Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二回未来部総会 大切な君たちは二十一世紀の主人公

1989.8.19 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

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2  大きな心で「自分」の土台作ろう
 ともあれ、楽しく、有意義な夏休みを過ごしていただきたい。諸君は、将来、社会の立派なリーダーになる使命の人である。そのための土台をつくっているのだという自覚で、賢明に一日一日を送ってほしい。(拍手)
 家庭においても、両親とふれあう時間が多くなる。良い面もあれば、悪い面もあろう(笑い)。夫婦ゲンカを見る機会も増えるかもしれない(笑い)。子どもにとっては、いやなことだと思うが、いたずらに深刻になってもしかたがない。
 始まったら、「あ、やってるな。『健康の証拠』だ」(爆笑)と、大らかに包容してあげる(笑い)くらいでよいのではないか。実際、そうとうに生命力がなければ、夫婦ゲンカなどできない(笑い)。
 派手にやっているうちは、「まだ元気だな(爆笑)。健康上、大丈夫だな」と、前向きに考えていけばよい。(笑い、拍手)
 親子のケンカも、ひんぱんになるかもしれない(笑い)。親というものは、久遠の昔以来(爆笑)、子どもを叱るものである。また、なんとか親の権威と面目をたもとうとする。その切ない立場をわかってあげることだ。(笑い)
 お父さんが、威張りだしたら、「うん、お父さんは、今世は願って庶民に生まれてきた(笑い)。だけど、せめて家では、ミニ″大統領″か″大社長″になってみたいんだな(笑い)。オヤジも苦しいところだ(爆笑)。ここはひとつ、犠牲的精神で(笑い)、民衆の一人になって、聞いてあげよう(笑い)」と。こう考えられたら、その人は大人である。(拍手)
 また、お母さんが怒りだしても(笑い)、ともかく返事だけは(爆笑)「はい」「そのとおりです」と素直さを上手に演じておけば(笑い)、向こうも、それ以上、怒りようがなくなる。(笑い、拍手)
 胸の中では「こんなに泣いたり、怒ったり、百面相みたいだな(笑い)。女優になれなかったから、来世にそなえて練習しているのかな(爆笑)と考えてあげる余裕をもっていてもいい。(爆笑)
 そして、たまには「父上、肩でもおもみしましょう」(笑い)、「母上、きょうは格別、おきれいですね」(爆笑)と、お世辞でいいから言って(爆笑)、「さすがに良い子どもに育った」と、喜ばせてあげるくらいのサービス精神があってもよいのではないだろうか。(拍手)
 ともあれ、諸君もまた家庭における″主役″である。ワキ役ではない。自分の家庭を、自分の主体的な努力で明るく、健康な方向へ、幸福の方向へと建設していく権利がある。また責任がある場合もある。
 家庭にかぎらず、あらゆる人生の舞台においても、あの人がこうだから、この人がああしてくれゆそんたら、などとばかり思い、不平不満で心を揺らしているのでは、わびしい。自分が損である。
 強く、自分自身の命に生きることである。人はどうであれ、自分は自分である。利己主義はいけないが、よい意味での個人主義、人格の自立が必要である。
 自分がいちばん大事である。いちばん尊いし、さまざまなすばらしい可能性をもっている。その大切な自分の人生を、他人に振りまわされて、暗くし、台無しにすることは愚かである。
 ヨーロッパでは、個人主義が発達した。これは一面では、さまざまな経験と苦労を経ての結論であったともいえる。「結局、これでいくしかない」と。このことについては、いつの日か、また論じたいと思う。
3  かつて、ある著名な指導者が批判の嵐のなかにいた。それを見て戸田先生は私に言った。
 「ヤキモチだよ。偉くなったら、ほうぼうから、うるさく言われるのは、当たり前だ。むしろ、何も言われなくなったら、おしまいではないか」
