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日蓮大聖人・池田大作

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第十七回全国青年部幹部会 ″青春の証″を人生にきざめ

1989.9.24 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

前後
2  さて広宣流布は、やはり言論戦である。先ほどの秋谷会長の指導どおり、「聖教新聞」の存在の意義は大きい。現在の日本には、あまりにも無責任な言論も多い。そのなかにあって、「聖教新聞」は、日蓮大聖人の仏法を根底にして、平和・文化・教育と、あらゆる角度から社会に開かれた言論活動を誠実に繰り広げている。
 私もつねに見守り、応援してきた。皆さまもこれまで以上に活用していただきたい。(拍手)
 今朝、「聖教新聞」を読んでいると、「サンデー・インタビュー」の記事が目についた(九月二十四日付)。
 ゲストは宇宙科学研究所教授(東京大学教授も併任)の河島信樹氏。アメリカの惑星探査機ボイジャ12号の日米共同実験を担当した方である。記事を読んで、このような学者がおられることを日本の誇りにしたいと思った。ご専門(宇宙実験物理学)での業績はもちろん、人間の精神性の面でも、きちんとホシを押さえて語っておられる。
 日本ではなぜ、ポイジャー(=航海者の意)のような大きな惑星探査機などが打ち上げられないのか。その理由について、氏はこう述べておられる。
 「なんといっても役に立つかどうかという、効率性を主眼とする国民性でしょう。天文学や宇宙の研究は、即効性はありません。でも、地道な研究が与える夢は計り知れないものがあるのです」
 そのとおりであろう。日本も″金儲け″ばかりではあまりにも情けない。いくら経済大国と威張ってみても、精神が弱々しく萎縮し、小さく固まってしまっていては、当然、だれからも尊敬されない。未来も暗い。
 私どもの日々の地道な活動も、すぐに目に見える「即効性」はなくとも、人類の将来に大きな希望と夢をあたえている。経済一む配の見方では、なかなかその価値がわからないだけである。このことも確信していただきたい。(拍手)
 記事の標題は「見果てぬ夢」。見出しは「年をとるほど大きな人間に」である。これは、氏が″子どもたちに贈る言葉″として語られた次の言葉から取っている。
 「″年をとればとるほど大きな人間になる″そういう生き方をしてほしい。今は、数年程度の先の読めるものにしか興味を持たないように育てられている。それではあまりにかわいそうです。見果てぬ夢に生きてほしい」
 含蓄の深い言葉と思う。今の教育の課題の核心をズバリと突いている。″若年寄り″のような青年が増えているといわれる背景も、ここにあるかもしれない。
 見果てぬ夢――全人類の平和と幸福という私どもの目標こそ、まさに壮大な「見果てぬ夢」である。指導部の皆さまも、年とともに、いよいよ情熱をもって、その夢に向かっていく人生であっていただきたい。(拍手)
3  現場に学べ、そこに勝利
 ボイジャ12号の話が出たら、海王星の話をせざるをえない。(笑い、拍手)
 今年の最大の話題の一つが、この海王星探査であった。すなわち一九八九年八月二十五日午後〇時五十五分(米太平洋時間二十四日午後八時五十五分)に、ボイジャ12号は海王星に最接近した。約四千八百キロの距離まで近づき、貴重なデータを地球に送ったのである。たいへんな偉業といえよう。
 太陽系の″さいはての星″海王星(一九七九年から九九年までは海王星は冥王星の外側にあり、太陽からもっとも遠じ。地球からの距離は約四十四億キロ。信号電波(光)が届くのに、なんと四時間六分もかかる。
 ところで、このはるかな星を″発見″したのはだれか。それはベルリン天文台のJ・G・ガレである。
 一八四六年のことであり、今から百四十三年前。海王星の公転周期(太陽の周りを一回転する期間)は約百六十五年とされているから、海王星は″発見″されてから、まだ太陽を一周していないことになる。そのために、海王星の軌道は完全には確定されていない。
4  さて、つい先年(一九八〇年)、海王星をめぐる興味深い説が発表された。ガレの″発見″より二百三十四年も前、一六一二年に、かのガリレオ・ガリレイが、すでに海王星を観測していたというのである。
