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日蓮大聖人・池田大作

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第九回全国婦人部幹部会 真実を叫ぶ″魂の自由″を

1989.11.29 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

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2  昨日の中央会議で、婦人部の明年の活動ポイントが発表された。今朝、妻がそれを「聖教新聞」で読み、教えてくれた。
 そのポイントは(1)学習運動の推進で広布の人材に育とう(2)総合力で第一線を強化充実し、さらなる広布の前進を(3)一家和楽の家庭を築き、広布後継の人材を育成しよう、の三点である。
 いずれもすばらしい内容であると思う。ただ、やや長く、論文調でもあり(笑い)、なかなか覚えにくい。(笑い)
 やはり、モットーは、簡潔でわかりやすいものがよい。その意味から、「活動ポイント」を踏まえたうえで、それぞれの意を汲んで、次の三モットーを提案したい。
  (1) 知識と知恵を磨こう。
  (2) 全員人材、全員幸福。
  (3) 親子一体の使命の人生。(賛同の大拍手)
 明年もどうか、いちだんと朗らかな前進をお願いしたい。(拍手)
3  広布の母は「大地」のごとく
 さて、「幸福観」について、一言、述べておきたい。
 「人生の幸福」といっても、もちろん人によって、さまざまなイメージがある。それぞれの価値観により、幸福像は大きく異なるものである。
 ただ、平穏無事に過ぎる一生を「幸福」とする人も少なくない。ひたすら安定と快適を求め、そこに人生の価値を見いだす。描かれる幸福像は、たとえば「何も困ったことが起きない生活」(笑い)であり、「夫婦で手をつなぎ″カフェ″に入る」(笑い)光景であろうか。
 一見、いかにも「幸福」に思えるかもしれない。しかしそこには、本当の深みも、人生の味わいもない。
 それに対し、私どもの広布の旅路には、さながら劇のごとく、次から次へ、試練の嵐が来る。苦悩の高波もある。悪意の突風が吹く。しかし、それらに耐え、戦い、乗り越えてこそ、自身の深まりと充実があり、向上がある。人と人の信頼が生まれ、絆が強まる。つまり、人生の確かな価値が創造され、花開いていく。
4  仏法では、仏を「能忍」と説く。一切衆生のために難を忍び、耐えて法を弘めゆくところに、仏の徳がある。また、法華経を行ずる者に「悪口罵詈」があるのは必然であるとも説いている。
 言い換えれば、平坦なだけの道は、成仏への道ではない。さまざまな障害が競い起きてこそ御聖訓どおりの信心であり、生命は磨かれ、成仏の道が開けていく。仏という永遠不壊の幸福境涯は、絶えざる難との戦いのなかにのみ構築されていくのである。
 ゆえに、三世に崩れざる「幸福」とは、仏道修行という波瀾万丈の人生を勝ちぬいたところにあるといってよい。深く、広く、強靱な「幸福」の実像。それは、激しき人生の波浪のなかにあることを、強く訴えておきたい。(拍手)
 たとえば、「大地」ほど忍耐強く、慈悲深いものはない。巨大なビルにも、壮大なダムにも、悠々と耐え、ささえる。風雨に揺るがず、人間が踏み歩いてもじっと見守り、黙っている。
 それだけではない。あらゆる草木に滋養を与え、芽吹きや生長の上台となる。限りなく「生」を育みながら、どっしりと広がり、そして太陽の恵みを享受する――。
 この「大地」のような生き方に、最高の「幸福」の方軌を、私は見たい。
 ともあれ明年も、大地のごとく堂々と、大地のごとく悠々と生きぬいて、見事な勝利と幸福の実証を示していただきたい。(拍手)
5  世界への道を明年も
 私どもの運動は、仏法を基調に「平和」「文化」「教育」の推進をめざすものである。その広範な活動に対し、世界中から称讃の声が寄せられ、いやまして期待が高まっている。
 たとえば「教育」の次元では、創価大学、創価学園に対する関心が世界的に広がり、各国の賓客が訪れる運びともなっている。
