Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十八回本部幹部会 ″人のため、法のため″最極の生き方を

1989.6.26 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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2  さて、すがすがしく、美しき夢のあるヨーロッパから、末法濁悪まっぽうじょくあくの世の縮図のような日本に帰ったわけだが、仏法の眼から見れば、私どもは自ら願って、この大変な国土で仏道修行するべく生まれてきたのである。ゆえに、この地で堂々と、「勝利の人生」を飾っていくことが正しき道である。自分に負けてはならない。何ものにも負けてはならない。
 ″仏法は勝負″である。じつは宇宙の森羅万象しんらばんしょうが、ありとあらゆる戦いを繰り広げている。それが実相である。生と死、光とやみ、正義と邪悪、建設と破壊。人間の肉体でも、たとえば病原菌と白血球がつねに戦っている。戦いに負ければやまい、戦いをやめれば死である。
 この厳しき生命の法則からは、だれびとも逃れることはできない。現実は現実である。観念論はどこまでいっても観念論であり、ゼロにゼロを掛けたように、「幸福」という自分自身の勝利を生み出すことはできない。そして、この一点がわからなければ、仏法の真髄もまたわからない。
 「信心」は一切の勝利の源泉である。自分らしい、人生と生活の勝利の姿こそ、現実の大地に咲いた信心の開花なのである。
 ともあれ私は皆さま方が、一生成仏という究極の総仕上げに向かって、ともどもに、また自分のために、厳然と、朗らかに勝ち進んでいかれんことを期待する。
3  真心の声、真実の声に心は動く
 本日は、まず指導者の要件の一つである「声」について少々、触れておきたい。
 「声仏事をす」(承安大師「法華玄義私記縁起」)との意義については、これまでも述べてきたし、さらに、経論の上から、また現代諸科学の上から、折を見てきちんと論じておきたいと思っている。
 仏法では、この娑婆しゃば世界を「耳根得道にこんとくどうの国」と説く。「声」を聞いて成仏する国土とするのである。
 目は、使わないときには、つぶる。口も閉じる。しかし耳はいつも開いている。人間に向かい、宇宙に向かって──。その耳に、いかなる声を届け、入れていくか。そこに、あらゆる指導者の苦心もあり、使命もある。また勝利へのカギもある。
4  「声は第二の顔である」。これはフランスの作家・ボーエルの有名な言葉である。
 声にも、それぞれの″相″がある。声の特徴を分析した「声紋せいもん」は、「指紋」と同様に個人差があるとされ、犯罪捜査にも利用されている。
 また西洋中世の言葉に「人物を知るのに、声ほど確かなものはない」とある。
 声は鏡であり、その人の生命状態、境涯が、くっきりと映し出される。声は、ある意味で、顔の相以上に、その人の真実を雄弁に語る。話している人の生命力、説得力、成長ぶり、話している内容に裏づけと確信があるかないか、策か本心か、声を聞けば、大体わかるものである。
 天台大師は上中下と分けた医師のうち、「上医は声をき」(優れた医師は、声を聞いて診断し)と説いている。(「摩訶止観まかしかん」巻八の上、「病患を観ぜよ」)
 声には体調の変化も如実に表れる。発声には、ほとんど全身の諸器官が関係するからである。もちろん心理状態も大きく反映される。
 ちなみに、残りの中医と下医については、「中医はしきを相し、下医は脈をる」(中ほどの医師は、表にあらわれた顔色や体の様子を観察し、その他の下医は脈をとって診断する)と述べている。
 ドクター部の皆さまもいらっしゃるが、これは決して私が言うのではない。ともあれ、「声」はそれほどデリケートなものである。
5  声の微妙さを示す、こんなエピソードを、ある人が話していた。
