Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一回SGI欧州総会 平和の剣で使命の舞を

1989.5.28 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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2  イギリス人の信念は強い。私には忘れ得ない思い出がある。
 あれは一九七一年(昭和四十六年)八月のことである。総本山大石寺近郊の朝霧高原で開かれた世界ジャンボリー(ボーイスカウトの野営大会)が、折からの豪雨で、大石寺に避難するというハプニングがあった。私は直ちに総本山と連携を取りつつ、雨の中を陣頭指揮で救援に当たった。
 各国から集まった大切な少年たちだ、風邪(かぜ)を引かせてはならない――。六千人分の物資を緊急に手配した。タオル、毛布、パン、おにぎり、スイカ、ジュース……。疲れきっているであろう彼らの励ましにと、音楽隊、鼓笛隊に歓迎演奏も続けてもらった。
 避難場所は大講堂や大化城などである。ひざまで泥だらけになった彼らを見て「御本尊まします場所に、このままでは――」とためらう人もいた。
 私は強い声で言った。「苦しんでいる人を救うのが仏法である。今は、この人たちを守り抜くのが大聖人の御精神の正しき実践であるはずだ」と。
 さて、ボーイスカウトが避難し始めた時、水びたしになったテントに、けなげにも最後まで残っていた一群がいた。それがじつは、イギリスの少年たちであった。
 「女王陛下の国」のボーイスカウトであるとの誇りも高く、最後の最後まで自分たちの持ち場を離れない。私たちは感心した。また感動した。学会精神にも通じる使命感であり、信念である。そのイギリス隊のリーダーと握手し、たたえたことを記憶している。
 ともあれ、かくもイギリス人は頑固なのである。その特徴が、確固たる人格として鍛えられ、磨かれていく時、素晴らしき英国紳士となる。
 私も今回、皆さまにお目にかかり、イギリス人の立派さに対する、かねてよりの見方に、いよいよ確信を持つにいたった次第である。
3  広宣流布のために行動する人は、皆仏の使いであり、仏子である。ゆえに私は、その方々を大切が上にも大切にしている。最大に尊敬している。たたえに、たたえている。その″仏子をたたえる心″が強いゆえに、私はたくさんの功徳を頂戴している。
 反対に、信心の一念が弱くなってくると、妙法の友の批判や、幹部のアラさがし、果ては「あの顔が気に入らない」とか、低い感情にとらわれていく。これでは、大きな功徳は受けられないし、せっかくの福運をも消していってしまう。″たたえあう心″に生命の功徳は万花と薫っていくのである。賢明なる欧州家族の皆さまは、この点をよく銘記していただきたい。
4  さて二十八年前、私がヨーロッパに第一歩を踏み出した時、同志はわずかに八人であった。もちろん、法城は一つもなかった。当時、だれびとも、今日のこれほどの大発展を予想だにしなかったにちがいない。
 しかし、すでにその時、私の胸中には、きょうのこの日のように、いかにもヨーロッパにふさわしい歴史とロマンの薫る舞台で、妙法の紳士・淑女しゅくじょが集い、晴れ晴れとヨーロッパの総会を飾る日のことも、鮮やかな未来図として思いえがかれていた。それは、同行の青年たちにもよく語ったことである。
 限りない希望をつくり、その希望を一つまた一つ実現していく――これが信仰の力である。
 二十八年前、私は、三十三歳の青年会長であった。しかし、自らがひとたび、この大地を、踏みしめたからには、大聖人の「地涌の義」の仰せのごとく、″必ずや、地涌の勇者を陸続と輩出せずにはおかない″との決意であり、確信であった。
 世界広布は、当然、日蓮大聖人の御遺命である。その意義を根本として、恩師・戸田先生より世界広布の一切を託された″第三代″としての使命と責任を私は自覚していた。