 また、このほど、中国の北京市第一実験小学校と東京・関西の創価小学校との交流が決まった。この北京市の小学校は、かつて鄧穎超とうえいちょう女史(周恩来総理夫人)も教鞭を執られた伝統ある学校である。
 まず来秋には、北京から教員と児童の代表が来日する(=一九九〇年九月六日に来日し、東京・関西の創価小学校上父流)。その後も、相互に訪問を続け、有意義な交歓を重ねることになっており、こうした長期の展望に立っての小学校同士の交流は、初めてのことであろう。(拍手)
 思えば、日中国交回復のあと、いち早く中国の留学生を受け入れたのも、わが創価大学であった。万代にわたる日中の繁栄へ、友好の種子は着実に、確実に植えられている。
6  五月から六月にかけてのヨーロッパ訪問も、うれしいことに、各国に確かな足跡をきざみ、大きく反響を広げるものとなったようである。
 なかでも、フランス学士院・芸術アカデミーでの講演については強い共感と讃辞をいただき、さきほども、同学士院の方から「過日の講演は、今も多くのメンバーの絶讃を博しております。芸術アカデミー始まって以来の画期的なものでした」との伝言を受けた。過分のお言葉に恐縮しているが、こうした西洋知識人による賛同は、いわば仏法の世界性、普遍性の証であり、これからもますます、堂々と、誇り高く、妙法の正義と真実を、地域、社会に訴えきっていきたい。(拍手)
 私自身、世界中を駆けめぐり、多くの人々と会って、仏法の卓越性を示し、証明していくつもりである。
 まず明年二月にアメリカを訪れ、五月には中国等を訪問することになっている。それ以降も、各国から多くの性隊どいただいており、できるかぎり訪問していきたいと考えている。
7  いつも″心の笑顔″の人に
 さて人生にとって「心」の姿が、どれほど大切であるか。「心」ひとつで、どんなに自身を、また周囲をも変えていけるか。同じ条件、境遇でも正反対の人生にさえなっていく。
 このことを、アメリカの女性作家エレナ・ポーター(一八六三年〜一九二〇年)の名作、『少女パレアナ』(村岡花子訳、角川文庫)をとおして、少々お話ししたい。
 これは、アメリカでは知らない人はいないという小説である。日本でも、テレビアニメ「愛少女ポリアンナ物語」として放映されたようだ。
 ――幼くして両親を亡くした少女。ハレアナは、母の妹である叔母のもとに引き取られる。叔母は裕福だが、「心の乾いた」女性であった。姪を引き取ったのも、決して「愛情」からではない。彼女が人生でもっとも大切にしている「義務」からであった。引き取らなければ、世間体が悪いという気持ちもあった。
 彼女のように、心はずむ夢やみずみずしい情愛、感動を失い、″仕方ないから″と、人生を義務感によって生きている人は少なくない。
 ところがパレアナには、亡き父親と約束した、ある「ゲーム」があった。それは「何にでも″喜び″を見つける遊び」である。
 たとえば、パレアナが駅に到着した時、叔母は迎えにも来ない。少女にとって、未知の土地である。不安もある。期待もある。普通なら″どうして来てくれないのかな″と悲しみ、恨むかもしれない。しかしパレアナは、代わりに来たメードのナンシーに言う。
 「叔母さんが迎えにきてくださらなかつたのがうれしいの。だって、まだこのあと叔母さんに会う楽しみがあって」(前掲書。以下、引用は同じ)と。
 彼女は、心からそう思おうとしているのである。
 叔母の家に着く。そこでも少女は、まことに冷たく迎えられる。立派な設rが他にたくさんあるにもかかわらず、なんにもない屋根裏部屋をあてがわれてしまう。いったん、すばらしい部屋に胸おどらせたパレアナの失望は大きかった。夢多き少女にとっては当然のことであろう。
 しかし、ひとたびはがっかりしたものの、パレアナはまた気を取り直す。このあたりは、婦人部の皆さまのたくましさとそっくりである。(爆笑)
 なんにもない部屋。これをどう喜ぶのだろうか。彼女は思う。″かえって片づけが早くすむからいいわ″――。(笑い)
 「鏡のないのもうれしいわ。鏡がなければ、ソバカスも見えませんものね」(笑い)
