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日蓮大聖人・池田大作

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第六回全国婦人部幹部会 「生活の達人」に「人生の達人」に

1989.3.29 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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1  「主婦同盟」「働く婦人の会」に歩みに敬意
 ここ学会本部の桜の花も咲き始めた。いよいよ本格的な春の到来である。
 きょうは当初、ガンとの闘いを通しながら「生老病死」について、お話ししたいと考えていた。だが、アメリカGSI(創価学会インターナショナル)をはじめ海外の代表メンバーも多数こられている。そのテーマは別の機会にして、もっと春らしいさわやかな話をと決めた。
 いつもいつも、広布の活動を推進し、支えてくださっているのが婦人部の方々である。ゆえに私は、婦人部の皆さまを心から大切にしているし、お会いするときは、いつも心の中で深く礼をしているつもりである。
 会合においても、幹部は、とくに男性の幹部は、婦人部の方々を最大の真心で迎え、謙虚けんきょに礼を尽くして接していただきたい。
 どのような場合でも、幹部が傲慢ごうまんになり、健気けなげな同志を見下みくだしたり、ないがしろにするような態度は、絶対にあってはならない。私は、まずこのことを、とくに強く申し上げておきたい。
2  さて、婦人が力を合わせて社会運動に取り組んでいる「日本主婦同盟」と「働く婦人の会」が、結成二十周年を迎えた。
 いずれも、私が設立を提案させていただき、昭和四十三年(一九六八年)十月に、婦人部の有志によって結成された。地味な活動のゆえに、あまり多くの人々には知られていないかもしれない。しかし、婦人の地位向上、平和で文化的な暮らしの実現などを目指し、二十年以上にわたって、地道な運動を進めておられる。
 そして、社会の諸問題に対し、いわゆる政治家や男性には見極みきわめることのできない鋭い視点から取り組んでこられた。そうした数多くの業績に寄せられる評価は高い。
 先日も、NHKのあるテレビ番組で、暮らしへの消費税の影響などを、商店主と三人の消費者代表が語り合うことになった。そのうち東京の消費者代表にとの依頼が、主婦同盟にあったそうである。ともあれ、私は、庶民の一人として、心から称賛の拍手を送りたい。
3  「日本主婦同盟」では、「主婦同盟ニュース」を月に一回、発行している。私ども夫婦にも、真心で届けてくださっており、毎号、読ませていただいている。タブロイド判・四ページの小さな新聞だが、その内容は、とても素晴らしい。
 現代社会のさまざまな事象について深く分析し、専門的な問題についても、わかりやすく紹介されているので、読んでいて、とても勉強になる。″よく、ここまで研究・調査を重ね、真摯(しんし)に取り組んでこられたものだ″と、夫婦でいつも感心している。
4  たとえば、最新号(三月十五日付)の「身につけよう『よくかむ習慣』を」という記事では、次のようなことが述べられている。
 ──最近、現代人のかむ習慣が失われてきている。乳化剤、糊料こりょう、粘着剤といわれる食品添加物てんかぶつを入れてやわらかくした加工食品が氾濫はんらんしていることも原因の一つである。
 とくに子供のなかで、かめない子が増えている。ある地域のいくつかの保育園で行った調査では、園児の一割近くが″かめない子″であった。
 かめない子は、歯ごたえのある食べ物をきらうため、よくかむ習慣が身につかないという悪循環におちいる。それによって、歯がもろくなったり、あごの発達が悪くなり、がく関節症という、口が開かなくなる病気の一因にもなっている──と。
 さらにこの記事では、だ液に、発がん物質の毒性をおさえる働きがあるとする研究も紹介されている。また、かたいものをかむと、大脳に振動を与え、脳の血液循環がよくなり、学習能力の活性化につながるとの実験などが取り上げられている。大変に興味深い内容である。
 なかでも、母親の皆さまに対して、″子供に「早く食べなさい」としかるよりも、「よくかみなさい」と、しっかりかむ習慣をつけてあげてほしい″と訴えている(以上、同志社大学・西岡一教授、名古屋大学・金田敏郎教授、愛知学院大学・村上多恵子講師らの研究資料などを参照し、まとめられたものである)。
