Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十一回関西総会 広宣流布の錦州城たれ

1989.19.12 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

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22  強き情熱と使命感いだき
 話は変わるが、先日(九月二十六日)、私はパキスタンの駐日大使と会見した。席上、同国の若き首相、ベナジル・ブット女史についても種々、お話をした。
 ブット首相は昨年、就任して以来、同国の民主化に取り組んでいる。父親のアリ・ブット首相は、軍事クーデターによって死刑になった。彼女が今日あるのは、この父への誓いによるものといえる。
 「父は政治は情熱だと言いました。しかし、私にとって政治は使命感です」と首相は言う。
 処刑を前にした父は、彼女に言った。「私はいなくなる。しかし、お前はどんな時にも、決してやけを起こしてはいけない」と。ブット首相は、この父の言葉をささえとして、苦しみのなかでも自分を抑え、自分を乗り越えてきたという。
 彼女は、選挙戦では父親の社会主義的政策を否定し、徹底した現実路線をとった。首相なりに考えぬいた結論であったろう。
 ちなみに、この選挙戦の最中、首相は男児を出産する。出産の三日後には選挙運動に復帰。過労で腎臓を痛めたが、連日二十時間の仕事をしたと聞いた。
 こうして、現実的な民主化政策をかかげたブット首相は、国民の信任を獲得した。まさに、女性の強さとともに、「女性の時代」の到来を感じさせる話である。パキスタンはこの十月一日、新首相のもと、十九年ぶりで英連邦に復帰した。
 父親のアリ・ブット元首相が処刑されたのは、一九七九年であった。父の死に臨むことさえ許されなかった彼女は、後日、母とともに父の墓を訪れている。
 父の墓を前にして、″父のめざすものが、自分のめざすところとなった″ことを実感する。そして彼女は誓った。「パキスタンに民主主義が復活する日まで休むまい」と――。その誓いのとおり、数々の投獄や軟禁にも屈せず、戦い続けたのである。
 パキスタンの指導者であるブット首相の人となりの一面を、紹介させていただいた。
 いずれにせよ、世界的なリーダーと目される人たちは、多くの苦難と戦い、そのなかから深き使命感をいだいて立ち上がっているものである。
 皆さま方も、どうか強き「情熱」と「使命感」を持って、広布のあらゆる山を乗り越えゆく″勇者″であっていただきたい。(拍手)
 明年、一九九〇年五月三日には、学会創立六十周年の、すばらしき佳節を迎える。その時は、この関西の地で盛大に、記念の祝賀の集いが開催されることになっている。そのさい、ふたたび皆さま方にお会いできることを楽しみに、本日のスピーチを終わらせていただきたい。
 (関西文化会館)

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