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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカSGI三十周年記念総会 大樹も一粒の種子から

1990.2.24 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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2  泥水に咲く「蓮華」に妙法の法理
 さて、本日は歴史に残る記念総会である。「世界の模範」としてのアメリカSGI建設へ、新出発の意義を込め、少しむずかしい点もあるかもしれないが、何点か語っておきたい。
 今から四十年近く前のことである。一九五二年(昭和二十七年)、大聖人が立教開宗なされてより七百年の大佳節であった。
 この年の夏、日本では、大聖人御聖誕の千葉の地で、約二千年前の遺跡から発見された「蓮華」の種が、その長い長い眠りから目覚めて、うす紅の美しい花を咲かせた。有名な大賀ハスである。
 当時、たいへんな話題となった。
 それとちょうど同じころ、ここアメリカ・ヮシントン市の国立公園でも、数万年を経た「蓮華」の種が、うす紅の大輪の花を咲かせたというニュースが、日本にも伝えられた。小さな記事であったが、恩師戸田先生は見逃さなかった。
 戸田先生は、立宗七百年のその年に、東西でそれぞれ、何千年、何万年前の「蓮華」の種が開花したという事実を、大白法興隆のすばらしき瑞相ととらえられた。
3  皆さまもよくご存じのとおり、「蓮華」は、仏法上、深き意義を託されている花である。くわしくは略させていただくが、その一つとして「蓮華」は、花(因)と実(果)が同時に生長していく。他の花には見られない特徴がある。これは妙法蓮華経の因果倶時の法理を表している。
 この点について、大聖人は、わかりやすく、こう説かれている。
 すなわち、法華経以外の教えでは、先に善根(因)を作って、後に仏(果)になると説く。しかし、法華経では、手に取れば(因)その手がそのまま仏(果)、口に唱えれば(因)その口がそのまま仏(果)であると。まことにすばらしき妙法の力である。
 何度も生まれては修行を繰り返し、ようやく仏になれる、というのではない。また、過去の暗い罪業に縛られることもない。今世の日々の生活のなかで、妙法を今、信じゆく「信心」の一念によって、瞬間瞬間、この生身の五体に、そのまま尊極な仏の生命を脈動させていける――。これが大聖人の仏法である。
 総じては、広布に徹しゆく、信心強き人は、そのまま仏であると説かれている。ゆえに、この人々を軽んじ、見くだしていくことは、仏を見くだすことである。仏を軽んじては、罪をつくることは当然である。一人の妙法の友に対しては、どんなに尊敬しても、尊敬しすぎることはない。
4  また、蓮華について、法華経(従地涌出品第十五)では、「不染世間法如蓮華在水(世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し)」(開結四九二㌻)と説かれる。
 蓮華は濁った泥水の中から、清浄このうえない美しい大輪の花を咲かせる。その姿のごとく、この大法とともに生きゆく人は、ドロドロとした現実の泥沼の真っただ中で、必ず「常楽我浄」の人生を、たくましくもまた美しく開いていけるのである。
 他のどこか特別な楽園のような場所に行くのでもない。感傷的な現実逃避でもない。この現実社会と生活の大地を離れて、一身の蓮華の法を開花させる舞台はない。
 社会は葛藤である。矛盾であり、エゴとエゴのぶつかり合いである。そうした煩悩の泥水の中にこそ、菩提すなわち絶対的幸福の大花が咲き薫っていく。(拍手)
 戸田先生は、はるか古の「蓮華」の種が、日本と、このアメリカで、同時に咲いたことをとおして、こうつづっておられる。
 「泥沼にあえぐ民衆の一大欲求は、一大仏法の出現である。崇高にして正しく、利益と罰と厳然として、だれ人も頼むに足るべき、偉大なる仏法が現れなくてはならないときである。東西両洋に咲いた蓮の花は、泥土より見事に花を咲かせたではないか。すなわち、何千何万年の夢を破って。
 今、日本民衆の泥沼の中から、遠く久遠元初、近くは、七百年の夢を破って、末法御本仏の崇高なる仏法が、ぱっと咲き乱れるのである。この蓮華の花が、東西両洋に咲き出したということは、末法御本仏の仏法が、花やかに咲き出す瑞相でなくて、なんであろう」(『戸田城聖全集』第一巻)
 当時、私は二十四歳。アメリカ広布の展望も、こうした戸田先生との語らいのなかで、すでに胸中深く練られ始めていた。そして、世界広布の「時」を感じられた戸田先生の大確信のままに、皆さまとともに、アメリカに、そして世界に、大仏法の花を今、爛漫と咲かせんとしているのである。(拍手)
 大聖人はこう仰せである。
 「仏法渡つて今に七百余年前代未聞の大法此の国に流布して月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ
