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日蓮大聖人・池田大作

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第二十一回本部幹部会 広布の天地を″幸の花綵″で結ベ

1989.9.15 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

前後
1  組織の第一線を大切に
 まず、本部幹部会の開催された、この新講堂が、ちょうど落成一周年を迎えたことを、心からお祝いしたい(拍手)。また今回、二年ぶりの東北訪問となったが、東北の皆さま方には何かとお世話になり、深く感謝申し上げるしだいである。(拍手)
 ところで昨日は「中秋の名月」、本日は「満月」となっている。雲に隠されて名月を眺めることができないのは残念だが、暦のうえの「中秋の名月」と、月齢による「満月」という、まことにめでたい天の配慮である。そうしたなか、文化の都・仙台で、希望あふれる本部幹部会が開催され、ともどもに喜びあいたい。(拍手)
 なお、東京の学会本部等には、アルゼンチン、タイ、ブラジル、メキシコ、フランス、スペインのメンバーや「千代田七百五十人会」、国際部、ドクター部、社会部の方々が参加されているとうかがっている。直接、お会いすることはできないが、東北の地より、本日のご参集に対して″ご苦労さま″と申し上げたい。(拍手)
2  現在、全国各地で第十二回の支部総会が始まっている。その大成功のために、辛労を尽くされている支部長、支部婦人部長の皆さまの労を、心からねぎらいたい。また、見事な総会の開催をお祈り申し上げる。(拍手)
 今回の支部総会は、基本的に地区単位、ブロック単位となっている。支部長、支部婦人部長をささえておられる地区部長、地区担当員、ブロック長、ブロック担当員等の方々も、何かとご苦労されていることと思う。こうした組織の第一線で地道に活動され、ご苦労されている方々を、最高幹部は、絶対に大切にしていかねばならない。どうか、全幹部が守り、ささえ、励ましあって、総会の大成功のために、ともどもに進んでいただきたいと、まずお願い申し上げたい。(拍手)
 私も地区部長(当時、地区委員)、支部長代理を経験した。男子部では、班長も部隊長もやり、教学でも助師、講師と務めてきた。戸田先生は、決して私を一気に高い役職につけることはされなかった。
 それは、組織の第一線で、一つ一つきちんと戦っていくことが基本であり、その地道な活動のなかでこそ信心は磨かれ、深められていくことを教えようとされたからである。ゆえに私は、男子部の班長として、また地区部長、支部長代理として、あたえられた立場で、つねに全力を尽くして戦い、広布の道を開いてきたつもりである。(拍手)
3  信心の立派な人とは、役職の高い人ではない。役職がなくても、どういう立場であっても、信心を深めていく人こそ尊いし、立派なのである。着実に絶え間なく仏道修行に励み、広宣流布のために戦っている人が、偉大な人である。
 家庭訪問する、個人指導に歩く、弘教に励む、同志の面倒をみる――こうした基本の活動が、信心の基礎体力をつけていく。したがって、いくら役職を持ち、巧妙に組織のなかで戦っているような姿を見せても、基本となる仏道修行を怠り、広布の組織活動をないがしろにする人は、結局行き詰まり、信心の軌道から離れていく。それは、信心を退転し、学会に造反した幹部の姿をとおして、皆さま方もよくご承知のことと思う。
 ともあれ、たとえ役職がなくても、組織の第一線で、日々、懸命に活動している人を最高に尊敬し、大事にしていくことが、信心の指導者の心であることを忘れてはならない。
4  ところで戸田先生は、仙台支部の「支部総会」に、第一回から第八回まで、ほとんど毎回、連続して出席されている。仙台は、戸田先生と縁深き地である。
 総会のさい、戸田先生は「仙台というところは、学問の町である。仙台人は日本一だ」と言われながら、白血球の話や地球の自転・公転の話など、少々、むずかしい話題も取り上げられた。それほど仙台の人たち、東北の皆さまを信頼し、期待されていたのである。(拍手)
 また、戸田先生は次のようにも言われていた。
 「本日の、この燃え上がる結集、また支部の幹部諸君の、じつにうちとけた団結、これを私は、非常にうれしいと思います」と。
 戸田先生は、物事の本質を鋭く見抜かれていた。
 だいたい東北の人たちは、燃え上がらない(爆笑)。一般的にそのように思われていた。しかし東北の人には強い求道心がある。確固たる人格、根性がある。「これが自分の進むべき道だ」と納得すれば、どこまでも貫きとおすという強さをもっている(拍手)。その東北の人たちが、広布への燃え上がる情熱をもって立ち上がった。うちとけた団結の前進が始まった。それを戸田先生は、非常に喜ばれたのである。
 ″仲の良い前進を″″仙台が、東北が、全国の模範たれ″と、恩師は、一回一回の支部総会に出席しながら、″手づくりの労苦″で、東北広布の道を開かれていった。その姿が、きのうのことのように私の胸中によみがえってくる。
 今、戸田先生が、この東北のすばらしい講堂に集った皆さま方の姿をご覧になったら、何と言われるだろうか。きっと破顔一笑して「東北は成長したな。私が思ったとおり、一人の反逆者も出ていない。さすがだ。立派だな」とたたえられるにちがいない。(拍手)
