Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第七回全国婦人部幹部会 広い心の人、強い心の人

1989.5.9 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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2  また大聖人は別の御書にも、佐渡流罪に関して「日蓮はなが流罪されずして・かまくら鎌倉にだにも・ありしかば・有りし・いくさに一定打ち殺されなん」――日蓮が流罪されないで、そのまま鎌倉にでもいたならば、先のいくさに巻き込まれて、きっと打ち殺されていたにちがいない――と。
 つまり佐渡への御流罪には、深い意味があったということを、ここではお示しくださっているのである。
 自身の一時の感情や憶病おくびょうな心、また世間体せけんていなどにとらわれるようでは、真に大聖人の仏法の信奉者とはいえない。浅はかな我見で信心の世界を推し量ってもならない。また仏法の深さも知らず、皆を利用し、上手じょうずに泳ごうとする人間は、結局は自分がおぼれてしまう。少し長い目で見れば、それが全部、見えてくる。
 ともあれ私どもは、「成仏」という三世永遠にわたる「生命の栄光」の道を、何があっても悠々ゆうゆうと見おろしながら、堂々と進んでまいりたい。
3  一切を開く妙法の力用
 大聖人はさらに、「四条金吾釈迦仏供養事」の中で次のように仰せである。
 「此の五眼をば法華経を持つ者は自然に相具し候」と。
 すなわち、法華経を持つ者には、五眼――(1)肉眼にくげん(人間の肉体に備わる眼)(2)天眼てんげん(遠近、明暗にかかわらず見ることのできる天人の眼)(3)慧眼えげん)(二乗の智慧ちえの眼)(4)法眼ほうげん)(衆生救済のための菩薩の智の眼)(5)仏眼ぶつげん(一切を三世十方にわたって見通す仏の智の眼)――が自然に備わっていく、との仰せである。
 私どもの日々の実践にあっても、強き「信心の一念」に徹していくならば、一時は苦しいこと、いやなことがあっても、深い意味が感じ取れるようになっていく。″あっ、これはこういう意味だったんだな。これはこういうことだな″と、事象の本質を見通していくことができる。何事にも紛動ふんどうされない確固とした自己を築いていける。また眼前の事象が、どう変化していくのかも、おのずと見えてくる。
 そして個人の生活においても、また広宣流布の活動においても、あらゆる環境や出来事を徹底してよいほうへ、よいほうへと開き、転換できる。これが妙法の偉大な力用りきゆうなのである。
 私は戸田先生のもとで、この「仏法の眼」からの物事の見方を、徹底的に深め、きたえられた。ゆえに私は、何があっても動じないし、淡々たんたんと見ていける。この一点を深く銘記し、強くなっていかねばならない。
4  この御抄をおしたためになった時、大聖人は、佐渡から鎌倉に戻られ、さらに身延の地に入られていた。この中で大聖人は、これまで数々の法難を乗り越えてこられた御自身のお心を次のように仰せになっている。
 「日蓮をば日本国の人あだむ是はひとへにさがみどの相模殿・のあだませ給うにて候ゆへなき御政りごとなれども・いまだ此の事にあはざりし時より・かかる事あるべしと知りしかば・今更いかなる事ありとも人をあだむ心あるべからずと・をもひ候へば、此の心のいのりとなりて候やらん・そこばくのなんをのがれて候、いまは事なきやうになりて候
 ──日蓮を日本国の人々がにくんでいる。これはひとえに相模守さがみのかみ(鎌倉幕府の執権・北条時宗)殿が日蓮を憎まれていたからである。道理にかなわない政治であるが、いまだこのこと(法難)にあわぬ時から、こういうことがあるだろうと知っていたので、今更どんなことがあっても、人をうらむような心があってはいけないと思っていた。この心が祈りとなったのであろうか、数々の難をのがれてきた。そして今は、何事もないようになった──と。