 このように、戸田先生の″ものの見方″は、つねに傑出していた。深く、明快であった。自己自身の命に生ききっておられた。
 諸君も一畳憾ψ轍餓な世間の見方などには左右されない、確固たる自分自身の見方、自分自身の人格を築きあげていただきたい。(拍手)
4  楽しい思い出も″苦″と戦ってこそ
 ところでトインビー博士と聞けば、おそらくたいていの人は、″大学者であるし、少年時代はきっと、学校が大好きな優等生で、少し近寄りがたいような秀才だったにちがいない″と想像するであろう。しかし実際は、そうではなかった。成績優秀ではあったが、学校に行くのがいやでしかたないということもあったという。諸君のなかには″安心した″と思う人もいるかもしれない。(笑い)
 私は博士に「学生時代のことで、もっとも強く印象に残っていることは何でしょうか」ともうかがった。そのとき博士は、率直にこう言われた。「十五歳の時、寄宿学校でかなり重症のホームシックにかかったことを思い出します」と。
 親元を離れての寮生活に加え、先輩・後輩の関係が非常にやかましく、「すべてにわたって階級的」であった。博士も当初、ずいぶん先輩からいじめられ、悔しい思いをされたようだ。
 寄宿学校では、先輩・後輩の立場に応じて、自分のなすべき義務が厳格に決められていた。たとえば下級生は、グレーのズボンや茶色の靴をはくことが禁止され、そのほか、さまざまな窮屈な規則を課せられていたという。
 そうしたなかで、博士はすっかりまいってしまい、ホームシックにかかる。″学校はいやだ。家に帰りたい″――と。こうした強い思いは、今で言う「登校拒否」(不登校)の苦しみにも通じる面があるかもしれない。
 夏休みなど、休暇で家に帰れても、休みが終わって新学期が始まれば、またあのつらい寄宿生活にもどらなくてはならない。そのことを考えると、胸がドキドキして、たまらない気持ちになる。そんな思いを、博士は「私にとっては学期の始まる日は、死刑を宣告された囚人に対する死刑執行日のごとくであった。この恐ろしい瞬間に向かって時がどんどんたつにつれて、私の苦悩は絶頂に達した」(『回想録1』山口光朔・増田英夫訳、社会思想社)と述べられている。
5  私との対談のさいにも、当時を振り返りながら、同様の話を懐かしそうに語っておられた。そして、私に「そのころの自分に比べれば、今の少年たちのほうが、ずっとたくましいですよ。池田先生はどう思いますか」とたずねられた。しかし、私はあえて即答を避けた。
 時代と人間のかかわり、教育のあり方――これらは、一つの見方で割りきってしまうと、逆に本質を見失うおそれがある。私は博士に、「もう少し様子を見て、じっくり考えたい」と、そのときお答えした。
 いずれにしても、トインビー博士は、たいへんに正直な方であった。自分の悩んだことなどを、とりつくろったりせず、ありのままに語ってくださった。
 社会的に大成した人は皆、若き日に人生の向上と深化のために苦しみ、悩んでいる。恵まれた順調なコースを歩んできたと思ったら大きな間違いである。″人は苦しんだぶんだけ人間的に偉くなる″――これは、人物を見ていくときの一つの基準といえよう。
6  自分らしくベストを尽くせ
 だれにとっても思春期というものは、さまざまに心の振幅の激しい時期である。思わぬことで思い悩み、ささいなことで傷つきもする。
 時には憧れの異性に胸をときめかせたり、相手から「自分がどう思われているか」と悩むこともあろう。自分の容姿が気になり、鏡に向かっては、一人で喜んだり悲しんだり……(笑い)。さまざまな心の揺れのなかで「自分自身」が揺れ動いていく。そして、自分で自分がわからなくなることもあるかもしれない。しかし、それが思春期というものであろう。
 若き日のトインビー博士のように、「学校に行きたくない」と思う人もいるかもしれない。しかし、その心の揺れ動きそれ自体が、学校という「社会」との打ち合いのなかで「自分自身」をつくりあげていく過程であるともいえる。
 諸君は今、学校という「社会」の中でさまざまな問題にぶつかり、多くのことを経験しながら、「人生」を学び、「人格」を形成している。