5  守りあい、励ましあい、うるわしい組織を
 また、戸田先生は、とくに支部長の奮闘をだれよりも、よく知っておられた。
 たしかに、支部長、支部婦人部長の奮闘はたいへんなものである。その任を全うしようと思えば、文字どおり「私」のない活動となる。
 ある支部婦人部長さんが、冗談まじりに、こんなことを言っていた。
 ――くたくたに疲れて、朝ゆっくり寝ていた。すると近所の会員から「朝、まだ起きていないのか」と言われる(笑い)。あるときは、信心とはまったく関係ないのに「あの家の子どもは、あまり成績が良くない」(笑い)などと陰口を言われる。自分の家庭や家族のことを後まわしにして、近隣の人々や同志のために駆けまわり、面倒をみている。それなのに、ささいなことでいつも厳しく見られることはやりきれない(笑い)と。
 実際、支部長、支部婦人部長さんの活動は、多忙をきわめる。また、無認識の評価をされる場合もある。それほどたいへんな戦いなのである。だからこそ、おたがいに理解しあい「支部長、婦人部長がいるから、われわれも助けられているのだ」と、守りあい、励ましあいながら、うるわしい組織を、皆で築きあげていただきたいのである。(拍手)
6  戸田先生は、ある本部幹部会でこんな話をされた。
 「むかし、私は仙台から飛行機で東京へ帰ってきたことがあるが、その途上、阿武隈川の川下のあたりで、烈風にあった。そのころの飛行機は、今どきのと違って、六人乗りの簡単な飛行機だから、上下に激しく振動して、なかなか前には進まない。仙台から東京までの間、飛行機が気流と闘争していたが、その闘争は見ていてじつに立派な闘争であった」
 ここでは、飛行機の操縦士と気流との戦いを述べられているが、戸田先生は何かあると必ず、そこに″人物″を見ようとされた。たとえば巨大なダムを見れば、「これだけの構想をもって設計した人に会ってみたい」と言われていた。
 それはそれとして、なぜ戸田先生は、この飛行機の話をされたのか。
 それは″学会も、その飛行機と同じような悪戦苦闘の連続である。なかでも支部長、婦人部長は疲れている。今こそ最高幹部が、日の色を変えて働く時だ。そして支部長を守り、新たな突破口を開いてもらいたい″と訴えられたのである。
 当時の最高幹部とは、理事クラスである。今で言えば会長、副会長、県長らの幹部がこれにあたるだろう。
 ″支部長、婦人部長ばかりに苦労をかけてはいけない。最高幹部が本気になって支部長、婦人部長の皆さまを守り、新たな広布の道を開いていくべきである″と、戸田先生の言葉を借りて、私は強く申し上げておきたい。(拍手)
7  さて、私も出席していたが、三十五年前の秋、第六回仙台支部総会(昭和二十九年十月九日)での戸田先生の指導が忘れられない。
 「私は″広宣流布近きにあり″と確信するものであります。だが、まだまだ、二年や三年や五年では、できることではない」
 では、それはいつか――。先生は言われた。
 広宣流布の時とは、「三類の強敵というものが現れて、その三類の強敵に向かって、われらが敢然と戦いきる時なのです」と。
 これが、御書に照らし、経文に照らしての、恩師の大確信であった。
 この言葉から見るとき、私は今こそ、広宣流布の近きことを実感せざるをえない(拍手)。
 今日まで、「三類の強敵」は、すべて競い起こってきた。そして、私どもは、一歩も退かず敢然と戦ってきた。絶対に負けてはいない。今や将来の基盤は、完壁にできあがっている。どうか、皆さま方も、もはや、本格的な「広宣流布」のその時に入ったことを確信していただきたい。(拍手)
 先生は、東北の同志にこう呼びかけた。
 「われわれは広宣流布を全うし、そうして霊鷲山会に、大いばりで『創価学会員、広宣流布をしてまいりました』と、日蓮大聖人にお目通りのできるように、信心をしていこうではありませんか」と。
 以来、三十五年の歳月が流れた。その間、東北においても、めざましい広布の発展を遂げてきた。戸田先生もいかばかりかお喜びのことと思う。
 大聖人の御遺命である広宣流布は、私ども創価学会で立派にやり遂げていきたい。そして、ともどもに霊鷲山会で大聖人にお目通りし「私どもは、やりました」と胸を張ってご報告したい。必ずや大聖人から、絶大なるおほめをいただくにちがいない。(拍手)
 広宣流布に邁進する功徳は、まことに大きい。その功徳は三世永遠に輝いていくのである。どうか、大確信をもって広布の達成のその日まで、晴ればれと前進をお願いしたい。(拍手)
8  太陽の生命力、月光の英知
 さて、きょうは満月でもあり、暑い日が続いてもいるので、ここで涼しい「月」の話をさせていただきたい。
 月といえば、よく戸田先生は″月光をあびながら、人生や哲学、未来を、夜中まで語りあい、論じあってこそ青春である″と言われていた。
 ともあれ、地球の衛星である月。それは古来から″かぐや姫の宮殿″と親しまれてきたように、私たちにいつも何かを語りかけてくれる″おとぎの世界″でもある。また月の意義は、ロマンの世界にとどまらない。大聖人は御自身のお名前について、こう明かされている。
 「明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり
 ――明るいことは太陽と月以上のものはない。清浄なことは蓮華以上のものがあろうか。法華経は「日月」と「蓮華」のように最高の法である。ゆえに妙法蓮華経と名づける。日蓮もまた日月と蓮華のようである――と。