5  母は聡明に、心あたたかく
 先ほど、秋谷会長から、親と子のかかわりについて、大変に素晴らしい指導があった。が、やや難しい部分もあり、″もう少し聞きたい″という声もあるかもしれない。そうしたところをおぎない、助け合う意味からも、少々、親子の問題にも言及させていただきたい。
 やはり「主婦同盟ニュース」に、かつて、親子のかかわりについてのアンケート調査がっており、強く興味を引かれた。
 愛知の主婦同盟では「母と子のあいさつ運動」に取り組んで十年になる。その一環として小学・中学・高校生を対象に、親の言葉の中の「嫌いな言葉」「うれしい言葉」「言ってほしい言葉」について調査を行ったというのである。
 まず、親からいろいろと言われる中で「嫌いな言葉」とは何か。
 調査によれば、第一位は、「早くしなさい」「勉強しなさい」など、「何々しなさい」という命令調の言葉であった。何と、この答えが全体の八〇%を占めたという。
 無神経な言葉が、いかに人の心を傷つけ、反発と無気力を誘うか。それは、子供のみならず、大人であっても同じではなかろうか。
 学会においても、とくに幹部の話に、昔ながらの″命令調″はないと思うが、ぜひ一度、アンケートを実施し、実態を調べてみたいものである。
 ついでわれるのは、「バカ」「アホ」。子に向かってこんなことをいう親がまだまだ多いという。もちろん、聡明そうめいな学会婦人部の皆さまには、身に覚えのある人は、まさか、一人もいないと強く確信する。
 さらに、「××さんを見てごらん」といった、兄弟や友達と比較される言葉も、最も「嫌いな言葉」の一つとなっている。
6  では、「嬉しい言葉」とは何であろうか。
 一番多かったのは「よかったネ」「がんばったネ」「上手じょうずネ」という、ほめ言葉である。
 次いで「ありがとう」「助かったワ」などの感謝の言葉。また、成績が悪かったときの「大丈夫よ!」「またがんばろうね」との励ましの言葉、そして「何か買ってあげる」といった約束の言葉も、やはり嬉しいようである。
 総じていえることは、子供たちに対しては、どこまでも温かく、向上を願う、豊かな心で接していくことである。愛情と真心にこそ、子供は素直に反応し、伸び伸びと成長のつばさを広げていくものだ。
 それを、少々成績が落ちたからと、「もう、ごはんあげない!」とか、自分もたいして成績がよくなかったのに、このときとばかり「さあ、しっかり、お題目あげなさい!」というのでは、かえって反発をかうばかりである。
 どうか皆さまは、こうした点でも、聡明な母親であっていただきたい。
 また、子供と一度交わした約束は、絶対に守ることである。これを破ることは、清らかな心に、不信の傷をつけてしまう場合がある。
7  さて、三番目の「言ってほしい言葉」では、意外なことに、「もっとしかってほしい」との回答もあったという。一方、「やればできるじゃない」などの言葉は、「嫌いな言葉」と「うれしい言葉」の両方に出てきている。
 要するに、子供たちは、ただ過保護にかわいがられることを欲しているのではない。それでは、人間としてのケジメを失ってしまうことを、彼らはきちんと知っている。同じ叱られるのでも、それが一時的な感情にすぎないのか、それとも深い愛情によるものなのか、それをじっと見つめているのである。
 ゆえに、叱るべきは、きちんと叱ればよい。諄々じゅんじゅんと、心から納得のいくように話していけばよいのである。
 主婦同盟のこの記事にも次のような指摘があった。
 「感情的に叱るのではなく、考える間を持たせながら静かに叱る。そのあとで『ほめる』『激励する』などは叱る時のキーポイントだ」と。
 しかし現実は、これが、なかなか難しい。とくに忙しいときはなおさらである。
 ともあれ、子供の心は繊細せんさいにして鋭敏である。十分に心を配り、広く温かな気持ちで接しながら、すこやかな成長を期していただきたい。
8  海外で活躍するメンバーを真心で応援
 さて、本日の幹部会にはSGIの代表二十八人も出席されている。その遠来の労を心よりねぎらいたい。
 また四月には、アジア・北中南米の十九カ国より六百人を超える友が来日する。
 学会本部の訪問や研修会、東京の同志との交流などが予定されており、皆さまとともに、最大の真心で歓迎したいと思っている。
