Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第二十二回本部幹部会 広布のため行動してこそ真の人材

1989.10.24 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

前後
2  ところで現在、「英国王室のローブ展」が、八王子の東京富士美術館で開催されている。すでにご覧になった方もおられると思うが、本国参加されている第二東京の皆さまの地元で、イギリス王室秘蔵の貴重なローブ(式服)の数々が、海外で初めて公開されている。
 英国王室といえば、本年、美しいロンドンの五月、私はバッキンガム宮殿にアン王女を表敬訪問し、約四十分にわたり、楽しく有意義に懇談した。王女の卓越した人格は、今もって私の心に深い輝きを放っている。
 「行動するプリンセス」――。アン王女は、こう呼ばれて英国の国民に親しまれ、広く尊敬を集めている。
 ロンドン郊外のタプロー・コートでお会いしたイギリスのある要人は「アン王女は本当に立派な方です。世界に目を開き、偉大な成長の道を歩んでこられました」と、尊敬の思いをこめて語っていた。
 私が受けた王女の印象も、まさに「行動」の人、「信念」の人であった。まことにすばらしい人格をそなえた女性であると、直接お会いして直感した。
 王女の活躍の舞台は世界に広がっている。いくつもの慈善団体の総裁やIOC(国際オリンピック委員会)の委員を務め、出席する行事は年間、五百件にもおよぶ。一説には八百件ともいう。″英国王室でいちばん多忙な人″とも評され、そのエネルギッシュな行動は、大きな注目を集めている。優れた人物は、多くが″行動派″であるものだ。
 それにつけても、「アン王女」については、興味本位の、低次元な報道が多い。どういうわけか王女のすばらしい行動を評価し、伝えようとしていない。
 ある人が言っていた。「言論の自由」だから、何を書こうと書くまいと「自由」であろう。しかし言論の自由といっても、少なくとも″公正″をかかげる以上、偏見なく、正しいものは正しく、評価すべきはありのままに評価すべきではないか、と。こうした意見は一部の人だけのものではないと思う。(拍手)
3  王女の活躍は幅広い。なかでも、「セーブ・ザ・チルドレン・フアンド(児童救済基金)の総裁としての活動は、世界的に知られている。
 総裁を引き受ける時のこと。たんなる名目上の″お飾り″の総裁になることをきらった。「仕事をする総裁」を条件に、就任を承諾。そしてみずからが出した条件どおり、世界各地を飛びまわっている。
 ″法律に違反しないことなら、何でもやります″と明言しているように、自分が出席することが役に立つとなると、どこへでも出かけていく。
 同基金の活動のためであれば、中東に飛んで乗馬大会にも参加する。バングラデシュで、食糧供給施設の建設の交渉が行き詰まれば、直接出かけていって交渉を助ける。まさに″現場主義″に徹した行動の姿である。
 このように、自分が動くことで、少しでも人々の関心を高めることができれば、また開発途上国の児童救済事業の参考になれば、というのが王女の願いである。実際に、王女の広範な行動は、児童救済への大きな力となっている。
 総裁だから、トップだからと、人々の上で安んじているわけではない。″お雛さま″のように、すまして黙って座っているようなことはしない。
 王女は、総裁だからこそ、組織の″長″だからこそ、だれよりも働いている。戦っている。部下ばかり働かせたり、号令だけかけているのとは、正反対の生き方である。自分の使命のためには、つねに真剣勝負なのである。(拍手)
4  私も同じ信念である。昭和三十五年(一九六〇年)、第二代会長として立ってより今日まで、偉大なる妙法を広宣流布しゆく学会を、わが愛する同志を、守りに守ってきた。だれよりも真剣に、命をかけて働き、戦ってきたつもりである。日々、大切な仏子である皆さまの、健康を、長寿を、祈りぬいてきた。