 ――日本に仏法が渡って七百余年の今、前代未聞の大法がこの国に流布して、インド・中国をはじめ全世界の一切衆生が仏に成ることができることこそ、ありがたいことである。ありがたいことである――。
 この大聖人の仰せから、さらに七百年――。わが創価学会が出現して、このお言葉のとおりに、世界の広宣流布へと行動している。実証を示している。まことに不思議な仏法のリズムであると拝される。また、大聖人はどれほどお喜びくださることか。
5  妙法は三世十方の仏の種子
 さて、ここカリフォルニアの地のセコイヤ・スギの巨木はたいへん有名である。
 じつに高さ百三十メートルに達するものもあり、切り株には四十人以上の人が乗ることもできるという。また三千年以上の長寿を誇るものもある。
 しかし、そうした大樹も、出発は一粒の小さな種である。一粒の種に、それだけの限りない可能性が含まれているのである。
 大聖人は「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり
 ――三世十方の仏は皆、必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になられたのである――と述べられている。
 どんな仏であっても皆、「妙法の種」によって仏になられた。すべて同じ法理であり、平等の大法である。決して、他の特別な方法だったのではないとのご断言である。
 今、私どもは、この同じ「妙法の種」を生命に植えたのである。それがどれほどすごいことか。御本尊の仏力・法力、私どもの信力・行力によって、必ずや「一生成仏」の実証を示しゆくことができる。それは御本仏のお約束であり、絶対に間違いない。
 妙法を持たぬ世界のだれが、どんな特別そうな姿を見せても、決してだまされてはならない。末法に戒律を持ったような聖者などいないと、伝教大師も、また大聖人も教えられている。
 皆人間であり、凡夫である。その凡夫が御本尊を持ちきる時、凡夫そのものの姿のまま、くめども尽きぬ仏界の味わいを、時々刻々に楽しみながら生きていけるのである。ゆえに仏法の眼から見る時、皆さま方、広布の同志こそ、限りなく尊き存在なのである。(拍手)
6  誠実こそ人生勝利の原点
 コーヒーの国ブラジルに、こんなエピソードがある。
 今日では、ブラジルはコーヒーの本場として、あまりに有名である。しかし、もともとブラジルにコーヒーはまったくなかった。それでは、どこから、あの大コーヒー王国が生まれたのか。
 一七二七年、ブラジルからギアナの地を訪れたアマゾンの一人の開拓者が、初めてコーヒーのことを知る。彼は「わがブラジルの大地にもコーヒーを植えよう」と思い立つ。そこで、ギアナの総督に、コーヒーの種を分けてくれるよう頼んだ。だが、当時の国法で禁止されているからと、どうしても認めてもらえない。
 それでも彼は、あきらめなかった。何度も願いを出した。しかし、やはり断られる。あきらめきれない。どうすればよいのか――。
 ところが彼の真剣さと熱意に打たれた総督の夫人が、彼のブラジルヘの帰国のさいに、そっと一にぎりのコーヒーの実を、ポケットに入れてくれたのである。
 今日のコーヒー王国は、そのわずか一にぎりのコーヒーの実から始まったという。まことに劇的な歴史である。
 大なり小なり、新しい歴史の始まりとは、そういうものであろう。大河も一滴から始まり、大山も一塵からなる。千里の道も、一歩から始める以外にない。
 まずその「一粒の種」「一にぎりの種」を大切に、じっくりと育てていくことである。そこに、限りない未来の発展が、約束されていく。
 コーヒー王国の原点となった一青年の成功は、偶然ではなかった。
 彼には、熱い「誠意」があった。あきらめず、何度でも立ち向かう「情熱」と「執念」があった。そうした事実の姿が、見る人の心を動かし、信頼を生み、味方をつくっていったのだ、と私は思う。
7  信心と広宣流布の世界にあっても、「誠実」こそ宝である。
 策でもない。命令でも、号令でもない。誠実こそが、人を動かす。広布への赤誠の信心が、御本尊にも深く、また深く感応し、諸天をも揺り動かしていく。
 長い日で見た時には、必ず誠実の人が勝っている。そして状況がどう変わろうとも、わが胸中のまことは、だれ人も奪うことはできない。
 私もこれまで、誠実ひとすじで走ってきた。権力にもよらず、経済力にもよらず、裸の人間としての大誠実だけで、嵐の中、いく百万の民衆の先頭に立ってここまで来た(拍手)。恩師への誓いのままに、ただ、会員を守ろう、幸福をつかんでもらおう、との真心しかなかった。それが私の一生である。(拍手)
 アメリカの今後の新しき発展も、リーダーそれぞれの大誠実以外に断じてありえないと、私は重ねて申し上げておきたい。そして皆の力で「これ以上、楽しく、これ以上、安心できる世界はない」と言えるアメリカSGIを立派に建設していただきたい。
 また千年の未来へ、壮大な人類史を開くトップランナーとして、朗らかな前進を、お願いしたい。(拍手)
 最後に、全アメリカの皆さまの、栄光と幸福の人生、ご家庭の円満と、ご健康、ご長寿をお祈り申し上げ、祝福のスピーチとさせていただく。
 (アメリカSGI世界平和池田講堂)

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