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日蓮大聖人・池田大作

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第八回全国婦人部幹部会 信仰は最高の人生への道理

1989.9.6 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

前後
1  常識豊かに充実の日々を
 本日は、本当にご苦労さま。婦人部の皆さま方は、家庭にあって毎日、たいへんに忙しい。掃除、洗濯はきりがないし、きょうは何の料理にしようかと食事に頭を悩ませる。ご主人の世話もあるし、子どもたちの面倒もみなければならない。また、仕事をしておられる方もいるし、なかには、おじいさん、おばあさんの世話をされている方もいる。そして、親戚や近所づきあい等々……それはそれは、目のまわる忙しさである。
 さらにそのうえに、皆さま方は「法」のため、「広宣流布」のため活動に励み、人々の幸せのため、真心の指導、激励を続けておられる。これほど尊い生き方はないし、これほど充実した人生はない。御本仏がいかにご称讃くださっているか。三世十方の仏・菩薩、諸天の加護があることも絶対に間違いない。(拍手)
2  海外に行った折、新入会の方から「五座三座の勤行は時間がかかる。もっと短くならないか」(笑い)との声が寄せられることが多々ある。(笑い)
 たしかに、海外メンバーのみならず勤行を覚えるには苦労するし、忙しい日常生活のなかでの朝晩の実践はたいへんな修行である。しかし、たとえば試験においても勉強を積んだほうが良い成績を得られる(笑い)。スポーツでも練習を重ねた人に栄冠が輝くのは当然である。何事も「鍛え」と「努力」なくして「勝利」と「完成」はない。
 人生をどれだけ深いものにするか、いかに充実した価値ある一生を送るか、一切は日々の積み重ねで決まる。勤行は仏道修行の基本であり、わが生命を磨きゆく最高の実践である。日蓮大聖人が教えてくださった″最高の人生″を生きゆくための絶対の道なのである。どうか、それを確信していただきたい。
 十数年前のことになるが、ある場で「世の中でいちばん『信じられる』ものは何か」という論議がなされていた。結論として「それは『常識』である」ということになった。私も、信仰の次元は別にして、そのとおりであると思い、今でも鮮明に記憶に残っている。
 たとえば、親が子どもを育てるのは、常識である。また、学生が学校に行くのも、夫が働いて家族を養うのも、常識であろう。夜ふかしをすれば朝早く起きられないのも、常識である。要するに人間の社会、生活の営みの道理が「常識」といえる。
 「仏法と申すは道理なり」と大聖人は仰せである。つまり、人間性の最極の道理を説いたのが仏法である。それは社会の「常識」と、決して相反するものではない。むしろ、仏法は、物事を「常識」豊かに進めていく源泉である。
 したがって「非常識」な信仰活動などはありえないし、社会人として、仏法者として「常識」と「人間性」豊かな私どもの振る舞いでなくてはならないことを、あらためて確認しておきたい。
3  人格を尊重しゆく信頼の世界を
 本日の幹部会には、全国県長会議のメンバーをはじめ、各地のリーダーの方々が参加されている。そこで、幹部のあり方について一言ふれておきたい。
 それは、「注意する」ことと、「叱る」こととは違う、ということである。とくに壮年の幹部のなかには、叱ることが怒鳴ることになっている(爆笑)場合も見受けられる。
 自分は幹部だからといって、威張り、会員や後輩を見くだして、感情的に叱ったり怒鳴ったりすることは絶対にあってはならない。それは、厳しく言えば仏子をいじめる「謗法」の行為となってしまうからだ。
 幹部になりながら、退転・反逆していった人間は、ほとんどがこうした傲慢で非常識なタイプであったことは、皆さまもよくご存じのとおりである。
 これに対して、ともに仏道修行に励む同志として、相手の成長を願う真心の励ましが真実の指導である。その一つの発露として、悪のほうへ、堕落のほうへ進まないように、慈愛をもって「注意する」ことは当然、必要である。
