Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十九回本部幹部会 新しき天地を新しき勇気で

1989.7.14 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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2  「聖愚問答抄」は、題号の通り、「聖人」と「愚人」の一対一の問答・対話を中心として展開された御書である。
 「愚人」とは、末法凡愚ぼんぐの衆生を表し、それに対し「聖人」は、日蓮大聖人のお立場を示していると拝される。
 さて、「愚人」は、「聖人」に巡り会い、その言葉に耳を傾けるが、小乗・権教ごんきょうに対する「聖人」の峻厳しゅんげんな破折を聞き、いささか感情的になる。
 「ここに愚人色を作して云く汝賤き身を以てほしいまま莠言ゆうげんを吐く」──この時、愚人は顔色を変えて言う。″汝はいやしい身でありながら、ほしいままに悪言を吐く″と──。
 これに対し「聖人」は、あくまで冷静である。
 「汝が言然なり」──あなたがそう言うのも、もっともである──と、まことにふところ深く受け止められている。
 正法正義しょうぼうしょうぎに、さまざまな暴言・悪口あっくがあるのは御書、経文に照らして必然である。それに対しては、厳然と反論し、論駁ろんばくしていく強さがなくてはならない。しかし、強さだけですべての人を、心から納得させることはできない。むしろ、相手の主張もやわらかに受け止め、理解を示してこそ、対話はさらに深まり、実り多いものとなっていく。
3  重書中の重書である「立正安国論」も対話・問答形式でしたためられた御書である。そこでも、顔色を変えて憤慨し、席を立とうとする「客」に対し、大聖人のお立場を表す「主人」は「み止めて」──微笑をたたえ、帰ろうとする客をとどめて──話を続けたとされている。
 このように、無知や無理解の言葉が投げられ、理不尽な態度があったとしても、一切を莞爾かんじと受け止め、悠々ゆうゆうと、自在の対話を続け、納得させていかれる。ここに、″境涯の芸術″″対話の妙″ともいうべきものが拝されてならない。
 いかなる相手であれ、一切の感情を広く大きく包みながら、どのように心を開き、納得と共感を広げていくか。それはすべて、私どもの境涯にかかっているといってもよい。相手の喜怒哀楽に悠々とさおさしながら、自在に、心の奥深くにぎ入っていく融通無礙ゆうずうむげの境涯を開いていく以外にない。ここに、対話の人間学の精髄がある。
 妙法を唱え、実践されている皆さま方は、無上道を歩まれている方々である。最高無比の境涯を、日々、着実に開いているといってよい。生命に開かれた財は永遠であり、それからみれば世俗の″財″や″位″など、まことにはかない。その誇りも高く、私どもは堂々と前進してまいりたい。
4  「聖愚問答抄」でも、「聖人」は、まず「愚人」の言に十分に耳を傾ける。その上で、真実の正法正義を、法理、道理にのっとり諄々じゅんじゅんと語り尽くしておられる。
 その中で「愚人」も「いささか和いで」──少し顔色をやわらげて──というように、徐々に心を開いていく。
 やがて「席をさりたもとをかいつくろいて」──席を下がり、袂を正して──と態度を改め、「聖人」に真剣に教えをこうようになる。
 そしてついには、「頭を低れ手を挙げて」──頭をたれ、たなごころを合わせて──正法の実践を誓うにいたる。
 末法今時の衆生は、愚癡ぐちの衆生である。正理しょうりに暗く、仏法を理解する智を持たない。それだけに心して対話していきなさいとの御文とも拝される。
5  永遠の満足のため今世を
 戸田先生は、よく言われていた。
 「心の世界は、慈悲深い心で接すれば、いくらでも変化するということを忘れてはならない。ともかく、心から礼儀正しく、心から粘り強さをもって接していくことが大切である。ここに指導者の本当の姿がある」と。
 まことに、その通りだと思う。「確信」と「誠意」と「情熱」と「真実」を込めた対話は、必ずや相手の心を揺り動かさずにはおかない。