 私は、たとえ刺されようと、撃たれようと、広布のため、会員の方々のためなら「死」さえいとわない決意できた。少々の批判などに、動ずるはずもない。皆さま方のためには″屋根″にもなろうと、わが心に誓ったままに進んでいくのみである。(拍手)
 ともあれ私は、皆さま方のためなら、どんな労苦も厭わない。これまでも書きに書き、話しに話し、数えきれないほどの人と会ってきた。たとえば現在、私のもとにいただく手紙だけでも、毎日、かなりの数にのぼる。しかし、その一通一通に、可能な限り、真心をこめて対応している。いかに激務が続こうとも、仏子の幸福を念じて戦う日々にこそ、信仰者として最高の思い出がきざまれていくと確信しているからである。(拍手)
5  悪意の評価変えた真実の姿
 さて、イギリスのマスコミが、アン王女に批判的であったことはよく知られている。
 王女はストレートな方である。愛想をふりまいたり、ポーズをとったりしない。そのため、マスコミの評判はよくなかった。写真も怒ったようなけわしい表情のものばかりを、わざと撮り続けた。王室でもっとも人気のない人、と書きたてたことすらあった。
 ところが、そのイメージが、ある時をさかいに大きく変わった。それは一九八二年のアフリカ訪問である。
 十月の下旬から三週間にわたり、「セーブ・ザ・チルドレン・ファンド」総裁として、王女はアフリカ・中東八ヶ国の難民の窮状を視察した。スワジランドを出発点に、ジンバブエ、マラウイ、ケニア、ソマリア、ジブチ、北イエメン、レバノン――。三週間で約二万三千キロにおよぶ旅であった。
 朝は七時半から活動を開始。その精力的な活動は、しばしば深夜におよんだ。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の足で歩く王女の戦いが続いた。
 同行した記者たちは驚き、目を見はった。これが真実なのか――と。
 彼らは、いつものように、ゴシップや悪口の記事になる″ネタ″を探していた。しかし、彼らの目に映ったものは何だったか。腕まくりをし、ジーパンをはき、泥まみれになりながら難民キャンプで活動する王女の姿であった。
 だが、相変わらず彼女は率直であり、報道陣に媚びたりなどしない。ありのままの自分で、自分のなすべき仕事をたんたんと進めていった。そのためか、彼女と記者たちの間には、以前のような険悪なやりとりが起きたこともあった。
 しかし、一貫して変わらない王女の真剣な行動は、いつしか記者たちの見方を変えていったのである。何より記者たちが驚いたのは、″王女が現場の問題をよく把握し、まじめに関心を持ち、よく配慮している″ことであった。
 確たる目的をいだいた強き信念の人は、周囲の風評を気にして、迎合したりはしない。聞こえのよい言葉をかけてもらおうなどと思わない。ひたすらに自身の使命に生ききっていくならば、いつしか人々は誤解に気づき、悪しき風評も消えていく。″信念の人″の真価を認めていくものだからである。(拍手)
6  訪問の日程がちょうど半分を過ぎたころのこと、イギリス外務省から、残りの日程を中止するよう、勧告があった。
 当時、王女は、エチオピアとの国境から八キロしか離れていない、北ソマリアの難民キャンプを訪れる予定だった。ソマリアとエチオピアの紛争が激化するなかでの訪問は、危険である。王女の身を案じた外務省の通達であった。
 しかし――それを聞いた王女は一笑に付し、「私は行きます」と言い、でこぼこの道を五時間、車に揺られて、予定どおり難民キャンプヘ出かけた。
 ――一度は新聞にも、視察は中止、という記事が載り、後日あらためて実施との報道がなされた。公式発表として、当地の安全が確認されたためと伝えていた。