 それは「信心」の軌道を踏みはずすことのないよう教えてあげることである。また、謗法の″芽″を摘み取り、正しい人生の道を示してあげることであり、あたかも親が子どもを慈愛をもって叱るようなものといえよう。
 戸田先生がよく言われていたが、「注意する」ことも、「励ます」ことも、すべて仏の境界へ向かってその人を高めていくためである。これが学会の指導の根幹である。どうか幹部の皆さまは、この点をよくよく胸にきざみ、同志への真心からの励ましをお願いしたい。(拍手)
 次に、個人のプライバシーの守秘、すなわち個人の私事の秘密を守ることについて確認しておきたい。
 私どもは、多くの同志に囲まれて、たがいに思いやり、守り、ささえあいながら、広布の活動に励んでいる。これほどありがたいことはないし、これほど美しくうるわしい″心の世界″はほかにはない。(拍手)
 そこで、とくに幹部の皆さまは、信心の先輩として、後輩や友人からさまざまな相談を受ける場合が多々ある。そのさい、相手のプライバシーは絶対に尊重しなければならない。立場上、知り得た秘密を守ることは、いかなる組織、団体においても当然のことである。
 医師や弁護士などは、プライバシーを含めて、業務をとおして知った人の秘密を第三者に漏らした場合には、処罰されることが刑法第一三四条に規定されている。また、公務員についても「守秘義務」が国家公務員法第一〇〇条、地方公務員法第三四条に定められており、罰則の規定も国家公務員法第一〇九条、地方公務員法第六〇条に明示されている。
 こうした職業上の立場と学会の役職とは、もちろん次元が異なる。私どもにとり「プライバシーの尊重」は、何よりも人間としての信頼の問題である。
 信仰は、その人の人生の幸・不幸に深くかかわる問題である。ゆえに学会の幹部には大きな責任がある。また、強い心の絆で結ばれた信仰の世界であるがゆえに、相手は幹部を信頼し、学会を頼って相談してくれるのである。その″心″を絶対に裏切ってはならない。その意味で、個人のプライバシーを守れない人は、仏法者として失格である。
 私も、多くの方々からお手紙をいただき、じつにさまざまな報告を受けている。しかし、他人に言うべきでないことは、一度たりとも口にしたことはない。
4  ところで、人生のさまざまな悩みについて相談を受けたとき、自分一人では指導し、解決できない場合には、先輩に相談することもあろう。さらに、その人がかかえた問題を克服するために、皆で祈り、応援してあげたいという場合も出てくる。
 ただし、そのような場合でも、プライバシーに関することは、本人の了解を得て、その人が本当に喜び、安心できるよう心こまやかに配慮していくことが大切である。
 相談にきた本人が知らないうちに、周囲の多くの人が知っていたというようなことがあってはならない。
 組織のなかには、問題をかかえながら、だれにも相談できずに悩んでいる人もいよう。せっかく勇気を出して相談にきた人が、たとえ善意からであったとしても、幹部の不用意な言動によって不愉快な思いをしたり、苦しむようなことがあれば大きな誤りである。それでは、ますます相談しづらくなってしまう。
 ふれられたくないプライバシーの問題を、無理に聞く必要もない。それを話すかどうかは本人の意思であり、幹部が強いて聞く権利もなければ、幹部に無理に話す義務もまったくないからである。
 どうか皆さま方は、このような問題の一つ一つに賢明に対処し、一人一人の「人格」を最大に尊重しながら、他人に言っていいことと、言ってはならないことを峻別できる聡明な、責任あるリーダーであっていただきたい。(拍手)
5  「秘密を守る」ということで、一つの極限状況を描いた映画がある。その映画はフランスの劇作家ポール・アンセルメの戯曲「われら二人の道義」を映画化したものである。(ヒチコック監督のアメリカ映画「私は告白する」)
 この映画の舞台はカナダのケベック。主人公はカトリックの神父であり、信者の告白を他言してはならないという義務を負っている。あるとき、彼は、自分が面町をみていた男から、殺人の罪を犯したと告げられる。罪を償うように諭したものの、他言はできない。
 そのうちに警察は、あろうことか、この神父を殺人犯だと誤解して追及を始める。しかし彼は、ガンとして秘密を口外しない。ますます心証は悪くなり、ついに逮捕され、裁判にかけられる。それでも彼は黙秘する。
