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日蓮大聖人・池田大作

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第十七回全国青年部幹部会 ″青春の証″を人生にきざめ

1989.9.24 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

前後
19  私も青春時代、戸田先生という良き師のもとで、また学会の良き同志とともに、すばらしい思い出と、栄光の歴史を残すことができた。そこには何の悔いもない。また、自分自身を世界一の幸福者であると思っている。
 たとえば、師のもとに百数十人(男子)で出発した青年部は、世界最高の青年集団となった。私
 はつねに、事実上の中心者として、青年部建設に先駆してきたことを自負している。
 また学会の草創期、当時のすべての支部が百世帯以下の弘教で逢巡していた時に、私は蒲田支部幹事となって、いっきょに二百世帯を突破させた。これには、全学会の人々が驚愕した。
 さらに、学会草創期の十二支部のなかで最低クラスであった文京支部。その文京支部の支部長代理に就任するや、当時、トップ級にあった蒲田支部と並ぶ支部に仕上げた。それは、″戸田先生は折伏の師匠であられる。弟子である自分が大法戦を敢行するのは当然である″との決意の戦いであった。(拍手)
 その時の戸田先生のお喜び、多くの同志の驚嘆の姿は、今もって私の脳裏から消えることはない。
 それ以上に人々が驚いたのは、一カ月間での、大阪支部の一万一千百十一世帯の弘教達成であった。この広布の金字塔は、だれ人も乗り越えることのできない″記録″となった。関西の広布の基脳は、この時に規璧に築かれた。関西、大阪の同志にとって、また私自身にとっての大きな誇りとなっている。
 当時の日淳上人から″この七百年間、これほどの弘教をした人はいない。宗祖日蓮大聖人、そして御開山日興上人もどれほどかお喜びであろう″とおっしゃっていただいた。(拍手)
 さらに同年秋からの山口開拓指導がある。当時、山口県では同志も少なく、散在している状態で、大いなる広布の発展など考えられる状況ではなかった。私は、通算三十日間にわたり、全国から参加した有志の方々とともに県下各地で弘教を展開。この間、いっきょに六千世帯の入会を成し遂げた。
 ともあれ、私は青春時代に、広宣流布の″記録″をつくり、模範の大道を切り開いてきたつもりである。宗祖日蓮大聖人も、第二祖日興上人も、また恩師戸田先生も、必ずやご称讃くださっているにちがいないと確信している(拍手)。そして、これからもさらに、世界を舞台として広宣流布の大いなる歴史を残していく決意である。(拍手)
 どうか若き諸君も、青春時代に輝かしい勝利の記録、栄光の証をきぎんでいただきたい。たとえ小さな記録であってもよい。それぞれの立場で、自分自身の満足できる人生と広布の「証」を見事に残していかれんことを心から念願したい。(拍手)
 最後に、本日お集まりの皆さまのご健康とご活躍、ご多幸をお祈り申し上げるとともに、埼玉県の同志の方々には「すばらしき埼玉」を合言葉に前進を、と申し上げ、私のスピーチを終わりたい。
 (埼玉池田文化会館)

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