 また最後の訪問地も、戦人の続くレバノン。大きな爆破事件があった直後の訪問であった。そうしたなかで難民キャンプや医療施設を訪れたことは、世界に大きな感動を呼び起こした。
 ″私は行きます″。戦火を前にしての、決然たる行動である。危険を恐れない勇気と決断力。一度決めたことは、何があってもやりとおす意志の強さ。並はずれた行動カ――。
 記者たちも、王女の真実の姿に気づかざるをえなくなった。そして、それまで載せていた不機嫌な表情の写真は、いつしか笑顔の写真に変わった。批判の記事も、称讃と尊敬の念にあふれた記事に変わっていったのである。
 王女の活動と、王女が総裁を務める基金の活動の様子は、連日、テレビや新聞に大きく報道された。ようやくにして″事実″が明らかにされ始めたのである。
 とともに、それらの報道は、難民問題へのイギリスの関心を高める結果をもたらした。それまで難民問題は、遠く離れたところの事柄であり、ごく一部の人々しか関心を持たないテーマだった。それが、一般家庭の、いわば″お茶の間″で語られるようになったのである。
 ともあれ、アン王女の勇気ある行動は、イギリスの人々の見えない心の一扉を開き、アフリカの人々と心の通い路を結ぶ大切な一歩となったのである。
7  私どもSGI(創価学会インタナショナル)も、国連のNGO(非政府組織)として、これまで広範な難民救援の活動を行ってきた。さる六月には、その長年の貢献に対し、オッケ国連難民高等弁務官から「人道賞」を贈られた(拍手)。さらに、つい先ほどは「戦争と平和展」開催を記念し、デクエヤル事務総長から「平和貢献・国連事務総長表彰」もいただいた(拍手)。これからも、同展の世界への巡回など、恒久平和創造のために、なおいっそう力を尽くし、働いていくつもりである。(拍手)
8  世界と人々のため何をなすか
 平和運動は、これまで、ともすると″一部の人々のもの″と見られがちであった。しかし、「平和」といっても、決して日常を離れたところにあるものではない。現実の生活のなかに、また一人一人の生命と人生に、どう根本的な「平和の種子」を植え、育てていくか。ここに、永続的な平和への堅実な前進があり、私どもの活動の眼目がある。
 「平和」という問題を、日常と自身に即してとらえ直し、たゆみない民衆の運動として推進する――この私どもの運動に期待する声は、ますます高まっている。「平和」と「生活」を結ぶ確かな道は、ここにこそあると確信してやまない。(拍手)
9  またアン王女は、「約束を守る人」である。
 一九八四年、南アジア歴訪のときのこと。彼女が、バングラデシュとチベットを訪問したところで、インドのインデイラ・ガンジー首相が暗殺された。その葬儀参列のため、王女はインド国内の訪問予定を変更した。しかし翌八五年初頭には、約束どおり、あらためて視察のためインド訪問を果たしている。
 アジアでもアフリカでも、一度決めたことであれば、どのような危険を冒してでもみずから出向き、動き、働く。こうした王女の行動は、現在、高く評価され、広く尊敬を集めている。しかし、もとより彼女は、評価や尊敬を求めたわけではない。そうした評価も、いわば、彼女の徹底した行動の″副産物″にすぎないのである。
 彼女はつねに自身の信念のままに実践した。その姿勢は、一貫して変わることはなかった。変わったのは、周囲である。
 あるテレビのインタビューで、王女は答えている。
 「これまでは、皆が私に失望しました。私は、いわゆる″プリンセスのイメージ″ではなかったから……」「でも、日常生活の中で、白いロングドレスに冠をつけて動くのでは、実際的ではないでしょう」
 たしかに、アン王女は、″おとぎばなしのプリンセス″とはイメージが違っていたかもしれない。しかし、彼女にとって大切なのは、体裁や格好ではなかった。いかに″一個の人間″として生きるか。社会に対し、国民に対し何をなしていけるか。それが重要なのである。真の″王女らしさ″とは、人のために働き、尽くしてこそ得られるものではないか――彼女の言葉からは、そうした信念すら、読み取ることができる。