 ところで世界への大法流布について、日達上人は、十四年前、アメリカSGIの第十二回総会に、わざわざ次のようなメッセージを寄せてくださった。
 一九七五年(昭和五十年)七月、紺碧こんぺきの空と海が広がるハワイのワイキキ・ビーチで開催された同総会の模様は、今もあざやかに目に浮かんでくる。
 日達上人はメッセージで、総会が「アメリカ合衆国独立二百年祭の意義も含め盛大に開かれたことに対し私は世界平和の為世界の正法興隆証明のため誠にうれしく思います」とあいさつされ、こう述べられている。
 「私は世界の仏法流布という平和文化運動の実践運動をインタナショナル日蓮正宗創価学会会長池田大作先生に一切をお願いいたしております。どうか皆様方も人類の進歩と幸福のために日夜先駆を切って激闘を続けられている池田先生の指導をしっかりお受け下さい。
 私も人類の恒久平和のためにそして世界の信徒の幸福のために毎日毎夜、大御本尊に御祈念申し上げております」(『日達上人全集』第二輯第七巻)。
 このように日達上人は、私を中心とした、世界の前進に対し、全幅ぜんぷくの信頼を寄せてくださっていた。そのお心を私どもは深く受け止めてまいりたい。
 今や、SGIの友は実質、百十カ国、百二十六万二千人に及んでいる。自国の繁栄のため、世界の平和のために、日々、真剣に活躍するメンバーに対し、私どももまた、その幸福と健康を祈り、さまざまな面から応援もしていきたいと思う。
9  これは、おわびになるが、当初、桜の咲く四月には九州を訪問する予定であった。九州で、日夜、広布のため、ご苦労されている皆さまにお目にかかることを強く念願していたが、海外の来客が続いたり、大学をはじめとする入学式など、さまざまな行事が重なり、どうしても日程の都合がつかない。そこで、やむなく、訪問は近い将来に延期させていただくことになった。ご了承願えれば幸いである。
 また立派な新会館のできた広島にも、ぜひ、うかがいたと願っている。その他の地域も、できうる限り訪問し、激励の真心を尽くしたい。
 ともあれ、皆さまのご健康とご長寿、ご健闘と栄光の勝利を、私は毎日、心よりお祈り申し上げている。
10  世界の英知は仏法を志向
 これまでにも、ご紹介してきたが、私どもの運動に対して、世界の一流の英知が刮目かつもくし、深い共感の思いを寄せている。
 開目抄の有名な一節には「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」と仰せである。
 戸田先生は、この日蓮大聖人の御精神を拝して、こう叫ばれた。「愚人にほむらるるは、智者の恥辱ちじょくなり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり」(「青年訓」、『戸田城聖全集 第一巻』所収)と。
 いうまでもなく、大聖とは大聖人のことであり、御本仏の称賛にあずかることが私どもの最高最大の栄誉である。他のだれびとの称賛も必要ない。
 その上で、広く、総じていえば、人類の文化の高峰をきわめた偉人、哲人は、その多くが、仏法に通じる知恵をもっている。また、その意味で、仏法の偉大さを証明する存在ともなるといえよう。
11  かつて私はフランスの文化人、アンドレ・マルロー氏(一九〇一〜七六年)と対談した。
 ご存じのように、氏は二十世紀を代表する作家であり、また″行動する文学者″として広範な舞台で活動した。その影響力も甚大じんだいである。
 氏との対談は一九七四年(昭和四十九年)五月十八日、東京で、さらに翌年の五月十九日、パリでと、二度にわたり行われた。その内容は『人間革命と人間の条件』(潮出版社)と題して、対談集にまとめられている。
 マルロー氏は最晩年に、深き感慨をこめ、こう言っておられた。「二十一世紀は精神主義の時代となるであろうか、否か」と。この言葉は、氏の生涯にわたる真理探究の一帰結きけつでもあった。
 二十一世紀は、新しい「精神の時代」になるか、さもなくば″荒廃″しか存在しないにちがいない──と。この信念から、氏は、私とSGIの未来に、絶大の期待を寄せてくださっていた。
12  また私は一九七九年(昭和五十四年)二月十一日、″インドの良心″と敬愛されるJ・P・ナラヤン氏(一九〇二〜七九年)とお会いした。
 彼は国父マハトマ・ガンジーの高弟である。「インド現代史のなかで三人の、もしくはたぶん四人の最も重要な人物の一人」「インドで最も信頼される人物」等と絶賛されている。(H・パッシン「偉大なるアジア人・ナラヤン」伊藤雄次訳、『インドを救う道 ナラヤン獄中記』所収、サイマル出版会。他の三人とは、ガンジー、ネルー、インディラ・ガンジー)