 為政者いせいしゃの理不尽な仕打ちにも、世間のいわれなき憎悪ぞうお・悪口に対しても、その法難のゆえんを知り抜かれていたがゆえに、だれかを恨むようなことはまったくなかったとの仰せである。
 命にも及ぶ相次ぐ大難をも、悠然と見おろしながら乗り越えられ、そして「いまは事なきやうになりて候」と、勝利のお姿を示されたこの御文を拝するたびに、私は、御本仏のまことに壮大なる御境界を仰ぎみる思いである。
5  大聖人の大慈大悲の人間像を社会へ
 ところで、大聖人は、佐渡流罪直前のお手紙に次のように記しておられる。
 「但おほけなく国土までとこそ・をもひて候へども我と用いられぬ世なれば力及ばず」──ただ分不相応に、国土まで救おうと念じているが、国主が自ら(私を)用いられない世であるから、力が及ばないのである──と。
 当時の政治状況は、御書にも「此の国此の両三年が間の乱政は先代にもきかず法に過ぎてこそ候へ」──この国の、ここ二、三年の間の乱政は、前の時代にも聞いたことのない法外なものである──と仰せのように、乱れに乱れ切っていた。
 この悪世の中、大聖人は日本国を、苦悩の民衆を救済せんと、「立正安国」の大法戦の連続であられた。しかし、幕府の権力者をはじめ世のすべての人々は、大聖人の大慈大悲のお心を知ろうともしなかった。いな、それのみならず、死罪・流罪という大迫害をもって大聖人をぐうしたのである。
 「我と用いられぬ世なれば力及ばず」──名誉や保身のために言うのではない。これほど残念なことはないが、国主が聞く耳をもたないのであるから、力は及ばない、と。
 御本仏の泰然たいぜんとされた、それでいて深い御慈愛が、私の胸に惻々そくそくと迫ってくる。
 私は、御書を拝読するたびに、こうした大聖人の人間性あふれたお姿に心打たれる。「四箇しかの格言」や「五重の相対」等の甚深じんじんの法理を学ぶことは当然として、御本仏の最高の人間性を深く拝していきたい。
 また、これだけの広布の進展を考えるとき、大聖人の真実の人間像を社会に教えていくことの必要性が一段と痛感されてならない。
6  この佐渡流罪の折、大聖人のもとには、若き日興上人がおられた。時に数えの二十六歳。大弾圧のあらしの中、ただひたすらに大聖人に常随給仕じょうずいきゅうじなされ、佐渡の地でも敢然かんぜんと正義の法戦を展開された。
 日本中が敵となり、一門は敗退、食べるものも満足にない。しかし日興上人は一人、火をくような情熱で師を支え、戦い抜かれた。
 正義の師を用いないばかりか、理不尽な迫害を続ける″転倒の世″。その末法悪世に対して烈々れつれつたる闘志を燃やし、挑戦を続けられたのである。
 師が攻撃されればされるほど、より大きな力を出す。それでこそ真実の弟子である。師を取り巻く状況が厳しくなればなるほど、「戦いは全部引き受けた!」との覚悟で、駆け出していく。それでこそ、不二ふにの師弟である。戦況せんきょうの変化次第で、弱々しく、一歩退いてしまうような生き方は、仏法の師弟の道には絶対にない。
 ともあれ私は、青年部の諸君には、まなじりいて立ち上がる若武者のごとき、渾身こんしんの行動また行動を期待する。婦人部の皆さまの期待も同じと思う。持てる力をすべて出し、青春のいのちを燃やしきった人のみが、人生を真実に″生きた″よろこびも、深き味わいも知ることができるからである。
 私も十九歳の時から今日まで、ただ大聖人の仰せをほうじ、ただ戸田先生の心をたいして、まっしぐらに進んできた。かえりみて、何のいもない。ゆえに私は幸福である。
7  地道な陰の人を最大に尊敬
 昭和三十年(一九五五年)のことである。十月二日、私は戸田先生とともに、埼玉の「第四回志木支部総会」に出席した。小雨の降る中、三千四百人の方々が集われた。
 私は、この支部総会の終了後、ある地区の座談会に足を運んだ。疲れてはいたが、一日一日、自分の力を発揮しきっておくことが、そのころからの私の生き方であった。
 その日の日記に、私はこう記した。