 幸いなことに、決め手がなく、彼は無罪となる。しかし宗教者としては、犯罪の疑いを広められただけで、致命的な痛手となった。釈放された彼を、裁判所の前で群衆が取り囲み、口汚い罵声を浴びせ、嘲笑しつづける。人波をくぐっていく彼の姿は、まさに殉教者のようであった。
 真相を知る犯人の妻は、とても見ていられず、思わず真実を叫ぼうとする。それを止めようとした犯人が妻を銃で撃ち、そこから、すべてが明らかになっていく。
 卑劣漢の汚名を着せられたこの神父が、じつはもっとも自分の誓いに忠実な人間であった。やがてこの事実が証明され、映画は終わる――。
 これは、少々、極端な例であるかもしれない。また国法上も、宗教的観点からも、多くの異論があろう。また悪を助長させ、人間としての道を踏みはずさせてしまうことは、絶対にあってはならない。ただ、それはそれとして、プライバシーという次元ではあるが、自分がひとたび誓った「約束」「誓い」というものは、最後まで貫くべきものである。
 時には、守秘によって自分が不利益をこうむることもある。秘密を口外されないのをいいことに、秘密を守ってくれている人を裏切り、逆にその人を攻撃し、おとしいれようとする場合すらある。
 私もこの四十年間、こうした裏切りや堕落の姿を、いくどとなく見てきた。しかし、守るべき個人の尊厳や秘密は、厳として守りとおしてきたつもりである。それが仏法者としての生き方であり、信念だからである。(拍手)
 日蓮大聖人は「約束」ということについて、次のように仰せである。
 「いふにかひなきものなれども約束と申す事はたがへぬ事にて候」――とるに足らないものであっても、約束というものは破らないのが習いである――と。
 約束は約束として守りとおし、信義を貫いていく。ここに人間として、仏法者としての大切な姿勢がある。
6  ロシアの作家プーシキンは、『ベールキン物語』という小説の中で、こう述べている。
 「よしどんな種類の秘密にもせよ、総じて秘密といふものは、女ごころにとつては辛い重荷になるものである」(神西清訳、『プウシキン全集 第三巻』所収、改造社)と。
 かんたんに言えば、女性にとって、黙っているというのはたいへんな苦痛である(笑い)ということになろうか。また「一人の女性に話したことは、世界中に話したのと同じことである」(爆笑)と言った皮肉屋もいる。
 要するに″女性はおしゃべりだ″という意味であるが(笑い)、じつは男性についても、同じことが言える。(笑い)
 結局、人の不幸を喜ぶようなゴシップを、好んで話したり広めたりする人は、薄っぺらな人格というほかはない。何でもすぐにしゃべりたがるという軽率さは、戒めていくべきである。
 その点、明確な目的に生きる一流の人々は、こうしたゴシップを聞こうともせず、自分で話そうともしないものだ。政治家でいえば、イギリスのサッチャー首相は、そうしたリーダーの一人である。
 要するに、言うべきことは敢然と言い、一方、言ってはならないことは厳然と守るという「勇気」と「良識」――これが大切なのである。
7  菩薩とは″勇気の人″
 話は変わるが、私どもが日夜、推進する広宣流布の運動の真意は、現代の社会にあって、なかなか理解されにくいようだ。一つには、数千年の仏教史にあって、今日の創価学会の多次元にわたる活動と急速な発展が、未曾有のものであるということもあろう。
 とともに、現代の一つの選蛤として、あらゆるものを「政治的に見る」という傾向によるところが大きいと思われる。
 とくにわが国では、宗教的次元のこと、また、宗教を根幹とした社会的運動をも、すべて政治的次元で判断し、とらえようとする。そこには、宗教運動に脈打つあたたかな人間性は捨て去られ、利害や力関係の判断しか生まれてこない。その結果、宗教、信仰に対し、当然、誤解が生じ、いわれなき圧迫を加えるという悪循環となる。
 このことを象徴するような説話が仏典にある。それは、「帝釈のねたみ」とも名づけられる説話である。ここで、その概略を紹介しておきたい。
 ――ある時、一人の菩薩がいた。世の無常を観じ、栄華も寿命も永遠でないことを知って、菩薩行を尽くし、つねに真理を求めていた。そして、庶民を愛し、貧しき者を救い、その徳は広く他国にも聞こえていた。
 これを見た帝釈天は「己の地位が奪われるのではないか」と恐れ、妨害をはじめた。神通力で、地獄のありさまを見せ「貧しい者を救うために菩薩の修行をするような修行者は、死後、こんな苦しみを受けるぞ」と、おどした。