 ただしガリレオは、海王星を″新惑星″とは知らず、″恒星″と信じて見ていた。
 しかし、この観測記録は、重大な結果をもたらした。それまで推定されていた海王星の軌道を修正する必要があるとわかったのである。
 この説を発表したのはアメリカの二人の学者、C・T・コワル氏とS・ドレイク氏である。(『ガリレオの海王星観測』、Galileo's observations of Nepture 一九八〇年九月、科学誌『ネイチャー』二八七号に発表)
 この二人の天文学者が、ガリレオの残した「観測日誌」を克明に調べたところ、ガリレオの記録による位置は、現在の軌道計算から導かれた、「当時、海王星はここにあったはず」という位置とは、ずれていた。
 しかし、あらゆる角度から検討した結果、ガリレオのデータが、きわめて正確なことが証明されたのである。そこで海王星の推定軌道は修正しなければならなくなった。
 ガリレオが海王星を見た望遠鏡は、倍率がわずか十八倍。現在の技術から見れば、天地雲泥の幼稚な装置である。しかし彼が毎夜毎夜、懸命に天をのぞき、観測し続けた記録のほうが、現代天文学の計算よりも″精度″が高かった。
 それはなぜか。一八四六年以降の観測をもとにした計算も、相当に精密であり、正確なはずである。それがなぜ、ガリレオによる実際の観測とずれるのか。
 これは現在の「理論」を超えた何らかの″未知の力″が海王星に働いていることを示している。
 一つの仮説だが、未発見の「太陽系の第十惑星ネメシス」が存在し、海王星の軌道に影響をおよぼしている可能性も考えられている。
 ――じつは、海王星が″発見″されたきっかけも、その内側(太陽に近い位置)にある天王星の「軌道計算」と「観測事実」が、ずれていたことにあった。この″ずれ″は、他の″未発見の力″によるものと考えられたからである。
5  少々、話が″はるかすぎて″わからない(爆笑)と言う人もおられるかもしれない。それはそれでよいと思う。
 ともあれ、このエピソードが印象的に物語っていることは何か。それは「現場」を第一に大切にしなければならないということである。
 現場には、計算上「こうなるはずだ」「こうなっているだろう」というような先入観や、利口げな理屈を超えた複雑性があり、豊かさがある。
 実際に見てみなければわからない。これが「現場」である。予想もできない″未知の力″が働いている場合も多い。ゆえに、第一線の人、その地域の人、長い活動体験を積んできた人。そうした方々の意見に徹底して耳をかたむけ、最大に尊重していかねばならない。
 その、足を運び、耳をすまし、考えぬく努力が不十分で、いかに会議や打ち合わせを重ね、さまざまな企画を立てても、効果は生まれない。それどころか、的はずれの″机上の空論″となり″観念の遊戯″となっては、むしろマイナスである。人々を苦しめてしまう。その罪は大きい。
 「現場を大切にしたところが勝つ」――これはいかなる組織、いかなる企業、団体でも不変の鉄則である(拍手)。「現場」をおろそかにしたところは、必ずしだいに衰微していく。
 どんなに精巧なコンピューターを導入したとしても、それが価値を生むかどうかは、使う人間の「知恵」しだいである。そして人間を相手とする以上、必ず機械や理屈のみではとらえきれない面が出てくる。人間は生きものである。社会も生きものである。刻々と変化している。
 その変化を知らずして、これまでの小さな見聞や経験を過信し、″最前線″を軽視することは、敗北の因となる。
 ゆえに私はつねに第一線に飛びこみ、最前線の友と肩を組み、握手し、その声を聞き、ともに進んできた。これが青春時代から、一貫して変わらない私の信条であり、人生の歩みである。(拍手)
 端的に言えば、ある意味で「現場こそ師匠」なのである。そこに学ぼうとしない指導者には成長がない。必ず行き詰まる。
 広宣流布のもっともホットな「現場」。そこで真剣に戦った人が、いちばん偉大である。いちばんの勇者である。いちばん功徳を受ける人である。
 つねに自身を「現場」という師匠に照らして、軌道修正しなければならない。そうでなければ、ロケットがとんでもないところへ飛んでいくように、迷走飛行の人生となる。