 「指導して、意気揚々ようようと帰る自分より、これ程まで結集させた、中堅幹部の人々に深く思いを致すべきである」と。
 当時、私は二十七歳。若いがゆえに、いい調子になったり、生意気になってはならない、どこまでも謙虚に、陰の人の労苦を知らねばならないとの自戒であった。いわゆる″幹部づら″して、人々を見くだし、命令していればよしとする、そういう人間には決してなりたくなかった。
 現実に地道な苦労をした陰の人をこそ、最大に尊敬し、守っていかねばならない。これが私の変わらざる人間観である。この不動の一点に立っているゆえに、何があっても強いし、迷わない。また、これが戸田先生が厳しく訓練してくださった急所でもあった。そのことを実感するたびに、あらためて先生への尽きせぬ感謝の思いがわく。
8  ソクラテスが受けた迫害の構図
 ここで、少々難しいかもしれないが、かつてお話ししたギリシャの哲人、ソクラテスについて若干じゃっかん触れておきたい。
 「ギリシャ第一の知者」であり「最も正しき人」であったソクラテスが、なぜ迫害され、死刑にされたのか。考えてみれば、まことに不思議な話である。
 そこで見落とすことができないのが「イメージの力」である。
 「ソクラテスは、国家の認める神々を認めず、青年を堕落だらくさせた」──これがソクラテス告発の理由であった。
 ところが二十四年も前から上演されていた、ソクラテスを中傷する劇(アリストファネス『雲』)の″つくられたソクラテス像″が、この告発理由とそっくり同じなのである。アテネの市民が、どれほど強く、この劇のイメージに影響され、踊らされていたことか──。
 勝手につくりあげた「虚像」を、無責任にまき散らし、広めていく。こうした無法は現代においては、比較にならないほど大規模に、また執拗しつようかつ巧妙こうみょうに行われている。民衆がいよいよ賢明にならなければ、その洪水こうずいのような「イメージの力」にのみこまれ、押し流されていってしまう。その危険を指摘する人は多い。
9  一人の人物の「虚像」と「実像」──。その″落差″は、じつは人物の実像が巨大であればあるほど大きくなる。
 心のせまい人々は、自分を超えた偉大さに対して、それを喜ぶどころか、反対にねたみ、そねみ、うとましく思って、何とか自分のレベルまで引き下げようとする。無意識にせよ、「実像」の大きさを感じているからこそ、それを認めたくないために、ことさらに正反対の「虚像」を創作し、流布して、「実像」を隠し、いつわりの安心を得ようとする。悲しいことであるが、これが人間社会の一実相であろう。
 そして、ひとたび広められたしきイメージは、容易にぬぐい去ることはできない。ソクラテスの悲劇も、この「虚像」と「実像」のめがたき落差から生まれた。
 こうした意味で、「真実の人」は、じつは、人々の心を映す″鏡″なのである。その人の中に、虚栄の人は同じく虚栄を映し見る。策の人は策を、野心の人は野心を見いだし、非難する。しかし、それらはすべて、鏡に映った自分の醜い姿を相手に、たけり狂っているにすぎない。
 反対に、素直に「より高きもの」を求め続ける求道の人は、鏡の中に、向上への師表を見いだす。ソクラテスにおけるプラトンがそうであった。同じソクラテスに対して、人々はそれぞれまったく異なる像を見ていたのである。
10  ソクラテスを、どう遇するか。実像にふさわしい国師としての礼か、それとも虚像に目をおおわれた死刑判決か。この哲学者への態度いかんが、アテネの命運を決定していく。それは、そのまま「真実」に対する彼らの態度を表明することになるからである。
 ためされていたのは、迫害されたソクラテスではなく、むしろ市民のほうであった。
 「真実」は、そして「真実の人」は社会の土台であり柱である。その、かけがえなき存在を破壊したアテネは、外見はいかに華やかでも、内じつは、もはや、うつろなる虚構の社会である。アテネが年とともに没落し、滅亡への坂を落ちていったのも、ある意味で必然であった。