 帝釈天は、四大天王を従えて忉利天とうりてんの主として三十三天を支配している。現代的にいえば、世界の権力者、指導者の存在といえよう。
 その帝釈天が、この菩薩をおどした。しかし、菩薩は動じなかった。「人を助けて地獄へ堕ちるものか」と。菩薩とは″勇気の人″である。
 そこで帝釈天は、地獄の罪人にウソを言わせる。
 「私たちは、一生懸命、人を救い、仏道修行をしたのに、今、ここで苦しみを受けています」
 菩薩は問う。「では、助けた人たちは、どうなったのですか」と。「その人たちは、皆、幸福になりました(天界に生まれましたとと、彼らは答えた。
 菩薩は、この答えを聞くと、心から喜んで言った。
 「私の願いは、ただただ、人々を幸福にすることです。かりにあなた方の言葉が本当でも、人々の幸福のために、自分が苦しみを受ける(地獄に堕ちる)ならば本望です」
 それでも、菩薩の深い慈愛は、帝釈には理解できなかった。
 「あなたはいかなる志から、こんなたいへんな修行をしているのですか」
 「仏を求め、一切の衆生を救うためです」
 この菩薩の私心なき誓願を聞いて、帝釈天は、初めて自分の誤解に気づいた。″天の王といった俗界の地位を望んでいるのではない″――と。
 帝釈天は、うやうやしく言った。
 「菩薩の修行をして、地獄に堕ちるはずはありません。じつは、あなたの高徳のあまり、いつかわが王位が奪われるのではと恐れて、志を乱そうとウソをついたのです。尊い修行者をだまそうとした罪をお許しください」
 そして帝釈天は、天界に去っていった――。(大正三巻、参照)
 私どもの仏道修行も、広宣流布の活動も、すべて自身の成仏のためである。また、人々の最高の幸福のためであり、世界に平和と繁栄の道を開くためである。大聖人が仰せのとおりの、自行化他にわたる私どもの修行であり、活動なのである。それ以外に、一片の社会的野心も、利己的な目的もない。(拍手)
 この「人間」「生命」という次元を、「政治」「経済」などの次元と混同したり、自分たちの卑しい野心と同じレベルで考えて、学会の活動を誤解し、ねたむ。そして、さまざまな迫害を行う。これが釈尊の時代から変わらない「ねたみ」の構図なのである。それをよくよくわきまえておいていただきたい。
 そして人間社会に巣くった、この取り除きがたい「ねたみ」の構図などものともせず、「一生成仏」と「広宣流布」という崇高な目的に向かって、わが道を堂々と進んでいきたい。(拍手)
8  退転の戒めに御本仏の大慈悲
 御書を拝読すると、大聖人が何度も繰り返し、強調されているお言葉がある。その一つが、「日蓮をうらみさせ給うな」との仰せである。
 たとえば池上兄弟の弟・宗長に対して、「但地獄にて日蓮をうらみ給う事なかれしり候まじきなり」――ただ、地獄に堕ちたあとで日蓮を恨んではなりません。その時は知りませんよ――。
 「心うすくて悪道に堕ちて日蓮をうらみさせ給うな」――信心の心が薄くて悪道に堕ちてから、日蓮を恨んではなりません――と。
 ご承知のとおり、池上兄弟とは、兄・宗仲と弟・宗長の二人である。念仏の信者の父は息子の信仰活動に激怒し、勘当する。兄の宗仲は、この仕打ちにも信心をゆるがせにすることはなかった。
 そうしたなかで、弟・宗長のことを心配されて指南されたのが、この御文である。
 また、四条金吾に対しても、大聖人はこう述べられている。
 「我が此の一門の中にも申しとをらせ給はざらん人人は・かへりて失あるべし、日蓮をうらみさせ給うな
 ――わが一門のなかにも途中で退転する人々は、もともと信じていない人よりもかえって罪が大きい。その時に苦しんで日蓮を恨んではなりません――。
 さらに、南条時光の父・兵衛七郎に対しては、「二心ましまし人の聞にはばかりなんど・だにも候はば・よも日蓮が弟子と申すとも御用ゐ候はじ・後にうらみさせ給うな」と。
 ――死後、「日蓮大聖人の弟子である」と名乗れば、諸天も閻魔大王もきっと良くしてくれよう。しかし、念仏と法華経の両方に心をかけるような二心があったり、人の評判をはばかって信仰を貫けないようなことがあれば、よもや日蓮の弟子と名乗っても用いられないであろう。その時になって恨んではなりません――。