 絵もない部屋――。しかし屋根裏から見える風景に、「あんないい景色があったら、絵なんか見ないでいいわ。叔母さんがこの部屋をくだすってうれしいわ」と。
 一事が万事、パレアナは、つらい境遇のなかにあって、一生懸命「喜び」を見つけようと努力する。
8  ″喜びを生みだす″人生を
 この「パレアナ遊び」は、「喜ぶことをさがしだすのがむずかしければむずかしいほどおもしろい」と彼女は言う。
 この遊びがしだいに広まっていく。皆、パレアナがいつも明るくて、「喜び」に輝いているので、大好きになったからである。
 町には、「グチ」のかたまりのような、病身の婦人もいた。彼女は「月曜日になりゃ日曜日だったらいいって言うし、牛肉のゼリー寄せを持っていけば、きっとチキンのほうがよかったと言う」(笑い)ような女性である。似た人が思い浮かぶ方もいらっしゃるかもしれない。(笑い)
 「いつでもそこにないものばかりを欲しがる癖がついてしまったので、さて、いまなにを一番欲しいかということをはっきり、すぐ言うとなると、どうしても言えない」人間だった。
 パレアナはどう考えたか。だれでも月曜日の朝はいやなものである。では、それをいったい、どう喜べばよいのか。彼女は悩んだ。そして言った。
 「一週間のどの日より月曜日の朝、喜んでいいと思うわ。だって、次の月曜日が来るまでに、まる一週間あるんだもの」(笑い)
 病気のせいで頑なになった婦人の心も、パレアナの励ましと明るさに、しだいにほぐれていく。
 自分にはとにかく自由に動かせる「両手と両腕がある」ことを喜び、積極的に編み物を始めるまでに変わる。
 その他のエピソードは略させていただくが、この調子で少女は周囲を変えていく。叔母さんの冷たい心も、また若き日の処盤以来、儒屁になった中年男も、パレアナの「喜びの光」にあたためられ、心をとかされていった。やがて町中が、パレアナという一人の少女の力で、生まれ変わっていったのである。(拍手)
9  パレアナは、どんな人に会っても、何かしら「うれしいこと」「喜べること」を見つけた。だれだって、自分に会って心から喜んでいる相手に対し、悪い気持ちを持ち続けることはむずかしい。だから皆、いつしかパレアナの味方になった。
 心は不思議である。心は微妙である。こちらが悪い感情をいだいていると、たいていは相手にもそれが伝わっている。こちらが笑顔の思いで接すれば、相手にも微笑みの心が宿る。こちらが粘り強く手をさしのばせば、相手もいつしか手をさしのばす――相手はいわば、自分にとって「鏡」のような存在なのである。
 パレアナは、自分がまず心から「喜ぶ」ことで、「鏡」である相手からも、少しずつ「喜び」を引き出していった。
 また、どんな人に会っても″すばらしい人だ″とまず決めて、その″信頼″を率直に表現した。だから多くの人が、なんとかその信頼に応えようと動いた。
 ″あの少女のようになりたい″――見えない「心の力用」が、人々の心を揺さぶり、大きく開花させていったのである。
10  パレアナのように「何にでも喜びを見いだす」ことは、のんきな気体めではない。「義務」感や「グチ」で日々を灰色におおうよりも、よほど創造的な″強さ″が要求される。
 また「何にでも喜びを見いだす」――これは、一歩間違えば、たんなる現状肯定の、お人よしになりかねないかもしれない。
 それはそれとして、同じ一生であるならば、喜んで生きたほうが得である。同じ行動をするのなら、楽しんで行動したほうが価値的である。
 まして仏法では「一心の妙用」と説く。また「一念随喜」(随喜とは随順して歓喜すること)と説き、「随喜功徳」(随喜の一念に広大な功徳が備わる)と教える。
 心にあふれる喜びの光――そこに信仰の証明があり、境涯のバロメーター(指標)もある。
 ともあれ「生き生きと生きよ」――自身のため、愛する家族のため、友のために、私はそう申し上げたい(拍手)。その人には、悩みをも希望へと変えゆく勇気がわく。のみならず、多くの人々の心に、希望の灯をともしていくことができる。
 その意味でどうか、厳しい現実の生活も、豊かな心で楽しみながら、強くまた強く、価値ある人生を創っていっていただきたい。(拍手)