6  いずれにしても、″自分流″の計算や考えのみで、勝手に行動する人は、かみあわない歯車のように、広宣流布の邪魔にさえなってしまう。
 そういう人についた人も、同じく軌道を誤る。やがて墜落し、与同罪(同じ罪をともに受けること)になってしまう場合もある。つくべき人を間違ってはならない。
 成長しない先輩が前にいるのは、ノロノロ運転のトラックが前につかえているようなものである(爆笑)。速く走ろうにも走れない。伸び伸びと動けない。成長も抑えられる。その意味で、どうしても組織の新陳代謝が必要になる場合も出てくる。
 ノロノロ運転どころか、止まっていたり(笑い)、バック(後退)していたのでは(笑い)、あとに続く人は苦しむばかりである。過去の経歴や立場が偉いのではない。今、どれだけ成長しているか。前進しているのか。その現在の事実が大切なのである。(拍手)
 また停滞している先輩のもとで、ただ批判し、グチをこぼしていてもつまらない。自分が損である。まして、それで一歩退いてしまえば、あとで苦しむのは自分自身である。
 たとえ、いかなる環境にあったとしても、自分は厳として正しい指導を学び、信心の正しい軌道を歩んでいく。そして他の人をも、その方向に向けていく。また″和″を尊重しつつも、言うべきことは明確に言っていく。そうした強く、賢明な皆さまであっていただきたい。(拍手)
 そして私とともに、広宣流布の確たる軌道を歩みながら、全員が″すばらしき人生″を満喫し、見事に飾っていただきたい。(拍手)
7  ″反核医師の会″――「核」廃絶へ活動
 さて話は変わるが、十月七日から十二日まで、IPPNW(核戦争防止国際医師の会)の第九回世界大会が、広島、長崎で開催される。アジアで初の大会として注目を集めており、七十七カ国、約三千人の医師・研究者が集う予定とうかがっている。また、これには、私もお会いしたノルウェ―・オスロ国際平和研究所のマレク・テー博士など平和学者も参加されるようである。
 IPPNWは一九八〇年、アメリカ、ソ連の医師が中心となって創設された。会員は現在、六十一カ国・二十万人。基本方針として、(1)核兵器廃絶、核実験禁止に的をしぼる(2)生命を守る医学の責任を果たすため核戦争の防止活動に取り組む(3)全世界の医学者が結集して活動する(4)核戦争に関する情報を全世界の一般市民・指導者に普及させる(5)政治的中立の立場をたもつ、の五点をかかげており、これらにのっとった地道な活動が評価され、八五年にはノーベル平和賞を受賞している。
 会長の任には、二人の方が共同であたられている。私も本年三月には、バーナード・ラウン会長(アメリカ)と会談し、平和への「慈愛の連帯」をめぐってさまざまに語りあった。もうお一人のミカイル・クジン会長(ソ連)ともお会いする予定になっている。(=十月十三日に会見)
8  IPPNWの世界大会は、一九八一年にワシントン郊外で第一回を開催して以来、回を重ねてきた。今回の日本での大会は、「ノーモアヒロシマこの決意永遠に」とのテーマで行われる。
 また、シンポジウムでは「放射線の影響に関する最新情報」「核爆弾の道徳的・倫理的ジレンマとの対決」「全面的核実験禁止への展望」「核時代における子どもの教育」など、幅広い討議が行われるようである。
 私も今回、ラウン会長から、ぜひにと招待状をいただいた。しかし、どうしても都合がつかないため、代理として医学博士の川田副会長が出席し、ドクター部の代表の方々も参加する予定になっている。
 IPPNWとは、これまで、ともに反戦を訴え平和を志向する団体として、交流を重ねてきた。
 一昨年(一九八七年)の五月には、SGI(創価学会インタナショナル)が推進したモスクワでの″核の脅威展″の開会式に、わざわざラウン会長が出席され、ともにテープカットを行った。また、ちょうどモスクワで開かれていた第七回IPPNW世界大会の参加者も多数、来場されている。
 さらに、昨年のカナダ・モントリオールでの世界大会のさいには、ラウン会長から招待状をいただいたが、残念ながら出席できなかったため、メッセージを送らせていただいた。そして光栄にも、そのメッセージを本会議の席上で発表してくださり、多くの参加者の方々から、私どもの運動に対して共感の声が寄せられたともうかがっている。(拍手)