 森鴎外の名作で有名な『山椒大夫さんしょうだゆう』の物語を映画化した時のことである(一九五四年)。主演は女優の田中絹代さん。彼女は、幼い姉弟、安寿あんじゅ厨子王ずしおうに生き別れする哀れな母親を見事に演じた。老い疲れた苦しみの母という役づくりのため、彼女は撮影中、ずっと肉を口にせず、野菜中心の食事を通した。撮影がやっと終わり、ホッとしてビフテキを食べに行った。その気持ちはよくおわかりと思う。
 次は画面を見ながら「音(声)を入れる」作業である。ところが──。
 「厨子王!」「厨子王!」。何度やっても、溝口健二監督はオーケーしない。「声にツヤがありすぎる。何かいいものを食べただろう!」と、見事に言い当てられた。この声ではダメだと、監督は首をたてに振らない。何と五時間、同じ場面を繰り返した。疲れ果てたころ、やっと許しが出たという話である。
 聞く人が聞けば、それほど声は繊細せんさいなものであり、正直である。
 また、このエピソードは、何事も一つのことを仕上げるに当たっては、どれほどの苦労があるか、妥協のない厳しさが必要かを教えている。
 たとえば幹部の指導も、何の勉強も工夫も祈りもない安易な話であってはならない。実際には、内容の浅い話であっても、皆は一応、拍手をしてくれるかもしれない。しかし、それでよしと錯覚さっかくすれば、そこで成長は止まる。これが組織のもつしき一面である。
 これは万般について言えることであり、「組織が偉大であるゆえに、それに甘えて、鍛えなき幼稚な人格の人となってはならない」と強く申し上げておきたい。
6  ともあれ、一流の指導者は、総じて声が良い。明快であり、よく通る。説得力があり、人の心の奥深くにしみ通っていく力がある。いわゆる″話のうまさ″は別にして、多くの人が納得できる声のひびきをもっている。
 またスピーチする場合、内容は当然として、私が最も気を配るのも声である。先日もフランス学士院で講演したが、成否の大半は声で決まると心を定めていた。
 勤行の声も「すがすがしい」「さすがである」と言われる指導者であってほしい。勤行は御本尊と感応しゆく荘厳な儀式である。それにふさわしい朗々たる響きの声であっていただきたい。
 悪声は地声だから、しかたがないという人もあるかもしれないが、信心の境涯の変化は、勤行の声に最も端的に表れるのも事実である。
7  さまざまな声がある。お母さんのような「あたたかい声」、非情な裁判官のような「冷たい声」。ぱっとひきつけられる「明るい声」。谷底へ落ちていくような「暗い声」。「柔らかい声」と「かたい声」、「高い声」と「低い声」、「太い声」「細い声」、「重い声」、「軽い声」、「豊かな声」、「繊細な声」、「透明な声」「にごった声」、「落ち着いた声」、「迫力のある声」。その他、黄色い声、金切り声、とがった声、つくり声、裏声、奇声、蛮声、等々。まだまだあると思う。
 おもしろいことに、これらの多くは、物質の性質を表す形容詞と共通している。すなわち硬さや明暗、重さ、色などを表す言葉である。
 ″声は、ある意味で、一つの物質であり、物理的力を持つ″と、著名な演劇指導者は言う(竹内敏晴氏)。
 声はいわば肉体の一部であり、現実に波動があり、現実に力がある。声を聞いて「腹にこたえる」「胸にしみる」「(はらわた)におちる」などの表現も、単なる″たとえ″ではない。声が自分の体の中まで届き、入ってきた実感を言った言葉である。
8  人を励ますとき、手で肩をたたく。それと同じく、声で相手の肩をつかみ、揺さぶり、激励することができる。そうした真剣な、力のこもった、庶民の「真心の声」によって、今日のうるわしい学会の世界は築かれてきた。一人また一人と、確信と勇気を持って立ち上がり、全世界への広宣流布の道も開かれてきた。
 反対に、仏子を苦しめ、幸福への直道じきどうから退しりぞかせてしまった無責任で無慈悲な指導者の声もあった。
 人の「生命を揺さぶる」声。それは技術でも策でもない。まして権威や立場とは無関係である。自分自身の生命の奥底から発する、率直そっちょくな、真実の叫びでなくてはならない。すなわち、ありのままの、強き「随自意ずいじい」の声こそが大切なのである。
 御書には次のように仰せである。「人の声を出すに二つあり、一には自身は存ぜざれども人をたぶらかさむがために声をいだす是は随他意の声、自身の思を声にあらはす事ありさればこころが声とあらはるこころは心法・声は色法・心より色をあらはす
