Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

静岡県青年会議 仏法は「新世界」開く知恵の柱

1990.1.21 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

前後
2  アメリカ・ルネサンスを代表する思想家エマソン。私はつねに、近くの書棚に彼の著作を置いておいた。いつでも手に取れるように。彼は、私の愛する哲人の一人である。
 彼の「友情」についてのエッセーに、次の一節がある。
 「私どもの知性と行動の力は愛情とともに強まる。学者は坐って書きものをしようとする、ところが、長年瞑想の生活はつづけてきていても、そのことはただ一ぺんの良い思いつきも美しい表現も与えてくれはしない。そのときは友達に手紙を一本書く必要がある、――そうすれば、たちまちあらゆる方面にやさしい思想が大挙して現れ、選りぬきのことばで装いをこらすものである」(『〈エマソン選集2〉精神について』入江勇起男訳、日本教文社)
 鋭く真理をついた言葉である。
 小さな自分のカラに閉じこもった生命――そこには、躍動がない。真の創造も喜びもない。ゆえに生きた知性の深まりも、価値ある行動の広がりもないであろう。
 ところが一歩、人間への行動を起こす。友と会い、語る。一緒に悩み、考える。すると心中には、限りない慈しみと知恵がわく。それが思いきった実践となっていく。いつしか生命は、ダイナミックに回転を始める。「友情」が、生命にみずみずしい触発をあたえているのだ。
 友への断ちがたい熱情。会って確かめあう信頼と誓い。苦しみを分かちあう心の強さ、潔さ。「友情」は、心を強くし、人生の行き詰まりを破り、越えていく大いなる力となる。
 この二年来、私は「創価同窓の集い」を、全国各地で、また海外でも次々と提案し、開催してきた。
 そこに集えば、久しぶりに会える友がいる。おのずと懐かしい話に笑顔の花が咲く。忘れていた風景とともに、あの青春の誓いもよみがえってくる。やがて、今の課題にふたたび挑戦する勇気もわいてくるにちがいない――。
 同窓の集いには、そうした私の願いが込められている。
3  創価大学、創価学園のもっとも顕著な特長とは何か。さまざまに論ずることができると思う。しかし、一つだけあげるならば、それは、学生・生徒の間に流れる「友情」の清らかさ、深さではなかろうか。創大生、学園生ほど友を思い、友誼に厚い若者たちを私は知らない。かねがね創立者として、誇りに思ってきたことである。
 むろん、他の大学や高校にも、ともに学び、青春を送った友情は、それなりに強い。そうした絆が、それぞれの母校の発展に寄与してきたことも確かであろう。しかし、わが大学、学園には、それらに倍する「魂の友情」があり、美しい「友愛の心」が脈打っていると確信する。(拍手)
4  ところで、創価大学と海外の大学との交流は、年々、着実な進展を見せている。正式の協定を結んだ大学だけで、すでに二十五大学を数える。
 最初の交流校は、香港中文大学であった。二番目がモスクワ大学、三番目がタイのチュラロンコン大学。そして四番目がスウェーデン・ルンド大学で、協定を結んでから昨年でちょうど十周年を迎えた。この間、ルンド大学からは四人、創価大学からは六人の交換留学生が往来し、友情と教育交流の確かな伝統をきざんでいる。
 ちなみに、ルンド大学の創立は一六六八年。すでに三百年以上の歴史を持つ。スウェーデンでは、一四七七年創立のウプサラ大学に次ぎ、二番目に古い大学である。
 ともあれ、わが創価大学は、これからもいちだんと交流の輪を広げ、世界に教育と友情の翼を広げていくことになっている(=一九九五年末現在、海外五十六大学と交流)。母校がますます世界に向かって発展し、強く美しい「知」と「心」のネットワークを築いていることを、卒業生の皆さま方に、ここでご報告しておきたい。(拍手)
5  良書を求め、学びに学ベ
 こうした創大の交流先の一つにマレーシアのマラヤ大学がある。私は一昨年二月に、創大の創立者としてマラヤ大学を訪問し、図書贈呈をさせていただいた。