11  人生の波瀾が幸福観を深める
 本日の集いには、「転輪会」の夫人の方々も参加されている。
 日蓮大聖人は、富木常忍の夫人である富木尼御前に対して、矢が飛ぶのは弓の力によることなどをとおして「をとこのしわざはのちからなり」――夫の所業は妻の力による――と仰せである。
 「転輪会」の方々のご活躍も、夫人の皆さま方のささえ、力があればこそと、私は心から感謝申し上げたい。
 社会にあっても、信心の世界にあっても、夫をささえる妻の力はじつに大きなものがある。
 大聖人は、「をとこをみればをみる」――夫を見れば妻を見ることができる――とも述べられている。
 ある意味で、夫は夫人によって決まるといっても過言ではない。夫人を見れば″なるほど、この夫人ありて、この夫なのだな″と、よく理解できるものである。それが、数多くの夫婦の姿を見てきた私の実感でもある。
 ゆえに夫人の皆さまは聡明であっていただきたい。夫への尊敬や信頼は大事だが、″私の夫は偉い″と錯覚して盲従するようになれば失敗である。
 夫を、賢明に、そして厳然と信心の軌道修正をしていけるだけの、心の強さを忘れないでいただきたい。
12  ところで富木尼御前は、前の夫と死ルし、富木殿とは再婚だったようである。また、姑の看病もあった。そして自身も大病に苦しむ。決して順調な人生ではなかった。
 しかし、そのなかで、大聖人一門に対する大弾圧にも屈せず、夫をささえ、けなげな信仰を貫いてきたのである。
 信心しているからといつて、夫との死別がないわけではない。ある場合には再婚も、離婚もある。病気で苦しむこともあれば、子どもや姑との関係で悩むこともある。それが、いつの時代にも変わらない現実の人生である。
 その現実に根ざして、現実の苦悩を転換し、幸福への道を開いていくのが仏法である。仏法は、決して遠くにあるものではない。現実の人生そのもののなかにある。
 また、病気になったり、子どものことで悩んだりしたとき、心ない世間の人たちから″信心しているくせに″と非難される場合もあるかもしれない。だが、信心について非難されたぶんだけ、罪業を消してくれている。福運を積んでいるのである。それを確信して、自分らしく、また、たくましく信心の道を進んでいただきたい。
 夫婦ゲンカだってある。ケンカもしないで、いつも波風のたたない夫婦というのも、おもしろみがない(笑い)。それよりも、少々はケンカもあって″まだ、おたがいに元気だな″(爆笑)″すぐには死にそうにないな″(爆笑)″生きている証拠だな″(笑い)というぐらい、楽しく、朗らかに生きていただきたい。そこに人生の妙味もある。
13  苦しむ門下に大慈悲の励まし
 ある年の十一月二十九日、ちょうど本日の日付にあたっているが、大聖人は、厳寒の身延から富木殿に送られたお手紙に、次のように記されている。
 「尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり」――尼御前(富木夫人)のご病気のことは、わが身一身のことと思っておりますから、昼夜に諸天に祈っております――。
 「此の尼ごぜんは法華経の行者をやしなう事灯に油をへ木の根に土をかさぬるがごとし、願くは日月天其の命にかわり給へと申し候なり」――この尼御前は、法華経の行者を、灯に油をそえ、木の根に土をかぶせるように供養してきた人です。″願わくは日天・月天が尼御前の命に代わって助けられよ″と祈っています――。
 「又をもいわするる事もやと・いよ伊予房に申しつけて候ぞ、たのもしとをぼしめせ」――また、思い忘れることがあってはと、伊予房(尼御前の子息で、大聖人のもとで修行していた)に尼御前の病気平癒を申しつけてあります。頼もしくお思いください――と。
 大聖人が、陰の功労者をどれほど慈しんでこられたか。一人の婦人の門下が、病気で苦しんでいれば″大聖人ご自身のこと″とまで思われて、一日も早い聡ぱを祈ってくださっている。まことにありがたい御本仏の大慈大悲であられる。