 御本仏のお言葉は、いずれも峻厳である。かりにひとたびは妙法を受持したとしても、信心の心弱く、信仰を全うすることができなければ、成仏はありえない。むしろ、退転する罪は、もともと信心していない人より重い。そして、地獄に堕ちたからといって私を恨んではなりません。私のせいではありませんよ、と。
9  「うらみさせ給うな」との大聖人のお言葉は、諸天に対しても厳しい。
 「日蓮は日月の御ためには・をそらくは大事の御かたきなり、教主釈尊の御前にて・かならず・うたへ申すべし、其の時うらみさせ給うなよ
 ――日天、月天が法華経の行者の大聖人を守らず、迫害者を罰しないならば、日蓮は、おそらく日天、月天の大敵となろう。なぜなら釈尊の前で必ず誓約に背いたと訴えるつもりである。その時になって日蓮を恨んではなりません――。
 そして「いそぎいそぎ御計らいあるべし、ちち遅遅せさせ給いて日蓮をうらみさせ給うなよ」――日月天のほか、地神よ、海神よ、日本の守護神よ、大至急、何らかの手を打ちなさい。グズグズしていて、あとで釈尊に罰せられても日蓮を恨んではなりません――。
 諸天をも叱咤される御本仏の大確信を、私どもは門下として深く拝してまいりたい。
 このように大聖人は、門下にも諸天にも、「恨んではならない」と繰り返し指導し、呼びかけら
 れている。また「法華経ばし恨みさせ給うなよ」――法華経を恨んではなりません――とのお言葉もある。むろん、趣旨は同じである。
10  なぜ、大聖人は、このお言葉を繰り返し繰り返し述べられたのであろうか。
 私には、″なんとしても相手を地獄に堕としたくない。そのためには、今のうちに厳しく言っておかねばならない″と、心を尽くされた御本仏の大慈大悲が拝されてならない。
 しかし、そうした大きなお心も知らず、退転した人間たちは、決して自分自身を責めることはしないものだ。自分が大聖人のご指導を軽んじ、みずからその因をつくったにもかかわらず、反対に、師の大聖人を責め、難ずる――。「うらみさせ給うな」とは、その傲慢な″甘え″の心理に対する厳しきお言葉とも拝されるのである。
 橋がある。自分が誤って足を標らせ水に落ちた。それで橋を恨むのは、こっけいである(笑い)。いくら頑張れと周囲が励ましても、本人が努力しなければ、試験に落ちる。それは、他人にはどうしようもない。それなのに本人は、反省するどころか、かえって親を恨み、環境や落ちた学校の悪口まで言いはじめる。こうした″責任転嫁″の例は、尽きることがない。
 夫が妻を、妻が夫をののしる(爆笑)。自分がそういう人を選んだ(笑い)、その不明はタナに上げて(笑い)、相手が悪いと決めつける。泥棒を働いて捕まる。にもかかわらず、逮捕した人を恨み、法律を憎む。
 信仰の世界においても同様である。自分の「非」と「悪」のゆえに、まじめな人々の世界にいられなくなった。そのことを逆恨みし、かえってその世界に対し、いわれなき中傷と欺臓を繰り返す醜い姿があるのも、皆さま方がご存じのとおりである。
 大聖人の教えに背いて地獄に堕ちても、それは、大聖人のせいではない。もとより、本人の信心の問題である。さらに本質を言えば、退転者たちがあとで苦しんでも、それはいわば″自分が心に飼っていた「心の地獄」という猛獣に噛まれた″にすぎない。
 いかに表面は取り繕っても、生命の厳しき因果は、絶対にまぬかれない。妙法の明鏡は、自身の生命のすべてを照らしだしていくのである。
 ともあれ、仏法は峻厳である。ゆえに私どもも、言うべきことは明快に言っていかねばならない。悪に対しては戦っていかなくてはならない。それが、これからのリーダーの責務であり、重大な使命である。(拍手)
11  さて主師親は、いわば人間と社会にとってなくてはならぬ、もっとも重要な存在といってよい。
 末法に入ると、それさえもあなどってしまう。そうした時代相について、大聖人は次のように述べられている。
 「貪欲瞋恚しんに愚癡と申すさけにえいて主に敵し親をかろしめ師をあなづるつねにみへて候」――貪り、瞋り、癡かという″酒″に酔って、主人に敵対し、親を軽んじ、師をあなどる。こうした転倒がつねに見える――。
 主人とは、現在でいえば自分の所属する会社、団体ともいえよう。それが発展し、大きくなれば、自分にとっても誇りである。にもかかわらず、会社、団体の発展を阻害するようなことは、かえって自分をおとしめるようなものである。