 そして、私とともに、「一人立つ」草創の労苦に徹してくださった皆さま方のお力で、今や欧州広布の基盤は完璧かんぺきに出来上がった。
 宗祖日蓮大聖人も、また開創七百年を前にして御開山日興上人も、さらに一閻浮提いちえんぶだい御座主(おんざす)第三祖日目上人も、いかばかりお喜びくださることであろうか。
5  きょうを出発として次の二十八年間、どれほど燦然さんぜんたるヨーロッパ広布の歴史がつづられゆくことか。それを思うと、私の心はおどる。
 大聖人は広宣流布のとどまることのない流れについて、次のように、例えておられる。
 「木はしづかならんと思へども風やまず・春を留んと思へども夏となる」──木は静かであろうと思っても風がやまないため動くし、春をとどめようと思っても、必ず夏となる。(それと同じように、広宣流布の流れはとどめようがない)──。
 それぞれの国において、妙法の友が健在であるかぎり、広布の道は必ずや開かれていくものである。ゆえに今はたとえ少人数であっても、あせる必要はまったくない。あせりは挫折ざせつや失敗をもたらす。どうか皆さま方は悠々ゆうゆうと未来を見つめながら、どこまでも仲良く朗らかに、着実な前進をお願いしたい。もはやヨーロッパは、完全なる大発展の軌道に入ったことを重ねて申し上げる。
6  真実の仏教を欧州の知性も注目
 今回は、残念ながら西ドイツを訪問することができなかった。次の機会には、必ず訪れたいと願っている。そこで、西ドイツにちなんだ話をさせていただきたい。
 この春、世界的な西ドイツの「ハンブルク・バレエ」が民音の招へいにより、日本で公演した。
 文化と教育の交流。そこに私は全力を傾けている。民音もすでに、文化の使節として五十の国々と交流を結んできた。このたび、フランスのシャンゼリゼ劇場でもJ・M・F(ジュネス・ミュージカル・ド・フランス=フランスの青少年音楽団体)との公演の運びとなっている。
 文化とは、ある面からいうならば、この地球上に乱舞する諸民族のたましいが、宇宙生命の慈悲と智慧ちえの躍動から聞き取った「内なる声」の表現であり、昇華である。
 異質な文化が交流しあうことは、互の魂を触発し、相互理解を進めるとともに、それぞれの文化の中にたくわえられてきた「内なる声」の伝統的価値を再発見し、蘇生そせいさせていくことになる。
7  さて、ドイツの誇る「ハンブルク・バレエ」の華麗(かれい)なる舞台は、日本の人々を魅了みりょうした。なかでも「アーサー王伝説」は圧巻であった。私も少年時代から愛読した物語である。
 これは、ノイマイヤー監督と語り合ったことであるが、アーサー王の勇気と、円卓の騎士の美しい団結の力によって、理想の王国が建設されていく。しかし、やがて、その王国も人間の心の欲望と葛藤かっとうによって崩壊してしまう。その波乱はらん万丈の興亡のドラマが、すべて終わったあと、舞台の中央に一本の剣が残され、輝き続ける。それは、アーサー王の名剣「エクスカリバー」であった。
 すなわち、そこには、混迷を深めゆく現代にあって、いったい「だれ」が、いかなる″剣″をもって、また、いかなる″人間のきずな″を結んで、平和のため、民衆のために立ち上がるのか──というメッセージが託されているともいえまいか。
8  ところで、オックスフォード大学のウィルソン教授は私との対談の中で、次のように論じておられた。
 「人々は、皆、生きるのに忙しく、また、地方的で特定の適用範囲をもつ言葉で、自分たちの問題を取り上げます。彼らにとって、自分たちの個人的な欲求や家族の関心が、人類の直面するより広範な、おそらくは全地球的な問題と、どのようなかかわりをもつのかを理解するのは、容易なことではありません。人々を、いわゆる″高邁こうまい″な理想と彼らがみなすような目的の支持者に加わらせることは、困難なことなのです。
 一方に雑多で多様な地方的関心というものがあり、他方に地球的文明と全人類の文化という普遍的で何より重要な目標があり、これら両者を連結する絆が作られ、そのみぞに橋がかけられることがあるとすれば、それができるのは、おそらく宗教しかないでしょう」と。