 大聖人のこうしたお姿を拝するとき、これが仏法者の生き方でなければならないと、しみじみと感ずる。権威でも、体裁でもない。苦しみの人を、広布にけなげに戦っている人を、自分自身のように思って大事にしていく。励まし慈しんでいく、ここに人間性の精髄があることを絶対に忘れてはいけない。
 学会も、この心を失わず、人々に尽くしてきたがゆえに、今日の大いなる発展と前進がある。これが学会の誇りであり、強さである。(拍手)
14  さらに大聖人は、この尼御前の健康と長寿を祈り、繰り返し励まされている。
 尼御前に与えられた有名な「可延定業書」で、次のように仰せになっている。
 「法華経にあわせ給いぬ一日もきてをはせば功徳つもるべし」――尼御前は法華経にめぐりあわれました。一日生きておられれば、それだけ功徳を積めるのです――と。
 妙法を受持し、広布のために生きぬいていく「一日」が、どれほどすばらしいか。「一日」生きれば、どれほど功徳を積むことができるか。永遠に朽ちない福徳の貯金をしているようなものである。それが確信できれば、少々の労苦などなんでもない。豁然と、日々、太陽が胸中に昇ってくる。
 どうか、一日一日、自分の人生を大切にし、生命の黄金の日記帳をつづっていただきたい。
15  成仏の軌道へ導く真実の言葉
 さらに御書を拝し、話を進めさせていただきたい。大聖人は、次のように記されている。
 「仮令たとい強言なれども人をたすくれば実語・輭語なんごなるべし、設ひ輭語なれども人を損ずるは妄語・強言なり
 ――たとえ強くあらあらしい言葉でも、人を救えば真実の言葉であり、柔らかく穏やかな言葉である。たとえ穏やかな言葉でも、人を誤らせてしまえば偽りの言葉であり、強くあらあらしい言葉である――と。
 これは、大聖人が旧師の道善房に会われたさいの、ご自身のお振る舞いについて述べられた御文である。
 道善房は、大聖人が幼少のころに師事された、いわば恩人である。この時は、約十年ぶりの再会であった。
 「穏便の義を存じおだやかに申す事こそ礼儀なれとは思いしかども……」――穏便の義をもって、穏やかに申し上げることこそ、礼儀であるとは思ったが――と、大聖人は仰せである。
 しかし、念仏の信仰に染まっていた道善房を強く折伏される。「強言なれども人をたすくれば実語・輭語なんご」とは、まさにこのことを言われたものである。
 真実の慈悲の言葉。それは決して聞こえのよい、体裁ぶった言葉ではない。たとえ、言い方は強く厳しいようであっても、相手の「一凶」を除く。すなわち不幸の根本原因を断ち切って、正しき幸福の軌道へとリードしていく。これこそが、道理にかなった「真実」の言葉であり、慈悲の発露なのである。――このことを大聖人は、ご自身のお振る舞いをとおして示された。
 そして、道善房に対するご心境を、次のように明かされている。
 「生死界の習ひ老少不定なり又二度見参の事・難かるべし、此の人の兄道義房義尚此の人に向つて無間地獄に堕つべき人と申して有りしが臨終思う様にも・ましまさざりけるやらん、此の人も又しかるべしと哀れに思いし故に思い切つて強強に申したりき
 ――生死の世界は、老いも若きもいつ死ぬかわからないのが習いである。またふたたびお会いすることもむずかしいだろう。この人(道善房)の兄の道義房義尚に向かっても無間地獄に堕ちるべき人と言っておいたが、臨終はやはり自分の思うようにいかなかったらしい。この人(道善房)もまたそうなるであろうと哀れに思ったから、思い切って強く申し上げたのである――と。
 私も、この大聖人の御精神を拝して、言うべき時には強く言ってきたつもりである。それは、ひとえに、その人の生命に巣くう魔を打ち破り、宿命転換のきっかけとしてほしい、との願いからであった。それを恨みに思って反逆した者もいた。しかし、この御書に照らし、言うべき時に強く言わなければ、もっとかわいそうなことになってしまう。
 善きにつけ悪しきにつけ、人の一生は臨終の姿に集約される。その″総決算″を、太陽が荘厳に輝くような生命の凱歌で飾りゆくのか。はたまた、恐ろしい真っ暗な闇の中を、逃げても逃げても野獣に追いかけられるような苦しみで終わってしまうのか、人生はごまかしがきかない。この厳しき仏法の因果を知れば、信心の姿勢に対する「強言」、「実語」がいかに大事かを思わずにはいられない。