 人間の心は複雑である。はじめは反発があるかもしれない。表面的にはいろいろな姿を示す場合もある。しかし、「真心」の対話は、相手の心に″何か″を与え、″何か″を植えつけているものだ。それはいわば、んだ人に良薬を注射したようなものであり、やがて時とともに「悪意」の心をいやし、「理解」と「共鳴」の花を咲かせていく。″敵″さえも、″味方″にしていくことができる。これが信心の力であり、妙法の力なのである。
 ご存じのように、学会のこれまでの活動も、波が絶え間なくいわおに打ち寄せては砕いていくような、「忍耐」と「確信」と「誠実」の「対話」の連続であった。この粘り強い努力によって、勝利の水かさは増し、今日の大発展の広宣の世界を築くことができた。その皆さま方の功績は永遠に胸中より消え去ることはない。
6  また、「聖愚問答抄」の最後に、日蓮大聖人は、次のように仰せになっている。
 「聖人云く人の心は水の器にしたがふが如く物の性は月の波に動くに似たり、故に汝当座は信ずといふとも後日は必ずひるがへさん魔来り鬼来るとも騒乱そうらんする事なかれ
 ──聖人は言う。人の心は、水が器の形にしたがって変わるようなものであり、物の性質は月影が波に動くのに似ている。ゆえに、あなたは今のところは信ずるといっても、後日になって必ず心を翻すであろう。しかし、魔が来ても鬼が来ても、決して心を乱してはいけない──と。
 まことに人間の心というものは移ろいやすい。今は信心を貫き通すと決意していても、それはいつ変わるかわからない。しかし、その弱い自分の心と戦い、最後の最後まで信心の心を翻さないで、妙法に生き抜いたとき「成仏」がある。永遠にくずれない幸福境涯を開き、永遠の勝利者となっていくにちがいない。
 だからこそ、過去でも、未来でもない、今世の、ただ今の信心こそが大事なのである。またそのために私どもの信心の組織がある。
 学会にも、さまざまな障魔がきそい、いろいろな出来事があって、皆さま方にご迷惑をおかけしている。まことに申しわけない限りである。しかし、全部私どもの信心を鍛えてくれるものと受け止めていただきたい。
 私は妙法のために命をささげている。ゆえに、いかなる難があっても覚悟の上であり、何も恐れはしない。その間に皆さま方の強い強い信心の決定けつじょうを願いたいのである。私がいなくなっても難はあるだろう。その時、これまでせっかくつくりあげた福徳を消し去ってほしくないからである。
7  さらに、先の御文に続けて大聖人は「夫れ天魔は仏法をにくむ外道は内道をきらふ、さればの金山を摺り衆流の海に入り薪の火を盛んになし風の求羅ぐらをますが如くせばあに好き事にあらずや」と仰せである。
 つまり「天魔は仏法を憎む。外道は内道をう」からこそ、魔の働きは、あらゆる姿、形をとって競い起こる。よく先輩たちが言われてきたように、障魔は、多くの場合、信心と関係のないような世間のことに事寄せて現れてくる。しかも、だれびとも想像できないような、思いもよらないところで出てくるものでもある。
 だが、競い起こる苦難に対してただ今拝した御書には次のように仰せである。──あたかもいのししが金山をこすっても、金山は少しも傷つけられることなく、かえってその輝きをいや増やしていく。また、多くの川が大海に流れ入っても、大海はすべてを大きく包み込んでいくし、薪を加えることによって火がますます盛んになる。さらに、風が吹けば吹くほど求羅という虫が勢いを増し、成長していくように、いよいよ信心を強盛にしていくならば、まことに望ましいことではないか──と。
8  わが内なる子コロンカベに挑め
 「開目抄」に「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし」──山にまた山を重ねるごとく、波にまた波をたたむがごとく、難に難を加え非に非を増大していく──と仰せである。
 この御文は、別しては日蓮大聖人に、いかに数々の難があったかを述べられたものであるが、総じては私どもの法戦にも、次から次へと障害が襲ってくることを示されたものといってよい。