 この御文には甚深の意義があると拝するが、大聖人も御自身を「日月」のごとしと仰せのように、太陽と月は切り離せない。
 私どももつねづね「太陽の仏法」とたたえるが、太陽だけではない。月をも包摂する意義を持つ仏法なのである。
9  また一般的には、太陽と月はたがいに相対するものとして考えられている。だがじつは、相対するものの″調和″が価値を生みだす。それは陽と陰、男性と女性、火と水、外向と内省等の関係にも見られる。非常に大事な原理である。
 人間もまた同じである。いつも「太陽」のようにギラギラ燃えてばかり(笑い)、大声で激励ばかり(笑い)では、自分も疲れる。第一、まわりが迷惑である。(笑い)
 皆が疲れているときには「きょうはベートーヴェンの名曲でも」(爆笑)と、穏やかに疲れを癒すことも必要であろう。ともあれ、「月」の光が包みこむように、静かに語りかけていくことも大切である。
 あるときは「太陽」のような満々たる生命力が必要である。とともに、あるときは「月光」のように、清涼で穏やかな″精神の光″と、円満な″知恵の光″を持たなくてはならない。とくに、これからの高齢化社会、成熟社会には、この両面が必要になってくるように思う。
 また学会にあっても、これまではいささか偏りのある″ミニ太陽″のような人が多かったかもしれない(笑い)。今後は、「太陽」の力と「満月」の光とが、見事に調和されたような人材の成長をめざしていくべき時代といえよう。
10  その意味で、これからは、いわば″日月の調和の時代″である。
 それは一つには、″自分を見つめる力″が要求される時代である。これまでわが国は「日本株式会社」(笑い)と言われるように、豊かな生活を求めてだれもが皆、せわしなかった。しかし、人間性を犠牲にした経済的発展、氾濫する情報等を前に、もはや外にばかり目を向ける時代ではなくなっている。今や、内なる自己を見つめる力が強く求められているといってよい。
 もう一つには、従来の男性中心社会に対し、「女性」の特質がより重要になる時代である。政治の分野でも、女性の発言が重みを増しつつある。ここ東北にあっても、これまで以上に女性の意見を尊重しながら進んでいただきたいと思う。(拍手)
 もちろん、太陽が男性、月が女性とはかぎらない。当然、その反対であってもよい(笑い)。事実、太陽が女性名詞、月が男性名詞とする言語もある。女性を太陽、男性を月とする文化もある。
 かつて社会運動家の平塚らいてう女史が「元始、女性は実に太陽であった」と語ったことは有名である。また私も、婦人は「家庭の太陽」と申し上げてきた。
 要は「太陽」と「月」、両者の絶妙の調和が必要となる時代を迎えていることを知らねばならない。(拍手)
11  信行の基本の修行忘れるな
 かつて私はこう記した。
 「昼は太陽と共に謳いながら 生命を燃やそう 夜は静かな月光の道で 友の休むのを待って自分という人間を考えよう」と。
 多くの詩人や歌人が月をとおして人生を詠み、それはまた日本人、東洋人の、一つの精神史をつづってきた。いわば月は、心を映す鏡である。古来、人々は月に思いを託し、月と語り、月にわが人生を映して、心の内を見つめてきたのである。
 人は″自分を見つめる″ことを忘れたとき、必ず進歩がなくなる。また、自分を見つめない人は、人間的な深みも魅力も出てこないし、最後は枯渇せざるをえない。
 だからといって、ただ自分を見つめてばかりいて(笑い)行動のない人には、前進も成長もない。大切なことは、実践のなかで自分を凝視しつつ、そこで深められた精神を、さらなる価値創造へのバネとしていくことである。
 その意味で私どもは日々、御本尊に向かい、唱題することによってみずからを照らし、境涯を深めながら、限りなく前進していくことができる。これほど偉大な世界はないし、価値ある人生はない。(拍手)
12  大聖人は妙一女に「御身は忽に五障の雲晴れて寂光の覚月を詠め給うべし」――あなたは、たちまちに五障の雲が晴れて寂光の覚月をながめられることでしょう――とのお手紙をしたためられている。
 五障とは、爾前経において、女人は(1)梵天(2)帝釈(3)魔王(4)転輪聖王(5)仏の、どれにもなれない、とされた五つの障りのことである。しかし、たとえそのような身であっても、三大秘法の御本尊に真剣に題目を唱えるならば、「寂光の覚月」をながめられる自分になっていく。すなわち、仏界の悟りの知恵が輝いていく。
 己心の「仏界」の満月に照らされた、その「知恵」の光は自身を見つめさせ、同時に他の人をも導く根源の力となる。そして自身を照らす光が強ければ強いほど、他人への洞察や尊敬が深くなり、慈愛も深まっていく。指導の力も深まる。
 「守護国家論」の中で、大聖人は「内心の仏界を知らざれば外の諸仏も顕われず」――自身の仏界を知らないうちは、外の諸仏も姿を顕さない――と述べられている。
 この御文は「十界互具」の意義を説かれたものである。また、私どもの信心の一念についても重要な示唆をあたえてくださっていると拝する。すなわち、己心の「仏界」の光が強まれば強まるほど、他の人の「仏界」も確信できる。本来、仏であるという本源的な尊敬の念が起こってくるのである。
 反対に、権威をカサに仏子を見くだし、″我尊し″と威張っている人間は、それ自体、己心の仏界を現じていない証拠である。