 したがって、諸君は、いやなこと、つらいことがあっても、「学校」を現在の人間形成の場と思って通い続けていただきたい。
 自身の弱い心に打ち勝ってこそ″人間の鍛え″がある。その軌道から外れ、まして″悪の道″に染まってしまえば、一生、自分が苦しまねばならないし、悔いを残す人生となってしまうにちがいない。
 そうした危機を乗り越えていく力は、他にあるのではない。諸君自身のなかに秘められている。そのいちばんの原動力も、「信心」にあることを強く申し上げておきたい。(拍手)
7  さてトインビー博士は、権威的な先輩の圧迫もあって、学校になじむことができなかった。また学校生活をしばるさまざまな制度や規則に対して強烈に反発していった。しかし、彼のそうした態度に対して、周囲の対応はどうであったか。
 彼の反発は、ユーモアをもって受け止められ、感情的に追及されたり、制裁を受けることはなかった。そして、そのことが厳格な学校生活における大きな救いとなった、と博士は周囲の人々ヘの尊敬の念をもって当時を振り返っている。
 また、この学校に入るため、奨学生としての入学試験を受けたが、この試験にはたいへんなプレッシャーを感じたと言っておられる。これに合格しなければ、経済的な理由でこの学校には行けなかったからである。
 そのとき、両親が次のように励ましてくれた。
 「ベストを尽くせばいいんだ。それ以上のことは誰にもできはしない」(前掲書)
 そして″たとえ、この学校に入れなくても、それで世の中が終わるわけではない。だから、必要以上に心配はしないことだ″と。
 この賢明にして大らかな、あたたかい心づかいの一言ほどありがたかったことはない、私は終生忘れない、と博士は両親への感謝を語っている。
 こうした博士のエピソードからみても、ユーモアのある大らかな心、賢明な励ましが、どれほど人を勇気づけることか。相手を追いつめるような言動は、厳に慎まねばならない。
 また、先ごろイギリスのサッチャー首相とお会いしたさいも、同首相がお父さまから「ベストを尽くせ。たとえ失敗しても、もう一度トライせよ」と教えられ、そのとおりに実行してこられたとうかがった。「ベストを尽くせ」との共通の言葉に、私はイギリスの賢明な家庭教育の精神をみる思いがした。
 私も、青春時代ゆえのさまざまな悩みや問題と戦っている諸君に「他人を気にしてあせったり、必要以上に心配することはない。いつも自分らしく、堂々とベストを尽くせ」と、はなむけの言葉を贈りたい。(拍手)
8  いずれにせよ、トインビー博士にとって、晩年になっていちばんの思い出としてきざまれていたのは、学校時代でいちばんつらかったホームシックのことであった。
 順調な時の思い出はいわば″夢″のようなもので、時とともに消えていく。逆境に苦しんだ時のことほど、自身の心に深くきざまれるし、そこに貴重な″人生の宝″が輝き、″人生の土台″が築かれていく。
 これは、一個の人間ばかりでなく、団体にとっても同じ方程式であろう。学会も、順風ではなく、逆風のなかで広宣流布を進めてきた。だから強いし″本物″なのである。(拍手)
 苦しみや困難が続くその時は「たいへんだ」「つらいな」と思うことばかりかもしれないが、過ぎ去ってみると何でもなかったように思える。それが人生である。
 ゆえに少々の苦労に負けてはならない。一生という長い目で見ていけば、じつはそういう時こそ、自身にとってすばらしい「成長」と「発展」の歴史をつくっているのである。
 どうか諸君は、いやなことや、つらいことがあればあるほど、「今、自分は最高の自分の歴史をつくっているのだ」と確信して、明るく大らかな心でまっすぐに進んでいただきたい。(拍手)
9  未来には世界への道が待っている
 さて、以前にも申し上げたが、南条時光の弟・七郎五郎は、十六歳の若さで亡くなった。その四十九日の折、大聖人が母御前に送られたお手紙に、次のような御文がある。
 これは、妙法を信受した功徳がいかに大きいかを示されたものである。