 ──人が声を出すのに二種類ある。一つには自分ではたとえそのつもりがなくても、(相手に自分の心をいつわって)だまそうとするために声を出す。これは随他意の声である。一方、自分の思いをそのまま表した声がある。この場合は、自分の心中の意思が声となって外に出ている。心は心法、声は色法であり、心法から色法が表れる──と。
 声それ自体も生命の一つの実相であり、心と一体となっている。つまり心と声が色心不二をなしているがゆえに、真実の声は相手の心に響き、動かしていくことができる。しかし、「随他意の声」は、自分の心をゆがめているために本当に相手を動かす力とはならない。
9  ともあれ、声というものは″生きもの″である。
 たとえば、元気よく話すのだが、最後は必ず声が「わあわあ」と散らばっていく人がいる。そうした人は多くの場合、じつは相手と本音で触れ合うことを恐れて、一方的に「声を投げ出している」だけなのである。また、言葉の語尾を自分の口に飲み込み、引っ込めてしまう人がいる。この人もまた、自信がなくて相手から逃げようとしている。
 両者とも、相手と確信をもって本音で語り合うことができない自分の弱さを、ごまかして話している。これは先ほど申し上げた「随他意の声」といえよう。
 表面上、うまく相手に合わせるだけの″タテマエ社会″もある。しかし、「随他意の声」ばかりが通用する、そうした社会は、表面がどれほど立派であっても、内側から白アリが食い尽くした家のように空虚くうきょである。
 信心の世界もまた同じである。組織の上でいくらうまく立ち回ろうとも、法のため、広布のためという確信と「随自意の声」を持たなければ、精神的にむなしくなり、人間の破壊へと進んでいく場合があるだろう。
 語源的にも、「話す」とは、じつは「放す」ことに通じている。
 自分の心の中の思いを、率直に、ありのままに、相手に向かってまっすぐ「解き放つ」。「随他意の声」に対して、これこそ「随自意の声」であるといえよう。「私は私の信念のままに、すべてを言い切った。何のいもない」──ここに自身の″解放″がある。
 ピシッと相手に届く声、「ああ、確かにこの人の言う通りだな」と、相手の胸を揺り動かしていく声──それは、誠実にして確信ある、自身の深き境涯から生まれることを忘れないでいただきたい。
10  精神王者の偉大な歴史を
 さて、文永九年(一二七二年)四月三日、大聖人は佐渡にあって塚原三昧堂さんまい堂から一のさわに移られる。その直後の四月十三日、新しき弟子最蓮房さいれんぼうにお手紙を差し上げておられる。
 最蓮房は、京都の人。理由ははっきりしないが佐渡へ流罪されており、佐渡で大聖人の門下となった。
 大聖人は、お手紙の末尾を次のように結ばれている。
 「余りにうれしく候へば契約一つ申し候はん」──(妙法をたもって、昼夜に常寂光土へ往復しているような成仏の境地にあることが)あまりにうれしく思うので、約束を一つ申し上げよう──。
 「貴辺の御勘気疾疾とくとく許させ給いて都へ御上り候はば・日蓮も鎌倉殿は・ゆるさじとの給ひ候とも諸天等に申して鎌倉に帰り京都へ音信申す可く候」──あなたのご流罪が早く許されて、京都へのぼられた(帰られた)ならば、日蓮も、たとえ鎌倉殿(北条時宗)は「許さない」と言われても、諸天等に申して鎌倉に帰り、(あなたのおられる)京都へお便りを差し上げましょう──。
 「又日蓮先立つてゆり候いて鎌倉へ帰り候はば貴辺をも天に申して古京へ帰し奉る可く候」──また(反対に)日蓮のほうが先に許されて鎌倉に帰ったならば、あなたのことも天に申して古里ふるさとの京都へ、お帰ししましょう──と。
 御本仏、日蓮大聖人の、何という御確信であろうか。また何という御慈愛であろうか。
 御自身の生殺与奪せいさつよだつの権を握っていた幕府など、大聖人はまったく問題にしておられない。広大無辺にして自由自在の、御本仏の御境界であられる。権力者が「許さない」と言おうが、帰ろうと思えば諸天に命じて私は帰る。また、あなたも必ず帰してあげる、とのお約束なのである。