 当然、「自分を見つめる」力もない。成長も止まる。堕落が始まる。人からも信用されない。そして表には立派そうに振る舞いながら、なかには裏で学会を利用しようと策動する者さえ出てくる。まことに″偽りの精神生活″である。それが、責任ある立場にありながら退転し、反逆した人間の正体でもあった。
 信心の世界は全部「自分」の内実がどうかが根本である。表面的な″組織の論理″で決まるのではない。
 大切なのは、いわゆる話のうまさでも、多くの人を動かしていく立場でもない。どこまでも信心である。一個の人間として、信仰者として偉大なる境涯を開いていくことである。それが自身の成仏を決定していく。また実質的に広宣流布を進めていくのである。この原理・原則を、私は厳然と言い残しておきたい。(拍手)
13  月にきざまれた太陽系の歴史
 さて、ふたたび月の話にもどることにしたい。
 アポロ計画以来、月の研究は飛躍的に進んできている。そのなかで、もっとも身近な天体である月に、太陽系全体の歴史がきざみこまれていることもわかってきた。ちょうど「一人」の人間に、「人類」の進化の歴史が集約されているのと似ている。また「一人」を心から味方にすることが「万人」に通じていくのである。
 最近の研究によると、月の誕生は約四十六億年前。他の太陽系や地球とほぼ同じである。では、月はどのようにしてできたのか。
 これには、地球から分かれてできたとする「親子説」など、いろいろな説があるが、現在では、地球ができたのとちょうど同じころ、地球と同じようにできたと考えられている。つまり、太陽の周りを集団としてまわっている岩石の集まりが、自分自身の重力のため引きつけあい、固まったのである。
 約四十四億年前から四十億年前までの間、激しい隕石の嵐や雨が月を襲った。この時期、地球も含めた太陽系全体が、無数の隕石が飛びかう激動期にあったといわれる。この隕石の落下エネルギ―や、岩石中の放射能のエネルギーで月の表面が融け、地殻とマントルが形成された。その下部に地球のように重いコア(核)があるかどうかは、まだわかっていないという。
 宇宙においても、また人間の世界においても、形成期には必ず激しい嵐があるものだ。
 戸田先生は、よく語っておられた。
 ″ある意味で、学会も第二代がもっともたいへんだよ。いちばん、嵐にあうだろう。だが、それを乗り越えれば、あとは永遠に安定していくであろう″と。
 初代、二代も、熾烈な建設の苦闘の連続であった。それにもまして重要な時代が第三代であるならば、未聞の嵐はむしろ当然である。広布の盤石な未来を決する学会の″形成期″を第二代で総仕上げせよとの、先生のお心に応える以外に、私の人生はないと思っている。(拍手)
14  太陽系の激動期のなかで、地球にも多くのクレーター(地表の丸いへこみ)ができた。が、のちの火山活動によって、その痕跡はほとんど消されてしまった。一方、月には、クレーターがそのまま残っている。いわゆる″月のあばた″である。なぜなのか。
 それは、月が三十九〜三十二億年前まで火成活動をし、「月の海」(黒く見える平原状の部分)などをつくったあと、活動を停止してしまったからである。このことは、月に、三十一・五億年より若い岩石がないことからも推定されている。
 つまり、月は三十二億年前に、ほぼ死んでしまった天体である。その寿命は十四億年。天体として出発した時のエネルギーが小さく、尽きてしまった。そのため、激動期の状況、いわば傷跡をそのまま表面に残しているのである。
 人生も、活動を止めてしまえば、理想を実現し、完成させることはできない。ともかく生きて生きて、生きぬいていく――そのなかでこそ、さまざまな傷や痛みも時とともに癒され、人間としての円満な境地も築かれていくものだ。美しい緑に包まれた地球のように――。
 また、妙法を信じ広布へと進んでいる今こそ、三世永遠の幸の旅路への出発の時である。ゆえに大きなエネルギーが必要である。題目を唱えに唱え、″満タン″のエネルギーを蓄えながら、私どもは悠々と幸福の軌道を進んでいきたい。(拍手)
15  さて、静寂な″死の世界″である月には、ほとんど大気も水もない。大気は地球の十兆分の一。ほぼ真空の世界である。
 大気がないということが、どれほど悲惨なことであるか――。大気に守られない月の表面は、じかに宇宙空間からの脅威にさらされている、無防備の裸の状態である。
 太陽からのX線や紫外線、帯電粒子、すなわちいわゆる太陽風、またその他のあらゆる宇宙線や隕石等々、そうした宇宙の″暴力″に、何十億年も月は痛められ続けてきた。
 大気がないため、昼夜の温度差も激しい。昼は一三〇度、夜はマイナス一七〇度にもなる。その差、なんと三〇〇度である。
 これに対し、地球は、オゾン層など厚い大気の層や地磁気で保護されている。ゆえに人類をはじめとする生物が生きていける。
 しかし、こうした無数の″宇宙のギャング″たちの害に、人間が気づいたのは、つい最近である。「大気に守られている」という事実に、長い長い間、だれも気がつかなかった。
 あまりにも大きな恩恵というものを、人は忘れがちである。あまりにもすっぽりと身近に包まれているので、空気の偉大さに感謝することがなかった。その大気がない世界の無残さを見て、初めて″地球のすばらしさ″がわかったのである。地球に住むことが、どれほどありがたいことかと。緑したたる宇宙のオアシス・地球を、皆で大切にし、皆で真剣に守らねばならない。
16  学会も、宇宙のなかで、最高に幸福な「信心の世界」である。(拍手)