 インド国民の精神的指導者であり、ネルー首相は自分の後継とも考えていたようである。しかし、ナラヤン氏は、その申し出を固辞した。氏は一切の政治的地位には見向きもしなかった。むしろ、より広い、自由な立場で、インドの民衆のために働こうとしていた。ガンジーの弟子として、その思想を実践し、深化させて、総体革命すなわち「人間革命を通ずる社会革命の思想」(同前)を提唱しておられた。
 私がパトナ(インド北東部)の氏の自宅で会見したのは、逝去せいきょの約八カ月前。すでにお体はかなり弱っておられた。
 それにもかかわらず、氏は大きな花輪を持って、にこやかな笑顔で迎えてくださった。花輪を自ら私の首にかけ、賓客ひんきゃくとして歓迎してくださった(花輪を手ずからかけるのは、名誉ある客を迎えるためのインドの慣習)。おだやかな、謙虚そのものの人柄であった。
 ナラヤン氏の師・ガンジーの言葉に「心をこめないで言葉をさがすより、言葉をさがさないで祈りの中に心をこめる方がよい」とある。
 ──空虚な言葉よりも、熱心な祈りに価値があり、深きたましいの充実がある。
 ナラヤン氏には、インドの民衆を思う、心を込めた祈りがあった。同時に、言葉の一つ一つに、生涯をかけた実践の裏づけと、誠実を込めた重みがあった。
 私との対話は一時間近くに及び、話題も多岐たきにわたった。ガンジーの思い出や、投獄され、筆舌につくせぬ苦痛を味わった自身の体験も話してくださった。
 そして氏は言われた。「私の信じているものは、釈尊の永遠の思想です」と。
 ″社会変革を目指す仏法者″としての私の信念にも、熱心に耳を傾け、強い関心と共感を示された。
 この日、私は氏との会見を待っている重要な来客があることも知っていた。名残なごりはつきなかったが、氏のお体のことも心配であり、辞去することにした。
 「体調が十分でなく、申しわけなく思っています」。帰りぎわに、氏はそう言われた。どこまでも謙譲けんじょうな人格の方であった。
 ともあれ、このように世界を代表する人物は、私どもの運動を熱い心で支持してくださっている。皆さま方も、それぞれのお立場で、いちだんと確信と誇りに満ちた前進をお願いしたい。
13  妙法のみ「生」「死」の安穏を約束
 次に、話は変わるが、戸田先生は信心の必要性について、こう指導されている。
 「なぜ信心しなければならないか。私は功徳をいただいている。なにがあっても絶対やめません。信心の必要は、もともとは死後の問題が恐ろしいから、信心するのです。いまの人は後生ごしょうのことを考えない。この世の生活がよければ、それでよいと思っている。しかし、死後のことはじつに大切で、もし地獄にちたら、その苦しみは今世の苦悩にはくらべられない。だから後生のために信心するのです」(『戸田城聖全集 第四巻』、以下同じ)と。
 すなわち信心によってこそ、だれもが不安を感じながら、けようとしている「死後」という問題を解決していける。この三世永遠の生命観によらずして、真実の幸福はないのである。
 そして「この世でよくなれば、かならず後生はよいのです。本当にこの世の生活も、後生もよくなるのは、日蓮大聖人の仏法だけです。要は、御本尊様をいかに信ずるかである。太田殿の御書にもありますように、信心は確信です。絶対に確信をもてば、かならず幸福になるのです。いかなることがあろうとも、信心の強いものにはだれも頭があがらない」とも述べられている。
 この妙法への絶対の「確信」を胸に、何ものをも恐れることなく、広布への力強い実践に生き抜いていきたい。そこにこそ、自身のくずれぬ幸福境涯を築きゆく道がある。
 さらに戸田先生は、「幸福な状態で死んだときは、それは、ぐっすりと安楽に熟睡じゅくすいしているのであり、不幸な状態で死んだときは、それは、あたかも犬に追われて逃げようとあせり、いまにも追いつかれそうで、もだえ苦しんでいる、悪夢にうなされているようなものである。題目の力は偉大である。苦しいごうを感ずる生命が、あたかも美しい花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化させるのである」とも話されている。
 御本尊に真剣に唱題していくならば、生死の流転るてんやみを、生々世々にわたる「福運」と「功徳」の花園へと転じていける。また、この偉大なる功力くりきを、日々の祈りと実践の中で深く実感していけるのが、仏法なのである。