 このお手紙の二年後の春、大聖人は鎌倉に帰られ、身延に入山される。一方、最蓮房は、大聖人の身延御入山後、許されて京都に帰っている。その後、最蓮房は大聖人をおしたいして、甲斐かい(山梨県)の下山しもやまへ移住したとされているが、まさに、すべて大聖人の仰せ通りに約束が現実となったのである。
11  このエピソードは、大聖人のご生涯の一断面の出来事にすぎない。大聖人の御一生全体が、ある面からいえば、「権力」に対する「偉大なる精神」の勝利であり、その金字塔であられたといえよう。
 一国の権力者といえども、大聖人からみれば「わづかの小島のぬしら主等」──わずかな小島の主人──であり、「但嶋の長」──単なる小島のかしら──にすぎない。
 御本仏をおまもりする大梵天王だいぼんてんのう帝釈天王たいしゃくてんのうらの″門番″ともいえる四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)らの家来(大国の王)の、そのまた家来にも及ばない、小さな「嶋の長」である。
 いかに彼らがいばり、策謀をめぐらし、大聖人をおとしいれようとしても、大聖人の広大無辺なる御境界である″精神の王国″はだれびとも侵すことはできない。まさに信心によって開かれる″精神の世界″の強さであろう。
 そして、一次元からいえばこの″精神の王国″の王者が、″地上の王″である権力に現実に打ち勝って、その悪用を封じ込めていくのが、広宣流布の戦いである。
 「立正安国論」においても、大聖人は妙法を信仰すれば国土も安穏となることを教えられて、国主を「妙法に帰依させよう」とされたのであり、権力者に「信心してもらおう」などというものではない。そんなへつらいなど微塵みじんも述べられてはいない。正法さえ厳然と確立されれば、必ず安穏にして繁栄した国土が築かれていくことを、国主に堂々と示され、教えられたのである。
 私どもも、妙法によって、大聖人の広大無辺の″精神の王国″に連なっていくことができるのであり、「信心の一念の世界は、そのまま宇宙大の世界となる」ことを深く確信していきたい。そして、大聖人の御精神を我が胸中に深く刻みながら、苦悩と矛盾むじゅんの渦巻くこの現実社会で、何ものも恐れることなく″精神の戦い″を繰り広げていきたい。
12  本因の一念に信心と人生の根本姿勢
 さて、「本因妙ほんにんみょう」とは、いうまでもなく、大聖人の仏法の根本法義である。日淳上人は、こう述べておられる。(「消極的信心より積極的信心へ」、大正十一年、『日淳上人全集』所収」)
 「むずかしい議論や理屈を説いて仏のおしえうであるといってもれが実際とはなれている場合には仏の教えを談じてるのではない」
 「もとより本因下種と云う事は末法の本仏の衆生済度さいどに対する上の相の第一義ではありますが、これをもって仏様の御化導ごけどうの上の姿の判別にのみ用いて自分の生活様式の範であることに気がつかぬなら本因下種の御教は死んで居る。其の時は本因下種を談じつつ御本仏の生命をっておるのである」
 いかに甚深じんじんの教義を説いても、難しいばかりで現実生活に無関係であれば、それは仏法の死滅となる。そして、仏をたたえているようで、仏の御心を断ってしまうことになるとの、厳しいお言葉と拝される。
 とともに、仏法を現実生活に即してわかりやすく説き、「信心即生活」にのっとった実践を、との指導がいかに正しいかを証明するものであると確信する。
 続いて日淳上人は、こう仰せである。
 「繰り返していえば本因下種とは常にれからだという心持ちであることであるといって差支さしつかえあるまい」
 ″さあ、いよいよこれからだ″──この、はつらつたる一念に立ち、絶えず前進していくところに、本因妙の人生がある。
13  ところで、御書には、南条時光が、大聖人外護げごのために変わることなく尽くし行動したことが、繰り返し述べられている。
 時光は、熱原法難で、迫害を受けた同志をかくまい守ったことから、その後、重税をかけられるなど、幕府から弾圧を受けた。それでも、時光の赤誠せきせいはいささかも動じなかった。
 その点について大聖人は、次のように仰せである。