 また、子どもとして自分を育ててくれた親を軽蔑することは、結局、自分を軽蔑することに通ずる。さらに、弟子として師を軽く見るのは、自身の愚かさを証明するようなものであろう。
 にもかかわらず、そうするのは、大聖人が仰せのように、餓鬼界の「貪」、地獄界の「瞋」、畜生界の「癡」の量母に毒された″酔っ払い″だからである。
 酔っ払いは、強にぶつかつては壁をののしり(笑い)、石につまずいては石の悪口を言う(笑い)。いやがる女性に対しても″おれのどこが気に入らないんだ―″と絡む(爆笑)。心の中の虎を解放した、文字どおりの″大トラ″の姿である。(笑い)
 ちなみに、三毒のうち地獄界の「瞋り」とは、通常言うところの「怒り」とは根本的に異なる。
 この「瞋り」は、自身の中に、もてあまし、どこにもやり場のない苦しみ、いわば″生命のうめき″である。自分で自分をさいなむ。苦しむ自分を自分でどうしようもない。そこで、苦しみの責任を、しばしば他に転嫁し、ウップン晴らしを図ろうとするといえるかもしれない。
12  ところで、アメリカの思想家エマソンは言った。
 「その人が一日中考えていることが、その人である」
 なるほど、そのとおりである。とともに、私どもの立場から、「その人が、心の奥底でいつも祈っていること。それが、その人である」と言うこともできよう。
 深い祈り。真剣な一念。決して抽象的な祈りであってはならない。広宣流布という大願の成就を祈念するなかで、同志の多幸、障魔の打破、一族の繁栄、自己の成長、目標の実現等々、一つ一つを具体的に祈り、願っていく。その同志の祈りが一体となり、ともに祈念していくとき、現実に広布を進め、発展させゆく偉大な「力」となっていくのである。
13  昭和二十二年、師弟一体となって広布ヘ
 さて、私が入信したのは四十二年前、昭和二十二年(一九四七年)八月二十四日である。この時、日本と世界はいかなる社会であったか。
 レディーに年齢を尋ねるわけにはいかないが(笑い)、ここにいらっしゃる方々は、みな若々しく(笑い)、おそらく当時のことはあまりよくご存じないと思う(笑い、拍手)。そこで思い出すままに、少々、語っておきたい。(拍手)
 日本では敗戦からちようど二年。マッカーサー元帥は「占領二ヶ年報告」を発表した(八月二十三日)。概要は「占領一年で日本の封建制度をくつがえし、新しい民主主義社会の基礎がおかれた。
 第二年で、その枠が事実上完成した」というものであった。なるほど、この年の五月三日には新憲法が施行。八月には待望の民間貿易も再開された(十五日)。
 とはいえ、庶民の生活は苦しかった。世相も荒れていた。主食をはじめとする「配給」はつねに遅れ、インフレもひどかった。
 記録によれば、都電の切符が二月には五十銭、九月には二円と、四倍になった。男性のストレス解消には″必需品″ともいわれるお酒も(笑い)急激な値上がり。清酒(二級)が二月に三十三円、八月には百二円と、三倍以上になっている。
 十月には″ヤミ米″を拒否した東京地裁の山口良忠判事が栄養失調で死亡。配給の食糧だけでは生きていけない証明でもあった。みずからの信念に殉じたその姿は、ある意味で、まことに佐賀県出身者らしい潔さであったといえるかもしれない。
 また外地からの「引き揚げ者」は、この年七月までで五百六十万人、なお九十五万人が残留と発表された。浅間山が爆発し(八月十四日)、阿蘇山の活動も活発になった。
 この夏、捨て子が増えた。例外なく栄養失調で、死亡率はなんと五〇%――。″戦災孤児″も巷にあふれていた。
 民衆が願う″楽土″の片鱗すらもない。当時、現在のような日本の繁栄はだれも想像すらできなかった。
14  一方、アメリカのトルーマン大統領は八月十四日、「広島・長崎への原爆投下は、賢明な処置であった」と言明した。慄然とする権力者の発言である。また、このころから、アメリカの反共産主義的姿勢が露骨になり、世界は本格的な「冷戦時代」に入っていったのである。
 ところで、もう一つ、この八月には、世界史的な大事件が起きている。仏教有縁の地インドが、パキスタンと分離し、イギリスから独立したのである。(八月十四日、パキスタン独立。同十五日、インド独立)
 大聖人が「月氏」また「月の国」(御書365㌻)と呼ばれたインド。その東洋の大国が、数百年にわたる西欧諸国の抑圧と支配から、やっと抜け出したのである。