 絶え間なく降りかかる魔物の攻撃から信仰を守り、諸天の力を増幅させながら、福徳の華を繚乱とと咲かせている。確たる軌道もなく漂うのみの人生が多いなかで、自他ともに人生をもっとも充実させて歩むことができる。(拍手)
 その意味で、正法を守りゆく組織が絶対に必要である。人々を守りゆく指導者が必要である。また、ありとあらゆる社会の分野で活躍しゆく同志がいなければならない。
 一人になってしまったなら、無防備の月のようなものである。無数の魔から信仰を守ることは困難である。広宣流布も進めることができない。
 学会の存在が、どれほどありがたいか。大切であるか。あまりにも大きく守られているゆえに、その恩恵を当たり前のように思い、忘れてしまう場合がある。それでは浅はかである。また、守られすぎて、ひ弱になってもならない。
 感謝の心がなくなれば、もはや信心の心もない。その人のまわりの空気は濁り、福徳と歓喜に満ちた新鮮な空気を味わえない。それのみならず、不満と嫉妬で環境をも汚染していく。絶対にそうさせてはならない。また、そうした人間から信心の世界の清浄な空気を、断固、守りぬいていかねばならない。(拍手)
 月にも、初めはかなりの大気があった。地球と同じように、岩石の中に閉じ込められていたからである。しかし月の重力が小さいため、結局、どんどん宇宙に逃げていってしまった。福運も、それをひきつける信心の引力が弱まれば逃げていってしまう。(笑い)
 ″幸いを万里の外より集める″強盛なる信心の一念で、汲めども尽きぬ満々たる福徳と生命力を、私どもはたたえていきたいものである。
17  月にみる宇宙の「生死の実相」
 ところで、月は″死の世界″であるにもかかわらず、地球に巨大な影響をおよぼしている。それはあたかも、宇宙には「生」の力のみならず、「死」の力も存在していることを象徴しているようでもある。
 御書には「妙は死法は生なり此の生死の二法が十界の当体なり」――妙法の妙は死、法は生である。この「生死の二法」が地獄界から仏界までの十界すべての当体である――と。
 生死、生死と永遠に繰り返していく生命。その「生死の二法」からはだれ人もまぬかれられない。この生と死を貫く大法が妙法である。ゆえに妙法をたもち続ける人は、自身も三世にわたって幸福である。また先祖をも救っていくことができる。(拍手)
 反対に、妙法の世界を破壊しようとすることは、そのまま自身の生命を破壊することに通ずる。ゆえに生死、生死と、永遠に苦悩の極限の境涯となる。
18  月の引力が、太陽の引力とともに、海の潮汐――満ち潮、引き潮を起こしていることは常識である。それに加えて最近では、月が、人間の行動や心理、生理にも、何らかの影響をあたえているという研究も注目されている。
 それによると、満月や新月の時に、人間の情緒が不安定になり、犯罪件数も増加するという。もちろん、これは主にアメリカでの統計であり、異文化の各国にそのまま当てはめることはできないかもしれない。
 ただ、人間の体にも「海」がある。すなわち体液は海水と似た成分である。その″内なる海″が、月の変化に応じて何らかの影響を受ける――そうした見方に関心が高まっていることは事実である。昔からよく知られているように、女性の妊娠期間の平均も、満月から満月までの期間(二十九・五日)の、ちょうど九倍である。
 このように人は、太陽とともに時をきざむ以上に、じつは月とともに生命の時間を生きている。
19  このように人は、太陽とともに時をきざむ以上に、じつは月とともに生命の時間を生きている。
 ちなみに日本語の「つき」の語源は「つきる(尽く)」であるともいう。形がだんだん欠けてきて尽きてしまうからである。しかも「とき(時)」も、古くは「つき」と同じ意味に使われた。たとえば「あかつき(暁)」を「あかとき」と表現した。
 英語の「ムーン(moon)」も「測る」という意味が語源にある。「メーター(meter)」「メジャー(measure)」などの語も親戚である。「時を測る」ものが月であった。「タイム(time)=時」と「タイド(tide)=潮」も同語源である。
20  仏法で説く月光の六義
 人間は、月をはじめとする宇宙とともに生きている。その事実は時代とともに、いよいよ明らかになってきている。
 大聖人はつねに、日天よ、月天よ、あらゆる諸天よ、と呼びかけておられた。
 元・東京天文台長、広瀬秀雄氏は、大聖人が「天体の活動と不離不可分の生活をしていた」(『年・月・日の天文学』中央公論社)ことに注目され、「依智の星下り」が″最大光輝の金星″に、「竜の口の光り物」が″エンケ彗星による流星″によると推定しておられる。このことは対談『「仏法と宇宙」を語る』(本全集第l0巻に収録)のなかでもふれておいた。
 広瀬氏は結論して、日蓮大聖人のように「その身と天体との一致まで堅く信じた人は他にほとんどないと思う」(同前)と述べておられる。大聖人の広大な御境界の一端に、一流の科学者も関心を寄せているのである。(拍手)
 ともあれ、全宇宙をわが″人生空間″とし、宇宙の運行のリズムに合致して生きる、その妙法受持者の生き方の正しさを、″月と人間の関係″をはじめ、科学もまた証明しつつあるといえよう。
 仏法では「月光」を、さまざまなたとえに用いている。「月愛三昧」もその一つである。(大正十二巻、参照)