 「そもそも此の法華経を開いて拝見仕り候へば「如来則ち為に衣を以て之を覆いたもう又他方現在の諸仏の護念する所と為らん」等云云
 ――さて、この法華経を開いて拝見してみると「如来(仏)は衣で、この人(法華経を受持し、人々のために法を説く人)を覆われるであろう。また、現在、他方の世界にいる諸仏も、こぞって護念してくださるであろう」などとある――。
 「経文の心は東西南北・八方・並びに三千大千世界の外・四百万億那由佗の国土に十方の諸仏ぞくぞくと充満せさせ給う」
 ――この経文の意は、東西南北、そして八方(東、西、南、北と北東、北西、南東、南西の方向)、ならびに三千大千世界(宇宙)の外、四百万億那由佗の数の国土にまで、十方の諸仏が続々と集まり充満した――と。
 その諸仏の集った姿は「天には星の如く・地には稲麻のやうに並居させ給ひ」――天には星のように、地には稲や麻のように数多く並ばれた――というのである。
 そして「法華経の行者を守護せさせ給ふ事、たとえば大王の太子を諸の臣下の守護するが如し
 ――この諸仏が、法華経の行者を守護されることは、たとえば大王の子である太子を、大王のあらゆる家来が守るようなものである――と。
 それも「但四天王・一類のまほり給はん事の・かたじけなく候に、一切の四天王・一切の星宿・一切の日月・帝釈・梵天等の守護せさせ給うに足るべき事なり」と。
 ――ただ四天王の一類が守ってくれることさえ、ありがたくうれしいことなのに、一切の四天王、一切の星、一切の日月、帝釈天、梵天などが守護されるのだから、満足すべきことでしょう―――。
 また「かたじけなくも釈迦・多宝・十方の諸仏のてづからみづから来り給いて・昼夜十二時に守らせ給はん事のかたじけなさ申す計りなし」――もったいないことに、釈迦、多宝、十方の諸仏が、みずから来られて昼夜十二時(一日中)に守護してくださることのありがたさは、言いようがありません――と。
10  悠久広大な宇宙には、じつに多くの星があり、さまざまな世界がある。地球と同じような惑星も無数にあるといわれる。そこには、人類のような知的生物が生存していたり、優れた文化を持った国が存在する可能性もある。
 仏法では、そうした科学的知見がなされる以前から、この大宇宙には数多くの仏国土があることを説いている。日天、月天である太陽や月も一つではない。現代的には世界の指導者ともいえる帝釈天、梵天も数限りなくいる。四大天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)もまた同じである。
 まさに、宇宙に遍満する、あらゆる仏・菩薩、諸天善神が、妙法を受持している人、広宣流布に戦っている人を、こぞって守護すると説かれている。まことにありがたいことである。(拍手)
 しかし、そうした妙法の大功徳も、強盛な信心によってのみ受けることができる。社会のさまざまな悪縁や妨害に紛動されれば、それだけ自分自身の偉大なる成長と幸福を止めるだけである。
11  大聖人は「本迹の相違は水火天地の違目なり」と仰せである。
 この御文は久遠の仏の本地を明かした本門と、始成正覚の述の立場しか説いていない迹門の違いを言われたのであるが、本来、「本」とは本体、実体を言い、「迹」とは影の意である。
 わかりやすく言えば″本体″と、何らかのスクリーンに映った″影″の関係である。スクリーンがゆがんでいれば、ゆがんだ影が映る。そのゆがんだ影からは″本体″″実体″の真実は何らわからない。これを敷衍して考えれば、このようにも言えるのではないか。すなわち、広宣流布の法戦の途上にあって、さまざまな憶離と風聞による非難などは、ゆがんだ″影″にすぎない。状況しだいで、気ままに揺れ、変化する幻影のような存在である。これは活字でいかように表現したところで同じである。
 「迹」と「本体」には水と火、天と地ほどの違いがある。本体はどこまでいっても本体である。
 真実はあくまで真実である。あらゆる現象の本質である、この一点さえ見きわめていけば、何も迷うことはない。(拍手)