 私もまったく同感である。現代の病根には、こうした個と全体、個別と普遍の調和を失った人間精神の衰弱化、矮小わいしょう化がある。そして、その人間精神の「復興(ルネサンス)」こそ、心あるヨーロッパの知性と良識が、私どもの運動に期待する文明論的テーマなのである。
9  かねてより、仏法の英知に注目するヨーロッパの識者は決して少なくなかった。
 しかしイギリスの哲学者、ホワイトヘッドなどは「(=仏教は)自分自身にこもって、外界を成り行きにまかせてしまう。悪に対するはっきりした抵抗がありません」(L・プライス編『ホワイトヘッドの対話』、岡田雅勝・藤本隆志共訳、みすず書房)と不満をもらしている。
 このように、これまでヨーロッパに伝えられた仏教は、現実社会から離脱し、孤独の中で、静寂せいじゃく主義、隠遁いんとん主義におちいりがちな宗教として受け止められる向きがあった。ヨーロッパの知性は、そうした逃避とうひの弱さを鋭く見抜いていたわけである。
 その意味において、生き生きと、また力強く、日々、「仏法即社会」「信心即生活」の実践を積み重ねながら、その国の立正安国を目指しゆく皆さま方は、従来の仏教観を一変させてきた″使命の人々″である。ここに仏教史を画する、この二十八年間の欧州広布の誇りもある。
 幾多の労苦も、あえていとわず、社会の中へ、民衆の中へと打って出ていく──その行動それ自体が、仏法の根本精神たる慈悲の発露はつろなのである。
10  いうまでもなく、仏教の出発点である釈尊の生涯は、民衆救済の行動に貫かれている。じつは、その釈尊は菩提樹下でさとりを開いてから、人々への説法を開始するにあたって、大いなる躊躇ちゅうちょ葛藤かっとうを経験した。このことが仏典には「梵天勧請ぼんてんかんじょう」のドラマとして説かれている。
 すなわち、釈尊は、みずからの悟った真理が深遠かつ難解であることを思い、「むさぼり」と「いかり」と「おろか」に満ちた世の人々にこれを説ききわめることは容易ではないと考えた。そこで説法をすることをためらったわけである。
 その時、梵天が来下して、「尊き方よ、教えをお説きください。この世には生まれつきけがれの少ない人々がおります。彼らは教えを聞かなければ退歩しますが、聞けば真理を悟る者となりましょう」と語り、広く説法することをすすうたというのである。
 ここにいう梵天とは、現代的にいえば、諸天の働きとしてあらわれた、宇宙生命に備わる創造的エネルギーの一面を意味しているともとれる。したがって、梵天の勧請とは、釈尊が広大な慈悲と深遠な智をもとに、限りない宇宙生命の創造的エネルギーをくみだしつつ、いよいよ人類的使命に立ち上がったことを象徴しているといってよい。
 さてこの仏法を貫く慈悲について大聖人は次のように仰せである。
 「此の仏菩薩の衆生を教化する慈悲の極理は唯法華経にのみとどまれりとおぼしめせ」──この仏菩薩が衆生を教化していく慈悲の極理は、ただ法華経のみとどめられていると知りなさい──と。
 この法華経とは、末法においては、日蓮大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経であることはご承知のとおりである。
11  現実の社会で降伏の大境涯を
 大聖人は「御義口伝」にこう仰せである。
 「我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るはしかしながら四徳の香を吹くなり」──われわれが生老病死という人生の苦しみに際して南無妙法蓮華経と唱えていくならば、妙法に荘厳された生命となり、「常」「楽」「我」「浄」の四徳のふくよかな芳香ほうこうを漂わせることができる──。
 四徳とは、人間として最高の境地であり、絶対的な自由、幸福を表示している。