14  日妙聖人の信仰に学ぶ
 さて文永九年(一二七二年)五月、はるか御流罪の佐渡の地まで、幼子おさなごとともに大聖人をお訪ねした日妙聖人のことは、皆さまもご存じのことと思う。
 大聖人は、そのけなげな信心を次のようにたたえておられる。
 「鎌倉に候いし時は念仏者等はさてをき候いぬ、法華経を信ずる人人は志あるも・なきも知られ候はざりし
 ──(大聖人が)鎌倉にいたときには、念仏者等はさておいて、法華経を信ずる人々の中で、だれが信心があるかないかはわかりませんでしたが──。
 「御勘気を・かほりて佐渡の島まで流されしかば問い訪う人もなかりしに・女人の御身として・かたがた御志ありし上・我と来り給いし事うつつならざる不思議なり」。
 ──北条氏のとがめをうけて、佐渡の島までながされると、問い訪れる人もなくなりましたのに、あなたは女人の身でありながら、いろいろと信心の志を示されたうえ、みずからはるばる(佐渡まで)訪ねてこられたことは、現実とは思えないほど不思議なことです──と。
 流罪の佐渡の地まで、大聖人をお訪ねすることは大変なことであった。社会的には罪人とされた大聖人のもとを訪れることへの世間の非難も強い。また山を越え、海を越えての道のりはけわしく、追いはぎや山賊さんぞくなども出没しゅつぼつし身の危険も大きい。しかも幼子をともなっての旅である。それが婦人の身にとって、どれほど苦難に満ちたものであったかは、想像を絶するものがあったであろう。
 大聖人が鎌倉におられるときは、だれが信心があるか、ないかははっきりしなかった。だが、″いざ″というときに信心の強弱は厳然と現れる。大聖人は、はるばる佐渡までお訪ねした、その深い信心をめでられ、一女性信徒であっても「聖人」とまで仰せになって、たたえているのである。
 妙法の世界でだれが一番尊いのか。信心の強い人こそ最も尊い人なのである。
15  また、大聖人は、この日妙聖人の信心に対して、諸天の加護は絶対であることを示されている。
 「法華経は女人の御ためには暗きに・ともしび・海に船・おそろしき所には・まほりと・なるべきよし・ちかはせ給へり」。
 つまり──法華経は女人のためには、暗い夜にはともしびとなり、海を渡る折には船となり、恐ろしい所では守護役になると、誓われているのですよ――と。
 信心の強い人を、厳然と守護する。これが諸天善神の約束である。ゆえに信心さえあれば、諸天の加護は間違いないのであり、何があっても恐れることも、悲しむ必要もない。朗々と題目を唱えながら確信ある信心で、人生の幸福を堂々と勝ち取っていただきたい。また、それを絶対に可能にしてくれるのが、この信心なのである。
 さらに大聖人は、「人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ、是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし・其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥いよいよ十羅刹女の御まほりも・つよかるべしと・おぼすべし」と仰せになっている。
 ──心の堅固けんごな者には、神の守りが必ず強いというのです。このように言うのも、あなたのために言うのです。前々からのあなたのお志については、言い尽くせません、さらに、それよりも今一重強盛な信心をしていきなさい。その時は、いよいよ十羅刹女の守りも強くなると思いなさい──と。
 信心に停滞ていたいがあってはならない。ゆえに私どもはつねに、″今一重強盛に″と、信心を深め、進めていかねばならない。そこにこそ福徳豊かな幸福境涯が、一歩一歩開かれていくのである。
16  なお、大聖人がこのお手紙を日妙聖人に送られたのは建治元年(一二七五年)で、蒙古来襲らいしゅうの翌年のことである。蒙古からの使者も、ふたたび訪れ、世情は混迷を極めていた。
 大聖人はお手紙の末尾に、次のようにしたためられている。
 「いかなる事も出来候はば是へ御わたりあるべし見奉らん・山中にて共にえ死にし候はん、又乙御前こそおとな成長しくなりて候らめ、いかにさかしく候らん
 ──(ふたたびの蒙古の来襲など)どのような事でも起こったならば、こちら(身延)へおいでなさい。心からお迎えしましょう。山中で共に飢え死にしましょう。また乙御前はさぞかし成長されたことでしょう。どんなにか聡明になられたことでしょう──と。