 父を殺した阿闍世王が悪逆の提婆達多にだまされ、乗せられて、悪を犯したことを悔い、心に「悔熱」を生じた。心も地獄の苦しみ。体にも悪性のできもの(瘡)が出る。だれも治せない。自業自得とはいえ、あまりにも悲痛な姿である。
 病気にも「身の病」と「心の病」がある。心の病のほうが治すのはむずかしい。
 このとき、釈尊が王の後悔の姿を見て、彼を懺悔させ、その心を癒した。その様子が「大田入道殿御返事」には、次のように描かれている。
 「世尊・大悲導師・阿闍世王あじゃせおうのために月愛三昧かつあいざんまいに入りたもう三昧さんまいに入り已つて大光明を放つ其の光り清凉にして往いて王の身を照すに身の瘡即ち愈えぬ」――大悲の導師である釈尊は、阿閣世王のために月愛三昧に入られた。そのあと大光明を放たれた。その光は清涼であり、阿閣世王のもとに届いて王の身を照らすと、悪瘡はたちまち治った――。
 これは「心の病」を治した仏の慈悲の光を、優しい月光にたとえた話である。
 軽度の「心の病」の人は、いよいよ増加している。そういう人には強烈な激励は逆効果になる場合が多い。むしろ粘り強く、静かに話をよく聞いてあげ、同苦してあげる包容力がポイントとなる。
 一般的に言っても、何か相談すると、話も聞かないうちに、いつも「とにかく題目をあげればいいんだ!」(爆笑)では、やりきれない。たとえ真実ではあっても、相手が納得できなければしかたがない。
 ″真理である″ことと″説得力がある″ことは違う。どう、その人に「信心の力」「唱題の力」を確信させ、発心させていくか。そこまでにいたらせる力が指導力なのである。
 釈尊が「月愛三昧」に入ったということは、深い意義があると思う。すなわち、これは妙法の″生命を癒す″力の一分を表している。
 宇宙は妙法の当体であり、日天、月天の働きもまた妙法の力による。大聖人は、この妙法即ご自身の境界を御本尊として御図顕された。御本尊には大日天王、大月天王をも厳然とお認めである。
 ゆえに「月愛三昧」といっても、すべて御本尊のお力に含まれる。
 また、妙法を信受し、修行する私どもの生命にも、日天、月天の働きが分々に顕れてくる。
21  涅槃経には「月」の働きをとおして、「月愛三昧」の六つの意義が説かれている。(梵行品)
 第一に、月光が三千年に一度咲く優曇華を開花させるように、人の善心を開かせる。
 第二に、月光が道ゆく人を照らして喜ばせるように、仏道をいく人を照らして喜ばせる。
 第三に、新月から満月へとしだいに成長するように、成仏へとだんだん導いていく。――仏界の輝きを増していく。
 第四に、十六夜からしだいに形が小さくなっていくように、煩悩による苦しみが、しだいに減っていく。――宿命転換していく。
 第五に、暑い盛りのとき、月光に涼をとるように、人間の「貪り」の悩みの熱を冷やし、取り去る。
 第六に、星々の王が満月であるように、あらゆる善の「王」である。すなわち、大善中の極善が妙法である。
 日月といっても、じつは″わが胸中″にある。その明るい光を大きく周囲に放ちながら、日のごとく、月のごとく慕われゆく人でありたい。そして、すばらしきわが家を、わが地域を、われらが社会を、その″生命の光″″人間の光″で照らし、輝かせていくことが私どもの使命なのである。(拍手)
 「大がほえても月は気にかけない」(The moon does not heed the barking of dogs.)というヨーロッパやアラブのことわざがある。
 いかなる卑しい吠え声にも、月は悠然と高みに澄んで、皓々と地上を照らす。
 これこそ「信仰者」の姿である。人間の「王者」の姿である。私どもも、この心意気で進んでまいりたい。(拍手)
22  人間と文化の花で地域を結ベ
 さて、宇宙から地上におりて(笑い)、この東北の大地の話をしたい。
 日本列島をはじめとする″弧状″すなわち″弓なり″の列島を、「花綵列島」と表現した人がいる。「花綵」とは「花づな」の意味で、列島が花を編んでつくった「花づな」のような形だからである。名づけたのは十九世紀、ドイツの有名な地理学者ペシェルである。初代会長の牧口先生も、これをうけて「花綵内海」(日本海等のこと)の語を、『人生地理学』の中で発案されている。
 花綵列島――なんと優雅に美しい名前であろうか。この名にふさわしい日本でありたい。色とりどりの花が、一連なりに咲き誇り、一本の華麗な花づなを作る。そのように、日本の各地域、各方面が、それぞれの歴史と特性に応じた大輪の花と開いていく――。
 東京や大阪だけでもない。いわゆる都市部だけでもない。一つの方面、地域も欠けては「花づな」にならない。いずこも豊かに花開かねばならない。
 大聖人は高橋入道にあてたお手紙の中で、二言、「うるわしき日本国」と記されている。謗法によって国土を汚されてしまったが、本来、それが大聖人の日本へのお心であられた。そのお心を実現することこそ、門下としての使命である。(拍手)
 私どもが妙法を根底として、豊かな「心の花」「文化の花」「平和の花」「教育の花」また花で、この国を埋めていくとき、″人間の花綵列島″ができあがっていく。
 この一点のみでも、私どもの使命が、どれほど大きいか。皆さま方が将来、どれほど人々から感謝される、価値ある行動の人生を歩んでおられるかわからない。(拍手)
 現在の日本は、列島を花で結ぶどころか、煙突と煤煙(笑い)、″マネー″と虚像の世界で埋めかねない傾向がある。経済至上主義のもたらす荒廃は深刻である。