9  第一回のIPPNW世界大会では、「核兵器は人類最後の疫病である」等の声明が発表された。核兵器は、取り返しのつかないほどの量と範囲で蔓延し、″個々の生命″のみならず″人類全体の生命″をも断絶してしまうまでになっている。その″人類最後の疫病″を根絶させるために、立ち上がったのがIPPNWであった。
 各国の医学者が国境を超え、体制を超えて手を結びあった。″種″の生命を絶滅の危機から守るために、雄々しく兆翼な開始した。民衆にとって、この勇気ある一歩ほど心強いものはない。本来ならば、それは各国首脳や政治家によって、もっと積極的に取り組まれるべき問題であろう。しかし、現実にはなかなか進まない。IPPNWの活動と配祀は、サミツトなど、こうした政治レベルの首脳会談等の方向性を見事に先取りするものとして、心ある人々は一様に讃嘆し、また驚嘆している。
 一人一人の病気を治すのが医師の大事な仕事である。しかし、一発で何十万、何百万という犠牲者を出してしまう核兵器を放っておいたならば、結局、人類は、つねに不安と脅威にさらされたまま、この″疫病″にやられてしまいかねない。
 人類を滅ぼすものは、最大の悪である。その悪を知りながら戦わないのも、また悪である。叫べ。戦え。民衆と手を結べ――これがIPPNWの信念であり、行動である。
 またIPPNWは″核戦争が起こってしまえば医学は無力である″との立場から、さまざまなデータをあげて、世界にアピールしている。
 たとえば、米ソの子どもを対象に、核兵器がどのような心理的影響をあたえるかについても、究を推進している。このほか、医学・環境・経済等の専門分野から、核戦争・核兵器の脅威を一市民に広くアピールしている。
 「立正安国論」の中で日蓮大聖人は、「彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」と述べられている。まず、災難をもたらす一凶を禁じなければ、いくら国の安穏を願っても叶わない、との厳然たるお言葉である。
 次元は異なるが、人類の生存と平和をおびやかす核兵器との戦いは、現代社会におけるもっとも大きな課題である。それを避けて、真実の平和の達成はありえない。IPPNWが核戦争の防止に活動の的をしぼっているのも、そうした観点からであろう。
10  仏法者は生命を守る″医王″
 モスクワでの″核の脅威展″のさい、ラウン会長は″医師の役割″について、次のように語っている。
 「医師が患者を健康にするためには、投薬だけでは十分ではない。患者の生活のしかた自体を変えるよう指導するのが、医師の役割です。本当に自分を助けるものは何かを、患者に理解させねばならないのです」と。
 患者自身が自分を、より健康な状態へと高めていく。すなわち、患者が健康な人間として自立できるよう配慮していくのが、医師の役目だというのである。
 また、ラウン会長は「結局、民衆が参加しなければ政治を変えることはできない。IPPNWがめざすところも、民衆一人一人を参加させることにあります。民衆の意識を、どう変えるかがカギなのです」「何百万人の人たちによる新しい市民外交というようなものが出てこないと、世界の問題を真に解決することはできないと思います」とも述べている。
 この話をうかがって私は、トインビー博士との対談を思い起こした。
 そのとき、博士と私は″政治の改善を確実にもたらす唯一の方法は、民衆の道義性と知的能力を向上させることである″との点で意見の一致をみた。
 「道義性」とは、「哲学」とも「信念」とも言い換えることができる。民衆一人一人が哲学と信念を持ち、あらゆる現象の真実を賢明に見抜く力を身につけていく。それが、政治を動かし、世界を変えていく最大の力となる。私どもが取り組んでいる正法の実践は、まさにこの民衆を自立させ、成長させゆくための源泉なのである。(拍手)
11  またラウン会長とお会いしたさい、「医師」と「仏法者」の使命についても語りあった。
 そこでも「生命の医師」として仏法者の活動を紹介したが、二世紀の中ごろから三世紀の中ごろにかけて、南インドで活躍した仏法者に竜樹がいる。彼は医術にも通じ、病気の治療にもあたった医師であった。
 竜樹が著した『大智度論』には、仏法の眼からとらえた、「医」と「医の倫理」についても述べられている。そこに「釈迦牟尼仏の本身の如きは大医王と作り、一切の病を療して名利を求めず。衆生を憐慇するが為の故なり」(大正二十五巻)とある。