16  ところで、このようなご慈愛からの大聖人のお言葉を、道善一房も周囲の人々も、その席では「理解できない。納得できない」という様子で聞いていたようだ。
 が、後になって、この道善房が法華経を持つようになったとの報告が、大聖人のもとに届く。それを受けて大聖人は、次のように仰せになっている。
17  「当座にはつよげなる様に有りしかども法華経の文のままに説き候いしかばかうおれさせ給へり、忠言耳に逆らい良薬口に苦しと申す事は是なり」――その当座は厳しいように思えたけれども、法華経の文のとおりに説いたので、このように心を変えて従われたのである。″忠言耳に逆らい、良薬口に苦し″というのはこのことである――と。
 一人の人間の生命を揺さぶり、動かしながら、正しい成仏の軌道へと、導いていく――これが「折伏」の道であり、学会の「指導」の本義である。
 さらに大聖人は、こうした道善房の例をとおし、このようにも述べられている。
 「日本国の一切衆生も亦復是くの如し、当世・此の十余年已前は一向念仏者にて候いしが十人が一二人は一向に南無妙法蓮華経と唱へ二三人は両方になり、又一向念仏申す人も疑をなす故に心中に法華経を信じ又釈迦仏を書き造り奉る、是れ亦日蓮が強言より起る
 ――日本国の一切衆生もまた同様である。今の世でこの十余年以前までは、もっぱら念仏者であったが、今では十人のうち一、二人はもっぱら南無妙法蓮華経と唱え、二、三人は両方唱えるようになり、またもっぱら念仏を申す人も疑いをいだいて、心の中では法華経を信じ、また釈迦仏をかいたり、造るようになった。これもまた日蓮の強言から起こったのである――と。
 わが学会は、この大聖人の教えのままに前進してきた。何ものをも恐れず、「実語」「強言」を貫いていく――これが戸田先生のご確信であった。だからこそ日本のみならず世界へと妙法を弘める基盤ができたのである。
 ともあれ、広布に邁進しゆくわれわれは、真の仏子である。ゆえに、大聖人のお振る舞いを深く生命にきざみ、仏子としての使命と誇りに、豁然と目覚めていかねばならない。
 世の中は矛盾に満ちみちている。しかし御本尊の功力は、宇宙大であり、三世永遠である。この御本尊を受持したわれわれに、何を恐れるものがあろうか。いかなる権威、権勢にも、いかなる邪悪な勢力にも、断じて臆してはならない。臆病であっては、すべてにおいて損をしてしまう。
 何ものにも奪われない″魂の自由″――ここに、今や世界の良識の眼は注がれている。″民衆の時代″への新たな動向も″魂の自由″を広げゆく胎動にほかならない。いわんや信仰は、もっとも深く、もっとも強い″魂の自由″である。
 ″魂の自由を守れ!″――この叫びこそ、私どもの信仰実践の精髄であると、強く申し上げておきたい。(拍手)
18  ″感動のアンテナ″をわが生活に
 例年、婦人誌の新年号に寄稿しているが、今年も『主婦の友』誌と『主婦と生活』誌から、それぞれインタビューの依頼があり、お答えした。明年の新年号に掲載される。
 『主婦の友』のテーマは、「夫婦で築く人生」。社会・家庭のさまざまな変化のなかで、どのように夫婦の絆を深め、盤石な家庭を築いていくかという課題である。
 私は、ある意味で「妻は夫の生命の延長であり、夫は妻の愛情の大気に包まれて生きる」とお話しした。
 夫が中心でもない。妻が中心でもない。どちらが偉いとか、どちらかが不幸な犠牲になるというのでもない。一つの「歌」は「詞」と「音楽(曲)」との″結婚″である。そのように、夫婦は平等な個人であるとともに、一体の人生のメロディーを奏でる。「人生のパートナー」として、二人して、どんな美しい歌を歌っていくかが大切であると思う――と。
 また、自身の体験をとのことで、私ども夫婦の間で決めた「ルールは?」との質問を受けた。
 「すべて、戸田先生に教えていただいたことが、根本のルールです」と、お答えした。
 これ以外に、私には答えようがない。一般のいかなる書物にもまして、知恵のかたまりのごとき先生であった。二人の人生の師であり、家庭のことについても、こまごまと指導し、見守ってくださった。