 ちなみに、インドの人々は、暑熱の気候のせいもあって、清涼な「月」を愛する。さまざまな意味で、「月」をシンボルともしている。
 インド史上、最初の統一国家であるマウリヤ王朝の創始者はチャンドラグプタ王(月護王。在位紀元前三七年ころ〜前二九三年ころ)である。名前のチャンドラは″月″を意味する。その孫が有名なアショーカ大王である。
 梵語のチャンドラ(candra=月、輝く)は、西洋に伝えられて、今でもキャンドル(candle=ロウソク、燭光)、シャンデリア(chandelier)などの語に、影を落としている。
15  先日、長野で「大航海時代」のお話をした(八月十七日、第二十回本部幹部会)。インドの独立は、いわば西洋人による、この第一の「大航海時代」の終焉を意味した。ヨーロッパの侵略に対するアジアの民衆の「反撃」、そして「勝利」の象徴である。
 時を同じくしてアジアの各国が、そして一九六〇年(昭和三十五年)を中心に独立したアフリカの諸国が、自立への歩みを始める。
 しかもインド独立は、ガンジー(一八六九年〜一九四八年)という一個の強靭な「精神」が、ヨーロッパの巨大な「武力」に打ち勝った記念碑でもあった。
 一九四七年八月――。それは巨視的に見ても、歴史の大転換の時であった。
 一方で″最終兵器″の核が、冷戦のもと、悪魔の勢いで増殖をはじめていた。一方では「武力」「権力」への「精神」の力を証明するインド独立劇があった。
 この時に、戸田先生のもとに私は駆けつけた。そして師弟一体となって″太陽の仏法″たる日蓮大聖人の正法広宣流布へと、学会は立ち上がったのである。(拍手)
 ある人は言う。″月″の国インドが輝きはじめた、まさにその時、″日″は本格的に闇を破って昇らんとしていたのだ、と。
 ともあれ、歴史は長い目で、少なくとも数百年の単位で見なければわからない。私は広布の洋々たる未来を確信している。その最終の勝利のためにこそ、今、あらゆる面で、渾身の力をふりしぼっている。
16  インド独立の父ガンジーの戦い
 一九四七年の八月十五日。インドの独立記念祝典が行われた。ところが、ガンジーは祝典に出席しなかった。なぜか。
 じつは、光りはじめたこの″月″は割れてしまっていたのである。パキスタンがインドから分離し、別国として独立した。イスラム教国(パキスタ)とヒンズー教国(インド)という宗教による対立は、あまりにも多くの犠牲を生んだ。ガンジーには耐えられないことであった。
 難民だけでも千五百万人。彼らは疫病、略奪、暴行、殺人におだげやかされながら、苦しみつつ国境を越えた。パキスタンのヒンズー教徒はインドヘ、インドのイスラム教徒はパキスタンヘ、と。あちこちで流血・暴動が続いた。死者の推計は、二十万人から五十万人――。″国父″ガンジーの苦悩は深かった。彼は最後まで「統一インド」の実現を念願していた。
 彼の考えは断固としていた。「宗教のために人間がある」のではない。反対だ。「人間のために宗教がある」のだ。人々よ、血を流し合うことをやめよ、と。
 宗教は人間のため、人間の尊厳と幸福のためにこそある。この一点は、人類にとって、また私どもにとっても根本的な重要性をもっている。
 宗教の権威に名を借りて、人間性を踏みにじるような過ちは、未来永遠に許してはならない(拍手)。それでは人間を尊び、人間を限りなく慈愛された大聖人の御精神に相反してしまう。
17  こうしてガンジーは、本来ならば晴れやかに祝うべき独立の祝典にも、招待をことわり欠席する。メッセージすら送らなかった。ガンジーにとって、「非暴力」という″信念″″信仰″は、「独立」という形のうえの勝利よりも、もっと大切だったのである。一時的な政治の次元ではなく、精神の永続的次元こそが――。
 ――華々しく勝利を祝っても、国の「魂」を失っては何になろうか。私の願う″本当のインド″は、まだ実現されていない。民衆が自分を理解したと信じたのは誤りだった。
 一切の悪と暴力からインドを、人間の側に″奪還″しなければならない。イギリスから奪い返しただけでは、まだ足りない。問題は解決していないのだ。
 傲れる宗教の権威、政治権力、そして、ありとあらゆる暴力。それらにインドを支配させたままでは、私の戦いは終わらない。それらをすべて打ち破り、一構するまで、前に進むのだ。挑戦し、戦い続けるのだ――。