 つまり″仏である釈尊は、大医王となって、衆生のあらゆる病をいやす。それは、決して名利のためではなく、どこまでも衆生をいとおしむ大慈悲心からである″と。心身の苦悩にあえぐ民衆ヘの大慈悲心こそ、医師の根本精神でなければならないことを説いているわけである。
12  ″希望の処方箋″を人類に
 こうしたことからもわかるように、仏法者と医師は、生命の安穏と救済を図るという、共通の目的に生きゆく立場にある。もちろん、方法や実践には違いはあるが、基本精神においては同じである。
 その意味からも、私は、「仏法者と医師とは、『生命の尊厳』を守り、実現するための同志ともいえましょう。両者が手をたずさえて、人類の幸福と安穏へ、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)の共闘を行っていくべきだと考えています」と、ラウン会長に申し上げた。
 ともあれ、全人類の生命の蘇生と変革のために、日夜、活動している妙法の友こそ、現代の「医王」ともいうべき存在なのである。(拍手)
 一九八五年、ノーベル平和賞の受賞講演で、ラウン会長は次のように語っている。テーマは「希望への処方箋」であった。
 「面白いことに人々は、軍事専門家ではなく、人々の健康の守り手である医師たちの言葉に耳をかたむけ始めた。(中略)われわれ医師は、人間の苦痛をやわらげ、生命を守るという神聖かつ古からの誓いをたてた。この誓いは、われわれが結束することを、そして、その結集した声を世界に向けて発言することを、社会的・道義的義務として課すのである」と。
 IPPNWの運動の原点には、この″生命を守りぬく″医師としての誓いと信念があった。
 たしかに、医師は政治家でも軍人でもなく、軍事問題についてはいわば″関心をもつ市民″であったかもしれない。しかし″「人間」「生命」を守り、慈しむ″という、医師の本来の精神に立ち返り、「人間」「生命」の絶滅をもたらす核戦争の防止へ、世界平和の実現のために、戦う医師団として出発したのがIPPNWであった。
 この「人間」「生命」の「尊厳」と「安穏」のためにという、崇高な理念と目的が、東西、南北の政治体制やイデオロギーの違いを超えて、今や世界の人々の共感と支持を得ることになったわけである。
 「医学の祖」と言われる古代ギリシャの医師ヒポクラテス。彼に由来するとされる「ヒポクラテスの誓い」は、これまで医師のモラルの最高の指針とされてきた。そのなかに″みずからの専門的な知識や技能を、人間同胞の搾取に向けるのではなく、人間への奉仕に用いる″とある。
 IPPNWの主張と行動を、このヒポクラテスの誓いと思い合わせるとき、まさに、ラウン会長らの行動は、二十世紀における「ヒポクラテスの宣誓」ともいうべき歴史的意義をはらんでいると思えてならない。
 ラウン会長との会談の折にも、私は、″生命を守る医師が人類の平和という崇高な目的のために戦っておられる。人間への奉仕に尽くそうとされている。その理念と行動に深く感銘している″との心情をお話しした。
 ラウン会長も、私ども創価学会の、仏法を基調とした平和運動をよく知っておられた。そしてIPPNWの歩んでいる道と同じく、戦争の撲滅のために、積極的に提言し、行動していることを高く評価されていたことが、強く胸に残っている。
 医学にしても、政治、経済にしても、結局は″人間への奉仕″を根本とすべきである。それを忘れ、みずからの利益や名誉に走り、他を利用していくといういき方は、絶対にあってはならない。
 十数年前、ソ連を初訪問した。そのさい、コスイギン首相と会見し「学会はどのような主義、主張なのか」と端的に質問された。それに対し、私は即座に「人間主義、平和主義、文化主義である」と答えた。その明快な回答と答え方に、首相はたいへんに共鳴されたということを後日うかがった。
 ともあれ、学会は、仏法を基調とした「人間主義」「平和主義」の団体である。そして、人間ヘの奉仕、全人類への貢献のために戦い続けている。その誇りと栄誉を絶対に失ってはならない。どこまでも「人間主義」「平和主義」の旗を高くかかげながら、わが信念と使命の道を堂々と進んでいきたい。(拍手)
13  正義の「声」、慈愛の「耳」を