12  また大聖人は、この母御前に、先の御文に続けて次のように仰せである。
 「かかるめでたき御経を故五郎殿は御信用ありて仏にならせ給いて・今日は四十九日にならせ給へば・一切の諸仏・霊山浄土に集まらせ給いて・或は手にすへ・或は頂をなで・或はいだき・或は悦び・月の始めて出でたるが如く・花の始めてさけるが如く・いかに愛しまいらせ給うらん
 ――このようにありがたい法華経を、故七郎五郎殿は信心されて仏になられました。今日は四十九日になられるので、一切の諸仏が霊山浄土に集まられて、あるいは手にすえ、あるいは頭をなで、あるいは抱き、あるいは悦び、月が初めて出たように、花が初めて咲いたように、どんなにか七郎五郎殿のことを愛されていることでしょう――。
 この御文は、信心を貫きとおして亡くなった方の、死後の生命の境涯を示されている。生死にわたって、仏界の生命につつまれ、所願満足の幸福境涯に遊戯していけるのが妙法である。
 そして、ひとたび仏界の境地に入れば、生々世々、自由自在に、自分の願う所と願った境涯に、生まれてくることができる。しかし、謗法の人、退転の人は、絶対に仏界に入ることはできない。苦悩の生命の連鎖を繰り返していかざるをえない。これが因果の法則である。
13  もったいなくも、御本仏日蓮大聖人のご出現が、人類史上、未聞の広宣流布への壮大なる出発であった。また、その甚深の意義がこめられて大御本尊の御図顕がなされたのである。
 そして七百年後の今日、創価学会の誕生も、牧口先生、戸田先生の出現も、すべて広宣流布の成就のためであった。その「大道」と「法道」を、現在、私どもが末法尽未来際への先駆けとして歩んでいるのである。あまりにもすばらしき行動と前進であることを、誇りとしていかなければならない。(拍手)
14  流行を追うだけの青春はむなしい
 ここで、流行について、少々、申し上げておきたい。
 一般的に、社会に暮らす私どもが、流行とまったく無縁でいることは、不可能であろう。諸君も、アイドルのはやりの歌に心を躍らせ、また流行のファッションなども、気にしている人が少なくないと思う。(笑い)
 元来、時代の動向から影響を受けない人間などありえないし、ましてや感性鋭き青年たちが、さまざまな時代・文化の変動を生き生きと感じとり、反応していくのは当然である。時には、流行や時代・社会の変革に強いインパクト(衝撃)を受け、その後の行動や人生観が変わっていくことさえある。時代を呼吸し、社会に敏感であることは、総じて健全な精神の証である。
 ゆえに、流行そのものが悪とは決して言えないし、時流に鋭敏であることは、それ自体、大切なことである。逆に流行に鈍感であることは、時代に遅れ、人々の心から遊離していくことにも通じていくであろう。
 しかし、流行に踊らされ、魂を支配されては、これ以上の愚はない。流行にのる。有名になる。マスコミで華々しく動く――いいように見えるかもしれない。だが、人生は長い。流行が終われば、人気という幻は消え、むなしい自分と敗北感が残るのみである。流行に踊らされた人生は、確たる「自身」を失い、正しき軌道を外れていくものだ。
 ゆえに大切なことは、確かな自分を確立し、時代の本質を賢明に見ぬきながら、自分の道を生きていくことである。一時の現象や時流にとらわれ、時代に追従するだけの″流行の捕虜″″流行の奴隷″となっては絶対にならない。
 けいはくともすると、″浅はか″で″薄っぺら″なもののほうがもてはやされる時代相である。その軽薄な風潮に自己を埋没させ、本当の自分、真実の使命を見失ってはならないと、強く訴えておきたい。
 どうか諸君は、時代をとらえ、受け入れながら、もう一歩深く、自身で思索し、とらえなおしていく健全な精神、強靱な知性の人であっていただきたい。こうした心の錬磨、人格の陶冶にこそ、仏法の説く人間完成の一つの要諦があるからである。
15  信心は良き″変化″への源泉
 恩師戸田先生は、かつて、こう指導された。
 「宇宙のあらゆる一切のものは、天体にせよ、一匹の虱にせよ、刻々と変軽していく。一瞬といえども、そのままでいることはできない」(小説『人間革命 第三巻』)