 乱世にあって、頼りとする人のない日妙聖人母娘である。もし蒙古が攻めてくるようであったら身延にいらっしゃい。身延も決して食料は豊かではない。だが、もし食べる物がなくなれば、一緒に飢え死にでもしましょう──。これほどまでに仰せになって、大聖人は、日妙聖人母娘をいつくしまれ、守ろうとされていた。まことにありがたい御本仏の大慈大悲であられる。
 私どもの登山会の精神は、この大聖人の大慈大悲のお心に包まれていることを最大の誇りと生きがいとして、人生を生き抜いていきたい。
 かつての正信会の悪侶あくりょのように、仏子をいじめぬいた姿には、どれほど大聖人がお怒りのことであろうか。私どももまた、仏子である会員にどこまでも尽くし、守り抜いていく心を忘れてはならない。
17  生活に余裕とユーモアを
 次に、リーダーとして大切な、うるおいのある「ユーモア」について、少々、語りたい。
 もちろん、ユーモアはふざけや軽薄けいはくな言動とはまったく違う。真のユーモアとは、接する人を心からほっとさせ、勇気と活力をもたらし、立ち上がらせていく力をもつものだ。
 これはイギリスの大学で学んできた通訳の方の話であるが、イギリス人の中にはこうしたユーモアあるいはウイット(機知)を重んずる伝統が脈打っている。
 たとえば偉大な政治家であったチャーチル首相も、第二次世界大戦のさなか、つねに軽妙なジョークをふりまいて、周囲の人々を励ましていたことはよく知られている。
 チャーチルといえば、彼はナチス・ドイツの猛烈な爆撃をうけている時にも、ボールをポンポンと放りながら、街の中を悠然ゆうぜん闊歩かっぽしていたと聞いたことがある。民衆の心を強く鼓舞こぶした名宰相めいさいしょうぶりをほうふつとさせるこのエピーソードは、私の心にも強く残っている。
 また第一次大戦の際、イギリス国民を最も勇気づけたのは、「ビル君」という一兵卒をえがいた漫画であった。
 ビル君は、決して″英雄″などではない。とぼけた感じの一兵卒である。それでいて、彼はつねに泰然自若たいぜんじじゃくとし、しかも不死身ふじみである。いろいろなヘマもするが、絶対に死なない。
 この主人公のユーモラスな活躍ぶりが、戦時下の国民を明るく勇気づけ、士気を高めたというのである。
 いわゆる偉い人よりも、無名の一庶民、無名の一市民のほうが、どれほど強靭きょうじんな力をもって戦えるか──ビル君の姿から、それを強く感じる。学会も、会員は強い。幹部になると毀誉褒貶きよほうへんにとらわれて、かえってもろいことが多々ある。
18  このほかイギリスには、死に臨んでなお、ユーモアを忘れなかった人々の逸話いつわが多くある。
 十七世紀の国王チャールズ二世は臨終の床でいわく、「いや皆の者、えらくひまがかかってすまぬぞ」と。つまり″まだ、あの世に行けそうにないのだ″というわけである。
 また作家のバーナード・ショーも、やはり死の直前、付き添いの看護婦に向かって、「いいかな、君、骨とう品というものは洗うものじゃないよ」と語りかけたという。つまり、老人である自分を、そんなにていねいに洗う必要はない、という意味かもしれない。
 さらに、著名な思想家であったトマス・モアは処刑される寸前まで、死刑執行人を相手に冗談じょうだんをとばして死んでいったそうである(以上、ユーモアについては、アントニー・グリン『イギリス人』正木恒夫訳、研究社出版を参照)。
 こうした″ユーモリスト″たちの生死の姿は、その足跡自体の社会的評価はさまざまであろうが、やはりそれなりの高みに達した人間の輝きというものを感じさせる。
 いわんや最高の妙法を信受し、日々、広布の活動に励んでおられる皆さま方は、偉大なる「人生の英雄」であり「人生の達人」であっていただきたい。
 現実生活は、さまざまな労苦の連続であるかもしれない。しかし、その労苦の中に、さわやかな笑顔を、また余裕とユーモアを忘れない「生活の達人」として、人生を最大に楽しく生き切っていただきたい。
 最後に、大切な皆さま方の「ご健康」と「ご長寿」、そしてご一家の安穏を深くお祈り申し上げるとともに、「我が人生は素晴らしい一生だった」と言える充実した″信心即人生″の日々であられんことを心から念願し、私のスピーチを終わりたい。

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