 また、″文化の花綵列島″にこそ、″地域の時代″の内実もそなわってくる。現今の首都圏への一極集中は、あまりにもひずみが大きい。
 学会においても、各方面で最高会議を真剣に行っている。それも、妙法による理想の世界を、なんとしても実現したいからである。われらが広宣の天地を庶民の「幸の花づな」で結ばねばならない。(拍手)
 そして花づなを貫き、花々を一つに結ぶものは、「学会精神」「正法の魂」という永遠の大綱である。その中軸が貫いてこそ、各地域の花は、生き生きと彩りを競うことができる。この原理は、世界においても、また身近な地域においても、まったく同様である。
23  この妙法の″花繰列島″建設の先駆を、東北が切っていただきたい。(拍手)
 東北方面は、歴史上、つねに京都や東京といった″中央″から麓分され、しいたげられてきた。「東北」という名称自体、明治十年代ごろからのものであるが、″中央″を基準とした名である。それ以前の「みちのく(道の奥)」「奥州」なども同様といってよい。
 それらの言葉のもつ″辺境″″はじっこ″というイメージ。それが、長年、人々の頭脳の中を支配し、染めてきた。
 そのうえで問題は、東北の方々みずからが、そのイメージを信じこんでいる面があることではないだろうか。一念の力は微妙である。後ろ向きに信じこんでしまえば、現実も後退していく。
 「都」を基準として、みずからを暗く貧しい″辺境″と決めつける。そして自身の生命を狭いところに押しこめる。それでは、本来のパワーは出てこない。
 ゆえに、まずみずからの意識・発想を転換して、一人一人が強く誇らかに、また聡明になっていかねばならない。そこから初めて東北の新しい時代が開かれていくからだ。
24  東北こそ新しき時代の先端地
 長い目で見たとき、決して東北は″辺境″でもなければ″端″でもない。否、むしろ豊かな文化の歴史と繁栄の可能性をあわせ持った″フロンティア″(最前線)であり、希望の天地といってよい。
 ――事実、かつて東北は、文明の最先進地であった。
 約一万年にもわたる縄文時代――日本は、世界でいちばん早く「土器」を使った。当時のもっとも先進的文明社会であった。縄文人に対するこれまでの″原始人″のようなイメージは、最近の研究で一変している。その社会は、信仰と芸術、平和と豊饒の世界であった。
 大規模な戦争が始まるのは、次の弥生時代からである。たとえば、佐賀の吉野ケ里遺跡からは、首のない死者の骨が出土しているが、これも弥生時代の戦乱の犠牲者であるようだ。
 縄文時代、文化的にも、人口の点でも、もっとも栄え、豊かだった地域は、どこか――東北である(拍手)。東北こそ、日本の文化の中心であり、繁栄の拠点であった。(拍手)
 大陸の文化の影響を強く受けた弥生時代から今日まで、約二千年。わずか縄文期の五分の一にすぎない。その間、西方に主導権があったといっても、ほんのわずかの期間、預けていただけともいえまいか。(笑い、拍手)
 またその後も、東北は「日高見国」として、独立の文化を誇った。「みちのく」などと称される以前であり、『日本書紀』『常陸国風土記』などに記述されている。
 それは、東に近く、本来の「日之本」の国であったともいわれる。事実、青森県上北郡東北町には「日本中央」と大書された石碑がある。千数百年前のものともされる。(=別名″つぼ〈坪、壺〉のいしぶみ〈石碑、石文〉ともいわれる。伝説的な石碑であったが、昭和二十四年、発見された)
 この碑の由来等については不明な点も多いが、青森の皆さま! 今後も研究をよろしくお願いします(笑い、拍手)。ともあれ、東北に「日本」の″中心″が存在したことは間違いないようだ。(拍手)
25  ところで、東北方面が位置する北緯四〇度を中心とした地域は、世界的にも、文明の中心地を包む、いわば「文明のベルト地帯」である。
 東北の北端は、青森県下北郡大間町大間崎で北緯四一度三一分。南端は、福島県東白川郡矢祭町で北緯三六度四七分。この東北がある緯度に、いかなる都市が存在するか。主なものを西まわりであげると――。
 まずソウル(韓国)、平壌(北朝鮮)、北京(中国)、そしてシルクロードの要衝であった敦煌、楼蘭。オアシス都市カシュガル、東西交易ルートの中心サマルカンド。さらにトルコの首都アンカラ、イスタンブール(旧コンスタンチノープル)。
 ヨーロッパに入って、アテネ(ギリシャ)、ナポリ(イタリア)、マドリード(スペイン)、リスボン(ポルトガル)。アメリカに渡って、ニューヨーク、ワシントン、フィラデルフィア、そしてサンフランシスコ――。
 まことに豪華な顔ぶれとなる(拍手)。こうした「文明ベルト地帯」に、東北の″黄金の繁栄″もあった。マルコ・ポーロが描いた″黄金の国ジパング″も、平泉を中心とする東北をさすともいわれる。
 牧口先生は同じく『人生地理学』で、「文明の中心地の北漸」論について述べておられる。大まかに言って文化の中心の地域は、時とともに北に移る傾向がある、というのである。あたかも、ヨーロッパの繁栄が、地中海北岸から北方のパリ、ロンドン等へと移動していったように――。
 この法則から歴史時代(二千数百年間)の日本を見るならば、文化の最先進地域は、九州―近畿(奈良、京都)―関東(江戸。東一こと、しだいに北に移っている。次は東北であっても、何ら不思議はない。現実に、仙台の「第二首都論」構想が浮上しているが、ここにも、歴史の大きなうねりが反映しているようにも思えてならない。(拍手)