 「あつはら熱原のものどもの・かくしませ給へる事は・承平の将門・天喜の貞当のやうに此の国のものどもは・おもひて候ぞ
 ──熱原の者たちを、あなたがこのように大事にされていることに対して、承平年間の将門、天喜年間の貞当(いずれも平安末期、東国で朝延に敵対し、滅ぼされた武将)のようであると、この日本国の者は思っている──。
 「これひとへに法華経に命をつるがゆへなり、まつたく主君にそむく人とは天・御覧あらじ
 ──しかしながら、これは、ひとえに法華経に生命を捨てたがゆえであり、 決して主君に背く人とは、天は御覧にならないであろう──。
 つまり、大聖人門下をかくまう時光を、日本国中が、重大な謀反人むほんにんのように見ている。しかし、時光の本意は主君に背くことではなく、正法を護持し抜くことにある。その大義のために我が身を惜しまず戦ったことはまことに尊く、たとえ世間の浅はかな目が非難の視線を向けようとも、時光の清い信心の姿勢は、必ずや諸天、そして御本尊に通じているとの御指南である。
 そして大聖人は、時光の苦難に揺るがぬ信心をたたえ「其の上わづかの小郷に・をほくの公事せめてられて・わが身は・のるべき馬なし・妻子はひきかくべき衣なし。かかる身なれども法華経の行者の山中の雪に・せめられ食ともしかるらんと・おもひやらせ給いて・ぜに一貫をくらせ給へる」と。
 ──そのうえわずかの領土に多くの雑税や夫役ぶやくをかけられ、自身はのるべき馬もなく、妻子は着るべき衣服もない。そのような身ではあっても、法華経の行者が山の中で雪に責められ、食物も乏しいことであろうと思いやられて、銭一貫文を送ってくださった──と、したためられている。
 地頭という地位にありながら、衣服にも事欠いた南条家。それでも変わることなく、真心から大聖人にお仕えし、同志を守り切った時光の姿に、地涌の勇者の最高のほまれを私は見る思いがする。
14  ″人道のために戦い″に仏法者の使命
 正法を守り、同志を助けるためであれば、我が身をもかえりみず、いさぎよく行動していく──そこに、真実の学会精神がある。
 戸田先生は、一九五五年(昭和三十年)の十月度本部幹部会で次のように指導されている。(『戸田城聖全集 第四巻』)
 「きょう、ここに集まった人たちは学会の幹部であり、自分自身が幸福になると同時に、自分の指導している人たちが、幸福にならなければいけないと考えている人ばかりだと思います。自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。かんたんなことです。
 他人ひとまで幸福にしていこうというのが信心の根底です。そのように、まっすぐに御本尊を拝んで信心を強くし、信仰のためには、何もいらないという気がなければ、ほんとうの指導はできないと思う」
 「断じて、この日本の国を、人々を、自分を救っていくのですから、真心こめて仏道修行に立ち、人を救っていく精神にたって働いてもらいたい。それがあなた方の幸福になる道であり、生きていく道なのです」
 真実の信仰の本義は、自他ともの幸せの確立にある。決して、自身のみの安息でもなければ、栄達でもない。
 戸田先生も言われるように、自分だけが幸福になるのは、ある意味で容易である。しかし、「人」のために動き、「人」のために尽くしてこそ、本当の充実と歓喜があり、崩れぬ幸福が輝いていく。
 皆さま方も忙しくて大変だと思う場合があるかもしれないが、どれだけ価値ある人生を歩んでおられるかは計り知れない。私もこの四十年余、同志のため、世界のために走りに走り抜いてきたつもりである。そして今、心から、そのことを実感してならない。
15  「なさねばならぬ事柄をなすべき道は、つねにある」
 すでにご存じのように、今回、私はスイスで、皆さま方の代表として、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から「人道賞」を贈られた。欧州のメンバーも大変喜んでくださり、笑顔で祝福してくださった。
 UNHCRの本部は、ジュネーブの美しいレマン湖のほとりにある。その地を訪れ、私は、かつてUNHCRの先駆者として、幾百万の難民救済のために戦ったノルウェーのフリチョフ・ナンセン(一八六一〜一九三〇)のことがしのばれた。