 学会のこれまでの歩みをみるとき、まさにこの御文のごとく、たたみかけて押し寄せてくるような苦難の連続であった。しかし、こうした嵐に耐え、挑戦し、未曽有の勝利の軌跡をつくりあげた。
 大事なことは「魔来り鬼来るとも騒乱する事なかれ」との仰せのごとく、いかなる事態に当面しても、信心の心だけは破ってはならない。むしろ、あらゆる苦難を、成長への滋養じようとして、自分自身の輝きを増していく、たくましき、勇敢な信心であらねばならない。これが信心のあかしなのだ。
9  きょう七月十四日は、フランス革命の発端ほったんとなった「バスチーユ牢獄の襲撃」から、ちょうど二百周年の記念日である。本国フランスでも、盛大な記念行事が行われている。
 フランス、ヨーロッパのみならず、人類の歴史に深く大きな足跡を刻んだフランス革命。その意義について語るべきことは多い。現在もなおさまざまな論議があり、意見があることは、ご承知の通りである。本日は、革命の起点、「バスチーユ襲撃」の意義について、一点だけ申し上げておきたい。
 民衆による「バスチーユ牢獄」の攻略と解放。この事件は結果的には、実質的な意味よりも、むしろ象徴的な意義が大きかった。民衆の精神に与えた影響が決定的であった。
 すなわち、この日、牢獄にいた囚人は何人であったか。意外なことに、七人しかいなかった。しかも、いわゆる弾圧による″思想犯″などは一人もいない(四人は手形偽造の罪、二人は精神障害者、一人は家庭争議による依頼入獄)。ただ、バスチーユは、人々にとって、圧政の社会の象徴であった。先祖以来、苦しめられてきた「専制政治」と「バスチーユ」は同義語であった。
 暗く、威圧的にそびえるバスチーユは、悪しき権力のとりでとして、人々の憎悪に燃える目に映っていた。事実、かつてのバスチーユは恐怖の牢獄であった。罪なき正義の人が次々に犠牲ぎせいになった。イギリスの同様の施設「ロンドン塔」も私は見たが、まことに権力のつめは残酷である。
 生命をかけて、こうした悪と戦い抜いた歴史の勇者からみれば、現代において、悪意で何か言われたくらいで動揺するような人が、もしいたとしたら、まったく気の弱い、幼稚な心の人といってよいだろう。
10  それまで恐怖の対象であったバスチーユの権威は、この日、民衆の力によって、完ぺきに破壊された。正義が勝った。人々は狂喜して晴ればれとした自由の解放の空気を吸った。
 すなわち、バスチーユという権威の「壁」をこわしたとき、人々が壊したものはじつは、それまでの自分自身の、とらわれた憶病おくびょうな「心の壁」だったのである。バスチーユを打ち破った瞬間、民衆はみずからの憶病さを打ち破った。そこに、この事件の本質を私はみる。
 この「心の壁」を破った結果、革命の波は一挙に高まり、沸騰ふっとうし、奔流ほんりゅうのごとく、新時代の広大な天地を走り始めた。「壁」の向こうには、解放された無限の舞台が待っていた。
 ″この世界は、おれたちの世界だ。私たちの世界だ。我々が思う存分、自由に叫び、生き、戦い、変革していいのだ。立ち上がった民衆の自由の乱舞を、だれびともさえぎることはできない!″──と。
 弱き心の壁を、思いきって打ち破ったとき、そこから「新しい歴史」をつくる「新しい勇敢なる人間」が出現した。
 勇気なくして前進はない。勇気なくして勝利はない。勇気なきところ正義は力を失い死んでいく。
 大聖人も「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」と強く仰せである。憶病であっては、大聖人の門下とはいえない。
 人間は人間らしく、信念の人は信念の人らしく、信仰者は信仰者らしく、敢然と、堂々と、我が道を生き抜いていかねばならない。
11  何らかの圧迫を受ける。その壁を破ろうとして全力で抵抗する。そこに「生命力」は増大する。人間としての成長も、進歩もある。その意味で、圧迫こそ、自身の、新しき可能性を開いてくれるのである。圧迫ゆえの進歩──それが生命の法則である。
 十の圧迫の力があれば、こちらも十以上の抵抗の力を出せばよい。百の圧迫の力があれば、百以上の知恵と力を発揮して、打ち勝てばよい。人間の生命には宇宙大の力が秘められている。