 「家計簿を必ずつける」「何があっても、夫を笑顔で送り、笑顔で迎える」また「子どもが学校に行くようになったら、手を振って送る」――フトンの中から手を振るのではなくて(爆笑)、きちんと目を見つめて、安心して出発できるよう、表で送ってあげるという意味である。
 「多忙で旅行が多くなった時は、電話をして励ます」「子どもは、思いきり自由にさせながらも、何をしているか、よく心におさめて見守る」等々――。
 私どもは、このとおりに実行した。そして、これ以上はないという大満足の家庭を築くことができた。(拍手)
19  女性の多忙さも話題になった。職業を持っている方もいるし、その他、女性は時間的に大変である場合が多い。
 そのうえで「『大変』――というのは『大きく変わる』チャンスでもある。忙しいほうが、心も体もサビつかない」と私は申し上げた。
 「二倍充実していれば、二倍の人生″が生きられる。三倍の価値を生めば″三倍の人生″を生きられる」と。
 妻として、母として、また嫁として、職業人として、さらに信仰者として、婦人部の方々の日々は、目もまわるような忙しさかもしれない。ただ、その忙しさをとおして「自分を磨き」「自分を完成させる」一念が定まっていれば、それらの行動はすべて、人生の充実に変わり、成長と福徳の年輪に変わっていく。また、そうした努力の姿を、夫や子どもたちも誇りに思っていくにちがいない。
20  その他の質問は略させていただくが、最後は、「奥さまに感謝状を差し上げるとしたら、どんな内容になりますか」という問いであった。
 これはむずかしい(笑い)。編集長が「どうしても」と言われるので、「微笑賞」とさせていただいた。(拍手)
 私の人生は、開拓の人生であり、波瀾万丈であった。体の弱い私は、長生きできるなどと毛頭思っていなかった。戸田先生も、妻の母に「大作は三十歳までしか生きられない」と嘆かれた。
 その私が今、還暦を越え、夢のようである(拍手)。これは信心の勝利であり、また皆さま方のおかげであるが、ある意味で「妻の勝利」であり、歴史であったと感謝している(拍手)。どんなときにも、「笑顔」でささえ、「笑顔」の花で一日一日を飾ってくれた。
 私は思う。笑顔は″幸福の結果″という以上に、″幸福の原因″ではないか、と。何があっても、毅然として弱い自分を乗り越え、優しい笑顔をつくる。その強く豊かな心の園に、人生の幸の花々は薫っていく。(拍手)
21  一方、『主婦と生活』のほうは、「女性の美しさとは」がテーマであった。
 大切なことであるし、牧口先生の『価値論』にも「美・利・善」とある。
 当然、さまざまな論じ方、考え方があるが、今回は「美しき人――それは美を見つける名人」と
22  タイトルをつけさせていただいた。
 美しいものをたくさん発見できる人。その人こそ、「美しき人」ではないか、と。
 美しいものといっても、大げさなことではない。″ああ、きれいな空!″″すばらしい夕焼けね!″″この花を見てごらん!″等、日々、暮らしのなかで自分らしい「感動」を見つけられる人は幸せである。その人の生活は豊かである。
 人間関係においても、相手の気持ちに敏感に反応し動くことができる。悩んでいる人がいれば、思わず心と体が動いていく。そうした鋭敏な感受性のアンテナ、美のアンテナを持っている人こそ、「美しき人」だと私は思う。
 何を見ても、だれと会っても、″石″みたいに何にも感じない(笑い)。お金の話になったら、急に目が輝き始める(笑い)。それでは人生つまらない。美しくもない。本当の豊かさでもない。
 美には価値があり、価値を創造していくのが、「創価」の実践である。そして美の根本は「心の美しさ」である。それを磨くのが信仰なのである。(拍手)
 最後に、ご家族の方々にも、くれぐれもよろしくお伝え願いたい。そして、意義ある明年は、一年間をすべて「勝利で飾った」と言える最高の年にしていきたい――と申し上げ、スピーチを終わらせていただく。ありがとう。
 (創価文化会館)

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