 さて、「声仏事を為す之を称して経と為す」とは、私どもがしばしば口にする文である。仏法の大切な法義の一つを示す要文といってよい。
 しかし、聞いてわかったつもりでいても、みずからその深い意義を掘り下げ、自分のものとして理解している人は少ないのではないか。何事も、ただ鵜呑みにするだけでは身にならない。自分なりに思索し、とらえ直してこそ精神の糧、滋養としていけるのである。
 この「声仏事を為す……」の言葉は、天台の『法華玄義』に弟子の章安が記した「序文」(「法華玄義私記縁起」大正三十三巻)の一節である。
 「仏事」とは仏の振る舞いであり、人々を成仏へと導く働きをさす。
 また「経」には、じつに多くの意義がある。もともと、ヨコ糸(緯)に対するタテ糸のことで、そこから、教えを貫く″基本線″、古今を貫き変わらない三世常恒の真理、(ヨコ糸と縫い合わせて織り包むように)あらゆる衆生をもれなく摂し包むこと、聖人の心と口を経由してくる真理、その他の意味を表す。
 要するに、衆生を仏にするという「仏事」を行うために、永遠の「法」を正しく表現したものが「経」である。
14  私どもの世界で「経」とは、広義の「声」を中心としたものである。御書には「此の娑婆世界は耳根得道の国なり」――この娑婆世界は耳の働きが鋭く、法を説く声を聞いて成仏の利益を得る国である――と。
 しかし興味深いことに、他の国土(天体)では、必ずしもそうではないと説く。『法華玄義』では、「天衣身に触るるを以て即ち道を得、此れ偏に触を用って経と為すなり……衆香土の如きは香を以て仏事と為す。此れ偏に香を用って経と為す」(「巻第八上」大正三十三巻)と。
 ――天衣が身に触れて成仏する。これはひとえに「触」をもって経としている……衆香土のような国上では「香」をもって仏事としている。これは、「香」をもってひとえに経としているのである―――。
 つまり、手ざわりや香りなどが「経」となり、衆生を成仏させていくことができると説かれている。(笑い)
 しかし同時に、耳根は当然として、この娑婆世界では、「経典の文字を見ること(眼根)」と「法を思惟すること(意根)」で成仏することはあっても、他の器官では役に立たないと述べている。
 すなわち「鼻に紙墨を臭ぐに則ち知る所無く、身の経巻に触るゝも亦た解すること能はず、舌に文字をくらふもいずくんぞ是非を別たんや」(同前)と。
 ――鼻で紙や墨の香りをかいでも知るところはない。身が経巻に触れても理解することはできない。舌で文字をなめても、どうして是非がわかるであろうか――。
 つまり、経典を鼻でかいでも(鼻根)、身でさわっても(身根)、舌でなめても(舌根)、仏法のことは少しもわからないではないかと、道理に即して論じられている。これは、私どもの実感からも、たやすく納得できるところである。
15  私どもについては、とりわけ「耳根」が鋭いということについては、さまざまな例証がある。たとえば、人間の五官のなかで、耳はもっとも早くから、もっとも遅くまで活動する器官とされる。
 胎内の赤ちゃんは、ほぼ六カ月で、聞く器官と神経ができあがる。おなかの中で、赤ちゃんは、じっと″耳をすましている″。ゆえに「生まれた時には、すでにお母さんの声を覚えている」とも言われる。また赤ちゃんにお母さんの心臓の音を聞かせると、心理的に安定したり、泣きやんだりするとの報告がある。さらには、胎内で聞くお母さんの心音、血液が血管を流れる音などを録音したレコードまで発売されている。
 赤ちゃんは、お母さんの唱題の響きも、ちゃんと聞いている。夫婦げんかの声も全部、聞いている。(爆笑)
 初代会長の牧口先生は「子どもはお腹にいる時がいちばんの安住の所です。そのとき信心することが、子どもにとって幸いになります」と指導された。赤ちゃんが胎内にいる時に唱題し、妙音を響かせていくことが、いかに大切であるか。これも、牧口先生の指導に、いかに先見性があったかの一つの証左と思う。
16  最後まで機能するのも、じつは「耳」である。
 死が近づき、昏睡状態になっても、周囲の音は聞こえている場合が多いという。ただ、聞こえていることを周囲に知らせる力がないだけのことである、と。
 こんな笑えない実話もある。意識不明の病人の枕もとで、つい本人の葬式の話をしてしまった。