 恵まれた立場に甘えるのではなく、自分の立場、使命に忠実に、全力で挑戦していく。その姿は尊く、美しい。
 インタビュアーが、王女を表現する言葉として「実際的」「プラグマティック(実用主義的と「地に足がついている」「直言する」などをあげた。そして″当たっているか″とたずねると、彼女は言う。
 「だれも、自分のことはよく見えないし、最大の弱点が最大の強みになることもあれば、逆もある。ただ、実際的なやり方で、物事を進めていくのが好きなのです」
 また、そこであげたような特性が、他の人にあれば敬服するかと聞かれると「イエス」。が、すかさず「でも世界中がそうだったら退屈じゃない?」と、ユーモアたっぶりに切り返す――。明快にして率直、さらには大きな人柄を映しだすユーモア。たいへんに興味深いやりとりである。
 このインタビューで王女は、自身の信念として「幸運なことに私は、結局、自分と向き合って生きるしかないと教育されて育ちました。人にどう映り、どう思われようと、自分の良心として、人を傷つけない、間違ったことはしてない、と言いきれることが大切です」と語っている。戸田先生の「自分自身に生きよ」との指導にも通じあう考えと思う。
 また彼女は、長期的で、心の広い考え方をするよう育てられたとも語っている。
 総じて彼女の生き方、考え方の形成には、どうも小さいころからのご両親、とりわけ父君の教育が大きな影響をおよぼしているようだ。どうか壮年部の方々は、父親の影響力の大きさ、重要性を、あらためて自覚し、大いに頑張っていただきたい。(笑い、拍手)
10  「自受用身」とは自在の境涯
 さて、ここで御書を拝しつつ、語っておきたい。
 「自受用身」とはどういう意味か。
 当然、これは「仏の身(仏身)」についての言葉であり、さまざまな角度から論じられている。また「久遠元初の自受用身」といえば、御本仏日蓮大聖人の御事になり、甚深の意義が含まれている。
 「御義口伝」には次のように説かれている。
 「自受用身ほしいままにうけもちいるみとは一念三千なり」と。
 すなわち、ここでは自受用身を「ほしいままに受け用いる身」と読まれ、それは「一念三千」の当体にほかならないと述べられている。
 ほしいまま――自由に、また自在に、広大無辺の「法楽」を受け、用いながら、大宇宙を永遠に遊戯しゆく仏の境界である。つまり日蓮大聖人の御生命のことである。
 そして、この「自受用身」とは「一念三千」すなわち事の一念三千の当体であられる「御本尊」のことである、と。
 大聖人は「日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり」――南無妙法蓮華経と唱えたてまつる日蓮大聖人とその門下こそ、この「一念三千即自受用身」である――と明かされている。
 御本尊を拝し、妙法広布に生きゆく私ども門下もまた、総じては「ほしいままに受け用いる身」となっていくとの断言である。(拍手)
11  戸田先生は言われた。この信心を貫けば、必ず「生きることそれ自体が楽しい」という絶対的な幸福境涯になっていく、と。
 「自受用身」とは、決して遠いところにある観念的な話ではない。それどころか、ほかならぬ、この「自身」の生命についてのことである。
 大聖人の仰せを拝して述べれば、自受用身の、初めと終わりの字をとれば「自身」となる。中の「受用」は自身の活動である。「受」は受動、「用」は能動の振る舞いとも拝される。
 自身の一切の活動が、「ほしいまま」になっていく――それが「自受用身」の意義なのである。(拍手)
 人生は、すべて「自身の生命」の活動である。他のだれのものでもない。だれのせいでもない。″神″などの、だれか別の存在が決めたものでもない。
