまりにもかわいそうである。
6  それに関連して、大切なことは、「人」が基準ではなく、「法」が基準であるという点である。
 「人」を基準にすることは、人間の確かでない「心」を師とすることになり、いつしかボス(親分)と子分のような関係をつくってしまう場合がある。
 「法」を基準にすることは「心の師となる」ことである。御本尊を根本に、御書に仰せのとおりの実践に励んできたからこそ、日本の大発展もあった。
 大聖人は「当世の道俗・貴賤皆人をあがめて法を用いず心を師として経によらず」――今の世は僧侶も在家も、高い位の人も庶民も、皆、「人」を尊び、″だれが言ったか″を基準にして、「法」を用いない。みずからの迷った「心」を師匠として、「経文」に依らない――と嘆かれている。
 「人」のみを基準にすれば、自然に独善となる。「法」を基準に、信行の行動をする人が、仏法の正しき指導者なのである。
7  青年の育成、婦人部の発展を
 真の指導者と、そうでない人の違いの一つは、「青年」を育てきっているかどうかである。
 可能性に満ちた青年を、全魂で育てていく時、自分も若返る。組織も若返る。人材を見つけ、成長させ、どんどん登用・活躍させてほしい。その流れをつくれば、おのずから未来は洋々と開けてくる。
 また婦人部の発展に力を入れることである。
 婦人部が伸び伸びと活動し、婦人部の意見が反映している――そういう組織は、健康であり、強靱である。生活に密着し、空転することが少ない。アメリカ広布の出発も、婦人部が中核的役割を果たしたことは、ご存じのとおりである。
 ともあれ、リーダーの最大の要件は「誠実」である。権威では、むしろ人は離れる。才能だけでは、価値を生むとはかぎらない。「誠実」こそが人の心をつかみ、信頼と安心感をあたえていく。周囲に「春」のように、あたたかな、のびやかな空気が広がっていく。「誠実」こそが、最終的な勝利をもたらす。
8  さてアメリカの「デモクラシーの詩人」ホイットマンは、こう歌っている。
 「今こそ私の言うことをよく了解し給え――どんな成功の果実からも、それが何であろうと、さらに大きな苦闘を必要とする何ものかが出現することは、万物の本質のうちに具わっているのだ」(「大道の歌」長沼重隆訳、『世界の詩集10』所収、角川書店)
 アメリカの広大な天地に、妙音を響かせてきたアメリカSGIの歴史は、まことに尊い。しかし、この詩のごとく、何事も″もう、これでいい″ということは決してない。それは生命の本質に反している。
 またアメリカの特徴の一つは、「変化」を絶えまなく繰り返すことである。他のどこよりも「変化」が速い。それだけ活力に満ちているともいえる。
 「毎朝、日をさますと新生ニューアメリカがある。好むと好まざるとに関わらず、それがあるのだ」(アンドレ・スチーブンソン)という言葉がある。
 仏法でも一切を「変化」の連続と見る。そこで問題は、「変化」を受け身にとらえ、流されていくか。よき「変化」をリードし、みずからつくりだしていくかである。
 保守や保身は、生命の冬であり、夜であり、死に通じる。進取と理想へのチャレンジは春であり、朝であり、生に通じる。
 まして仏法は「本因妙」と説く。これは、私たちの信心の姿勢に約していえば、″永遠に、原点から出発し続ける″精神ともいえよう。
 永遠に、春と朝と生のエネルギーで、希望をもって、生涯青春の姿で進歩していく。その″無限向上″の躍動に、大聖人の仏法の光がある。
 皆さまは、アメリカ広布の功労者であられる。これからは総仕上げの人生である。これまでの労苦のうえに、福徳の大花を爛漫と咲かせていただきたい。万が一にも、ラストを誤って、自分で自分の福運を壊してしまっては、あまりにももったいない。ある意味で、そうした厳しき分かれ目の段階に入ったともいえる。
 その自覚をもって、生々世々、大歓喜に満ちた金剛の境涯へと、一生成仏のすばらしい仕上げをお願いしたい。そして永遠の歴史に薫る″広布の英雄″として、名をとどめていただきたい。
 皆さまのうるわしく、すがすがしい異体同心で、「さあ、新しい出発を」「偉大なる″ニューアメリカSGI″の建設を」と念願し、最高会議の記念のあいさつとしたい。
 (創価大学ロサンゼルス分校)

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