 虱といっても、諸君は知らないかもしれない(笑い)。戸田先生は二年間も牢獄で風に悩まされた(笑い)。だからたとえに引かれたのであろう。(笑い)
 ともあれ、すべてが刻々と変化し、独列していることは、まぎれもない事実である。われわれ自身もまた、それをまぬかれることはできない。
 戸田先生は続けて、こう指導されている。
 「そこで、一番の問題は、良く変わっていくか、悪く変わっていくかです。このことに気づかないでいる時、人は惰性に流されていく。つまり、自分が良く変わっていきつつあるか、悪く変わっていきつつあるか、さっぱり気づかず平気でいる。これが惰性の怖さです」(同前)
 ここに、人生の根本問題があるといってよい。
 若木がグングン生長していくのも変化である。大木が徐々に老化し、朽ちていくのも変化である。だが、同じ木の変化でも、内容は、まったく異なる。正反対である。
 人生の変化にも、同様のことがいえる。幸福へとグングン上っていくのか。それとも、不幸の方向に転落してしまうのか。現実を鋭く見ていけば、その相違は歴然としている。
 戸田先生は、その違いがわからないのが惰性だと指摘された。ある意味で惰性とは、流れに身を任せ、成長が止まった姿である。それでは、やがて敗北となり、苦しみの人生となってしまう。また、自身を良き方向へと変化させていけないものが滅びていくのは、自然の法則でもある。
 さらに戸田先生は続けられた。
 「信仰が惰性に陥った時、それはまさしく退転である。信心は、急速に、そして良く変わっていくための実践活動です。
 あらゆるものを、刻々に変転させていく力、それを生命といい、如々として来る、つまり、この力を如来といい、仏と名づけるのです。この力を大聖人様は、さらに南無妙法蓮華経とおっしゃった。そして、それを具体的に、十界互具の御本尊として、お遺しになった。一切の根本である、このことを度外視して、われわれの信心はない。……宇宙自体にも、われわれ一人ひとりの小さい人間にも、すごい生命の力、南無妙法蓮華経があるのです」(同前)と。
 仏法は、宇宙、地球、生命を貫く根本法則である。その法の力は、無量無辺である。ゆえに、信心による変化は根底的かつ急速であり、妙法のリズムにのっとった人は、速やかに良い方向へ転回していく。しかし、信仰の惰性、退転は、急速に正反対の方向に向かっていく。これが峻厳なる実相である。
 かりに安穏に見え、幸せそうであったとしても、それは刻々と変化し消えゆく仮諦の姿でしかない。永遠の幸福の因果はきざまれていない。所詮、正法なき生は、水面に浮かんでは消える泡のようなはかなさをまぬかれない。
 それに対し、南無妙法蓮華経を唱え、実践する人生の偉大さ、すばらしさは、妙法を知らぬ人生とは根本的に次元を異としている。広宣流布に生きゆく諸君こそ、かけがえなき至高の人生道を歩んでいることを、深く知っていただきたい。(拍手)
16  最後に、諸君が大きくなったならば、どうか、お父さん、お母さんを連れて、私が訪れた国々をはじめ世界中を旅行していただきたい。諸君、いかがだろうか(賛同の拍手)。場合によっては、兄弟、同志、未来部の友人と一緒でもよいと思う。
 すでにお父さんやお母さんが亡くなっている人もいるかもしれない。しかし、一念三千の法理のとおり、宇宙の一切はこの胸中に収まっている。両親は、いつも諸君の心の中に生きている。心に両親をいだいて世界をまわればよい(拍手)。ともあれ、いつまでも親孝行を忘れぬ一人一人であってほしい。
 世界の広布の道は、一年ごとに広がってきた。私はすでにこれまで四十三カ国を訪問し、これからも五十力国、六十力国と増えていくと思う(=一九九五年末現在、五十一カ国・地域を訪問)。この道を、諸君がさらにさらに広げ、堂々と進んでいかれんことをお願いし、本日のスピーチとしたい。
 (長野研修道場)

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