 人生の出来事は、ことごとく、自身の生命に受け、自身の生命が用いていく。自身を離れて、幸福もなければ、信仰の精髄もない。仏法の魂もない。
 この自身の生命を、清浄にして無限に力強き「仏界」の生命へと変革していく。それでこそ、何があっても、一切を幸福へ幸福へと、受け、用いていくことのできる人生となる。
12  しかし現実は、たえず何らかの苦しみがある。何かに悩まされ、思うようにならない場合が多い。それをどう打開していくのか。
 大聖人は法華経薬王品の文について「御義口伝」で次のように仰せである。
 すなわち薬王品に「能く衆生をして、一切の苦、一切の病痛を離れ、能く一切の生死の縛を解かしめたもう」(開結六〇二㌻)とある。
 法華経の功力を説いた、この文について「法華の心は煩悩即菩提生死即涅槃なり、離解りげの二字は此の説相に背くなり」――法華経の心は煩悩即菩提であり、生死即涅槃である。今、経文に「一切の病痛を離れ」「生死の縛を解く」とある。この離と解の二字は、この法華の心に背くものである――と。
 病の苦しみ、病の痛み。それらを「離れる」というのは「法華経の心」ではない。また生まれては苦しみ、死して苦しむという繰り返し。そうした、苦悩に縛りつける「生死の縛」を「解く」のでもない。
13  それでは「法華経の心」で、この経文を読むと、どうなるのか。
 「離の字をば明とよむなり、本門寿量の慧眼開けて見れば本来本有の病痛苦悩なりと明らめたりつて自受用報身の智慧なり
 ――「離」の字を「明らむ」と読むのである。本門寿量の慧眼を開いて見るならば、病痛や苦悩は「もともと生命に本然的にそなわっている病痛、苦悩である」と明らかに見ていくことができる。よって、これは自受用報身(自受用身の智慧身)の智慧である――と、大聖人は説かれている。
 まことに明快なご指南である。
 生命は十界互具の当体である。苦悩の地獄界も永遠になくすことはできない。苦しみから「離れる」ことはできない。できると思うのは幻想である。
 要は、その苦しみに支配されるか、苦しみを支配するかである。「煩悩即菩提」であるゆえに、妙法の力によって、あらゆる苦しみを「幸福への糧」としていくことができる。
 そのためには、「病痛苦悩」を、避けられぬものとして「明らかに」見ていく――達観していく。「苦をば苦とさとり」、心境を大きく開いて、題目を唱えていくことである。
 あたかも、山の上から下界を見おろすように、悠々とわが生命の苦悩を見つめ、その因果を信心で受けとめ、感じながら、転じきっていくことである。
 のしかかるような岩も、山の上からは小さく見える。子どもには重い荷物も、大人の体力で担げば軽くなる。生命力が大きく、強く、広大であれば、一切の病痛、苦悩も嘆く必要はない。未来を悲観することもない。真に強い人間には、苦しみもまた楽しみとなる。その偉大なる生命力を涌現するのが信心の力である。(拍手)
14  また「生死の縛」を「解く」というのも「解とは我等が生死は今始めたる生死に非ず本来本有の生死なり、始覚の思縛解くるなり」と。
 ――「解く」というのは、われらの生と死は、今始めた生死ではなく、無始の昔より永遠に繰り返していく生命に、もともとそなわった生死であると見る。すなわち、今始まった生死と錯覚する迷いにとらわれた「始覚の縛」をこそ「解く」と読むのである――。
 少々、むずかしいかもしれないが、これらの智慧も全部、自行化他の唱題行に含まれている。唱題こそ最高の智慧なのである。すなわち御本尊への「信心」の眼こそ「本門寿量の慧眼」である。信心の眼を開いて見ることが、「自受用報身の智慧」に通ずる。
 要は、だれを恨むのでもない。自分をさいなむのでもない。一切の苦悩、一切の病痛、一切の生死は、すべてわが生命のうえに展開される「本有の劇」である。宿命転換と成仏の姿を示し、広宣流布への使命の姿を現じゆく、自分自身の″生命のドラマ″なのである。