 何ものにも屈することなく、壁また壁を次々に破りながら、無限に自己を解放し、拡大していく。ここに仏法者の生き方がある。信心がある。「生命の法則」にのっとった、人間の生き方の本道がある。
 ゆえに、真に強き者は、安逸あんいつをい、むしろすすんで「圧迫」の壁に向かって挑戦する。その道以外に、自身の「自由」も「解放」も「革命」もないことを知っているからである。
12  「時」は「真実」の最高の証明者
 生命は環境からの圧迫と戦う中で変化し、進歩する。こうした考えを科学の世界で最初に明確に主張したのは、いうまでもなく、イギリスのダーウィンである。
 彼の説は、発表当初、世間の袋だたきにあった。各界からのごうごうたる非難──。いつも変わらぬ先駆者の運命であり、またほまれである。
 そのころの有名なエピソードに、こんな話がある。
 「進化論」を唱えた『種の起源』の発刊から約半年後、一八六〇年六月のことである。オックスフォード大学の講堂に、七百人の学者等が集い、ダーウィン説をめぐって、賛否の討論が激しく繰り広げられた。
 反対派の代表である司教が、賛成派の代表の生物学者トーマス・ハクスレーに言った。
 「自分の祖先がサルだというのなら、それはおじいさんのほうの祖先かね、それともおばあさんのほうの祖先かね」
 悪意に満ちた、心ないからかいの言葉であった。まじめな討論を侮辱ぶじょくする発言でもある。
 ハクスレーは、おもむろに立ち上がると、こう応えた。
 「もしわたしが、貧弱で知能が低く、腰をかがめてはいまわり、わたしたちに向かって歯をむきだしてキイキイいう動物を祖父に選ぶか、それとも、すばらしい理性と高い知能をもちながら、ひかえ目な真実の探究者を中傷して、たたきつぶしてしまうために、それらの英知を使うような人を祖父に選ぶか、そのどちらかをとれと(あなたが)おたずねならば」──つまり″知能の低いサルか、それとも知能を低劣な目的に悪用する、あなたのような人物か、どちらのほうがいいか″──。
 ハクスレーはこう問題提起したあと、「そのお答えは遠慮させていただきます」と。(ロバート・ジャストロウ『壮大なる宇宙の誕生』小尾信彌監訳、集英社文庫)
 イギリス紳士らしい、ユーモアの中に、痛烈な皮肉を込めた一言であった。
 せっかくすぐれた知性を持ちながら、文化の発展のために真剣に取り組んでいる人をからかい、攻撃するためにだけ、その知能を使う下劣な人間に比べれば、サルのほうがまだましですよ──と。今も語り草になっている、有名な史実である。
13  これは、わずか百年少し前のことである。現在、ダーウィンの説に対して、部分的な反論や修正はあれ、その基本の考え方を否定する科学者はほとんどいない。
 万般において、「時」は真実の最高の″証明者″であり、″審判者″である。
 その渦中や中途においては見えなかった真実も、時とともに必ずや明らかになってくる。何が善で、だれが悪であったか。時は複雑に見えたものを明瞭めいりょうにし、転倒していたものを正しい位置に戻してくれる。また戻さねばならない。
 御本仏であられる大聖人でさえ、その偉大さが本格的に世界に知られはじめたのは、つい最近である。長い長い間、誤解と無認識の厚い壁に真じつは閉じ込められたままであった。まして、御在世当時はなおさらである。大悪人のごとく憎まれておられた。御本仏でさえ、そういう道を歩まれている。
 まして私どもは凡夫である。戸田先生はよく「自分自身の人生である。自分自身の信心である。人にほめてもらうための信心ではないし、そのような根性が、そもそもまちがいである」とおっしゃっていた。「ほめられようなんて、相手にこびるような人間は、私の弟子ではない」と厳しかった。
14  つねに無間の未来に生き抜け
 「時」と、「オックスフォード大学」の話が出たところで、それにちなんで紹介しておきたい。先日、オックスフォード大学を訪問した際、ニール副総長ご夫妻の招待で、副総長のお宅におじゃましました。妻や創価大学の学長なども一緒であった。
 そのさい、副総長が学長を兼任されているオール・ソウルズ・カレッジの庭を案内していただいた。構内に、高く並んだ二つの塔があり、日時計が掲げてあった。この有名な時計には、こうしるされていると聞いた。