26  未来への発展を期して東北各県は、積極的な地域振興に取り組んでいる。
 青森は、「テイクオフ青森」をスローガンに、「青森地域テクノポリス(先端技術地帯)開発」をめざす。
 岩手では、「北上川流域テクノゾーン」(技術産業)、ヨ一陸沿岸マリノゾーン」(海洋開発)、「マグマポリス」(地熱、熱水利用)の構想が立てられている。
 秋田では、「北緯40°シーズナルリゾートあきた構想」「秋田テクノポリス構想」。
 山形は「新アルカディア構想」。アルカディアとは古代ギリシャの理想郷であり、この計画は、田園と都市の調和をかかげている。
 さらに福島は、二十一世紀FIT構想」。これはF=福島、I=茨城、T=栃本を意味し、三県を結ぶ総合開発をめざすもので、各地で提唱させていただいた「ブリッジ構想」の発想にも通じるものである。
 そして宮城――「東北インテリジェント・コスモス構想」。東北大学を中心に、仙台を日本の学術・技術・情報首都とする計画である。
 カタカナばかりで、よくわからないところもあるが(爆笑)、東北六県が肩を並べ、未来への希望を高くかかげて、前進を開始したところに、大きな意義があるのではないだろうか。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「此の心の一法より国土世間も出来する事なり」――この心という一法から、国土世間も出てくるのである――と。
 「限りなき繁栄の東北」、それでいて「人間味あたたかき東北」。その未来も、すべて東北の友の「心」に収まっている。
 その意味から、どうか、自身の「心」を豊かに耕し、東北に二十一世紀の「幸のフロンテイア」を拓きゆく、信念と信頼のリーダーであっていただきたい。郷上の繁栄を根本的に担い創るのが、われわれ妙法の同志の使命であることを確信していただきたいのである。(拍手)
27  模範の前進へ「心」合わせて
 さて、「心が合う」ことが、いかに大切なことであるか。最後に、この点について、少々、ふれておきたい。
 大聖人は、建治二年(一二七六年)、ある数人の門下のために祈っておられた。何か問題があったのであろう。しかし、なかなか結果が出ない。ついに大聖人は、こうご指南される。
 「なづき頭脳くだきて・いのるに・いままで・しるしのなきは・この中に心の・ひるがへる人の有ると・をぼへ候ぞ、をもいあわぬ人を・いのるは水の上に火をたき空にいゑを・つくるなり(中略)日蓮が失にはあらず
 ――頭が砕けるように強盛に祈ったが、今まで結果が出ない。それは、あなた方のなかに信心の心の翻った人がいるにちがいない。思いの合わない人のことを祈るのは、水の上で火をたき、空中に家を建てるようなものでまったくムダである。(中略)祈りの叶わないのは日蓮の責任ではない―――。
 「思い」の合わない人に対しては、御本仏が祈られてさえ願いが叶わないとの峻厳など指導である。
 歯車がかみあわなければ、いくらエンジンを回転させても、力は伝わらない。いかに弓をふり絞っても矢を別の方向に向けてしまえば、的に命中するはずがない。いくら送信機で信号を送っても、受信機の波長が狂っていれば通じない。すべて道理である。
 中心者に心が合わなければ、全体はもちろん、個人の力も発揮されない。自分勝手な「心」と「振る舞い」は、しだいに形式となり、権威となる。また、保守となり、停滞となっていくからだ。
 一見、頑張っているようでも、結果が実らない、効果が出ない。それは、中心に心が合わず、一切が「空に家を作る」ように空転している証左である。
 学会は、歴代会長を中心とした鉄桶の団結で発展のリズムを築き、広げながら、広布の波を幾重にも拡大してきた。その信心のリズムに「心」を合わせ、「思い」を合わせてきたからこそ、一つ一つの行動が価値を生み、相互に補い、相乗効果となって無限のパワー(力)を生みだしてきたのである。
 「心」「思い」といっても、決して特別なことではない。いかに、広宣流布を進めていくか。いかに人々の幸福を開いていくか。どのように、一人一人の信心を全うさせていくか――その地道にして純一な広布への「祈り」であり、「真心」にほかならない。
 それを自分だけが偉いと思ったり、彼は自分より役職が下であるとか、彼の態度が気に入らないとか、私はつねに本部から信用されているとか、小さな次元の感情に心が支配されてしまえば、「心」の波長は乱れ、狂っていく。要するに、いたずらに感情的になったり、仏子をいじめたりしていく幹部は、結局は信心のリズムに自己を合わせられず、正しき軌道を外れていくのである。
 反対に、根本に「思い」を合わせ、大きなエネルギー源にギアがかみあえば、その人には想像もつかない力が出る。気持ちよく皆の心が通じ合う。あたたかな世界が広がる。つねに楽しく新鮮に、広布と境涯の拡大を果たしていくことができる。すばらしき理想の世界を創造していけるのである。(拍手)
28  東北も、広布の盤石な基盤はできあがった。あとは、見事なる総仕上げの前進をお願いしたい。どこまでも心と心の通い合った「模範の東北」建設へと意気揚々と進んでいただきたい。
 最後に、尊い広宣流布の偉業に邁進される大切な皆さま方の、ご健康とご長寿を心よりお祈りし、本日のスピーチとさせていただく。
 (東北文化会館)

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