 この「信心」という自在の″境涯のドラマ″を堂々と演じゆくところに、「自受用身(ほしいままに受け用いる身)」の重大な意義があり、その証明がある。(拍手)
15  悪と妥協しなかった日興上人
 波木井実長については、何度かお話しした。大聖人御入滅後、日興上人に師敵対した身延の地頭である。
 彼は、ほかならぬ日興上人の折伏で、大聖人の仏法に巡りあった。そして二十数年、日興上人のご慈愛に包まれてきた。しかし悪知識の日向にたぶらかされ、「悪鬼入其身釜い鬼其の身に入るとの狂える姿となってしまった。酒に酔った人のごとく、正しい道理も耳に入らない。大聖人の教えも、日興上人のご指導をも、みずから踏みにじった。
 日興上人は、身延離山の決意をしたためられた「原殿御返事」の中で、実長の謗法に対して、こう仰せである。
 「いやしくも諮曲せず、只経文の如く聖人の仰せの様に諫め進らせぬる者かなと自讃してこそ存じ候へ」(編年体御書1733㌻)
 ――実長に対し、かりにも媚び諮うことなどしません。ただ経文どおり、大聖人の仰せのままに謗法を諫めてきたものだと、自讃しております――。
 ここに日興上人の峻厳にして崇高なご精神がある。
 どんな立場にある相手であろうと、悪は厳然と破折していく。その結果、だれが裏切ろうと、反逆しようと、しかたがない。ただ経文のまま、師の教えのままに、正義を叫びきっていく。これ以上の誇りはないし、誉れはない。(拍手)
16  学会精神もまた同じである。「正義」を断じてまげない――これが永遠の指針である。
 悪に妥協すれば、正法の広宣流布はできない。悪を撃てば、エゴと造反の本性を出す。どちらをとるか。言うまでもない。あらゆる反動を覚悟のうえで、悪と戦い、悪をたたき出して、仏法の正義を守りぬいていくのが、日興上人のご精神である。
 正法に違背した悪侶たちは、はじめ学会を波木井実長のごとく誹謗した。日は重宝なものである。下劣な人間は、ずる賢く何でも自分のために利用する。私たちは苦しい思いをしながら耐えた。
 そして私は戦った。戦ったからこそ、一身に攻撃を受けた。私は理不尽な悪侶に絶対にへつらわなかった。経文と御書に照らし、また道理のうえからも、そうせざるをえなかった。
 広宣流布の聖業に挺身している私たちに対し、僧侶の身にあるまじき邪見、暴言、策略の数々。僧侶の特権と権威で、世間や一部の売文の徒を利用し、御聖訓どおりの法戦に挑む私たちをおとしいれようとした。在家である波木井実長以上の悪であり、あまりにも情けない心根であると、多くの同志が怒った。人間として絶対に許せなかった。
 やがて彼らの悪の姿は白日のもとにさらされた。都合が悪くなると法主をも訴えるという醜悪な本質を多くの人が知った。
 仮面ははがされた。「正義」の証明はなされた(拍手)。そもそも法衣をカサに着ての権威悪などは、大聖人、日興上人に、根本的に打ち破られている。
 ともあれ、私は一人、こうした日興上人のお心のままに戦いぬいたと自負している。日興上人が、どれほど喜んでくださっていることか(拍手)。歴史を残すために、三百、付け加えさせていただいた。
17  ″どう見えるか″ではなく″どうあるか″
 さて、今はテレビ時代。このテレビとともに生きてきた世代を「″どう見えるか″の世代である」と言った人がいる。つまり何にせよ、その「内実がどうか」というよりも、「どう見えるか」を基準にしてしまう傾向が強い、というわけである。
 たしかに「どう見えるか」を気にする。「どう、いい格好をしようか」「どう自分を飾ろうか」との思いは、青年たちの心に強いかもしれない。もちろん、それは若い世代だけのことではない。人間の常であるといってもよい。
 また「どう見えるか」が大事な場合も世の中にはあろう。だが、信心の世界だけは、「心こそ大切なれ」と仰せのごとく、「心が一切を決める」世界である。「一念三千」の法理で、「一念」つまり「心」が、「三千の諸法」――一切の現象を決めていく。