 こうしたガンジーの心を知る人は少なかった。ある伝記作家は、当時のインドの大衆について、こう書いた。
 「彼らはガンジーに敬意を払ったが、その教えは拒絶した。ガンジーの体は神聖に保ったが、彼の人格を冒漬した。殻は賛美したが、中身は踏み潰した。彼を信頼したが、彼の主義には信頼を寄せなかった」(ルイス・フイッシャー「ガンジー」古賀勝郎訳、『二十一世紀の大政治家2』所収、紀伊國屋書店)と。
18  学会精神の金剛の筋金を
 学会も、いかに発展しても、広宣流布への真実の「精神」を失っては、何にもならない。形ではない。中身である。正法の「魂」である。
 どこをとっても、みずみずしい「学会精神」が、強く清らかに流れている。脈打っている。そうした「本物の学会」を「本物の同志」の手で、いよいよ立派につくり上げ、広げていかねばならない。(拍手)
 そして未来永劫に、一切の悪の侵略や支配、抑圧を許してはならない。それらから大聖人の仏法を、また牧口先生、戸田先生の精神を守りぬいていってこそ、真実の学会である。(拍手)
19  インドは、なぜ独立できたのか? 複雑ないきさつや議論は、時間の都合もあり、本日は省かせていただく。その本質の一点のみふれておきたい。
 初代の首相ネルーは、言った。「ガンジーはわれわれの姿勢を正し、背骨に筋金を入れた」(同前)と。
 背にまっすぐ筋金を入れ、胸を張り、立ち上がった民衆。卑屈にかがめた背中には、侵略者らもやすやすと乗ることができた。しかし、もはやそうはいかなかった。
 今、私も学会員の皆さんが、背骨に鋼鉄の「筋金」を入れた人材に育ってほしいと願っている。これが、現在の私の眼目の作業である。
 そのためには、私は妥協もしない。何ものも恐れないし、屈しない。卑劣な策謀等にも目もくれない。純粋にして、強靭なる金剛のごとき「学会精神」をきざんだ、骨格大き「勇者」を厳としてつくり、厳として残していく。それこそが、広宣流布の″死命を制する″最重要事であるからだ。(拍手)
20  イギリスのチャーチル(一八七四年〜一九六五年)は、最後までインドの独立には反対した。彼は一九四〇年から四五年まで首相を務めた(二度目は一九五一年〜五五年在任)。もしも当時、彼が政権の座にあったなら、インドの独立は果たせなかったかもしれない。
 チャーチルとガンジー。二人とも二十世紀の歴史に名を残す指導者である。両者を比較した言葉がある。
 二人は「生涯を唯一の目的に捧げたことで似通っている。偉人は立派な彫像のようにまったく首尾一貫しているものだ」、しかし「チャーチルは老いるにつれますます保守主義者になり、ガンジーはますます革命家になっていった」(前掲書)と。
 ある意味で極度に対照化した表現かもしれない。ただ、人生の真理の一端を示唆しているといえまいか。
 「権力」に生きる人間は時とともに硬直化し、保守化し、みずからを狭い世界と視野に閉じ込めてしまう。一方、「精神」をわがすみかとする人間は、年とともに、いよいよ熱き情熱で理想を追求し、みずからの世界を高め、深め、拡大していくことができる。
 ひとたび心に権力や財力の甘い蜜を染みこませてしまえば、もはやその魔力から脱することはむずかしい。堕落と保身への汚染が生命をむしばむ。よどんだ川のゴミがたまるように、保守の弱さに「魔」や「鬼」がつけこみ、巣をつくってしまう。そうであってはならない。
 ひとたび、広宣流布という革命の同志として立ったならば、一生涯、最後の最後まで、「首尾一貫」していなければ「同志」とはいえない。そのためには、年とともに、ますます若く、「ますます革命家に」なっていく以外にない。「永遠の革命家」こそ真の信仰者の姿なのである。(拍手)
 本日の話は、少々、むずかしかったかもしれない。ただ、仏法の本当の実践を志す多くの人々のため、また将来の間違いなき学会の軌道のために、あえて言い残させていただいた。(拍手)
 終わりに、大切な大切な皆さま方が、また皆さま方のご一家が、「信心即幸福」で、朗らかな、無事故の一日一日であられますよう、心からお祈り申し上げ、きょうのスピーチを結ばせていただく。
 (創価文化会館)

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