 「時は消えさる。しかして人に託して、そのさいを負わしむ」と。
 つまり、″歳月は人を待たずして歩み去り、消え去る。ゆえに人がもし時を惜しみ、職務に励まざれば、つねに時の歩みに遅れ、一生むなしく過ごして終わる。それはあたかも、負債(借金)を、時からになわされるようなものだ″との意味である。
 一生は短い。時を惜しまねばならない。時の迅速じんそくな足に遅れることなく、″時とともに″有意義に歩み、″時とともに″なんじ自身を成長させていくことである。
 人生をつくっている材料。それは時である。一日一日であり、一刻一刻である。ゆえに人生を愛する者は、「時」を大切にしなければならない。
 そして、充実した「時」の一片一片を集めて、我が人生を素晴らしき「一編の詩」に、また偉大な「一つの伝説」「一つの物語」に、あるいは立派な「一個の建築」に、完成させたならば、その人は幸福である。
 なかでも私どもの人生は、「広宣流布」の完成に向かい、「一生成仏」の完成に向かっての「時」の歩みである。個人的にも、社会的にも、そして宇宙的な意味でも、これ以上の価値ある一生はない。また、これ以上の幸福な生涯もないと信ずる。
15  ところで、日蓮大聖人は、ある婦人に対し、次のようなお手紙を送られている。
 「日蓮をこいしく・をはしせば常に出ずる日ゆうべに・いづる月ををがませ給え、いつ何時となく日月にかげうかぶる身なり」──日蓮のことを恋しく思われる時は、いつも(朝に)出ずる太陽、夕べに出ずる月を仰いでごらんなさい。私は、いつでも太陽や月に影を浮かべている身です──と。
 これは佐渡の国府尼こうのあまに対し、″身延と佐渡と遠く離れているようであっても、私はいつもあなたと一緒ですよ″″私は太陽や月に身を浮かべて、あなたを見守っていますよ″と激励された御文である。
 この一節には、御本仏の大慈大悲のお心とともに、仏法の壮大な生命観の一端が示されていると拝される。
 妙法の世界は、美しくあたたかい「生命のきずな」の世界である。この強く深遠な世界に目覚めるならば、太陽や月と語らい、星々の輝きとも共鳴し、大宇宙の営みと律動しながら、人生を安心しきって生き抜いていける。そしてさらに、自身のみならず、祖先の生命も、宇宙の生命に包まれて、永遠なる「幸福」と「満足」の軌道を迷うことなく進んでいけるのである。
 この妙法によって感得される境涯が、いかに雄大で深遠なものであるか──。私は、このことを深く確信してやまない。
 ともあれ、御本尊を受持し、妙法流布への活動に励む私たち自身の信心の如何いかんによって、自己を宇宙大の境涯へと開いていくこともできるし、また今世の人生を師子王のごとく悠々と生き抜いていくこともできる。そして、どこまでも自分自身の力で最極さいごくの幸福のとびらを開いていける──ここに信心の世界の真髄しんずいがある。
16  汝の完成へ歩みを止めるな
 私が講演を行ったフランス学士院の会議場に、世界的に有名なフランスの詩人ラ・フォンテーヌ(一六二一〜一六九五年)の彫像ちょうぞうがあった。
 彼の『寓話ぐうわ』の中に「こなひきと息子とロバ」という有名な話がある。ここで、そのあらすじを紹介したい。(今野一雄訳、岩波書店、参照)
 ──粉ひきと息子の少年が、二人でロバを売りに出かけた。二人はロバを少しでも高く売ろうと考え、まずロバの足をしばって棒にぶら下げ、二人で運んだ。
 すると人々は、「何という愚か者だ。人間が動物を運ぶなんて、人間のほうがよっぽどロバ(まぬけ)だ」と笑った。
 そこで粉ひきは次に、ロバに息子を乗せて歩いた。
 すると三人の商人が通りかかり、「老人を歩かせ、いい若い者が楽をするなんて!」と非難した。
 そこで少年は降りて、今度は粉ひきがロバに乗った。
 すると娘たちが、「若い息子が疲れて足を引きずって歩いているのに、何てじいさんだろう!」とあざけった。
 そこで、二人ともロバに乗った。
 すると別の連中が、「あいつらはどうかしている。ロバがへとへとじゃないか。市場で何を売るつもりだ?」とあきれてやまない。
 そこで二人とも歩いて、ロバの後についていった。