11  「彼がために悪をのぞくは即ちれ彼が親なり」──その人のために、いつわり親しむことなく、あえて「悪」を除いてあげる人は、すなわち、その人の親である──とは、中国の章安しょうあん大師の言葉である。
 子供があぶないものに手を出そうとしている。止めれば本人はいやがる。しかし、いやがり、怒るからといって、あえて「悪」を除こうとしないのは親ではない。それではあまりにも無慈悲である。かりに我が身に危害を受けようとも、子供のためならば、どこまでも本当のことを言ってあげる。「悪」から離してあげる。それが親の心である。
 民衆の間に「広宣流布」を進めていく心もまた、彼が「親」としての、この深き強き心情からにほかならない。
 こうした意味からいえば、ソクラテスの実践も、アテネ市民の「親」としての行動であった。しかし、夢中になっている危険な遊びを止められて怒る幼児のように、市民は、この慈父をよってたかって殴打おうだし、毒杯による死へと追いやったのである──。
 少し難しい話であったかもしれない。しかし仏法は最高の人間学であるゆえに、こうした人間心理の″あや″と、社会の悪の構図も、賢明に理解する婦人であっていただきたい。
12  「現当二世」の旅路を常楽に
 さて、日淳上人は、昭和二十四年(一九四九年)十月の創価学会第四回総会の折、次のように述べられている。
 「他宗では罪障消滅ざいしょうしょうめつだとってつぐなう事のみやっている」「大聖人様の本因妙ほんにんみょうの仏法とは、教えてくれた出発点に戻る事であり、自分が一番最初の出発点に戻って現在を照らしてみることである。そうすれば左右することの出来ない因果が正しい光に依って照らし出され、一切に対する正しい見方が出来るのである」(『日淳上人全集』)と。
 ここでは″真実の幸福を得るために、どうしたらよいか″ということについて触れられている。
 つまり、他宗で強調しているように「罪障消滅」といって「つぐなう事」だけをやっていても問題は解決しない。生命には因果の理法が厳然としてあり、幸福への因果としていかなければならない。それを可能にするのが大聖人の仏法である。
 大聖人の仏法は本因妙の仏法といわれるように、一切の出発点となる妙法から、現在の果を照らしてみる。その時、すべてを正しく見ることができるし、真実の幸福の因果にのっとった人生を歩んでいくことができると言と拝する。
13  また、同じ総会の席上、戸田先生は次のように言われている。
 「妙法の実体たる御本尊様をしっかりと信じたてまつって、あらゆる事件も、その原因を、久遠の実体たる御本尊様によせて考え、行動すべきであります。この立ち場で行動するならば、いかなる世間の苦しい事件も、また困難なことがらも、すべて、ご利益と変じ、変毒為薬へんどくいやくするのであります。
 御本尊様を、しっかりと信じまいらせた生活は、日常の生活を、清らかな、久遠の因として活動するのであり、また、御本尊様の功徳によって、はかりしれない生命力がくのでありますから、それが結果となるときには、必ずよい結果が生ずるはずなのであります」(『戸田城聖全集 第三巻』)と。
 つまり、何が起こっても、御本尊への強い祈りと深い信心があれば、すべてを功徳とかえ、変毒為薬していけるのである。ゆえに、少々の苦難や不幸に思える出来事も恐れることもないし、嘆く必要もない。「広い心の人、強い心の人」として、堂々と生き抜いていただきたい。
 私どもの信心、また日々の活動は、すべて現当二世のためである。現在の一瞬一瞬の生命の中に、未来の素晴らしき果をもたらす因が、明確に刻まれていくのである。したがって、現在、どのような信心の一念をもっているかが、最も大事となると、強く申し上げておきたい。
 私は、御本尊に、皆さま方のご多幸、ご健康、またご長寿を深く祈っております。本日は、婦人部幹部会に、このように参集いただき「ご苦労さま。ありがとう」と申し上げて私のスピーチとしたい。

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