 あとで、奇跡的に一時、意識がもどった時、ひどく恨まれたという(笑い)。また、植物状態となったある壮年は、娘の「お父さん!」という声にだけ、かすかに反応したという。この方の場合は、奥さんでは、どうも駄目だったらしい。(笑い)
 臨終のときに唱題の声を聞かせてあげることにも、深い意義がある。
 日寛上人は「臨終用心抄」で次のように説かれている。
 「已に絶へ切つても一時ばかり耳へ唱へ入る可し、死ても底心あり或は魂去りやらず死骸に唱題の声聞かすれば悪趣に生るる事無し」(『富士宗学要集 第三巻』)
 ――息が絶えたあとも、しばらくの間、耳に唱題の声を入れてあげなさい。死んでも、生命奥底の意識は残っている。あるいは生命が完全には死の状態に移行していない場合がある。死を迎えた体に唱題の声を聞かせたなら、地獄・餓鬼・畜生・修羅界などの悪しき世界に生まれることはない―――と。
 ここにも、「声」と「耳」の妙なる働きが明かされている。
17  「耳」は、誕生以前から死にいたるまで、つねに″開いている″。目や口を閉ざすことはあっても、「耳」を閉ざすことはできない。しかも声や音は、いわば直接、生命の深みに響き、影響をあたえていく。
 その意味で「耳」は、世界と宇宙に開かれた″生命の窓″である。また、そこからさまざまな音声が、まっすぐに″いのち″の奥底に入っていく″魂への門″である。
 ゆえに、「耳」にどのような「声」と「音」を聞かせ、響かせていくか。ここに、生命と人生ヘの重大な影響がある。
 絶えず、尊い英知と慈悲の声を聞かせていくならば、その高貴な精神が、いつしか魂に移り、染まって、かけがえのない人間の向上をもたらすにちがいない。良き師、良き指導者に出会い、教えを受けることの幸福が、ここにある。また、至高の音声である南無妙法蓮華経を唱え、響かせていくことが、いかに尊貴なことであるかを知ることができる。
 反対に、卑しい低俗な言葉ばかりを耳にしていれば、魂そのものが低下し、汚れていってしまう。たとえば、人の悪口ばかりを国にし、悪意の会話を好む人は、やがてみずからその悪意に染まり、卑劣な″いのち″となっていこう。
 信心の戦いも、ある意味で「声」の戦いである。広布を妨げる悪の「声」に対し、いかに正義の「声」で対抗していくか。
 激しく攻撃されながら、ただ黙っていれば、戦いは敗れ、広布の前進は止まる。「声」に対しては「声」で反撃し、打って出てこそ悪を打ち破ることができる。一の暴言に対しては、十の正論で言い返していく。ともどもに、それぐらいの気概で、仏法の正義を声高く主張し、広布の言論戦を堂々と展開していきたいと思うが、いかがだろうか。(拍手)
 さて、私どもになじみ深い「聖」の字も、意味の中心は「耳」にある。″天の声を聞き分ける″のが、その本義である。また「聡明」の「聡」という字も、「耳」が意味の中心である。″耳が良く通じている″つまり″聞き上手″というのが原義である。
 すなわち、宇宙の森羅万象の「声」を、よく聴く力と徳を「聡」と言い、その人を「聖」と言う。
 ″聞く″″耳をかたむける″ことが、いかに大切であるか。
 信仰の同志に対しても真摯に耳をかたむけ、言いたいことを聞いてあげることが、激励・指導の出発点である。ただガーガーと(笑い)しゃべってばかりいて、いっこうに人の言葉を聞かない幹部は、すでにリーダー失格である。
 さらに、中国医学では、耳を人体の縮図として、耳の各部位が全身の諸器官に対応しているとする。興味深いことに、耳の形は、逆さまになっている胎児の形とそっくりである。ちなみに、のどには、人間の形をした「のどぼとけ」がある。
 また、日本語の「みみ」は、「身の中の身(身身ごあるいは「実実」に通ずるとの説もある。古来、「耳根」が、一般にもどれほど重要視されてきたかの、ほんの一例である。
 宇宙の万物が声をあげ、言葉を発している。宇宙の全体が、歌うたう大いなる生命である。これは、たんなる詩的な直感にとどまらない。現代科学の最先端が明らかにしつつある、新しい宇宙像でもある。
 「声仏事を為す」――その深い意義を人類が見直すべき時代に入ったといってよい。
 もちろん、なかには耳の不自由な方もいらっしゃる。しかし大聖人の仏法は結局、すべて信心の「心」と「行動」がどうかで成仏が決まる。堂々と幸の大道を進んでいただきたい。(拍手)
 ともあれ、「声」を発すること自体が、生命の証の一つである。そして広布も、生き生きとした「声」を原動力として進んできたことを忘れてはならない。(拍手)