 そのさい、同大学のアジズ前副総長が「書物こそ文化の懸け橋」と述べられたことが、印象深く心に残っている。
 マレーシアには「読書は知の懸け橋」とのことわざがある。アジズ前副総長は、書物という″知の贈り物″を、両大学、さらに日本とマレーシアを結ぶ文化・教育の懸け橋として最大に喜び、感謝を語ってくださったのである。
 また、かつてトインビー博士と対談した折のことである。たまたま、食事や服装の好みに話題がおよんだ。
 そのとき、博士は「今、持っている服で、余生は十分、間に合うと思っています。私としては、服は今までの古着を着ていても、本をもっと買いたいという心境です」と語っておられた。
 歴史家として「知の探究」に生涯をかけた博士が、どれほど書籍を大切にしていたかを物語る言葉である。
 アジズ前副総長、トインビー博士にかぎらず、一流の人は皆、「書物」を愛し「知」を求めぬいている。いくつになっても「学ぶ」ことを忘れない。
 世の中には、″本よりも服がほしい″(笑い)という人も多い。それはそれとして、若き人はつねに「知」を探究していく姿勢だけは、すべてに優先していきたいものだ。その人生の姿勢が、一生涯のうえからみた場合に、どれほど大きい違いとなるかは、おわかりのことと思う。
6  ともあれ諸君は、「良書」を求め、読みぬいていただきたい。どこへ行っても、どのような人に対しても、自在に話を展開し、深い感銘をあたえるだけの力を培っていただきたい。青春時代の今、やっておかなければ、必ず悔いを残すことになる。ゆえに、私は、若き諸君に繰り返し申し上げているのだ。
 信仰者として「御書」を心肝に染めていくことを根本として、さらに幅広い勉強が必要である。そうでなければ、多様な現実の大地に生きる人々に、妙法の偉大きを理解させ、証明していくことはできないからである。
 私は、戸田先生のもとで″読む″ことを徹底して鍛えられた。「論語読みの論語知らず」であつてはならないが、仏教の教義しか知らず、あとのことは何も論ずることができないようでは、仏法まで偏頗にしてしまう。仏法の序分であり、流通分である一切の学問も必要となるのである。
 人生の万般が、また宇宙の一切の現象が仏法に通じている。ゆえに″仏法の眼″からみれば、学んだことのすべてが生かされていく――このことを痛感するにつけても、恩師への感謝の思いは尽きない。
 また、「仏法即社会」である。ゆえに、「正法」を大切にすることは「社会」を大切にすることに通ずる。社会を甘くみてはいけない。みずからのいる社会を大切にしなければ、決して社会で勝ちゆくことはできないのである。
7  先日、私は東ドイツ(=一九九〇年十月に統一ドイツが誕生)のマンフレット・シュミット大使と会談した。
 そのさい、日本にとってドイツは歴史的に″恩ある国″であることに話がおよんだ。
 ちなみに、両国の交流の歴史については、ボン大学名誉教授であった故ヨーゼフ・デルボラフ博士との対談集『二十一世紀への人間と哲学』(本全集第13巻に収録)でくわしく述べている。
 話した言葉は消えてしまうが、書物は消えない。私が世界各国の有識者と対談集を出版させていただいているのも、やはり有意義な対話を本に残すことが大切であると考えてのことである。後世の人々に、さらに内容を探究し深めてもらうこともできると思うからである。
 いずれの対談・出版も、私なりに世界の平和と安定を真摯に願ってのことであり、また、諸君のために未来の舞台を切り開いておきたい、との思いからであることを知っていただきたい。(拍手)
8  二十一世紀の″知恵の柱″に
 さて、日本は明治期の近代化のなかで、ドイツからじつに多くの影響を受けている。その一例として、明治憲法がドイツ帝国憲法を範としてつくられたことは、よく知られる。また学術・教育の分野においても、ドイツの大学教員が日本の大学に招聘されて学問の興隆に尽くすとともに、日本からの留学生も数多くドイツを訪れた。
 こうしたドイツヘの留学生のなかに、近代日本を代表する文豪の森鴎外がいる。彼は、一八八四年(明治十七年)、二十二歳の時から二十六歳までの青年期を、ベルリン、ライプチヒ、ドレスデンの各都市、およびミュンヘンで過ごしている。
