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日蓮大聖人・池田大作

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静岡県青年会議 仏法は「新世界」開く知恵の柱

1990.1.21 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

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13  妙法の信受で一切は福運に
 さて法華経分別功徳品第十七に「持此一心福 願求無上道(此の一心の福を持って 無上道を願求し)」(開結五二〇㌻)とある。
 この文は、八十億万劫もの長い間、禅定(心を一所に定めて、真理を明らめようとすること)を修行して得た一心の福徳を持って、無上の仏道を願い求める、との意味である。
 大聖人は「御義口伝」で「此の文は一切の万行万善但一心本覚の三身を顕さんが為なり」と明かされている。
 つまり、一切の万行万善を修するといえども、結局はただ一つ、一心本覚(仏)の三身をあらわすこと、すなわちわが胸中に、南無妙法蓮華経を顕現するためにほかならないのである。
 そして「善悪一如なれば一心福とは云うなり所謂南無妙法蓮華経は一心福なり」と。
 妙法を受持したときには、善悪一如で、善も悪も、ともにわが生命に収まって福運となるがゆえに、一心の福という。南無妙法蓮華経と唱えることが「一心の福」となるといわれているわけである。
 南無妙法蓮華経の御本尊を信受することが、一心の最高の福運である。ゆえに私どもは、御本尊を持つことによって、無上の幸福の道を、三世永遠に歩みゆくことができる。
 同じ土でも、良い土と悪い土があり、水にも良い水と悪い水があるように、同じ心といっても、善の心と悪の心がある。しかし、たとえ悪い心であっても、妙法に照らされることによって、善なる心へと輝いていく。そして幸福を開く福運として、生命にきざまれていくのである。
 その永遠に崩れることのない無上の道を築いていくために、私どもの日々の信心の行動がある。
 仏道修行にも困難な道を進まなければならないこともある。しかし、それらの苦しみに負けて、退転の道に入ってはいけない。妙法の世界から離れることは、生命の正しき軌道を外れた″迷走飛行″の人生となり、不幸への″墜落″となってしまうからである。
 「最高善」に背くことは「極悪」に通じる、というのは道理である。正法を誹謗し、同志に迷惑をかけて去っていった退転者の姿は、その厳しき因果を物語っていることは、諸君もよくご存じのとおりである。
 ともあれ、人生は長い。人生には苦楽がつきものである。人間は皆、幸福を追求するが、結果はまちまちである。そこに、正しき幸福への法則である妙法が必要となるのである。
 ゆえに諸君は、無上の最高善の幸福の大道である信心を捨ててはならない。正しき信心は、真の永遠なる幸福を築きゆく方途であるからだ。
 これからも諸君は、厳しい実社会の中で、妙法を信受した確信と使命と歓喜をいだきながら、堂々と進んでいただきたい。これこそが人生にとって、もっとも正道の方軌であるからだ。諸君が、いつもいつも健康で朗らかに前進されんことを祈って、私のあいさつとさせていただく。
 (富士宮国際文化会館)

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