18  青春の歴史に悔いを残すな
 戸田先生は、かつて次のように指導されている。
 「その組織を動かすのは、信仰に対する絶対の確信と情熱である。その信仰に対する確信と情熱を、組織のなかへ、千不ルギーとしてみなぎらすことである」「ことに、青年の確信と情熱が、信仰によって清められ、しこうして、いやましに高められたときに、組織は、グングンと活動するのである」と。
 御本尊への絶対の確信と、ひたぶるに広布へ邁進する情熱――。この強き心と心の共鳴が組織の第一線にまでくまなく行きわたっていくとき、広布への波動は想像を超える力をもつ。そして、時代へ社会へと大きく広がっていくのである。
 青年部のリーダーである皆さまは、この一点を深く銘記し、それぞれの舞台で雄渾の活動をお願いしたい。(拍手)
 そのうえで私は、若き青年部の諸君に「悔いない青春の『証』をきざめ」と申し上げたい。
 一生涯の土台をつくる青春時代に、悔いのない歴史と思い出をきざんだ人は幸福である。人生の「勝利者」としての土台ともなる。
 いわんや妙法の世界では、広布の輝く歴史を築いた「誇り」と「名誉」は、計り知れないほど大きい。厳然たる因果の理法によって、三世永遠にわたる福徳を積んでいくことができる。不滅の「勝利」と「栄光」をきざんでいけるのである。ここに、信心の深き意義がある。
19  私も青春時代、戸田先生という良き師のもとで、また学会の良き同志とともに、すばらしい思い出と、栄光の歴史を残すことができた。そこには何の悔いもない。また、自分自身を世界一の幸福者であると思っている。
 たとえば、師のもとに百数十人(男子)で出発した青年部は、世界最高の青年集団となった。私
 はつねに、事実上の中心者として、青年部建設に先駆してきたことを自負している。
 また学会の草創期、当時のすべての支部が百世帯以下の弘教で逢巡していた時に、私は蒲田支部幹事となって、いっきょに二百世帯を突破させた。これには、全学会の人々が驚愕した。
 さらに、学会草創期の十二支部のなかで最低クラスであった文京支部。その文京支部の支部長代理に就任するや、当時、トップ級にあった蒲田支部と並ぶ支部に仕上げた。それは、″戸田先生は折伏の師匠であられる。弟子である自分が大法戦を敢行するのは当然である″との決意の戦いであった。(拍手)
 その時の戸田先生のお喜び、多くの同志の驚嘆の姿は、今もって私の脳裏から消えることはない。
 それ以上に人々が驚いたのは、一カ月間での、大阪支部の一万一千百十一世帯の弘教達成であった。この広布の金字塔は、だれ人も乗り越えることのできない″記録″となった。関西の広布の基脳は、この時に規璧に築かれた。関西、大阪の同志にとって、また私自身にとっての大きな誇りとなっている。
 当時の日淳上人から″この七百年間、これほどの弘教をした人はいない。宗祖日蓮大聖人、そして御開山日興上人もどれほどかお喜びであろう″とおっしゃっていただいた。(拍手)
 さらに同年秋からの山口開拓指導がある。当時、山口県では同志も少なく、散在している状態で、大いなる広布の発展など考えられる状況ではなかった。私は、通算三十日間にわたり、全国から参加した有志の方々とともに県下各地で弘教を展開。この間、いっきょに六千世帯の入会を成し遂げた。
 ともあれ、私は青春時代に、広宣流布の″記録″をつくり、模範の大道を切り開いてきたつもりである。宗祖日蓮大聖人も、第二祖日興上人も、また恩師戸田先生も、必ずやご称讃くださっているにちがいないと確信している(拍手)。そして、これからもさらに、世界を舞台として広宣流布の大いなる歴史を残していく決意である。(拍手)
 どうか若き諸君も、青春時代に輝かしい勝利の記録、栄光の証をきぎんでいただきたい。たとえ小さな記録であってもよい。それぞれの立場で、自分自身の満足できる人生と広布の「証」を見事に残していかれんことを心から念願したい。(拍手)
 最後に、本日お集まりの皆さまのご健康とご活躍、ご多幸をお祈り申し上げるとともに、埼玉県の同志の方々には「すばらしき埼玉」を合言葉に前進を、と申し上げ、私のスピーチを終わりたい。
 (埼玉池田文化会館)

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