 ゆえに「どう見えるか」という、自分を飾った″虚像″ではなく、自分の心が「どうあるか」という、自分自身の内実、″実像″が大事なのである。
 私どもの青年時代を、現代の青年たちと、いちがいに比較できない面もあるが、草創の青年部は″どう見えるか″とか、外見など一切関係なかった。″創価学会とともに、どう人生を生きるか″″どう広宣流布に戦うか″との一途の思いで進んできた。いわば殉教の精神であった。その決心でやってきた。
 どんなに会合で上手に話をしたり、立派そうに見えても、それは成仏には結びつかない。信心とはまったく無縁のものである。そんな格好や表面的な姿で、信心が決まるものではない。
 大事なのは、その人の「心」がどうかであり、一個の人間としての「振る舞い」「修行」が、どうかである。(拍手)
18  それに関連して、真の「人材」とは何か、「人材」を見る基準は何か、を述べておきたい。
 それは、結論して言えば「信・行・学」があるか、ないかである。社会的地位がある。有名である。人気がある――そんなものは信心とは関係ない。そんなことにとらわれて、人を判断しては絶対にならない。
 あくまでも「信・行・学」が深いか浅いか。「法」のため、「広布」のために、どこまで戦っているかである。もっと具体的にいえば、一人の信仰者、修行者として、現実にどれだけ「折伏・弘教」をしたか。行学に励んでいるか。聖教啓蒙などによって、信心の理解を広げたか。また人々の激励にどこまで行動したか。その「力」こそが、真の広布の人材の「力」なのである。
 根本の「信・行・学」を基準として、そのうえでさまざまな個性や特長を尊重していく。そこに社会的に活躍している人も、すべて生かされていくのである。しかし、才能や学識だけでは、広宣流布はできない。いわゆる″個性的なおもしろさ″だけでも、法は弘まらない。広宣流布は、そんなにかんたんなものではない。
19  また、「人」をうまく動かす人を見て″あの人は力がある″″人材だ″と言う人もいる。だが、根本の「信・行・学」を無視して、要領よく組織や人を動かし、それをもって、広布の″人材″と考えることは、大いなる誤りである。そういう人は、必ずといってよいほど、人を人間として見なくなり、組織のうえにあぐらをかくようになる。そして、みずみずしい信心を失って、堕落と退転の道を歩むことになる。
 ゆえに″人を使う″ことだけがうまい幹部であっては絶対にならない。組織の長の立場にある皆さまは、この点をよくよく心にきざんでいただきたい。(拍手)
 人間を、その人の人間としての実力、人格、内実以外の基準で見ていくのは、根底は「人間」をバカにしていることになる。と同じく、「人材」を「信・行・学」以外の基準を根本として見ていくのは、信心と仏法、さらには学会をバカにする心である。信仰者として、これは許されることではない。
 次元は異なるが、先日(十月十二日、第十一回関西総会)もお話ししたように、吉田松陰は「忠義の人」と「功業の人」を峻別した。これも″どうあるか″つまり、どう革命の大義に殉ずるかと、″どう見えるか″つまり、功業(手柄)を得てどう革命のなかで評価されるか、との一念の違いを、鋭くとらえ、叫んだのではないだろうか。この「一念」の違いは、小さいようで、あまりに大きい。
20  ともあれ、″いつか広布の時がくるだろう″と、時を待つ臆病の人であってはならない。「時」はつくらなければならない。「時」はみずからつくるものである。時代の「変化」に応じ、「変化」についていくだけでは足りない。時代に負けないで、時代の新しき「変化」をつくりだしていく。この人こそ広布の大人材であると、私は申し上げたい。(拍手)
 最後に、皆さま方の、ますますのご活躍とご健康、ご多幸をお祈りして、本日のスピーチを終わらせていただく。
 (創価文化会館)

1
2