 するとある男が「何てことだ。当世はロバがくつろぎ、人間が骨折るというのか?」とからかう。
 とうとう粉ひきも悟った。「世間のだれをも、すべて満足させようなんて、狂気の沙汰さただ。今後はどんなに非難されようが、ほめられようが、人があれこれ言おうが言うまいが、俺は俺の考えにしたがう」と。
 そこで、その通りにし、ロバも高く売れた──という物語である。
 この話の教訓はいうまでもない。確かな″自分自身″をどう磨き、築いていくか。ここに幸福な人生を歩む根本の道がある。他人の言に左右され、翻弄ほんろうされる生き方ほど愚かなものはない、という一点であろう。
 世間の風評のみにとらわれた生き方は、人生の価値を自らおとしめ、そこには自分自身の真の満足も真の勝利感もないであろう。
 私どもは、最高の仏法をたもった信仰者である。信仰者は信仰者らしく、学会は学会らしく、「信念」と「誇り」を持って、どこまでも自身の道を堂々と歩んでいけばよい。人間として最も正しく、幸福な生き方がここにある。私は本日お集まりの皆さまに、このことを強く訴えたい。
17  私も、一九七三年(昭和四十八年)に会談したことがあるが、アメリカの細菌学の権威であったルネ・デュボス博士は、こう述べている。
 「心配のない世界でストレスもひずみもない生活を想像するのは心楽しいことかもしれないが、これはなまけものの夢にすぎない」
 「遠く穴居けっきょ生活の時代から、地球はエデンの園ではなく、生存するためには反発力が必要な決定の谷間だった。地球はいこいの場所ではない。人間は(中略)戦うように選ばれているのだ。危険のまっただなかで伸びていくことこそ、魂の法則であるから、それが人類の宿命なのである」(『健康という幻想』田多井吉之助訳、紀伊国屋書店)と。
 博士は「人間革命」の理念にも深い共感を寄せてくださっており、自著『内なる神』を届けてくださったが、その扉には、こうしたためてあった。
 「本書の最後の一行に『ものごとのなりゆきは運命ではない』とあるのは、私が仏法の教理を人文主義的、科学的に表現したものである」
 博士は仏法者ではなかった。しかし、苦難に打ち勝つ中で成長を果たしていくのが人間本来の姿であり、人間の意志の力は「運命」をも超えるという信念を持たれていた。
 また、ゲーテは語っている。
 「自分の生涯の終末をその発端と結びつけることができる人は、いちばん幸福な人間である」(「箴言と省察」岩崎英二郎・関楠生訳、『ゲーテ全集13』所収、第三文明社)と。
 自ら決めた初志を貫けるか否か。まさしく、人間の幸不幸と深き価値はそこにあるといってよい。
18  初代会長牧口先生は、次のように指導されている。
 「いかなることがあっても、われわれはこれからのことを考えて生きていくことだ」
 さらに「妙法の生活とは″変毒為薬″である。社会で生活している以上、時には事故や災難、そして事業の失敗などにあう場合がある。(中略)だが、どんな場合でも妙法根本、信心根本として、御本尊を疑わず、信心に励めば、毒を変じて薬となしていけるのである。
 たとえば、病気をした、これは罰だと悩んでいるだけでは解決しない。そこで″この病気を、かならず変毒為薬してみせるぞ、健康という大福運、大功徳を開くのだ″と確信し、決意して信心をつづけていくことが大事だ。
 そのとき、病気が治るだけではなく、全快したときには、以前よりも健康になるのが、変毒為薬の妙法である」と。
 強盛なる信心によって、すべては変毒為薬していける。これが仏法である。信心は「現当二世」である。何があっても、「変毒為薬」の信心を貫き、つねに勝利の大道をさらにさらに開いていけるのである。
 ご存じの通り、経文に照らして広宣流布の途上にはさまざまな苦難がある。皆さま方には大変ご苦労をかけている。しかし、これからも多くの労苦に耐えていかねばならないであろう。それしか広宣流布の山を一つ一つ登ることはできないからである。
 皆さま方のますますのご健康とご長寿、そして勇気ある人生を歩んでいかれんことを切にお祈りし、私のスピーチとさせていただく。

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