 「我」は、「真実の自己」つまり「大我」が享受きょうじゅする宇宙大の自由の境涯といってよい。
 「常」とは、不断に革新しゆく生の躍動であり、あらゆる行き詰まりを打破していく生命の創造的な進化ともいえる。
 また「浄」とは、大いなる生命の力の奔流ほんりゅうによって、小我による狭いエゴイズムの汚濁を浄化する働きである。
 そして「楽」とは、瞬間瞬間、ダイナミックに律動する生命の歓喜であり、周囲の人々にも喜びを与えゆく円満なる人格にも通ずる。
 こうして妙法に照らされた人格は、宇宙大の自由をはらむ「大我」の境地に立脚して、「小我」のエゴイスティックな方向に凝集ぎょうしゅうしていた欲望のエネルギー(煩悩ぼんのう)をも質的に転換していく。つまり、煩悩のエネルギーをも輝ける英知と慈悲へ昇華しつつ、他者や共同体、社会など、個人を超えた次元へと力強く立ち向かっていくのである。
 ここに「煩悩即菩提」の法理があり、「理想社会の建設」に取り組みながら、自他ともに真実の「人間完成」を目指しゆく道が、広々と、また晴れ晴れと開かれている。
12  「幸福」は何によって決まるか。これが人生の根本問題である。
 結論的にいえば、幸福の最も重要な要素、それは自分自身の内なる「境涯」である。
 大いなる境涯の人は幸福である。広々とした心で、毎日を生き抜いていける。強き境涯の人は幸せである。苦しみにも負けることなく、悠々と一生を楽しんでいける。
 深き境涯の人は幸せである。人生の深き味わいをかみしめながら、永遠にも通じゆく有意義な価値の歴史をつくりゆくことができる。
 清らかな境涯の人は幸せである。その人の周りには、つねにさわやかな喜びが広がっていく。
 たとえ物質や地位等の面で恵まれていたとしても、「不幸」を実感している人は数限りなくいる。また、そうした環境は、つねに変化し、いつまで良き状態が続くかわからない。
 しかし、確立された自身の「幸福の境涯」は、だれびともこわすことはできない。何ものも侵すことすらできない。こうした、生命の大境涯の建設に、仏道修行の目的もある。
 ともあれ、何があっても御本尊から離れてはいけない。信心の歩みを止めてはいけない。
 人生の途上には、さまざまな苦難がある。行き詰まりもある。その時にこそ信心の心を強め、唱題に励んでいただきたい。宿命の山を登りきると、それまでは辛くとも、次は視界がパーッと広がっていくものである。信心は、その繰り返しのようなものである。その究極として永遠に崩れない絶対的幸福境涯につながる。
 ともかく、信心の根を、強く、深く、張っておくことだ。根さえ張っておれば、養分が与えられない時があったとしても、太陽の光が輝き、水分が与えられれば、必ず次第次第に大樹へと育っていく。信心と人生の歩みもまた同じである。どうか皆さま方は、この厳しき現実社会の中で、″真実の仏教″の証明者として、幸福の大光を朗らかに広げゆく勇者であっていただきたい。
13  私どもは最高の″慈悲の剣″を抱いた。戸田先生は言われた。
 「慈悲ほど強いものは世にないのである。絶対の慈悲のうえにたって、衆生を化導けどうせらるる仏に対しては、慈悲にあまえるというより、われわれは慈悲の強さにおそれをなすのが、いつわりのない事実であり、真のすがたである」
 そして私どもも、「その行動の奥に深い深い慈悲の心を蔵するならば、その行動は、説明もなく、証明する者がなくとも、相手にいっさいが必ず通ずるものである」(『戸田城聖全集 第三巻』)と。
 どうかこの″慈悲の剣″を胸に、現実の人間群の真っただ中で、勇敢に、また自在に乱舞していただきたい。そしてうるわしい同志の絆をさらに強め、また広げつつ、なかんずく青年を最大にいつくしみ、はぐくんでいっていただきたい。
 最後に、「我が愛するヨーロッパの友よ、素晴らしき使命の舞を自在に舞いゆけ」と、心から念願し、私の記念のスピーチとさせていただく。

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