 そして帰国後は、ドイツ三部作といわれる『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』を執筆した。このうち『舞姫』はベルリン、『うたかたの記』はミュンヘン、『文づかひ』はドレスデンを、それぞれ作品の舞台としたものである。
 『舞姫』では、当時のベルリンのすばらしき情景を、次のように描いている。
 「この欧羅巴ヨーロッパの新大都の中央に立てり。何らの光彩ぞ、我目を射むとするは。何らの色沢ぞ、我心を迷はさむとするは」と。
 また「彼もこれも目を驚かさぬはなきに、車道の土瀝青アスファルトの上を音もせで走るいろいろの馬車、雲に聳ゆる楼閣の少しとぎれたる処には、晴れたる空に夕立の音を聞かせて深り落つる噴井の水、遠く望めばブランデンブルク門を隔てて緑樹枝をさし交はしたる中より、半天に浮び出でたる凱旋塔の神女の像、この許多あまたの景物目睫の間(=近く)に聚まりたれば、始めてここに来しものの応接にいとまなきもまなり(=次々に目を奪われるのも、もっともである)」と(岩波文庫)と――。
 少々、引用が長くなったが、このように鴎外は、ベルリンの魅力的な姿を、じつに美しくうたいあげている。当時の日本にとって、ドイツはまさに憧れの天地であったといえよう。
 その後、日本とドイツの関係は一八九五年(明治二十八年)の三国干渉(日清戦争後の領土問題についてロシア・フランス・ドイツの三国が日本に行った干渉)などにより悪化し、第一次世界大戦では敵国として戦っている。また第二次大戦では、両国ともファシズムの台頭を許し、多くの犠牲を生んだ果てに敗戦にいたるという不幸な歴史をつづっている。
 ともあれ、東ドイツにも新しい「民主と平和の風」が吹きはじめた今、日本との関係も、政治・経済的次元の交流とともに、より豊かな精神的な交流を図っていかねばならないと私は思う。
9  このような新しい時代の転換点にあたって、東ドイツをはじめルーマニア、そしてアメリカなど、各国の大使とお会いして実感したのは、いずこの国も、自国と世界の未来のために、力ある「哲学」を切望している、という点である。
 戦争と暴力と抑圧――この″悪の流転″ともいうべき歴史を転換しゆくには、何らかの新たな「哲学」をもたねばならない。そうでなければ、人類の未来は開けないというのが、世界の識者たちの見方である。
 私の対談したローマクラブの創始者、アウレリオ・ペッチェイ博士は、亡くなる一カ月前にローマの地でつづった遺稿の中で「われわれに必要なのは、生命についての新しい哲学である」(「恒久平和への道」高木規矩郎訳、『二十一世紀への警鐘』所収、読売新聞社)と述べられている。
 ″新たな生命の哲学を構築し、揺るぎない〈知恵の柱〉を確立せねばならない″――これが博士の、二十一世紀を志向した遺言ともいうべき信条であった。短い一言であるが、人類の現状と未来にとって千釣の重みを持つものであろう。
 そして博士の期待どおりに、仏法という生命の根本法を実践し、時代・社会の〈知恵の柱〉として輝きを放っているのが、わが創価学会であると申し上げたい。(拍手)
 ある日本の識者が「創価学会の存在さえあれば、日本の将来は安泰である」と語っていたという話をうかがったが、私どもの前進が、日本、否、人類の平和と幸福にとって、どれほど偉大な貢献をなしえているか。このことは、後世の歴史に厳然と証明されていくにちがいない。(拍手)
10  「創造の時代」への哲学はわれらに
 ところで、「新しい哲学」を希求する時代・社会のもっとも重要なテーマとなっているのが、人間の「心」の問題である。
 日蓮大聖人は「三世諸仏総勘文教相廃立」に、次のように仰せである。
 「心の不思議を以て経論の詮要と為すなり、此の心を悟り知るを名けて如来と云う
 ――心の不思議なる実相を説き明かすことを、経や論の肝要とするのである。この心を悟り知った人を名づけて如来と言うのである――。
 すなわち仏法の根本問題は「心」の一点にあり、「心」、「生命」の実相を悟った人が如来、仏であるとのご教示である。
 「心」の解明は、政治や経済の次元では決してなしえない。また科学や教育の分野でも、「心」の全容を把握することはむずかしい。