 ナンセンは北極探検家としても大変に有名である。しかし彼は、世界的な名声を得ながらも、その晩年を、悠々ゆうゆう自適な研究生活のみに費やすことを潔しとしなかった。
 時代は、第一時世界大戦直後の混乱期──。彼は当時誕生したばかりの「国際連盟」に″人類の未来の希望を乗せた新しい船″としての夢を託そうとする。その″新しい船″がどこまで世界の平和と安定に貢献できるか──ここに彼の挑戦があった。
 そこでナンセンは、当時、二十六カ国・五十万以上といわれた戦争捕虜ほりょを故国へ帰還させる活動に全力を注いだ。さらに、祖国を追われ、えに苦しむ幾百万の難民の救援に着手した。その間、彼は国際連盟の初代の難民高等弁務官を務めるなど、六十八歳でその生涯を閉じるまで、「人道」のための熾烈しれつな戦いに身を投じていった。
 またナンセンには、国際連盟を支援し力をつけさせていくことが、祖国・ノルウェーのような小国を永続的に守ゆくことにもつながっていくとの確信があったようである。まさに二重三重に、未来への展望を込めた先駆者としての奮闘であった。
16  ナンセンは、自ら映画用のカメラをかかえ、難民の苦悩の姿を撮影して歩いた。そして、各地を巡回しながら、人々にその映像を見せ、援助を呼び掛けた。
 そんな彼について「自分の正しいと思ったことは何事をも、あえて世界中のどの王侯、宰相さいしょうまたは大統領にでも言うことのできる人」(A・G・ホール『ナンセン伝』林要訳、岩波書店)との評があるが、ひたむきにして誠実な人柄をよくとらえていると思う。
 しかしナンセンのこうした努力にかかわらず、″希望の船″であるはずの国際連盟の活動は、決して順調には進まなかった。国と国との利害や敵対感情、急務の救援措置に歯止めをかけようとするいわれなき中傷……。さまざまな障害が眼前に立ちはだかった。
 他のだれもが不可能だと投げ出してしまったとき、ナンセンは一人、次のように言い切る。「なさねばならなぬ事柄をなすべき道は、つねにある」(堂前)と。
 なさねばならないことがあれば、それを為し遂げる方法は必ずあるはずだ──これこそ「正義」によって立つ人間の「確信」であった。
17  理想に生きゆく人は強し
 私心を捨て、大いなる理想に生きゆかんとする人は強い。真実の「勇気」と「力」を持つことができる。
 かつて戸田先生が、私たち青年に教えてくださったとことがある。山道を大きな石がふさいで前に進めない。しかし、どうしても行かなくてはいけない。どうするか、その時こそ「勇気」を奮い起こし、「知恵」を発揮していくところに、信心の本当の強さと深さがあると。
 ただ一人立ったナンセンの決定けつじょうした「一念」と「行動」は、冷淡な人々の無関心や悪意の包囲網も、突破せずにはおかなかった。要するに決定の″一人″がいるかいないかである。彼は「人道」の新しい道を堂々と開き残していったのである。
18  あるイギリス人はこう語った。
 「ヨーロッパ大陸には、ナンセンのなした事業にたいする喜びで妻や母親の泣かなかった国は一つもない」(同前)と。すなわち、ナンセンの事業によって、夫や息子が捕虜の身から解放され、再会の喜びをかみしめた妻や母親は、全欧州にわたっていた。
 何をさしおいても、人々を救うために行動していく──この「人道主義」の生き方こそ、仏法者の道であり、真の人間としての道といえよう。青年部の諸君の難民救援の活動もその精神にのっとったものである。
 また、私どもは、人々を生命の根底から救い、絶対の幸福境涯を確立させていける「妙法」を信じ、日々行動している。人々の宿命の鉄鎖てっさを解き放ち、苦悩と不幸のやみを晴らしていく私どもの信仰活動には、人道主義の根本の生き方がある。そして「法」のため、「人々」のために尽くした行動は、必ずや自身の生命を飾る無量の福運となって輝いていくのである。
 最後に、大切な大切な皆さま方のご健康とご活躍を心からお祈りしつつ、本日のスピーチとさせたいただく。

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