 仏法こそ、複雑にして微妙な心を全的にとらえ、解明した教えである。とともに、この「心」「生命」を、浄化し、変革し、よりよい方向へと導いていくのが、私どもの仏道修行であり、広宣流布への活動なのである。
11  さらに、大聖人は次のように述べられている。
 「無明は明かなること無しと読むなり、我が心の有様を明かに覚らざるなり、之を悟り知る時を名けて法性と云う
 ――無明とは明らかなることなしと読むのである。わが心のありさまを明らかに覚らないのである。それに対し、この心のありさまを悟り知る時を名づけて「法性」という――。
 一切の根本をなしている「心」に暗く、迷っているところに、今日の諸問題の根源の因があるといってもよい。
12  貪・瞋・癡・慢・疑の生命に支配され、苦しみの闇をさまよい歩く――それは、自身の心の本来のありようを見失った、人間の止めがたい「宿命の流転」の姿にほかならない。
 戦争や抑圧、暴力などの人類の″病¨も、この生命の流転から生みだされたものといえよう。
 その意味で「生命」「心」の浄化、変革を説く仏法の教えこそ、人類史を″破壊″から″創造″へ、″悲惨″から″喜び″へと転じゆく根本の大法であり、まさにペッチェイ博士の言われた「新しい生命の哲学」であると、私は声を大にして訴えておきたい。(拍手)
13  妙法の信受で一切は福運に
 さて法華経分別功徳品第十七に「持此一心福 願求無上道(此の一心の福を持って 無上道を願求し)」(開結五二〇㌻)とある。
 この文は、八十億万劫もの長い間、禅定(心を一所に定めて、真理を明らめようとすること)を修行して得た一心の福徳を持って、無上の仏道を願い求める、との意味である。
 大聖人は「御義口伝」で「此の文は一切の万行万善但一心本覚の三身を顕さんが為なり」と明かされている。
 つまり、一切の万行万善を修するといえども、結局はただ一つ、一心本覚(仏)の三身をあらわすこと、すなわちわが胸中に、南無妙法蓮華経を顕現するためにほかならないのである。
 そして「善悪一如なれば一心福とは云うなり所謂南無妙法蓮華経は一心福なり」と。
 妙法を受持したときには、善悪一如で、善も悪も、ともにわが生命に収まって福運となるがゆえに、一心の福という。南無妙法蓮華経と唱えることが「一心の福」となるといわれているわけである。
 南無妙法蓮華経の御本尊を信受することが、一心の最高の福運である。ゆえに私どもは、御本尊を持つことによって、無上の幸福の道を、三世永遠に歩みゆくことができる。
 同じ土でも、良い土と悪い土があり、水にも良い水と悪い水があるように、同じ心といっても、善の心と悪の心がある。しかし、たとえ悪い心であっても、妙法に照らされることによって、善なる心へと輝いていく。そして幸福を開く福運として、生命にきざまれていくのである。
 その永遠に崩れることのない無上の道を築いていくために、私どもの日々の信心の行動がある。
 仏道修行にも困難な道を進まなければならないこともある。しかし、それらの苦しみに負けて、退転の道に入ってはいけない。妙法の世界から離れることは、生命の正しき軌道を外れた″迷走飛行″の人生となり、不幸への″墜落″となってしまうからである。
 「最高善」に背くことは「極悪」に通じる、というのは道理である。正法を誹謗し、同志に迷惑をかけて去っていった退転者の姿は、その厳しき因果を物語っていることは、諸君もよくご存じのとおりである。
 ともあれ、人生は長い。人生には苦楽がつきものである。人間は皆、幸福を追求するが、結果はまちまちである。そこに、正しき幸福への法則である妙法が必要となるのである。
 ゆえに諸君は、無上の最高善の幸福の大道である信心を捨ててはならない。正しき信心は、真の永遠なる幸福を築きゆく方途であるからだ。
 これからも諸君は、厳しい実社会の中で、妙法を信受した確信と使命と歓喜をいだきながら、堂々と進んでいただきたい。これこそが人生にとって、もっとも正道の方軌であるからだ。諸君が、いつもいつも健康で朗らかに前進されんことを祈って、私のあいさつとさせていただく。
 (富士宮国際文化会館)

1
2